会見は、二日後だった。
レマーリアンの手配した自動車で、タルヴェラは小さな港町へ運ばれた。
そこで、剣呑な雰囲気をまとった数名の白エルフに迎えられ、別の車に乗り換えた。事前に聞いてはいたが、目隠しをされた時は、背筋がぞっとした。
それから、どれほどの時間、車に乗っていたのかは分からない。闇の中で早々に腹を括ったタルヴェラは、さっさと寝てしまったからである。
「んん、もう着いたのかね」
目隠しを外され、すっきりと目覚めたタルヴェラを、用心棒たちは不気味そうに見ていた。
自然に囲まれた小さな邸宅に案内され、その食堂で、オークの牡が待っていた。田舎紳士といった風采である。
「ようこそ。レマーリアンの旦那のお客よ」
そう言って、鷹揚に差し出された手は太い。両手首に、分厚い時計をはめている。応じたタルヴェラの手が痛むような握手だった。
どっかりと椅子に腰掛け、タルヴェラにも椅子を薦めると、牡は言った。
「俺の話が聞きたいとか。あんた、いったい何だね」
「あんたがシュミットか」
「だから来たんだろう」
「白エルフの娘を、内地に送り込んでる元締めだと聞いた」
途端、仕立ての良い三揃えをまとった牡は、やたら下卑た表情と声音になった。
「なんだ、買い付けの御用かい。ひひ」
牡は口調まで変わっている。レマーリアンに釘を刺されていなければ殴りかかっていたかもしれないが、タルヴェラは努めて無表情に応じた。
「教えて欲しい。あんたの手口や……今のベレリアントのことをだ」
「へっへ。こんな正直者な密偵はいないわな。まあ、お大尽の紹介だ。話してやるが……聞いて、あんた、どうしたいんだ」
「うむ」
タルヴェラは頷いた。
「実は、それが分からんから来たんだ。聞いてから考える」
その拍子が、タルヴェラの呼吸なのである。いけ好かない相手や、よほどの気難し屋の懐にも、ふっと入り込んでしまうのだ。
案の定、シュミットは、軽く吹き出した。
「妙な客だな。おい」
その指示で扉が開き、酒肴が運ばれてきた。客として許したということだろう。
盆を持ってきたのは、タルヴェラがぎょっとするほど気品のある白エルフだった。世が世なら、宮廷の楽師だと言われても遜色がない。
「女房だ」
と、闇組織の元締めであるはずのオークは言った。
美しい白エルフは、酒肴を整えると、タルヴェラに酌をして、そのまま側に侍った。
タルヴェラが見惚れているのに気づいたのであろう。シュミットは自慢げに教えた。
「こいつは、由緒のある樹の生まれでな。エルフィンドが続いてりゃ、氏族長になってもおかしくねえ。おかげで助かったもんだ」
有力氏族との繋がりが、シュミットの身の守りの一つだということだろう。
タルヴェラは尋ねた。
「あんたの組織が売ったらしい娘に、ヴィルトシュヴァインで会った」
「そうかい。俺に感謝していたろ」
「……」
タルヴェラは押し黙った。確かに、そう聞こえなくもない言い様を、あの娘はしていた。親方に口説かれて運が良かった、と。
沈黙を肯定ととったのか、シュミットは饒舌になった。
「俺のやってるのは親切さ。さすがに、最近は部下任せだがな。ろくな仕事のねえ女達に、都会の仕事を斡旋してやるのよ。最初は、ちょこっと驚いたり、嫌がったりするけどよ。最後には感謝するようになるのさ」
「娘たちは、みんな分かって内地に行くのか」
「ああ、そうだよ。どんな仕事かなんて説明しないけどな。食堂や居酒屋で働くというのさ。
身体を売る仕事だってのは、シルヴァン川を越えてから言う。たいてい、そんな話は聞いてないって泣き叫ぶが、みんな嘘だ。満足に読み書きもできない女が、都会でやれる仕事なんて他にないだろう?
しつこく嫌がってみせる奴は、殴って犯すさ。それから服と食べ物を与えて、うんと優しく扱う。それを三日も繰り返せば、誰でも言うことを聞くようになる。そうやって決心をつけさせてやるのさ」
タルヴェラは、無言で酒杯に唇をつけた。自分の気持ちが落ち着くのを待っている。
それを見て、シュミットは、おかしげに笑った。
「どっちにしろ、白エルフに生まれたら、あいつらいずれ身体を売るしかないだろう。それなら内地で高く売らせてやった方が親切だ。田舎で、風呂にも入ってない奴と寝るより、こぎれいな月給取りと、まともな寝台でやった方が幸せってもんだ」
「あんたのような枝攫いは……」
言いかけたタルヴェラを、シュミットは手で制した。
「もう攫っちゃいねえ。氏族の合意は取ってんだ。金も渡してる」
「氏族の姉が、妹を売ってるのか」
オークがエルフを攫い、売っているのだと、そう思っていた。あるいは、思い込もうとしていた自分に、タルヴェラは気づかされた。
「どうせ養えねえし、放っときゃ次が生まれてくるんだからな。娘どもが誰かを恨むなら、姉どもを恨むべきだろう。それか、世の中を甘く見た自分をだ」
その後で自分は手下どもに殺されるに違いないが、それでも目の前のオークを殺したいという気分と、殺しても仕方がないという諦観が、タルヴェラを二つに引き裂いている。
レマーリアンの説明と嘆きが分かりかけていた。目の前にいる薄汚いオークは、諸悪の根源だと思うには、あまりにも小物に過ぎたということもある。
「あんた、元は諜報員だったと聞いた」
シュミットは、やはり自慢げに言った。
「大手柄の諜報員だ。俺がとっ捕まえた戦犯どもは、みんな縛り首になった。エルフィンドの殺し屋どもだ。俺は英雄だよ。勲章を貰うべきだったね。こう、じゃらじゃらとな」
「そのあんたが、なんで女衒の元締めをやってる」
「一匹、捕まえ損ねたからさ。一番でかい奴をだ」
タルヴェラが無言で尋ねると、シュミットも無言で酒杯を重ねた。やがて、言った。
「旦那の客だから言うがな。闇エルフ虐殺を指示した戦犯は、まだ一匹、生きてる。ラエリンド・ウィンディミアだ。エルフィンド最後の首相だよ」
タルヴェラは、今度は本当に絶句した。
「とっ捕まえた全員の証言が一致してた。虐殺をやった部隊は、陸軍大臣だったウィンディミアの指示で動いたんだ。
俺は、報告書をまとめて、上に突きつけたよ。こいつこそ、戦犯の中で最後の大物だってな。
それで、どうなったと思う? 首を切られたのは俺の方さ。上は、とっくに知ってたんだ。それでも奴の関与を揉み消した。エルフィンド政府をまとめられるのが、奴しかいなかったからだ」
下卑た犯罪者の顔の下に、生真面目な諜報員の顔が、一瞬だけ覗いたような気がした。シュミットは、いかにも楽しげに語った。
「ウィンディミアの方も、責任を前の首相のダリンウェンにおっかぶせて、自分は悲劇の宰相って顔だ。そういう回顧録まで出してる……。
俺は理解したよ。この世には、壊しちゃならない仕組みってものがある。それには誰も逆らえないんだ。法律も、正義も、王様だってな」
「だから軍を辞めたのか?」
「上が揉み消したことは他にもあるぜ。女王ディネルースだ。国を寝取った淫売だよ。あの女こそ、嘘つきの殺し屋だぜ。そんな奴に仕えていられるか。
分かったかよ。俺は何でも知ってるんだ。役に立たないことはな」
いくら酒杯を重ねても、シュミットが顔色も変えていないことに、タルヴェラは気づいている。
この牡は、何かに酔いたいと思って、もう酔うことができないのではないか。意外と、昔は生真面目な諜報員で、何かを信じていたのかもしれないと、ふと思った。
シュミットはまた、どうしようもない犯罪者の顔に戻って、言った。
「あんた、気づいてるか。汚ねえ虫でも見るような目をしてるぜ」
タルヴェラは、どきりとした。シュミットは笑った。
「いいんだ。俺は寄生虫だよ。仕組みには逆らわないことにしたんだ。いい虫はな、主を殺さねえもんだ。そんで肥えるのさ」
「……あんたのやってることは、何となく分かったよ」
「満足したか」
「ああ。やることが決まった」
「ほう」
シュミットは、酒杯を置いて目を細めた。彼が合図すれば、荒事専門の連中がいつでも踏み込んできて、タルヴェラを始末するだろう。レマーリアンの客だという圧力がなければ、とっくにそうしているはずである。
それでも、タルヴェラは言った。
「可哀想だ。あんたに売られる娘たちも、あんたも。だから、ぶち壊してやりたいね」
「……へ、へへ。何を、どうやってだ」
「あんたが棲み着いてる仕組みをだ。壊す。そいつの名を知っているか」
「ベレリアントだ。オルクセンでもある」
「どっちも間違いだ。そいつはな、貧乏っていうんだ」
タルヴェラは確信している。敵は、白エルフを内地に売るシュミットではない。年若い妹を売る白エルフたちでもない。誰もが誰かを売っている。結局、金がないからだと、タルヴェラの直感が告げている。
「ベレリアントの、どんな田舎娘でも、肉の入ったスープを毎日食べて、学校にも行けるようになったら、どうする。あんたの売り物はなくなる」
「へへ、馬鹿な話をしやがる」
「あんたやレマーリアンほど利口じゃないんでな。仕組みと寝て満足なんかしない」
「おい、お前、誰だ。何様のつもりだ」
「今は、ただの白エルフだ」
タルヴェラは、手向けるように酒杯を掲げた。
「しかし、いつかは、あんたを縛り首にする女だ」
シュミットは弾けるように笑い出した。
◆
タルヴェラがヴィルトシュヴァインに戻ったのは、翌日の朝のことである。
レマーリアンに無事な顔をみせると「お前は酒を抜いておけ。また、たかりに来るぞ」とだけ言って、また寝台列車に飛び乗った。目的も曖昧なままベレリアントに戻った旅は、何も成すことなく終わった。
ヴィルトシュヴァインに着いたタルヴェラは、自分の会社に連絡をいれるより先に、繁華街に足を向けた。真っ先にメリーダに会おうと思ったのだ。
その矢先、警察官を大勢みた。公園通りの、とある路地にロープを張って封鎖している。あの連れ込み宿のある路地だった。
「巡査さん、何かあったんですか」
礼儀正しい市民という顔で尋ねてみると、コボルトの警官は警戒心もあらわに応じた。
「白エルフか。あんた、ここらの女の身内じゃなかろうな」
「私は勤め者ですがね」
「それなら用はないよ。さあ、行った、行った」
仔細は、すぐに分かった。追い払われたタルヴェラが店に着くなり、メリーダが「あんた、戻ったの」と言って、新聞を渡してきたのだ。紙面の片隅に、小さな記事があった。
「繁華街の殺害事件……オークが白エルフの少女を殺害。痴情のもつれか――とあるな」
タルヴェラが目で尋ねると、メリーダは答えた。
「殺したのは、闇の売春宿の店主だったそうよ。殺されたのは、あそこらで立ってた街娼の一人だって」
あの娘かもしれないと、タルヴェラは、わけもなく思った。
「それで、あんた。何か決まったかい」
メリーダの尋ね方を、タルヴェラは、ニヤリとした。自分の腹は、すっかり見透かされているらしい。思えば、最初から、この女の手のひらの上で転がされているようなものだ。
この女、今でこそ媚態が板についている。だがエルフィンド軍にいた時は、よほどしっかりした下士官か何かだったのではないか。
タルヴェラがレマーリアンとシュミットの鬱屈を察したように、メリーダもまた、タルヴェラがぐずぐずと腐っていくのに気づいたのだろう。
タルヴェラは、きっぱりと言った。
「この店は、もう畳め」
メリーダは嬉しそうに頷いた。
「分かった。どうするの。ベレリアントに戻るの」
「いいや。ここだ。ここでやる。お前は私の秘書をやれ」
とうに決意している。確信しているといっていい。
カティエレン・タルヴェラは、九人の白エルフのリーダーだ。そして、ラピアカプツェでは敗れた。
しかし、もう立ち上がるべき時だ。敗北ほど、勝利に役立つものはない。
「ヴィルトシュヴァインで選挙に出る。内地で当選した、最初の白エルフになるんだ」
そうして、今度こそ、仲間のために道を作ってやろう。
あの八人だけではない。オルクセン連邦の各地に暮らす八百万の白エルフと、あの小さな娘のために、タルヴェラは再び歩み始めた。
『白銀の枝』
おわり
(次話『過去との対話』に続く)
本作の制作にあたり、「ロザリンドの牙折り」第35話『枝攫い』及び「死の意味、或いは立場の差』に多大なインスピレーションを頂きました。両作品とも、とても面白いのでお勧めです。