アンファングリア騎兵に護衛された九人の白エルフは、ラピアカプツェ大学の正門から入り、入学式に参加した。
そのニュースの後、連邦全土の市民たちは、ラジオから流れ出る首相の演説を聞いた。
ギュンター・ブルーメンタール首相は、連邦全土に語りかけた。
「……こういうわけで、白エルフたちは彼女たちの大学に入学しました。この連邦には、誰にも生得の自由があり、自由に学ぶ権利があります。彼女らのひとりが街路で叫んだ通り、連邦憲法は高らかに宣言しているのです。
『連邦市民権は、出生によって取得される。種族、性別、社会的身分にもとづいて、拒絶あるいは制限されることはない』と。
同胞市民の皆さん。私は今、数百年前の歴史を思い出します。
エルフを除く魔種族は、かつて人間たちによって壮絶な虐殺と迫害に遭いました。また、かつて白エルフ族は、ドワーフ、大鷲、巨狼、コボルトから住処を奪い、闇エルフまで絶滅させようとした。
これは人間や白エルフが、ことさら残忍な種族だからではありません。自分たちとは異なる種族を見下し、差別することは、知性をもつ全ての種族に共通する本性なのです。
貴方にも、もちろん私にも、そのような弱く残酷な心が潜んでいます。相手が自分達と同じではないと正当化されれば、傷つけてもいいのだと許されたなら、傷つけ殺しても平気でいられる。どころか、暴力を楽しめてしまう。過去の歴史が、それを証明しています。
今日、私たちは、その証明に新たな一例を加えてしまうところでした。かつての白エルフによって為された過ちを憎むあまり、オークが、コボルトが、ドワーフが、彼女たちに対して同じ罪を犯すことによって。
かつて迫害を行った集団に対してなら迫害をしてもいいという、間違った思い込みを捨てねばなりません。そのように暴力を是認する正義感こそ、歴史の中で身の毛もよだつ残虐行為を為さしめて来た一大原因なのです。
シルヴァン川より北であるか南であるかを問わず、全オルクセンに住まう国民の皆さん。敢えて言いましょう。国境線の向こうに目を向けよ、と。いま人間社会では、一向に回復しない恐慌を背景に、異なる人種への怒りが渦巻いています。暴力を是認するような言説が、大手を振ってまかり通っている。
差別する集団も、差別される集団も、私たち魔種族から見れば同じ人間種族にしか見えないというのに。人間の国々から見れば、私たちもまた同じように見えるでしょう。皆が魔種族なのに、その中に自ら差を作って、互いに憎み、貶め合っているように。
国民の皆さん。民主憲法が発布されて以降、我がオルクセン連邦の主権者は皆さんです。ゆえに皆さんは、かつての先王陛下が有しておられた、強大な権利を分け持っています。先王陛下がなされたように、賢明な統治を敷き、豊かで幸福な国を築くこともできる。しかし、歴史上の暴君が為したような、おぞましい悪行をなし、この国を地獄に変えてしまうことも、できてしまうのです。
その力を恐れてください。暴力の誘惑に負けないでください。大いなる力を持つ者には、大いなる責任が課されているのです。
しかし、自制心だけで権力の濫用を阻むことは難しい。そのための歯止めが憲法です。現憲法は、畏れ多くも先王グスタフ・ファルケンハイン陛下が定められたもの。しかし、その条項には誤解の余地がありました。
憲政擁護条項です。憲法が保障する権利といえども、憲法秩序を破壊するためにそれを用いる者に対しては制約されるという。この規定は、暗に白エルフの教義思想を想定しています。旧エルフィンドの教義のような、自由と平等を否定する危険思想は、民主憲法と相いれない。それを支持するような主張や行為は、民衆扇動罪にあたり、公民権の制限を正当化します。
しかし、この条項をもって、白エルフ一般の権利を制約できるという一部の主張は、曲解も甚だしい。むしろ、市民が当然に有する権利を故なくして制約しようとする運動こそ、憲法の精神に違反するものといえましょう。
そこで我が内閣は、誤った解釈の余地のない条文案を起草し、史上初の憲法改正の発議を目指します。先王陛下に賜った欽定の法といえども、無謬ではありません。直すべきところがあれば、必要な改正を行うことは、不敬でも危険思想でもないのです。我が内閣は、これを一大使命と位置付けて、国家国民のために邁進して参ります」
◆
その演説を、ビューロー大統領は王宮のラジオで聞いた。演説が終わると、大統領は自らの手でラジオのスイッチを切った。そのような手数を大統領が自ら行うべき、唯一の相手のために。
「陛下」
そう呼ばれた闇エルフ、ディネルース・アンダリエル女王は、小さく頷いた。その瞳には、軍人時代から変わらぬ強烈な意志の輝きがある。
「……貴方とブルーメンタールは、よく思い切ってくれました。頼もしく思います」
彼女に許される中で最も積極的な表現で、女王は自らの賛意を示した。そして、典雅ながらも小さく作られた謁見室に同席する、もうひとりの要人に、茶褐色の尊顔を向ける。
「少将も、よくやってくれました。ラピアカプツェの市民が誰も傷つくことはなかったと聞いています」
少将と呼ばれた女は、女王と同じ茶褐色の肌と尖り耳を持っている。
「恐懼の極みです、陛下。第三連隊長が良くやってくれました」
「第三連隊か」
女王が呟くように繰り返したのは、明らかな質問であった。少将は答えねばならない。
「最も迅速に駆けつけられる部隊を選びました。第一連隊は演習中で、第二連隊は、軽戦車連隊への改編作業中でありますから」
「あ、そう」
鷹揚に頷いた女王の表情に何かを察し、大統領は椅子から立ち上がった。
「それでは、陛下。私は官邸に戻ります。首相と事後の対処について打ち合わせを」
「お願いします。ますます忙しくなると思うが、健康に気をつけるように。首相にも、そう伝えてください」
深々と頭を下げてから、大統領は外交官出身らしい温雅な動作で退出していった。
ドアが締められ、将軍とふたりきりになると、女王は表情を一変させた。背もたれに体重を預け、心持ち顔を傾ける。
「さっきのは嘘だろう、ヴァスリー」
口調まで砕けた女王に、イアヴァスリル・アイナリンド少将は苦笑しつつ応じた。
「女王陛下に嘘はつきませんよ」
「山岳猟兵連隊でもよかったじゃないか。もし暴動になれば、猟兵の方が近接戦向きだろう」
女王というより将軍らしい質問であった。白エルフ種族との間に複雑な過去をもつ第三連隊に、禊の機会を与える意図ではなかったかと、そう暗に尋ねているのだ。
元旅団長からの質問に、現師団長は端的に答えた。
「暴動を起こさせぬのが任務でしたから。騎兵の迫力に期待しました」
闇エルフ猟兵は強靭な戦士だが、オークに比べれば身長と筋力で劣る。群衆に比べて迫力不足は否めない。しかし騎乗して見下ろしたなら、アンファングリア騎兵の武名も相まって、戦わずして群衆を威圧できるという判断だった。
「なるほどな。それは道理だ」
敬愛する前々任者から及第点を貰い、イアヴァスリルは微笑んだ。
「我らが騎兵と呼ばれるのも、そう長いことではありませんが。思わぬことが最後の武勲になったものです」
「改編完了は、二年先だったか?」
「その予定でしたが、延期になりそうです。次は第三連隊に中戦車を。その次は第一か第四ですが、なかなか予算がつきません。装甲師団と名乗れるのは、いつのことになるやら」
前の戦争では三個騎兵連隊を擁したアンファングリアは、第四連隊を新設して師団化した。それに伴い、猟兵、砲兵、工兵も各一個中隊を増設し、四単位になっている。戦力は大幅に向上したが、予算の手当と人員充足が難しくなっていた。
女王も、その辺りの事情は聞いている。
「なあ、ヴァスリー。これは私の、その、感想のようなものだが……騎兵には、まだ使い道があるんじゃないか?」
イアヴァスリルは怜悧な軍人らしい口調で答えた。
「姉様、それは流石に。現代戦では、馬は無理ですよ。解散した大鷲軍団と同じです」
前大戦において機関銃と塹壕が普及した結果、装甲を持たず、伏せることもできない戦力は、ろくに生き残れなくなっている。
しかし、ディネルースは意味ありげな微笑を浮かべた。
「戦場ばかりが仕事場とは限るまい? 今日、それが分かったばかりじゃないか。何にでも備えは必要なものだ」
イアヴァスリルは言葉につまった。忙しく思考する。なるほど、道理ではあった。しかし、世界大戦が終わって軍縮の最中である現在、装甲化改編の最中にあって、そのような予算が認められるものか――という思考まで、女王は先読みしていた。
「それに、四個連隊も装甲化するのが大変だと、参謀本部が文句を言っているんだろう? 人員充足も追いつかないそうじゃないか。無理もない。闇エルフ族の頭数からすれば、もとの八千名の旅団でも限界に近かった。
装甲化で打たれ強くなることだし、この際、思い切って三個連隊基幹に戻したらどうだ。猟兵、砲兵、工兵も全部三単位でよくなるから、人手も楽になるし、装甲化予算も出るんじゃないか?」
「それは」
イアヴァスリルは舌を巻いた。参謀本部との折衝に、部隊維持の苦労、実戦での使い方まで考えての思案だという。現役を退いて数十年になるというのに、今でもディネルースの軍才は彼女の上にあるようだった。
「……女王陛下、ほんの手慰みに、次の参謀総長を兼任されてはいかがですか?」
「やめておこう。もう軍人は無理だ」
「楽々と務まりそうに思えますよ」
「いや、駄目だな。これは国家機密なんだが、最近、ズボンがきつくてな」
「ふふ、ふふふ。それはいけませんね。今度、ご一緒に遠乗りでも致しましょう」
翌日から、アイナリンド少将は猛烈な勢いで装甲化改革の抵抗勢力に化けた。虚々実々の折衝の末、改編案に多少の修正が加えられることになる。
結果として、アンファングリアは師団の名称をそのままに、三単位編制へ部隊規模を縮小。そのかわり歩兵、砲兵、工兵まで含めた完全装甲化を早期実現する。
そして騎兵第一連隊は、師団主力から切り離され、儀礼部隊として騎兵のまま残った。
このおよそ百年後、イアヴァスリルはディネルースの先見の明に改めて感嘆することになるのだが、それはまた別の話である。
◆
入学式から十日後。ビューロー大統領とブルーメンタール首相は、ラピアカプツェ市を対象とする非常事態宣言を解除した。
それに伴い、アンファングリア師団は同市から撤収。
入学した白エルフたちの安全は、大学当局と州警察に委ねられた。
彼女ら九人の戦いは、それから始まった。
その四年後。
卒業式で学士号を授与され、大学正門から出てきた白エルフは、四人であった。
中途退学した五名の白エルフには、それぞれの理由がある。
最初の退学者はカティエレン・タルヴェラであった。
アンファングリアの護衛がいなくなるや、異種族の同窓生から彼女らへの執拗な嫌がらせが始まった。苛めは日々エスカレートしていった。
彼女らが入った寮では、シーツとクッションで白い色の九体の人形が作られ、首に相当する部分をロープで縛って、廊下に吊るされた。
彼女らが食堂で食事を取ろうとすると、大学当局は「同一種族だけで固まって食事をするのはオルクセン的ではない」と、指導した。
それならばと、敢えて離れて食事をすると、すぐにオークやコボルト、ドワーフの学生に一人ずつ取り囲まれ、聞くに堪えない悪口や猥語を浴びせられた。
それでも彼女らが無視を決め込んでいた、ある日の昼食で、一名の白エルフが熱いスープを頭からかけられた。
被害者を手当しつつ「やったのは、誰だ。お前か」とあたりを怒鳴り散らし、嘲り顔で見ていたオークの襟首を掴んだために、カティエレン・タルヴェラは放校処分を受けた。
この処分に激高し、教授会に乗り込んで猛抗議したヘルヴェア・オストエレンも、同様の処分を受けた。
その翌日、大学構内のあちこちには「脱落2、あと7」という落書きがあった。
最初にスープをかけられた一名の白エルフは、その落書きを見て、自主退学を決めた。
その状況に二名が絶望し、既に受講していた予備役将校課程を縁に、連邦軍士官学校へ編入していった。
そのような事態にも耐え、歯を食いしばって残った四名が学士号を取得した。
市民権法と選挙法が改正され、白エルフが完全な市民権を得るのは、彼女らの入学にまつわる騒動から数十年後のことである。
その頃には、彼女らは「ラピアカプツェの九名」と呼ばれるようになっていた。この事件、そしてその後の彼女らの生き様は、白エルフの地位回復の嚆矢として、永く記憶されることになる。
九名が選んだ道はそれぞれだった。その概略を記せば、次のようになる。
<カティエレン・タルヴェラ>
政治学部政治学科から放校処分。大学を去った後、ベレリアントには帰らず、ヴィルトシュヴァインに移住。再度建設事業を始める。その後、白エルフ市民権運動の旗手となって名声を博し、後に政界入り。様々な無理を重ねつつも頭角を現す。後のオルクセン連邦首相。
<ヘルヴェア・オストエレン>
政治学部法学科から放校処分。学友の勧めで空軍士官学校を受験し、合格。戦闘機乗りの道を進む。後の宇宙飛行士。さらに数十年後、独立した連邦宇宙軍の中核となる。
<ナイレン・ファランニス>
生物学部海洋生物学科を中途退学。退学後、行方をくらませる。
<イアウェン・セレグリス>
農学部畜産学科を中途退学。陸軍士官学校に編入し、歩兵将校となる。アフェルカ大陸で起きたコンゴール動乱へ平和維持部隊の一員として派遣され、部下の白エルフ兵十二名を失う。
<タウレネス・ネリエル>
農学部農学科を中途退学。陸軍士官学校に編入し、工兵将校となる。後にサライヴォズナ動乱に派遣される。
<リヴィルイン・ミルタエル>
文学部史学科卒。大学院に進み、修士号を取得。国際情勢調査会の任期制職員となり、ベレリアント戦争史を専門とし、研究を継続する。
<エリエナ・フェイリアン>
文学部キャメロット文学科卒。公記録保存士(アーキビスト)資格を取得し、連邦公文書館に就職。
<ミリャネル・タウレリン>
生物学部植物科学科卒。大学院に進み、博士号を取得。植物学者となり、ラピアカプツェ大学農事研究所に就職。後に白銀樹の研究にあたる。
<サリエル・アリンフェ>
教育学部教育学科卒。教員資格を得て、音楽教師となる。ヴィルトシュヴァイン第一高校に赴任。
彼女らの中には、万人が認める英雄になった者もあり、また英雄にされた者もある。
偉大な首相と呼ばれ、後には一転して悪徳政治家と罵られた者もいる。
小さな組織の職員として淡々と働いた者もあり、あるいは全く個として生きた者もいる。
多様な道を歩んだ彼女ら九人に、ただ一つ共通していることがある。
彼女らは、懸命に生きた。
これは、そういう物語である。
『二級市民』 了
(次話「シルヴァン川の流血や」に続く)