近ごろのヴィルトシュヴァインでは、街娼が増えた。
白エルフの企業経営者、カティエレン・タルヴェラがそう聞いたのは、路地裏の小さなバーでのことだった。
白エルフは種族全員が女で、タルヴェラも例外ではないが、身なりの良い男装をしている。
薄暗い店内は、客が四名も入れば肩が触れ合うほどの狭さだ。いま、客は彼女ひとりである。
「多いのよ」と告げたのは、その店主で、やはり白エルフだ。店自体、タルヴェラが持たせてやったものだ。
「街娼がな。ふん」
ただの娼婦なら、何の問題もない。大国の首都であるからには、星歴前からあるという職業には、需要も供給も常にある。
まして、オルクセン国民中で最多の種族であるオーク族は雌雄とも精力旺盛で、諸事におおらかときている。聖星教会の唱えるような喧しい性道徳は、オルクセンには無い。婚姻前の雌雄同士のことであれば、様々なことがあっても問題にならない。
とはいえ、得られる機会は平等ではないし、天然自然の欲望は、もし法で禁じても、本当に禁じられるものではない。
オルクセンには、王国時代から続く公娼制度がある。保健所に登録され、定期の無料健康診断を受ける、様々な種族の公娼たちがいる。
公に認められているとはいえ、己の娘に勧めたい職業だと思う親は普通、いない。それでも、他のあらゆる肉体労働と同様に、法に従って営業し、税金を納める仕事の一つであり、その労働者は安全と衛生が保障されねばならないと、漠然と信じられている。
それゆえ彼女たちの営業活動は、労働局の定期監査を受ける娼館に限定されている。他の場所で営業することはできない。
が、現実には、公娼登録をせず、娼館以外で営業する私娼が絶えない。公娼は公定価格でしか営業できず、一日に取れる客の数や、休養の義務など規制が多く、儲けが限られるためである。
私娼たちは、酒場や喫茶店、マッサージ店、ダンスホールなどに雇われる。酌婦やウェイトレス、マッサージ師や踊り子という建前だ。捕まるのは当の私娼ばかりで、店は取り分だけを取って知らぬ顔をしている。
店を持たない街娼は、私娼の中でも最も程度が低く、危険でもあり、風紀紊乱の最たるものとみなされている。
「警察が取り締まっているだろう」
と、当然のことを言うと、タルヴェラは、ごく薄めた蒸留酒を干した。
隠微な灯りに照らされながら、店主は、グラスを新しいものに交換した。
その右手は木製である。二股になっている手先に、グラスの細い柄を挟んでいる。手慣れたものであった。
しゃがれた低音で、店主は言う。
「追いつかないのよ」
「不景気だからな。世界恐慌ってやつだ。いつまで続くんだか」
タルヴェラの商売も、その煽りを受けている。昔はシルヴァン運河の建設、その少なからぬ部分を差配した程の彼女でさえ、いまのヴィルトシュヴァインでの建設事業は、ぱっとしない。受注合戦では競合他社を圧倒しているが、そもそも受注の総数が乏しく、しかも酷く安いのである。
あらゆる商品の売り値が下がり続けている。となれば、労働者の値打ちも下がる。娼婦が増えるのは道理だった。
ただ、それだけのことならば、店主が関心を持つはずがない。タルヴェラには分かっている。
「増えた街娼が、みんな白エルフだというんだろう。だが、それが」
どうした、と目で尋ねる。彼女が少しニヤリとして見せたのは、私は街娼には興味ないぞ、という冗談である。
店主は、つまらなさげに頷いた。その間に、ただの水が入ったグラスを、そっと追加で置いている。白エルフの割に強い方ではないタルヴェラが、そろそろ水を欲する頃だと知っているのだ。
その小さな仕草の中にも、控え目な
タルヴェラには、それが面白くない。
店主は、そんなタルヴェラを嘲笑うように唇を歪めた。
「公園の通りだよ。溜まり場になってる」
「なら、警察が目をつけるだろう」
「そのはずだけどね。どうも妙なんだ……それで、探ろうとしたんだけど。声をかける前に逃げられる。あたしは、この辺じゃ、面が割れているからね」
そう言って、義手の右手を掲げてみせる。
タルヴェラは、呆れてみせた。
「メリーダ、おまえなあ」
それが店主の名である。女が、酌婦と私娼を兼ねるような仕事をしていた時分からの名で、偽名に決まっている。タルヴェラが真の名を尋ねたことはない。
「不景気で公共の工事が減ってるんだ。私の会社も、いくらでも雇えるわけじゃないぞ」
タルヴェラは、そう文句を言った。
メリーダを名乗る女は、かつての自分と似たような、あるいはそれ以下の境遇の白エルフをみかけると、やたら声を掛け、世話を焼くのである。そして、その幾らかを、タルヴェラの会社に従業員として就職させたがるのだ。
タルヴェラは応じてやっている。彼女とて、建設業を興しながら、体力自慢のオークや、器用なドワーフではなく、敢えて自分と同じ白エルフだけを雇っている社長なのだ。意図は同じである。
雇い入れてみると、半数以上もが定着した。肉体的にも精神的にも、娼婦から建設業への転職が容易であるはずがない。タルヴェラの部下あしらいの巧みもあるが、メリーダの眼力は大したものだった。
メリーダは、数年前にたまたま入った店で、席に侍ってきた義手の酌婦だった。気が利く上、妙に馬があったので、客という飲み友達のような気分で通い始めた。囲ったのは、メリーダを欲したからというより、彼女が上客と商売のために寝ているのを知って、それを辞めさせたかったからだ。
自分では寝もしないうちに口説いて、望みを聞けば、メリーダは「小さい店が持ちたい」と言った。叶えてやっても、さして喜んだようには見えなかったが、それでメリーダは、タルヴェラの囲われ者ということになった。
昔から、白エルフの成功者が、宝飾品のつもりで同族を(当然、同性を)囲うのは珍しくない。だがタルヴェラは、メリーダの境遇を変えてやりたかっただけのことだ。メリーダの方は進んで情婦のように振る舞いたがり、タルヴェラは嫌がっている。確かに、時には寝もするようになったが、それはメリーダから悪夢を払ってやるべき時だけだ。
このような関係を何と呼ぶべきか、自分はどうしたいのか、タルヴェラ自身にも分からない。
当のメリーダは、他の一切に興味がなさそうなくせに、このことだけは熱心に言った。
「でもね、妙なんだよ」
「何が」
「若すぎるのさ。子供にしか見えない白エルフが増えた」
タルヴェラは呻いた。
「子供の街娼か。いくら不景気と言ってもな」
「一人や二人じゃない。みんな、街に出てきたばかりって顔だ」
「……それで、私に?」
メリーダは頷いた。常には見せない真摯な輝きを、その瞳に帯びている。
「あんたなら客で通る。あたし一人じゃ満足できなくなったんだってね」
「危ない話だ」
タルヴェラは眉間に手をやって揉んだ。エルフィンド王国の昔からエルフ社会にある、とある単語がチラついている。
「枝攫いか」
ため息を一つついて、ぼやくように言った。
「ヘルヴェアがちゃんと弁護士になっててくれりゃ、良かったんだが」
「例の操縦士かい。弁護士の友達なら大勢いるだろう」
「白エルフの、それも街の女に親身になるような奴はいない」
「じゃあ、駄目かい?」
「……お前には、かなわないな」
「もう少し酔ってからお行きよ。その方が、それらしい」
そう言うと、メリーダは手際良く次の一杯を作り始めた。
タルヴェラは天井を仰いだ。この都で、自分は一体、だらだらと何をやっているのだろうと思った。
大学を放校になった後、ベレリアントに帰らなかったのは、世の中を何とかしたいと、そう思っていたからだ。それが、とりあえず事業を回すのに手一杯で、その償いのように、メリーダたち幾名かを世話しただけになっている。
社会に抗うどころか、流される側になってしまった。それでも同胞を見捨てることは、やはり彼女にはできそうになかった。
(②へ続く)
本作の制作にあたり、「ロザリンドの牙折り」第35話『枝攫い』及び「死の意味、或いは立場の差』に多大なインスピレーションを頂きました。両作品とも、とても面白いのでお勧めです。