龍騎外伝 仮面ライダーモリオン   作:EpoMeta

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第22話「舌禍のさえずり」

 ネットの記事によると、争いが起こる場所では誰もが自分が正しいと信じているそうです。でも何が正しくて間違いなのか、本当のところは誰も知りません。

 

 異形のモンスターと契約した人間同士で殺し合う「ライダーバトル」。最後の一人となったものはあらゆる願いを叶えられるというその戦いに参加する少女、白沢理々恵は放心状態にあった。

(願いが、ない……)

 学友の誕生パーティでカラオケに呼ばれ、友人たちが楽しげに歌っている様子を彼女はぼうっと眺めていた。

 ライダーバトルの参加者は誰もが大なり小なりの願い、言い換えれば欲望をもち、その実現のために戦っている。というのが白沢の認識だった。

 「叶えたい願い」。誰しも戦うには理由がいる。もし薄ぼんやりとした理由で参加した甘い人間がいるならば、それはすぐに脱落するはずだ。状況は動こうとしている。状況が大きく動いた時生き残るためには、強い願いをもって誰かを倒さなければならない。

「あっ!イリーガルズじゃん、最近バズってるよね」

 誰が入れたのか分からないが、メタルとEDMを合わせたような焦燥感のある楽曲が流れ始める。艶のある少女の声に似つかわしくない、自分の存在意義を問うような重い歌詞がどんどんと飛び出してくる。

(そうですわ……。戦う理由のない人間から脱落していく。そういう戦いですわ、これは……)

 白沢は自分に言い聞かせるようにそう思い込んだ。言外に、難病を直し健康な体を得て自分の人生を送るという、確固たる願いを持ち続けんとしている自分こそが勝ち残るのだ、と強く強く思い込んだ。

 

 だが、それにしては先程のモーティスはあまりに強すぎる。でたらめな運任せのカードも使いこなす応用力に、大規模な契約モンスターの群れを使役する統制力。目を見張るのは、天を覆いつくさんばかりに湧き上がる契約モンスターのその規模。まるで嵐だ。

 白沢は正直、現段階で最も強いライダーは間違いなく黒井だと思っていた。多数の契約モンスターによる情報収集能力、戦場の内外におけるイニシアチブ、そして直接的な戦闘能力。どれをとっても一級品だ。戦地帰りの上、医者という職業上常に「命」と触れ合っているだけある。

 しかし、今もしも黒井と緑川が戦えば、緑川が勝利するのではないか?と白沢は感じていた。もしそうなれば誰が彼を止められようか。本人の言葉を借りるのなら、緑川は願いを持たない。それゆえに外部から止めない限りは、自ら「終わろう」としない限りおそらくずっと存在し続けるに違いない。

 白沢はその時、他のライダー全てを殺し尽くしても平然とライダーに変身し、決着がついてもなお戦うモーティスの姿を幻視した。願いがないなら、欲がないなら、いったい彼は何のために戦うのだ、何に突き動かされているのだ。その姿に、白沢は恐怖した。

 

「白沢さん、いかがなされた?震えているぞ?」

 不意に、白沢の鼓膜を小さな声が揺らした。時代がかった口調に似合わず、鈴を転がすような可憐な声だった。

「小野塚さん、いえ、何でもありませんのよ……。少し考え事をしていただけで」

「考え事、か……。白沢さんも思索にふけることがあるのだな」

 そう言うと小野塚は、後ろにまとめた髪の毛先を少し触った。

「もし、よろしければ聞かせてくれないか?何か相談に乗れればいいが」

 真っすぐな瞳で、小野塚は白沢は見つめた。その視線に耐えられず、白沢は少し目を逸らした。

「……そうですわね。小野塚さん、あなたも確か剣道をされていましたよね?」

「?そうだが?うちは実家も剣道道場で、ずっと剣道ばかりだが、それが?」

「もし、最強の剣士がいて、だけどその方は全く戦いに興味もなく何か実現したいという気持ちもなく、ただ強い。そういう方がいたら、あなたはどう思う?」

 難しい、自分でも考えをまとめ切れず話してしまったと白沢は後悔した。そして小野塚も白沢のその思いを感じ取ってか、困惑した表情を見せた。

「すみません、変なことを言ってしまいましたわね」

「!いや、気にしないでくれ。ただ、そういったことを考えたことがなくてだな……」

 口元に手をやり、小野塚は少し考え込むと、少し自信なさげに口を開いた。

「つまり、試合に何もやる気がなくただ決まりだから出ているだけ、なのに必ず勝つ。そういう人間、ということで合っているか?」

「ええ、概ねその認識で合っていますわ」

「試合という意味なら、そういう人間は出ないのではないか?ただいるだけの人間なんて、試合という場に出るにはふさわしくないと思うな。相手にも失礼だ」

「失礼、ですか……。もし、小野塚さんならそんな相手にどう戦うのかしら?」

 白沢の問いかけに小野塚は髪を触りながら、ゆっくりと口を開いた。

「そうだな……。相手が強いと言っても戦いの場に立った以上、全力を尽くすしかない。どこかに勝ちの目はあるはずだからな」

 二人のどこか遠くで音楽が流れていたが、白沢にはそれが何なのか聞こえていなかった。ただ、小野塚の言葉を咀嚼していた。

「そもそも、何か妙だぞ?白沢さんは別に部活動に属しているわけでもなし。誰かと戦うなんてことがあるのか?」

 小野塚のその疑問はもっともだ。今どきの女子高生が命がけで戦いなんて、彼女が聞いたら卒倒するだろう。

「それについてはあまり気にしないでくださいまし。何となく、気になっただけですわ」

 白沢は彼女の疑問をそう言ってはぐらかした。そして時刻を確認したような仕草を見せると、すっくと立ちあがった。

「……門限ですわ。小野塚さん、今日は誕生日おめでとうございます。今日はこの辺りで失礼いたしますわ」

「そ、そうか……。気を付けて」

 白沢は周囲の皆にも頭を下げると足早にカラオケルームから立ち去った。その瞳には暗い炎が灯っていた。

 

 

「戻りましたわ」 

「お帰りなさいませ、お嬢様。ご友人のお誕生日会だとか、いかがでしたか?」

 大股で家の廊下を歩く白沢に、メイドの黛がどこか不思議そうな様子で声をかけた。

「その……どうされました?」

「黛、一つお願いがあるのですが、聞いてくださる?」

「はい、お嬢様の頼みであれば」

 上着を脱ぎ、白沢は自室のベッドに腰を下ろした。そして伏し目がちに黛に話しかける。

「緑川雅也……。会社も確か何度か世話になったことのある人、知ってるかしら?」

「もちろんです。その方が、どうかされましたか?」

「いえ、ライダーですのよ……。少し、調べてもらってもいいかしら?」

 白沢の言葉に、もちろんと黛は頷いた。

「ですが、どうして彼を?」

「あたし、緑川さんと会って戦ったの……。直感だけど、黒井先生を倒せるとしたら彼しかいない。青池にも、今のあたしにもできないけど、緑川さんならあるいは」

 そうは言ったが、緑川が黒井を倒したところで自分の味方というわけでもない。ただ、続ける理由も辞める理由もない「力」だけが放置され続けるだろう。そして、それは止めなければならない。

「そうでしたか……。わかりました。少し時間はかかりますが、後ほど」

 そう言うと黛は振り返り部屋を後にした。扉が閉まる小さな音が、白沢の耳に入る。

(黒井先生は必ず倒さなければならない……。そのために必要な準備はしますわ。黒井先生がしているように)

 白沢はベッドに横になり、天井を見上げた。いつも見慣れた天井だ。だが、これを見ることができるのはいつまでだろうか。そう思いながら、白沢はゆっくりと目を閉じた。

 

「黛さん、ちょっといいか……」

 白沢の部屋から出た黛の背中に声が掛けられた。その声に彼女は振り向く。

「旦那様、奥様……。いかがなさいましたか?」

 そこに立っていたのは白沢の父「白沢 啓介(しろさわ けいすけ)」と母「白沢 康子(しろさわ やすこ)」だった。共にこの時間から家にいるなど珍しいと思っていたが、こうして直接急に話しかけられるのは稀な事だった。

「大事な話だ、少しいいかい?」

 啓介のその言葉に従い、黛は彼らの後ろを歩いた。彼らの背中はどこか思いつめた不安げな様子だった。

「理々恵のことだが。娘からどれぐらい聞いている?」

 応接室についた啓介は黛に座るように促すと、そう彼女に尋ねた。

「いえ、お嬢様本人からは病状についてはあまり」

「そうか……」

 黛の言葉に啓介はどうしようもないように天井を見上げ、大きくため息をついた。

「実は、黒井先生から病状を聞いているんだ。彼女の話だと、娘はもう長くない。もってあと一年ということだ」

 もっとも、黒井先生は望む限り生きられるようにしたいと言っていたが、と啓介は続けた。その言葉に黛はエプロンの下で拳を強く握った。

「……それは、お嬢様には?」

 震える声で黛はそう尋ねるが、康子がそれに答えた。

「黒井先生は直接伝えていないみたいなの。前もって家族にはということだったけど」

「娘の意思を尊重したい、と言っていたが」

 啓介が語る黒井の言葉を、表情には出さなかったが黛は信用しなかった。そしてまた別の疑問が彼女に浮かび上がってきた。

「……あの、なぜ今それを?」

 黛がそう尋ねると、父母は共に申し訳なさそうに目を伏せた。

「実は黒井先生の知り合いだという、鳥飼という医者から聞いたんだ。ほら、黒井先生が定期的に来る以外にも、病院での検査があるだろう?その時に」

「いつでも入院の準備は整えるそうなの……。だから娘が良ければ入院させようと」

 康子が啓介に続くように口を開いた。その言葉に黛は質問を返す。

「……仰っている意味が掴みかねますが、つまり私は何を?」

 黛の言葉に、啓介は静かに答えた。

「いや、特に何かしてもらおうということはない。ただ今まで通り理々恵のそばにいてやってくれ。娘もそれが嬉しいだろう」

「ただ、このことを黛さんにも伝えておきたかっただけなの」

 そう言うと、夫妻は立ち去ってしまった。しんと静まり返った部屋に黛が一人残されていた。

「お嬢様……。あと一年だなんて」

 俯き、小さくかみしめるように黛はそう呟く。

「何とか、お嬢様に生きてもらわなければ」

 そのためなら、この手を再度血に染めても構わない。握りしめた手の甲には、手袋越しに血管が浮き出していた。

 

 その時だ。白沢邸の電話が鳴り響いた。当然、それを取るのもメイドである黛の仕事だ。小さく息を吐くと、彼女は慣れた様子で受話器を取った。

「もしもし?」

「黒井です。その声は黛さんかしら?」

 黒井の声に内心で舌打ちしながらも黛は努めて冷静に言葉を返す。

「はい。黒井先生、黛です。何かご用でしょうか?」

 ああ、こいつがお嬢様の命を弄んでいるのに、父も母も皆この魔女を信用しきっている。

「理々恵ちゃんいたら代わって欲しいんだけど?」

 だが、黛が胸の奥に秘めた本心は、受話器越しということもあり黒井にはまるで伝わらない。

「お嬢様ですか?……わかりました。代わります」

 拳を握り締めながら黛は一度電話を保留した。受話器からは電子音で奏でられるクラシックが小さく流れた。

「お嬢様、黒井から電話です」

 ノックをして扉を開けると、白沢はベッドに横になっていた。黛の呼びかけに目を開け、瞳を彼女の方へと向ける。

「……黒井先生なら、切ってくれてもよかったのに」

「お嬢様が仰るのならば、次からは」

 そう言うと、黛は白沢に受話器を渡した。それを耳元に当てるより先に、黒井の声が白沢の耳に届いた。

「ねえ、理々恵ちゃん?誰か殺したい人いる?」

 その問いかけに、白沢がまず思い浮かべたのは、この受話器の奥にいるであろう黒井本人だった。

「黒井先生かしら」

「それは面白い冗談ね。青池さん辺りにウケそう」

 そう言い放った黒井の口調は全く普段通りに平坦なものだった。

「そもそも質問の意図があたしにはつかめないのですわ?一体どうしてそんなことを?」

「えーっとね、そろそろライダーバトルをワンステップ進めたいなと思って」

 その言葉の裏に隠された真意に、白沢は背筋が凍った。

 つまり、生贄を求めているのだ。黒井由利亜という祭司は、ライダーバトルという神に対して、自らの願いを叶えさせるために生贄を捧げんとしている。そして誰を選ぶのかを、あたしに委ねているのだ。それは共犯という名の強いつながりだ。

「やっぱり、黒井先生」

「それは得策じゃないわよ、理々恵ちゃん。わたしが死んだらあなたも芋づる式に脱落よ。だから殺すのは最後にしてよ」

 これもまた、本気で言っているのだと白沢は直感した。正直、幼少期から父母が連れてきた大勢の医者が匙を投げた自分の病状に唯一真剣に向き合っているのは黒井だけだったのだ。黒井を失えば、自分の病気はすぐさま悪化して死ぬだろうとは、白沢もうすうす感づいていた。

「だったら黒井先生が殺したい相手を殺せば?あたしに聞かずに」

 白沢のその言葉に、黒井は受話器越しに口角を吊り上げた。

「ふふ……確かにそうかもね」

 そう言うと黒井はどこか満足げに息を吐き、そのまま続ける。

「だったら、協力してくれないかしら?ライダーバトルの」

「協力?殺人に加担しろとでも言いたいの?」

「いいえ、あなたの手を汚さないお手伝いよ」

 また、嫌な口を利く。白沢が手にした受話器が震えた。

「……それじゃあ、思いついたら連絡するわね。その時には一緒にお願いね?」

 黒井はそう言うと一方的に電話を切った。通話が切れたことを確認すると、白沢は受話器をベッドに投げつけた。

「お、お嬢様!?」

 白沢へ心配げに駆け寄る黛に、白沢は静かに言い放った。

「黒井先生は、絶対にあたしが殺すわ」

 

「黒井先生、ちょっと聞きたいことがあるんですけど!」

「なにかしら、斎条さん?」

 斎条の言葉に黒井はそう言ってほほ笑んで見せた。この場所はいつもの診察室ではない。黒井がよく訪れる喫茶店だった。

「あ、あの、黒井先生は何か叶えたい望みがあって戦ってるんですよね?もしよければ聞いてもいいですか?」

「あら、どうしてかしら?」

 斎条の問いかけを黒井は躱し、質問の主体を自然な形で変える。

「えと……。前に、青池さんと話したんですよ。青池さんは自分が後悔しないために戦うって。不思議で。何で自分の嫌な事ばかりするんだろうって」

「ああ、それでわたしにはどんな理由があるか聞きたいってことね?」

「そ、そうです……」

 確かに、青池は以前自分が力を振るえるのに、それで助けられる命を見逃すのが嫌だ。だからこそ力を使う。と言っていた。その信条は、医者としても理解ができる。尽くせる手があるのにそれを尽くさないのは、青池の言う通り後悔するからだ。それは、黒井も経験として知っていた。

 

「でもさ、ぬるいと思わない?現状」

 突然、黒井はまるで話題を変えた。その言葉を斎条はいまいち呑み込めなかった。

「え?ぬるいって、どういうことですか……?」

「いやね、勝ち残って生き残らないといけないのに、何となくみんな攻めあぐねているじゃない?」

「は、はあ……」

「強い願いを持つ人間こそ、生き残ることができる……。医療現場での『奇跡』も強い『生きよう!』という願いから生まれるものよ……」

「えと、何が言いたいんですか……?」

 少し怯えた様子で斎条が聞き返す。だが、ここまで踏み込んでも大丈夫だという確信を持ち、黒井はゆっくり口を開いた。

「つまり、強い願いを持てば持つほど生き残れる……とわたしは考えているわ」

「え……」

 黒井のその言葉に、斎条は声を詰まらせた。強い願いなど、まるで意識したことがなかったからだ。

「そんな……。そんな願いなんて、ワタシ持てないですよ……」

 だが、黒井はその答えは既に予測済みだと言わんばかりの微笑みを湛え、ゆっくりと口角を吊り上げる。

「必ず、斎条さんにもあるはずよ。今思い浮かばなくても、あなたならできるわ」

「……はい!」

 黒井の渦を巻いた瞳が斎条を真っすぐと見て、観て、診ている。そしてそれから逃れる術を彼女は持っていなかった。

 

「さて、気分もリフレッシュしたことだし野良のモンスターでもしばきに行きますか」

 手慣れた様子で会計を済ませると、黒井は斎条に振り向いた。

「あ、えと、野良のモンスターを倒すことも重要なんですよね?」

「そうよ。人喰いのバケモノから人間を守るという大義もあるけど、契約モンスターを強化するには大事なことなの」

「強化……」

 黒井の言葉に、斎条は手元のカードデッキから契約モンスターのカードを取り出した。「ADVENT」。契約モンスターを直接召喚するカードである。斎条のそのカードには双頭の蛇の姿をしたモンスター「ツインボロス」が描かれていた。

「どうして、モンスターを倒すことが契約モンスターの強化に繋がるんですか?」

「いい質問ね。だけどちょっと刺激が強いかも……聞きたい?」

 黒井の忍びよるような目つきに、斎条は唾を飲み込んだ。

「モンスターが食べた人間のエネルギーが、そのまま契約モンスターの力になるからよ。空腹のモンスターと満腹のモンスター、動けるのは満腹の方。それは野良でも契約でも同じ。だから人間を食べた強力なモンスターを倒せば、その分の力が契約モンスターに入る、というわけよ」

 モンスターは人を食べる。もちろんそれは斎条も知っていた。しかし、こうして直接言われるとこれまでの戦いを意識してしまう。自分が倒したモンスター、自分が苦戦したモンスターはそれだけ人間を食べてきたということだ。

「契約モンスターか強くなれば、変身したわたしたちも強くなる。だからモンスターを倒すことが強化の近道というわけね。契約しているのが一体だけなら、人間を直接襲うより効率的だわ」

「あの、でもそれってつまり、ワタシのモンスターも間接的に人間を食べてる、ってコトですか……?」

 震える声で、斎条は黒井に質問した。だが、黒井は眉一つ動かさず答える。

「それはあなたの気にすることじゃないわ、斎条さん。むしろ敵討ちよ。この街で何人、モンスターのせいで悲しい思いをしているか分かる?」

 そう言うと黒井はごく自然な様子で視線を別にやった。それに追従するように斎条も黒井が見た方を見る。そこには行方不明者の情報提供を求めるポスターがあった。その数も少なくない。それらの行方不明者もまた、モンスターによる犠牲者だ。

「そ、そうなんだ……。じゃあ、ワタシがモンスターを倒せば、その分誰かの悲しい思いを晴らせるかも……!」

 斎条が腕の震えを押さえるように力を込める。その姿に黒井は満足そうな笑みを見せた。

「そう、強くなれば他のライダーだって倒せるようになるわよ」

「ワタシが他の人より強い、なんてこと……」

「大丈夫、あなたならなれるわ」

 黒井の言葉に斎条は本心から嬉しそうな表情を見せた。

 ところで、黒井は誰に対してもこのように接するわけではない。普段から優しい雰囲気を意識的に醸し出し、周囲に敵を作らないように意識しているが、黒井と接する時間が増えた相手にはコミュニケーションの様式が少し変化する。

 ただ、医師としての膨大な対人経験と生来の観察力が「黒井だけにとって」都合の良い距離感での会話を得意とさせているのだ。それが合致する相手には、黒井との会話はどこまでも心地よく感じるものとなる。この場合の斎条がそうだった。

 

「そんな話をしていたらモンスターね。行きましょう」

「は、はい!」

 耳に響く嫌な音を頼りに、黒井と斎条は街を駆けていく。裏路地に差し掛かったところで、二人は意外な人物と出くわした。

「!」

「アンタは……!」

 そこに立っていたのは加賀谷だった。太い首に汗がにじんでいる。

「モンスターは斎条さんに任せてもいいかしら?」

「え、えっと、はい!」

 走り去っていく斎条を背中で見送りながら黒井は加賀谷を見上げた。

「今のもライダー?誰だよ、一体?」

「自分で調べてみたらどうかしら?何だかわたしの真似ごとをしてるみたいだけど」

 黒井は目を細めながら加賀谷の顔を見つめる。言うまでもなく挑発だ。これに乗ってはいけないと、加賀谷は直感した。ならば、どう返すかは決まっている。こちらもやり返す、チキンレースだ。

「あぁ?強い奴の真似して何が悪いんだ?オレだって色々見てんだよ」

 その言葉に、黒井の目の色が変わった。何も映さない普段の漆黒ではない。強い情念を秘めたドブ色の渦巻きが瞳に宿る。

「な、なんだよ……!」

「わたしを、みてたの?」

 その瞳を直視してはならない。そう加賀谷の直感がそう訴えかけたのは、もうすでに黒井の視界の中に入った後であった。

「不快……」

 黒井はぼそりとそう呟いた。その言葉はまるで鋭いメスのように加賀谷に突き刺さってきた。思わず、手のひらが懐のカードデッキに伸びた。

「嫌だなあ……。わたしは良くてもあなたはダメでしょ。ねえ?」

 そう言いながら黒井は両手を伸ばし加賀谷の顎に添えた。ちょうどそれは捕食者が被食者を捕らえる様子に似ていた。

「……ッ!なんなんだッ!」

 とっさに体が動いてくれたのは幸運だったか。加賀谷はその腕で黒井を跳ね除け、後ずさりした。その様子に黒井は気持ちを落ち着けるように大きく息を吐いた。

「右脛骨プラトー骨折、五年前の事故かしら?リハビリの時間は根性で縮めたんだと思うけど、結局高校生活最後の大会は出られなかったんじゃない?」

「……ッ!」

 思わず加賀谷は唾を飲み込んだ。黒井に怪我のことなど話したことはない。もちろん部活動のことなども。だが、黒井は今その全てを的中させて見せた。「知って」いるのだ。

「あら、図星って顔をしているわ」

 冷たい表情を貼り付けたまま、黒井は加賀谷の右膝を指差してみせた。間違いなくそこは部活動を、真剣勝負を諦めさせた傷跡その場所だった。

「何でわかるんだよ……?」

「だって戦いに命をかけてるんだから。あなたのおままごととは違うの。真剣気取りのおぼっちゃん」

 黒井のその言葉に、思わず加賀谷は飛び掛かった。黒井の言葉は単なる侮蔑ではない。彼の生きた二十二年間、その全てを愚弄する悪意として、彼の胸に突き刺さった。

 だが、その突撃は黒井に容易く制されてしまった。ちょうど膝のあたりに黒井の靴が踏みつけられるように置かれ、その屈伸を封じたのだ。

「あら、今のは良かったわ。やっぱり人生の発露の瞬間にこそ命のかがやきが見えるわね」

「何、訳わからねぇこと言ってんだ!」

 黒井に加賀谷はそう強く言い返したが、だが言い返すのが精いっぱいだった。この得体のしれない不吉の塊に、加賀谷は吞み込まれてしまっていた。

 

「けど、まだ足りないわね……。あなたの命はもっと輝けるはず」

 その言葉と共に、黒井の瞳から生じる邪悪な澱みの渦は次第に勢いを弱めていった。

「……!」

「今は斎条さんも心配だしね」

 黒井がそう付け加えるころには、その澱みはわずかな名残を残して黒井のもとに帰っていったようだった。黒井の脚が取り除かれた膝を確認しながら、加賀谷は体勢を立て直した。

「いいのかよ、オレと戦わなくて!」

 それが虚勢であることは、加賀谷本人が一番よくわかっていた。そしてそれもまた、黒井には筒抜けだった。

「言ってる意味が分からないか。じゃあ言い方を変えるけど、わたしのこと今日は見逃してくれないかしら?」

 黒井の命乞いの真似事に、加賀谷は強く握った両の拳を震わせた。だが、黒井に対し加賀谷ができることはなかった。

「今のあなたは風車に挑む騎士も同然……。そんなの、あなたらしくないわ。いつもみたいに受けて立ってよ」

 口角を吊り上げながら、黒井は一歩、また一歩と加賀谷の表情を覗き込もうと近づいた。

 

 だが、加賀谷までもう一歩と迫った時に、黒井の携帯電話を強い振動が揺らした。これは、彼女の契約モンスターであるヒドゥンビークが何か伝えたい時の行動だ。何事かと思い、黒井は一度歩みを止めた。

「……ッ!」

 黒井が立ち止まったまさにその時、彼女の眼前を鋭く冷たい切先が通り抜けた。瞬きすれば、まつげが凍りつくような至近距離だった。

「危なかった。あなたの契約モンスターね」

「ま、待てッ!」

 それだけ言うと、黒井は瞬く間に距離を取り、加賀谷の元から走り去っていった。その小さくなっていく背中を、加賀谷は見送ることしかできなかった。

 黒井と入れ替わるように姿を見せたのは、加賀谷の契約モンスターであるログゼネルであった。手にした七支刀から発せられる冷気が周囲を冷やしている。

「……オレを笑いに来たのなら、そうすればいいさ」

 自嘲気味に加賀谷はそう言った。だが、その言葉にログゼネルは何も返さなかった。髑髏のように落ちくぼんだ眼窩がどこを見ているのか、加賀谷にはまるで分からなかった。ただ、冷たい沈黙が周囲を包んでいた。

 

―続―

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