「……可哀想だね、お母さん」
和らいだ口調とは裏腹に、燈矢の唇は冷笑を浮かべ、皮肉が滲んだ目は冷の動揺を観察している。
「お母さんもそう思うでしょ?自分が一番不幸で、哀れで、可哀想……そう考えてるんだよね」
言葉のひとつひとつが鋭利な刃物となって、冷の胸を容赦なく突き刺す。
肩が小刻みに揺れ、体は無意識に自身を守るように丸まっていく。
「違う、わたしは……」
言い返したい思いとは裏腹に、声は掠れて空気に溶けるだけだった。
喉がこわばり、指先は頼りなく床を彷徨い、やがて衣服の裾を懸命に掴んだ。
布地を握り締める手に力がこもるあまり、指の関節が白く浮き出ている。
その様子を見下ろしながら、燈矢は小さく息を吐き、自分の白髪を苛立たしげにかき乱した。
「……なんて、こんなこと言っちゃわないように、ちゃんと距離を置いてたんだけどな」
苦笑気味に笑い、燈矢は視線を脇へと逸らす。
その一瞬の沈黙が、冷には永遠のように感じられた。
目をぎゅっと閉じ、胸を掻きむしりたい衝動を抑え込む。
床には乱暴に落ちた受話器が、かすかな電子音を途切れ途切れに響かせている。
燈矢はその音に眉を寄せると、立ち上がって受話器を拾い、元の位置へと戻した。
その生真面目でありながらも粗雑な所作が、彼の内面の複雑さを際立たせている。
「ごめんね、お母さん。お母さんが傷ついてるのは分かってるんだ。お母さんも被害者なんだって、今はもう理解できてる」
冷は息子の横顔を直視することができず、指先を落ち着きなく握りしめては解くことを繰り返す。
溢れ出す悲しみや後悔、罪悪感が絡み合い、喉元が締め付けられている。
「だけどさ……俺は、お母さんのことが嫌いだよ」
落ち着いた瞳と抑えられた声音で、燈矢は残酷なほどはっきりと言い切った。
その瞬間、冷の喉の奥からか細い泣き声が漏れ、背中がひと際大きく震える。
それを横目に、燈矢は傍らにあったタオルを手にすると、床に散らばった熱湯を無造作に拭き取り始めた。
「お父さんはもっと嫌いだ。あんなに好きだったのが嘘みたいにね。焦凍だって……まだ、好きだとは言い切れない」
冷はその言葉に耐え切れず、震えの中でさらに身を縮めていく。
その姿をちらりと見た後、燈矢は目を伏せて溜息を漏らした。
「まぁ、焦凍に関してはただの妬みなんだけど。でもさ、やっぱり俺だって人間だから、理屈じゃ片付けられないんだよ」
湿ったタオルを脇に投げ捨て、燈矢は淡々と言葉を続ける。
「俺はまだあんた達に向き合う準備が出来てない。だから見ないようにした。背を向けた。それを逃げだとは思わないけど、弱さだって責められるならそれでもいい」
その言葉に冷はゆっくりと首を横に振った。
涙に濡れた瞳には、言い表せないほど多くの感情が交錯している。
「……お母さんさ、昔俺に言ってくれたこと、覚えてる?」
燈矢は穏やかに問いかけたが、その視線は冷に向かうことなく、どこか遠い過去を見つめていた。
「『お父さんに縛られるな。家の外に意識を向けろ。そこで本当になりたい自分になりなさい』って……お母さんの言葉は、正しかった。俺は今、この場所以外に大切なものを見つけたんだ」
そう言いながら燈矢の視線は冷からさらに遠ざかり、ぼんやりと壁を見つめたまま沈黙を挟んだ。
「――お母さんも、逃げたっていいと思うよ。……お父さんからも、この家からも。俺みたいにさ」
静かに、けれど強く告げられたその提案に、冷は驚いて顔を上げる。
「あの人、金だけはあるし、うちにはお手伝いさんだっているし、お母さんが少しくらい休んだって誰も文句なんて言わないよ」
そう言った燈矢の声色には冷への優しさと哀れみが同居していて、冷は自分の中でさらに新しい涙が熱を帯びながら流れ落ちていくのを感じた。
「ねぇ、お母さん。俺は今、生きるのが楽しいよ」
純粋な笑みと共に紡がれたその言葉に、冷の心は揺さぶられた。
胸の奥深くに刻まれた自己嫌悪と戦いながら、込み上げる嗚咽を必死に飲み込む。
「……俺を産んでくれて、ありがとう」
燈矢は冷の震える肩に優しく手を置いた。
その手の温もりは一瞬のものだったが、冷にとってはあまりにも久しく、切ない触れ合いだった。
背を向けて歩き去っていく息子の後ろ姿を見送りながら、ただ涙を流すことしかできず、言葉すら発せないまま、心に残った深い痛みとわずかな救いを抱きしめていた。
数日後、冷は体調の悪化により専門的な治療が必要となり、病院に入院した。
淡い色のカーテンと清潔なシーツで整えられ、消毒液の匂いがかすかに漂う病室の窓際には、季節の花が小さな花瓶に挿されている。
それは、冷の日常を支えようとする焦凍、冬美、夏雄が定期的に病室を訪れ、ささやかな差し入れと共に飾っていく花々だ。
その病室に燈矢と炎司の姿を見ることはなかったが、冷はその事実を受け止めていた。
流れていく日々のなかで、彼女は自分自身と向き合い、少しずつ前へと進みだす準備を始めている。
__________
夕暮れの淡い光が、瀬古杜岳の頂を染めていた。
山肌には幾本もの大樹が立ち並び、その厚く逞しい幹は地面から真っ直ぐに空へ向かって伸びている。
幹から広がる枝々には無数の葉が重なり合い、見上げれば深緑の天蓋が広がっている。
その中でも特に太く雄大な一本の樹の前に、夕陽を浴びてほのかに輝く蒼翼を背にした蒼良が立っていた。
彼女の蒼い瞳はただ一点を見つめている。
その視線を辿った先、樹の根元に燈矢が息を整えながら佇んでいた。
一度深く息を吸うと、集中力を高め、燈矢は勢いよく垂直な幹に駆けだした。
足裏にチャクラを素早く送り込み、強く幹へ吸着させて踏み込んでいく。
足を動かすたびに靴底が樹皮の凹凸を確かに捉え、衝撃音が山肌に響いた。
両腕は左右に軽く広げ、身体のバランスを巧みに保つ。
手を幹に触れることなく、身体全体を絶妙なコントロールで支えていた。
高度が上がるにつれて、枝葉の隙間から差し込む夕陽が燈矢の白い髪を柔らかな金色に染め、額には薄く汗が滲み始める。
手にした青い短刀を強く握りしめ、燈矢はさらに上を目指した。
しかし、あと一歩というところで足裏のチャクラの流れが乱れ、身体がぐらりと大きく傾く。
「……くっ!」
とっさに短刀を振りかざし、力を込めて幹へと鋭い傷を刻んだ。
その直後、バランスが完全に崩れ、重力に引き込まれるように燈矢の身体が背後へと落ちていく。
「うわ……ッ!」
落ちゆく燈矢の気配を即座に察知した蒼良が反応した。
背中から蒼い翼が音もなく離れ、羽の群れが柔らかなクッションのように広がりながら、燈矢を包み込んでいく。
落下の衝撃を完全に和らげると、それは揺れ動きながら燈矢を地面へ丁寧に降ろした。
羽が離れて蒼良の元へと戻っていく中、燈矢は悔しげに地面を見つめていた。
「……どうもありがとう」
「そんな顔しないで。順調だよ、今日もちゃんと成長してる」
視線を上げると、木の幹にはこれまで燈矢が短刀で刻んできた数多の跡がくっきりと残っているのが見える。
初めの頃は低い位置にばかりあった傷跡は、訓練を重ねるごとに明らかに上へと移動していた。
しかし燈矢はそれを認めようとはしない。
自分への苛立ちから不満そうに目を逸らし、小さく呟く。
「こんなペースじゃダメだろ。お前は気がついたら、あっという間にNo.4になってるっていうのに……」
「ランクが高いからと言って、いいヒーローとは限らないよ」
燈矢は腕を組み、若干遠い目をしながら同意するように頷いた。
「……ああ、まあ、身近にいい例がいるから分からなくもないけど……じゃあ、ヒーローの良し悪しって、何をもって判断すればいいんだろうな?」
「ユーモア」
予想外の単語に、燈矢は一瞬呆気に取られた後、聞き間違えたかと己の耳を疑いながら蒼良をじっと見つめ返した。
「……今、何て言った?」
「ユーモア」
蒼良はきっぱりと言い直した。真剣そのものの表情だった。
「……でも、私にはユーモアが足りない」
「確かに、ユーモアは少し足りないかもな……」
深刻そうなトーンに思わず面食らった燈矢は、頬を掻きながら素直な言葉を返す。
途端、蒼良の背中の翼がしょんぼりと力なく萎むのを目の端で捉え、燈矢は慌てた。
「あっ、いや、気にするなよ、たかがユーモアごとき――」
「たかがじゃない。ユーモアは、社会を豊かにするための鍵。人の心を解きほぐし、絆を強める最も重要な要素」
「そ、そこまで……なのか……?」
何言ってるんだコイツという気持ちと、いやでも蒼良が言うならそうなのかもという思考が混ざり合い始めていたその時、蒼良が不意に背中の蒼翼を分離させ、勢いよく上空へと飛ばして視界から隠した。
「……蒼良?」
突然の挙動に燈矢は訝しげな表情で蒼良の様子を窺うが、蒼良の視線は燈矢の背後の茂みへ向けられていた。
「今日はあの子も連れてきたの?」
「は……?」
燈矢は不審げな顔のまま、ゆっくりと振り返った。
その視線の先、茂みが揺れて小さな影がゆらりと現れる。
そこにはぜえぜえと激しく息を吐き、汗と土で汚れた顔をした焦凍が、両手を膝について必死に呼吸を整えていた。
紅白の髪は乱れに乱れ、頬や額には泥や小枝がつき、身体は所々傷ついている。
「焦凍……!?お前、一体何やってんだよ!」
燈矢は驚きを隠せずに弟に詰め寄るが、焦凍はそんな兄の姿に目を輝かせた。
「燈矢兄、速すぎて見失った」
焦凍の呼吸はまだ整わず、肩が激しく上下している。
そんな弟の姿に、燈矢は額を押さえて舌打ちを落とした。
「そんなこと聞いてねぇ。そもそもお前、何でここにいるんだよ」
苛立ちを隠さない燈矢の隣で、蒼良が一歩前に進み、淡色の瞳を焦凍へと向ける。
「こんにちは」
兄からの問いかけを一瞬忘れたように、焦凍はじっと蒼良を見上げた。
やがて瞳を驚きに満たし、小声で呟く。
「……妖精さん」
予期せぬ呼び名に、蒼良はきょとんと目を丸くしたあと、首をかしげて口を開いた。
「私の名前は――」
「ストップ、ストップ! 自己紹介なんて必要ないから!」
バタバタと両手を上げて蒼良の言葉を遮った燈矢は、改めて焦凍へ厳しい視線を向ける。
「それより焦凍、こんなところまで勝手について来て、訓練はどうしたんだよ。お父さんの許可は取ったのか?」
問い詰められた焦凍は、考え込むような間を置いてから、ゆるゆると首を横に振った。
「見つからないように出てきた」
「……あーあ。そんな無茶して、あとで痛い目見るのはお前だぞ」
呆れを隠さない燈矢の深い溜息がこぼれる。
「大丈夫。燈矢兄が助けてくれるから」
その無邪気な返事に燈矢は一瞬言葉を失い、それから眉間に皺を寄せた。
ほんの少し前、熱湯から庇ってやっただけのことで、この弟はすっかり自分を信用しているらしい。
勝手に買いかぶるな――そんな言葉が喉元まで出かかるが、吐き出せずにただ無言で背を向けた。
「馬鹿かお前。めでたいのはその紅白頭だけにしてくれ」
焦凍はその意味を理解できないまま、自分の髪にそっと指先で触れながら、黙って兄の横顔を眺めた。
燈矢は焦凍から距離を取り、蒼良を手招きして、耳元で作戦を練るように声をかける。
「あいつがいるとチャクラの訓練に集中できないよ。追い返そうぜ」
「今日はもうチャクラの訓練は充分できたから、個性訓練に切り替えるのはどう? それなら焦凍がいても問題ない」
蒼良の穏便な提案に、燈矢の口元がへの字に曲がる。
「なんでそんなにあいつに甘いんだよ。……もしかして焦凍のこと、気に入ったのか?」
「私が焦凍に優しくするのは、燈矢の弟だからだよ。燈矢が大事にしてるものは、私にとっても大切だから」
思いもよらない返答に、燈矢は数秒まばたきを忘れた。
続いて慌てて口元を隠そうとしたが、間に合わず口角が緩んでしまう。
「あのさ、勘違いだからな。焦凍なんて、別に俺にとって特別じゃ……」
言葉を途中で止めた燈矢がふと振り返ると、そこには無防備で純粋な好意を宿した瞳でこちらを見つめている弟の姿があった。
その真っ直ぐな視線に射抜かれるうち、胸の奥には後ろめたさと困惑が入り混じった不快な感情がじわりと広がっていく。
「……やっぱり、今日はもう遅いし、訓練は中止だ。焦凍は俺が連れて帰る。蒼良も気を付けて帰れよ」
結局、最後まで言葉を続けることができず、曖昧な微笑みで濁しながら手を軽く振って誤魔化した。
夕陽がゆっくりと空を染め上げ、訓練場の周囲は少しずつ寂しげな影に覆われていく。
風が草木を優しく揺らし、ほのかに冷たい空気が辺りを満たし始めていた。
燈矢は玄関の前で足を止め、短く息を吐いてからドアノブに指を絡めた。
冷えた感触が掌に伝わり、僅かに躊躇を感じさせる。
その躊躇いを振り払うようにして扉を開くと、軋んだ音が低く響き、淡い光が漏れ出した。
踏み入れた先に待ち受けていたのは、腕を固く組み、露骨な苛立ちを表情に宿した炎司だった。
照明の下で彼の輪郭は浮かび上がり、その厳めしい顔立ちからは、押し殺しても隠しきれない怒気が伝わってくる。
焦凍と並ぶ燈矢の姿を確認した瞬間、炎司の瞳は瞬間的に揺らいだ。
だがそれは瞬時に抑え込まれ、燈矢などそこにいないかのように無視を決め込み、視線を焦凍にだけ向けて問い詰める。
「……訓練を抜け出して、一体どこへ行っていた?」
つい先ほどまで燈矢と共に並び歩くことに浮かれていた焦凍の表情が一瞬にして曇り、凍りついたような緊張が走る。
瞳からは明らかな怯えが滲み、薄い肩は震えていた。
その様子を横目で捉えながら、燈矢の口の端が歪む。
見たくないものから視線を逸らしそうになるが、諦めにも似た心情が胸をよぎり、肩の力を抜くと、微笑を浮かべて口を開いた。
「ただいま、お父さん。もしかして、俺のことだけ見えてない?」
軽やかな調子で投げかけたその言葉に、炎司は反応を示さず、厳しい眼差しを焦凍に突き刺し続けている。
次の瞬間、彼は黙ったまま焦凍に手を伸ばした。
その指が焦凍の肩に触れようとする寸前、燈矢は素早く弟の腕を掴み、自身の後ろへと引き寄せる。
掴み損ねた炎司の手は空を切り、表情に滲む苛立ちが濃くなっていく。
燈矢をこれ以上無視できなくなったことに鬱憤を増幅させた炎司は、あからさまに憤った目で燈矢に向き直った。
「燈矢……お前、焦凍に何をする気だ?近づくなと言ったはずだ」
炎司の言葉には刺々しい怒りが滲み出ている。
その声音を真っ向から受け止めつつ、燈矢は軽く方眉を上げた。
「……おかしいよな。みーんな俺を悪者扱いしようとする。そうすれば自分が楽になれるの?」
ゆったりとした仕草で炎司へと視線を返す。
その瞳には冷ややかな光が宿り、声音には嘲りが込められている。
炎司は一瞬言葉に詰まるも、表情をさらに険しくした。
「焦凍の顔、ちゃんと見てみなよ。ついでに自分の顔も鏡でじっくり見てきたら?」
「何だと……?」
挑発するような燈矢の口調に、空気は一層緊張を帯びた。
しかし燈矢は唇の端を持ち上げたまま、呆れを露わにして言葉を続ける。
「そんな顔で今日も市民を救ってきたの? これは受け売りなんだけど、ヒーローに一番必要な素養は『ユーモア』らしいよ。あいにくお父さんには、それが欠片もないみたいだけど」
言い終えると、燈矢は焦凍の腕を引いてその場を離れようとした。
しかし炎司がそれを許すはずもなく、腕を伸ばして去り行く燈矢の肩に掴みかかろうとする。
背後から迫る父の気配を察知した燈矢は、瞬時にチャクラを全身に巡らせた。
血流に沿って巡る熱い力が肉体を引き締め、足裏へと集約されたチャクラが床面へと吸着し、その身体を完全に固定する。
「……っ!?」
掴んだはずの息子の肩は、十三歳の子供のものとは思えぬほどに固く、その場から動かない。
炎司の瞳に動揺が浮かび、その手は燈矢の肩の表面で戸惑うように震えた。
振り返った燈矢は肩に乗せられた炎司の手を一瞥すると、それを強く払いのけた。
得体の知れない力と、燈矢らしからぬ大胆な拒絶に直面した炎司は、混乱した頭でどこまでも愚かな推測を巡らせる。
こちらを侮蔑するような燈矢の視線も、忌々しげに突き放す態度も、嘲笑を含んだその口調も――すべては自分の気を引こうとする燈矢の新しい手段に過ぎないのだと。
そう思い込むことで、炎司はかろうじて自身の平静を保とうとしていた。
「調子に乗るのも大概にしろ……!」
炎司は鋭い声で燈矢を怒鳴りつけるが、取り繕おうとしても透けてしまう不安と焦燥が、彼の目元や口元に滲んでいる。
「最近の俺は、充分慎ましくしてるつもりなんだけどな」
対する燈矢の言葉は、むしろ柔らかな響きすら含んでいた。
「だったら焦凍から手を放せ! これは俺と焦凍の問題だ。お前が入ってくる必要はない!」
強張った表情を浮かべる父に対し、燈矢は淡く唇を歪めて首を傾ける。
その仕草には、心底から湧き上がる倦怠感が見てとれた。
「言われなくても、俺だってそうしたいところだったんだけど……」
燈矢は一瞬目を伏せると、唇を軽く噛んでから再び炎司を真っ直ぐ見つめた。
その瞳にはやり場のない諦観が浮かんでいる。
「お父さんも焦凍も、俺の目が届かない場所でやってくれればよかったのに。勝手に寄ってくるんだから、俺だって困ってるんだよ」
疲れたような薄ら笑いが口元に浮かぶも、それはすぐに引き締まり、真剣な面差しへと変化した。
瞳の奥底に宿った光は揺るがず、まっすぐに炎司を見据えている。
「焦凍のことだけどさ、人間には適度な休息が必要なんだよ。無理をすれば効率も落ちるし、怪我や精神の不調だって出てくる。……まぁ、これも人からの受け売りなんだけどね。お父さん、プロなんでしょ?それくらいは分かるだろ」
言いながら、燈矢は蒼良が以前自分に語った内容を思い返していた。
当時は深く気にも留めなかったその言葉が、今になって心の奥底で確かな正しさとして響いていることに気付く。
「頭ごなしに厳しく押さえつければ、反抗的になるだけだよ。俺自身がいい例だろ?……まぁ、お父さんはよく知らないだろうけど」
燈矢の指摘に、炎司は一瞬顔を引きつらせ、握りしめた拳を震わせた。
「冷から話は聞いていた。お前があんな風だったから、冷は今……!」
咄嗟に吐き出された言葉に、燈矢は視線を鋭くした。
「出た。またお得意の責任転嫁」
その言葉が、炎司の胸に突き刺さる。
一瞬息を詰まらせた後、視線が不自然に泳ぎ始めた。
「そうだね、きっと俺が悪いんだ。お母さんを追い詰めて傷付けて、全部俺のせいだよな。お父さんは全然、なんにも悪くない――そんな言葉で本当に納得できるわけ?」
容赦ない問いかけに、炎司の胸には避けてきたはずの罪悪感と混乱が渦巻く。
冷静な口ぶりで紡がれる燈矢の言葉には、否定しようのない真実が潜んでいる。
長い間目を背け続けてきた恐怖が、炎司の胸中で荒れ狂う。
かつて炎司は幼い燈矢に無謀な期待を押し付けた。
それは彼を深く傷つけ、反抗へと追い込み、けれど直視できないその現実から目を逸らし続けた炎司の代わりに、冷だけが真摯に家族と向き合い続け、その苦難を真正面から受け止めた。
その事実を突きつけられ、炎司は逃れようのない動揺に囚われた。
言葉を失い、懸命に怒りの仮面を被ろうとするが、燈矢の視線はその虚勢の奥にある弱さや姑息さを正確に見抜いていた。
今の炎司の姿は、燈矢にはひどく醜く、情けなく映った。
かつてこの男に必死で憧れていた自分自身を理解できないほど、燈矢は既に冷め切っていた。
「焦凍には同じ轍を踏ませない方が賢明だろ。週一でいい。焦凍に息を抜ける日を作ってやりなよ。それだけでも、お父さんの目を盗んで逃げ出したりするような無駄な抵抗は減るんじゃない?」
素っ気なく語る燈矢の顔は、まるで冷がそこにいるかのように母親のそれによく似ていた。
乾いた視線は、炎司が背負うべき責任を指摘し続けているようだった。
炎司は何か反論しようと口を開きかけたが、喉が乾いて言葉が出ず、唇だけが虚しく震えた。
張り詰めた沈黙の中、自分がいかに惨めで矮小であるかを息子に暴かれていることに耐えられず、逃げるように背中を向ける。
「……勝手にしろ」
苦々しい声だった。
敗北を認める呟きを残し、炎司は急ぎ足で立ち去っていく。
その背中が徐々に廊下の奥へ消えていくのを、燈矢は何も言わず、ただじっと冷えた眼差しで見送った。
不意に、背後から小さな気配が近づく。
振り向く間もなく、焦凍の手が燈矢の手をきゅっと握りしめた。
微かな震えが伝わってくるその掌からは、不安や恐怖、そして兄への切実な願いが切々と伝わってくるようだった。
苦い感情を噛みしめながら、燈矢は無言で頭を掻く。
視線を下げると、そこには涙を瞳いっぱいに溜めてうつむく焦凍の姿がある。
逃げることも、目を逸らすことも許されないこの小さな弟が、助けを求めて自分を追いかけ、寄り添っている。
燈矢は少しだけ躊躇い、唇を引き結んだ後、ゆっくりと焦凍の手を握り返した。
燈矢少年の熱湯に関しては、チャクラ防御によりセーフという超ご都合解釈でお願いします。完全に防げなかった部分は蒼良がいますので治療も受けられます。否定や疑問は受け付けますが、すみませんとしか返せません(白目)