本体の蒼良が公園で子供達と戯れている同時刻、影分身の術によって生み出された分身体の蒼良は、お気に入りの大樹の根にゆったりと腰掛けていた。
山の澄んだ空気が心地よく肺を満たし、頬を撫でるそよ風が清々しい。
目を閉じて耳を澄ませば、小鳥のさえずりや葉がそよぐ音が響き合い、平和な時間が流れていた。
「蒼良ちゃん!」
明るい声が響き渡ると、蒼良はゆっくりと瞼を上げた。
視界に飛び込んできたのは、赤と白の髪を揺らしながら笑顔でこちらに手を振る焦凍の姿だ。
「わっ、おい焦凍!あんまり乗り出すなって、落ちるぞ!」
そのすぐ下には、弟を背負いながら山道を軽やかに駆け上がる燈矢がいる。
額にはうっすら汗が滲んでいたが、その表情は涼しそうだ。
焦凍は兄の注意も気にせず、ますます身を乗り出して蒼良に向かって笑いかけている。
そんな焦凍に、蒼良も軽く片手を上げて応えた。
「今日もまたおぶって来たの?」
蒼良の目の前までたどり着いた燈矢はスピードを緩め、膝を軽く曲げて焦凍をそっと地面に下ろした。
背中の重みが無くなると、息を吐きながら気まずげに視線を逸らす。
「修行だよ、修行。錘を背負って山道ダッシュ。それに、こいつのペースに合わせてたら陽が暮れそうだったんだよ」
「燈矢兄、めちゃくちゃ速かった」
焦凍は尊敬の眼差しで兄を見上げている。
チャクラを利用して山を駆け上がる燈矢の、年齢にそぐわない俊敏な動きに、幼い焦凍が憧れてしまうのは無理もなかった。
「やめろよ。そんなこといちいち蒼良に自慢するな。蒼良は俺よりずっと速く走れるんだから」
「蒼良ちゃんも速いの?俺、背中に乗ってもいい?」
焦凍が好奇心に満ち溢れた目を蒼良に向けると、燈矢が素早く腕を広げ、蒼良を背後に庇うようにして立ちはだかった。
「焦凍、お前いい加減にしろ!」
「私は別に構わないけど……」
「俺が構う!」
燈矢にとって、蒼良は友情も恋情も敬愛も、全てを包み込んだ特別すぎる存在だ。
自分ですら気安く触れることをためらう彼女に、焦凍が当然のように距離を詰めてじゃれつく姿を見るたび、胸の奥がざわついて仕方がない。
まだ幼い弟相手に嫉妬する自分が滑稽だと分かっていても、止められない。
蒼良にとって、自分よりも焦凍の方が親しい存在になってしまうかも――そんな想像がふと頭を過ぎり、恐怖すら覚えてしまうのだ。
「さっさと修行始めるぞ!」
燈矢が勢いよく踵を返し、強引に話題を切り替えると、その背を追って蒼良も素早く立ち上がった。
週に一度の休日を得て以来、焦凍は毎週のように燈矢について山へと来るようになっていた。
最初こそ弟が一緒に来るのを煩わしく感じていた燈矢だったが、毎週飽きずに嬉々として自分を追いかける焦凍の姿を見るうちに、邪険に突き放すこともできなくなり、仕方なくその存在を受け入れてしまっている。
焦凍が同行する日は、チャクラの秘密に気付かれぬよう、また、蒼良の正体が『アズール』とバレてしまわないよう背中の翼を隠し、燈矢と蒼良は専ら個性の訓練を行うことにしている。
普段行っている高度で緻密なチャクラの修行に比べれば、こうした個性訓練はむしろ息抜きのようなものだった。
燈矢が個性を発動させると、蒼い炎が宙を舞い、周囲の空気が熱に揺れる。
それに応じて蒼良も掌で水を操り、燈矢の炎に対抗した。
二人の力は互いに絡まり合い、炎と水が鮮やかなコントラストを描いては弾ける。
訓練の最中、燈矢は家では決して見せることのない表情で、楽しげに蒼良と技を交えていた。
やがて訓練を終えた二人は、談笑しながら焦凍のもとへと戻ってきた。
燈矢はまだ笑みを絶やさず、蒼良が何か話しかけるたびに、その表情はますます明るく和らいでいく。
「疲れてない?」
「全然。むしろ、調子いいくらいだ」
その横顔には、普段焦凍には決して見せない温かな感情が滲んでいた。
そのやりとりを見ていた焦凍は、声を掛けようとしていたことも忘れて口を閉ざし、静まり返って二人を見つめる。
――蒼良ちゃんはすごい。
どれほど一生懸命話しかけたところで、燈矢は自分に決してあんな表情を見せてはくれない。
蒼良が燈矢にとってどれほど特別な存在なのかを、焦凍は幼いながらも強く感じ取っていた。
初めて蒼良と出会った時、焦凍は彼女を絵本の中に登場する妖精のようだと思った。
そして今、蒼良が燈矢からあれほど柔らかな表情を引き出せる美しい人だと知って、その印象はますます深まっていく。
やはり彼女は、魔法を操る妖精に違いない。
焦凍はそっと息を吐き出し、胸に溢れる密かな感動を瞳にきらめかせたのだった。
帰り道、再び燈矢に背負われた焦凍は、夕陽に照らされた山道を下りながら、ぽつりと呟いた。
「蒼良ちゃんが、俺たちの家族だったら良かったのに」
もしも彼女が姉だったなら、毎日一緒に家に帰れるのに――そんな願いが胸の中で膨らんでいく。
もしも蒼良がいつも側にいてくれたなら、燈矢はずっと笑顔でいることができて、あの息苦しく冷え切った家の空気も、魔法の力できっと明るく変わるだろう。
そんな淡い期待を抱く焦凍の言葉に、燈矢は思わず足を止めた。
一瞬だけ目を大きく見開いた後、じわりと耳を赤く染めていく。
微かな戸惑いが瞳に揺れ、小さな声で焦凍に応じた。
「……俺が蒼良と結婚したら、あいつはお前のお姉ちゃんになるけどな」
冗談交じりの言葉だったが、焦凍の瞳は瞬く間に驚きと喜びで輝きを帯び、その表情はまるで星が弾けるような明るさを放った。
「ほんとに?だったら燈矢兄、絶対蒼良ちゃんと結婚してよ。約束だからね」
幼い弟の真剣な熱意に、燈矢は苦笑をこぼしながらも、その願いを決して否定することはなかった。
そして次の週、焦凍は蒼良の姿を見つけるや否や、まるで待ちきれなかったかのように満面の笑みを浮かべて叫んだ。
「蒼良姉!」
「ちょ、焦凍!? バカお前……ッ!」
焦りのあまり声を裏返しながら、燈矢は気が早すぎる弟の口を塞ごうとした。
しかしその手が届く直前、焦凍は容赦なく次なる爆弾を投下する。
「蒼良姉、燈矢兄と結婚して。それで、俺たちの家族になって」
「結婚……?」
予想外の言葉を不思議そうに繰り返す蒼良に、燈矢の表情がはっと固まる。
「おい待て、蒼良、お前まさか『結婚』の意味を知らないんじゃ……」
「知ってる。夫婦になることでしょ?」
淀みなく答えた蒼良に、一体何を想像したのか、燈矢の頬がぽんっと赤く染まった。
素早く視線を蒼良から逸らすが、その動揺は明らかだ。
「俺も知ってるよ。好きな人とずっと一緒にいるって、約束することでしょ?」
弟の純粋でまっすぐな言葉に、燈矢はさらに動揺を強めるも、焦凍の無邪気な攻撃は止まらない。
「そういえば、燈矢兄は昨日の夜、寝言で蒼良姉の名前を何度も呼んでたよ。それって、燈矢兄が蒼良姉をすごく好きってことだよね?」
「はぁ!?何だそれ知らねぇ!適当なこと言うなよ!」
咄嗟に反論する燈矢だが、手振りが不自然に大きくなっている。
「適当じゃない。燈矢兄は寝てたから覚えてないだけ」
「知らねぇって言ってんだろ!これ以上余計なこと言うと本気で怒るからな!」
「余計な事じゃない!」
必死で否定する燈矢に腹を立てたのか、焦凍はむっと頬を膨らませた。
「じゃあ燈矢兄は、蒼良姉のこと好きじゃないの?」
「なっ……!」
まさか弟からそんな直球な質問をされるとは思わず、燈矢は言葉を失ったまま口をパクパクとさせている。
その様子を眺めていた蒼良が、本当に珍しく、いたずらめいた動作で燈矢の顔を覗き込む。
「そういえば最近、燈矢から『好き』って聞いてないような」
「はぁ!?お前それ、絶対わざと言ってるだろ!」
燈矢の抗議に、蒼良は平然とした態度で畳みかける。
「燈矢はもう、私のこと好きじゃないの?」
「そんなこと言ってない!てゆーか、お前こそ最近全然言ってくれてないだろうが!」
逆に問い詰められた蒼良は、驚いたようにやや間を空けてから、丁寧に言葉を紡いだ。
「……伝わってると思ってた。燈矢のこと、ちゃんと好きだよ」
真っ向からぶつけられる真摯な言葉に、燈矢の思考は一瞬で完全停止した。
表情を隠すように片手で顔を覆い、後ずさる。
そんなやり取りを横で聞いていた焦凍が、羨ましそうに問いかけた。
「蒼良姉、俺は?俺も好き?」
「言うな!絶対に言うなよ!」
「何でだよ、燈矢兄ばっかりずるい。俺も蒼良姉に言ってほしい」
「駄目だって言ってんだろ!」
燈矢はムキになって弟の手を払いのけようとし、焦凍も負けじと腕を伸ばして兄に抗議する。
騒々しくも微笑ましい兄弟喧嘩が繰り広げられる中、その様子をじっと見つめていた蒼良の唇に、ふと微かな微笑が浮かんだ。
「……蒼良姉が、笑った?」
初めて見る蒼良の笑顔に、興奮気味に焦凍が叫ぶ。
振り返った燈矢が必死の形相で確認するが、蒼良はすでにいつもの無表情へと戻ってしまっていた。
「え!?おい、俺見てなかった!もう一回笑え!頼むからもう一回だけ!」
「燈矢兄、諦めなよ。蒼良姉が困ってる」
「うるせぇ!俺だって見たかったんだよ!」
賑やかな兄弟の掛け合いは際限なく続き、やがて蒼良は二人の間をそっと離れて近くの木陰へと歩き出した。
風に揺れる髪がさらりと肩を撫で、足音は柔らかな草の上に吸い込まれていく。
しばらくして、ようやく蒼良の不在に気づいた燈矢が慌てて辺りを見回し始めた。
「おい、蒼良がいないぞ!」
焦凍もキョロキョロと頭を回し、木陰の中に見つけた蒼良に駆け寄っていく。
「蒼良姉、待ってよ!」
走り寄ってくる兄弟を、蒼良は穏やかな眼差しで迎えた。
澄んだ山の空気が三人を包み込み、小鳥のさえずりが耳元に心地よく響く。
風が木々の葉を揺らし、さらさらと囁くような音を立てている。
ゆったりとした平和な午後の時間が流れる中で、燈矢の照れくさそうな咳払いと、焦凍の楽しげな笑い声が絶え間なく混じり合い、蒼良はこっそりと口元を緩めたまま、その光景を優しく見守り続けていた。
ほのぼの回です。