「これは……これは」
リヴィルインは嘆声を発し、周囲を見回した。
広大な庫内で、鉄製の棚が数え切れぬほど並び、その全てが書類綴りで埋まっている。膨大な書類は、どれも茶色にくすみ、古びた紙だけが発する、あの匂いで庫内を満たしている。
棚を合間を歩きながら見てみると、書類綴りは一重ねごとに紐で束にされている。黒い厚紙の表紙がつけられているものもある。
年季の入った表紙に「大臣官房大日記」「総務部総務」等と書かれているのは、作成元であろう。
表紙を持たない紙束には、その代わりであろう真新しい紙に「不明」と大書されている。
「全部、未整理なのか。物凄い財産だよ。歴史研究の」
目を輝かせて言った言葉は、エリエナに訂正された。
「民主主義の財産よ」
エリエナは、アーキビスト(公記録保存士)という真新しい資格を持っている。政府や軍といった公的組織が作成した文書、さらには文書以外の様々な事物のうち、保存すべき価値のあるものを見出し、分類整理する専門職である。
「政府の記録が後に残るから、検証も監視もできるんだもの。グロワール革命以来、民主主義には公文書の保存が欠かせない……はずなんだけどねえ」
その専門家は、ため息をひとつついた。
「軍隊が動かす国って言われたくらいだもの。何でもかんでも、機密にする習慣が強くて。各省の文書庫に放り込んで、蓄えておくのが当たり前だったの。ろくに整理もしないで。
やっと法律が変わって、うちに移管されるようになったけど、文書が増えても、予算は増えないのよね」
「こんなのがあるなんて。早く教えてくれればいいのに」
「職員じゃなきゃ、教えられないわよ。短期職員の予算が来たの、最近だったんだから」
その応募をエリエナに勧められ、リヴィルインは見事に採用を勝ち取ったのだった。そして、元同級生に手を引かれるようにして、公文書館の奥深くにある、この資料庫に入る資格を得た。
「持つべきものは、定職持ちの友達だね。エリエナが推薦してくれたんでしょ?」
と茶化すリヴィルインだが、エリエナは至極真面目である。
「まさか。リヴィが応募すれば通ると思ったわよ」
「アーキビストじゃないのに?」
「私達が分かるのは全般的なことだもの。本当に細かい判断は、専門家じゃないと無理よ。特に古い文書は、読んで意味を取るだけでも大変。
だから民主化後の文書から整理していて、王政時代のは、ほとんど手つかずなの。目録を作るだけで、あと何年かかるか」
してみれば、連邦公文書館にとって、リヴィルインはまさに適材というわけだった。ベレリアント戦争にまつわる軍事と外交の研究で、王政時代の文書を読み慣れている。文書の背景にある軍事と外交、関係組織の構造にも明るいからだ。
「だから、一本の牙で二串の肉というわけよ。この山が簿冊に分けられて、目録作りに目鼻がつけば、こっちは有難いし……」
「私の方は、未公開資料に触り放題だ。恩に切るよ!」
喜びの声を響かせた後、リヴィルインは、ふと小声になって尋ねた。広大な室内には彼女ら二名しかいないというのに。
「……お前の探し物も、ここに?」
「ううん。これは全部外務省の文書だもの」
「軍の文書は」
「今は、この部屋をやっつけることを考えて。補助員さん」
「わかったよ、上司どの」
◆
二人の白エルフは、それから毎日、どころか、勤務時間を遥かに超える夜半まで、外務省から移管された文書の山に取り組んだ。
その量は膨大だった。王政時代の文書とはいえ、オルクセンの公的組織は万事に几帳面で、文書主義である。特に外務省は、古い文書を大事に取ってあるのだと、エリエナは教えた。
「先例を大事にするからでしょうね。その分、年代を越えて文書が混じっていたり、部署をまたがって編綴されてることもあって」
年、部署、分野ごとに分けて目録化し、参照しやすいように綴り直すのは、大変な作業であった。なにせ、古い時代のことである。
タイプライター普及前のものだから、教養ある外交官の手書きは、達筆でありすぎて判読しづらかったりする。
簡素な事務連絡であっても「先の会議の件」「通例の如く処置し置き」などと、当時の外務省職員同士ならば通じただろうが、百年後の部外者には意味不明な書きぶりが多々ある。
そうかと思えば、儀礼を重視する対外文書は有識故実を盛んに引いていて、文意が取りづらいこともしばしばだ。
また王政時代は、まだ旧貴族時代のなごりがあり、大臣や高官ならば時に自邸で執務することもあったという。私文書と公文書の違いも曖昧だった。そのため、私物の便箋に書かれ、時候の挨拶や互いの近況から筆を起こした手紙が公文書に紛れており、その中身をよく読めば、省をまたぐ大臣や次官同士の調整連絡であったりもする。
文書の綴り方も、部や課、年代によってまちまちである。時々の部課長や担当者の好みによって、別の年に出された同内容の文書が、異なる分類で綴られている。
清書された決済文書ならば、所属部課長のサインと年月日が書かれている。しかし、前段階の検討案や参考資料は署名がないものが多く、どの部署で、いつ、何のために作られたものか、判別が難しい。
それでエリエナたち正規職員は手をつけかねていたのだが、リヴィルインは様々な工夫で分類を軌道に乗せた。
まず彼女は、当時の外務省の組織図を書き上げ、異動と昇進の記録の整理から手をつけた。それにより、年ごとの役職者名簿と、主要な官僚の経歴表を作り上げた。
「ああ、A課長補佐は、この時期はこっちに出向していたんだな。戻ってきてから課長になったんだ」
というような塩梅で、リヴィルインは昔の外務省名士録とでもいうべき資料を書き上げた。
それと未分類の文書を照らし合わせると、走り書きのような連絡文でも、宛名か署名があれば、どの部署で出されたものかを推定しやすくなった。
そうして分類を進めるうちに、全ての文書が手書きであるのが役に立ち始めた。主要な官僚たちの筆跡を特定できたのだ。彼らがいつ、何の役職につき、どのように異動・昇進したのかが分かっているので、筆跡からその文書の所掌部署を識別できるようになった。
「何月何日に会議を開くので、××課及び××課は担当者を参加させられたし」
などという簡素な連絡文でも、筆跡から書き手とその職位が分かれば、それと釣り合う送り先の検討がつく。双方の部署で、その時期に抱えていた案件を調べれば、おのずと議題や結論が見えてきた。
「だから、この通知、キャメロットとの関税交渉がらみだね。大臣官房の庶務の束にあったけど」
「じゃあ、キャメロット課の交渉関連に綴っておくわ。時期は、この年の何月頃か分かる?」
「七月か六月だなあ。この課長、八月には異動してるから」
リヴィルインが文書の仔細を割り出せば、後はエリエナの仕事である。関連する文書の量や重要性から、適切な枠組みの簿冊を作り、閉じこんでいく。完成した簿冊を順にめくれば、政策立案の紆余曲折が手に取るようにわかった。
こうして正体不明の古い文書の山は、丁寧にファイリングされた簿冊と、その目録に生まれ変わった。二人は、保管庫いっぱいの混沌を次々に制圧し、秩序に変えていった。
◆
整理を始めてから二週間が経った、ある日。リヴィルインは手をとめた。
一枚きりの文書を、無言で長く見つめている。やがて、言った。
「これ、読んでみて」
夜半の室内で、エリエナが近視の目を近づけると、それはキャメロット語の文書だった。
「公電ね。キャメロットの外務省宛で、発信元は……マクスウェル公使か。エルフィンドからの最後通牒を開封した日ね。えーっと」
エリエナは、その文言を読み上げる。
「『一方的な最後通牒を受けて、グスタフ王は、必ずしも愉快なご様子ではなかった』か。キャメロット的な表現ね」
教養あるキャメロット人は、文字であれ口頭であれ、常に控えめな表現を使う癖がある。
「激怒してたってことでしょう? それで……『エルフィンドの対応は、我が国の調停努力を無にするもので』……か。これが、どうかした?」
リヴィルインの声音には、微かな震えがある。
「これ、外交公電だよ」
エリエナは、きょとんとしている。
「そうね。ああ、マクスウェル卿の日記と一緒だってことね。これで裏がとれたという……」
エリエナが言い終えるより早く、リヴィルインは噛み付くように言った。
「公電なんだよ! 駐箚公使から本国宛ての。それが、なんでオルクセンの外務省にあるんだ」
エリエナも顔色を変えた。
公使から本国への連絡は、紙面であれば厳封の上で送付される。急ぎならば電報、つまりは荒海の海底を伝っている電纜(でんらん)を通じ、信号として送られる。
当然、その文面は暗号化され、キャメロット本国の外務省以外に知り得ない。それがオルクセンの外務省にあった。
「盗聴」
エリエナの呟きに、リヴィルインはうなづいた。
(次話に続く)