後編を中・後編の2つに分け、読みやすくしました。
(中編から続く)
やがて、帰るべき基地が近づいてきた。土を突き固めた滑走路が小さく見える。
ムートは、首に巻いたスカーフで、汗ばんだ顔を拭う。剥き出しの九気筒エンジンから噴き出す排気にさらされて、コボルトの毛皮はすっかり黒くなっている。灰じみた油の匂いが染みつくようだ。
「ああ、負けた、負けた。シャワーは、控え室の奥にあったな?」
<ああ>
そう返答を得て、ムートはふと疑問を覚えた。
「そういや、お前は? 牝……じゃねえ、女用のロッカーとか、シャワーとか、何処にあるんだ?」
<別に。普通だ>
「なに?」
<着替えも、シャワーも。一緒にやってる>
厠はエルフには要らないと、そのくらいはムートも知っていた。それでも彼は目を剥いた。
「せめて、おい、衝立か何か、用意して貰えなかったのか?」
<最初はあった。今は無い>
「どうして」
<壊れた。私が訓練で同期に最初に勝った、次の朝からだ>
「……糞が。修理は」
<したよ。次の日には壊れてた。今はもう直してない>
「報告は」
<してない。軍隊というのは、そういうところなんだろう。教官も周りに合わせろと>
「なに言ってんだ、お前。馬鹿か」
<気にしない。士官学校も、ずっと似たようなものだった。種族も性別も関係ない。私には>
「どうして、そこまで……」
ヘルヴェアからの返答はなかった。斜め後ろを飛ぶ女を見返しても、ゴーグルと革ヘルメットに隠された顔からは、何を読み取ることもできない。
ただ、操縦席で夕日に照らされる女の姿が、ムートの記憶を刺激した。
「知らんだろう。キャメロットにはな、人間の女だけの空軍があるんだ」
<…………>
「王立婦人空軍っていうんだ。人間でも、女はふつう、軍隊には入れないんだが。大戦で、男がどんどん死んだからな。整備士も操縦士も、みんな女だ」
<それなら、分かるだろう。白エルフでも、女でも、コボルトと同じにやれる>
「だけど、あれは女の空軍だった。みんな誇りを持って。女も男になれっていう組織じゃあなかった……お前は、よく諦めなかったな。平気なのか。本当に氷みたいな奴だ」
<平気……>
そこで白エルフは言葉を切らした。無線の不調を疑ったが、続きはすぐに来た。その声は全くの平静だった。
<当たり前だ。私は、ベレリアントの
そこで、彼は思い当たった。十年近く前のことだが、有名な話ではあった。
「お前、あの白エルフか。ラピアカプツェの」
<……そうだ。もう、何も諦めたりはしない>
ムートは話に聞いていた。ラピアカプツェ大学に入った九人の白エルフは、異種族の同級生たちから執拗な嫌がらせにあった。それを大学当局に訴えたせいで、逆に自分が退学させられた者がいたのだと。
「……ああ、そうかい。お前は、そういう奴なんだな」
滑走路が近づく。ムートは白エルフに手信号を送り、管制官を含む周波数に切り替えた。
「着陸するぞ」
降下するとき、ヘルヴェア機の反応はごく僅かに遅れた。
◆
着陸した二名は、真っ黒になった顔で、控え室に戻った。
待ち構えていた他の操縦士たちが、次々にムートに声をかける。
「さすがだ、キャメロット帰り」
「あいつから撃墜を取ったのは、近頃じゃ、あんただけだ」
「一発、かましてやったな。ひひ、味の方はどうだったい」
ヘルヴェアに声をかけるものは誰もいない。彼女は自分のロッカーに向かった。
「…………」
ムートもまた、周囲の全てを無視し、シャワー室に直行した。毒気を抜かれた同期たちが唖然としていると、すぐに出てきた。
手に、割れた戸板を持っている。シャワー室の奥に置き捨てられていたものだ。
「おい。こいつを壊したのは誰だ」
他のコボルト達は顔を見合わせている。
「誰がやったかと聞いてるんだ」
「誰ってお前……」
「ムート、なに言ってんだ」
「お前はコボルトじゃないか」
ムートの声が凄みを増す。
「うるせえ。質問に答えろ」
黒毛の操縦士、マグマが剽げた笑いをみせた。
「へへ、そいつに一発やって、気が移ったってえのか。色仕掛けでも、かまされたか。こう、毛のない尻でも振って……」
言い終えるよりも早く、マグマは吹き飛ばされた。その背がぶち当たり、ロッカーの木戸が割れた。
ムートは拳を握りしめ、鋭い牙をみせている。大喝する。
「てめえら、いい加減にしやがれ!」
殴られた方も黙ってはいない。周りの連中もだ。
「やりやがったな!」
「このキャメロット野郎!」
「生意気な!」
何頭もがムートに殴りかかり、蹴り返され、掴み合いになる。
「よせ、私闘は。まずいぞ」と止めようとするコボルトがいる。しかし「邪魔するな!」と殴られ、逆上して殴る方にまわる。
「痛え、やりやがったな」
「てめえこそ!」
室内は戦場のように騒然とした。もう誰と誰が喧嘩をしているのかも分からない。
ひとり立ち尽くすヘルヴェアは、冷静に見えたかもしれない。その実は、唖然としていただけのことだ。彼女の目と耳は、ただ一頭を追いかけている。
罵声と破壊音の中で、白エルフの耳は、ムートの叫び声を聞き分けた。
「馬鹿野郎、この野郎! 仲間のことを、何だと思っていやがる!」
そう叫んでは、手近な者に掴み掛かり、殴り、殴られては立ち上がる。そのコボルトの姿を追ううちに、その室内の様子が、ふと、ラピアカプツェ大学の食堂のように見えた。
机に突っ伏して泣く白エルフを庇い、もう一人の白エルフが叫んでいる。
「誰だ、やったのは誰だ! お前か、お前か!」
暴力の被害者自身よりも怒り、荒れ狂っていたのは、彼女の一番の友だった。その姿が、声が、またコボルトのものに変わった。友とは似ても似つかない声で、コボルトの牡は叫んでいた。
「誰だ、誰が壊しやがった! 馬鹿野郎、この野郎」
今度は噛みつく、投げ飛ばす。大暴れする飛行服姿が、次第に滲んで見えてくる。
「この弱虫ども。それでも操縦士か!」
その怒鳴り声に打たれたように、ヘルヴェアは身を翻した。果てしなく続く乱闘に背を向け、室外にでる。
廊下を速足で歩く。することは決まっている。間も無く、教官が帰ってくる頃である。報告するのだ。これまでの何もかも。たとえそれで、何を失うことになろうとも。
恐れも躊躇いも、もう彼女から失せていた。自分ではなく友のためなら、迷うことは何もない。彼女は遂に駆け出した。
◆
その翌日。
ヘルヴェアの出勤は昼からだった。昨夕、教官に夜間訓練を命じられたため、遅番なのである。
彼女が入ると、控え室には金槌とノコギリの作業音が響いていた。
あちこちに湿布を貼ったコボルトたちが、壁やらロッカーやらを直しているのだ。
その異様な様子を眺めていると、ムートが彼女に声をかけた。
「よう」
見れば、ムートは恐ろしく不機嫌な顔で釘抜きを使い、穴の空いた床板を外そうとしている。
「…………」
無言で問いかけた彼女に、ムートはやはり不機嫌な声で答えた。
「あの後、教官にめちゃくちゃに絞られた。お前以外、全員だ」
「……これだけ壊せば、当たり前だ」
控え室内は、襲撃を受けたかと思うほどの惨状だ。コボルトは魔種族の中では非力な方だが、それでも思い切り暴れれば、こうもなる。
「修理が終わるまで、お前以外は、給食から肉抜きだ。俺の飛行も禁止」
「自分たちで直せと?」
「こんなことで基地隊の世話になったら殺す、とよ」
「……手伝わないぞ」
「頼んでねえよ」
作業を再開したムートに背を向けて、自分のロッカーに向かう。
その進路に、黒毛のコボルトが立ちはだかった。マグマであった。
彼女をぎょろりと見上げている。
「お前のロッカーは、もうそこじゃねえ」
「…………」
「あっちだ」
そっぽを向いたコボルトの視線の先は、部屋の片隅である。そこだけ間仕切りで囲われて、簡易な戸がついている。
「出来が悪けりゃ、文句は教官に言えよ。俺も手伝いはしたけどな……禿げた尻なんか、眺めたって面白かねえからよ」
マグマは、横を向いたまま、そう言った。
その顔を冷たく見下して、ヘルヴェアは応酬する。
「負け惜しみだな。私の尻を拝みたけりゃ、上空でやってみろ」
「何だと、この野郎」
マグマが睨んだ時には、もう女は身を翻し、最後の追い打ちを放っている。
「下手糞に晒す尻はないけどな……フフッ……」
マグマは絶句した。彼だけではない。ありうべからざる音を聞いて、控え室中から視線が集中する。
白エルフの背中は、その全てを無視した。
素人臭い間仕切りの奥に入り、自分のロッカーからタオルを取ると、飛行服のままシャワー室へ消えていった。
コボルトたちは顔を見合わせたり、耳をほじったりしている。
きっと、喧嘩のせいで、壁に穴でも空いたのだろう。さっきのは、隙間風が吹いた音に違いない。
ヘルヴェアが足を踏み入れたシャワー室には、誰もいない。午後の訓練前だからだ。出勤したばかりの彼女とて、排気で汚れてはいない。それでも今は、直ちにシャワーが必要だった。
シャワー室の最奥に、真新しい木の衝立があった。壁際の一か所だけを区切っている。
蝶番のついた戸板を押して中に入る。手早く飛行服を脱ぎ去り、籠に入れた。
蛇口を捻る。降り注ぐ大量の水は、すぐに温度を帯びた。背後で、戸板が自然と閉まる音がする。
前と右は壁。左と後ろは木の衝立で、すっかり取り囲まれている。
狭い。とても狭い。牡たちが使う周囲と彼女を隔てるものは、薄い板のみ。並の白エルフなら、悲鳴をあげて逃げだすだろう待遇だ。
それでも、そこは彼女の場所だった。もう脅かされることはない。
熱いシャワーが身体を打つ。古い傷のカサブタが、はがれて流れ落ちていく。
「……フフッ……フフフッ……」
湯よりも熱いしずくが閉じた瞳から溢れ、湯と混ざって頬を伝う。溢れに溢れて止まらない。
その熱さを感じつつ、両腕を交差して、自分自身を抱きしめた。
彼女は、ここにいてもいいのだ。
『氷と呼ばれた女』
おわり
(九人の白エルフ 次話『革命の種子』に続く)
(ヘルヴェア・オストエレン個人の物語は、
『ラスト・ディッチ・マニューバー』(未投稿)
『スターシーカー』
『ランデブー』
『女王陛下のヴァナディース号』へ続く)
お読み下さり、ありがとうございました。
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