連れ込み宿につき、寝台に腰掛けて、さあどうぞというところで、タルヴェラは娘に待ったをかけた。
「なあに、姐さん。身体には興味ないってわけ? 早く言ってよ」
脱ぎかけた服を直しつつ、娘は笑った。聞いてみると、そんな客は、他にもいるらしかった。
「特に、白エルフのお客はね。添い寝して、抱きしめてくればいいって、珍しくないのよ」
ベレリアントを離れ、オルクセンの内地で働く白エルフ族は、身体を売る商売でなくとも、肉体的にきつい仕事に就く者が多い。その憂さと、母なる白銀樹から離れてしまった悲しみを、同族の胸で泣いて癒して貰うことで、何とか日々に耐える。そんな者が少なくないというのだ。
経営者として多くの白エルフを雇っており、雇うことを半ば目的としているタルヴェラには、分かる話である。
そんな雑談を経てから、タルヴェラは本題を切り出した。
「いつから、この仕事をしてるんだ?」
その質問に、娘は白けたような顔をした。
「さあ、二年くらい前かな」
「自分で働きに来たいと思って来たのか?」
そうではあるまい、という含みの質問に、娘は嫌な顔をした。
「お説教?」
「…………」
「まあ、お金は貰ったからいいけどね。吸ってもいい?」
タルヴェラは、部屋にあった灰皿を小机の上に置いてやった。二人して紙巻き煙草に火をつけ、煙を吐き出す。そのうち、娘は言った。
「都会で働きたいと思って」
「無理に連れてこられたんじゃないのか? 枝攫いに遭ったとか」
娘は首を横に振った。
「腕が腫れて、痛くなるまで皿を運んだわ。落として割れば、罰金になるもの」
脈絡のない回答は、前職のことであるらしい。誘拐されたのでないかという、タルヴェラの予想は、早速裏切られた。
「給仕の仕事をしていたのか」
「故郷の飲み屋でね。給金が払われないこともあった。それで、親方に口説かれて、内地に出たわ。運が良かったわよ」
親方というのが、街娼の元締めなのだろう。枝攫いでないにしろ、裏に経営者がいるというのは、貴重な情報だった。
「不安だったろう」
「全然。友達がこの仕事をしていたし。そいつ、あたしよりブスなのに、よっぽど良い暮らしをしてたから」
娘は、話の間に短くなった煙草を灰皿に押し付けてから、面倒臭そうに続けた。
「最初に客を取った時は、一回だけで、給仕の十倍も貰ったわ。信じられる? 朝から晩まで、こき使われて、殴られもして、それで小銭しか稼げなかったのに。売れる身体があるのは運が良いってことなの」
「…………」
「初めて、白エルフで良かったと思ったわよ」
内容はともかく、筋道だった話ぶりに、タルヴェラは言葉に詰まっている。
「お説教は終わり?」
「……君の他にも、若い白エルフが増えてるって聞いた。みんなそうなのか?」
「だいたいは。騙されたって言ってる子もいるけど、本当のところは、どうだか。たぶん、分かっていたんだと思うよ」
「親方というのは」
聞きかけたタルヴェラの口を、娘の手が塞いだ。
全身でのしかかられ、寝台に押し倒される。意外に力の強い女だった。何か勘所があるのかもしれない。
娘の手は、もうタルヴェラの胸元に滑り込んで蠢いている。一変した娘の声音が、狭い室内に響く。
「姐さま、素敵よ。やっぱり、されたいんじゃない。ねぇ……」
そう言いながら、タルヴェラの首元に唇を寄せ、あちこちを手で弄りはじめる。
察したタルヴェラは、応じるような動作を返した。寝台が軋む音がした。
しばらく、わざとらしく絡み合っていると、ドアの外で物音がした。誰かがドアの前から立ち去ったのが分かった。
娘は、タルヴェラの耳元で囁いた。
「店長よ」
タルヴェラも小声で返す。
「親方というやつか」
「違うわ。ただの雇われ。親方はベレリアントよ」
「白エルフなのか」
「まさか。オークよ。昔は兵隊だったって」
「警察を疑ってるんだな」
「憲兵の密偵が怖いのよ」
「警察官は?」
「この辺の奴らなら味方よ。タダで抱かせてるもの」
タルヴェラは瞠目した。
「……街に出たって、こんな仕事をしていて、どうする。将来のことは考えないのか?」
心底、嫌そうな顔で、娘は身を起こした。
「姐さんは、なんで内地に来たの?」
「……仕事だ」
嘘である。単に仕事のためならば、ベレリアント半島で興した会社を、そのまま続けていた方がよかった。より大きなものを欲したから、一念発起して事業を売り、シルヴァン川を渡ったのだ。
それから十年以上になるが、今では昔と似たような仕事をヴィルトシュヴァインでやっている。扱う仕事はずっと小さくなり、タルヴェラは己を持て余しつつ、不景気を凌ぐことばかり考えている。
娘は、無論、そんなタルヴェラの異常さを知るよしもない。
「そんなら、分かるでしょ。どうせ売るなら高い方がいいもの。ティリアンに比べたら、五倍も貰えるんだから」
「……先々はどうするんだ。ずっと続けるのか?」
エルフは不老だから、数十年、数百年に渡って、その商売を続けることも、できない話ではない。心身が持つならば、である。
娘はケラケラと笑った。
「金持ちのオークと結婚する方法でも教えてくれるの?」
「君は、まだ二年なんだろう。もっと長く、この仕事をしてた白エルフを知ってるが――」
とは、タルヴェラの囲われ者のようになっている、メリーダのことだ。利き腕がなく、万事に要領がよいあの女は、元はベレリアント戦争の傷痍軍人だったに違いないと、タルヴェラはみている。だとすれば、タルヴェラが店を持たせてやるまで、四十年以上も私娼をやっていたのであろう。
そのメリーダが、街で拾った私娼をタルヴェラの会社に雇わせるとき、ぽつりと言ったことがある。
(いっとくけどね、売春ってのは……社長、あんたが考えているような、生やさしいものじゃない。自分で自分を潰すっていうことなんだ。よほど向いた奴でもなけりゃ、長くやるべきじゃない。他にできることがあるなら、だけど)
言われたそのままを、タルヴェラは娘に教えた。娘は、黙り込んでいる。タルヴェラ自身の言葉には感じなかった重みを、メリーダの言葉には感じたのかもしれなかった。
タルヴェラは、事情を探るという目的を忘れて、いまこの娘を説得せねばならぬと思った。そうしなければ、永遠に娘が消えてしまうような気になっている。
「エルフィンドに戻れ。故郷でなくてもいい。とにかく、白銀樹のあるところへ。エルフが、エルフとして暮らせる土地に」
「……戻って、何をやるっていうの」
「古い知り合いの商人がいる。そいつに口を利いて、まともな仕事を紹介してやれる。殴られることのないやつを」
「……店長に殺されるよ。服だって、靴だって、買ってもらったんだ。借金が残ってる」
「あと幾らある」
「知らない」
タルヴェラは、腐った食べ物を飲み込んでしまったような気分になっている。
「全部は返させない仕組みに決まってる。白エルフも、まともに守ってくれる警察がいるところに戻るんだ。ここにいたら駄目だ」
タルヴェラは、胸元に下げた白銀樹の護符を取り出し、娘の目の前で握った。白エルフが何かを誓う時の仕草である。
「明日の昼、ヴィルトシュヴァイン駅に来い。金も荷物もいらない」
「姐さんこそ、枝攫いみたいだよ」
その冗談に、タルヴェラは微笑した。
「さしずめ、枝拾いってところだな。どうする。来るか」
童女のように素直な顔で、娘はこくりと頷いた。
◆
次の昼。タルヴェラは、会社をしばらく休めるだけの段取りを何とか終えて、手荷物一つでヴィルトシュヴァイン駅に向かった。
そうして、路上で立ち、三本目の煙草を吸い終えたところである。約束した時刻から、二時間近く過ぎている。
連れ立って駅舎に向かうコボルトたちが、どっと笑った。誰か、うまい冗談を言ったのだろう。
路上で食べかすを啄んでいた鳩たちが、ぱっと飛び立った。
タルヴェラは紫煙を吐き出した。
「馬鹿な奴め」
自分が、である。うぶな客が、小娘の手管にのせられて、金だけ払って帰ったということだった。説教趣味の客だって、少なくないに違いない。
内心に、あの娘の声がこだましている。
(姐さんは、なんで内地に来たの?)
吸いかけの煙草を落とし、靴で踏み消した。
身を翻し、ひとりきりのタルヴェラは、切符売り場へ向かった。
「ティリアンまでの寝台車を一枚。空いてれば、一等車にしてくれ」
無愛想に応じたオークの切符売りに、タルヴェラは快活に礼を言って、駅舎へと向かった。
彼女は、他の誰かを理由にして、何かを諦める気はない。周囲が無理だといい、諦めるようなことにこそ、成し遂げるべき価値がある。
そう信じている自分だったと、彼女は久方ぶりに思い出していた。生来の負けん気が戻ってくる。一歩を進むごとに、力が湧いてくるようだった。
その夜、彼女はシルヴァン川を北に渡った。ラピアカプツェ大学の入学式に向かって以来、十年以上ぶりのベレリアントである。
(④へ続く)