九人の白エルフ   作:芝三十郎

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中立国の戦空③ 地上にて

 ヘルヴェア・オストエレンが駆る高速戦闘機Vf-43は、推力を持たないグライダーと化した。

 

 機首に据えられたⅤ型液冷エンジンは停止して、それに繋がる四枚プロペラの回転は、向かい風への反応に過ぎない。

 

 それでも、左右の楕円翼は風を受け、揚力を発し続けている。

 

 速度の低下が揚力の減少につながり、重力に抗い切れなくなるまで、機体は飛び続けるだろう。あと、僅かな間は。

 

「これより、不時着する」

 

 即断したヘルヴェアは、思い切って操縦桿を切った。

 

 降りるべき地形は、既に見定めてあった。

 

 平地を。あたかも滑走路のように、障害物のない直線を。

 

 白エルフの視線の先は、南オルクセンの肥沃な農地、恐らくは葡萄か何かの畑であろう土地を縦横に貫く、長い農道である。上空から緑の直線に見えるからには、雑草が生えているのだろう。

 

 その穏やかな摩擦に、ヘルヴェアは己の命を賭けた。

 

 一度の旋回で、進路を農道に合わせる。途端、機首を下げて高度を落とす。速度を緩やかに殺しつつ、さらに降下。

 

 飛行中は主翼に引き込まれている主脚を展開。着陸態勢を整える。

 

 白エルフの視線は、前のみを見ている。まっすぐの農道の先に、石造りの農家の塀が見えた。それを目当てに、機体の直進を維持する。

 

 やがて、主脚の車輪が地面に触れ、機体に衝撃を与えた。不整地の振動が激しく機体を揺らす。揺らし続ける。

 

 間もなくして、機体後方の尾輪も接地。振動はいやまし、速度は急速に低下する。

 

 もしも、その光景を地上で見る者がいたとすれば、まったく危なげない着陸だった。

 

 程なくして、機体は完全に停止した。

 

 ヘルヴェアは、操縦桿に貼りついたようになっている右手を、左手でもって引き剥がした。肩からも力が抜ける。

 

 操縦席で深々と息をつき、見るともなく上を見上げた。

 

 空に機影があった。

 

 忙しく飛び回る小さな機影は、Vf-43。彼女の長機、ムートの機体に違いない。

 

 大きな機影、アスカニアの爆撃機に追いすがっている。地上からは見えないが、激しい銃撃を加えているに違いない。

 

――戻らなければ。すぐに。

 

 死を免れたという安堵は消え、焦燥が取って代わる。風防を跳ね上げ、機体のわずかな凹凸を手掛かりに、地上へと跳び下りた。

 

 柔らかい地面を踏みしめて、まだ身体が揺れているような錯覚を振り払う。

 

 青い瞳が睨むのは、彼女を殺しかけたエンジンだ。セルモーターが無いので、再始動するには、機体外側のクランクハンドルを回さねばならない。ただし、同時に機内でも、エンジンに燃料を送り込む始動操作が必要だ。

 

「誰か、誰かいないか。いませんか」

 

 そう叫んでも、葡萄畑は、しんと静まり返っている。

 

 身を翻し、先ほどまで視界にあった農家に向かい、駆けた。息が切れるほど疾走して、辿り着くや否や、木製の門扉を乱打する。

 

「誰かいませんか。誰か」

 

 いるとすれば、オークに決まっている。南オルクセンの農家なのだ。

 

 オーク。牙を持ち、大力で、淫猥で、暴力的な種族――とは、教義の迷信ではない。現に、彼女が幼い頃、生まれの村を砲撃で焼き滅ぼして、姉たちを皆殺しにしたのは、青灰色の戎衣に身を包むオークたちではなかったか。空軍士官学校で、ことあるごとに彼女を威嚇し、迫害し、物陰で蹂躙しようと試みた、あの醜い牡も、オークだったではないか。

 

 しかし今、彼女はオークを必要としている。長身で、力のある者を。

 

――クランクハンドルを。まだ戦っているんだ。ムートが。私は行かなければ。私が行かなければ。だから。

 

 ベレリアント半島を離れて以来、忘れて久しい言葉が、彼女の喉から出た。

 

「助けて下さい!」

 

 門扉が内から開かれ、ヘルヴェアは前につんのめった。

 

 自分より大柄な体に衝突しかけ、寸前で踏み止まる。

 

 顔をあげると、正面に立っていたのはオークだった。土で汚れた粗衣をまとっている。ヘルヴェアより、僅かに背が低い。腰が曲がっているのだ。その牙は、うっすらと黄色い。白エルフの彼女には判別が難しいが、顔のしわと服装から、恐らく老婆だと思われた。

 

 オークは、右手に薪ざっぽう持ち、掲げている。振りかぶっている、といっていい。いつでもヘルヴェアを殴りつけられる体勢だ。

 

「あ、あんた」

 

 老婆は、明らかに怯えていた。

 

 当然だと、ヘルヴェアは思う。見るからに平和な農家だ。その扉が乱暴に叩かれ、叩いたのが白エルフとあっては、怯えて当然だ。――そして、当のヘルヴェアも、同じ理由で怯えている。

 

 目線が、彼女の顔、そして耳に注がれるのが分かる。

 

 この老婆は、ベレリアント戦争に従軍した者を除く、ほぼ全てのオークがそうであるように、白エルフを見るのは初めてであろう。ただ、息子や孫が、白エルフに殺されたということは、あってもおかしくない。ベレリアント戦争で。あるいは、ロザリンド会戦で。

 

 呼吸で肩を揺らしつつ、老婆は言った。

 

「お姉さん、白エルフかい」

 

 ヘルヴェアは頷いた。老婆の顔が歪む。途端、振り上げていた薪を地に落とした。

 

「おーい、みんな。大丈夫だよ、敵じゃない!」

 

 家屋から、納屋から、石塀の裏から、ぞろぞろとオークの顔が覗き、姿が次々にあらわれた。

 

 たちまち、遠巻きに囲まれる。

 

「オルクセンの軍人さんだよ。飛行機で戦ってたんだ。そうだろう」

 

「はい……あの」

 

 ヘルヴェアは周囲を見回し、気づいた。彼女より背が高い者が、いない。オークの村であるのに、老いて腰の曲がった者か、牝か、仔どもしかいないようなのだ。

 

 すぐに理由が分かった。総動員令である。成年にある牡たちは、ことごとく入営したに違いない。

 

 この村も、既に戦っているのだ。彼女と同じように。

 

「……どうか、助けて、手伝ってください。エンジンを再始動したいんです。どなたか、ハンドルを回してくれませんか」

 

 すると、老婆は彼女にぶつかるかと思うほど接近し、両肩を掴んできた。

 

 ヘルヴェアはびくりと震える。かつて彼女を暴力で屈服させようとした、オークの分厚い手を思い出している。

 

 石のように固くなった彼女は、老婆の声を聞いた。

 

「駄目だよ、お姉さん」

 

 そう言って、老婆は空を見上げた。ヘルヴェアの目も、それにつられる。

 

 オルクセンの高い空に、飛び交う機影が見える。彼女らの空を好き勝手に使おうとする侵入者と、それに抗うコボルトの機体だ。

 

 老婆の両手が、ヘルヴェアの頬を挟んだ。温かい手だった。

 

「すぐ飛びあがっちゃいけない。奴らに、すぐ殺されてしまうよ」

 

「……仲間が戦ってる。行かなきゃならないんです。今すぐ助けに」

 

 ヘルヴェアは、もう恐れない。オークの瞳を見つめ返す。

 

「ハンドルを回すだけでいいのかい」

 

「ええ……」

 

 農道の機体を振り返って、自分の間違いに気づいた。今のままでは滑走距離が足りない。離陸する前に、この農家に突っ込むことになる。

 

「いえ、飛行機の向きも変えなきゃいけません。今と逆にしたいんです。大勢の助けがいります」

 

 老婆は、黄ばんだ歯を見せた。笑ったらしい。

 

「みんな、聞いたかい。手伝っておくれ。このお姉さんを助けるんだ。力仕事なら、あたしらァの、得手だ」

 

 老婆は、村の長老か何かであるらしい。たちまち、周囲の若い雌や、仔ども、老翁たちが反応した。

 

「あれかい。後ろを向かせりゃいいんだな」

 

「おい、集まれ」

 

「みんなで持つんだ」

 

 ヘルヴェアはオークたちに指示し、戦闘機を四方から持たせる。無論、彼女もいっしょに、機体を掴む。

 

「みんな、しっかり持ったかい。せえの、よっこら、どっこい!」

 

 さすが、オークの膂力であった。仔どもと年寄りばかりだというのに、十頭ばかりの力で、戦闘機が僅かに持ち上がった。

 

「右まわりだ、いいね。よっこら、どっこい、まァかせっと……」

 

 老婆の指揮で、戦闘機は雑草の上で旋回した。背の高い草を薙ぎ倒して、百八十度向き直る。

 

 ヘルヴェアは機体の凸部を手がかりに、主翼によじ登り、操縦席に滑り込んだ。

 

「それです、右にまわしてください」

 

「あいよ、任せろ、姉ちゃん」

 

 威勢良く答えた老翁が、勢いよくクランクハンドルを回す。たちまちエンジンが振動し、音と排気を発し始めた。

 

 機体を囲む老若のオークたちが歓声をあげる。まわりで見守る仔オークたちは飛び跳ねて喜んでいる。

 

 他のオークたちも、力いっぱいに手を振っている。ほんの何分か前に出会っただけの、それも白エルフの彼女のために、涙を浮かべている者もいる。

 

――そうなんだ。私が戦ってるのは、このみんなのためなんだ。

 

 南部国境に近い、この村の者たちは、戦争になれば真っ先に犠牲になる。丹精こめた畑も、生まれ育った家も、戦火の中で失われて、家族の命も奪われる。

 

 そのような未来を恐れつつ、日々を暮らしている村民たちの目には、青灰色の戎衣をまとい、迫り来る戦争に立ち向かう者は、誰であっても希望なのだ。

 

――白エルフの私でも。

 

 他の種族に負けてはならないと、いつでも思ってきた。

 

 白エルフは劣った種族ではない。野蛮でも、残酷でもない。他の魔種族と同じ義務を、見事に果たしてみせたなら、罪深い敗北種族にも、いつか同じ権利を認められると、信じて周囲に抗ってきた。

 

 間違いだった。必要なのは、勝つことではなかった。守ることであったのだ。

 

 その証に今、オークたちが、ベレリアントを征服した種族が、白エルフのために涙を流し、力の限りに手を振って、声援を送ってくれている。

 

「お姉さん、頑張れ、頑張れ!」

 

「頼んだぞ、やっつけてくれ!」

 

「ぼくたちの村を守って!」

 

 ヘルヴェアは、自分の望みが叶ったことを知った。だから、操縦席から、一分の隙もない敬礼を村民たちへ送った。彼女がそうありたいと願い、村民たちがかくあれと信じた通りの操縦士らしく。皆が、わっと声をあげた。

 

「離陸します。みんな、離れて!」

 

 言われた通り、急いで距離をとるオークたちの中から、あの老婆がしゃがれた大声で叫んだ。

 

「お姉さん、気をつけるんだよ。せがれは、帰ってこなかった。ロザリンドから。あんたは死んじゃいけないよ!」

 

 ヘルヴェアは振り返らない。

 

 だが、老婆がしきりと手を振っているのが分かる。彼女は魔女と呼ばれた操縦士だ。連打する魔術探知波で、背中にも目をつけている。

 

 機体を緩やかに前進させ、徐々に加速していく。再始動したエンジンは、好調を取り戻したようだった。

 

 やがて浮かび上がり、急速に上昇する戦闘機。その操縦席で、白エルフが目尻を一度だけ拭ったことは、誰も知らない。

 

 

 

(④「帰還」へ続く)

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