とある格言によると、ある行為が犯罪として処罰されるためには、事前にその行為を犯罪と定め、刑罰を科すことを明記した法律が存在しなければならないそうです。
理子を探し港湾部の倉庫街を一人走る緑川の耳に、モンスターの接近を示す風鳴り音が聞こえていた。
「こんな時に……!黒井が言っていたようにすると、こうか」
近場の鏡面に緑川はカードデッキを突き出す。濃緑色のそれには飛蝗を思わせるエンブレムが浮き出ていた。そのまま力強く腕を振り、緑川は全身の力を高める。
「変身!」
飛来した虚像が緑川に重なり、その姿を異形の者へと変える。黒のアンダースーツに濃緑色の装甲が鈍く光る。ヘルメットを思わせる頭部には、その額から二本だけ細い触角のようなものが生え、正面から見るとどこか髑髏のような不気味なデザインであった。その首には血を思わせる暗い赤色のマフラーが巻かれている。
緑川は大きく息を吸って、大きく息を吐く。そうして全身に満ち満ちたエネルギーを整えた「仮面ライダーモーティス」は鏡面に勢いよく飛び込んだ。自らが仕える法に従い、家族を守るために。
「クッソ、本当にここでいいんすよね!」
「うるせぇな!お前も自分で考えろ!」
「情報もってるの先輩でしょ!俺はそれに従ってればいいって言いましたよね!?」
「黙れ!とにかく上が来ないことには何とも出来ねえよ!」
数人の男の怒号が、廃倉庫の中に響き渡る。それは大型車のトランクに詰められていた理子の耳にも響いていた。
(どうしてこんなことに……。パパ、ママ……)
ガムテープで無理やり閉じられた口では何もしゃべることはできない。両手足も何かで縛られているようだ。身動きも満足にとれない。
何とかもがく理子であったが、周囲を確認すると五人ほど同じように縛られている。全員、自分と同じ登校班だった。
理子は段々思い出してきた。あの時学校に行く途中でさらわれてきたのだ。何で自分がさらわれたのか分からないが、とにかく理子の心中には恐怖と不安が渦巻いていた。
その時、不安そうに涙を流す他の子どもと目が合った。見れば皆自分と同様に不安に押しつぶされているようだ。彼らを見て、理子の心に恐怖とは別の感情が生まれてきた。
(大丈夫!きっとなんとかなる!)
理子は涙をこらえ、無言ではあったもののその視線で周囲の子どもたちを励まし始めた。理子の行動に他の子どもたちも次第に落ち着きを取り戻していく。彼らは次第に寄り添い合った。周囲の体温を感じると不安も次第に小さくなっていった。
だが、それでも理子の心には不安が残っていた。他の子どもたちもそうなのだろう。そうは言っても自分たちにできることなど何もない。ただ、祈るしかできないのだ。
(必ず助けに来てくれるはず!パパ、ママ……!)
トランクの中で寄り添う子どもたちとは対照的に、車の外では三人の男たちが互いに口汚くののしり怒鳴り合っていた。その姿を車の窓ガラスの鏡面から覗く影があった。
互いに醜く怒鳴り合う男たちであったが、一人の男が不意に耳を押さえた。
「な、何だこの音……!」
「音?耳でもおかしくなったんじゃねえか?」
「いや、お前には聞こえねぇのかよ!?」
一人の男が狂乱した様子で転がっていた鉄パイプを拾う。そしてふらふらした足取りで窓際に向かった。
「この辺だ……!この辺だよ!」
「お、おいやめろって!」
男は思い切り鉄パイプを振りかぶり、窓ガラスをたたき割った。砕けたガラスが周囲に飛び散る。だが、男はまだふらふらと歩き続ける。
「違う……!あー!うるせぇ!何なんだこの音!」
そのまま男はどんどん窓ガラスを叩き割っていく。その異様な様子に仲間たちも不振に感じ始める。
「おい、お前一体どうしたんだよ……。もうよせよ」
そう言いながら呟いた別の男を、割れたガラスから伸びた幾本もの触手が捕らえ、そのまま鏡面の中に吸い込んだ。
「う、うわあああ!」
「な、なんだあ!」
「一体何だよ!」
他の男たちも狂乱した様子で周囲を見回すが、その足は震えている。それぞれが手に凶器を構え襲撃に備えるが、しかし無数の触手が飛び出し瞬く間に彼らを鏡の中へと吸い込んでいった。
男たちの絶叫が倉庫中に響く。その絶望の声は車内にいる子供たちを恐怖のどん底に堕とすには十分すぎるほどだった。
緑川雅也が変身した仮面ライダーモーティスは、モンスターの気配を追いミラーワールドを駆け抜けていた。強化された脚力が瞬く間に倉庫街の隙間を縫うように走っていく。
「モンスター……!」
モーティスの前に立つのは、蛇を思わせる太い触手の束で人型を構成したような不気味なモンスター「ゴルゴニア」だった。前腕から解けるように開いた繊維は蛇そのもののような形を取り、数人の男を捕らえていた。廃倉庫街に似つかわしくない統一感がない服装、服の隙間から覗く下品な刺青、そして鏡面越しに見える現実世界の車両は、誘拐事件で目撃されたものと同じ車種、同じ色だった。
「……こいつら!」
状況証拠から、モーティスは彼らこそ娘を誘拐した犯人だと確信した。その瞬間に、凄まじい怒りが彼の全身を埋め尽くした。それだけでなく、その怒りが不気味な闘気となって彼の全身から漏れ出している。その異様な様子を目の当たりにして、ゴルゴニアは思わず獲物を手から取り落した。
その一瞬を見逃すモーティスではない。強い踏み込みで一瞬でゴルゴニアとの間合いを詰めると、力づくで殴り掛かった。異様な手ごたえの後、吹き飛ぶゴルゴニア。
攻撃により吹き飛ばされたことを利用し、大きく距離を取ったゴルゴニアに対し、モーティスは大きく重心を落とした構えを取る。その視界に、惨めに這いつくばる犯人たちが目に入った。
(確かミラーワールドでは人間はすぐ死ぬんだったな)
モーティスの仮面の奥の緑川の顔は、彼らを見た瞬間、法廷での顔と同じになった。罪には然るべき罰を。ここでモンスターに食われ死ぬのは「正しい罰」ではない。
『ADVENT』
モーティスはカードデッキから引き抜いたカードを、同様にベルトに装着されたバックル型召喚機「飛蝗召錠グレバイザー」に挿入する。
電子音声と共に周囲の空間からモーティスの契約モンスターである飛蝗型モンスター「グレガスト」が無数に出現する。グレガストもヒドゥンビークと同様、群れとして行動する生態を持つモンスターであった。
だが、ヒドゥンビークと比較するとグレガストは些か以上に「原始的」な思考回路を有するモンスターであった。電気シグナルを用いた会話により人間に近い思考を可能としているヒドゥンビークに対し、グレガストは「個」の概念を有さない群体生命的な存在であった。彼らの行動は全体により構成される意思ネットワーク「系」によりコントロールされている。
そしてその「系」とモーティスは無縁ではなかった。モンスターに意思を伝達するライダー共通の円形機構「ジペット・スレッド」だけでなく、頭部に出現した契約の証である触角「デッドアンテナ」により、自らの意志を契約モンスターに伝達できるのだ。
悲しいことに、これらの機能は黒井とヒドゥンビークがそれなりに時間をかけてようやく形にした機能を変身直後から既に有していると言っても過言ではなかった。
無数に出現したグレガストは、モーティスの意志を受けて犯人たちを現実世界へと連れていく。彼らがミラーワールドから離れていったことを確認すると、モーティスはゴルゴニアへと向き直った。
獲物を横取りされたゴルゴニアは怒り狂った様子でその両手を振り回す。無数に枝分かれしたその腕先は蛇頭そのものへと変化しており、大きく開いた口からは毒液がだらだらと地面を腐らせている。
「ミラーワールドでの戦いでは、カードを使うんだったな」
だが、モーティスはその様子を見てもあくまで冷静だった。ミラーワールドでの戦いは、彼の思考の間では法廷での対決と同じものだと捉えられていた。それならいつもと同じ。モンスターは人間ではないので民法では物と同じ扱い。しかも飼い主はいない。それが人間に危害を与えたとなれば「殺処分」が妥当だろう。
『STRIKE VENT』
電子音声と共に、モーティスの両腕には、グレガストの胴体から頭部を模した怪力増加装甲「グレガーム」が装備された。その拳を勢いよくモーティスはゴルゴニアに叩きつける。
だが、ゴルゴニアの身体は極めて柔軟であり、モーティスの打撃を受け流した。その異様な手ごたえに、モーティスは戦う相手が人間ではなく人外であることを認識した。
ゴルゴニアは腕を振り回しモーティスに反撃を行う。振り回した腕の先端の牙が倉庫の備品に食い込むと、それを毒液で溶かしながら容易く引き裂いていく。もしもろに一撃喰らってしまっては命はないだろう。その連撃をひらりひらりとモーティスは回避していく。
だが、ゴルゴニアの腕のリーチは長く、一度距離を取られてしまうとモーティスは接近することもままならない。
遂に、ゴルゴニアの触手がモーティスの動きを捕らえた。すんでのところで毒の牙をグレガームで防御する彼であったが、その牙が食い込んだ右腕のグレガームが溶解けてしまう。すんでのところでパージするモーティスであったが、動きが止まったその足をまた別の触手が捕らえる。
「ッ!しまった!」
拘束を振りほどこうと足を振り回すモーティスであったが、その拘束から逃れることができない。その様子に勝利を確信するゴルゴニアが不気味な笑みを露わにする。
「モンスター!いた!」
だが、ゴルゴニアの全身に突如として巨大な衝撃が走る。受け身も取れず吹き飛ばされていくゴルゴニア。その触手から解放され、着地したモーティスが目の当たりにしたのは、全体を透明なキャノピーに覆われた独特な形状のビークル、ライドシューターであった。
「知らないライダー……!もしかして緑川さん?」
「その声に姿、黒井か!」
銃を構えながらライドシューターから降りてきたのは、黒井が変身した仮面ライダーモリオンであった。出会い頭にゴルゴニアに数発の銃弾を見舞う。リーチを生かした近接戦闘を行うゴルゴニアにとっては、その優位性を一切無に帰すヒドゥンバイザーのような射撃武器は天敵のような存在だ。そのまま銃撃を続けるモリオンであったが、次第に末端部が粒子化し始めていた。
「おい、やばいんじゃないのか!?」
「時間切れね……。もう少しカードがあればいいんだけど」
さらに数発の銃弾を撃ち込むと、モリオンはモーティスに話しかけた。
「選手交代、できるかしら?あのモンスターを始末して欲しいの」
「ああ、やれるだけやってみよう。……だがその代わり、現実世界で娘を守ってくれないか?」
その言葉に、モリオンは仮面の奥の瞳を見開いた。
「やっぱりここだったのね……。でもわたしに家族を任せていいの?ライダーバトルは殺し合いなんだって言ったじゃない?」
意地の悪そうに尋ねるモリオンであったが、冷静にモーティスは言葉を返す。
「もしお前がその気なら、何度もチャンスがあっただろう?……最もお前が私をさらに苦しめたのちに殺したいのだとしても、今はそのために娘を殺すことはないはずさ」
「……!!」
「さあ行けよ。娘たちの周りには凶悪犯が三人いる。気を付けろよ」
「そこまで教えてもらえるなんてありがたいわ」
そう言うとモリオンは手近な鏡面から現実世界へと帰還していく。ミラーワールドにはモーティスとゴルゴニアだけが残されていた。衝撃から立ち上がったゴルゴニアがモーティスを睨みつけた。
「……待たせたな。そろそろ判決をくれてやる」
ミラーワールドを出たモリオンと入れ替わりに、無数のグレガストが帰還してくる。倉庫を埋め尽くすほどのグレガストの視線が、ゴルゴニアの全身に突き刺さった。
「……大丈夫?大丈夫?」
男たちの絶叫が止んでもなお、恐怖から目を瞑っていた理子に優しげな言葉が掛けられた。その声に理子は瞼を開くと、そこには白衣を着た女性が立っていた。彼女は慣れた手つきで理子の口元のガムテープをはがした。
「バイクのおねーさん!」
「こんにちは、お嬢ちゃん。怖かったね、だけどもう大丈夫だよ。皆も安心して」
黒井はスムーズに子供たちの拘束を解いていく。ようやく不安から解放された子供たちは黒井に抱き着いて泣き出した。彼女の白衣に涙が染みていく。
「大丈夫、大丈夫だよ。すぐに警察が来て悪い人たちを捕まえてくれるから」
優しげな言葉を口では言いながら黒井は子供たちを抱きしめた。彼女の胸元からは消毒液の匂いが仄かに香っていた。
「でも、あの人たちは……?」
涙声で、理子は黒井に尋ねた。その質問に黒井は笑顔で答える。
「悪い人たちにはわたしが『お注射』しておいたんだ」
そう言いながら黒井は静かに視線を車の外へと向ける。そこに倒れている三人の男たちの首元には、小さな注射の跡が残っていた。
(とりあえず犯人の無力化はできたし、警察にも通報したし、後は緑川さんだけね……)
さらに車の外、正確には倉庫に放置された鏡面を見つめる黒井の目には、無数のグレガストを従えるモーティスの姿が映っていた。
(わたしと同じ、一体と契約すれば群れ全体と契約するタイプね……。だけどヒドゥンビークたちとは違う、文字通りの『蟲』ね)
鏡越しに、黒井は静かにモーティスの姿をひたすらに観察していた。彼女の視線の方向が気になり、理子も同じ方向を見る。だが、カードデッキを持たない少女にはミラーワールドを見ることはできない。例えそれが自分を守るために戦う父親の姿であっても。
ゴルゴニアがその腕をほどき無数の蛇の姿へと変え、モーティスへと襲い掛かる。だが、モーティスの周囲をうごめくグレガストがそれに襲い掛かり、飛びつき、喰らっていく。もはやモーティスは群れの意思の決定者となり、無駄のない動きでゴルゴニアを喰らっていった。
「略式裁判。モンスターは殺処分だ」
一言だけそう言うと、モーティスはデッキから自らを示す紋章が刻まれた必殺のカードを引き抜き、グレバイザーに挿入した。
『FINAL VENT』
その電子音声と共に、グレガストたちが一斉に羽ばたき始める。それによって引き起こされた強風を全身に受けて助走し、モーティスは力強く飛び上がる。さらに空中で前転し遠心力をつけ、落下の勢いを加えた強力な必殺の飛び蹴り「ローカストライダーキック」を放つ!
その威力はゴルゴニアの肉体の柔軟性を無視し、無理やりに貫通した。着地したモーティスの背後で爆発が起こる。立ち上がりモンスターのなれの果てを見つめるモーティス。火炎の中に揺らめくその髑髏のような顔は、まさに死神の化身そのものであった。
現実世界へと帰還したモーティス。だが、その変身は解かれなかった。その姿を車の窓越しに捉えた黒井は、モーティスから異様な気配を感じた。
「バ、バイクのおねーさん……?」
「怖かったでしょう……?今は安心して、泣いてもいいからね?」
黒井は理子たちを力強く抱きしめた。その車の外側から目線を逸らすように。
車の外に降り立ったモーティスは、そこに倒れている三人の男たちを見た。ほぼ間違いなく、彼らが理子を誘拐した犯人だろう。その一人の首を掴むと、モーティスは力づくで彼の身体を持ち上げた。
「おい、起きろ……。起きろ!」
その怒号によるものか、あるいは本能的に命の危機を察したのか、男は身体を震わせて目を開いた。
「うわあ!バケモン!助けてくれ!お願いだ!」
「質問に答えろ……。そうしなければ助からん」
低い声でそう告げるモーティス。恐怖に喚く男の声に他の男たちも目を覚まし始める。だが、黒井に打たれた薬のせいか、全身に力が入らないようだった。
「な、なんだよ……!助けてくれよ……!」
「今日の午前中、そこの車で登校中の小学生を誘拐したのはお前たちか?」
「お前、何もんだよ……!」
「質問に答えろッ!」
一切の反論を許さないその髑髏の魔人の怒号に、男たちはすっかり怖気づいてしまった。
「そ、そうです……!金をくれるっていうからやっただけで、俺たちがガキどもをどうかしようってわけじゃ……!」
震えながらそう言い放った男を投げ捨てると、モーティスはデッキを取り外し変身を解いた。その冷酷な視線が犯罪者たちを見据えている。
「に、人間……!」
「自白はとれた。刑法224条により、未成年者を略取し、又は誘拐した者は三月以上七年以下の懲役に処する。故にお前らは誘拐を実行した時点ですでに犯罪者だ」
「だから何だってんだよ!オッサンが指図すんじゃねえぞ!」
倒れたままで言葉だけは強気の男の方に、緑川はネクタイを直しながら歩いていくと、その耳元にしゃがみこんだ。
「犯罪者が。私はこの場で処罰の手続きを行う権限がある。言ってる意味が分かるか?」
「ヒィ……!」
真っすぐにこちらを見つめる緑川の恐ろしげな視線に、先程までの髑髏のような不気味な顔が重なる。まるで射殺すような鋭い視線であった。だが、急に緑川はその視線を外し、異様なほど不気味に滔々と語り出した。
「だが、先程お前らが正体不明の怪現象に襲われたことは私も知っている。その不可思議性を加味し、今この場での応急的決断はコイントスで決める」
「コイントス、だって……?」
緑川が懐から取り出したコインに、男たちの視線が集中する。
「コイントスで二つの選択肢から一つの選択を決める。一つは、この場で身柄を拘束し、お前たちを警察に引き渡す。もう一つは、この場で略式裁判を行い、私が法の正義に基づく刑罰を執行する」
その宣言に、男たちは恐怖した。その顔を緑川は見てすらいない。
「なんで、その二つなんだよ……!他になんかねえのかよ!」
「無い」
男たちが震えながら行った反対弁論を、だが緑川はたった二文字の言葉で切って捨てた。
「では始めようか。もし表が出たら……」
全身くまなく湧き上がる恐怖に、男たちの耳は遠くなり緑川が何を言っているのかはまるで聞こえなかった。ただ一人、耳を澄ませた黒井だけが緑川の言葉を聞いていた。
緑川がコインを指で弾く。男たちは一斉のそのコインを見上げる。今まさに宙を舞うコインの煌きだけが、彼らの今後を決めようとしていると否応なしに理解するしかなかった。だが、緑川が用いるコインは両面が表のエラーコインであり……。
「大丈夫か!理子!」
「パパ!助けに来てくれたんだ!」
車のドアを開け、暗い車内を覗き込んだ緑川の胸に、理子が勢いよく飛び込んできた。そのあまりの勢いに、後ろに倒れ込み尻もちをつく緑川。だが、その両腕はしっかりと理子を抱きしめている。
「バイクのおねーさんが来てくれたの……!」
「黒井……。恩に着る」
「いいのよ。お嬢ちゃんが無事でよかったわ」
子供たちの手を取り車から降りる黒井。その目には駆け付けた警官隊と連行される犯人たちの姿があった。緑川は私刑を下さず、警官隊に犯人を引き渡したのだ。その全身の閾値を超えて湧き上がる憤怒の感情を抑えて。彼が用いるコインは両面が表。つまり自らの決断は絶対的な意志をもって必ず実行する。その精神力のすさまじさに、黒井は本心から感嘆していた。
「でも驚いたわ……。あなたの精神力の強さに」
「黒井が理子を守ると踏んでなければ、こんなことはできなかった」
地面に倒れたまま、緑川はそう言ってほほ笑んだ。その様子に、黒井も満足そうに笑みを返す。
黒井の手から離れた子供たちが警官隊に保護されていく。皆不安から解放された様子だ。その姿を黒井はただ眺めていた。
「誘拐なんて怖いわね……。お嬢ちゃんも怖かったでしょう?」
黒井が静かに理子に話しかけた。だが、理子は少し微笑んだ様子で言葉を返した。
「怖かったけど……必ずパパかママが助けに来てくれるって信じてたから!」
「そう……。あなたのお父さんは正義の味方だもんね」
「うん!」
大きな声でそう言うと、理子は緑川に頬をすり寄せて抱き着いた。その姿に緑川は父として心からの笑顔を浮かべた。
「さて、今回の件は本当に助かった。理子をありがとう」
「ありがとー!おねーさん!」
「いいのよ。気まぐれだし、同じバイクが好きな女の子のよしみだから」
理子を抱えたまま、緑川は黒井に礼を言った。それに対し黒井の言葉には少しだけ照れた感情が表れていた。少しの沈黙ののち、黒井が口を開いた。
「……ねえ、一つ気になったんだけど聞いてもいいかしら?」
「なんだ?私に答えられることなら」
「お嬢ちゃんって小学生みたいだけど、緑川さん、あなたは何歳なの?」
「私か?私は二十八歳だが?」
「わたしより八歳年下か……。あれ?ちょっと待って?」
そう言うと黒井は緑川と理子の顔を何度も交互に見た。
「法曹ってことは院卒でしょ……?学生結婚で妊娠出産も在学中ってこと……?」
「そうだが……?何か問題が?」
「いや、いや、いやぁ……。天才っているものね……」
そう言った黒井は普段の様子が嘘のように、見るからに狼狽していた。
「おねーさん結婚してないの?」
「……お嬢ちゃん。そういう人もいるんだよ、いい出会いのない人が」
静かにため息をついた黒井由利亜(36歳・独身)の姿に、緑川と理子は不思議そうに互いの顔を見合わせた。
―続―