九人の白エルフ   作:芝三十郎

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危機に陥ったムートは、優れた技量で相手を翻弄する。ヘルヴェアの救援は間に合うのか。web版読了後推奨


中立国の戦空⑦ 最後の一線

 機種は同じでも、いつもとは別の機体に乗り換えて発進したヘルヴェア・オストエレンは、彼女の長機に追いつくべく、西の空へ急行している。

 

 内心で、離陸前に聞いたドワーフの整備班長の言葉を反芻する。

 

<エンジン不調の原因が分かった。キャブレターだ。構造上、燃料供給が安定しないことがある>

 

<回転が乱れるのは、そのせいだ。特に、急激な負の加速が加わると、完全に燃料供給が絶える>

 

<例えば急降下だ。すまない、中尉。あんたの言う通りだった。対策は……>

 

 結局、彼女の懸念が正しかったのだ。

 

 誰も彼も、彼女の言葉を聞かない。いつでも必要なことを、正しいことを伝えているはずなのに。

 

 彼女の長機、ムートもそうだった。

 

<後から来い。俺は先に行って、見つけておく>

 

 ヘルヴェアは歯噛みする。

 

 何もかも、うまくいかない。エンジンは快調に動いているが、燃料供給は既に全開だ。これ以上、速度を上げることはできない。

 

 あの、どうしようもなく愚かなコボルトが、彼女を必要としているはずなのに。

 

 眼下に広がる南オルクセン平原、その緑の牧野が、小麦を揺らす農地が、凄まじい速度で過ぎ去っていく。

 

 州境を越え、オルクセンの西部、ランゲンフェルト州に入ったのが分かった。

 

 前方の地平線が輝きだす。国境の大河、メテオーアだ。その流域は、豊かな水と鉱物資源に恵まれた、オルクセン有数の工業地帯である。

 

 無線から管制官が告げる。

 

<侵入機は西進を継続中。グロワール方面へ向かうと思われる>

  

 メテオーア川を越え、ヴィッセン準州を越えれば、隣国グロワール。大戦の戦場である。

 

 侵入したアスカニア空軍機は、オルクセン領を通り、戦場を奇襲しようとしているに違いない。オルクセンの領空を、その主権を、国家ではなく、道路のように踏みにじって。

 

 操縦桿を握る白エルフの手に、うっすらと汗がにじむ。

 

 ヘルヴェアは額に意識を集中した。まだ無意味だと知りながら、魔術探知波を最大出力で放つ。何も返ってこない。遠すぎるのだ。彼女の術力をもってしても、探知波は十キロほどしか届かない。

 

 長機の状況を知るには、管制局からの情報だけが頼りだ。

 

<間もなく、ジルフ〇一が侵入機と接触する>

 

 太く、舗装された道路が見える。その両脇に散在する家屋が、西へ行くにつれ増えていく。茶と灰色に彩られた市街地が見えた。

 

<ジルフ〇一が侵入機を発見した。アスカニア空軍の爆撃機……三個編隊……位置は……>

 

 ヘルヴェアは、その方角へ目を凝らす。塵のような点が見えた。錯覚ではなさそうだ。彼女の長機か、侵入機かは分からない。

 

「こちらジルフ〇二。こちらでも目視した。〇一、聞こえるか」

 

 返答はない。ノイズが聞こえるだけである。遠すぎるらしい。

 

「〇一、こちらジルフ〇二。現在、接近中だ。いま――」

 

 聞きなれた声がした。

 

<直上に、護衛戦闘機!>

 

 彼女も目視した。戦闘機らしき機影が降下している。その先にある点が、彼女の長機に違いない。

 

 再び、最大出力で魔術探知波を放つが、反射波の返りはない。

 

 ムート機らしき機影は、左急旋回して降下。それで初撃はかわしたらしい。

 

 敵機と思しき機影たちは五、いや六機だ。ムート機に追いすがっている。

 

 垂直に宙返りし、かと思えば左捻りで降下。空の青と市街の灰色を背景に、敵味方の曳光弾が交差している。

 

 

 ムートは懸命な回避を続けている。

 

 初撃を察知し、かわせたのは幸運だった。かつて、一対一の戦闘訓練で、白エルフに一撃で仕留められた経験が生きたのかもしれない。

 

 六機のアスカニア戦闘機は、ただ一機の彼を包囲し、後方を取ろうと追いすがる。

 

「管制、〇一、交戦中……!」

 

 端的に報告し、コボルトは鋭い牙を食いしばる。

 

 決して、慌ててはならない。そして絶対に、直線で飛行してはならない。左右に、上下に、軌道を変化させ続ける。そうすれば、機軸が合わない銃撃は、当たるものではない。

 

 一瞬前まで頭上にあった地面が、今は右方向に、かと思えば次は左にきている。三半規管が悲鳴をあげるが、無視する。

 

 内臓がせり上がるような激しい機動を続けつつ、ムートは間断なく周囲に目をやる。次に自分を狙う敵を探しているのだ。

 

 敵が多数でも、一度に瞬間射撃できるのは一機だけだ。二機で同時に狙えば、敵機同士が空中接触しかねない。ゆえに、一度には一機を避ければいい。敵の射撃を先読みしては、最も機敏に動ける左急旋回で回避。必ず、一機と一機の攻撃の間には隙がある。その隙を衝き、失った高度と速度を回復する。そしてまた、次の攻撃を回避する。

 

 これまでに培った操縦技量、その全てを投入し、ムート機は回避機動を続ける。Vf-43の優れた運動性を極限まで引き出し、六倍の敵を翻弄する。

 

 幾度目かの攻撃を、やはり左急旋回で回避し、速度を回復しようとする合間。

 

 激しく首を振って索敵するムートの視野に、最初に見つけた爆撃機編隊が入った。楔隊形で進み続ける、三個編隊。その下は、煙突が並ぶ工業地帯。エアハルト市であろう。

 

 その爆撃機群から、次から次に、黒い点のようなものが落ちていく。

 

 まさかと思い、その落下を目で追う。極限状態でも冷静さを保っていた頭脳が、状況の理解を拒否している。

 

 時間の流れを遅く感じる。

 

 やがて、樽のような黒点は地表の建物に吸い込まれた。閃光が次々に生じ、遅れて爆発音が届いた。

 

「ち、ちくしょう」

 

 第二次星欧大戦で、いや、歴史上で、オルクセンが初めて受けた空襲被害だった。

 

 ムートは、その瞬間に居合わせた。爆撃を止められず、自分が逃げ回るので精一杯だった。

 

「南部管制、奴ら、やりやがった! アスカニア機が市街に爆撃を!」

 

 黒煙が立ち昇っている。その隙間から、屋根が吹き飛んだ民家が見える。その中に、幾名が暮らしていたことだろう。

 

 怒りのあまり、頭に血がのぼる。冷静さは消え失せる。

 

 既に十秒近くもの間、単調な直進を続けていると、彼は気づいていなかった。

 

 その報いは、衝撃だった。右から強烈に殴られたようになる。その一瞬だけ、周囲の轟音が無音に変わる。自分の身体が傾き、それ以上に機体が傾いたことが分かるが、どうにもならない。

 

 やがて痛みを知覚した時、視界の半分が赤く染まっていた。

 

「くっ……!」

 

 半ば以上は本能で操縦桿を操作し、左旋回を入れる。

 

 徐々に聴覚が戻り、無線機が聞きなれた声で叫んでいると分かった。

 

<〇一、聞こえるか。東へ離脱しろ!>

 

 白エルフの声である。かつて聞いたことのない声だった。

 

<〇一、被弾したのか!?>

 

 舌に血の味を感じながら、彼は応答した。

 

「目をやられた。前が真っ赤だ」

 

 火事場に迷い込んだようだった。特に右側が赤いことに気づき、右目だけを閉じる。猛烈な痛みが走ったが、世界の赤色が消えた。左目は無事だと分かった。

 

 無線機から悲鳴のような声が聞こえた。

 

 実に珍しい。

 

 ムートは可笑しくなった。あいつ、焦ることがあるのか。いつでも余裕綽々で、傲慢なくらい冷静な奴が。

 

 まるで普通の女のように、彼を案じ、怯え、恐れているようだ。

 

 笑いの衝動の中で、彼は気づいた。左半分になった視界の中で、燃料計が急速に下がっている。燃料タンクに穴が開いたに違いない。

 

<翼をやられてる。脱出しろ。今すぐに!>

 

 この時代の戦闘機に、射出型の脱出装置はない。風防を跳ね上げ、翼に登り、後方へ飛び降りるのだ。ある程度まで降下したところで、落下傘を開く。運が良ければ死なない。

 

 痛み、揺れる視野、低下する意識の中で、ムートは相棒の言葉に従おうとした。

 

「ああ、今……」

 

 風防を跳ね上げようとした、ムートの左腕が止まった。

 

 下がり始めた機首。その正面に見える景色が、彼を釘付けにしたのだ。

 

「あ……」

 

 エアハルト市の市街が正面にあった。大きな工場。並木のある大通り。立ち並ぶ商店。煉瓦造りの家、家、家。

 

 その景色は美しかった。目が眩むほどに輝き、いつまでも見ていたいと思った。

 

 だが、その何か所もから、黒煙が上がっている。燃え上がる炎も見える。

 

 その瞬間、その操縦席で、ムートことフェリクス・フォルカー大尉は、目に映るすべてを理解した。

 

 血と炎で赤く染まっても、この世界は美しい。

 

 そこにある、無数の営み。

 

 ここにいる、小さな自分。

 

 すべての運命が、いま彼の手の中にあった。操縦桿という。

 

 爆発音がした。素早く目をやると、右の翼が折れかけている。また被弾したらしい。

 

 ムートは前を向き、掌中の運命を握り直した。そして不敵に笑う。

 

 まだ、やれる。

 

 ◆

 

 ヘルヴェアは、無線機に向けて叫び続けている。

 

「〇一、聞こえないのか。脱出しろ!」

 

 応答は切れ切れだ。それも当然で、遠くに見えるムート機は機首を急激に下げ、ほとんど落下しかけている。

 

<駄目……立て直す……>

 

 ノイズまじりの声に、彼女は怒鳴り返した。

 

「馬鹿ッ! すぐに脱出だ!」

 

<嫌だ……諦め……い……教官………>

 

 片翼の折れかけたVf-43が、僅かに機首をあげたように見えた。錐揉み状態になりかけたが、旋回しつつ急降下していく。

 

 白エルフは、自分が幼子のように泣き叫んでいると気づかない。

 

 その尖り耳は、自分の悲鳴を無視し、無線に集中している。ノイズが酷い。

 

<見て……ト………ア!>

 

 白エルフの喉が、何かを叫んだように思う。

 

 その声が途切れた時、ムート機は市街地から僅かに外れた郊外の緑地に墜落した。

 

「あ……」

 

 木々の合間に炎と黒煙が見えた。操縦士が脱出した様子はなかった。

 

「ああ……」

 

 激情が突き上げる。言葉にならぬ衝動が、彼女に命じている。直ちに準備し、そして戦えと言っている。

 

 白エルフの手が素早く動く。

 

 燃料コックを翼内タンクへ切り替え、直ちに落下増槽を投下。プロペラの回転を高回転に固定。

 

 最大出力で魔術波を打ち出す。その反射波で、撃つべき敵を捕捉する。

 

「おのれぇッ!」

 

 重しから解放された機体は、急激に速度を増した。

 

 ◆

 

 第十一兵団の中枢管制所では、ケーニヒ少尉が状況を確認している。上擦りかける声を抑え、懸命に問いただす。

 

「ジルフ〇一、〇二、応答せよ。状況を報告せよ。ジルフ、どうなっている」

 

 応答は女の声だった。冷静そのものの声だ。

 

<こちらジルフ〇二だ。〇一は、侵入機に撃墜された>

 

「何だって……!」

 

<侵入機は北西進を継続。追撃する>

 

「よせ、〇二。増援を待て。あと五分で着く」

 

<待てない。既に市街地が爆撃されている>

 

「一機で勝ち目はないぞ。近づくんじゃない」

 

<管制、〇一の墜落地点を確認した。市街の西の森だ。演習場らしい>

 

「聞いているのか」

 

<地上部隊が見える。救助を頼め。了解か>

 

「引き返せ、〇二! 繰り返す……」

 

 途端、後ろから伸びてきた毛むくじゃらの手が、ケーニヒ少尉からマイクを取り上げた。

 

 少尉が振り返ると、マイクを奪ったコボルトは兵団長だった。作業机に左手をついて身体を支えつつ、コボルトの将軍は、マイクに自ら呼びかけた。

 

「ジルフ〇二、貴様、まだ冷静か」

 

<〇二、肯定です>

 

「いつも通りにやれるか」

 

<〇二、肯定>

 

「分かった。では、行け」

 

 ケーニヒ少尉をはじめ、その場の全員が息を呑む。

 

 張り詰める空気の中で、兵団長は平然と命じた。

 

「ジルフ〇二、全侵入機の撃墜を許可する」

 

 

 

 

(「⑧ 風の妖精」に続く)

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