ベレリアント戦争終結から数十年後。
オルクセン空軍の戦闘機操縦士となった白エルフ・ヘルヴェア。周囲のコボルト達から孤立する彼女は、留学帰りの操縦士ムートと対立する。
シャワーから吹き出す湯が、新雪のように白い肌を叩いている。小柄だが、引き締まった裸身が水滴を弾く。
彼女の好みからすれば、その温度はぬるすぎる。基地隊がボイラーの燃料を倹約しているのかもしれない。
その苛立ちは白い皮膚の内側に留め、彼女は蛇口を閉めた。
頭を振り、昔より短く切り揃えたブラウンヘアから水しぶきを払う。体格同様、白エルフにしては小さめの尖り耳が、鋭く天井を睨んでいる。
彼女の左右のシャワーは、まだ湯を放ち、彼女よりも小柄な二足歩行の毛玉たちを洗っている。彼女と左右の者たちとの間には、何の仕切りもない。後ろの通路との間にもだ。
彼女の背後から毛むくじゃらの腕がさっと伸びた。その手のひらだけは毛がない。硬質な筋肉をもつ彼女の臀部を小さな手が撫で、感触を残していった。
彼女が無表情に見返すと、腕の主らしいコボルトは口笛を吹きながらシャワー室を出て行くところだった。戸を開きざま、ちらと振り返り、濡れた毛皮の顔を歪めた。尖った歯が見えた。
「へへ、痩せっぽちめ。おんなじ禿げ尻なら、オークの姐さん方の方がいいや」
そう言い捨てて、コボルトは笑いながら出て行った。
コボルト兵が公娼館に行き、オークの相方をつけられて閉口するというのが、兵営の笑い話では典型的な落ちなのだ。
シャワー室の中にいる、他の者たちも笑う。全員がコボルトである。シェパード種、ボルゾイ種などの種別で顔形が異なるが、牙を覗かせる笑い方は同じだった。そして、室内にただひとりの白エルフに聞こえるように、互いに声を掛け合う。
「よお、貴様、オークでも役に立つかい」
「あたぼうよ」
「じゃ、白エルフ相手はどうだ」
「ごめんだね。突っ込む先から腐っちまわあ。どうしてもってお願いされたら、試してやらんでもないけどよ」
そしてまたゲラゲラと笑う声の中で、彼女は籠からタオルを手に取り、濡れた体を拭いた。四方からじろじろと見られながら、簡素な下履きだけを身につける。
タオルを入れた籠を手に、シャワー室から出ようとした彼女の前に、黒いコボルトの一頭が立ちはだかった。服は纏っていない。
黒い毛の間から覗く瞳は黄色い。その視線で、肩から下げたタオルだけで隠されたエルフの胸部をなぶりつつ、牙の口は言葉を続けた。
「オストエレン少尉、機銃の点検を手伝ってくれねえか?」
ほれ、どうだと前に突き出す隆起だけは、毛皮に覆われていない。
白エルフは、目を逸らすことなく、冷ややかに見下ろしながら応じた。
「あんたのじゃ、口径が足りないな、マグマ。整備はひとりでやっておけ」
周囲で爆笑が沸き起こった一瞬のうちに、さっとコボルトの横を抜け、彼女は控え室に去って行った。
「……けっ」
マグマと呼ばれた黒いコボルトは、シャワー室の奥へ歩きつつ、その最奥に転がる木の板を蹴飛ばした。たちまち、爪先を手で押さえる。
「痛え! ……誰か捨てちまえよ、さっさと。どうせ、あいつ、要らねえんだからさ。衝立なんて」
置き捨てられた木の板の端で、歪んだ蝶番が揺れている。女の声と表情は、今日も少しも揺れていなかったというのに。
「あの耳長。本当に氷で出来てるんじゃねえのか。ほんと、薄気味悪い奴だ」
◆
オルクセン連邦空軍は、コボルトの天地である。
空軍の前身となった陸軍航空隊が誕生したのは、十年前に終結した星欧大戦の最中だった。
大戦では戦車や毒ガスといった新兵器が猛威を振るったが、航空機はそれらに劣らぬほどの活躍を示した。上空から見下ろす航空機から情報を得て、遠方の敵を大砲が思うさまに狙い撃つという。大砲が戦場の女王だとすれば、航空機はその行幸を先導する近衛騎士であった。
王国時代から大鷲軍団という空中兵力を持ち、偵察や弾着観測、はては爆撃にまで活用してきたオルクセン連邦は、結果的に参戦こそしなかったが、空の優位を人間国家に奪われることを酷く恐れた。大鷲軍団の任務を引き継いで、まずは偵察機、次に爆撃機を海外から急ぎ輸入し、小規模な試験航空隊を発足した。
どの種族を乗せるかという問題には、消去法で答えが出された。
巨狼と大鷲は論外。航空機に乗せるにはオークは大柄かつ重過ぎる。手先が器用といえばドワーフだが、やはり目方が重く、酒樽体型と足の短さが搭乗と操縦の制約になる。闇エルフは有望だが、頭数が少な過ぎ、騎兵科が抱え込んで離さない。
となれば、やはりコボルト一択である。コボルト族の中で背が高めの種は、小柄な人間より少し低身長な程度だから、輸入航空機の操縦席に収まりがよかった。大鷲軍団の背に乗ってきた種族の実績も、変化を厭う官僚制度の性向も、その選択を支持した。
無論、小柄なオークや比較的足の長いドワーフも絶無ではないから、種族限定の規定はおかれなかった。しかし、身長体重の規定を通過した操縦士候補生は、結果的に全員がコボルトだった。大半は大鷲軍団からの異動者である。
そして思わぬ障害にあたった。大鷲の背に乗るパイロットと、航空機を操縦するパイロットでは、適性に大きな差があることが判明したのだ。
考えてみれば当然だった。大鷲のパイロットの役目は通信、索敵や地図作りなど。飛行に酔わず、それらの作業が落ち着いてできればよく、飛ぶこと自体は大鷲に任せていればよかった。しかし、航空機の操縦士は話が別だ。地面に足をつけて暮らす生物ならば本来は持たないはずの、三次元の空間感覚が必要になる。
黎明期の航空幹部たちは、大鷲軍団から配置換えされたベテランパイロットをあてにしていた。しかし彼らに操縦桿を握らせると、ほとんど使いものにならない大ベテランが続出した。
「無茶言うな! 俺たちはパイロットなんだぞ。語源通り、水先案内が仕事なんだ」
「長いこと飛んできたからって、羽が生えてるわけじゃない。頭がおかしくなりそうだ」
「計器も操作も多すぎる。馬車を御しながらピアノを弾くようなもんだ。俺たちにゃ、目玉だって腕だって、二つずつしかないんだぞ」
大戦が中盤に差し掛かり、空対空戦闘の専門機種である「戦闘機」が台頭すると、搭乗員の資質はますます問題になった。
空中戦闘は、偵察や爆撃よりも、はるかに高度な操縦技量と飛行感覚を要求する。そのような不自然な適性を持つ者は極度に少なかった。さりとて、空を確保できる戦闘機がなければ、どれほど優秀な偵察機や爆撃機も撃墜されてしまう。
困り果てた陸軍航空隊は、航空力学と航空生理学の権威であり、自らも大鷲の背でパイロットとして戦った経験を持つ、メルヘンナー・バーススタイン教授に調査を依頼した。数週間後に教授が返した回答は、意外にも、さして助けにはならなかった。
「高度な飛行適性は、先天的なものです。生まれつき素質がある者を育てることはできても、素質がなく生まれた者に後から適性を植え付けることは不可能。天賦の才能というしかありません。
しかも、他の身体能力とは殆ど関わりありません。運動神経とも知能指数とも違う、独特の素養です。
その有無の判定ですか? 実際に飛ばせて試す以外にはないですね」
航空幹部たちは、覚悟を決めざるを得なかった。泥中の砂金のように貴重な素質の持ち主を急ぎ揃えるには、なりふり構っていられない。陸軍の全将兵の中から、身長体重と階級が程よい者を手当たり次第に勧誘し、殆ど強制的に練習機の訓練課程へ放り込んでみることにしたのだ。
大量の怨嗟と吐瀉物が撒き散らされた末、何とか列国に準じる規模の航空隊が出来上がった。
ただし規模だけは、である。大戦中に急速に発展した列国の航空隊に比べると、オルクセン陸軍航空隊の強さは、はなはだ心許なかった。
総国民数が同等の列国に比べれば、操縦士の供給源をほぼコボルトだけに依存する分、オルクセンの航空部隊は明らかに質で劣った。空中戦の強弱を決めるのは機体性能と操縦技量だ。魔種族特有の肉体的優位は、耐久力くらいしか生かせない。
大戦への参戦を回避できたことも、国家戦略としては大成功だったが、空戦技術の開発と蓄積には不利に働いた。列国では、一カ月で飛行部隊の全パイロットが戦死するほどの過酷な戦いに生き残り、革新的な戦法を次々に編み出して空を制する撃墜王――エースと呼ばれる達人たちが登場して、戦いを牽引していた。
空の実戦経験を欠くオルクセンに、そのような牽引者は生まれず、列国に操縦士を派遣して教えを乞わせるほかなかった。しかし当然、技術の全て教えてくれる外国はない。
そこで、大戦後に陸軍から独立したオルクセン空軍が真っ先に手をつけたのが、優れた戦闘機操縦士を選別、育成する専門訓練機関の創設である。若手操縦士の中でも、「これは」という者だけが、やはり殆ど強制的に集められた。その少数の若き精鋭に徹底的な戦闘訓練を施して、さらに鍛え、さらに選別する。
そうして、戦闘機操縦士の中でも最精鋭の一群、将来は独立空軍そのものの中核たるべき、空の戦士団を育成するのが――
「この戦闘兵術学校だぞ。この下手糞ども!」
コボルトの教官の叫び声が駐機場に響いた。周囲には、上下二枚の翼をもつ戦闘機がずらりと並んでいる。舗装された地表を、教官は手に持つ杖で繰り返し突き、コツコツと音を立てた。
「昨日までの訓練成績を見たぞ。揃いも揃って、なんだ、このザマは。ああ、知っていたともさ。お前らが、大鷲の背に乗ったこともない、ぴかぴかの雛鳥さまだってことは。だからって、尻に卵の殻をつけたまんまだとは、思ってもいなかったぞ。この能無しの毛玉どもが!」
そこまで言い切ると、教官は荒げた息を落ち着けるため、少し間をあけた。
居並ぶ訓練生たちは、直立不動を保っている。その数は二十名あまり。全員が厚手の飛行服をまとい、額にはゴーグルをつけ、首には派手なスカーフを巻いている。
黒、茶、白と色とりどりの毛皮の群れの中に、頭二つほど抜けて、白エルフが立っている。嫌が応にも目立つ。スカーフの色は、周囲の鮮やかな赤や青と異なり、比較的地味な濃い緑色だが、それすら異彩を放つようで、彼女の存在を周囲から浮き上がらせている。
しかし教官は、その白エルフに視線を合わせようとしない。自分と似たような背丈のコボルトの訓練生たちだけを見回して、叱咤を再開した。
「お前らの先輩はな、俺の戦友はな。てめえで爆弾に火をつけて、白エルフどもに突っ込んでいったんだぞ」
とは、空軍将兵でなくとも、ほとんどのオルクセン国民が知る英雄譚である。この教官には、教科書の中の話ではなく、未だ生々しい体験なのだ。訓練生どもに向けて、もう百遍は話し聞かせているだろう。
「撃ち落とされて、地上で滅多切りにされた奴もいる。それを、それを……お前ら、恥ずかしいとは思わんのか! えい、こん畜生ども、揃いも揃って……」
そういうと、教官は自分の右足を杖で連打した。金属音が響く。
「この足より役立たずだ! 種族の恥さらしども!」
罵倒を重ねられても、訓練生たちは神妙な表情を変えず、直立不動のままでいる。口答えなど思いもよらない。この教官、ハンス・”ナッター”・ガーデルマン少佐には、偉そうな口を叩く権利があると、誰でも認めざるをえないのだ。なにせ、ベレリアント戦争以来のベテランで、大鷲から偵察機に乗り換えた陸軍航空の先駆者でもある。
本来なら、とっくに大佐以上になっているはずの功労者だ。それが万年少佐に留まってるのは、事故で右足を失ったこと自体よりも、そのせいで飛行機を降ろされて、酷く気難しい拗ね者に変じてしまったせいだった。その意味でも、表立っては、とても逆らえない。
ようやく怒鳴りつかれたのか、教官は頭を掻きながら溜息をついた。
「まあ、いい。今日から、新入りが加わることになった。キャメロット空軍で遊んでて、入学に間に合わなかった遅刻野郎だ。おい」
そう促されて、脇に控えていた一頭のコボルトが、整列する訓練生たちの前へ進み出た。毛皮は黒と白で、精悍な顔つきのハスキー種。無論、飛行服に身を固めている。スカーフは、鮮やかな水色だ。
「フェリクス・フォルカー中尉です。キャメロット空軍に派遣され、主に格闘戦の最新技術を学んできました。よろしく願います」
教官が杖で地面を突いた。
「ほう。格闘戦」
――とは、戦闘機同士の接近戦のことである。素早い旋回や、意表をつく機動で、最も良い射撃位置である敵の後ろをとるべく秘術を競う。敵の尾部を追いかけて狙うという戦闘形式が、コボルト生来の闘争本能と妙に合致することもあり、空中戦の精髄だと目されている。
留学帰りの中尉は、その自信を不敵な笑みに覗かせた。
「空戦技術は、大戦が終わった後も日進月歩です。我が国の戦法に、取り入れられる部分が大であると考えます」
「面白い。皆に教えてやれ。今度、俺にもな」
「はい、教官どの!」
「入学してきたフォルカーは貴様で三頭目だ。紛らわしい。前の二頭は、もう部隊に逃げ帰ったがな。貴様、個体符牒はあるか?」
半公式なアダ名とでもいうべきものだ。出撃する軍用機に割り振られる呼出符牒とは違い、個々の操縦士に名付けられる愛称である。軍用機に無線機が積まれ始めてから自然と発生した、新しい風習だ。
「ああ、長ったらしいのは認めんぞ」と教官が続けたのは、無線で使うのが本来の目的だからだ。短時間で情報をやりとりせねばならない航空無線では、端的な会話が必要である。
キャメロット帰りのコボルトは大声で、居並ぶ訓練生全員によく聞こえるように叫んだ。
「持っております。ムート、であります!」
「ムートだと?」と、教官は嘲るように顔を歪めた。
「勇気のことか。粋がって、格好をつけおって。ふん……」と、しばし中尉の顔を眺めるうちに、気が変わったらしい。
「キャメロットのメシが気に入って、帰りが遅れるくらいだ。ある意味、勇敢には違いない」
皆がゲラゲラと笑った。キャメロットの食事といえば、冗談話の定番である。ムートも笑っている。
ただひとつ無反応な顔は、よく目立った。おまけに、集団から頭ふたつ抜けている。
瞬き一つしない、白い陶器のような顔を、教官は半眼で見やった。
「笑わんのか、アイス」
「…………」
アイスなる個体符牒で呼ばれた白エルフ、ヘルヴェア・オストエレン少尉は、周囲の全てを無視するような態度を崩さずにいる。さながら、氷の彫像だった。
「俺の冗談はつまらんか」
「いいえ、教官どの」
「そうか。でも笑え。仲間に入りたきゃ、周りに合わせろ」
「はい、教官どの」
「いいか、白エルフが、コボルトに合わせるんだよ。分かったか」
「はい、教官どの」
教官は、なおも何か言いたげであったが、話を戻した。
「……ふん。まあ、いい。俺は、今日も糞つまらん会議だ。貴様らの面倒をみてやる暇がない。予定通り、基礎訓練だけやっておけ。粋がって、宙返りなんぞやって、事故を起こすんじゃねえぞ。
ムート、お前は明日からだ。さっさと、ここに慣れろ。同期に案内してもらってな。かわりに、キャメロットで教わったことを教えてやれ」
「はい、教官どの!」
その後、解散を命じられた訓練生たちは、教官に指示されるまでもなく、もとより興味津々とばかり、ムートの周囲に群がった。やあやあ、ようようと取り囲み、連行するように隊舎へ連れていく。
濃いブラウンヘアの白エルフだけが、やはり集団から少し離れてついて行った。
早速の歓迎をされながら、それがムートには気になった。
◆
首に巻いた色とりどりのスカーフが雄弁に示しているように、戦闘機の操縦士は伊達者揃い。まして若い精鋭たちとなれば、ほとんど無頼漢のような風がある。
なにせ戦争にならずとも、ふとした事故や僅かな失敗で死んでしまいかねない境遇である。無理にでも自信を持ち、陽気に振る舞っていなければ、たちまち神経をやられてしまう。
そんな過酷な境遇が、彼らに不思議な連帯心を植え付けている。まして皆がコボルトで、同種族の気安さもある。
ムートことフォルカー中尉は、今日来たばかりの新参者でありながら、十年知己であるかのように歓迎されて、早くも控え室の輪の中心にいた。
「それで、キャメロットでの俺の教官というのがな。レイストン少佐というんだが、大戦で大活躍した大エースでな」
「知らねえぞ、そんな名前」
「無理もない。教官は、国際義勇飛行隊にいたんだ。だから宣伝して貰えなかったのさ。しかし、腕前は物凄いんだ。たった一機で、アスカニアの三機編隊とやりあって、全機撃墜したこともある。その時の技っていうのが――」
「待て待て、話だけじゃ、分からねえ。兵棋を使って教えてくれ」
「いいとも。まず、最初は太陽を背に――」
自信たっぷりにキャメロット流の実戦技術を解説して、ムートは、もう訓練隊の重鎮のような気分になっている。
ただ、そうなってみると、控室の端が目についた。例の、教官からも目を付けられているらしい白エルフが、ひとり座っている。こちらを向いてはいるが、我関せずという態度である。
それが、海外帰りの彼を馬鹿にしているように思えた。なにせ、白エルフ族なのだ。他者を見下す悪癖には定評がある。
途端、ムートの胸中で自負心がむくむくと鎌首をもたげ、思わず声をかけさせた。
「おーい、何だ、お前。興味ないのか、白エルフの。何て言った?」
「ヘルヴェア・オストエレン少尉。アイスです」
「そうか、アイス。先輩の言うことは聞いておくもんだぜ。結局は、格闘戦で決まるんだ。そうだろうが」
「いいえ、中尉どの」
白エルフの少尉は、座ったまま、にべもなく答えた。ムートは、さすがに耳を疑った。
「ああ?」
「私は、そうは考えません」
「どういうことだ」
「格闘戦は、位置エネルギーの浪費です。時間と燃料を食う割に、撃墜に繋がりづらい。危険も大きい。有利な位置からの一撃離脱こそ最良の戦法です」
立て板に水、それも端的な切り返しは、戦闘機操縦士の誇りそのものに唾を吐きかけているように聞こえた。ムートは胸中に火がともるのを感じた。
「……度胸のいいやつだ。教官のつもりか」
しかし、少尉を相手に初日から喧嘩するのも器量に欠けてみえるだろうと、彼は思い直した。
「へっへ、でも、そういう口はな、せめて、ここにいる連中の半分は叩きのめしてからきくもんだぜ」
室内の空気が冷えた。周囲を囲む、大胆不敵なコボルト操縦士たちが揃って息を飲み、水を打ったように静まっている。
その注目も緊張にも、我関せずという態度で、白エルフは答えた。
「それならば、私には資格があると判断します。中尉どの」
ムートは絶句した。周囲を見回す。
「……なんだ、おい。誰か、何とか言え。あいつの腕は」
その場にいる誰もが、先ほどまでの不敵な陽気さを捨て去って、居心地悪そうに沈黙している。
ありえない事態、ありえない話を、ムートは言葉に出して尋ねた。
「……誰もか? 誰も勝てないってのか? まだ少尉の、練習機が終わったばっかりの白エルフに」
「種族は関係ありません。中尉どの」
かっと頭に血がのぼる。負けん気の強さは操縦士の通り相場だが、この白エルフは異常だった。いや、そんな奴を黙らせられない、この訓練隊が異常なのだ。何が精鋭であるものか。
操縦士の誇りに掛けて、そして自分に合格点を与えてくれたキャメロット人教官のために、彼は椅子から立ち上がった。
「ふ、ふざけてやがる。オルクセン空軍は、どうなってんだ。おい、アイス」
「はい、中尉どの」
「ムートだ。普通に話せ。『ですますあります』はいらん」
個体符牒には、そういう意味もある。厳しい階級社会である軍隊の中で、上下関係を緩和して、ただの操縦士同士になるという。そこにあるのは、技量の違いだけである。
「では、ムート」
「一撃離脱と言ったな。外されたらどうする。やりあうしか、ないだろうが」
「外さない」
「外れたら、と言ってるんだ」
「外れようがない状況を作る。そこに技術を投じるべきだ」
「ちっ。いいか、キャメロットではな……」
「ここはオルクセン空軍だろう?」
「舐めやがって! てめえ、何様だ。ひとりで戦えるとでも思ってんのか?」
「空ではいつも独りだ。貴様こそ、独りでは飛べもしない雛鳥か?」
「……よく言った。技術ってもんを、見せてやろうじゃないか」
怒りが閾値を通り越し、ムートはかえって冷静になった。照準器の中に映る獲物をみる目つきになる。
「おい、誰か、腹でも下したことにしろ。午後の予定を組み替えるぞ。俺と奴の一対一をいれる」
周囲のコボルトたちは顔を見合わせた。全員が興味を持っているのは明らかだったが、まずは制止の声が飛ぶ。
「無茶いうな。お前は、今日来たばかりじゃないか」
「早く慣れろって言ってたのは教官だ」
「最初の訓練だぞ」
「どうせ、使ってるのはジュピターだろうが。キャメロットで昨日まで乗ってたんだ。何も変わらん」
それは、無茶ではあっても事実でもあった。オルクセンでは、いまだに一線級の戦闘機を国産化できていないのだ。参戦しなかったことで戦訓の取入れが後手にまわった上、ヴィッセル航空機製造が的外れな設計の試作機に長く固執していたせいだった。現行の主力機は、キャメロットからの輸入戦闘機である。
「教官が帰ってくる前にやっちまうんだ。みんな手伝え。早速、本場の技を見せてやる。なんだ、ビビってるのか?」
その自信ぶりと興味に背を押されて、幾名もが動き始めた。後は、もう勢いである。話に乗らぬ方が憶病に見えると思えば、誰もが動かずにいられない。賑やかに準備が始まった。
白エルフは、呼称通りに氷のような沈黙のまま、飛行服の前を閉めて応諾を示した。もう控室から出ようとしている。
その背中に挑発の一言を放とうとしたところで、ムートは肩を叩かれた。
振り返れば、黒毛のコボルトが一頭。複雑な顔で彼をみている。
「なんだい。あんた、マグマだったか」
黒毛の操縦士は頷き、彼に言った。
「気をつけろ。あいつは……魔女だ」
「なに?」
「魔女なんだ。背中にも目をつけている」
(中編へ続く)