九人の白エルフ   作:芝三十郎

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中立国の戦空⑤ 戦中の夜

 夜の衛戍地は静かである。

 

 事実上の戦時中である現在、空軍の戦闘機部隊は、士官であれ、下士官兵であれ、基本的には衛戍地内の宿舎暮らしだ。

 

 なればこそ、勤務を終えた者は、ほとんどが夜の街に繰り出し、門限ぎりぎりまで帰らない。様々な店で騒ぎに騒ぎ、日頃の憂さを晴らさなければ、耐えられない毎日だ。

 

 現に、耐えられなくなった者もいる。

 

 私服に着替え、街に出ようと士官宿舎を出たムートは、その音を耳にした。

 

 辺りには、彼が暮らしているのと同じ、ごく小さな木造戸建てが並んでいる。一戸あたり居室一つに、厠とシャワーがあるだけだが、一応は士官の待遇である。

 

 その家々のいくつかから、薄い壁越しに、不審な物音が聞こえる。

 

 壁や床を殴りつける音。

 

 しくしくと啜り泣く声。

 

 戸に架かる名札をみれば、「まさか、あいつが」と思うような勇士たちだ。勤務中は真面目に、あるいは快活に振る舞っているのに、宿舎に帰るや引き篭もり、そのように過ごしている。

 

 そうなった者は、もう長くない。ムートは経験で知っている。少しずつ口数が減る。表情の変化がなくなる。そして上空で、技量からは考えられぬ初歩的な過誤をやらかして、死ぬ。

 

 幾日か前、迎撃任務のあとに、着陸に失敗して死んだマグマというコボルトも、そのような兆候があった。

 

 そうなる前に転勤させ、操縦任務から降ろし、事務仕事にまわすべきだ。そう分かっていても、できない。

 

 操縦士が足りないのだ。広大なオルクセン領のあちこちに基地を設け、戦闘機隊を配置し、日夜のシフトを組まねばならない。戦闘機の操縦資格をもつ者は、教官以外はことごとく前線に出突っ張りだ。数日の休暇を取ることさえ難しい。

 

「平和なうちに、もっと養成しておけば」

 

 と、空軍の参謀たちは、ほぞを噛んでいる。

 

 しかし、前大戦が終わり、平和を謳歌していた時期、今では「戦間期」と呼ばれるようになった泰平の時代には、そんな予算はなかった。もう軍隊など無用だという気分が、社会に横溢していたからだ。

 

 その楽観主義のツケが、いま戦時の操縦士を押し潰そうとしている。

 

 彼らは、事故で、戦いで仲間が死ぬたび、次こそ自分の番かと、精神を痛めつけられる。それでも、死ぬまで飛び続けるしかない。

 

 そんな毎日に耐えかねた者たちは、心の深いところで、死による解放を望むようになる。

 

 ムートは思う。

 

(ああなったら、終わりだ。せいぜい、遊べ。誰がくたばろうが、騒いで忘れちまうしかない)

 

 というのが、彼に限らず、まだ生きる望みを捨てずにいる操縦士の処世術だ。

 

「よお、運がいいな。今日はアタリの日か」

 

 と、飛行服を着たまま、煙草盆を使っているボルゾイ種の操縦士が、通りすがるムートに言った。ムートは陽気に応じねばならない。

 

「おう。お前、当直か。残念だったな」

 

「姐さん方に、よろしくな。早めに、また来てくれと言っといてくれ」

 

 巡業の公娼たちのことである。大きな街の衛戍地ならば、必ず近くに公娼館がある。が、このような地方となると、巡業がまわってくるのを待たねばならない。

 

「おっと、コボルトの姐さん方だぜ。近頃、白エルフ女ばっかりだけどな」

 

 昔から白エルフの娼婦は多いが、第二次星欧大戦の開戦後は特に増えている。世界戦争ゆえの不景気と物価高は、元から貧しいベレリアントを直撃しているのだ。

 

 無論、操縦士は、そのような経済論、あるいは社会論を言っているわけではない。

 

「俺は同族好みなんでな」

 

 そう言うと、操縦士は意味ありげな笑みを浮かべた。ムートは、やりかえした。

 

「いいけどな、向こうが嫌がるかもしれんぜ。ボルゾイ種は細っちいってよ」

 

 悪態をつき始めた相手に、口笛を返して通り過ぎる。

 

 なお歩いていると、闇の中に炎が見えた。グラウンドの方である。

 

「焚き火か?」

 

 不審に思って近づくと、火を焚いているのは、彼の僚機を駆る白エルフであった。膝を抱えるようにして地面に座り、小さな炎を眺めている。

 

「何してんだ、お前」

 

 彼を振り返った白エルフの顔は、いつもに増して青白く見えた。

 

「焚き火」

 

 と、平坦な声で答える。

 

「見りゃ、分かるけどよ。どういう趣味だ?」

 

「弔いだ」

 

 ムートは虚をつかれた。何を考えているのか分からない白エルフ女に、そんな心性があるとは意外だった。

 

 ヘルヴェアは、今日、死んだ操縦士とは険悪な仲であったし、昼間にも、死んで当然だというようなことを言っていた。それなのに今は、その死をひとり密かに悼んでいるという。

 

 ムートは思う。言葉と行動で外に現れているヘルヴェアと、その内実には、大きな隔たりがあるらしい。そういう自分の観察は、やはり正しかったのだ。

 

 が、それを、他の者にどう伝え、どう取り持ったものか。

 

 ムートが、そんなことを考えていると、ヘルヴェアは知らぬように言葉を続けた。

 

「……白エルフは、同胞が死んだら、火を焚いて、白銀樹に祈るんだ。死んだ仲間の魂が、母なる樹に帰って安らぐように」

 

 そう一方的に説明すると、ヘルヴェアは、やはり一方的に話題を変えた。

 

「行かないのか?」

 

 ムートは、うっ、と唸りそうになった。

 

 この時間に出かけるとなれば、遊客としてに決まっている。公娼の巡業は、操縦士のみならず将兵の数少ない楽しみである。昼のうち、衛戍地内は、その話題ばかりだった。尖り耳にも届いていないはずがなかった。

 

 ムートは快活さを装い、楽しげに聞こえるように言った。

 

「おお、行くともさ。へっへ。じゃあな」

 

 そう言って、白エルフに背を向ける。口笛の一つも吹きながら、営門の方に向かった。

 

 門が見えてくる。衛兵に叩くべき冗談口を考えたところで、ムートは足を止めた。

 

 ため息を一つつく。

 

 すっかり興が冷めている。

 

 温もりを求める牡の衝動も、生きるためには無理にでも遊ばねばならぬという観念も、どこかに消えてしまった。

 

 あるのはただ、ひどく後ろめたい気分だけだ。

 

 そのおかげで、色々なことが分かりかけている。いや、本当は、とっくに分かっていたのに、目を逸らしきただけなのだ。

 

「ちっ」

 

 くるりと振り向いて、グラウンドへ引き返す。

 

 闇の中に、小さな火がまだ揺れている。無視することはできそうにない。

 

 彼は、その火に近寄ると、白エルフの斜め向かいに腰をおろした。無言で彼を見るヘルヴェアの顔は、他の者には無表情にしか見えないだろうが、明らかに怪訝そうだった。

 

「お前が辛気臭ぇ話、するからだ。気分が醒めちまった」

 

「……そんなものか」

 

「そんなもんだ」

 

 ヘルヴェアは、少し座り方を直した。

 

 ムートも、何やら尻の座りが悪い気がした。むずむずとする。

 

 だから彼も座り直した。それで、白エルフとコボルトの距離は、ごく僅かに縮まった。

 

 が、会話はない。白エルフの方は、元来、無愛想である。コボルトが喋らねば、会話が起こらないのはいつものことだ。

 

 ムートは、何かを気分の変わることを言おうとした。

 

「コボルトの弔いは」

 

 口にして、失敗したと思ったが、そのまま続けるしかない。

 

「……火は焚かねぇな」

 

「そうなのか?」

 

「もとが、北海の交易種族だからだろうな。船の上じゃ、焚き火は都合が悪い」

 

「じゃあ、どうするんだ?」

 

「黙って祈るだけだ。白エルフと違って、細かい作法はない」

 

 魔種族の宗教は、普通、大雑把なものである。自然の恵みに感謝し、死者を悼むという信仰はあるが、職業的な祭祀役や、細かな祈りの作法は持たない。

 

 その例外がエルフたちだ。白銀樹を主な信仰対象として、その祭祀や礼拝は、厳格な体系を持っている。

 

「何に祈ればいい? コボルトの魂はどこへ帰る」

 

 白エルフは、ひどく生真面目に尋ねてきた。

 

「魂か」

 

 日頃は過剰なほど現実的で、情味に欠けるヘルヴェアが、そんなことを聞くとは驚きだった。

 

 そこは白エルフらしく、コボルト族よりも余程に敬虔なのかもしれない。あるいは、死者を悼むとなれば、悼まれる方の信仰に従わねばならぬとか、この女らしい生真面目さで考えているのかもしれない。

 

「一応、俺らの種族としてはだな……」

 

 ムートは、指で頬を掻きながら、躊躇いがちに答えた。

 

「その、な。星に祈る。死んだら魂が天に昇って、星になるって言われてる」

 

 子どもじみた解説をさせられて、ムートは、ばつが悪い。

 

「やっぱり、船乗りが多かったからだろうな」

 

 ムートは想像した。オルクセン王国の成立より以前。北海を支配し、一時は地裂海にまで勢力を伸ばしたというコボルトの商業集団、フンデ同盟の船乗りたちを。

 

 船乗りにとって、星は道しるべである。古代のコボルトは、商品を満載した船旅の途中で失った同胞を、恐らくは水葬に付し、そして祈ったことだろう。死んだ仲間が星となって安らぎ、自分たちの航海の安全を守ってくれるようにと。

 

 無論、そのような信仰は大昔のものである。

 

「誰にも言うなよ。恥ずかしい」

 

「恥ずかしくはない。種族の信仰なんだろう」

 

「お伽話だ。真面目にとるな」

 

 白エルフは、こくりと頷いたが、顔を上げて夜空の星を眺め始めた。

 

 その横顔には、何の変化も見られない。ただ、尖り耳も、白皙の頬も、白エルフには珍しい濃いブラウンヘアも、焚火に照らされて、まぶしい程に煌めいている。

 

 自分の視線が惹きつけられていたことに気づき、ムートは焚火に目を移した。

 

 ヘルヴェアも、内心の祈りでも終えたのか、視線を焚き火に戻した。相変わらず膝を抱えて、じっとしている。

 

 ムートには不思議な確信がある。

 

 もしも彼が今、何か血迷ったことを口にすれば、この白エルフは、子供のような素直さで、頷いてしまうに違いない。

 

 しかしそれが、女の本心だと、そう思ってよいのか。彼が、この微妙な距離を踏み越えようとしたなら、女は「もし拒んだら」と考えるだろう。彼が女から離れ、真に孤立することになるまいかと案じるだろう。そこに付けこむ形になる。彼は、それが嫌だった。

 

 まして、今夜は娼館に行こうとし、とって返してきたばかりだ。その手で触れてていい女ではない。そんな成り行きを、この女に強いるくらいなら、自分の頭に拳銃弾をぶち込んだ方が、ずっと気分が良いだろう。

 

 そういう後ろめたさがある。後ろめたい。誠実でいたいという思いが、彼に自覚を迫った。

 

 だから、今ではない。

 

 この白エルフが自分を惹きつけてやまないのは、彼女が卓越した操縦士、アイスだからではない。

 

 ヘルヴェア・オストエレンという、哀れで健気な、この世界でただひとりの女だからだ。そして周囲を傷つけ、それ以上に自分も傷つき続けてきた白エルフは、いつか報われねばならないと、彼は信じている。

 

 自分が、種族の違いを越えて、この女を愛するなら、正々堂々と愛するべきだ。それによって、この苦労性の白エルフを、陰鬱なベレリアントの雲間から、明るいオルクセンの太陽の下へ、連れ出してやらねばならない。それが、彼が望むことの全てだった。

 

 だからムートは何も言わない。ヘルヴェアも、いつも通りの無口である。沈黙のうちに、やがて薪は尽きた。

 

「……さて、帰るか。物騒だ。送ってやるよ」

 

 ムートは腰をあげた。

 

「衛戍地の中だぞ」

 

 ヘルヴェアは嘲るように応じ、同じく立ち上がった。

 

 ムートは、軽く怒ったように言う。

 

「この時間だぞ。物騒には違いない」

 

「……どこまで送ってくれるんだ?」

 

 馬鹿にするように問う白エルフの青い目が、わずかに光ったような気がした。ムートもまた、呆れたような、説教をするような口ぶりで言う。

 

「どこって、お前。牡が女を送るって言ったら、お前の宿舎の、入り口の前までだ」

 

 彼は言葉の通りにした。ヘルヴェアは、さっさと自分の宿舎に引っ込み、彼も短い家路についた。

 

 その途中、小石を一つ蹴飛ばした。

 

 翌朝、いつものように自室の寝台で目覚めると、ずいぶんすっきりとした気分だった。

 

 久々に深く眠れたらしい。

 

 

 

(「⑥最後の一線」に続く)

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