短編集:九人の白エルフ   作:芝三十郎

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氷と呼ばれた女 中編

前編から続く。

 

 

 上下二枚の翼をもつ戦闘機が、駐機場に列を成している。機種は全て同じ。キャメロットから輸入された単座戦闘機、ジュピターである。

 

 そのうちの二機に、アイスことヘルヴェア・オストエレン少尉と、ムートことフェリクス・フォルカー中尉が乗っている。周囲に群がる整備員は全員がコボルトで、茶や黒の毛皮姿が忙しく動いている。

 

「まわせ!」

 

 ムートが剥き出しの搭乗席から指示すると、整備員の一頭が木製二枚翼のプロペラにとりつき、勢いよく回す。二度目の回転で、金属と布でできた機械が命の火を宿した。プロペラが高速で回り始める。機首の周囲に張り付くような星型九気筒エンジンが勇ましい音を発する。

 

 排気がムートの顔面を直撃する。目はゴーグルで、他の部分は毛皮で守られているが、熱気は皮膚にまで伝わる。ガソリンが燃える臭気が鼻をつく。その臭い、その熱さに、コボルトの胸は高揚する。

 

 右を見れば、アイスと呼ばれる女の機体も、無事に始動したようだった。搭乗席に見える白エルフは、革のヘルメットと飛行ジャンパーを着こんだ姿で『異常なし』を手で合図している。

 

「いくぞ!」

 

 エンジン音に負けぬ大声で怒鳴ると、機体を前進させ、滑走路へと向かう。エンジンと共に始動した搭載無線機が、管制官の声を彼に伝える。

 

<あー、ムート。訓練空域までの経路は……>

 

「承知してるさ」

 

<本当に教官が許可したのか? あんた、初日なんだぞ>

 

「昨日までキャメロットで飛んでたんだ。違うのは塗装だけさ。早くここに慣れろってよ」

 

<本当だろうな>

 

「気になるなら、電話で確認してくれ。会議中に呼び出されて、ご機嫌に教えてくれる」

 

<毒蛇の相手はごめんだ。離陸を許可する>

 

「了解。ありがとうよ」

 

 そう言って滑走路に進入。眼前でうなる星型エンジンは快調である。みるみる加速して、金属枠に布を張った上下二枚の翼に揚力を与える。やがて重力が消え去り、コボルトと戦闘機は大地の束縛から放たれた。

 

 高度をとってから基地上空をゆるやかに旋回すると、間もなく白エルフの機体も上がってきた。彼が乗っているのと同じジュピター戦闘機が、滑らかに右後方につける。当代の編隊飛行の定石通り、翼が触れるかと思うほど緊密な隊形。そうでありながら、長機であるムートから見えやすいよう、程よい角度を開いている。

 

 ムートは左手を掲げ、その形で白エルフに合図を示す。同時に無線機の回線を切り替え、白エルフと彼だけの周波数に合わせた。

 

「アイス、こちらムート。聞こえるか」

 

「アイス。感度良好」

 

「そのまま俺の尻について来い」

 

「了解」

 

 毛皮ゆえに手袋のいらないコボルトの手が操縦桿を引くと、機首が上がり、機体は上昇を始める。薄い層雲を突き抜け、上空に――彼のいるべき場所に出た。高度が上がるにつれ、空は僅かに紫色を帯びていく。彼はその色が好きだった。

 

 すかさず斜め後方を振り返る。追従する白エルフが、雲に入る前に僅かに距離を詰め、抜けると元の距離へ戻ったことが分かった。

 

 やはり、気が利いている――と、そう思わざるを得ないが、口には出さなかった。

 

「訓練空域に向かう」

 

 彼は短く告げ、緩やかに旋回を始めた。

 

 空中の道筋は、全て頭に入っている。それに風を考慮して、彼はとるべき針路と速度を計算する。球技に慣れた者が、ボールを投擲する前に、それが辿るべき放物線を思い描くように、彼は想像する。目の前に広がる空に、機体を乗せるべき線があらわれる。

 

 ムートの右手、その力の変化が握りしめた操縦桿へ、その先のケーブルを通じて機体の各所へ、そして大気へと伝わる。空気抵抗の変化が、機体の姿勢を変え始めた時、ムートの指は当てた舵を心持ち緩めている。

 

 機体は空気の波間を泳ぐ魚のような滑らかさで飛翔する。久々に飛ぶオルクセンの空を楽しみながら、視線を周囲と計器へ絶え間なく走らせる。

 

 機体の速度、滑り、傾き、回転。加減速に上昇と降下、それらを常に把握している。決して、何か一つに集中してはならない。かといって、注意散漫では、無論ない。飛行機自体が自分の身体の延長であるかのように、彼の感覚は拡張している。

 

 何ということのない飛行の中に、無駄のない滑らかさがある。大鷲から空の王者の地位を奪った布とジェラルミンの塊が、空と風とに調和して、生き物に似た躍動感と、そっけない美しさを放っている。

 

 やがて、彼の飛行感覚が本領を発揮すべき場所、訓練空域に辿り着いた。直ちに僚機に告げる。

 

「一分後に始めるぞ。実戦のつもりで来い。撃墜判定は二秒だ」

 

<アイス、了解>

 

 斜め後方から聞こえる風音が変わり、気配が去っていく。所定の距離をとったところで旋回。彼は東、白エルフは西側にまわり、差し向かいになって訓練を始める手はずだ。

 

「さあて、アイスさんよ。ひとつ、手並みを――」

 

 みせてやる、という言葉は、風にかき消されるまでもなく消えた。

 

 正面に豆粒のように見えるはずの僚機――否、敵機がいない。

 

 ただ、雑音まじりの宣告だけが届いた。

 

<……開始する>

 

 その声の冷たさに、ムートの総身は粟立った。

  

 

 急襲だった。

 

 必死の索敵で見つけた敵機は、確かにムート機の正面にいた。ただし、かなりの上方。太陽を背にし、降下しつつ突っ込んでくる。

 

「早速かっ……!」

 

 直進を即座に打ち切り、機体を横に滑らせる。次いで旋回に移る。出力は既に全開だ。

 

 しかし、敵との距離は瞬く間に縮まる。

 

 敵機は高みからの降下で増速しているのだ。エンジンだけの力では逃げられない。

 

「ちっ!」

 

 急旋回で敵機の軸線を外そうとする。だが右上の遠方に見える敵機の姿は、真正面のままだ。彼の動きを読むように針路を調整し、完璧に軸線を合わせて揺るぎもしない。

 

 そして速い。ますます増速し、見慣れた機影が大きくなっていく。彼は無線に叫んだ。

 

「よせ! 衝突するっ!」

 

 しかし、白エルフは進路を変えない。否、彼の旋回に合わせ、完璧な衝突軌道を保っている。

 

 ムートの上半身から血の気が引く。まさかと覚悟を決めかけた時、敵機は途端に横滑りした。轟音とともに彼のすぐ脇を通り過ぎ、そのままの勢いで降下していく。

 

<撃墜、一>

 

 急速に遠ざかる敵機からの通告に、彼は舌打ちした。

 

「馬鹿野郎! 何しやがる。上からなんてナシだ!」

 

 規則違反だ、と続けようとして、彼は言葉を呑み込んだ。想像通りの応答があった。

 

<実戦のつもりで来いと言われた>

 

 淡々とした回答に、彼は口を歪めた。鋭い牙が露出し、口内に向かい風が吹き込み、排気が舌に不快さを残す。

 

「上等だ、てめえ!」

 

 見れば、敵機は降下してかなりの距離を取っている。実戦であれば、彼を仕留めた後、さっさと戦域を離脱していく恰好だ。しかし、訓練は燃料がある限り続く。

 

「一撃離脱か。どこまでも実戦のつもりだと。舐めやがって。今度は、そっちが不利だろうが!」

 

 今は彼の方が敵を見下ろす側だ。いつでも高度を速度に変換できる。

 

 大遠方で旋回を開始したヘルヴェア機、その頭を押さえるべく、ムートは進路を変えた。

 

 敵に高度を取り戻す時間は与えない。あの生意気な白エルフが望む通り、徹底的に叩きのめしてやるまでだ。

 

 白エルフは距離をとって防勢に移るかと思ったが、放胆にも進路を変えず、高度回復を優先したようだった。

 

 急速に距離がつまる。思惑通り、ムート機は敵機のやや上方、進路上を抑えることができた。

 

 そのまま正面に敵を捉えようとする。指を引き金にかける。無論、機銃に弾は入っていない。

 

 搭載の七・七ミリ機関銃は二挺あり、彼が乗る操縦席、その左右に据えられている。もっとも狙いやすい、搭乗員の真正面に据えるプロペラ同調式機銃ではない。敢えて現代の主流を採らないのは、このジュピターが昼夜間戦闘機であるためだ。真正面に機銃を据えると、夜間射撃の発砲炎で至近で目にすることになり、数秒ほど視力を失ってしまう。だから狙いの悪化を許容して、敢えて左右に据えるのが、性能より汎用性を取ったジュピター戦闘機の特徴だった。

 

 敵機はますます近づき、射程に入ろうとする。しかし、照準を合わせきれないまま、高速ですれ違う。敵機の操縦席で緑のスカーフが揺れているのが見えた。その持ち主は、彼の存在を無視するように、進路上だけを見据えているようだった。

 

「ふざけろっ!」

 

 ムートはすれ違いざま、斜め上へ抜けるように機首を上げ、弧を描いて飛んだ。空中に仮想の樽を想像し、その胴をなぞる螺旋の機動。それで速度を殺しつつ、敵の旋回半径の内側へと切り込んだ。

 

 ヘルヴェア機の背面が彼の視界に入る。間もなく照準線に接する。指先に力を込めようとした瞬間、敵機は機動を変えた。

 

 歯を食いしばって目で追えば、敵機は機首を落としながら急旋回している。ムートは追随を試みるが、敵機はその動きを見越したように大きく横滑り。照準から遠ざかる。

 

 操縦席に見えるのは白エルフの背。彼の方には目もくれず、ずっと正面を向いている。飛行中は忙しく周囲を見回すのが当然なのに、後ろに付かれて、振り返らないのは異常だった。それで的確に軸線を外してくる。

 

「あいつっ」

 

 あまりにも巧みすぎた。操縦士の技量は、過去に飛んだ時間の長さに比例する。少尉に過ぎない白エルフは、本来、戦闘機を飛ばすだけでもやっとのはずだ。それなのに、初めて対戦する彼の機動を、見るまでもなく読んでいるようだ。

 

 さもなくば――あの、マグマとかいう操縦士は、何と言っていたか。気をつけろ。あいつは、背中に目をつけている。

 

「そんなことがあるか」

 

 ただ一つ、小さな可能性が脳裏に浮かびかけるが、敵の新たな機動にかき消された。

 

 ヘルヴェア機は機首を右に振って旋回し、かと思うと左に切り返す。彼も追随する。ジグザグ機動を繰り返し、両機は速度を殺していく。それが狙いだ。切り返しが遅れた敵に、自機をわざと追い抜かせ、背後を奪う戦法である。

 

 両機の機体性能は等しい。後は切り返しと、失速寸前までの減速に挑む技量と度胸の勝負である。

 

 利はムートにあった。ジュピターに乗ってきた時間の長さが物を言う。前に押し出されることなく背面を追い続ける。しかし、ヘルヴェア機の切り返しの速さに、照準はできないままでいる。

 

 ジグザグ機動を続ける敵操縦士は、やはり一度も振り返らない。

 

 小さな可能性が浮上する。それを否定するため、彼は仕切り直しを即断した。

 

 捉えきれない追随を打ち切り、思い切って旋回。太陽方向へ機首を上げる。太陽側への再配置だ。やや高度をとったところで半旋転。敵機の進路と交差するように機首を向け、有利な体勢をつくる。

 

「避けてみろ、アイス!」

 

 僅かに稼いだ高度を活かし、降下気味に近づきつつの再攻撃。初撃の返礼でもある。だがコボルトの意識は、照準には無い。

 

 自分のゴーグルの上、額に意識を集中する。常の飛行なら、あり得ない話である。一点に過集中してはならない。だが、彼は敢えてそうした。更に集中する。左右も、計器も見ない直進。そして、その音が聞こえた。

 

――キィン……

 

 彼の驚愕と、敵の進路変更は同時だった。彼の接近とは逆方向へ鋭く旋回し、距離をとる。彼は即応できない。敵の離脱を許してしまう。

 

 距離を取った敵は高度を回復し、彼と同高度まで登って、不利を帳消しにした。

 

 それに対応せねばならないが、ムートの内心に嵐が吹いている。操縦桿を握る右手が震え、慌てて左手で抑える。

 

 彼の集中は、いまだ額に向いている。再び音が聞こえた。

 

――キィィン……

 

 敵の機動が変わる。彼の進路と交差し、機首を切って背に回り込む旋回。全ての状況を俯瞰しているかのような、素早く正確な判断。その正体を、彼はついに認めた。

 

 必死に離脱しようとするが、完全に出遅れてしまっている。額への過集中が原因だ。ヘルヴェア機は鋭く切り込み、彼の背後についた。

 

<撃墜、二>

 

 死の宣告を終え、敵機は悠々と離脱していった。やはり彼には目もくれない。その必要がないのだ。白エルフは目を使わずに彼を見ている。

 

「魔術探知! 飛びながらだと......」

 

 見えざる波を空間に飛ばし、その反射を感じて敵を見つける魔術は、エルフとコボルトの一部だけが使える古代の技だ。それを航空機から行うという発想は、とうに断念されている。

 

 精神力が持たないのだ。魔術波を発し、感じるには、意識の集中が必須。それを操縦中に試みて、かつての陸軍航空隊では墜落事故が続出した。操縦中に意識を別に集中するのは自殺行為だった。

 

 また、電話や無線の発展に反比例するように、コボルト族全体から魔術力が減退しつつあった。高い魔術適性の持ち主は、専門の偵察機部隊に集められ、複座機の後席に乗ることになった。

 

 それでも、大鷲より高速で高高度を飛ぶ軍用機で、剥き出しの搭乗席は過酷だ。適性が高い者でさえ、一度の飛行で三、四回の魔術探知が限界だった。

 

 まして、単座戦闘機を操縦しながら魔術探知を使うなどは、あり得ない。オルクセン空軍の常識が、彼にそう告げている。だが、それはコボルト族の常識に過ぎない。

 

 遠ざかり、旋回した敵機から、再び音が響く。

 

――キィィン……

 

「白エルフ……!」

 

 全種族中で最良の魔術適性をもつ種族。その魔術の力が、現代技術の結晶に搭載されて、彼を狙っている。

 

 いま三度目の攻撃をかけるべく向かってくる敵機こそは、目視以外の探知手段を搭載した、世界で唯一の戦闘機に他ならない。

 

「魔女めっ」

 

 機体を横滑りさせ、ヘルヴェア機の攻撃軸をかわす。しかし、やや遅れている。魔術波の感知に意識をとられながらでは、いつもの技量を発揮できない。

 

 後ろについた白エルフ機を振り払うべく、彼は操縦桿を傾ける。小半径の螺旋を描きつつ降下。

 

 高度を犠牲にし、何としても敵から離れようという、最も防御的な機動だ。それを選んだのは、無意識の怯えであったかもしれない。

 

 急速な回転が平衡感覚を痛打するが、逆落としの螺旋は続く。操縦するムートに、後ろを振り返る余裕はない。しかし、音は続いている。

 

――キィィン……キィィン……

 

 ほとんど連打する魔術波。敵の術力は底なしだ。危険な空戦機動を続けながら、魔術への集中を保ち続けている。その信じがたい精神力と自制心に、ムートは総毛立つ心地だった。

 

――キィィン……キィィン……

 

 ますます近づく不快な音は、彼の心臓に迫る死神の囁きだった。血が冷える。戦闘の高揚を、言い知れぬ恐怖が吹き飛ばす。機動は鋭さを失い、また背後を許した。

 

<撃墜、三>

 

 最善の防御機動を打ち破り、敵機はまた離れていった。彼も降下をやめ、機体を立て直す。

 

「何て奴だ。アイス」

 

 計器に目をやれば、燃料の残りは多くない。あと一度の交戦が限界だろう。現状は零対三の完敗である。このままでは引き下がれない。

 

 しかし、視界の外でも常時追尾できるような敵と、どう戦えばいいのか。勝ち目はどこにあるのか。

 

「……でも、種は見えたぞ。連打してると分かりゃ、聞こえなくても一緒だ」

 

 彼は魔術への意識を切った。全ての意識を、周囲の空間と操縦へ戻す。

 

「諦めねえぞ」

 

 互いに息を合わせたように、両機は同高度で差し向かう。みるみるうちに接近する。

 

「ああ、負けてたまるか。俺が学んだことは。教官……!」

 

 敵機の機首が大きくみえる。彼は機体を横滑りさせて急旋回。敵の後ろに回ろうとする。敵はそれを見越して、機首を上げてから旋回し、彼の後ろについた。

 

 彼は、離脱しない。背後についた敵の照準を間一髪で逸らしながら加速。敵は有利を確信しているに違いない。乗じる隙があるとすれば、そこだ。

 

 突如として機首をあげ、宙返り。その途中で右向きの横転を加える。大戦時、一人で三個師団に相当すると称された、アスカニアのトップエースが発明した空戦機動だ。

 

 横転を終え、水平を取り戻した機体は、一瞬前まで後ろにいた敵機の、さらに背後を奪っている。彼我の位置を即座に入れ替えて、攻防を逆転する妙手である――はずだった。

 

 無防備な背を晒しているべき白エルフの機体は、逆にムート機へ差し向かいになっていた。ムート機の動きに合わせ、敵機もその場宙返りで合わせたのだ。

 

「だろうなッ」

 

 正面から運任せに撃ち合う愚を避けて、ムート機は旋回。

 

 敵はまた追随し、すかさず後ろにつく。こちらは終始劣勢、敵は常に優勢。四度目の撃墜をとるべく、照準に集中し始めたに違いない。

 

 ムートは加速する。彼我の性能は同等で、引き離せるはずがない。それでも、限界まで加速。

 

「来いよ、アイス!」

 

 敵が撃墜の二秒を数え始めたと確信し、彼は再び機首をあげた。

 

 今度は宙返りも、横転もしない。急角度の上昇。出力は全開のままだが、速度は急速に低下する。布張りの翼が震えだす。

 

 機体がほぼ直立し、操縦桿が軽くなる。機首が勝手に落ちようとする。我知らず、コボルトの口角が上がる。

 

 機体が揚力を失って落ちる、失速の寸前。その瞬間を見定めて、ペダルを蹴り飛ばすように踏みこんだ。

 

 機体は翼から風を失った。舞い落ちる木の葉のように力無く、しかし素早く横転しつつ落下する。天地が逆転し、平衡感覚が悲鳴をあげる。

 

 墜落同然の旋回は最短の弧を描き、翼に僅かな揚力を与えた。彼の眼前で、敵機がふっと前へ流れ、無防備な背中をさらした。

 

 すかさず機体を立て直して追随。直ちに照準を合わせる。懸命の二秒が過ぎた。

 

「撃墜、一! 撃墜、一だ!」

 

 両機は離れ、それぞれに立て直して水平飛行に戻る。彼は荒い息で呼びかけた。

 

「は、はは。どうだ、アイス! 尻を蹴飛ばしてやったぞ」

 

 応答は、すぐにあった。

 

<アイス、了解。我、残燃料、乏し>

 

「……ふん。そんだけかよ。了解だ。訓練終了」

 

<アイス、了解>

 

 ヘルヴェア機は滑らかに彼の斜め後ろにつき、追随の体勢を示した。

 

「帰投する。着いてこい」 

 

 また了解を受け取って、彼は緩やかに旋回。基地への進路に乗せた。

 

 ようやく、呼吸が落ち着いてきている。しかし彼の身体は、上空の寒さを忘れるほどに熱い。高揚のまま、後ろをついてくる白エルフに呼びかける。

 

「三対一だったな。こん畜生め」

 

 返答は淡々としていた。

 

<二対一だ>

 

「はあ? だってお前.....」

 

<最初は、上から一撃離脱だった>

 

「ああ」

 

<あれはナシだと言われた>

 

 確かに彼はそう言った。嫌味かとも思ったが、白エルフは、どこまでも律儀なだけであるらしい。

 

「ふっ……ふはは、はっはっは! 馬鹿野郎、完敗だ、この野郎!」

 

 いっそ痛快なほどの負けを認めて、彼は悪くない気分だった。

 

<野郎ではない>

 

 白エルフの返答は、今までになく、僅かな不満をにじませていた。 

 

「ふっ、ふへへ。この糞真面目が。参ったよ。教えを乞うのは俺の方だ」

 

<私も教えて欲しい>

 

「謙遜するな」

 

<謙遜ではない。最後の機動。あれは何だ? 失速したように見えた>

 

 コボルトはニヤリと笑った。

 

「あれか。どうしようもなくなった時にやる、最後の手だ。わざと失速して旋回するんだ」

 

<無謀だ。死ぬぞ>

 

「ああ。でも、戦わないで諦めるより、ずっといい」

 

<名前は?>

 

「――――っていうんだ」

 

<何だって?>

 

「キャメロット語で『最後の塹壕の機動』ってんだ。もう後ろに下がれない、腹を括れってことさ。意味としちゃ『悪あがき』ってとこだな。それも教官が教えてくれた」

 

<尊敬しているんだな。その人間を>

 

「当たり前だ。技術だけじゃない。大事なことを教えてくれた。

 

 あの人は言ってた。大戦では、いくら強くても、先に諦めた奴から死んでいったって。生きて帰ってきたのは、どんなに劣勢でも諦めないで、あがき続けた奴だけだったと」

 

<……気に入った。もう一度、名前を>

 

「ああ、いいぜ。滅多に使うもんじゃないけどな」

 

 ムートは汗を拭った。右後方につけている白エルフの顔を見返す。小さく見える白磁のような頬が、わずかに紅潮しているような気がした。

  

「ラスト・ディッチ・マニューバーだ。絶対に諦めない、大馬鹿専用の機動さ」

 

 直線飛行に移った。向かい風と排気が、コボルトの毛皮の顔を叩く。喉はカラカラだ。排気を吸い込みすぎ、鼻の奥がツンとする。

 

 最高の気分だった。

 

 

 

(後編へ続く)

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