龍騎外伝 仮面ライダーモリオン   作:EpoMeta

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第15話「過去の証明」

 昔の人の言葉によると、誰もが自分の歩くべき道を本当は知っているそうです。ですが、その道をどう歩くかまでは、その時にならなければわかりません。

 

 中段に刀を構えた仮面ライダーオグは深呼吸を繰り返しながら、目の前に立つ仮面ライダーモーティスを観察する。自然体に構えたその姿からは燃え上がるような闘気が漏れ出しており、今すぐにでも攻撃を仕掛けてきそうだ。

(この重心の取り方……。多分受け重視だ。オレもそうだが、空手やボクシングのような半身の構えは相手に飛び込むための構え……。オレが仕掛けるのを待ってるのか?)

 観察は、何も黒井、モリオンだけの専売特許ではない。今から戦う相手のことを知り、情報を積み重ねることが戦闘を優位に進めるための第一歩である。それは加賀谷にも理解できていた。

(こいつ、モーティスとは初めて出会うし、変身前がどんなやつかは知らねえ。だが召喚機は武器じゃない。徒手型ならリーチの優位さはこちらにある!)

 じりじりと刀を構えながらオグは間合いを詰める。その切先はまっすぐモーティスに向けられていた。

 だが、モーティスは全身から闘気を放ちながらも、筋肉に無駄な力は入っておらずリラックスしていた。

「来ないんならこっちからいくぜ!」

 そう言うや否やオグは一気に間合いを詰めようとした。だが、モーティスは落ち着いた様子でデッキからカードを引いた。

『ADVENT』

 瞬間、虚空から現れた無数の飛蝗型モンスター「グレガスト」の群れがオグに襲い掛かる。不意を突かれる形で群れに吹き飛ばされるオグ。モーティスはその場から動いてすらいなかった。

 

 そう、オグは勘違いをしている。ミラーワールドで行われるライダーバトルは決して武道の大会などではない。あらゆる手段を講じて行われる「殺し合い」なのである。そのことを再認識し、オグは喉まで出かかった「卑怯な」という言葉を振り払うように叫ぶ。

「クッソ!しまったカードを!」

 モンスターの中では小型と言えども、グレガストの体長は幼稚園児ほどもある。それらが途切れることなく何十何百と襲い掛かるのだ。その群れの勢いはまるで嵐のようだった。

 しかし、その中でも何とかオグはデッキからカードを抜き取りゼネルバイザーに装填する。

『GUARD VENT』

 電子音声と共に、オグの上半身に強固な鎧「ゼネルアーマー」が装着される。ただでさえ装甲の厚いオグであったが、鎧をまとったことでその防御力はより高まる。

「鎧、これで……!」

 その鎧の重さを利用し、オグはしっかりと大地に足を下ろし踏ん張った。先程までは吹き飛ばされるばかりであったが、地面に両足をしっかりとつけることで、精神を集中させた。

(このモンスターの群れ……!ただ吹き飛ばされるだけじゃダメだ!この鎧で攻撃を受けながらでもオレの間合いに接近する!)

 オグはグレガストの群れに臆せず、一歩踏み出した。そしてさらにまた一歩、二歩と間合いを詰める。時には刀で切り捨て、また時には鎧で衝撃を受け止め、モーティスへの距離を縮めていった。

 

『STRIKE VENT』

 だが、カードを使うのはオグだけではない。不意に電子音が彼の耳に鳴り響いた。

「正拳だッ!」

 ライダーとして強化された視覚が、辛うじてグレガストの群れを割いて突撃してくるモーティスの姿を捉えることができた。その両腕にはグレガストの体そのものが武装化したような怪力増加装甲「グレガーム」が装備されていた。

 身をよじり、辛うじて一撃目はかわすオグ。そしてそのまま身体のひねりを生かし、横一文字に斬撃を繰り出す。

「キエエエエエイ!」

 意図せずカウンターの形となった斬撃がモーティスに迫る。首か胴か、そのどちらでもいい。その切先が真っすぐモーティスの身体に吸い込まれていく。

「ッ!」

 しかし、モーティスは大きく飛び上がりその斬撃を回避すると、飛び上がった勢いそのままにオグの身体に飛び蹴りを見舞った。

「ぐおっ!」

 グレガームによる突きを想定していたオグは、その予想外の攻撃をまともに受け大きくよろめいた。ふらつくオグの視界に、グレガストの群れを従えたモーティスが立っていた。

 

「防御力が自慢、というのも本当らしい」

 ふらつきながらも立ち上がったオグを見ながらモーティスはそう呟く。オグの身体を覆うゼネルアーマーは傷こそあったが、装着者への致命傷は防御していた。

「……だが、ミラーワールドでの戦い方は素人だ。自分のカードの効果も知らないようだ。さっきの鎧、今回が初めて使ったんだろう?」

「……!」

 モーティスが抑揚のない口調で続ける。図星だった。その動揺が仮面の奥から出も見て取れた。モーティスはさらにデッキからカードを引くと、オグに向けていた目線をカードへと落とす。

「……それは私も同じか」

『STRANGE VENT』

 無数のカードが二重らせんを模ったようなイラストのカードは、召喚機に装填されるとその絵柄を変えた。そこには透明になったかのようなモーティスの姿が描かれていた。

『CLEAR VENT』

 電子音声が響くと、モーティスの身体の輪郭が硝子のように波打ち、次の瞬間には姿が消えてしまった。いや、実際にはそこにいるのだが、その姿は透明になり見えなくなってしまったのだ。先程までモーティスがいた場所に駆け寄るオグだが、当然、モーティスはそこにはいない。

「ミラーワールドでの戦いをどう裁くか、どの判例を適用すべきか。さっきああは言ったものの、特に他のライダーとの戦いは順当に刑法を適用すればいいのか。私もまだ調べ足りない所がある」

「だから、なんだってんだ!」

 虚空から響くモーティスの言葉に、あてどなく刀を振り回しながらオグは叫んだ。だがその切先は空を切るばかりだ。

「罪を自覚し悔い改めろ。私からの被害届はまだ出さないでおいてやる」

 それだけ言い残すと、モーティスの気配は消え去った。大方、姿を消したままミラーワールドからも脱出したのだろう。ミラーワールドも、元の不気味な風鳴り音を残した静寂へと戻っていく。

「何だよ……。クソッ!」

 悪態をつきながらも、オグは自分の手に目を向けた。その指先は粒子化しかかっており、ミラーワールドに存在できる時間が間もなく尽きてしまうことを示していた。それを察するとオグも手近な鏡面からミラーワールドを脱出した。

「見逃されたっていうのかよ!オレが!」

 オグの絶叫が、現実世界とミラーワールドを繋ぐディメンションホールの中に響く。それを聞く者は誰もいなかった。

 

 ミラーワールドから戻ってきたモーティスは、カードデッキを取り外し変身を解いた。鏡像がまばらに散っていくとそこからスーツを身にまとった緑川が姿を見せる。

「初めて他のライダーと戦った……。ライダーはどう裁けばいいんだ?そもそも現実ではない場所での超人による殺人は、何を適用すればいいんだ?」

 普段は見た者を威圧する鋭い三白眼が、だが迷いに揺らいでいた。

「だが法は人間が何千年もかけて作ったものだ……。必ず!奴を裁くことができるはずだ」

 路地裏から緑川は歩いて大通りへと歩みを進めた。暗がりから陽光が差し込み路面を照らしている。まだ陽は明るい。

「あんな素人を犯罪の道に誘うライダーの力……。これがなければあのライダーも単なる暴行罪だろうに、殺人未遂の余罪もつく」

 道路を歩きながら緑川はわずかにネクタイを直した。

「……まあ、自白した通り殺意はあったから、結果は同じか」

 誰に聞こえるとでもなく、緑川は歩きながらそう呟いた。

 

「自販機か……」

 ふと、路肩に設置されている自動販売機に緑川は目を留めた。普段緑川は基本的に自動販売機を利用しない。小銭の無駄遣いを避けるというのもあるが、特段飲みたいものがないのだ。

(コーヒーも普段自分で淹れるからな……)

 だが、今日は何となく違った。吸い込まれるように自動販売機の前に立った緑川は財布の手持ちを確認する。

 真っ先に飛び出してきたのは皇帝の横顔。コイントス用のローマ時代のコインを寄せると、いくらか小銭があった。その中から必要な分を取り出すと、緑川はそれを手にした。

「ッ!」

 不意に彼の身体に衝撃があった。思わず振り向いた緑川であったが、その目線の先には大きなバッグを持った数人の集団が談笑しながら歩いていた。おそらく、自分たちがぶつかったことにさえ気づいていないのだろう。

 さらに困ったことに、ぶつかった拍子に小銭が緑川の手を離れ転がってしまった。一枚、二枚と何とか集めたものの、残りの一枚が自販機の裏側まで離れてしまった。

「……困ったな」

 屈んで自販機の裏を覗き見る緑川だったが、その頭上から声が掛けられた。

「あの、大丈夫ですか?」

 見上げると、そこには一人の女性が立っていた。薄茶色に染めた髪を後ろにまとめた、小柄な女性だ。

「さっき見てましたけど、ぶつかって謝りもしないなんてひどい人たち!その時落としちゃったんですか?」

「そうみたいで、困りましたね」

 緑川はそう言って苦笑する。すると、その女性も同じように屈んで様子を確認した。

「うわー、結構奥まで行っちゃってる。どうしよう、何かあったかな……?」

 女性はそう言うとごそごそと、いくつかの缶バッジで装飾された自分のバッグの中を確認する。迷いなく手助けしようとするその姿に、緑川はわずかに狼狽える。

「ちょっと、別に大丈夫ですよ。たまたますれ違っただけの方にここまでしてもらわなくても」

「いいえ!困った時は助け合いでしょ!それにワタシも今時間あるので」

 女性はバッグの中から一本のペンを取り出した。パステルブルーを基調とした可愛らしいデザインのものだ。それを女性は緑川に向けて差し出す。

「これなら届くかも!ちょっと短いかもしれないですけど……」

「……助かります」

 ためらいながらも緑川はそのペンを受け取り、袖をまくり上げた腕を自販機の裏側へと突っ込んだ。

 

 震えるペン先が何とか小銭の端に当たる。このまま引っ張ってこれればと、緑川はペンをつまむ手に力を入れた。

「しまった!」

 力が入りすぎたか、小銭はペン先に弾かれ、大きく転がってしまう。自販機の表側に転がってきた小銭を、女性は勢いよく屈んでつかみ取った。

「えへへ、どうぞ!」

 顔を上げて笑った女性は、そう言うと小銭を緑川へと差し出した。

「ありがとう、恩に着るよ」

 緑川はそう言い小銭を受け取ると、借りていたペンへと申し訳なさそうな目線を向けた。

「汚してしまったかな……」

「いえ、大丈夫ですよ!これぐらい拭けば!」

 そう言うと女性はペンを受け取り、軽くハンカチで拭いてからバッグの中へと戻した。

「でも良かったです!それじゃ!」

 それだけ言い残すと、女性は足早に立ち去ってしまった。小さくなっていく背中を緑川はただ見つめることしかできなかった。

「親切な人だったな……」

 そう呟くと、緑川は改めて自販機へと小銭を入れ、缶コーヒーを購入する。

「不味いな……」

 プルタブを開けた途端まとわりつくような香り。安物の豆の苦味が合成甘味料の甘みを引き立て、じっとりと残る後味の甘ったるさ。しかしどこか手放せない、嫌な味だ。だが緑川はこの味を知っていた。

(……黒井の味だ)

 舌先に残るその嫌な甘さは、以前黒井と共に病院で飲んだコーヒーにそっくりだった。いつも余裕ぶって超越的で、そのくせ少しだけ寂しそうなあの顔だった。

 

 一方で、ミラーワールドから脱出してきた加賀谷は、苛立ちの余り金網にその拳を叩きつけた。

「クソッ!オレが……!」

 怒りに呑まれそうになりながらも、加賀谷は先程までの戦いを反省する。

 モーティスとの戦い、加賀谷は手練れの相手に一方的に翻弄されるばかりだった。相手は自分の使うカードの性能を熟知し、それを効果的に利用している。

 対する自分は、自前の剣道技術に胡坐をかき、カードを使うことすらままならない始末。その情けなさを客観視すればするほど、加賀谷の中に苛立ちが募る。

「油断してた……!」

 加賀谷は自分の能力を過信していた。ライダーとしての高い身体能力があれば、自分の鍛え上げた技術をやっと十分に発揮できると。確かに、ライダーに変身すれば生身ではできない動きが可能となり、昔以上に剣道ができる。

 しかし、モンスターのような戦いの素人にはそれで優位に立てても、モーティスのようなミラーワールドでの戦いに慣れた相手と戦うのは厳しい。

「つまるところ、鍛えが足りないって事だよな」

 ビルの隙間に寄りかかり、加賀谷はデッキを取り出し、その内容を確認する。

 モンスターの召喚、剣、鎧、氷を出す奴、必殺技。これが彼に配られた手札であった。この手札を効率的に使って、より望む戦いを行うためにはどうすればよいか、加賀谷は目を細めながら考え込んだ。

 

 カードに目線を向けながら、加賀谷は自らの過去を思い出していた。

 数年前、剣道部に所属する加賀谷はインターハイに選手として出場していた。高校二年生にして剣道部のエース。力強い踏み込みからの飛び上がるような一撃を得意技に、若手ながら部内でも頭角を現し、大会でも活躍していた。

 武道場に立った時の高揚感、竹刀を打った時の手のしびれ、そして勝利。加賀谷はそれらが好きだった。練習の分だけ成果が出る順風満帆な毎日。進学もスポーツ特待生でほぼ内定し、これからもそんな日常が続くと漠然と思っていた。

 しかし、その戦いは唐突に終わりを告げる。あの冬の日、全てが終わったのだ。

 

 二年生の時のインターハイを終わった時点で、既にオレは翌年のインターハイの代表に内定していた。剣道部のエースだと誰もがそう呼んでいたし、俺自身もそう信じて疑わなかった。

 練習の時はもちろん、大会の時だってオレは強かった。竹刀を握れば誰よりも早く、誰よりも強かった。同じ部活の連中も先生も、俺が団体戦の中堅で勝つことを前提に作戦を立てていたし、実際に勝ってきた。オレは無敵だと、ずっとそう思ってきた。

 だけど、あの時、あの冬の日、オレの足はダメになった。合宿の移動中、乗っていたバスが事故に遭った。命の代わりに、オレの右足は砕けてしまった。

 全治三か月、リハビリは最低でも一年。その言葉は、ただの診断結果ではなかった。つまりそれは、オレの剣道生活が、ここで何の意味もなく終わりだって事だった。

 部内でオレがいた場所に立ってたのは、補欠だった後輩。事故の時に俺の隣に座っていたヤツ。オレから見ればずっと雑魚だった。試合の数も、技術も、勝ち星もオレの足元にも及ばない。

 だけど、ヤツがオレの代わりに中堅として出た試合で、またインターハイ出場が決まった。先生は笑ってた。他の連中も皆後輩に拍手を送ってた。

「先輩の分まで戦おうと思って、俺頑張ったんす!」

 そう言って後輩は無邪気にオレに頭を下げた。

 やめろ、冗談じゃない。そこはオレの居場所だろ。ヤツがインターハイに行ってオレが行けないなんておかしいだろ。オレの方が絶対に強いはずだ。たまたま座席が一つ違っただけで天国と地獄。ヤツはただ、運良く壊れなかっただけだ。

 

 それからしばらくは、何も手につかなかった。部活に顔も出さず、勉強もさぼった。それでも親の期待もあって何とか大学には進学した。スポーツ特退性の話はなくなったが、何とか自力で滑り込んだ。兄は大学に進学しており比較されたくなかったのだ。

 だけど、そこでオレを待っていたのは悲惨な学生生活だった。高校の時は誰もがオレの名前を知り、オレに挑みかかり、オレを称えてくれた。

 けど、大学では誰もオレを知らない。誰もオレに挑まない。誰も、オレを称えない。……オレは何者でもなくなった。オレは終わった。

 ケガで終わったオレの剣道は、誰にも評価されなかった。ピカピカのトロフィーも、賞状も、オレの強さを称えてくれた。負けてない。オレは負けてなんかない。

 だからオレはライダーになった。最後まで生き残った者が願いを叶えるバトルロワイアル。そうまでして叶えたい願いを持ってる連中と戦い、それを制する。あの冬の日から望んでいた、オレがオレの全力を振るうことができる「本当の戦い」だ。

 オレは強い、強くありたい。そして挑戦を受ける側でありたい。胸を張って逃げずに、全力で立つ。それがオレの生き方だ。オレは、受けて立つ。

 

 カードを見ていた加賀谷の前に、ガラの悪そうな連中が現れた。ギャンブルにでも負けたのか、不機嫌さと苛立ちが感じられる。その中の一人と加賀谷は目が合った。

「喧嘩か……?いいぜ、オレは受けて立つ」

 路地裏に身体同士がぶつかり合う力強い音が鳴り響いた。

 

「情報通り、緑川さんは加賀谷さんと接触できたかしら……?わたし以外でぶつけるとしたら、青池さんや理々恵ちゃんよりも彼が一番適任だわ」

 黒井診療所の院長室で、黒井は手にした一冊のファイルに目を通しながら静かにそう呟いた。

「これで最新の『カルテ』も完成ね。ナンバー82915」

 そう言うと黒井は最後の仕上げとして、「カルテ」の表紙を完成させる。患者の指名と生年月日、そしてその命日を表紙に記入すると、黒井は満足げに微笑んだ。その名前は、先日検死を行い通夜にも参列した青年のものだった。

 その拍子を完成させると、黒井は全身の力を抜き椅子に体重を預けた。そして静かに口元を歪めた。

 「カルテ」のページをペラペラとめくり、黒井はその内容を読み返した。黒井の視線が細かくうごめきページを閲覧する。

 

 今回もいいもの見たなあ。黒井は心の中で笑った。

 加賀谷の後輩というのは知った時に予想外のスパイスだったが、なるほど、同じ道場の後輩が同じように足をケガをして命を落とした、となると通夜に出席するぐらいの関係性であるのも頷ける。

 ファイルのページをめくる。初診時、全身を強打したことによる意識混濁。特に右足の程度は著しく複数の開放性骨折が見られた。わざと、大型車にぶつかりに行ったに違いない。

 黒井は指先でレントゲン写真をなぞる。術前の砕けた骨と傷口の線を、まるで芸術品のように撫でる。

 そしてその隣に貼り付けられた術後のレントゲン写真に目を向ける。骨は元通りの位置に戻り、傷口も全て縫合されていた。神経も血管も、全て丁寧につなげられていた。

「きっとすぐに良くなる。わたしがそう言った時の彼の表情、写真に撮っておけばよかった。一縷の望みにすがる、『生きたい』って願うあの顔……」

 黒井の唇がゆっくりと持ち上がる。だがそれは微笑みではなく、嗜虐的な愉悦が張り付いていた。

 

 黒井はさらにページをめくる。そこには患者のリハビリ日記のコピーが貼り付けられていた。リハビリを開始した当初は前向きな言葉が続いていた。

『今日は昨日より一歩多く歩けた。早く剣道部の皆に会いたい』

『道場の先輩もケガしたけどリハビリしてたって師匠から聞いた。頑張らないと』

 だが、日数が増えるにつれて、そこに記された言葉は次第に暗く辛くなっていく。

『黒井先生の言うようにリハビリが上手くいかない。俺は本当にダメだ』

『見舞いに来た母さんの顔に新しく傷ができていた。守れない息子でごめん』

『保険金、俺が死んだら入るのかな。母さんの役に立てるのは、これぐらいなのかな』

「この日、確か隣のベッドの患者に保険金の話を振ったわね……。ふふ、多感な思春期だけど、ちゃんと影響受けるなんてね」

 そのリハビリ日記を読み進めるたびに、黒井はその日の出来事を思い出していた。しかしその日記は唐突に終わる。日記の代わりにページに現れたのは彼の検死解剖の報告書であった。

「今度はちゃんと死ねたわね……。聞きたかったなぁ!最後にあなたは何と言って死んだのかしら?」

 そのカルテには彼の葬式の場面すら子細に記されている。遺影の様子や遺された母親の態度まで、余さず。

 黒井は席を立つと「カルテ」を手に取り、部屋の奥に設けられたある扉の奥に消えた。次の診療時間はもうすぐ。丁寧にまとめられた人生は、扉の奥に大事に大事にしまっておかないと。

 

 院長室を抜け診療室に座った黒井。扉がノックされると、一人の女性が部屋の中に入ってきた。黒井は彼女に座るように促す。彼女は一礼すると、小さな椅子に腰を下ろした。

「ねえ……。確かあなた最初に来た時に『死にたい』って言ってたじゃない?その時、どうだった?」

 黒井は足を組んだ姿勢で静かに女性にそう尋ねた。突然の質問に、女性は目を丸くし、後ろにまとめた髪を触りながら静かに答えた。

「えと、どうだったかな……。生きているだけで惨めで、自分がいると迷惑が掛かるって、そんな感じでした」

 女性はそこで一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。

「……だけど黒井先生に出会って、こんなワタシなんかでもいていいんだって思えるようになったから、本当に感謝してます」

 その言葉に黒井は満足そうな笑みを浮かべ、懐からカードデッキを取り出した。それに呼応するように、女性も缶バッジが目立つバッグからカードデッキを取り出す。

「嬉しいわ。それじゃあ斎条さん、早速今日も戦いましょう。今日は普段と違ってライダーとの戦い方を教えてあげる」

「はい、黒井先生今日もお願いします!」

 二人はそう言うと、閑静な住宅地に建てられた診療所に似つかわしくない異形へと変身し、鏡の中に飛び込んでいった。

 

―続―

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