国土への初空襲という未曾有の事態と、兵団長の大胆な決断は、中枢管制所に異様な緊張をみなぎらせた。
日頃は冷静な参謀長のコボルトが、上擦った声で上官の勇み足を諌止する。
「いけません、兵団長! たった一機で何ができます」
兵団長にして少将の地位にあるコボルトは、常と変わらぬ気難しげな顔と声である。
「あと五分は、奴しかおらんのだろう」
ぶっきらぼうに応じられても、参謀長は食い下がる。
「組織的な空襲です。これまでとは違います。外務省に確認せねばなりません」
他の参謀たちも参謀長と同心らしい。すがるような眼で兵団長を見ている。管制官や監視員たちも固唾をのみ、耳を立てて議論に聞き入っている。
「そんな暇があるか。国民を殺されて、爪を咥えて待つような国がどこにある」
「しかし、迂闊に反撃して、世界大戦に巻き込まれることになっては……」
なおも言い募ろうとする参謀長を、兵団長は一喝した。
「責任は俺が取る! お前らは仕事に集中しろ。いいか――」
腕を大きく振りかざし、管制所の全体に向けて指示を発した。
「増援の投入、次波の警戒、〇一の救助! この三つだ。それぞれに、かかれッ!」
その号令で、全員から迷いが掻き消えた。
管制官は無線機を、参謀たちは電話機を引っ掴み、てきぱきと連絡をいれ始めた。
「投入できる在地機は全部あげろ」
「第八兵団、こちら第十一兵団。先回りして網を張れ」
「次波らしきものはいないか」
「レーダーの報告を再整理します」
「エアハルト市の陸軍につなげ。演習場にいる部隊に救助要請を」
「うちの猟兵かもしれんぞ。空軍総司令部にも連絡する」
先ほどまでは紛糾錯雑としていた室内の空気が、整然とした闊達さに置き換わり、一つの生き物のように機能している。
その中心にいる兵団長は、刻々と更新される空域図を睨みつけている。
そのつぶやきを聞いたのは、傍らにいるケーニヒ少尉だけだった。
少将の階級をもつ歴戦のコボルトは、口元に手をあて、噛み殺すような小声で言った。
「……頼むぞ、アイス。悪党どもを叩き落とせ……!」
◆
最大限に加速したヘルヴェア機は、市街地上空を思うさまに飛ぶアスカニアの戦闘機群、そのただ中に突入した。
アスカニア機は二機ずつの三個編隊に分かれ、たった一機の突進を取り囲もうとする。五百メートル以上の距離で、発砲。
ヘルヴェア機は直進を続ける。この距離では、まず当たらないのだ。当たり始めるのは二百メートル程度からだ。瞬く間に距離がつまり、白エルフの目前を曳光弾が走った。すかさず操縦桿をわずかに切り、弾道の反対向きへの横滑りを挟み、なおも突進する。
包囲を試みる敵戦闘機の中央を、最大速度で突破。追いすがる敵戦闘機を後ろに従えながら、その全てを無視して、ヘルヴェアは敵爆撃機の方へ向かった。
先ほど市街を空襲したばかりの爆撃機が三機。郊外の緑野の上を、悠々と縦になって飛んでいる。間隔は二百メートルほどか。
ヘルヴェアは、その最後尾の後上方、絶好の位置につくと、左捻りこみで襲い掛かった。彼女の射撃は短い。ほんの一秒だけ放たれた火線は、正確に敵翼下のエンジンへ吸い込まれていった。途端、エンジンから燃え盛る火焔をあげて、獲物は空中分解した。
その落ちゆく姿に目もくれず、ヘルヴェア機は急上昇。ほとんど即座というべき素早さで、二番機の左後上方五百メートルを占めた。
直ちに機首をさげ、今度は右に捻り込み、二番機にも襲い掛かる。機軸を合わすまでもなく、捻りこみながら射撃。敵機は火も吹かず、すぐに錐もみで落ちていった。操縦席を狙い撃たれたせいである。
再度上昇し、一番機の左上方に肉薄。またもや右捻りこみで射撃を狙う。
敵はさすがに気付き、斜めに宙返りして軸線をさけようとした。
しかし、その回避運動のために、爆撃機の大きな背面を的のように晒した。
ヘルヴェアが即座に放った射撃は、爆撃機の左主翼を付け根から吹き飛ばした。片方だけとなった爆撃機は、くるくると回りながら堕ちていった。落ちゆく機体から何かが飛び出したかと思うと、パッと落下傘が開いた。
「撃墜、三」
残る爆撃機は二個編隊、六機。突然の大被害に驚いたか、グロワール方面へ急ぎつつ、防御に適した密集隊形を作ろうとしている。
それが完成する前に襲い掛かろうとするヘルヴェアの後方に、面目を失ったアスカニア戦闘機六機が、ようやく追いついてきた。
ヘルヴェアは襲撃を一旦打ち切り、速度を増して逃げる。アスカニア機は追いすがる。最高速度ではアスカニア機が僅かにまさる。
そのうち二機がヘルヴェアの背後から距離を詰め、絶好の射撃位置を占めると、発砲。
が、僅かな差であたらない。アスカニア機は、なお追いすがりつつ射撃を続けるが、それでも当たらない。
なぜならば、彼らが追うのは白エルフ。後方へ連打する魔術探知波で、射撃方位を見切っては、進路に微妙な角度をつけて、的確に機軸をずらし続ける。そして戦機を待っている。
「……来い。そのままだ」
アスカニア機は、ますますむきになり、また追撃の優位から、ヘルヴェア機に追いすがる。彼我の距離が二十メートルを切り、ほとんど追突するかと思うほどに迫る。
その距離を狙っていたヘルヴェアは、操縦桿を力いっぱいに引いた。急角度の上昇。出力は全開のままだが、速度は急速に低下する。
ほとんど一瞬で直立する機体。途端、操縦桿が軽くなる。機首が勝手に落ちようとする、その刹那を見極めて、ヘルヴェアはペダルを蹴り飛ばすように踏み込んだ。
ヘルヴェア機の翼から揚力が失せ、舞い落ちる木の葉のように落下しながら横回転。後ろから追いすがっていた敵、その更に後ろに回り込む。
横回転のままに薙ぎ払うような射撃で、寸秒前までは絶対の優位にあった敵の一機を一瞬で片付けた。敵機は黒煙を尾のように引きながら堕ちていった。
ヘルヴェアは機体を立て直しつつ、もう一機の後方を襲おうとする。
優位から一転して後を奪われかけた敵は、常法の左捻りこみからの垂直降下で離脱。ヘルヴェアも急激な左捻りこみで追う。
垂直に降下しつつ、敵の後方五十メートルで射撃。敵機がパッと黒煙を吹いた。その煙が白エルフの顔にかかる。炎を視認するや、操縦桿を引いて急上昇する。
「撃墜、五」
ヘルヴェア機が高度を回復しているさなか、無線機が告げた。
<ジルフ〇二、こちらコベル〇一。まもなく戦闘加入する! 我、敵の進路に回り込みつつあり!>
「ジルフ〇二、了解。そのまま爆撃機の頭を押さえろ。あと六機残ってる」
<了解だが、ジルフ。敵戦闘機は>
「そちらは任せろ」
そう告げると、残る四機の戦闘機に向けて、ヘルヴェア機は突進した。
前方の敵編隊との距離が急速につまる。五百メートル余り。射撃しても、まだ当たる距離ではない――と、敵は思ったかもしれない。
それでも、ヘルヴェアは敢然と撃った。
その目に映る照準板は、敵機を映してはいない。高速飛行する敵機、その偏差を予測して、未来位置を狙い撃つ。
敵は、まず一機目、次いで二機目とも、ほとんど機体中央を射抜かれて、空中で砕けるように分解しつつ、はるか下方へ消えていった。
「撃墜、七」
最後の戦闘機編隊は、ヘルヴェアの鋭鋒を避け、反航戦を挑んできた。
互いに高速ですれ違うタイミングで、ヘルヴェア機は左急旋回。敵の左翼下へ入り込む。敵の長機は警戒して右へ大きく開いた。敵機の青白い腹が見える。急旋回で離脱していった。
ヘルヴェアの口角が歪む。
「僚機を見捨てるか」
その声には静かな怒りがあるが、彼女の機動は冷酷そのものだ。逃げ遅れた一機の右翼下に潜り込み、遅まきながら右旋回で逃げようとする敵の出鼻を抑える。敵機は慌てたらしい。大きく左バンクし、垂直旋回で逃げようとして、無防備にも腹をみせた。
ヘルヴェアは、その瞬間、操縦桿と左フットバーを極度に効かせ、機首を左前方へねじ込む。
敵と同方向の旋回、しかも自機は敵の後下方につき、絶対的な優位を取った。
正面至近の敵機は、照準器からはみ出すほどに大きい。即座に射撃すると、一瞬で敵の風防が吹き飛び、錐揉み状態で堕ちていった。
「撃墜、八」
ヘルヴェアは、魔術波を爆撃機の方に向けつつ、肉眼では先ほど逃げた敵戦闘機を睨んだ。
最後の敵機は、遁走にかかっている。僚機を捨てたばかりか、守るべき爆撃機のことも忘れたように、雲の中へと突っ込んでいった。
普通、雲中に逃げれば、追撃の手はかからない。照準のつけようがないし、空中衝突を恐れるからだ。
ヘルヴェア機は諦めて、爆撃機の方に向かうしかない――と、思ったのであろう。
しかし、敵は知らない。雲に逃げ込んだ瞬間、彼を追う白エルフの目が、赤く輝いたことを。
夜を見通す、エルフの紅眼。その原理は既に解明されている。赤外線を捉えているのだ。闇夜であっても、生き物は赤外線を発している。エンジンも同様である。そして赤外線の一部は、水蒸気を透かして届く。
ヘルヴェアの視界の中で、濃密な雲が朝霧のように晴れていく。
一直線に逃げる敵戦闘機の姿が、無残なほどあらわになった。その未来位置に機首を向けて短い連射を送った。敵は翼の付け根から二つに折れるようにして堕ちていった。
「撃墜、九。敵戦闘機は片づけた」
そう報告しつつ、ヘルヴェアの目は燃料計に向いている。帰投可能なぎりぎりだ。
それでも彼女の魔術波は、まだ戦いの空へ向いている。残る敵爆撃機は、増援でやってきたオルクセン戦闘機隊に群がられ、防御隊形も空しく、次々に撃墜されている。六機いたものが三機にまで減っていた。
もはや編隊を維持できなくなり、二機と一機に分かれ、別方向に逃げていく。
敵二機は西方へ。その後ろから増援のオルクセン機が追いすがる。
残る敵一機は、急激に高度をさげて勢いを増し、全速で南へ逃げている。
それを追うならば、ヘルヴェアも急降下せねばならない。
ドワーフの整備班長の声が、彼女の脳裏によみがえる。
<急激な負の加速が加わると、燃料供給が絶える。例えば急降下だ。対策は……>
白エルフの機体は、くるりと横回転し、背面飛行に移った。
ヘルヴェアの頭上に、オルクセンの大地がある。そこへ向け、白エルフは操縦桿を引いた。
機首を上げる動作で、機体が真下を向く。背面急降下。ドワーフが教えた対策だった。
高度と引き換えに急加速するが、エンジンは高回転のままである。
高度計の針が瞬く間に低下する。
その間に、ヘルヴェア機は緩やかに横回転。高度計が零を示すと同時に、水平飛行に戻った。
敵の真後ろ数百メートル、同高度にピタリとつけている。
目測では、地上から二十メートルというところだ。林の樹々の先端が機体の腹を掠める。
敵は右に左に頭をふりながら逃げる。必死に避けて、撃たれまいとしているのだ。
眼下の森が消え、木立が消え、開けた黒い農地に変わる。その間も連打する魔術波で、刻々と詰まる敵との距離を測る。
七十。
六十。
ようやく五十メートルまで詰めた。残り僅かな機銃弾、その全てを撃ち込む。
火線を吸い込んだかと思うと、途端、敵機は高度を下げて、そのまま畑の中へ突っ込んだ。
地面に打ち付けられながら、とんぼ返りを繰り返す。
折れた主翼が吹き飛ぶ。尾翼が、風防が、部品という部品が次々に弾け飛ぶ。
四分五裂しつつ転がった敵機は、跡形もない残骸に成り果てて、ついに止まった。
ヘルヴェア機は既に上昇に移っている。
「撃墜、十」
目視と魔術探知波で、残っていた二機の爆撃機が落下していくのが分かった。
高度とともに通信を回復し、淡々と報告を送る。
「南部管制、こちらジルフ〇二。敵機の全滅を確認」
返答にはわずかな間があった。管制官は、畏れるような声で言った。
<……了解。侵入機を全機撃墜>
プロペラの回転を巡行に切り替え、衛戍地への水平飛行に移る。
「我、残燃料、乏し。これより帰投する」
ちらりと下を見る。
彼女の長機が墜落した演習場では、細い煙がまだ立ち昇っているようだった。蟻のように小さく、兵たちの影が動くのが見えた。
(次話「彼方へ」へ続く)