暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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ひとりはいやだ

 

 

 

 

 

頭の奥が軋むような痛みとともに、視界がぐらりと大きく揺れた。

めまいにも似た感覚が、ぐるぐると脳内を掻き回していく。

腕の中で重く沈んでいくニイナの体。

ソラの腕に伝わるその生々しい重さだけが、ひどく鮮明だった。

 

 

「ニイ……ナ?」

 

 

胸に抱いた赤髪の少女は虚ろな表情で虚空を見上げている。

その瞳は茫然とさまよい、覗き込むソラを映していない。

不規則に痙攣する唇は何かを言おうとしているようで、言葉は一向に紡ぎ出されない。

瞳からは次第に光が薄れ、焦点は徐々にぼやけていく。

 

 

「ニイナ……ねぇ、ニイナ……」

 

 

ニイナから返る言葉はなかった。

首元から溢れ出す赤い色彩が、ソラの掌を濡らし、生温かく広がり続ける。

 

 

「ニイナ……返事、してよ。ねぇ、ニイナ……?」

 

 

ソラが縋るように祈りを漏らしたその瞬間、傍らで悲鳴とも咆哮ともつかぬ叫喚が空気を裂いた。

 

 

「うあああああッ!!ニイナ!ニイナぁぁぁぁッ!!」

 

 

ヤシロだ。

瞳を限界まで見開き、感情に引きずられ歪んだその表情は、もはや正気の域を完全に超えていた。

涙と激情に濡れ、憤怒と悲哀に狂わされ、彼は全てを投げ捨てるかのようにシオンへと突進していった。

 

荒れ狂う感情のままに振りかざされたクナイは、刹那の煌めきを残しながら空を裂き――直後、鮮烈な赤色が弾け、ヤシロの腕は虚しく宙に放り出されていた。

驚愕に染まったヤシロの瞳が、切り離されて飛んで行く腕を呆然と追う。

その束の間の隙を突き、シオンの指先が印を結んだ。

 

 

「――風遁・穿風」

 

 

感情の宿らぬ声とともに放たれた風の弾丸は、目で捉えることすら許さぬ速度で疾走し、ヤシロの腹部を貫いた。

 

 

「がっ……ぁ……!」

 

 

激しく咳き込むように呻き、ヤシロの身体が力なく倒れ伏す。

ソラは何も理解できなかった。

腕の中で力を失うニイナ、目の前で血まみれに崩れるヤシロ。

その現実を認識するには、あまりにも心が追いつかない。

 

 

「……ヤシ、ロ……?」

 

 

視線の先では無惨に横たわる二人の、物言わぬ身体が変わらぬ沈黙を返している。

ニイナの瞳は虚空を泳いだまま固まり、ヤシロは苦悶に満ちた表情を張りつけたまま動きを止めている。

 

 

――死んだ。

 

 

その明白な事実が、ゆっくりと、しかし容赦なくソラの意識を蝕んでいった。

胸の奥がねじ切れるような痛みとともに吐き気が込み上げ、目の前の世界が急速に色を失い始める。

 

 

「嘘だ……違う……違う違う違う違う違う……!」

 

 

否定の言葉をどれほど繰り返しても、現実は足を止めることなく迫ってくる。

鼓膜を破らんばかりの耳鳴りが響き、腹の底からせり上がる黒々とした絶望が行き場を失い、それはやがて許容量を超え――意識の最奥で何かが千切れ飛ぶ音がした。

 

 

「いやあああああああっ!!」

 

 

理性も感情も崩れ落ち、ただ本能のままに迸った叫びが、静寂に支配されていた訓練場に響き渡った。

 

 

――その絶叫が、狂乱の引き金だった。

 

 

それまで恐怖に立ち尽くし、息を殺していた子供たちの緊張が弾けたように解き放たれ、互いを敵として認識し始める。

怒号が飛び交い、悲壮な声が交錯し、訓練場は一瞬にして惨劇の舞台へと変貌した。

家族同然だったはずの仲間同士が武器を握りしめ、殺意と怯えを宿した瞳で互いに互いを睨みつける。

 

その渦中、一人の少年が常軌を逸した目つきでソラに向かい猛然と突撃してきた。

印を組んだ指先から放たれた業火が、牙を剥いてソラに襲い掛かる。

その灼熱がニイナの亡骸を巻き込みかけたその瞬間――

 

 

「あああああああッ!!」

 

 

悲鳴のような慟哭と共に、無意識に結ばれた印から放たれた風が、迫る炎を弾き返した。

向かう方向を変えた炎が少年の身体を容赦なく呑み込み、断末魔をあげる間もなく焼き尽くす。

 

 

――ソラが初めて、自らの手で奪った命だった。

 

 

意識が遠く漂うような放心と混乱が入り混じり、ソラの思考はもはや明確な境界を持たず曖昧になっていく。

ただ一つ、目の前で無残に横たわるニイナとヤシロの亡骸だけは、決して誰にも触れさせない――それだけがソラの心を支配し、向かい来る敵を容赦なく斬り伏せ、叩き潰し続けた。

次第にそれは、自分自身を守るためなのか、二つの骸を守るためなのか、その境界さえも霞んで見えなくなっていった。

 

 

「――がっ、は……ッ!」

 

 

唐突に、腹部を抉るような強烈な打撃がソラを襲った。

衝撃で肺の空気が一瞬にして吐き出され、無防備に地面を転がっていく。

荒れた土の上に叩きつけられるたび、石や砂利が皮膚を容赦なく切り裂き、体中にひりつくような痛みが走った。

朦朧とする視界を必死にこじ開けて顔を上げると、冷ややかな黒い瞳が自分を見下ろしているのが見えた。

 

 

「……兄、さん」

 

 

ソラの呟きに答えることはなく、シオンは口から渦巻く火炎の球を次々と放ち始めた。

灼熱の炎が空気を焦がし、ソラは咄嗟に防御の術を展開するも、すでに大部分を消耗したチャクラでは全てを防ぎきる事はできない。

 

 

「う、ああ……ッ」

 

 

防御を突破した炎がソラの肌を焼いた。

耐えがたい熱に何度も膝を折りそうになり、印を結ぶ速度が著しく鈍っていく。

シオンの攻撃は緩まなかった。

執拗にソラを追い詰める炎は、彼女の身体を傷だらけにし、チャクラを削り取っていく。

 

戦いの最中、視界の隅には、死体、死体、そしてまた死体。

視線を動かすそのたびに、横たわる無惨な姿がソラの瞳に映った。

血だまりの中に顔を沈める者、不自然に捻れた姿勢のまま動きを止めた者、無念に土を掴んだまま微動だにしない者。

辺り一帯の空気には、生々しい血の臭いが濃密に漂っている。

 

 

「やだ……こないで、こないでぇ……っ!」

 

 

狂気に飲まれかけた悲鳴を上げながら、ソラは無意識に後ずさりした。

震える身体は血と泥、そして焼け焦げた皮膚にまみれ、傷口から流れ出る温かな血液が体温とともに生命力を奪っていく。

 

ソラはとっくに限界だった。

渾身の力を振り絞った最後の攻撃は、狙いすら曖昧な風の刃だ。

それは大きく標的を逸れ、シオンの頬を掠めて背後の岸壁に吸い込まれていく。

岩肌が鋭く抉り取られ、衝撃で深い亀裂が走る――それを見届けると、ソラは地面へ崩れ落ちた。

 

全身が鉛のように重く、指一本動かすこともできそうにない。

これでもう、終わなのりだと悟った。

意識が薄れゆく中、無力感が全身を覆い、熱い涙が頬を伝う。

 

 

「……ニイナ……、ヤシ、ロ――」

 

 

そのか細い声をかき消すように、突如として大地を揺るがす轟音が響き渡った。

衝撃に揺れる視界の中、崩壊した岸壁から巨大な岩塊が次々と崩れ落ち、攻撃に転じようとしていたシオンを呑み込むように襲い掛かる光景が見えた。

咄嗟に頭上を仰ぎ見たシオンに、降り注ぐ大量の岩石は逃げ場を与えず、無慈悲にその姿を覆い隠していく。

砂塵が激しく舞い上がり、辺りが一瞬にして白く濁る。

 

 

「兄、さん……?」

 

 

ソラはただ息を詰まらせ、岩に呑み込まれゆくシオンの姿を見つめる事しかできなかった。

やがて周囲を覆いつくしていた砂埃が薄れ始めると、震える腕を伸ばし、地面をゆっくりと這いずり始める。

わずかに力を入れただけでも、身体中を鋭い痛みが走り抜けるが、それを気にする余裕はなかった。

 

 

「兄さん、兄、さん……」

 

 

ひどく混濁した頭で、呆けたように呟きながら近づいていく。

やっとの思いで辿り着いた先で見えたのは、岩に押し潰されたシオンの痛ましい姿だった。

腹から下は瓦礫に呑み込まれ、地面に赤黒い鮮血が広がっている。

 

 

「や、だ……やだよ、兄さん……」

 

 

彼の命がもう長くはないことは明らかだった。

石のように固まった表情のまま、ソラの瞳から止めどなく涙が溢れだし、ぽたぽたと地面に零れ落ちた――そのときだった。

不意に、力を失いかけていたシオンの指先が、微かな震えを伴いながらゆっくりと持ち上がった。

 

儚く虚空を掴むような仕草で伸ばされた手に、ソラは本能的な怯えから反射的にびくりと肩を跳ねさせる。

それを見たシオンの口が小さく開いたが、そこに音が乗せられることはもう無かった。

 

薄れゆく命を映すかのように、シオンの瞳に浮かぶ光が徐々に失われていく。 

呼吸は弱まり、浅く、緩慢になっていく。

命が零れ落ちるその寸前、指先だけが未練がましく何かを掴もうと空中をさまよい、小刻みに震えた。

しかし、やがてその抵抗も終わりを迎え、力尽きたシオンの手は重力に従って地へと落ち、そして二度と動かなかった。

 

冷たく、無情な沈黙が落ちていた。

 

 

「……置いて、いかないで」

 

 

ソラの唇から溢れた願いが、擦り切れた糸のように頼りない声音で紡がれたと同時、ゆっくりと、世界の崩壊が始まった。 

 

 

 

滴り落ちた墨汁が水面へ滲むように、ソラを起点に世界が曖昧にぼやけていく。

岩塊に呑まれて無念のまま息絶えた青年も、愛しい者の亡骸を前にして泣き崩れる幼い少女も、ゆっくりと輪郭を失っていく。

鮮やかに目に焼き付いていた紅い鮮血すら、今や淡い幻のようだ。

ただ、一つだけ――。

 

 

「ひとりは、いやだよ……」

 

 

――最後に聞こえた少女の涙声だけが、鼓膜を掠めて物悲しい余韻を残し、啓悟の意識にこびりついた。

 

 

 

 

 

息が、苦しい。

肺が痙攣するように酸素を求め、不規則な呼吸のたびに掠れた音が漏れ出した。

濃厚にまとわりつく血の匂いと、鮮烈すぎる死の光景が、啓悟の精神を容赦なく蝕んでいく。

額を伝う冷や汗が頬を滑り、顎先からゆっくりと滴り落ちた。

 

――こんなこと、許されるはずがない。

 

九歳の啓悟にとって、この世にあれほどまで残酷で理不尽な現実が存在するなど、到底受け入れられるはずがなかった。

彼の知る世界というのは、たとえどんな絶望の底に居ようとも、必ず救いの光が差し込む場所だった。

けれども眼前に広がる地獄絵図は、その甘い認識をあざ笑うかのように、鋭利な刃となってその心を引き裂いていく。

 

赤々と広がった血の跡も、無慈悲に奪われた幾多の命も、少女の痛ましい嘆きも全て。

その全てが今、啓悟の脳裏に鮮明にこびりついて離れない。

酸欠に似た眩暈に視界が歪む。

朦朧とした意識の狭間で頭を抱えた啓悟の隣、崩れ落ちていく少女の姿を視界に捉え、はっとして目を見開いた――その刹那、世界の終焉を告げる鐘が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

長い眠りから目覚めたような倦怠感の中、気がつけば啓悟は柔らかい寝台に身体を預けて倒れていた。

 

ぼんやりとした意識を抱えたまま、荒い息を繰り返す。

寝間着をじっとりと濡らした冷たい汗が、皮膚に不快なほど張り付いていた。

視界はまだぼやけていて、天井の模様さえも明確には認識できない。

 

息が苦しい。

不規則な呼吸が胸の奥で詰まり、まるで鉛の塊が肺に詰まっているかのようだった。

窓の外はまだ夜明け前で、辺りは闇に沈んでいる。

 

啓悟が呻きを漏らして寝返りを打とうとした時、すぐ隣で蒼良がゆっくりと身体を起こすのが見えた。

まるで夢遊病患者が無意識に動いているかのような仕草だった。

蒼良は無言でベッドから立ち上がると、ふらつく足取りで部屋の奥へと歩き出す。

啓悟と同じようにまだ感覚が完全には戻っていないのか、自分の身体をうまく制御できていないようだった。

 

不安を覚えながら蒼良を追いかけようとした啓悟の耳に、突然湿った水音が響いた。

駆けつければ、洗面台に倒れ込むようにして突っ伏した蒼良が、荒々しく嘔吐している姿があった。

 

胃の中のものを勢いよく吐き出す音、苦しげにえづく声、咳き込んで乱れる呼吸。

その痛ましい光景に、啓悟は呆然と息を呑んだ。

蒼良の背中が、何度も大きく上下している。

それはまるで、自分の身体の奥底にあるすべての苦痛を吐き出そうとしているかのようだった。

 

 

「……蒼良、ちゃん」

 

 

啓悟の声に反応する様子もなく、蒼良の苦悶は続いている。

そんな姿を見ていられず、啓悟はそっと手を伸ばし、蒼良の背中に優しく触れた。

彼女が今感じている苦痛を、少しでも自分に分けて欲しいと、願うように背中をさする。

 

 

「俺がおるよ。俺がここにおる。……絶対、どこにも行かんから」 

 

 

吐き出すものがなくなったのか、蒼良の嘔吐は次第に落ち着きを見せ始め、辛そうな息遣いだけが狭い空間に響いていた。

細い肩を注意深く抱き寄せると、壊れ物を扱うように腕を回し、自分の翼で包み込んだ。

蒼良は虚ろな瞳のまま、弱々しく啓悟の胸に身を委ねている。

彼女の頬から零れ落ちる涙が、啓悟の肌を濡らしていく。

 

 

「大丈夫……大丈夫。蒼良ちゃんはもう、一人じゃないよ」

 

 

啓悟は繰り返し呟きながら、丁寧に背中を撫で続けた。

やがて呼吸が落ち着き始めた頃、ゆっくりと顔を上げた少女に、啓悟の息が止まった。

 

――泣き濡れた彼女の瞳には、紅い輝きが宿っていた。

 

瞳孔の周囲に浮かび上がるのは二つの勾玉。

美しくも禍々しいその色彩に、啓悟は震える唇を開く。

 

 

「蒼良ちゃん……、その目……」

 

 

しかし問いかけの途中、彼女の瞳はまるで何事もなかったかのように、いつもの穏やかな水色へと戻っていた。

再び幻を見せられたのかと思うほど、一瞬の出来事。

困惑に眉を寄せる間もなく、不意に蒼良の身体から力が抜け、啓悟の腕の中でぐったりと崩れ落ちた。

 

 

「蒼良ちゃんッ!」

 

 

脱力した蒼良を必死に抱きとめる。

震える手で彼女の頬を撫で、口元に手をかざし、その微かな呼吸を感じ取ってようやく安堵の息を吐いた。

 

二人の呼吸音と、乱れた心臓の鼓動だけが部屋の中を満たしている。

ふと、啓悟はどこからか視線を感じたような気がして顔を上げた。

けれど窓の外には、変わらず薄闇が広がっているだけだった。

 

 

 

 

 

 

窓を隔てた夜の外の奥深く。

 

啓悟からは決して見えない距離。

仄かな月光を浴びる赤い狗の面を被った男が、そこに静かに佇んでいた。

面の奥では、赤く輝く双眸が灯火のように揺らめいている。

 

やがてその男は視線を外すと、音もなく夜に溶け込んでいった。

 

 

 

 

 

 

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