大嫌いだ。全てを見透かしたようなあの瞳が。
大嫌いだ。にこりともしないあの唇が。
大嫌いだ。人を見下したようなあの飄々とした態度が。
あいつの全てが大嫌いだ。
あいつがある日突然現れてから、勝己の世界は変わってしまった。
あいつさえ居なければ全てが上手くいっていたのに。
人より少し顔が綺麗だからなんだ。
レアカードを沢山持っているからどうした。
そんなものに心惹かれ、容易く懐柔されていく子分どもの何と愚かしいことか。
「……出来た!」
沸々と煮えたぎる怒りに頭を沸騰させながら、勝己はようやく出来上がった己の執念の集大成をその手に高々と掲げ上げた。
黒い装飾の不恰好なエアガンもどき。
それを作り上げた功労者――手のひらからプラスチックを形成できる個性の持ち主である子分Aが、疲労から目を回して勝己の隣で倒れている。
まだ個性など自由自在に操れるわけもないわずか五歳の子分Aは、勝己によって突きつけられたデッドオアライブ――「いいから作れ。でなきゃ死ね」の一言と共に、一日中エアガン作りに付き合わされていたのである。
結果として出来上がったのは、五歳児作に相応しい不恰好な黒い塊。
表面は凸凹で、均一に整えられた面はほとんどない。
銃口とおぼしき穴は微妙にずれているし、引き金の部分は歪んでいて、まるで溶けかけた飴のような形をしている。
BB弾を装填するためのスライド式のカバーは取り付けが甘く、やや隙間が開いていた。
けれど、その不恰好さに反して、内側には驚くほど緻密な仕掛けが隠されている。
五歳児作とはいえ、神童・勝己監修の超大作なのだ。
内部に仕込まれたバネの部品が強い張力を溜め込み、引き金を引けば、その力を解放して弾を勢いよく放つ仕組みになっている。
それは子供の手遊びのようでいて、同時に悪童の巧妙さと恐るべき執念が凝縮された武器でもあった。
乱暴で未熟な外見に騙されれば、その鋭い一撃にきっと驚かされるだろう。
「か、かっちゃん、それ、どうする気……?やめなよ、そんなの当たったら怪我しちゃうよ」
「あぁん!?」
「ひぃっ!」
側でその制作風景を眺めていた出久が、使用用途を薄々察して注意を促せば、銃口を眉間に当てられてしまった。
思わず両手を挙げて降参のポーズを取り固まっていると、不意に背後から怒りに満ちた大声が飛んでくる。
「勝己ぃ!?あんた出久くんに何やってんの!てゆーか何それ!?またお友達に変なもの作らせて!」
振り向くと、そこには勝己によく似た髪と瞳。
違う点があるとすれば、性別と常識の有無くらいであろう勝己の母――光己が、目を吊り上げながら拳を握り込んでいる姿があった。
時刻は十七時。
保護者たちが幼稚園へ子どもたちを迎えにくるお迎えピークタイムに差し掛かっていたのだ。
「『変なもの』じゃねぇ!これは俺の秘密兵器だ!」
「馬鹿なこと言ってないで出久くんから手ぇ離しな!引子さん、すみません……あのお馬鹿には帰ってからよぉく言い聞かせておきますので、すみません、本当にすみません……」
「あらやだ光己さん、お顔あげてください……!大丈夫ですよ、子ども同士のじゃれ合いなんてよくあることです。男の子だもの、多少はやんちゃしちゃうわよね」
深々と頭を下げる光己の隣には出久を迎えに来た引子の姿もある。
それを見た途端、出久は安堵の表情を浮かべ、母の元へと走り寄り、勢いよく抱きついた。
「はんっ、弱虫が」
「まずはごめんなさいでしょうがっ!」
出久の背中に暴言を吐く勝己の頭をスパンと光己の平手が打つ。
「いってぇ!何すんだババア!」
「あんたそのエアガンこっちに渡しなさい。子供がそんな危ないもの持ってちゃダメよ。何が起こるか分からないじゃない」
「やらねぇよ!作るのすげぇ苦労したんだぞ!」
苦労して作り上げたのは今もなお地面に倒れ伏している子分Aである。
「だいたい、何でそんなもの作ったのよ?そんなものなくたって、あんたいつも言ってるじゃないの。俺は最強なんだって」
その言葉に、勝己の胸中に苦い感情が滲み出す。
光己の言う通りだ。
かつては勝己もそう思っていた。
自分は最強で、子分たちの誰も自分の足元にも及ばないと。
あいつが現れるまでは、確かにそんな自信に満ちていたのだ。
「……絶対に泣かせてぇ女がいる」
ぎりりと奥歯を噛み締めながら、絵になる表情で呟かれた最悪な一言に、光己は白目を剥きそうになった。
「引子さん、どうしよう……うちの子、好きな子をいじめたいのレベルが高すぎるわ……」
「はぁ!?誰があんな人形女ッ!大っ嫌いだっつーの!!」
「引子さんどうしよう、息子がほんの五歳にして反抗期に……」
「落ち着いて光己さん、勝己くんは割とずっとあんな感じよ」
「死ねぇええっ!!」
勝己の物騒な叫びが週末の公園に響き始めて、かれこれ十週以上が経っていた。
今日も今日とて勝己はあいつを視界に入れるや否や、咆哮をあげて走り出す。
けれど、今日の勝己は一味違った。
なぜならその手にはあの歪なエアガンが握られている。
勝己の攻撃パターンに慣れたあいつは、余裕ぶって振り返りもせずこちらに背中を向けている。
その姿にますます怒りを募らせながらも、勝己は口の端を吊り上げた。
こちらに遠距離攻撃の手段はないと思い込んでいるあいつに、予期せぬタイミングでエアガンを打ち込んでやる。
あの鼻っ柱を今日こそ叩き折ってやるのだ。
わざと大袈裟に足音を立て、自分とあいつとの距離がまだ開いていることを音で知らせながら、勝己は両腕を前にエアガンを構え、狙いを定めてその引き金を引いた。
「かっちゃん、ダメだ!蒼良ちゃん、逃げてぇ!!」
隣で邪魔な出久が余計な声を上げたが、あいつはまだ振り返らない。
獲った――!
あいつの後頭部めがけて飛んでいくオレンジ色のBB弾に、勝利を確信した勝己が小さくガッツポーズを作る――より先に、あいつの指が、BB弾を摘んでいた。
「……は、ぁ?」
「蒼良ちゃん!良かった、流石蒼良ちゃんだね!」
振り向きざまに小指の爪ほどの小さな弾を寸分違わず指でとらえる、そんな離れ技を披露した女の姿に、ぽかんと勝己の口が開く。
意味が分からない。
音もなく近づく球を、気配すら察知してなかったであろう彼女が、どうやって対処できたというのか。
「蒼良ちゃん、今のどうやったの!?途中までは見えてなかったよね?」
「私の個性は水と身体強化だから。何となく分かっちゃうの」
「すっげー!」
「蒼良ちゃんかっけー!」
蒼良の種明かしに、周囲の子供たちから尊敬の眼差しと興奮の声が上がる。
その中にはエアガンの作成者である子分Aの姿もあり、自分の武器で彼女を傷つけずに済んだ幸運に、目を潤ませながら喜んでいた。
意味が分からない。
皆がこちらに背を向けている。
少し前までは、あの視線は自分に向けられていたものだった。
「かっちゃんかっけー!」「やっぱかっちゃんはすげぇや!」と、皆口々に褒めそやしてきたくせに。
「かっちゃん」
ふと渦中の女に名前を呼ばれ、勝己のこめかみに青筋が浮かんだ。
「それ、子供が持つには危険すぎる。こっちにちょうだい」
危なげなど微塵も無く対応してみせたその口で、そんなふざけたことを言う。
「はぁあ!?誰が渡すかよ!くたばれ人形女!」
まだ終わりではない。
あの一発はまぐれかもしれない。
今度こそ、今度こそはと奮い立ちながら連射する。
「没収」
そして。その全てを軽々と回収した女が、最後に立ち尽くす勝己の手元からエアガンを奪っていった。
「……ころす」
「ただ、狙いはすごく良かったよ。全部私の顔に向かって飛んできてた。かっちゃんは優秀なスナイパーだね」
そう言って彼女の手が自分の頭に乗せられた瞬間、勝己の目は八十度に傾いた。
「ぶっ殺ぉす!お前が俺を上から評価してんじゃねぇえ!!」
「だって、私の方が強いもの」
「ぜってぇ泣かす!!」
彼女の無自覚な挑発に、本日も勝己の元気な大絶叫が木霊した。
ヒーローになりたいと思ったのは、単純にそれが一番かっこよく見えたから。
オールマイトに憧れたのは、彼が一番強いと思ったから。
自分に出来ない事などないと、そんな自負のある勝己ですら、努力を重ねて大人になった先、彼のようになれるかどうかは分からないと感じた。だから憧れた。
彼だけが勝己の特別で、例外で、逆を言えば、彼以外の有象無象は尊敬には値しない。
あの人形女――瑠璃川蒼良だってそうだった。
たとえ自分より足が速くとも。
たとえ自分より強くとも。
たとえ自分より子分たちからの人気を集めていたとしても。
それは年齢の差が生み出した格差であり、自分もあと数年歳を重ねれば、すぐに彼女のいる境地に行けるはず――最初はそう思っていた。
今だってそう思いたいのに、そんな自信が時々揺らぐ。
それが何よりも許せないのだ。
公園からの帰り道、足元の小石を手当たり次第に蹴り飛ばし、ダンダンと音を立てて怒りを発散しながら歩く。
その隣には、勝己の放つ怒気にビクビクと怯えながらもすぐ近くを並んで歩く、癪に障る出久がいる。
「近頃は物騒だから、二人以上で帰宅するように」――そう彼女に言われたからだ。
もちろん勝己は憎き蒼良の言うことなど聞くつもりはなかった。
それなのに、馬鹿真面目な出久が勝手について来ようとするのだ。
時々威嚇がてらに小さな爆発を起こしてみるも、出久は離れようとしない。
怯えているくせに、蒼良の言いつけを頑なに守ろうとする、その傾倒ぶりが鼻につく。
「てめぇデク!いい加減俺から離れろや!」
「ひいっ!?だ、だって、蒼良ちゃんが絶対にかっちゃんから離れちゃダメだって……」
「てめぇは俺とあいつ、どっちの言うこと聞くんだよ!?」
「そ、それは……」
もごもごと口の中で言葉を飲み込み、すいっと斜め上に泳いだ視線。
もはやそれが出久の出した答えだった。
途端、勝己の頭に血が上る。
怒りに任せて両掌から大爆発を起こしてやろうと企んだ勝己がふと動きを止めたのは、周囲の空気に微かな違和感を感じ取ったからだ。
「……何だ?」
苛立たしげに呟き、背後を振り返る。
いつも通っているはずの住宅街の小道が、やけに薄暗く感じるのはどうしてだろう。
まだ陽は眩しく照っているのに、妙な寒気すら覚えてしまう。
「かっちゃん、どうしたの?」
出久が不安げな声を上げたその直後だった。
「なあ坊主。お前ら、どっちが無個性だ?」
低く濁った男の声に、二人はびくりと肩を震わせた。
見上げれば、路地の角から知らない男が二人、こちらに向かって歩いてくる。
一人は細身で鋭い目つき。
もう一人は筋肉質で薄笑いを浮かべながら。
「おいおい、どっちが無個性かなんてもう重要じゃねぇだろ。こうして見られちまったんだ。両方連れて行くしかねぇっての」
「……おいデク。逃げんぞ」
内面の薄汚さがそのまま全面に現れたような男二人の顔つきを見て、勝己は突如として自分たちが置かれた状況のまずさに勘付いた。
勝己ほど察しが良くない出久ですらも、事態をほとんど正確に把握していた。
何故なら、蒼良から常日頃「暗い時間帯には外出禁止」「一人で外を歩くのも禁止」「最近は物騒だからね」と口酸っぱく言い聞かされてきたからだ。
「デク……?」
しかし出久は動けない。
恐怖に足がすくみ上がり、足の動かし方すら忘れてしまった。
そんな中、正面の男たちがじりじりと近づいてくるのを見て、勝己が大きく舌打ちをする。
「おいこら!てめぇら、誰に向かって喧嘩売ってんだよ!?」
両掌から生まれた爆発。
それを見た細身の男が口元に笑みを浮かべながら掌をかざした。
「随分と威勢のいいガキだな」
瞬間、男の掌から伸びた半透明の白い糸が、勝己の両手足に絡みついた。
「は、んだこれ……っ!?」
「蜘蛛の糸みてぇなもんだ。差し詰めお前は蜘蛛に囚われた餌ってところよ」
絡みついた糸は粘着性が強く、力を込めても引きちぎれない。
絶体絶命の状況。
湧き上がる恐怖と焦りを怒りで上塗りするように、勝己は両手両足を大きくバタつかせて暴れた。
しかし糸はその動きに反して、もがけばもがくほどに強く絡みつき、ますます勝己の自由を奪っていく。
咄嗟に糸を爆破してみても、熱に溶け、液化したそれが余計にネバネバと貼り付いてくる。
「かっちゃんッ!」
悲鳴のような声をあげる出久の頬には、涙の線が走っていた。
後から後から溢れて止まらないそれを手の甲で乱雑にぬぐい、震える足を拳で打って叱咤する。
動け、動け、動け。
勝己の言葉を借りるのであれば、でなきゃ死ね。
「う、うあぁ……!」
「馬鹿っ!やめろ、デク!!」
勝己の制止すら振り切って、出久は走った。
勝己を襲った細身の男に駆け寄って、その脚を小さな拳で殴打した。
怖くて怖くて仕方がない。
自分のこの攻撃が、何の意味も為さないことを頭では薄々理解している。
それでも手を止めるわけにはいかなかった。
その様子を隣で見ていた筋肉質な男が小馬鹿にしたような笑いを漏らし、懐中電灯のような装置を取り出した。
「大人しくしとけ、ガキ」
その言葉と共に眩い光が放たれ、出久の視界が真っ白に染まった。
「ぎゃっ!?」
両目を覆い、ふらつきながら地面に倒れる。
それでも地面を這いずりながら、懸命に手を伸ばした先は、同じように地に倒れ伏す勝己だった。
その行動の意図を察した勝己の中で、恐怖と混乱と同じくらいの、受け入れ難い屈辱が燃える。
「ふざけんな、てめぇに助けられるくらいなら死んだ方がマシだ!このクソデク!!」
出久への苛立ちと自分への無力感に、勝己は怒声を上げた。
「元気がいいな、ガキども」
筋肉質な男が笑いながら二人を掴み上げようと手を伸ばした、その時だった。
「――何やってるの?」
冷ややかな声が空気を震わせ、次の瞬間、目にも止まらぬ速さで蒼い羽根が飛来した。
粘着糸があっという間に切り裂かれ、勝己は地面に転がされる。
「……え?」
呆然と見上げた先、勝己は自分の目に映るそれを理解するのに時間を要した。
まず何よりも目を惹くのは、その背に広がる鮮烈な青い翼。
深く鮮やかな蒼翼は、まるで晴れ渡る空の欠片をそのまま形にしたかのようである。
その蒼翼を背負う人物は、肩まで伸びる艶やかな黒髪に、白い狐面をまとっていた。
面には赤色の鋭い切れ込み模様が、頬と額に描かれている。
その下に覗く輪郭や細く形の良い顎のラインは、端正で整った顔立ちを想像させた。
身体を包むのは白いファーフード付きジャケットで、ゆったりとしたシルエットが華奢な身体を覆っている。
中には黒のインナーを合わせ、短パンからすらりと伸びる細い脚が印象的だ。
全体的に細身で柔らかい印象ながら、その佇まいからは隠しきれぬ気品と落ち着きが滲み、それがこの謎めいたNo.4ヒーロー『アズール』の存在感を一層引き立たせていた。
「ヒ、ヒーローだ!」
細身の男が焦って糸を飛ばすが、アズールはそれを難なくかわし、一瞬で間合いを詰める。
掌底が男の腹を打ち、男は呻きながら地面に倒れた。
筋肉質な男が再びフラッシュを焚くが、アズールは軽く顔を背けただけで、影響など受けていないかのように動き出す。
すぐに男の背後へと回り込み、首筋に的確な一撃を放った。
「ぐあっ……!」
男は膝から崩れ落ち、その場に呆気なく倒れ伏した。
あれほど絶望的な脅威に思えて仕方がなかった男たちが、赤子の手をひねるように簡単に制圧されてしまった。
勝己は地面に座り込みながら、その光景に魅入っていた。
怒りでも苛立ちでもない。
もっと強烈な何かが胸を突き上げてくる。
強い。圧倒的に、純粋に、彼女は強い。
自分が目指しているその『強さ』が、目の前に確かにあった。
振り返ったアズールが無言で近づき、そして差し伸べてきたその手を、勝己は振り払うことなく受け入れた。
意地を張ろうとも思えないほど、彼女に憧憬を抱いてしまった。
それは一種の吊り橋効果と呼ばれるものであったのかもしれない。
極度の緊張と不安の中、早鐘を打つ胸の鼓動を、彼女に対する興奮だと勘違いしていただけなのかもしれない。
けれど、幼い勝己にその判別など出来はしないし、そんなことを考える余裕もないほど、アズールという存在に目を奪われていた。
「か、かっちゃん、何……?今、何が起きてるの……?」
未だフラッシュの後遺症で視界が戻らない出久が、うつ伏せの状態でオロオロと首を左右に動かしている。
アズールはそんな出久の前にしゃがみ込むと、掌を緑頭に置いた。
驚いて縮こまった出久を宥めるように掌を優しく動かしながら、彼女は耳元につけた小型無線機のようなものを起動させる。
言葉は少なく、けれどものの数分で、彼女のサイドキックたちと思しきヒーローが複数名集まってきた。
ヒーローオタクの出久が発狂しそうな光景だが、可哀想に今の彼はその瞳に何も映せていない。
「おい、ガキ……じゃなかった、少年。目を見せてみろ。怪我してんのか?」
そう言って出久の瞼を持ち上げる男の手には、手首まで覆う白い手袋が嵌められている。
顔の下半分は黒革を基調としたマスクが覆い隠し、そこには両側に広がる金属製のフィルターが埋め込まれている。感染や汚染から己を守るために考案されたような、どこか防毒マスクを彷彿とさせるその形状は、彼の潔癖さを窺わせた。
ともすればヴィランのような厳つい格好で、出久の両目をチェックした彼は、問題なしだと一言呟き、アズールの元へと再び歩み寄って行く。
肩に手を置き、互いの耳元で何かを囁き合う姿は、二人の親密さを窺わせた。
「帰宅してすぐ飛び出して行ったかと思えば、まさかこんな事になってるとは……お手柄だったな」
「子供たち一人一人にこっそり羽をつけておいたの。間に合って良かった。出久……あの緑頭の子は大丈夫そう?」
「充血・出血・腫れもなし。一時的な視機能障害だ。またすぐ見えるようになるだろうさ」
「そっか、確認ありがとう。廻くんが来てくれて良かった。あっちのツンツン頭の子、かなり察しがいいの。長々と会話をすると私の正体がバレちゃうかもしれないから……」
「分かった。後処理はこっちに任せて、お前はもう事務所に戻れ」
自分の役割を正しく理解した廻が、蒼良の背中を押し、帰宅を促そうとした時だ。
「あ、アズール!?今、アズールって言った!?」
「るっせぇな!何度も言わせんじゃねぇ。一回で理解しろや」
何やら子供達、特に緑頭の出久の方が、安堵と興奮から腰を抜かしつつ頬を蒸気させ盛り上がっている。
「あの、アズール!そこにいるんですか……!?ぼく、僕、アズールのファンで……その、握手……っ!」
「黙ってろデク!アズールが忙しそうにしてんのが見えねぇのかよ!?」
「見えてないんだよ!仕方ないだろ!?」
「なくねぇ、黙れ!でなきゃ死ね!」
「ひどいやかっちゃん!」
直前まで感じていた恐怖を誤魔化す意味もあるのだろう。
二人はいつもの調子を取り戻したような掛け合いを披露しながらも、その意識を蒼良から離さない。
そんな彼らから蒼良を遮るように、廻が前へと踏み出した。
「もう行け」と背後に視線で合図を送り、蒼翼が羽ばたくのを見届けてから正面に向き直る。
「いいか?ガ……少年たち。アズールは多忙だ。次の仕事に向かって行った。よって、俺たちサイドキックが君たちを安全に家まで送り届ける。文句はなしだぞ」
「そ、その声はやっぱり……!一年前からアズール事務所のサイドキックとして就任したニューフェイス!オーバーホール!?」
「なんだ、俺なんかを知ってるのか?随分と気持ちわ……勉強熱心な子供だな」
出久の興奮気味な称賛の声を受けながら、廻は目を丸くした。
一年前から活動を始めた廻は、蒼良とは違い、メディア露出を特段拒んだこともないが、かと言って活躍の場が多いわけでもない。
よほどのヒーローオタクでもない限り、声だけで特定など出来ないだろう。
「まぁいい。さっさと帰るぞ。家でご両親がきっと君たちを心配してる」
「おいデク、いつまでボケっとしてんだ。さっさと帰るぞ!」
「わ、わかったよかっちゃん!待ってってば!」
腕を掴まれ、乱暴に引き上げられた出久は、まだぼやける視界の中で勝己に手を引かれながらも、自分たちを護り去っていった蒼い翼を想像して微笑んだ。
爆豪勝己は弱者が嫌いだ。
弱いくせに強者に頭を垂れない人間。
力がないくせに夢ばかり語る人間。
取り柄などないくせにそれを認めようとしない人間。
そう。つまるところ、勝己は出久が嫌いだった。
才能のない弱者は、それを自覚し、強者の三歩後ろを大人しく付き従うべきだ。
そうやって可愛げを振り撒く以外に、出来ることなどないはずだ。
にもかかわらず、出久は勝己の考えに反して、対等な立場に立とうとする。
それどころか、先日ヴィランに襲われた際など、おこがましくも勝己を救おうと無謀にも敵に立ち向かい、あまつさえ勝己に手を差し伸べてきた。
あの日は様々な混乱因子が入り乱れ、屈辱が薄れかけていたものの、時間が経てば経つほどあの日のあの瞬間が何度も鮮明にフラッシュバックし、勝己の自尊心を刺激する。
デクのくせに。
木偶の坊のデクのくせに。
お前如きがこの俺を。
込み上げる激情は、あの日から一週間が経った今も色褪せず勝己の中に燻り続けている。
けれど――。
「『アズールのカードを奪おうとして、ごめんなさい』……!!」
「ひぃいっ!?」
ギリギリと歯音が聞こえるほどに歯を食い縛り、目の前の出久をガン睨みしながら辛うじて頭を下げる勝己。
台詞とは裏腹に、その瞳は「てめぇぶち殺すぞ」と物語っている。
目が口ほどにものを言い過ぎていた。
「うっそー……!引子さん、見て見て!あの勝己が謝ってる!出久くんに!成長したわねぇ!」
その光景を、公園のベンチから見守っていた光己が口元に手を当てながら驚きの声を上げた。
はたしてあれが謝罪と呼べるものなのかは怪しいところなので、引子は苦笑を浮かべて応えている。
先週の誘拐未遂事件以来、保護者たちの間でも子供たちの見守りを徹底しようという話になり、休日の昼間、いつものように公園に集う子供たちの保護者は全員参加で彼らの様子を見守っているのだ。
「おい、人形女!ちゃんとデクに謝ったぞ!カード寄越せやッ!!」
「デク、じゃなくて出久でしょ?」
「うっぜぇ!謝ったらカードくれるって約束だっただろうがよ!これ以上は俺も譲らねぇ!」
カンカンに起こりながらも、早く早くと小さな手を伸ばしてくる勝己を前に、蒼良は一度考え込んだ。
けれど、このあまりにも頑固な少年が、毛嫌いしている出久に頭を下げかけただけでも及第点かと思い直し、約束通りその手にカードを握らせた。
途端、これまでの態度が嘘のようにパッと華やいだ勝己の表情。
その喜びを悟られたくないのか、すぐにわざとらしく眉間にシワを寄せて仏頂面を取り繕う。
けれど、キラキラと輝く赤い瞳、思わず緩みそうになっているその口角を見れば、彼が歓喜しているのは一目瞭然だった。
No.4アズールのレアカードを両手に持ち、澄んだ瞳でバッと背後を振り返った勝己は、一目散に光己の元へ駆けていく。
「これ、カバンの中に入れといて!絶対曲げたり折ったりすんなよ!絶対だからな!」
「はーいはい。そんなに念押ししなくたってそんなことしないわよ」
宝物を渡すような手つきでそっと手渡しながら、捲し立ててくる勝己の様子に光己は思わず笑ってしまう。
「そういえば、勝己。あんたが前に泣かせたい女って言ってたのは、あのお姉ちゃんのことなの?」
ニヤニヤと笑いながら問いかけてみれば、それまでのソワソワ顔が一瞬で曇り、勝己は心底憎いものを見るような目を蒼良へと向けた。
アズールのレアカードを人質に、出久への謝罪を要求するという悪魔のような所業をしでかした女に対する憎悪が溢れて止まらない。
光己の問いかけに頷いた勝己は、己の拳を合わせながら、今日こそはと呟いた。
「今日こそは……ぜってーあいつを、ぶっ飛ばす!!」
「あはは、面食いねぇあんた」
「はぁあ!?どういう意味だ、ざっけんなババアッ!!」
肩をいからせてブチ切れる息子を前に、光己の楽しげな笑い声が公園に響き渡った。