「――轟燈矢くん。君から見て、あの子は……蒼良は、どんな人ですか?」
静岡まで向かう車の中、運転席からバックミラー越しに後部座席をチラリと見やりながら、目良は燈矢に問いかけた。
二人を乗せた車は街を抜け、ちょうど郊外に出たところだ。
朝っぱらからいきなり廻に呼び出しを喰らった目良は、蒼良が勝手に公安に連れて来てしまった一人の少年を自宅まで送迎するようにと、一方的な要求を押し付けられた。
その際、半裸の廻と、廻のベッドでぐったりと眠る蒼良の様子に何か酷い勘違いをしたらしい目良が発狂しかけるというアクシデントもあったりしたのだが、「蒼良の眠りを妨害するな」とご立腹の廻に追い払われ、結局こうして真面目に燈矢を自宅まで送り届けているのである。
廻からは充分な事情説明がなされなかったため、道中燈矢から経緯やその他諸々を聞き出していたところ、この少年がなんと蒼良のお友達であるという事実が発覚し、湧き上がる感慨を抑えられない目良は、二人の関係性に興味津々だった。
「蒼良は……すごく、優しいです。俺が辛い時、いつも側に居てくれて……いつも、一緒に遊んでくれます」
車窓に目を向け、流れていく風景を何となく眺めながら、目良の質問にとつとつと燈矢が答える。
「ちょっとズレてるところもあるけど、そういう部分も面白くて好きだし……信じられないくらいお人好しで……俺は、いつもそれに甘えて……」
お節介で、温かくて、空気の読めない少し変わった女の子。
無力で、我儘で、傷付けてばかりの燈矢の手を、何があっても放さないでいてくれた、本物のヒーローみたいな子。
感じたままの蒼良の印象を素直に言葉に変換していると、不意に前から「ふふ」とやたら嬉しそうな声が聞こえ、燈矢はミラー越しに運転席の目良を見た。
「あの子はとてもいい子なんです。それが周りからは少しだけ見えづらいけれど、誰よりも愛に溢れた優しい子です」
ゆったりとした笑みを浮かべ、柔らかく目を細めて語る目良の姿に――ああ、この人は本当に蒼良を愛しているんだなと、燈矢は理解した。
先程から燈矢は一方的に情報を与えてばかりで、目良の素性については何一つ知り得ていないけれど、彼もまた、蒼良と近しい間柄の人間であろう事は察していた。
最初は蒼良の父親ではないのかと考えたりもしたが、顔も雰囲気も全くと言っていいほど似ていないし、スーツに身を包んでいるあたり、休日のお父さんという印象も受けない。
「ありがとう燈矢くん。君は、蒼良にとって初めてのお友達なんです」
「……蒼良も、そう言ってました」
「ふふ、嬉しいですね、本当に。あの子にお友達が出来ただなんて、今夜はお祝いでもしてあげないといけませんね」
本当に嬉しそうな、弾むような声で目良が言う。
「あの……俺が初めての友達なら、さっきの、あの黒髪の男の子は――」
問いかけている途中で、詮索するようなニュアンスの自分の言葉が失礼に当たるような気がして、燈矢はキュッと唇を引き結んだ。
しかし、対する目良はあまり気にした様子もなく、「廻くんの事ですか?」と問いかけて来た。
名前など今初めて聞いたのだが、恐らくその彼だろうと考え、燈矢は頷いて肯定する。
「彼は蒼良の家族ですよ。やや過激なところが玉に瑕ですが、基本的にはしっかりしたお兄さんです」
「お兄さん……」
まさかの兄。
その可能性を微塵も考慮していなかった燈矢は、目から鱗だった。
兄妹ならば、あれほどの距離の近さにも、番犬のようだった廻の態度にも、納得がいくというものである。
それと同時に、大切な友達がやはり自分だけの友達だったのだと判明し、何だか嬉しくなってしまった。
車内はたちまち、ニコニコ笑顔の二人が放つご機嫌オーラで満たされていく。
「燈矢君。どうか、蒼良をこれからもよろしくお願いしますね。色々と世間知らずな一面もある子ですから、ご迷惑をおかけする事もあるかとは思いますが――」
「そんな事ないです」
身内への謙遜を遮って、燈矢は鏡越しに見える目良に微笑みかけた。
「迷惑って言うなら、多分、かけてるのは俺の方です。でも、蒼良はそういうの、気にしないで隣に居てくれるから……俺も、蒼良みたいな人になれたらなって、最近よく思います」
「____すみません。僕が送ってあげられるのはここまでです。本来であれば親御さんにきちんと謝罪を申し上げるべきなんですが、僕らが君を預かっていた事実を公にする訳にはいかなくて……」
「大丈夫です。蒼良が居なかったら俺は今頃家には帰れてなかっただろうし、ここまで送ってもらえただけでも、もう充分ありがたいです」
家の前まではついて行けないと申し訳なさそうな顔をする目良に、恩を仇で返す訳にはいかないと、燈矢は感謝の気持ちを伝えた。
良識ある大人として、自分の行動を後ろめたく感じている目良であるが、燈矢を乗せて二時間以上も車を運転し、そしてこれからまた来た道を戻らねばならないのだ。
申し訳なさを感じてしまうほど良くしてもらった自覚が燈矢にはある。
だから、どうかそんな顔はしないでほしいと再度感謝を口にして、燈矢は目良の車を降りた。
帰宅した燈矢を出迎えたのは、夏雄と冬美。そして、母の冷だった。
昨日の大火災など知らない三人は、燈矢の不在を拗ねた子供の反抗程度に捉えていたらしく、心配の言葉と共に軽い注意を受けただけで、すんなりと日常の続きに戻る事が出来た。
焦凍はまだ部屋で一人眠っていて、炎司は素知らぬ顔で今朝も仕事に出かけて行ったらしい。
昨晩燈矢が家に帰らなかった事を知らなかったのか、知っていて気にかけなかったのか。
それは定かではないけれど、どちらにせよ、父は瀬古杜岳には来なかった――それだけはもう、疑いようのない事実だった。
だってヒーローならきっと、あの焼き尽くされた訓練場を、見て見ぬ振りなど出来るはずがないのだから。
――連絡先くらい、聞いておけば良かった。
縁側に腰かけ、温かな日差しを浴びながら、燈矢は先ほどから何十回と同じ後悔ばかりを繰り返し思い浮かべている。
趣ある日本家屋にふさわしい、風光明媚な庭をぼんやりと眺め、ぶらぶらと裸足の足を揺らしては小さく息を吐く。
蒼良と最後に言葉を交わしたあの朝から、もう五日が経とうとしていた。
帰宅した当日は流石に家で大人しくしていたものの、蒼良との連絡手段など一つも持っていなかった燈矢は、次の日の学校帰りに瀬古杜岳へと足を運んだ。
そうする以外に、蒼良に会う方法を思いつかなかったからだ。
苦い記憶がまだ新鮮に脳内に巣食う訓練場は、やはり惨烈な火災の爪痕をありありと残しており、あの晩の燈矢の暴走が如何に激しいものであったかを彷彿とさせた。
鮮やかだった緑は焼き払われ、訓練場を囲うように立ち並んでいた木々は焼け焦げて、中にはへし折られたように倒木しているものまであった。
惨たらしい光景に顔をしかめつつも、蒼良の特等席だった大樹が何とかその姿を保っていた、わずかばかりの幸運に安堵した。
そしてその日、いくら待てども、蒼良が姿を現す事はなかった。
燈矢と同様に廻による治療を受けたとはいえ、前日に見た蒼良の様子から、回復に時間がかかる事は予想がついていた。
仕方がないと受け入れて家に帰った燈矢は、次の日も、次の日も、そのまた次の日も同じような一日を過ごした。
そして今日、燈矢はとうとう瀬古杜岳には向かわずに、自宅で蒼良の身を案じていた。
今日も蒼良は居ないだろうという確信があった事に加え、一人であの場所に居ると、あの日の体験がフラッシュバックして怖かったからだ。
蒼良は今、少しは元気を取り戻したのだろうか。
悪い夢にうなされることなく、ちゃんと眠れているのだろうか。
彼女の無事を知る事が叶わないのが、酷くもどかしかった。
考えてみれば、燈矢はあの少女の事を知っているようで何も知らない。
連絡先はおろか、いつもこちらのやりたい事に付き合わせてばかりで、蒼良が好きな遊びも、好きな食べ物も、将来の夢だって分からない。
いつだって燈矢の望むものを与えてくれた彼女が何を望むのか、燈矢は知らない。
だからこそ今度は、自分が彼女に返す番だと、そう思う。
蒼良の願いを叶えたい。
蒼良がしたい事を一緒にしたい。
それがたとえ、これまでの日常を壊す結果に繋がろうとも構わなかった。
蒼炎を使わないでと蒼良が望むなら、もう二度と使わない。
個性訓練なんて危険な真似はやめてしまえと言うのなら、ヒーローだって諦める。
それに何の抵抗も覚えないと言えば噓になるが、燈矢自身、今回の件を経て自分の個性に恐れを抱き始めていたし、以前に炎司が言っていたように、ヒーローの世界以外にも目を向ける時が来たのかもしれないと感じていた。
今こうして命があるのは奇跡――蒼良が生み出した奇跡なのだ。
そんな彼女に再び危険と隣り合わせの日々を強いるような真似は到底出来るはずがないし、何よりも燈矢がしたくない。
そんなことを考えていた矢先だった。
「――燈矢兄」
後ろ向きな考えに耽っていた燈矢の思考を遮ったのは、言葉を交わした事など数えるほどしかない、末の弟の呼びかけだった。
声の聞こえた方へ顔を向けると、いつの間にか庭に侵入して来ていたらしい焦凍が、若干緊張した面持ちでこちらを見つめ、もう一度「燈矢兄」と口にした。
「……聞こえてるよ。どうしたの?俺には近づいちゃ駄目だって、お父さんに言われてるんじゃなかったっけ」
炎司は元々最高傑作の焦凍を他の兄弟たちと分けて扱いたがる傾向があったが、燈矢が焦凍に危害を加えかけて以来、それがますます加速してしまったように思う。
何だか妙な気分だった。
最高傑作に対する羨望も嫉妬も完全に消え去る事はなく、それは確かに燈矢の心の奥底に根付いていて――それなのに、あの夜に見た不可思議な夢のせいか、焦凍に対する兄としての普通の愛情が同時に胸の中にあるのだ。
しかし実際には物理的にも心理的にも二人の距離は離れており、どこかぎこちない空気が気まずく漂っていて居心地が悪い。
「ようせいさんが、会いに来てる」
「……はぁ?」
「ようせいさんが、燈矢兄に会いに来たから、呼んで来てって」
「妖精さん……」
いきなりおままごとのキャストにでも抜擢されたのかと驚いたが、燈矢の脳内で、不意に妖精という単語が検索にビビッとヒットした。
「その妖精さん、今どこに居る?」
素足のままで庭に降り、焦凍のすぐ目の前まで詰め寄って、掴みかからんばかりの勢いで問いかけた。
兄の奇行にぎょっと目を丸くしながらも、焦凍はおずおずと口を開く。
「お家の、門の前に――」
「おっけー!焦凍、伝言ありがとな!」
その言葉を最後まで聞き終える前に、燈矢は走り出していた。
「――蒼良ッ!!」
木製の大きな和風門を力任せにスライドさせ、外に飛び出した燈矢が目にしたのは、淡い水色の髪と瞳――そして鮮やかな青色の翼をその背に持つ、燈矢の待ち人だった。
「蒼良、だよ、な……?」
妖精イコール蒼良だと決め込んでいた燈矢だが、見慣れた彼女の背中にある見慣れないものに気勢を削がれ、言葉に詰まりながらも目の前の少女本人に確認してみる。
それに対し、少女はこくりと顎を引いて肯定を示した。
「燈矢がいつまで経っても瀬古杜岳に来ないから、迎えに来た」
普段よりわずかに低めの声色に、「サボりですか?」とでも言いたげな不満を滲ませて燈矢を見つめてくる。
何だかもう全てが予想の斜め上の展開で、燈矢はおろおろと瞳を揺らして困惑した。
「えっと……、ちょっと待ってくれ。まず確認したいのは、お前の体調だ。もう動き回って良いんだよな?あの廻って奴が許可したのか?それに、その背中はどうしたんだよ。翼……?それ、まさか生えてんのか?」
「全回復とは言い切れないけど、私は元気。元気だから、廻くんがよそ見をしてる隙を突いて出て来れた。翼は……あの夜も見せたはずだけど、覚えてないの?」
「あの時は周りを気にする余裕なんてなかったんだよ………え、じゃあそれ、本物って事?」
「個性だよ。私の個性は、この蒼翼一つだけ。……私、燈矢にずっと嘘をついてた。ごめんなさい」
突然の告白に、何からどう処理していけばいいのか分からない。
猫の手でも焦凍の手でも、もはやこの際何でもいいから貸してほしいと燈矢は思った。
「……色々整理が追いつかない。個性がそれだけだって言うなら、あの水や異様な身体能力はどう説明するんだよ?」
「それについても、ちゃんと説明するつもりで今日ここに来た。だからひとまず、瀬古杜岳に向かおう」
そう言って、蒼良が右手を差し出してくる。
「行こう、燈矢。どうして裸足なのか分からないけど、待ってるから靴を履いて来て」
さあさあと燈矢を再び門の中に押し込もうとする蒼良の迷いない行動に、燈矢はつま先に力を込めて対抗した。
「待って……!待ってよ!!」
燈矢が思わず大きな声を出すと、マイペースな蒼良がようやく動きを止める。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃなくてっ!何でまだ訓練を続ける気でいるんだよ?」
「……燈矢は、続ける気がなかったの?」
何故この少女がここで目を見開くのかが、燈矢には分からなかった。
「あの日、自分がどうなったのか知らないのか……?蒼良はあの日……」
全てを口にする事は憚られ、途中で言葉を切って頭を振る。
「俺はあれだけの事をしたんだ。またお気楽に、あんな日常に戻れる訳ないだろ……?」
「問題ない。あの日の事は、私達だけしか知らないんだから」
「そういうことじゃなくて……!周りの目が怖いんじゃない。俺は、またいつ暴走するか分からない自分自身が怖いんだ。お前をもう、危険な目には遭わせられない!」
相変わらず常識の枠に囚われない型破りな少女に理解を促そうと、両手を広げて説明する燈矢。
それに対する蒼良の返答はやはりどこまでも予想外なものだった。
「逃げたいの?」
「え……?」
「私を口実に、逃げる自分を肯定してるの?」
「ちが……ッ、そんなんじゃない!そんな訳ない……!蒼良を傷付ける可能性が怖いだけだ。あれをもう一度繰り返すくらいなら、ヒーローになんてなれなくてもいいって思っただけだ!守りたいものを守るための、俺なりに出した答えなんだ!」
身振り手振りで誤解を解こうと必死な燈矢に、「なら良かった」と蒼良が答える。
「燈矢の暴走への対処法は、私が既に見つけ出してる。あんな出来事は繰り返されない。だから、何も問題ない」
「はあ……っ!?」
そう言えば、燈矢はあの日の火災の顛末について、まだ詳細を知らないままだ。
炎を抑えられない自分を、蒼良がどのようにして鎮めたのかずっと気になっていた。
「訓練場まで付いてきたら、個性の話と併せて詳しく説明してあげる」
こちらの心情を知ってか知らずか、鼻の先に餌をぶら下げ何としてでも燈矢を瀬古杜岳に連行しようとする少女に、「何でそこまで……」と呟く声が無意識に漏れる。
そんな燈矢の左肩を、伸ばした片手で蒼良が掴んだ。
驚きに口を小さく開く燈矢の顔を引き寄せて――、
「燈矢は、ヒーローにならなきゃ駄目だよ」
真正面から叩きつけられるように告げられた台詞には、穏やかながらも抗いがたい強い圧が感じられた。
「背中を押すって、言ったから。弱音を吐いたら、叱ってあげるって決めたから。私は燈矢に期待するよ。だからもう、燈矢を逃がしてあげられない。諦めるなんて許さない。逃げたら私が捕まえに行く」
あの時の言葉の応酬の中で出た発言を、こんな状況に陥ってもまだ忠実に守ろうとしているのかと、燈矢は信じられない思いで蒼良を見た。
「夢を諦めたら生きてる意味がなくなる――燈矢は前に、そう言ったよね」
その一言に、この少女が何故ここまで頑なに自分をヒーローにさせたがるのか気が付いてしまった燈矢は、肩に乗せられた蒼良の手の甲に自分の掌を優しく重ね、諭すように口を開いた。
「ヒーローになれなくても、俺はちゃんと生きていくよ。ヒーローだけが世界の全てじゃないんだって、前にお父さんも言ってたんだ。俺にもようやくその言葉の意味が分かるようになったんだよ。いつまでも無鉄砲なガキのままじゃいられないだろ?」
蒼良の指を外しながら燈矢は微笑む。
いい加減に、成長しなくてはならないのだ。
子供のような我儘も、癇癪も、これからは全て封印して生きていくのだ。
この少女に何も心配をかけないように。
これからは蒼良のしたい事を一緒にして、蒼良の望む事を自分が叶えていけばいい。
そうやってまた、二人で楽しく過ごしていきたい。
「子供が、子供らしく夢を見る事の何が悪いの?」
すまし顔で蒼良が問いかけた。
平坦な声色。
人形のような無表情。
それなのに今、疑問を口にした蒼良の顔に、わずかな険が浮かんでいるような錯覚を覚えてしまうのはどうしてなのか。
自然と苦笑が漏れるのを表情筋に任せて、燈矢は蒼良の手を放しながら答える。
「悪くはない。だけど、例外はきっとあるんだよ」
言外に、それが自分なのだと蒼良に伝えた。
誓いを嘘にしない人。
責任感の強い人。
何があろうと、自分を裏切らないでいてくれる人。
そんな彼女を守るためには、この選択が正解なのだ。
「ヒーローを諦めた世界で、燈矢はちゃんと笑えるの?」
人生とは選択の連続だ。
まだたったの十一歳の少年が、短いながらも濃密な時間を経て、その実体験の中で十分に痛感した事実である。
重要な選択を間違えた。間違えたせいで、傷付けた。
積み重ねた間違いが、大切な存在を殺しかけた。
これ以上はもう、何も間違えたくなかった。
「うん、笑えるよ」
蒼良さえ側に居てくれるのなら、自分は笑っていられるはずだ。
蒼良さえ味方で居てくれるのならば。
初めて会った日、不注意から山火事を起こしかけていた燈矢を助けてくれた。
見返りすら求めず、火傷を治療してくれた。
見ていてくれた。
褒めてくれた。
励ましてくれた。
突き放しても、追いかけて来てくれた。
友達だと言ってくれた。
本当に、幾度となく救われた。
焦燥にもがく辛いだけだった毎日の中で、燈矢に笑顔をもたらしたのは、蒼良だった。
「――信じていいの?」
「――――」
それは何の変哲もない、言葉通りの確認だった。
答えを用意するのに、特別な思考など何一つ必要としない、たわいのない質問だった。
イエスかノーか、単純な選択で全てが完結する、たったそれだけのその問いかけに、燈矢は何も返せなかった。
「隠し事は、もう嫌だよ」
言葉の裏側を読めない少女は、言われた言葉を信じる事しか出来ないから。
「思ってる事は声に出して。大事な事は隠さないで」
嘘を見抜いて、真実を暴いて、大切な人に寄り添えるような、器用な心はとうの昔に失ったから。
「ねぇ、燈矢。私は、その言葉を信じていいの?」
だから少女はひたすらに、真っ直ぐ問いを投げるのだ。
重ねられた問いかけが、燈矢の喉を締め上げていく。
しかしそれは、燈矢を苦しめ、それと同時に誰よりも燈矢を慮る少女の意図するところではない。
入念に確認を繰り返すのは親切心による行動であり、そこに燈矢を責めるような思惑は微塵も含まれていないのだ。
それなのに、息が詰まって辛いのは、胸が詰まって痛いのは、燈矢自身に後ろめたい気持ちがあるからに他ならなかった。
孤独と悲しみに打ちひしがれていた時期に、蒼良が隣で支えてくれた。
たとえそれが彼女にとってはさして特別な事ではなかったのだとしても、この先一生燈矢の心に灯り続ける、忘れられない温かな記憶だ。
そんな日々を頭の中で巡らせながら、燈矢は正しい選択肢を必死に手探りで探していた。
肯定と否定、果たしてどちらが正解なのか。
どちらの答えが、この少女をより幸せな未来に導く事に繋がるのか。
焦れる事もなく、急かす事もなく、蒼良は静かに燈矢の返事を待っている。
ここで肯定を返してしまえば、彼女の追及は終わるのだろう。
根拠などなくとも、そんな予感が燈矢にはあった。
そうして納得した蒼良と、未来の話を笑ってするのだ。
これから二人で何をして遊ぼうか。
これまでしてこなかった普通の遊びをするのもいい。
冬美や夏雄、もし可能なら焦凍も混ぜて、大人数で遊ぶのだって楽しそうだ。
ほんの少し苦手意識はあるけれど、蒼良が望むのならそこに廻だって加えてもいい。
世間知らずな蒼良に、色んな遊びを教えてあげたい。
追いかけっこをして、ボール遊びをして、かくれんぼをして、毎日お腹が痛くなるほど笑い合って、また明日と約束を交わして、笑顔で蒼良と手を振り合うのだ。
目の前に立つ、感情の抜け落ちたような少女の顔を見つめながら、ふと彼女の笑顔を思い描いてみる。
彼女の鈴の音のような笑い声を想像してみる。
そんな彼女と向き合って笑う、自分自身も。
けれど、それが何だかやけに難しくて。
彼女の瞳に映る自分が、迷い、悩み、躊躇う表情をしている事に気付いてしまった。
腹を探られて苦しいのは、自分の中に苦しいものを隠しているからだと自覚した。
あの朝の蒼良の、震える訴えを思い出した。
胸を裂かれるような鋭い痛みが、蘇った。
救われてばかりの自分が、これ以上救いを求めてはいけないと思い込んでいた。
罪を犯した自分を誰も裁いてはくれないから、自分で自分を罰する事で安心したかったのかもしれない。
それが如何に自分本位で浅はかな考えだったのかを、燈矢は今、思い知った。
「――ヒーローに……、なりたい」
嘘をつけば、この少女をまた悲しませる。
本心を隠せば、彼女は笑顔からますます遠ざかっていくのだろう。
また見落としてしまったと、自分を責めて苦しんで。
痛くて辛くて仕方がないのに、泣き方さえも知らなくて――。
「どうしよう……、蒼良。俺、ヒーローになりたいんだ……」
だから燈矢は、自分の心に従う事を選択した。
それまでぐるぐると頭の中を搔き回していた余計な思念を全て捨て、等身大の心境を少女に吐露した。
「だったらなろうか、ヒーローに」
そして少女は、大したリアクションの一つもなく、それがさも当然の事のように、助けを求める少年の心を拾い上げた。