海に向かって下半身を曝け出した変態がそこにいた。


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第1話

 海に向かって下半身を曝け出した変態がそこにいた。

 

シャツの上にライフジャケットを着用した、私と同年代くらいの中年の男である。プロレスラーのような体格をした、電車に乗っていれば似たような風体の男を探すのは難しくないだろう、そんな男だ。しかし下半身には何も身に着けていない。私の目の錯覚では断じてない。その証拠に臀部やすね毛まで明確に観測出来ている。

間違いなく、この男は下半身を露出している。

 

海に落下するリスクは考えられる癖に誰かに通報されるリスクは何一つ考えなかったのだろうか。確かに日の出前---所謂朝マズメの時間帯であり、私と男以外周囲には誰もいないが、釣り好きが来ることは十分に考えられるハズである。

 

私がここに来た経緯が、何故か今になって脳裏に流れ始めた。おそらく、それは現実逃避に近いものだろう。

 

『穴場を教えてほしいですか。確かに僕はそういう場所にも詳しいつもりですが』

 

 同じ会社で働く同僚であり、いくつか年下の後輩は私と同じ趣味の友人でもあった。

その日、会社で煙草休憩中の雑談で趣味の話になったのだ。

 

『最近、どうにも釣果が悪くてな。もし、君が知っているスポットがあれば教えてほしいと思ってね』

『そうですねぇ。……先輩にはお世話になっていますし、特別に教えますよ。ただ、マナーは守ってくださいよ。最近はモラルのなっていない連中が多くてですね』

『分かっているさ。そのくらいは信頼してくれよ』

 

 趣味とはいえ、これでもこの道数十年だ。昨今のマナーが悪い連中には私も辟易としているくらいだ。

 

『すみませんね、先輩のことは信用してますよ。一応です、一応。んー、いくつかありますが。ああ、そうだ。最近になって噂になり始めた場所ならありますね。多分、先輩の家から遠くない防波堤なんですけど』

『おお、海か。海ではあまり経験はなかったな。早速、今週末に行ってみるとしよう』

 

 後輩に場所を教えてもらい、ついに迎えた休日の日、年甲斐もなく心を躍らせながらこの防波堤にやってきたのだが、それは聊か勇み足であったのかもしれない。

 

私は一度目をこすって男に見やる。そこには変わらず、下半身を露出して仁王立ちする男の姿があった。

しかし、意外なことに私は明確な犯罪者を目の当たりにした上で冷静であった。

人はあまりにも予想外の事態に遭遇すると一周周って落ちつくらしい。一つ深呼吸をして私は男に話しかけることにした。

 

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 

 男性は私の声に驚くようなこともなく、世間話のようなトーンで返された。

もしかするとどこかで私の感性、あるいは一般だと思っていた常識がおかしいのだろうか。

常識とは自分がこれまでに身に着けた偏見であるともいう。

中年にもなり、凝り固まった私の考えが少しズレてしまっている。そのようなことも考えられるのではないだろうか。

いや、しかしーーー。

 

ひとまず私は自然を装い、会話を続けることにした。

 

「初めてここに来まして。どうですか、釣れますか?」

「いや、俺もさっき来たばかりだ。だが今日は海の調子も悪くない。もう少しすればアタリも来るだろう」

「良くこちらにいらっしゃるのですか?」

「ああ、休みの日は良く来る。最近は他のやつも見かけるうようになった」

「実は私も初めて来まして。結構な穴場だとか」

「ああ。もう少し俺が独占しておきたかったのだが、まぁ、俺だけの場所ではないから致し方ない」

 

 男は苦笑した。そのような世間話をしている最中、私はふとそこで違和感を覚えた。

男は海に向かい仁王立ちで釣りをしている。両手を腰に手を当てており、手に竿を持っているわけではない。しかし男の細かな動きに合わせ、竿も少しずつ揺れ動いている。

もしや、と考えたその瞬間、私は眩しさに目を細めた。

 

日の出だ。海から見える水平線の彼方に光が差していた。薄暗い防波堤を仄かに照らしていき、私は竿の正体に気づいた。

 

「……まさか、貴方の竿は」

「ああ、不思議か。俺の竿は」

 

 竿の正体は細く、それでありながら太く伸びた男性器だった。陰部から伸びた竿の先には糸が括りつけられており、正しく竿の役割を担っているようだった。

私もそれなりの年数を生きてきたが、このような代物には出会ったことがない。明らかに尋常ではない大きさと太さだ。

 

「その、何故そのようなことを?」

 

 男性器が如何に大きかろうと、竿の役割をこなせようとも、竿代わりに使うことはあり得ない。市販で売られている竿を使った方が釣果も良いと誰にでも予想できる。

 

「罪を償っている最中なんだ」

 

 男の意味不明な言葉に私は内心、首を捻った。

 

「……申し訳ありません。意味が良くわからないのですが」

「む、そうか。……まぁ、時間もあることだ。手慰みに語るとしよう」

 

 男は文字通り手慰みのように自らの竿を撫でながら語り始めた。

 

「まぁ、言ってしまえばだ。俺は浮気したのだ」

「浮気」

「そうだ。少し長くなるが……同僚との付き合いでキャバクラに行ったのだ」

「確かに、奥様からすれば良い気はしないかもしれませんが……」

「ああ、俺の妻も、キャバクラに行ったこと自体はそこまで咎めるつもりはないようだった。そもそもだ。はっきり言って、俺は本意ではなかった。独身の後輩と違い、妻帯者だ。しかし最初に入った居酒屋で酔いが回っていたこともあり、後輩に強引に連れていかれたのだ」

「では」

「焦るな、続きがあってだな。そのキャバクラにとてもタイプの子がいたのだ。若き日の俺の妻を想起する彼女に俺は夢中になった。時間が許す限り彼女に甘え、赤ちゃんプレイをし、最後に連絡先の交換もした」

「強引にと言いつつ、しっかり楽しんでいる様子ですが?」

「いや、俺の意思ではない。酔っていたからな。あの俺はいつもの俺ではなく、タガが外れた俺だ。最早別人といっても差支えないだろう」

「それは本当に危険な考えですよ」

「顛末から考えれば些末なことだ。何故キャバクラに行ったことが妻にバレたと思う?」

 

 私は男の質問に暫し考えたが、ありきたりな答えした予想出来なかった。

 

「もらった名刺を奥様が発見したとかでしょうか?」

「いや違う。……先ほど、そのキャバクラに昔の妻によく似た女の子がいたと話したな? 似ていて当然だったのだ」

 

 私の脳裏にとても嫌な想像が頭を過った。しかし、それが事実であるとしたら余りにも嫌過ぎる。どうか外れてくれ、と私は祈った。

 

「妻に似た子は私の娘だった」

「……嗚呼、神よ」

 

 無神論者の私ですら空を仰ぐ程だった。

 

「どうも、前々から妻にはキャバクラで働いていることを打ち明けていたようでな。娘伝手ですぐにバレた。次の日の妻の機嫌は最悪だった」

「でしょうね」

「俺はそこで妻に詰問された。まるで罪人のように詰られ、人権を無視した取り調べを受けたのだ。あまりの責め苦に、思わず涙が零れるほどだった。何故俺がこのような目にあうのか、神を呪った」

「良くもまぁそこで被害者面出来ますね」

 

 男の言葉に私は呆れを通り越して関心するほどだった。

 

「しかし、だ。俺にも言い分がある。容疑者にも人権が認められ、裁判が行われるように、俺の言い分を妻に聞いて欲しかった」

「言い分も何も先ほどから話を聞いている限り、貴方がすべて悪いように見えますが」

「実のところ、俺は薄っすらその女の子が娘だと感づいていたのだ」

 

 あまりに衝撃的な台詞に私は言葉を失った。

 

「話は変わるが、仕事において新入社員であろうともアルバイトであろうともそこには等しく責任というものがあると俺は考えている。どう思う?」

「……まぁ、分からなくはないですが」

 

 アルバイトだろうがなんだろうが、そんなものは客にすれば関係がない。今の私はそこまで尖った考えは持っていない。しかし賛同は出来ずとも理解は出来る。しかし、それがなんだというのだろうか。

 

「例え入って一日の新人だろうと、従業員として働き対価を得る以上、プロだ。俺はそう考え敢えて娘に甘え、赤ちゃんプレイを要求したのだ。これは俺の性癖などでは決してなく、例え親であろうともプロとして接客出来るかテストをしたのだ。娘は見事、俺の要求に答えて見せた。ああ、この子はもう幼い子供などではなく社会で働く大人の仲間入りをしたのだと思うと感慨深くなり、また娘の成長に涙が出そうだった」

「奥様と娘さんは別の意味で泣きそうだったと思いますが」

「私の愛息は耐えきれず泣いてしまった」

「聞いていませんよ」

「---まぁ、そのような言い訳をしたわけだ」

 

 あまりに酷い言い訳である。私は嘆息した。

 

「……言い訳が真実かどうかは兎も角、そのような言い訳はもうしない方が良かったのでは?」

「ギリシャ神話では割とあるポピュラーな話だ。そもそも性的関係に至ったわけではないのだからセーフだろう」

「十分アウトですよ。そしてここは現代日本です」

「島国特有の弊害だ。だから日本はいつだって世界に取り残される。日本がガラパゴスと言われ失笑されるのもわかるというものだ」

「論点をずらしたうえで主語を大きくしないでください。そもそも世界的にも常識ではないです」

 

 男は一気に語り疲れたのか、或いは誤魔化すためか傍らのペットボトル飲料を呷った。

なるほど、妻を怒らせたのは分かった。しかし罪を償うとはどういうことか、何故男性器がそのような形になったのか、何一つ明かされていない。私がそう疑問をぶつけると喉を濡らした男は話を続ける。

 

「何故俺の愛息がこのような姿になったのか。これはな、呪いだ。まず、俺の主張を聞いた妻は烈火の如く怒り狂った。瞳孔は開き、口からは火を吹き、握られた拳は俺の顔面に殴打を繰り返した。そして一頻り満足した妻は最後に俺にこう言い残し、家を出ていったのだ。『下半身でしかモノを考えられないアナタには相応しい呪いが下るでしょう』と。そして気づけば俺の愛息はこのような姿になっていた。これはな、妻の残した呪いなのだ」

「なんでしょうか、まったく同情出来ないのは……。それで奥様と娘さんは家を出ていったと」

「いや、娘は残っている。『ママのことなんてどうでも良いじゃん♡私の方が若くて可愛いんだよ♡それで良いじゃん♡』と言ってな」

「娘さんも大概おかしいですね。経緯はわかりました。しかし、罪を償うとは」

 

 男はううむ、と考え込むような顔をした。

 

「呪いを解きたいのだ。しかし、門外漢の俺にはその方法が分からなかった。寺に行っては追い返され、外科医には匙を投げられた……ほとほと困り果ててたところに、妻から一通のメールが届いたのだ。『あなたが私と同じくらいの苦しみを味わえば、その呪いから解放されるでしょう』と書いてあった。故に、愛息に糸を縛り付け、魚に引かれる苦痛を受けている。さながら今の俺は煩悩を捨てさる修行に明け暮れる僧のようなものだ」

「全国の僧に謝ってください。しかし、事情は分かりました。そのような理由があったのですね」

 

ようやく私は得心がいった。そうした中、男の竿が動きを見せる。急にくい、くい、と竿が左右に動き始めた。どうやら魚が食いついたらしい。男の竿に糸が食い込み、男は苦悶の声を上げた。

 

「お、おおぉ……! こ、これは……!」

 

 予想以上に大物がヒットしたようだ。男の竿はしなり、あらゆる方向に引っ張られる。その度、男は喘ぐような奇声を上げた。

 

「お、お゛♡お゛お~♡」

「……」

「く♡ う、おおおおおぉぉーーー♡」

「あの、本当に苦しんでます?」

「この姿を見て分からんか!?」

「分からないから聞いているんですよ」

 

 上半身を海老ぞりに、ブリッジするような姿勢になった男は、渾身の力を籠めるように竿に力を込めた。暫し格闘が続き、徐々に海面に魚の姿が浮かんでくる。

デカい。そのあたりのスーパーでは中々見れないほどの大きさだ。太陽の光に鱗が反射し、美しいとも見える魚の全体像が私の視界に飛び込んでくる。

 

「ひ、ヒラマサでしょうか。こんな大物が……!」

「ヒラマサか! ならばこの引きも納得だ! く、タモを……」

「いや、あの大きさタモにも入らないですよ! 引き上げるしか」

「ああ! 問題ない。妻が家に戻ってくれるなら、俺はどのような責め苦にも耐えられる! く♡、ああぁぁぁーーーー!!」

 

 そしてついに巨大なヒラマサが地上に引き上げられた。

 

 

釣りあげたヒラマサは一人で持ち運ぶには難儀するほどの大きさで、私も手伝うことになった。まぁ、ここまで大きな魚が釣れたのを見るのは私も初めてだ。見物料とでも思っておくとしよう。

 

えっちらおっちらと男二人はヒラマサを運び、なんとか男の車の中にある大きなクーラーボックスにおさめることが出来た。

 

「いや、すまないな。おかしな話を聞いてもらったばかりか手伝ってもらうとは」

 

 相も変わらず下半身を露出した男は私に缶コーヒーを手渡しながら言った。

 

「いえ、中々面白い話だったですから。……しかし、ある程度長さのコントロールは利くのですね」

 

 私が男の下半身を見ると、先ほどよりは短く細くなった男性器が目にはいる。いまだに男性器してはありえないほど巨大だが、先ほどよりはまだ見れる形状をしている。

 

「ああ、最もこれがコントロールできる最小サイズだ。やはり、一刻も早く呪いをどうにかせねば。明日もまた、下半身を出して満員電車に乗ることになる」

「それは、確かに困りますね」

 

 どうも、私はお節介であり同時に目の前の男を気に入ってしまったらしい。どうにかこの男の呪いを解いてやりたい、そんな気分になっていた。

 

「そういえば、俺はもう釣りを終えるつもりだがそちらは良いのか?」

「はい?」

「いや、俺の話に付き合ってくれたのはありがたいが、そちらも釣りをしにここに来たのだろう? その割に釣り具を見かけないが……」

「ああ、そういえばそうですね」

 

 そうだ。男の話に付き合うあまり私は本来の自分の目的を忘れかけてきた。

しかし、はっきり言ってそこはもう問題ではない。

何故なら私の釣りと男の呪いの解呪、その二つは両立し得るものである可能性があるからだ。

 

「それよりも、私も解呪のお手伝いをしたいと思いまして」

「解呪の? いや、気持ちはありがたいが。そういった専門家を知っているのか?」

「いえ、そういうわけではないですが。一つ、可能性にかけてみたくはありませんか?」

 

 私はそこでにっこりと笑った。営業一筋で鍛えた私の笑顔は社内でも社外でも好評だ。しかし、私の笑顔に何故か男は僅かに後ずさりした。私は男が逃げないように肩に手を置いた。

 

「か、可能性?」

「ええ、やはりこの調子では解呪には時間がかかると思うのです。そもそも、あなたが受けた苦痛が解呪のキーとなるそうですが、苦痛が蓄積すれば解呪にいたるのですか?」

「……いや、そこまでは妻の文面には書いてなかったが」

「では、試す価値はあると思います。ここで提案を一つ」

「と、取り合えず聞くだけは聞こう。愚痴を聞いてもらったわけだし」

 

 私は自分の口角が自然に上がるのを感じた。

 

ーーーああ、後輩よ。私にこのスポットを教えてくれた趣味を共通する友人よ。

確かにこの場所は隠れたよいスポットだったよ。

おかげで、私の釣りも成功しそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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