――近来、不良の輩が徘徊し、甘言を弄しては、半島外の事情に疎い白エルフを誘惑し、遂に種々の方法によって密かにシルヴァン川を渡らしめ、或いは海外に渡航せしめる事、後を絶たず。
外行の後は、甘き前言を撤回して正業に就かせず、散々の強迫を為して酷業を営ましめる。その後も監禁同然に其の行動を制約する。このため、異郷において言うに忍びざる艱難に陥る者、年々増加するの兆しあり。
占領軍憲兵及びティリアン市警は夜間巡視を強化し、また市当局にあっては種々の困難あるも市内在住者の把握に努むべきこと急務にして……
(ベレリアント半島占領軍司令部布告 第三十二号)
「おい、姉ちゃん、幾らだ」
かけられた声を無視し、タルヴェラは歩き去ろうとした。しかし、夜の繁華街は通行者が多く、思うに任せない。どすどすという足音は、たちまち追い付いてきて、また酒臭い息とともに言ってきた。
「へへ、待てってくれよ。こう見えても稼ぎは、いい方だ」
そう言ったオークの服装は、真っ当なものだ。ガス灯に照らされたスーツの生地は、良さそうな無地。足元もかっちりとした革靴。タルヴェラが見るところ、固めの会社に勤める者で、まずまずの立場であろう。
取引先で会ったなら、愛想良く挨拶するところだ。いまの彼女は、できるだけ冷たく聞こえる声で言った。
「そういうんじゃないんだ」
そう拒絶しても、オークは執拗である。
「なんだい、お姉ちゃん。相手つきかい。教えてくれよ。幾ら出したら」
「だから、私は……」
そこまで言ってから、タルヴェラは思い直した。オークに向き直って尋ねる。
「あんた、よく白エルフを買うのか」
牡は面食らったようだったが、頭をかきながら答える。
「まあ、な。そんなにじゃないが」
「教えてくれ。近ごろ、私よりずっと若い白エルフが増えてると聞いた。何か知らないか。わけを」
「なんだあ? 言われてみれば、そんな気もするけど……買ったことはないな。痩せっぽっちは趣味じゃないんだ」
そう言って、牡の視線が彼女の胸元を覗き込んでいる。
タルヴェラは、もう嫌悪を隠すのをやめた。
「なら、用はない。私は、そういうんじゃないんだ。他をあたりな」
そう言って身を翻すと、牡の捨て台詞が彼女の背を叩いた。
「けっ。白エルフは、みんな売女だろうが」
タルヴェラは、言い返さずに足を速めた。口論となって、腕づくで迫られては敵わない。それに一々気にしても仕方がないのだ。
このような扱いを避けるべく、タルヴェラは、昼であれ夜であれ、身なりの良い男装で通している。それでも夜の繁華街などを歩けば、私娼扱いしてくる酔客は珍しくない。昼間、建設業の受注を得るべく営業に回っていてさえ、露骨に肉体を要求されたことが何度となくあった。
そう扱われて然るべき種族だというのが、ベレリアント戦争以降、他種族から白エルフへの一般的な認識である。その原因は、ベレリアント戦争のあと、敗戦国エルフィンドが、オルクセン軍に占領されていた時期にある。
(戦争に負ける、それも占領されるということは――)と、タルヴェラは歩きながら回顧する。
目の前の風景が、現在のヴィルトシュヴァインから、数十年前のティリアン――占領時代のエルフィンド王国の都へと変わっていく。
エルフ様式の瀟洒な街並みが、くすんで見える。路上には浮浪の白エルフが溢れている。物乞いも多い。肩で風を切って歩くのは、青灰色の制服を着込んだオルクセン兵たちだ。そして、そんな兵達の周囲にすがるように集まる、精一杯にめかし込んだ白エルフたちの姿がある。
占領開始すぐの頃は、物資には事欠いたが、まだ白エルフは尊厳をもって遇された。戦時中に戦闘を経験したオルクセン兵達は、仲間を殺した白エルフを憎むと同時に恐れており、昔気質の者は敬意さえ抱いていたからだ。
しかし、開戦当初から従軍していた兵達が帰国して、主だった戦いが終わってから出征した者が駐留するようになると、状況は一変した。
白エルフに優越感のみを持つ兵たちにとって、兵舎から外出する度に目にする無数の白エルフどもは、一人の例外もなく娼婦のように見えたらしい。
実際、各地に駐留した合計数十万のオルクセン兵から生活の糧を得ようと、白エルフの娼婦が激増したのは確かだった。無論、違法な私娼である。
彼女らの多くは、戦災で故郷から焼け出された貧民か、さもなくば傷痍軍人だった。腕や足が欠損していたり、やたら咳き込んでいる者たちも多かった。同族のタルヴェラからすると、目にするだけでも辛い姿が道端にあった。
私娼稼業でなくとも、白エルフ達がオルクセン兵に示す媚態は、見苦しいほどのものだった。道ゆく兵たちを捕まえては、粗末な品物や貧しい食事を必死で売りつけようとし、そのおまけのように身体を売る者も少なくなかったようだ。
兵達の風紀を危ぶんだオルクセン軍は、本土から各種族の公娼業者をエルフィンドへ招致した。しかし、公娼施設は、公定価格が厳密に決まっており、遠くエルフィンドまで出向こうという娼婦の頭数も限られる。兵達は、予約の上で何日も待たねばならないことになる。
となると、どうしても同種族でなければ嫌だという兵以外は、給料を握りしめて街路をぶらつく方が、よほどに楽しめた。なにせ、ほんの一宿一飯ほどの安価さで、喜んで買われる女ばかりなのである。敗戦直後の貧苦と恐怖の中にあった白エルフ達は、生きるためにあらゆることをした。
占領軍司令部は私娼も、その利用も禁じていたが、兵たちに性病が蔓延し始めると、やむを得ず避妊具を支給し始めた。
そうすると、兵たちにとって、公娼が合法で、私娼が違法だなどという区別は小さな問題になった。
その上、白エルフといえばロザリンド以来の仇敵であり、そのくせ自分達は他に優越しているのだと、長年に渡り高慢に振る舞ってきた種族だ。そのような連中を安く買い、好き放題に扱う愉悦は、占領軍将兵たちの素朴な征服欲を満たした。
こうして、それ以前には同族にしか興味を持たなかった無数のオーク兵、ドワーフ兵、コボルト兵が白エルフに手を出し、その性的な嗜好や、美的感覚さえ変えていった。
短い者で数ヶ月、長ければ数年に渡って、そのような経験をした兵たちが、白エルフという種に敬意を持つはずがない。旧エルフィンドがオルクセン連邦に併合され、白エルフが同じ国民となった後も、一度広まった蔑視はなくならなかった。
どころか、蔑視を裏書きするかのような光景が、オルクセン本土のそこかしこで見られれようになった。
現に、噂の公園通りに辿り着いたタルヴェラの前では、数十名もの白エルフが街路に立って客を待っている。オークやドワーフ、コボルトの同業も立っているが、白エルフの数が明らかに多く見える。
タルヴェラは、彼女らを物色する客らしく、一々その顔を覗き込んでまわる。
こちらも白エルフだと気づくと、街の女たちは一瞬だけ珍しげな顔をするが、すぐに媚びた笑みを浮かべて、商売文句をかけてくる。流暢な低地オルク語である。
「姐さん、素敵だね」
そう誘う白エルフは、安っぽいドレスを着込んでいる。青色のアイラインを太々と引き、唇は血のように赤い口紅を塗っていた。その隙間から覗く歯並びが恐ろしく悪かった。
年齢は不明である。白エルフ族は、成年に達して以降、ほぼ不老に近いからだ。が、子供でないのは明白だったから、タルヴェラはさっさと袖にして、次にいった。
「姐さま、私に決めてくださいな」
今度の者は、さらに物馴れているらしかった。敢えて地味な風体で、どこに連れて行かれても目立たぬよう気を使っているらしい。細かな仕草や声の湿り気に、実は買う気などないタルヴェラをも、ぞくりとさせる色香があった。アールブ語を交えつつ、熱心に誘ってくる。
彼女達にしてみれば、オークなどの牡を相手にするより、同族同性の白エルフ相手の方が負担が少ない。ましてタルヴェラの身なりが良いとなれば、上客なのであろう。
それを、つれなく断り、その次で目当てにあたった。
その顔を、できるだけ野卑そうな仕草で覗きこむと、確かに若い。
(なるほど、子供だ。それも田舎の)
剥き出しの腕といい、短いスカートから見せている太腿といい、体毛や虫刺されの跡がある。その顔は、化粧らしきものをしているが、畑の土の匂いがしそうな、若いというより幼い顔つきだ。
見た目通りなら、二十歳前後であろう。普通なら、まだ生まれの氏族の中で養育されて、学校か奉公で少しずつ職能を身につける最中の年である。それで氏族を離れているというだけでも、異常だといえた。
「買ってくれるの?」
そう聞く口ぶりだけが、ずいぶん大人びた響きに聞こえた。タルヴェラがうなづいてみせると、娘は彼女の腕を取り、路地の奥へ引いて行った。貸し部屋に連れていくのであろう。
タルヴェラの見立てでは、戦後の混乱にまぎれ、生まれの氏族に売られるか、さらわれるかした娘に違いない。
そのようにして、生まれの白銀樹から引き離され、異郷に流されることを、昔から『枝攫い』という。多くは幼女のうちに被害に遭う。商品としての自分に疑いを持たぬよう、洗脳を施される例まであるという。
この娘や、他にも増えているという若過ぎる街娼たちも、その類だろうとタルヴェラは見ていた。
予測が外れていたことは、すぐに分かった。
(③へ続く)