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ラピアカプツェ大学の真新しい教室で、白エルフが集中砲火を浴びている。
無論、実の銃砲火ではない。言葉の弾丸である。
批判に次ぐ批判が、機関砲のような勢いで放たれ、的確に彼女を射抜いている――のだとすれば、彼女は納得できたであろう。
しかし、正面に横並びに座るオーク、コボルト、ドワーフの碩学たちが発する批判は、彼女の傍らの、何も無い虚空を通り過ぎているようだった。
「つまりね、ミルタエルくん。君の論文からは、虐殺への反省とか、闇エルフに申し訳ないという気持ちが、まるで感じられないんだよ。それでベレリアント戦争を書いたとは言えないね」
オークの教授、その視線は彼女の尖り耳に向いている。
白エルフの大学院生、リヴィルイン・ミルタエルは、反論せねばならない。礼儀を守りつつも、断固として自分の主張を、あるいは愛する妹とも言うべき論文の草稿を、守り抜かねばならないのだ。
「私は過去の事実、そのままを明らかにしようと。気持ちは関係ないはずです」
すると、コボルトの教授は、やれやれ、という口ぶりで応じた。
「主題から外れようが、そういう謝罪と反省の気持ちがね、行間から滲みだすはずなんだよ。貴方がきちんとベレリアント戦争を書いていればね」
彼の隣に座るドワーフの教授も、我が意を得たりとばかりに言った。
「戦争の序盤を採り上げているのに、開戦前の闇エルフ虐殺のことが、ほとんど言及されないじゃないかね。これは問題ですよ」
彼女は、もう何度目かになる反駁を行った。
「レーラズに代表されるような虐殺は、重要な背景ではありますが、論文の主題には殆ど関係ありません」
できるだけ言い様を変えようとしてみたが、あまりうまくはいかなかった。教授たちの指導が同じことの繰り返しに聞こえるからだ。似たような反論で、納得が得られるはずもない。
「いや、そういうことじゃなくてだね……うーん、分からんかなあ。この歴史の感覚というものが」
「事実の叙述は、できる限り証拠に基づいて行っていると思います。ベレリアント戦争の開戦経緯に関することは」
それが彼女の研究対象だった。机上におかれた紙束の表題は「ベレリアント戦争の起源」と手書きされている。リヴィルインの博士論文の草稿である。
最も年嵩で、中央に陣取っているコボルトの教授が、しかめ顔で言った。彼は戦史の大家だ。デュートネ戦争への従軍経験もあり、軍事面に詳しいことで知られている。
「いや、疑問はありますよ。君の書き振りだと、当時のオルクセン軍は、闇エルフ騎兵の戦力をまるきり信用していたように読み取れる。
事実はね、闇エルフ族の忠誠を確かめるため、危険な陽動に使われたんだからね。いわば禊ですよ」
それは、当のコボルト教授の主張であって、彼の著書に書かれていることである。
「いいですか、アンファングリアが突破に成功したのは結果論です。オルクセン第一軍の主攻軸は、あくまでモーリア市と書くのが正しい。
結成から一年にもならない素人騎兵を、参謀本部が信頼するわけがない。闇エルフが精鋭騎兵だっていうのは、ベレリアント戦争の結果を見てからの逆算なのです。
こういう細かい部分でも、先行研究をきちんと踏まえていないから、全体の論旨だって怪しいものになっている」
彼女は、幾通りもの反論を瞬時に思い浮かべた。
アンファングリア旅団に与えられた砲兵支援は手厚い。大鷲軍団から、貴重な夜間偵察要員まで駆り出されていた。
それを陽動というなら、オルクセン側の戦力の方が過度に分散してしまい、逆効果であろう。
また、モーリア戦にも同様の尖兵役の部隊はいたのであり、先鋒は即ち禊というのは短絡的である……。
しかし、彼女は敢えて反論しなかった。その論点は、彼女の論文の主題からは遠い。そのくせ、彼女の博士論文の副査であるコボルトの教授にとっては、年来の主張である。論争は得策ではないと思われた。
「分かりました。その点は修正いたします」
すると、コボルトは、やっと分かったかとばかりに頷いた。
彼女は穏やかな反駁を続けた。
「ただ、その部分の修正は、本論の主張には関わりがないと思っています」
リヴィルインは息を整え、順序立てて説いた。
「この論文は、ベレリアント戦争の開戦意思決定が、オルクセン王国側で、どのように行われたかを追ったものです。公文書館で公開されたばかりの史料を使って……」
「そこなんだがね。オルクセン側を観察する意味がありますかね」
ドワーフの教授が、苛立たしげに言った。
「もう通説が固まっているでしょう。ベレリアント戦争の開戦は、教義原理主義に溺れて、国力差を認識しないエルフィンドが、自分から最後通牒をつきつけたことで決まった。
オルクセンは自国の権利を守るべく立ち上がった。両国の軍事組織には雲泥の差があって、動員を完了したのはオルクセンの方がずっと早かったから、戦場はベレリアントになったがね」
コボルトも、我が意を得たりという顔で言った。
「まったく、そうだ。もしオルクセン側が開戦を主導していたとすれば、それは大変なことですがね」
そこまで言って、コボルトは咳払いをひとつした。背筋を伸ばしてから、続ける。
「しかし、グスタフ大王がそんなことをなさるはずがない」
その声はおごそかで、亡き王を崇めるようである。
「なにしろ前王陛下は、万国平和会議の主催者で、公平な仲介者として振舞われたお方ですからね」
とは、この教授たちのみならず、星欧大戦後のオルクセンでは常識といってよかった。
「大王は、前星期にあって、既に平和主義者であられたんだ。悲惨な生い立ちとデュートネ戦争のご経験を踏まえてね。今でこそ平和主義は世界の常識だが、当時にすれば、まさに先覚者であられたわけだ」
「まったくそうだ。遺言書でも、戦争への参加を厳に戒めておられる。先の大戦に我が国が参加せずにすんだのと御遺訓のおかげなんだ。それを……」
と、大王讃美が一巡したところで、教授たちの話題は、ようやくリヴィルインの論文に戻った。
「……君、この書き振りではね。あたかも、オルクセン王国の方が、エルフィンドを先制攻撃した、侵略国家のようじゃないか」
三教授、オークと、ドワーフと、コボルトの視線が、彼女に集中する。彼らが敢えて言わずにいる言葉が、白エルフにはありありと分かった。
「君はどうも、こだわりが強すぎるようだ。そもそもね、ベレリアント戦争史をやるというのも、難しい選択だよ。今更だがね」
リヴィルインは、彼らが言うことではなく、言わんとしていることに向けて反論した。
「……専攻と種族は関係がないはずです」
オークの教授は、視線を机上の論文に落とした。彼女の反論を聞かなかったことのように、話を続ける。
「いくら新規性を出したいからって、突飛なことをやるものじゃない。穏当に事実を叙述するのに徹した方がいい。大事なのは博士号を取ることだ。新味が乏しくても、手堅い論文にまとめなさい」
リヴィルインは、机の下で拳を握った。
「でも、私の疑問は……やっぱり、おかしいと思うんです。参謀本部の公刊戦史は、開戦の経緯を意図的に略しています。エルフィンドの外交文書をみても、計画的な侵略意図があったとは、とても」
「組織は、そう合理的に動けるものじゃない。オルクセンの動員がそんなに速いはずがないと、傲慢に思い込んでいたという、これまでの説明で十分じゃないか。証拠が出てこなければ、仮説の方が間違っているんだよ」
「証拠は、あるはずです」
「どこに」
「キャメロット王国の公文書館に、アストン卿の覚書があると」
「グスタフ王の顧問か。確かに、それなら何か出てきても不思議ではないね。君が示唆しているように、実はオルクセン王国の方が開戦を主導したというのなら」
そう言いつつ、教授たちの顔は疑わしげである。指導を素直に聞かない学生は、さらに抗った。
「いま写しを取り寄せている最中です。それが届けば、きっと明らかにできるはずです。ベレリアント戦争の起源を」
オークの教授は、やれやれ、というような表情で、結論を述べた。
「調査を続けるにしても、早めに見切りをつけなさい。もう時間がない。ありもしない証拠を探していたら、博士論文にまとめる時間がなくなってしまうよ。博士号を取れないと、困るのは、あなたなんだからね」
覚悟だけはしている、という顔でリヴィルインは頷いた。所定の年限、ラピアカプツェ大の場合は八年以内に博士号を取れないと、原則として単位取得退学ということになる。期間延長を申請する手もあるが、彼女の場合はそうはいかない。
さる大商人から得ている学資が打ち切られてしまうからだ。この時代、大学進学者は全国民の二、三パーセントでしかない。その貴重な学士号ですら飽き足らず、修士博士と学問の道に進むのは、社会の上層出身者の特権だと思われている。後代の博士課程学生と異なり、無給が当然であった。
学位を得られぬまま放り出されれば、その後、講師の職を探すのにも苦労する。普通の者でさえそうだし、まして彼女は白エルフなのだ。
今にも崩れそうな崖を歩いている気分だった。危ういことは知っている。そこから落下することは、あまりに恐ろしくて、実際のところ、失敗したらどうしようと、そう考えることもできないでいる。
(②へ続く)