ネットの記事によると、科学技術が発展して治せる病気が増えているそうです。それでも、まだ治らない病気もあります。
相次ぐ行方不明事件のあおりを受け、青池壮真は特殊清掃のアルバイトを短縮せざるを得なくなっていた。現場に訪れたところで遺体がなければ清掃のしようがないからである。
しかし、その代わり彼はその空いた時間で新たに銭湯のバイトを始めた。時給が良いというのもあるが、「鏡」がそこら中にある空間というのが彼の目に留まったのである。これなら十分程度席を外してもミラーワールドに行きやすく、また、ミラーワールド内の動きに敏感になれ、入浴中という最も油断する瞬間を狙うモンスターから人々を守ることができるからである。
そのバイトを初めて一週間ほどたったある日、彼の耳にミラーワールドからの音が鳴り響いた。
「すんませんちょっとトイレ!」
「はーい!気を付けとくれ」
「女将さんすんません!すぐ戻るっす!」
女将に挨拶すると、足早に青池は従業員用トイレに駆け込んだ。もちろん、用を足すためではない。ズボンのポケットからカードデッキを取り出し、鏡に向ける。すると鏡に映る自分の腰にベルトが装着された。
「変身!」
青池は仮面ライダーバジュラに変身すると、勢いよくミラーワールドへと飛び込んだ。
そこに待ち構えていたのは、燃え盛る炎で模られた翼を携えた、鳥人のようなモンスター「イカロスウィンガー」であった。バジュラに向けられた猛禽類のような爪が炎を浴びてきらめいた。
「うおっと!」
イカロスウィンガーの強烈な頭突きが、バジュラを建物の奥まで吹き飛ばす。崩れたがれきに埋もれながらも、状況を確認するバジュラは一枚のカードを切った。
『SWORD VENT』
召喚されたのは取り回しの良い二本の蛮刀「ダイナファング」。その柄を握るとバジュラは刀身をくるりと回した。
対するイカロスウィンガーも自らの燃える翼を固形化させ、羽を模した二本の剣を装備した。両者の間に緊張が走る。
先に動いたのはイカロスウィンガーの方だった。空中に一気に飛びあがった怪人は二本の剣を構え一直線にバジュラに突撃する。すんでのところで受け止めるバジュラに、だが空中を駆けるイカロスウィンガーが超高速で連撃を与えた。
「ッ!このままじゃまずいぜ……!」
いつまでも防御はしきれない。バジュラの鎧には次第に幾条もの傷が増えていた。何より近接向けな装備が充実したバジュラは、遠距離攻撃を持たない。そのため飛行する相手には不利なのである。
「そうは言ってもな!」
バジュラはダイナファングを振りかざし、カウンター気味にイカロスウィンガーを斬りつける。しかしその斬撃は空を切った。
「考えろ……!何か手段があるはずだ」
攻撃を何とかいなしながらも、バジュラは何とかその頭を回転させ打開策を模索した。
『ADVENT』
その時、電子音声と共に無数の飛蝗型モンスター「グレガスト」が出現した。その飛んできた方向をバジュラが見ると、そこには仮面ライダーモーティスが立っていた。
「緑川か!」
「待たせたな、青池」
緑川が変身したモーティスがバジュラと並び立つ。額の触角からモーティスの意思を伝達されたグレガストらは、高速で襲い掛かりイカロスウィンガーを空から叩き落す。
「助かるぜ!俺一人じゃ飛んでる奴どうすればいいか分からん!」
「……私たちも飛べばいいんじゃないか?自在とまではいかなくても強化された体力があれば届くことはできるかもしれん」
「なるほどな……!今度試してみっか!」
「今度の機会だといいがな」
そう言いながらモーティスはモンスターを見やる。イカロスウィンガーは全身の翼から火を放つと、グレガストを無理やりに引きはがし立ち上がった。だが、その翼のダメージは大きく、先程までのように自在に飛ぶことはできないだろう。
「飛ばなきゃフェアってもんだぜ!」
そう言うとバジュラはイカロスウィンガーに飛び掛かり、ダイナファングによる斬撃を加える。それに手にした炎の剣で応じるイカロスウィンガーであったが、次第にバジュラの勢いに押し切られてしまう。
「私も行くぞ!」
モーティスも腰のカードデッキから一枚のカードを引き抜き、バイザーに装填した。そのカードには無数のカードが二重らせんを描く特徴的なイラストが描かれていた。
『STRANGE VENT』
「ん?なんだこれは?」
そのカードはだが一度装填されると、電子音声こそ鳴らされたがそのまま一度排出された。モーティスがそれを再度確認すると、そのカードの名前もイラストも全く別のものに変わっていた。不思議に思いながらモーティスはカードを再装填する。
『FREEZE VENT』
電子音声が鳴り響くと、モーティスの全身から強烈な冷気が放出された。その冷気は吹雪となりイカロスウィンガーに襲い掛かる。
「うおっと!どうなってんだ、緑川!」
「それが私にも分からん。使ったカードが別のカードになったようだが……」
「そんなみょうちきりんなカードもあんのか!」
すんでのところで飛びのき冷気から逃れたバジュラの視線はイカロスウィンガーに向けられる。そこに立っていたのは全身が凍結したイカロスウィンガーの姿であった。
「凍ったのか……?」
恐る恐る近づいたバジュラが手にした蛮刀でイカロスウィンガーを突く。その拍子にわずかに怪人の表面が欠ける。
するとそこから一気呵成に火炎が噴き出してきた。イカロスウィンガーが固まったのは表皮に近い部分だけ。体内はまだ無事でありそこから氷を溶かそうと火炎を放ったのだ。
「まずい!このまま決めるぜ!」
再度距離を取ったバジュラが引き抜いたカードをバイザーに装填する。
『FINAL VENT』
虚像が重なり合い姿を現した契約モンスター「ダイナブルート」が巨大な足に変形し、それごとバジュラはイカロスウィンガーに必殺のキック「ダイナミックストライク」を放つ。大質量の蹴りは凍てついたイカロスウィンガーに反撃を許さずその炎ごと蹴り砕いた。
「……よし、何とか今回も倒せた」
砕け散ったモンスターの方を振り返り、バジュラはそう呟いた。その肩にモーティスが腕を置いた。
「無事今日も戦いを終えられたな」
「ああ緑川。お前のおかげだぜ」
バジュラとモーティスがこうしてモンスターと戦うのは今回が初めてではない。初めてモンスターと戦ったモーティスこと緑川は、友人である青池と連絡を取り彼と共にモンスターから人々を守るために戦い始めたのである。そして今日もそうしたうちの一つであった。
「ところで緑川、お前ライダーになって何回目ぐらいの戦いだ?」
「ふむ……。両の指で数え切れる程度かな。まだまだ日は浅いが……」
モーティスはそう言いながらバジュラへと両手を開いて見せた。しかしその指先が次第に粒子化していく。ミラーワールドに滞在できる限界時間が近いのだ。
「そろそろ戻らなければな。……そういう青池、お前はミラーワールドで戦うのに慣れたのか?」
その言葉に、バジュラは何も返すことができなかった。
ミラーワールドの戦闘から戻り番台に立った青池は、その時不意に客から話しかけられた。
「おう!バンダイの兄ちゃん!」
「はい!なんすか!」
「最近入ったんだろ?ほらこれ、おれのおごりだ。これ飲んで頑張れよ!」
青池に話しかけた強面の男は、手にしたペットボトルを青池の方に放り投げた。それは備え付けれた自販機で売られている清涼飲料水だった。
「お!あざっす!」
「いいってことよ、なんか妙にお疲れみたいだからな。新しい仕事は慣れちまえば勝ちだ」
そう言って強面の男は笑った。彼の手にもまた別の飲料のペットボトルが握られている。その背後から腰が少し曲がった老婆が話しかける。
「またふゆちゃんのお節介だね……。この人いつもこうなの」
「ばあちゃん、まあいいじゃねえかよ」
強面の男は老婆に気軽にそう話しかけると、自らのペットボトルを開けその中身をラッパ飲みした。その姿に老婆は優しい目線を向ける。
「ふゆちゃんは街の皆を見ると声を掛けずにはいられない質なんだよ。全く」
「ったくよ、ばあちゃん!そんな湿っぽいこと言うんじゃねえよ。おれはおれの好きなことをやってるだけだ」
「あいよ、全くもう」
中身のなくなったペットボトルを覗き込んだ強面の男であったが、ふと何かを思い出したように青池の方に向き直した。
「……ああ、わりいな。あんまり騒ぎすぎても邪魔だろう。じゃあな。その顔、覚えたからな」
そう言うと強面の男は老婆を連れて出口から帰宅していった。その背中を青池は見送る。
「あざーっした!」
小さくなっていくその背中を、青池はぼうっと見つめていた。
(俺が戦うことで、街の人たちを守れてんだよな……)
静かに考える青池に、先程の緑川の言葉が反響する。
『青池、お前はミラーワールドで戦うのに慣れたのか?』
人智を超えた力を振るい、人を害するモンスターを倒す。その暴力に、青池の心の中には確かな嫌悪感があった。
「俺は……」
銭湯の湯が流れていく音が、青池の耳にやけにうるさく響いていた。
「はい、それじゃあ今日の健診はこれでお終い。もう大丈夫ですよ」
「……そう」
聴診器を外した黒井に、白沢は素っ気なく返した。そしてそのまま彼女は診察のため着崩した服を直す。白沢への診察は周期的なもので、彼女の父母の依頼もあり黒井は白沢家の邸宅の理々恵の部屋にこうして足しげく足を運んでいた。
「この前のモンスターと戦った時のダメージも軽微ね。青池さんに後でお礼でも言ったら?」
「あたしがあんなどんくさ男に?……まあ、考えておこうかしら」
以前、カピパーノという音響を武器にしたモンスターと戦った際、白沢は大音響を至近距離で聞かされるというダメージを受けていた。その時は青池の援護もあり何とかモンスターを撃退したのだが、その後耳などからの流血で彼女は搬送されていた。だが、その後駆けつけた黛や黒井の処置もあり、後遺症などは残らずに済んだ。その事実を思い出し、白沢は微妙な表情を浮かべた。
ベッドに座りながら白沢は服のボタンを閉じていく。首元までボタンを留めると、白沢は思い出したように口を開いた。
「そう言えば黒井先生、新しいライダーが増えたんでしょう?どんな方なのかしら?」
「ああ、モーティスの方?」
ペンを回しながら黒井は緑川が変身したモーティスのことを思い浮かべていた。
仮面ライダーモーティス。緑川は先日彼の娘が誘拐された時に初めて変身したという。己の身の閾値を超えた激怒を強靭な理性をもって統制する、その戦いぶりはまさに死神の化身であった。
「そうね……。正直言ってすごく強いわ、今のところわたしの次ってとこかな」
「初めての戦いで黒井先生にそこまで言わせるなんて、本当に強いみたいね……。弱点は何かあるのかしら?」
白沢の問いかけに、黒井は少し首をかしげて見せた。
「『強いこと』かしらね?」
「……?それは一体どういう意味なのかしら?」
白沢には、黒井の言葉の真意を掴みかねた。白沢はまだ緑川を見たことがない。
「そうだわ、青池のようにその方を呼ぶことは可能かしら?」
「青池以上に都合は合いにくいと思うわ、妻帯者だし。……誘えば来るかもだけど」
黒井の言葉のうち、白沢は妻帯者というところが気になった。自立した大人として家族がいるというのは、彼女の価値観では十分に満ち足りたものであった。
「妻帯者で娘もいるって、平和に暮らしているじゃない。そんな人間がどうしてライダーに?理由はあるのかしら?」
黒井は白沢の言葉に、ペン先を回しながら考えた。そしてそのままどこともなく遠くを見ながら口を開いた。
「そうね……。それを言うなら理々恵ちゃん?あなたもお金持ちでお父さんもお母さんもあなたを愛してわたしに治すことを依頼してきた。そんなに満たされた理々恵ちゃんこそ、どうして命をかけてライダーと戦うのかしら?」
「それは……」
黒井のその言葉に白沢は口澱む。視線が泳いだ。白沢もその本心を黒井には打ち明けていないからだ。
「きっと彼にも、本人にしか分からない理由があるのよ」
その白沢の内心を知ってか知らずか、黒井は微笑みながらそう言って会話を一度打ち切った。
「さてと、検査結果はいつも通りまた来週ね。理々恵ちゃんの顔を見にまた来るわ」
手にしたカルテに事細かにメモを残しながら、黒井は白沢に話しかけた。その目線は手元のペン先にだけ向けられていた。その様子を見て、白沢は黒井に言葉を返さない。
「ばいばーい」
静かに引き戸を開けると、黒井は白沢の部屋からゆっくりと出ていった。その白衣の背中を白沢は静かに見つめていた。
「……結果なんていつ聞いても同じじゃない。あたしの身体なんだから」
理々恵が静かに呟く。だがその口先はわずかに、静かに震えていた。その様子を、彼女の契約モンスターであるオースメアリーだけが目にしていた。
「黒井様、お帰りですか」
「あら、黛さん。こんにちは」
広い白沢家の廊下を歩いていた黒井は、白沢のメイドである黛うるみに声をかけられた。すらりと伸びたその身体にクラシカルなメイド服を身に纏っている。
「この時間のお帰りということは、またお嬢様の診察ですか」
「ええそうよ。あなたも何か理々恵ちゃんの普段と違う点に気づいたら、すぐ教えてもらえるかしら?」
「……お気遣いなく、それがお嬢様のご命令であれば」
眉一つ動かさず、黛は黒井にそう返した。その顔に黒井は微笑みながらも隙間からその鋭い眼光を滲ませた。
「……ところで少し話は変わるけど、この前街で起きた小学生の誘拐事件知ってるかしら?」
「それと私に何の関係が」
そう返した黛の言葉に黒井はその口角を上げた。そしてゆっくりと口を開いた。
「別にあなたと関係があるなんて一言も言ってないわ。ただ、闇の仕事を請け負う組織の一部ではその人材を誘拐や戸籍の無い人間で賄っている、という噂を聞いただけよ」
「噂……ですか?あくまで噂でしょう。私は理々恵お嬢様を守るだけです」
「噂ね……」
つまりは自分とは関係がない、と静かに言い返す黛であったが、その言葉に黒井は表情を変えずに微笑むばかりだ。
「理々恵ちゃんの話だけど、治療するにあたってその保護者や家族の情報を医者は知る必要があるわ。……理々恵ちゃんの父母は白沢コーポレーションの重役だから知ることができたんだけど、黛さん、あなたが白沢家のメイドになるまでの来歴がつかめないのよね……。わたしに教えてくれないかしら?」
「……!」
細く歪んだ黒井の瞳が黛を鋭く見つめていた。だが、黛の表情は変わらない。
「……それは黒井様の考えで、お嬢様のご命令ではございませんね。お断りいたします」
「つれないなぁ。だけどそのうち聞けたら嬉しいわ」
目を瞑るように笑みを浮かべると、黒井は鞄から紙の束を取り出し黛に手渡した。
「これを理々恵ちゃんに渡してもらえるかしら?さっき渡しそびれちゃって」
「こちらは……?」
黛は受け取った紙をめくりその内容を確認する。そこにはいくつもの種類のモンスターの画像とその生態や能力を細かく記入したメモが添えられていた。
「理々恵ちゃんへの処方箋ってところね。色々なモンスターの攻略法をわたしなりにまとめてみたの。これを知っておけば彼女も今以上に戦えるはずよ」
そう言いながら黒井は微笑んだ。その視線は黛と紙束を交互に行き来している。
「分かりました。こちらは私からお嬢様にお渡しします」
「ありがとう、助かるわ。わたしじゃなくて理々恵ちゃんが、だけど」
「……!」
黒井のその言葉に黛は思わず拳を強く握りしめていた。だが、エプロンの陰に隠れたその仕草は黒井の目には入っていない。
「それではわたしは失礼しますわ。……ああ!そうそう。このお家で飼っている動物だけど、駐車場や私設道路に入らないようにしてね。前夜入ってきたらわたしのバイクで轢きそうになったわ」
滔々と語る黒井はもう既に黛には背を向けていた。その背中を黛はじっと見つめる。
「黒井め……。お嬢様の命を何だと思っているの……」
ドア越しに遠ざかっていくけたたましいバイクのエンジン音を聞きながら、黛は冷たくそう吐き捨てた。
それから数日後、黒井の姿は大学病院の一室にあった。部屋の奥のソファに腰かけた黒井の表情は、疲労からか少しうつらうつらとしている。
「今日も執刀お疲れ様。いつも来てもらって助かるよ」
「……鳥飼先生、お気遣いありがとうございます。町医者であるわたしをこうして大学病院での手術に呼んでいただいて」
「いや、君の実践的な手術は他の医者たちにとっても刺激になる。学生たちも君の手術の後は資料を読み漁っているよ」
そう言いながら白衣を見につけた髭面の男が、コーヒーの入ったマグカップを両手に黒井の方に歩いてきた。
「鳥飼先生、ありがとうございます」
黒井のその言葉に、髭面の男「鳥飼 友孝(うかい ともたか)」が手にしたマグカップを静かに黒井の前に置いた。
黒井はマグカップからコーヒーを口にした。そのコーヒーはミルクと砂糖が混じった甘い味がした。
「黒井君、そろそろこの病院で働く気はないかい?君のご両親もここで働いていたし、医局の皆も君のことを歓迎するだろう」
鳥飼はそう言うと、自分もコーヒーを喉を鳴らして飲み干した。どんな飲料でもどこか時間に追われるように急いで飲み干すのが、黒井が医学生時代からも知っている彼の癖であった。
黒井は大学時代、この大学病院の医学部に在籍する学生として鳥飼の元に師事していた。家族を失い身寄りのない状態であった彼女は、公私ともに彼の世話になっていた。戦地での医療支援を決断する時も、黒井は彼に相談をした。その人間関係の多くが医者と患者、となっている黒井にとって、鳥飼は数少ない親しい間柄の人物と呼べた。
「そうね……」
鳥飼の言葉に黒井はコーヒーを口にし、少し考えるそぶりを見せた。だが彼女の答えは変わらず決まっていた。
「両親のご友人でもある先生の言葉は嬉しいのですが、わたしはまだ診療所をやりたいと思っています。大学病院にいた時より、患者一人一人との距離が近い……。それが好きなので」
「そうか……。分かってはいたが、残念だ」
鳥飼は残念そうな表情を浮かべ、小さくため息をついた。その表情を見て黒井は気まずそうに口を開いた。
「それでも、また難しい手術があったら呼んでくださいね。私でも力になれれば」
「それならありがたいが……」
少し暗いテンションで鳥飼はそう言うと、彼は卓上の資料に目を落とした。それは先程まで黒井が執刀していたオペのものだった。
「交通事故による複雑骨折の再建手術か……。手術前後の患部を見たが、通常なら切断もあり得る症例だ。それを君は骨を全部元の場所に戻して神経や血管も繋いだようだね。相変わらずすさまじい手術だ」
そう言うと鳥飼は資料をめくりながら目を通した。その言葉には感嘆の意がこもっている。その言葉に黒井は口を開いた。
「骨折は術後のリハビリも大事です。無事に歩けるようになるのかは患者次第ですね……。ふわぁ」
黒井は口を押さえ欠伸をした。眠気を払うように黒井はさらに一口、コーヒーを飲んだ。
コーヒーを飲んだ黒井はその資料の一枚の写真を指差した。その写真に鳥飼も目を向ける。
「この患者の高校生、車の事故に遭って骨折したそうですけど、この折れ方には避けようとした跡がないの。太ももに残ったフロントグリルの痣、身をよじることすらしていない。これはむしろ車に当たろうとしているように感じるわ……」
「……つまり、どういうことかね?」
「端的に言えば自殺未遂だと、わたしは考えているわ」
まるで抑揚なく黒井はそう告げた。その言葉に鳥飼は驚きの表情を浮かべる。
「本当か……?」
「その動機を調べるのは警察とかの仕事で、わたしの仕事じゃないわ。仮にわたしの思った通りだとしても、心理の分野は専門外だから、他の先生に紹介状を書かないと……」
そう言うと黒井は大きく伸びをした。
「……鳥飼先生、少しだけ眠ります。ちょっと疲れちゃって、このままじゃ運転できない……」
黒井はそれだけ言うと瞼を閉じ、そしてそのまま静かに寝息を立て始めた。その姿に鳥飼は視線を向ける。
「……変わらないね、相変わらず黒井君は。いつも患者について本人以上に詳しい。何が君をそこまで駆り立てるのか」
鳥飼は自分のデスクに戻ると、その机の引き出しから一枚の古びた写真を取り出した。髭を撫でながらその写真を見やる。
そこには当時からも髭面の鳥飼と、その隣に並んだ厳格そうな雰囲気の二人の男女、女性の方は妊娠中かお腹が大きくなっている。そしてその二人に囲まれている黒い瞳の小柄な少女が映っていた。その少女こそ、かつての黒井由利亜であった。
「君は両親と違って立場を望まないんだな……。それにしても君が持ってきたこれ、まさかこの症例とはね……」
鳥飼は寂しげにそう呟くと、写真を机の上に置いた。その写真の下には一つのカルテがあった。それは黒井が非常に稀な症例として鳥飼の元に相談しに来たものであった。写真が重なり病名こそ隠れていたが、その表紙にはこう記されていた。
『……における終末期医療―対象患者:白沢 理々恵』
―続―