「……こいつは、ひどい」
ドワーフの長老は、ぼそりと言った。その周囲のドワーフたちは、元から低い背が更に低くなったようだ。
彼らとミリャネル、ブレンターノが見渡す広い畑で、麦は赤みを帯びた黄金色に変わっている。収穫は間近だ。しかし、畑を埋める麦の半ば近くもが、地に倒れて伏している。
ドワーフの助役が青ざめた顔で言った。
「一昨日からの大風のせいです。よく実っていたもんだから……」
倒れずに生き残っている麦は、もうドワーフたちより背が高い。白エルフのミリャネルの頭ほどに達している。その辺りに多くの穂がつき、豊かに実って垂れている。その重みを背負った茎が、風に負けてしまったのだ。
ミリャネルは、誤りを認めざるを得ない。科学者は事実に抗えないのだ。
「すみません。私の見込み違いです。試験場では、ここまでの風はありませんでした。しかし、ここでは……」
最後まで言い終えることはできなかった。助役をはじめ、ドワーフの農民たちは口々に言った。
「滅茶苦茶だ」
「何が改良だ!」
「白エルフの言うことなんて聞くから」
わけても声を怒らせ、張り上げているのは、自らも新品種を強く推していた助役である。期待が大きかっただけ失望も大きいのか、あるいは責任が自分に及ぶのを避けたがっているのかもしれない。
「一体全体、これを、どうしてくれるんです」
「申し訳ありません。契約通り、先に決めた通りの代金で買い上げさせて頂きます。村が暮らしに困るようなことは」
「先のことを言ってるんですよ。去年と同じ稼ぎじゃ、村の若いのは、これからも南部へ出稼ぎにいかなきゃいけない。それで何名も戻ってこなくなるんです。ヴィッセルの工場で働いた方が儲かるって。村は、ますます先細りだ。ねぇ、あなた。これを一体……」
「大きい声を出すな」
制したのは長老だった。その一言で、皆は水を打ったように静まった。
「何も変わらん。新しい麦が駄目でも、昔のままの麦がある。儂らは死ぬまで、ここで畑をやるんじゃ。ここを離れたら生きてはいけん。
儂らの畑を奪っておいて、戦争に負けたら逃げ出していった連中とは違う」
それがこの村の歴史だった。ドワルシュタイン王国がエルフィンドに攻められて滅亡した時、この村も一度滅んだ。ドワーフ達はオルクセンへ逃げ、かわりに白エルフが入植してきた。ベレリアント戦争でエルフィンド王国が敗れると、その逆のことが起こった。
村を追われてから百二十年を耐え、一族を率いて生まれの土地に帰還したのが、この長老であった。耐えることに慣れきった老翁の顔は、岩のように頑なである。
「ここで働いて、畑をして、ここで死ぬ。貧乏が嫌なら、オークの二倍働くまでじゃ」
その堂々たる宣言に、他のドワーフたちは諦めたような顔になった。明るい未来などないのだと、そう認めたように肩を落としている。
「ほ、ほほ」
上品に笑ったオークの老教授は、にこにことして言った。
「長老どの、まこと立派なお覚悟ですが、心忙しいことじゃ。短気は損気。そう急ぐことはありませんぞ。何も失敗してはおらんのです」
ブレンダーノは、平然としている。
「ほ、ほ。なにせ、この品種ではうまくいかんと、そう分かったのです。これは大きな収穫です」
唖然としていた助役が、ようやく言った。その声は怒るというより、呆れているようだった。
「ブレンターノ先生、この有り様で、よくそんなことが……」
「なあに、相手は風だ、土だ。生き物ごときが、早々に勝てるような相手では、ありませんぞ。自然の大きさ、手強さを一番知っておるのは皆さんでしょう。もっと、もっと改良すればいい」
「できますか、そんなことが。先生」
オークは、にやりと笑った。
「できるかどうか、我が農事試験場で一番の技師に聞いてみましょう」
ドワーフたちの視線が白エルフに集中する。
息が詰まる思いがしたが、ミリャネルは口を開いた。そんなものに科学が屈してはならない。そして彼女は、戦う理由を持っている。
「できます。次は穂の数だけでなく、茎を強くするように。雨にも風にも負けない、オークの村にも負けない、この村に向いた新しい小麦を作ってみせます」
ブレンターノは頷き、ドワーフの長老に向けて言った。
「そういうことです。お怒りの段はごもっとも。なればこそ、この村に恩をお返ししたい」
長老は、村民たちの顔を見回してから、言った。
「孫子らは、好きにさせてやりたい。それだけの収穫が欲しい。なにとぞ、お願いする」
ミリャネルの顔が喜色に満ちた。
「ありがとうございます! 必ず、この村のために」
「……タウレリンさん。儂には、ここしかない。命ある限り、この村を長らえさせたいんじゃ。故郷を離れて暮らしている、あんたには分からんかもしれんが」
「いいえ、よく分かります」
ミリャネルは長老の言葉を遮った。
「任せて下さい。必ず村の暮らしを守ってみせます。
これからは試験場じゃなくて、ここで交配をやらせてください。村を豊かにできる麦を、実地に作るためです」
ミリャネルはドワーフたちを見回した。かつて彼ら種族を駆逐した種族に属する女は、深々と頭を下げた。
「だから私を、村の一員に入れてください」
◆
契約を延長し、農事試験場の支場ということになった村で、ミリャネルは居着くことを選んだ。長老の屋敷の土地に、エルフの寸法に合った小さな離れ家を建て、そこで暮らし始めた。
そして、毎日畑に出た。リュックサックを揺らしながら歩く彼女の姿を、ドワーフ達が目にしない日はなかった。特に、小麦の開花する季節になると、白エルフはどの農家より長く畑にいた。無論、麦の交配のためである。
普通の育種家は、一期ごと数種類か、多くとも十数種類の交配しか行わない。そして芽が出た苗の成長を細かく観察して、最高の個体からとれた種子を次の年にまき、毎期の選別を繰り返す。望ましい形質を確実に伝える種子がとれるまで十年はかかる。
しかしミリャネルは、そんなに長くは待てなかった。星欧各地から一挙に数百種の麦を集めて、果てもなく交配を行った。
すべて手作業である。手術用のピンセットを使う。未成熟のおしべを小麦の花から取り除き、自家受粉を予防する。風でどこかから飛来した花粉が付着しないよう、油紙の袋で覆って、二日待つ。そして、その花のめしべに、親に相応しい他品種の花粉を、やはりピンセットで付着させる。この作業を一つ一つの麦に施し、日の出から日没まで続ける。
それでも時間が足りず、エルフの紅眼を使い、ひとりで夜間も作業した。家に帰る時間も惜しみ、交配時期には畑の側に寝袋を持ち込んで眠った。
他の季節には、ドワーフの農民に入り混じって畑仕事に精を出した。草取りも、追肥も、水路の整備も、農民がやることは全て彼女もやった。
彼女の同僚、オークの小麦技師は、ミリャネルの様子を見に来て仰天した。
「君、私たちは卑しくも博士と呼ばれる身ですよ。君のやり方は、品位を欠いている。計画案を作って、それを現場にやらせればいいんだよ」
ミリャネルは憤然とし、捲し立てるように言い返した。
「それだから、農民たちは私たち技師を尊敬しないんですよ。だいたい、正しいやり方をしらなくて、どうして指導ができるっていうんです? 農民たちが間違ったことを言ってきても、気づけやしないじゃないですか。
私は、やり方を変えます。農業は、この世で一番……っていうと角が立ちますけど、とっても立派で、大変な仕事なんです。農民と一緒になって努力しない限り、この仕事をやり遂げることはできません」
次の交配時期になると、ミリャネルの作業を手伝いたい、と申し出るドワーフがいくらも出た。彼女は喜んで、やり方を包み隠さず教えた。
こうして彼女は一年で八百個体、多い年には千を超える数の穂に交配を施した。
それでも飽きたらず、さらなる改革を思い立ったのは、村に居着いてから三年目のことである。
「ベレリアント半島に、もう一つ支場を作ります。私の育った村です。うんと涼しい高地で、春がくるのが遅いんです。
小麦の作付けも、収穫も、平地のモーリアより遅い。そのズレを使えば、ここで交配して出来た種籾をすぐに作付けできる。次の年を待たなくていいんです。
そうすれば、一年に二世代を育てられるじゃありませんか。長老が言ってた通りです。二倍働けばいいんだ!」
こうして彼女の交配する種子の系統は、一年の間にシルヴァン川を南北へ往復することになった。海抜がほぼ零のモーリアでドワーフたちが育てた小麦の種子を、ベレリアントの高度二千メートルにある畑で白エルフがまいた。
一年のうちに交配できる個体数は倍加し、少なくとも二千。有望な品種が多い年には六千もの穂が交配され、次世代に希望をつないだ。
ベレリアントの山間にへばりつくような寒村から、今年も馬車が村に戻ってきた。
その麦袋の口を開いて、ドワーフの長老は、しみじみと言った。
「で、これがベレリアントの……白エルフたちが育てて、とれた麦か。不思議なものじゃ」
「何がです?」
「一つの麦が、白エルフたちの畑と、いったりきたりしておるんだ。顔も見たことがないが。見たくもないが、そいつらと同じ麦を育てておるのかと思うと、儂は、ふと……」
長老は、しばらく黙って畑を眺めていたが、やがてミリャネルに向き直った。
「すまなかった。色々と心無いことを、あんたに言ったと思う。年寄りの戯言と思って、どうか堪忍してくだされ。タウレリン先生。この通りじゃ」
畦道に跪こうとする長老を、ミリャネルは慌てて止めた。
「やめて下さい。もう忘れましたよ」
「儂の気が済まん。ちゃんと詫びさせてくれ。うんと、どついてくれても……」
「もう! 住むところをくれてるじゃないですか」
「あんな離れの、掘っ建て小屋では駄目じゃ。母屋に住んでもらって、ちょうどいいくらいじゃ」
「お気持ちだけで! 私には狭すぎです、あの母屋」
長老は、口を曲げた。
「村じゃ、一番の屋敷じゃぞ」
「天井が低すぎですよ!」
長老は、だんだんと腹が立ってきたらしい。
「ドワーフの家なんじゃ。当たり前じゃろうが」
「もう言っちゃいますけど、ずっと中腰でいるの、大変なんですから」
「なんたる言い草じゃ! 二日にいっぺんは、晩飯を食いに来るくせに」
「それは感謝してますけど!」
「儂らの伝統の造りじゃぞ。どの種族の家より頑丈じゃ。儂の爺さんの家は、竜巻にも耐えたというぞ。大風が吹こうが平気じゃ」
「そっ――」
ミリャネルは絶句した。
途端、膝から崩れ落ち、あぜ道に倒れ伏した。
「あああぁ………うわああぁ……」
両手で頭を抱え、苦しむような声をあげる白エルフに、長老は狼狽した。
「ど、どうしたんじゃ。大丈夫か。医者を……」
案じる声は、耳には入らない。
「わ、私は……とんでもない馬鹿でした!」
畑に向けて叫んだかと思うと、元気よく跳ぶように立ち上がる。
「茎を太くするだけが、道じゃありません。背が低ければいいんだ!」
長老は唖然としている。ミリャネルは、彼にというより、畑に、空に、あるいは、この世界そのものに向けて叫んでいるようである。
「そうですよ、絶対そうだ。化学肥料をいくらやっても、背が伸びない小麦! 穂が重くても、それなら倒れない!」
「大きく育たんということか? それで、穂も実りも多いという……そんな麦があるじゃろうか」
「無いから作るんです! 背が低い形質の種子をみつけて、赤色八号と合わせて……そうだ、背が低いと光が通りにくいから、葉の向きだって、もっと……」
彼女の想念の中で、望ましい様々な形質が次から次へと浮かび、一つに合わさって形を成した。まだこの世界のどこにもない、奇跡のような麦。しかし、それを構成する特徴たちは、既に存在しているに違いない。世界は広いのだ。
「何処かには、あるはずです。探しますよ、見つけますよ。世界中、ひっくり返しても!」
膝にも肘も土をつけたまま、彼女は畦道を駆けだした。
(革命の種子④へ続く)