暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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自由に飛べる

 

 

静かな足取りで冬が訪れていた。

 

灰色の雲が空一面を淡く覆い、世界を柔らかなベールで包み込んでいる。

細やかな雪は音もなく舞い降り、銀色の世界がゆっくりと広がる中、燈矢は十二歳になる節目の季節を迎えていた。

 

窓の外では雪片が舞う一方で、リビングの中は暖かな空気に満たされている。

暖房の音、穏やかな母の眼差し、弟妹たちが交わす明るい会話。

目の前にはそんな当たり前の日常があって、それなのに、燈矢だけはどこか心の底でひんやりとした寒気を感じずにはいられなかった。

 

テレビの画面に映し出されているのは、毎年恒例のヒーロービルボードチャート。

鮮やかな照明が煌びやかに画面を彩り、司会者の楽しげな声が響く。

 

例年、この時間は燈矢にとって特別だった。

父・エンデヴァーの威風堂々とした姿を目に焼き付け、自分が目指すべき未来を再確認する。

それは燈矢にとって、幼い頃から繰り返してきた儀式のようなものだった。

 

けれども、今年に限ってはどうしてかあの熱が胸に宿らない。

ふと家族に視線を向けると、母が浮かべる微笑みの裏に、細やかな気遣いが隠されていることに気が付いた。

冬美の弾んだ声色にも、家族の空気を繕うような必死さが滲んでいる。

焦凍は口を閉ざしたまま無表情に画面を見つめ、夏雄は時折、居心地の悪さを隠しきれず表情を曇らせていた。

 

 

――毎年、この家はこんなふうだっただろうか?

 

 

燈矢はふと疑問を抱く。

もしかしたら、これまでもずっとこの空間には微妙な緊張が流れ続けていたのかもしれない。

ただ自分だけがその気配に気付かず、無邪気にテレビの向こうの父を追いかけていただけなのだろうか。

 

 

――息苦しい。

 

 

ぼんやりと、そんなことを思った。

本来なら今頃は、蒼良と修行をしている時間だ。

しかし今日は珍しく、彼女にやんわりと誘いを断られてしまっている。

たまには身体を休めるのも大事だと、そう優しく諭されてしまえば、こうして家に留まる以外の選択肢はなかったのだ。

 

胸が高鳴ることもなく、ただ漠然と画面を眺める燈矢にとって、テレビの中の華やかなヒーローたちは遠い世界の存在に思えた。

司会者の明るい声も、観客たちの熱狂的な歓声も、燈矢の心には何一つ届かない。

 

不意に、冬美が肩越しに燈矢を振り返った。

不思議そうに眉をひそめ、不安げな眼差しを向けてくる。

けれど燈矢はその視線をうまく受け止めることができずに、曖昧な微笑を浮かべて目を逸らした。

 

 

――何かが違う。

 

 

自分がどこかおかしいということに気付いていながらも、その正体が掴めない。

暖かな室内にいるはずなのに、雪の降り積もる寒々しい風景の方が、自分の気持ちにはよほど近いように感じられた。

 

燈矢が掴みどころのない虚しさに翻弄されている間に、いつの間にかテレビでは司会者が明るい声を張り上げ、Top10ヒーローの発表が始まったことを告げている。

会場の空気がじわりと熱を帯び始め、観客が期待に満ちた眼差しを檀上に向け始めたのが分かる。

それでも、燈矢だけはまるで取り残されたように、その盛り上がりに馴染むことができずにいた。

 

 

「ほら、もうすぐお父さんが出るよ」

 

 

冷が柔らかな口調で燈矢に声をかけた。

だがその言葉には、どこか張り詰めた響きがある。

細められた瞳は微かに揺れ動き、燈矢の表情を密かに窺っているのが伝わってくる。

それでも笑顔を保とうとしている母の姿が、燈矢の目には痛々しく映った。

 

 

「……うん、そうだね」

 

 

気の利いた返事をするでもなく、短く曖昧な頷きを返して、再び画面に視線を落とす。

以前までの燈矢は父の登場を心待ちにし、焦燥にも似た憧れと、彼に認められたいという強烈な願いに胸を熱く燃やしていた。

だが今、燈矢の胸にはひどく奇妙な感覚だけがある――自分が自分でないような、あるいは今までの自分がまるで他人事のように遠く感じられるような。

 

ふと冬美の視線がまた燈矢を掠める。

冬美は無言の心配を寄せているようだったが、燈矢はまたそれをそっとかわした。

 

誰にも打ち明けられない戸惑いが胸に広がり、言葉にならないまま沈んでいく。

自分がいつからこんな風になってしまったのか分からない。

胸を蝕む静かな虚しさの原因も未だ掴めない。

 

 

『――さぁ、お待たせしました!続いて第五位はこの方!未だ素性不明、謎に包まれたミステリアスヒーロー、アズール!』

 

 

燈矢が虚ろに眺めていた画面から、司会者の声が響き渡った。

一瞬の静寂を経て、舞台が明るく照らし出される。

 

 

『今年、田曽宮市を震撼させた大型ヴィラン・ガーヴィー戦での目覚ましい活躍が高く評価され、見事に大躍進です!秘匿主義ゆえに戦闘の詳細は伏せられていますが、その貢献度は非常に高かったとのこと!いやぁ、ますます気になる存在ですね!』

 

 

柔らかい光の中で壇上に現れた人物は、女性らしい細身のシルエットをしていた。

その素顔は狐の仮面に覆われており、表情を窺うことは叶わない。

華美なパフォーマンスも誇張された仕草もなく、ただ落ち着いた佇まいを見せるだけ。

 

しかし、その静けさの中で、彼女の背に広がる蒼色の翼がひと際燈矢の目を引いて――それを見た瞬間、燈矢の胸は強烈な衝撃に襲われた。

心臓が急激に鼓動を速め、息が詰まるほどに胸が圧迫される感覚があった。

思わず息を呑んだ燈矢は、無意識に震える指先をぎゅっと握り締めていた。

 

 

「……蒼良?」

 

 

口からこぼれたのは、燈矢本人にも予期せぬ呟きだった。

周囲に聞こえぬほどの小さな声が、燈矢の胸の内で確かに響いた。

 

理屈で考えればあり得ないことだ。

燈矢の知る蒼良はまだ十三歳で、水色の髪の小柄な少女でしかない一方、壇上のヒーローは明らかに成熟した体つきで、艶やかな黒髪が肩に揺れている。

そんなはずはないと理性が訴えるが、胸を覆う確信めいた違和感を拭うことはできなかった。

 

 

――間違いない。あれは蒼良だ。

 

 

心がそう強く囁くのだ。

常識などという枠組みは元々彼女には当てはまらない。

蒼良と共に過ごしてきた日々が、確信の根拠を燈矢に与えている。

壇上の司会者がマイクを向け、アズールへインタビューを促すと、短い沈黙のあとに聞こえてきたのは毅然とした女性の声だった。

 

 

『――自分の役目を果たすため、これからも励んで参ります』

 

 

簡潔で飾り気のない、虚飾を嫌うような率直な物言いに、燈矢の鼓動はさらに加速した。

その声が蒼良のものであることは、疑う余地もなかった。

胸の奥深くで深まる確信と同時に、何かがぎしりと軋む音がした。

それは、ずっと意識の底に押し込めていた何か――気づかないふりをしていたそれが、ゆっくりとひび割れていく音だった。

 

テレビ画面はすでに次のヒーロー紹介へと移り変わり、会場のざわめきが再び熱を帯び始めている。

その中で燈矢の視線だけが、まだ画面の端に残る蒼い翼に縫い止められたままだった。

 

 

「……何やってんだよ、あいつ」

 

 

ふと口元が綻び、小さな笑いがこぼれた。

衝撃の大きさとは裏腹に、それを当たり前のようにあっさりと受け入れている自分自身も可笑しかった。

そんな燈矢の不意の笑い声に、冷や冬美、夏雄に焦凍までが訝しげに視線を投げてくる。

 

 

「……燈矢?」

 

 

冷の戸惑ったような問いかけに、燈矢は軽く首を横に振りながら笑って答えた。

 

 

「ううん、なんでもない」

 

 

言いながら、再び画面へと目を戻す。

あの少女は、あまりにも遥か高みにいる。

手も声も届かない場所で今、凛然と輝き佇んでいる。

そんな彼女を守りたいと願う自分は、どれほど身の程知らずなのだろう。

彼女の瞳に自分だけを映したいなどという欲望は、どれほど不遜で傲慢なのだろう。

それでも――その願いがどんなに分不相応であろうとも、胸の内で膨れ上がっていく想いを抑え込むことなど、もう出来そうになかった。

 

テレビから聞こえる賑やかな喧騒が徐々に遠く薄れていき、耳に届かなくなっていく。

代わりに燈矢の頭の中では、自分自身の内側から鳴り響く衝動だけが鮮明に響いていた。

胸に走る亀裂はさらに広がり、ゆるやかに、けれど確実に燈矢の心を侵食している。

 

 

『――圧倒的な力と燃え盛る闘志!この一年も休むことなく、力強く世界を照らし続けた、まさに漢の中の漢!今年も不動の地位、堂々たるNo.2の座を守り抜いた炎の男――エンデヴァーの登場です!』

 

 

壇上の光が一際眩しく輝き、司会者が興奮を抑えきれぬ様子で声を高らかに張り上げた。

その瞬間、テレビからは会場中の歓声と拍手が溢れて来る。

客席を埋め尽くした観衆は熱狂的にエンデヴァーを迎え、笑顔の司会者が彼の功績を絶賛している。

テレビ越しでもその熱量がひしひしと伝わり、けれど、そんな熱狂を前にしても、燈矢の目は無意識の内に青い翼を画面の中に探していた。

 

絶対だったはずの信念は徐々に崩れ始め、その間から新たな願いが、小さな芽を出し始めていた。

目を閉じると、先ほど壇上に現れた蒼良の姿が浮かび上がる。

蒼い翼を背負った彼女が、胸に刻まれたように離れない。

燈矢自身、そんな自分に戸惑いを隠せなかった。

 

幼い頃から、自分の人生は父の願いを叶えるためだけに存在していた。

エンデヴァーに認められる、その一瞬のためならば、傷つくことも倒れることも恐れなかった。

父の背中以外、この瞳に映るものなど何も要らないと信じて疑わなかった。

けれど――。

 

壇上を映すカメラがゆっくりと引きの映像に切り替わった。

その瞬間、燈矢は自分の視線が何を追い求めているのかをはっきりと自覚する。

 

画面にはヒーロービルボードチャートに名を連ねるトップヒーローたちが並び立ち、まばゆいスポットライトが一人ひとりを照らし出している。

中央では、No.1ヒーロー・オールマイトの隣で堂々と胸を張る父・エンデヴァーが、観衆の注目と喝采を一身に浴びていた。

 

しかし燈矢の視線は、その華々しい中心からやや離れた位置に静かに佇むアズール――蒼良の姿に、自然と吸い寄せられていた。

胸の奥で、長らく軋み続けていた亀裂が、はっきりと決定的な音を立てて割れる。

閉ざされた檻が解き放たれる瞬間は劇的でありながら、同時に安らかな安堵感に満ちていた。

 

 

――ああ、そうか。

 

 

思えば、本当はずっと前から気づいていたのだ。

自分が本当に求めているものは、もう父ではないということを。

けれど、それを認めるのが怖かった。

認めてしまえば、まるで自分が自分でなくなるような気がして、気付かないふりをして押し込め続けてきた。

エンデヴァーという存在が絶対的であったからこそ、あまりにも大きな自分の変化を受け入れ難かったのだ。

 

だが今、迷いなく蒼良を見つめている燈矢の視線は、不思議なくらい穏やかだった。

胸を苛んでいたはずの恐れや抵抗は、冬の朝靄が陽の光に溶けてゆくように少しずつ薄れ、その代わりに温もりだけが染み渡っていく。

耳に響く歓声は次第に遠ざかり、静寂の中、燈矢は静かに自分自身の心と向き合っていた。

 

父に認められるためだけに生きてきた日々に、迷いなど抱いたことはなかった。

どれほど踏みにじられようとも、その道だけが自分のすべてだと感じていた。

しかし今、その揺るぎないはずの信念は砂の城のように崩れ去っていく。

代わりに現れたのは、蒼い翼を持つ少女への澄んだ憧憬。

蒼良が立つその遥か高みへ、自分もまた辿り着きたいという純粋な願いだった。

 

 

――俺はもう、お父さんを追いかけなくていいんだ。

 

 

その気付きはあまりにも鮮烈で、そしてあまりにも優しかった。

ずっと胸の奥深くに絡みついていた重い枷が、音もなくほどけていく。

肩にのしかかり続けていた見えない重圧が、柔らかな春風に溶かされるようにふわりと消えていくのを感じた。

かつて情熱の全てを捧げ、焦がれるほど見つめ続けていた父の背中は、今では遠く、霞の中に溶けてしまったようだった。

 

 

――ああ、俺はずっと息苦しかったんだ。

 

 

これまで燈矢の人生を支配していた絶対的な価値観。

父に認められない自分自身を否定し続けてきた日々。

だが今、燈矢を囲うエンデヴァーという名の鳥籠は跡形もなく消え去った。

 

 

――俺はもう、自由に飛べる。

 

 

胸の奥底で新たな決意が確かに芽生え、根を下ろしていく。

他者に決められた道ではなく、自ら望み、自ら選び取った道を歩むことを、燈矢は初めて自分自身に許そうと思えた。

 

心地良い解放感と共に、再び蒼良の姿が心の中に浮かび上がる。

蒼い翼を広げ、静かな強さと凛とした美しさで遥か高みに佇む彼女。

そんな彼女に、相応しい自分でありたい。

 

その想いが熱を持ち、炎のようにじわりと燃え広がっていく。

無意識に強く握り締めていた拳をゆっくりとほどけば、掌には爪の痕が刻まれていた。

胸に灯る決心の証が、そこに刻まれているようだった。

 

檻に囚われ、息を潜めるだけだった昨日までの自分は、もうどこにも存在しない。

自由という翼を掴み取った今、この先に広がるのはどこまでも蒼く澄み切った、果てしない空だ。

 

どこへだって行ける。

何にだってなれる。

 

蒼良の隣に肩を並べ、彼女を守れるだけの自分になろう。

その背を追うのではなく、対等に同じ世界を見つめる人間になりたいのだ。

 

新たな覚悟が胸の中で鮮やかに花開き、深い呼吸を繰り返す。

ようやく本当に望むものを見つけ出した燈矢の心は、今、泣きたくなるほど優しい幸福感に包まれていた。

 

 

 

 






ヒーロービルボードは公安が管理しているので、蒼良の活躍はしっかり把握して反映してくれているものの、前章のように彼女に不信感を持つ人々もチラホラホラ、、、という状況です。
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