短編集:九人の白エルフ   作:芝三十郎

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いくつかの証拠をもって博士論文を執筆したリヴィルイン。しかし、学位取得の見込みは立たない。web版読了後推奨


過去との対話⑤

「残念だが、この論文が博士号に値すると認めることはできない」

 

 そう、コボルトの教授は言った。リヴィルインの指導教員であり、博士論文審査の主査たるべき師からの宣告である。

 

 リヴィルインは、うなづいた。

 

 驚きはない。予想していた敗北だった。自分の論証の不足ぶりは、執筆した彼女自身が知っている。

 

 彼女の論文は、公電の傍受など二、三の新発見を含む。が、それだけでは、新資料の報告というに留まる。論とはいえない。論文の論たる眼目は、新たな歴史の解釈を唱え、それを裏付けることにある。

 

 ベレリアント戦争の起源が、エルフィンドからの一方的な最後通牒にあるという通説を否定し、実はオルクセン側が主導したというのが、リヴィルインの説である。その裏付けというには、彼女が見つけた文書だけでは、薄弱な証拠というしかない。

 

 自然、論文の議論は、推定に推定を重ねたものになっている。自説を書けば書くほど、また推敲のために読み返すたび、実証の不足を痛感してきた。博士論文の水準には、未だ達していまい。

 

 が、それは問題ではなかった。

 

 学位授与の水準に至らないとなれば、リヴィルインは単位取得退学ということになる。この八年というもの、彼女が恐れてきた境遇だ。学者として生きていけるかどうか、一挙に怪しくなってしまう。

 

 しかし、それもまた、今は問題ではない。

 

 リヴィルインは、ゆっくりと口を開き、最後の戦いを始めた。

 

「……覚悟しています。審査会の結果であれば」

 

――と、それきり、部屋には沈黙が落ちた。聞こえるのは、振り子時計の音だけだ。

 

 さして広くない部屋である。主査、副査と教授陣が居並ぶはずの、審査会場ではない。本棚が壁を埋め、そこに収まり切らぬ蔵書が、机の上を侵略している。教授の研究室である。

 

 沈黙に耐えかねたのは、部屋の主の方だった。

 

「副査の先生方には、私の方から言っておこう。色々な事務手続きだけは――」

 

「審査してください」

 

「もう、卒業後の準備に専念した方がいい」

 

「審査会を開いてくださらないんですか」

 

「あちこちの大学に応募してみないと――」

 

「昨年の論文執筆資格審査には、合格を頂きましたから――」

 

 博士課程は、ややこしい。博士論文本体の執筆にかかる前に、その一部を構成する論文をもって、執筆資格の審査がある。リヴィルインは、それには合格した。

 

「――論文の審査を受けるのが正式なはずです。先生」

 

 が、彼女の師は肯んじ得ないようである。

 

「結果が見えていることじゃないか。それならば」

 

 審査会を開いても意味がない。教授陣に時間を取らせるだけのことである。また、リヴィルイン自身にも発表の準備が要る。その分だけ、就職活動の時間が減ってしまう。誰のためにもならないことだ――と、彼女の師は、弟子の生活を心配してみせている。

 

 リヴィルインは静かに息を吸い、そして吐いた。

 

 その息とともに、師匠への思いを捨てた。この八年というもの、教えを請うてきた相手だ。いくらかのわだかまりがあるとはいえ、師匠の数多き業績や、研究者としての能力には、微塵の疑いもない。

 

 心から尊敬している。だから、今の今まで、言わないで済ませてきたことがある。

 

「記録を残したくないんですね。先生」

 

 教授は答えない。

 

 口火を切ってしまったからには、リヴィルインは止まれない。

 

「審査会に出せば、不可になっても、論文の概要と審査理由を文書にしないといけない。つまり――」

 

「君のためだ!」

 

 机の上に置いたコボルトの手は、かすかに震えている。

 

「世間から、どう見られると思うんだ。まともに読まれるはずがない。ああ、反憲政の、歴史修正主義の論文だと。すぐ噂になる。狭い業界だ。それで、どこの大学が雇ってくれると思うのかね」

 

「。私は何と言われても構いません。決めつけには慣れています。本当は先生が、そんな弟子を出したって、言われたくないということでしょう」

 

「君が言うことを聞かないからだ。何度も、方向性を改めろと言ったのに。なんで、もっと穏当な歴史叙述に収めない。その能力はあるのに。危険な仮説の方に走っていくばかりだ。世間の偏見に答えるような方向に」

 

「私は」

 

 リヴィルインは絶句した。瞬間、自分の衝動を理解したからだ。

 

「......ずっと思っていました。白エルフに生まれたから、悪いのですか」

 

 エルフの国、エルフィンド王国がしたことは、悪事ばかりだったには違いない。が、その罪を、昔の戦争に無関係な白エルフが、何十年も責められ続けねばならないのか。

 

「大学は、学問は、権力から自由ではないのですか」

 

 オルクセン王国がやったことにも悪事はある。今は世界に冠たる平和国家だからといって、過去の様々な加害まで、無かったことにしてしまっていいのか。

 

 歴史家は事実を探求するのではないのか。それが許されないとするならば。

 

「私が白エルフだからでしょう。未熟だとか、力不足だとか、そう言われるのは構いません。そう言われたいんです。種族に関わりなく、私が書いたものを読んでくれるのなら。

 

 でも、いつでも、そうではなかった。懺悔や反省の文脈に押し込めないと、事実を語ることもできない。先生方は、私の論文よりも、私の種族の方を先に見ているから」

 

 それに気づいて欲しかった。それならばと、エルフィンド寄りと見られるような説を取り、否定されれば、ますます固執した。構われたくて、わざと奇矯な振る舞いをする童のような、幼稚な衝動だった。

 

 そう自覚しても、学位と就職を得るためにと、世間の大勢に順応して、無難な叙述に収まる方が、彼女にとって敗北だった。

 

「落としてください。私の論文を。出来が悪いからと言って。白エルフだからじゃなくて、私が書いたものを読んで」

 

 読んでくれ。種族ではない。リヴィルイン・ミルタエルという、一つの個の主張を。その上で評価されることが、彼女の欲したものだった。なぜならば。

 

「連邦市民権は」

 

 出生によって区別、あるいは制限されることはない。ここオルクセンでは、生まれや育ち、種族の別を問わず、誰もが生得の自由をもつ。学び、考え、主張することができる。それが、どれほど馬鹿げた考えであろうとも、自分の言葉で語る自由がある。

 

 そう叫び、そう信じていた同期の一人は、大学を放り出されたのだった。

 

 大学の寮から、夜間、密かに去る同期達の背中を、リヴィルインは自室の窓から見送ったものだ。

 

 あれから十四年が経っている。

 

「白エルフは、私たちだけは、いつまで続ければいいんです。いつ自由になれるのですか。エルフィンドの罪から」

 

 教授は顔を背け、窓の外に目をやった。そのままの姿勢で言った。

 

「君たちが、国の正しい歴史を理解できるようになるまではだ。そうでなければ、本当にオルクセンの国民だと、そう思ってはもらえまい。君が辞退したと、教授会には、もう伝えてある」

 

 ◆

 

 結局、リヴィルインは数カ月間、時間を持てあますことになった。年度末に単位取得退学となるまでは、就職活動に勤しめという、教授の言葉通りになった。

 

 さりとて、虚脱した感があるリヴィルインは、無為に時間を潰すばかりだった。今日は、喫茶店イーディケのラピアカプツェ店で友人と待ち合わせ、紅茶を喫しているところだった。

 

 ところが、やってきたエリエナは、椅子に座るよりも早く、一枚の書面を彼女に突き付けてきた。

 

「……何市だって? どこの州?」

 

 リヴィルインは、渡された文書を睨みながら尋ねた。非常勤講師を求める、公募書類である。

 

 エリエナが解説した。

 

「モナート市立大学。ランゲンフェルト州の北の方よ。地図だと、この辺り」

 

「ずいぶん左の方だな」

 

「西って言ってよ。メルトメアや南部と違って、差別はきつくないって。いいところらしいわよ」

 

「そこの非常勤講師か。文学部史学科ってのは、願ったり叶ったりだけど……」

 

 それだけに、歴史研究者の卵なら、誰でも応募したいと思うだろう。どんな無名の、小さな大学でも、とにかく職を得なければ、学者生活は始まらない。

 

「通るかな……修士どまりの、白エルフで」

 

 そう躊躇うリヴィルインの肩に、エリエナの手が乗った。

 

「当たって砕けろ、よ。応募には、業績一覧と推薦状だって。教授は書いてくれる?」

 

 コボルトの顔を思い浮かべる。あの問答の後、師弟の関係は事務的なものだけになっている。

 

「そうは言ってはいたけど……あてにはならないな」

 

 あてにしたくない、という思いもある。このような結果に終わっても、八年に渡って謦咳に接した師への敬意と、申し訳ないという気持ちは、心中で澱のようになっている。

 

「そんなこと言っても、推薦状がなくちゃ、応募もできないわよ。副査の先生は、もっと駄目でしょう。他に誰か、心当たりはないの?」

 

 ふと、突飛な思い付きが浮かんだ。一瞬だけ躊躇ったが、リヴィルインは即断した。

 

「……あるね。ああ、あるとも」

 

 案じる友に、不敵な顔で笑ってみせる。

 

「君のいう通りだ。当たって砕けろ、さ」

 

 ◆

 

 広い応接間は、典雅な調度品が程よく配置されている。適度な薄暗さもあって、居心地のよい部屋である。

 

 その主人たる老オークは、ゆったりとした茶色の三つ揃えを身に纏っている。椅子に深く腰掛け、葉巻をくゆらせつつ、時にコーヒーに口をつけつつ、彼は語り続ける。向いに座る客に向けてである。やがて、長い語りは終盤を迎えた。

  

「……こうしたわけで、あの電報は、願ったり叶ったりというものだった。我が王と私は、激怒してみせたが、笑みを隠すのに苦労していたよ。開戦の口実を作るために、色々な偽旗作戦を考えていたのだが、エルフィンドの方から口実をくれたのだからね」

 

 その言葉をカセットテープに録音しつつ、要点のメモをとっているのは、リヴィルイン・ミルタエルである。

 

「それで、電報を最後通牒だと解釈したわけですね。戦争を始めるために」

 

「ああ、そうだ。しかし、誤解しないでくれたまえ。あの当時はまだ、戦争は国際問題の正当な解決手段だった。有利な立場や口実で戦争を開始することも、政治術の一部だったんだ。現在の価値観だけで評価してもらっては困る」

 

「その結果、戦争で亡くなった敵味方の将兵や市民に対しては、どう思われますか?」

 

 老オークは、盗賊のようだと言われる凶相に、苦いものを浮かべた。

 

「弁解の余地はないよ。責任を、つまりは罪を負うのが政治指導者の務めだ。我が王も、内心では自分を責めておられた。一言も口にされなかったが、私には分かる。政治家の道義は、個の市民の道義とは違うものだ。もしベレリアント戦争を避けていたら、あの時は平和に済んだだろうが、世界大戦には巻き込まれただろう」

 

「少数の……数十万の死者でもって、数百万の死者を回避したということですか」

 

「いいや、数千万さ。現代戦争の死亡率に、出生率で劣る魔種族は耐えられない。第一次星欧大戦のあとは頭数を回復できずに、第二次大戦では敗戦国になったろう。あのアスカニアに負けて、絶滅政策をやられていたかもしれん」

 

「小の虫を殺して、大の虫を生かすというわけですか」

 

「虫ではない。魔種族の、同胞の命だ。そんな簡単に、どっちが得だとか、計算することは許されない。許されるわけがない。しかし、それでも……魔種族の生存のために、あの時、他に策は無かったと信じている。いや、信じたいと願う。

 

 その評価は、歴史の裁きに委ねよう。用済みになった政治家は誰でも、裁きを待つ被告なのだ。歴史という法廷のね。裁判官は、例えば君だ」

 

 リヴィルインはペンを置いた。白エルフの青い瞳が、クレメンス・ビューローの目を、穏やかに見つめ返す。

 

「歴史家は裁判官ではありませんよ。ただ資料を整理して、一つの解釈を提出するだけです」

 

「では検察官かね? それとも弁護士かい?」

 

「どちらかに似ることはあるでしょう。でも、歴史を書く目的は、求刑や弁護や、まして弾劾ではありませんよ。ただ、事実に仕えているだけです」

 

「中立の立場だと?」

 

「できる限りは」

 

「ふふ。第二次大戦中も、我が国は中立政策をとったよ。その内実は知っていると思うが」

 

「それと同じですよ。中立的、客観的であろうと、務めはします。それでも歴史家自身や、自分の時代の制約からは逃れられません。つまりは、私たちも、後に裁かれる被告の立場です」

 

「では、君と私は、同類相哀れむというわけだ」

 

 クレメンス・ビューローは笑みを見せ、彼女に尋ねた。

 

「それで、いつできあがるのかね?」

 

「早ければ来年です」

 

「そんなに? 新聞のようにはいかないのだね」

 

「研究ですから。じっくりと時間をかけて、いいものに仕上げないといけません。何十年も、読まれるに耐えるものにしたいのです」

 

 淡々というリヴィルインのことを、ビューローは羨むように言った。

 

「大したものだな。私は二期二十四年務めて、歴史に携わったと自負している。大戦から種族と祖国を守り抜いたというね。任期中に市民権問題の解決に至らなかったのは、痛恨の極みだが」

 

「偉大な指導者でいらっしゃいます」

 

「しかし、君の仕事の方がずっと気宇壮大だ。それに外交の上手でもある」

 

「それは閣下のことでしょう」

 

 リヴィルインは、お世辞ではなく、率直な評価として言った。ビューローは、愉快そうに唇を歪めた。

  

「何十年か前の、あの推薦状のことだよ。君の論文に、資料の写しまで添えた上で、依頼されてはな」

 

 私的に書いたものとはいえ、当時の大統領の推薦状は、無類の権威を発揮した。おかげでリヴィルインは、種族と学位の不利にも関わらず職を得て、研究者の道を歩むことができた。

 

「いつか、伺いたいと思っていました。なぜ応じてくださったんです。あんな無茶苦茶なお願いに」

 

「我が王なら、それを望まれるからだ。グスタフ陛下は、オルクセンがご自身から自立することを願っておられた。

 

 しかし、ご自身が、後世に神聖視されて然るべき英主であるともご承知で、そこに苦心しておられた。

 

 ようやく君のような者が出て、我が王の光も影も、多面的に、批判的に見られるようになった。きっと喜んでおられる」

 

 ビューローは、少し寂しげな顔になった。彼の忘れ得ぬ主君は、本当に歴史の彼方へ去ろうとしているのだ。

 

 その寂寥を誤魔化すように、元大統領は言った。

 

「いやはや。それにしても、あの依頼は、ほとんど脅迫だったな。よほど、国家憲兵に君を逮捕させようかと思った」

 

「御冗談を」

 

「もちろんだ。しかし、そうなるかもと考えはしなかったのかね? あの頃は、まだ、そんなこともできる国だった」

 

「全然、心配しませんでした。今思うと不思議ですが、若くて向こう見ずでしたし……根っこのところでは、やはり、信頼していたんだと思いますね」

 

「会ったこともない私を?」

 

「いいえ」

 

「では、当時の政府を?」

 

「まさか。 私は白エルフですよ」

 

「それでは?」

 

「オルクセン連邦を。間違えることはあっても、時間さえかければ、自ら間違いを認めて修正する力があるって。それが学問ですし、民主主義というものだと」

 

「まさに然りだな。君は正しい。現に正しかった」

 

「……それに」

 

 柄にもないことを言おうとして、リヴィルインは少し照れた。それでも、思うことを表現するのに、何の躊躇が要るだろう。

 

「それに、やっぱり、自分の生まれた国ですからね。信じていたいじゃないですか」

 

 星歴961年のことである。

 

 母校であるラピアカプツェ大学文学部に、教授として招かれたリヴィルイン・ミルタエルは、クレメンス・ビューロー元大統領のオーラルヒストリーを刊行した。

 

 その翌年、ミルタエル教授は、数十年越しに博士論文を完成させ、遂に博士号を取得した。

 

 ようやく完成した彼女の博士論文の末尾には、公文書館に務める友人と、ビューロー元大統領宛ての謝辞が述べられていた。

 

 論文は、質朴な装丁をつけられ、「ベレリアント戦争の起源」と題されて、母校の図書館に納められた。

 

 やがて、何年か、何十年か、あるいは何百年か後。

 

 名も知らぬ誰かが、その一冊を手に取り、彼女の声に耳を傾けることだろう。

 

 

 

『過去との対話』

 

おわり

 

 

(次話『中立国の戦空』に続く)

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