短編集:九人の白エルフ   作:芝三十郎

9 / 38
九人の白エルフの一人は、音楽教師となり高校に赴任した。彼女は校長の指示を拒否し、窮地に立たされる。

原作web版読了後推奨。単話完結。


シルヴァン川の流血や

「なんと仰られても……校長先生、申し訳ありません。私には、できません」

 

 そう言って、幾度目かで下げられた白金色の髪が、尖り耳に掛かっている。

 

 見た目だけではなく、実年齢まで若い白エルフ女の頑固さに、年老いたオークは苦り切っている。古びた椅子が、ぎいと音を立てる。

 

「しかし、しかしね。アリンフェ先生。卒業式の伴奏は音楽教諭がやるという、我が第一高校の伝統なんですよ」

 

 オークの校長は、咥えたままだった紙煙草を灰皿に押し付けた。牙の生えた口から薄い紫煙を吐き出す。

 

 机を挟んで立つ白エルフ、サリエル・アリンフェ教師は、その臭いに微かに顔をしかめた。

 

 それがまた、校長の気分を損ねたようだった。

 

「……だいたいね。君は、ここの教員なんだ。ヴィルトシュヴァイン第一高校ですよ」

 

 首都住民どころか、全土で知らぬ者はいない名門である。その名の通り、首都で最初に設置された国立高等学校。その卒業生は、ほぼ全員が国立ヴィルトシュヴァイン大学か、各軍種の士官学校に進み、選良の道を歩む。

 

「来賓の市長や議員さんたちだってねえ、みんな卒業生なんだ。その前で、あなた、百年の伝統を粗略にできるもんですか」

 

 そう言う校長も、無論、卒業生である。同窓には珍しくない次官や将軍に比べれば幾分か見劣りするとはいえ、それでも十分に名士ではある。校長として名声を重ねた次は、同窓のつてを頼りに、まずは楽々と市議会議員。その次は衆議院議員に進むという階段までも、歴代校長の伝統である。

 

 悠々と階段をのぼろうというオークの足が、三十歳にもならぬ白エルフに引っ張られようとしているのだ。

 

 当のアリンフェにも、その自覚はある。

 

「はい、伝統の大事さは、私も重々……。初任で一高に採って頂けたことも、たいへんな幸運だと思っています」

 

「そうはいってもね」

 

「ですから、国歌や校歌でしたら、精一杯の伴奏をします。拙い腕のピアノですが」

 

「ふん、謙遜はいいんですよ。問題は愛校歌です。我が校の式典はなんでも、国歌、校歌ときて、最後の愛校歌がなきゃ、締まらないんだ。あんな簡単な曲じゃ、アリンフェ先生の腕にはもったいないかもしれませんがね」

 

「そんなことは……」

 

「しかしね、卒業生でなくたって、私の年頃なら誰でも歌える歌ですよ。ベレリアント戦争が終わって、すぐの頃、当時の学生寮で作られてね。君は生まれてなかったから知らないだろうけど、それはもう、王国中で大流行だったんだから――」

 

 老オークの垂れた頬に朱が差している。

 

「『シルヴァン川の流血や』は」

 

 その歌の題名が魔力を帯びているかのように、校長は言葉を切った。しかし、自分の演出がアリンフェに何の感銘も与えていないのを認めると、落胆とともに言葉を続けた。

 

「……だからね、あれを作ったというのは、我が校の誇りの一つなんです。一高といえば、あの歌とね。その卒業式にね、大勢の来賓の前でね、今年はやりませんなんて、音楽教諭が伴奏をしてくれませんなんて、面目丸つぶれじゃないかね」

 

 若い白エルフはそれでも首を縦には振らない。

 

「私も、我がままを申しているとは思います。その、どうしても、レコードの伴奏では駄目なのでしょうか。練習用の盤が音楽室にいくらもあります」

 

「……アリンフェ先生。そうまで頑固なようなら、やはり問題になりますよ。噂や抗議活動は、本当なんじゃないかってね。君が」

 

 ふたりきりの校長室で、なおも聞き耳を恐れるように、校長は声を抑えた。

 

「……教義の信者じゃないかっていう。新聞にすっぱ抜かれてから、父兄会でも問題になったでしょうが。新任の音楽教師が、授業で白エルフの伝統楽器を使っているって。何とか釈明しておきましたがね」

 

 白エルフの種族宗教、教義と呼ばれる教えは、口承文学や伝統音楽と分かち難く結びついている。旧エルフィンド王国では、歌舞音曲の奏者演者たることこそ、国で最も格の高い仕事だと見なされていた程である。

 

 併合後、めっきり下火になった伝統音楽を演奏して聞かせ、その楽器を生徒たちに体験させたアリンフェの授業は、オルクセン本土にあって前代未聞の珍事だった。

 

「あの節は、悪意の噂を静めて下さって、とても感謝しております」

 

「だったら、火に油を注がないで欲しいもんだ!」

 

 おとなげなく荒げてしまった口調を、咳払いで誤魔化してから、校長は続けた。

 

「……今度という今度は、君はいよいよ、教義信者なんだっていう話になる。例の音楽の授業だって、やっぱり思想集会だったということになりますよ。国家憲兵の捜査が学校に入る」

 

「私は教義なんて、あんな差別的な教えは少しも信じていません。公職に就くときに連邦憲法に宣誓しています。心からです。私みたいな白エルフも、平等な国民なんだと。だからこそ、あの歌だけは。私の良心に反します。憲法には思想信条の自由が……」

 

「あんたも頑固だな! いくら自由の世だからって、憲政破壊の自由まではないんだ。どれだけの迷惑がかかるか、分かってるんですか。他ならぬ一高が、憲政擁護義務の違反なんてね。捜査だけでも大恥だ。そんなことは許しませんよ……そう、もしも」

 

 校長は声を静め、ぎょろりとした目でアリンフェを見据えた。

 

「もしも、ですよ。実際、君が……信者だったとしても、ちゃんと式で伴奏さえやってくれれば、いいと言ってるんです。できないというんなら、懲戒処分を受けて貰わないといけません」

 

 アリンフェは唾を飲み込んだ。その喉の動きを見て、校長は手ごたえを感じたらしい。さらに言葉を重ねてくる。

 

「……いや、憲法違反なんて、大きい話にはしませんよ。それだと免職になってしまう。学校長の指示に従わないで、行事を妨げたということでね。戒告か、短めの停職か。そんなこと、私もしたくはないが、学校を守るためですからね。よく考えてくださいよ」

 

 新雪のような白エルフの肌には、血色がすっかり失せている。声の震えを抑えるだけで、アリンフェは精一杯だった。

 

「……分かりました。もう一度、よく考えさせて頂きます」

 

 説得の根気も尽きたらしい校長は、手を振って追い払うような仕草で、ようやく彼女を解放した。

 

 辞去したアリンフェは、音楽室に向かった。そこが、この高校の中で、彼女が持つ小さな城であった。陥落が迫っているとしても、そこはまだ彼女の居場所だった。

 

 彼女は足を速めた。目に力を籠めている。他の場所で泣くわけにはいかないのだ。

 

 ◆

 

 音楽室の扉がノックされた。机に突っ伏していたアリンフェは、さっと瞳を拭うと、立ち上がった。

 

「どうぞ」

 

 目が真っ赤になってると、アリンフェは自分でも分かっていた。それでも、中にいれないわけにはいかない。曇りガラスの向こうで待っているのが誰だかは明白であったから。

 

「アリンフェ先生、いま、よろしいですか」

 

「ええ、もちろんです。教頭先生」

 

 遠慮がちに入ってきた教頭も、オークである。キビキビとした動きが、牡の経歴を思わせた。

 

 教頭は、彼女の機先を制した。

 

「お察しの通りです。お疲れのところ、すいません」

 

「校長先生に言われてですね。申し訳ありません」

 

「いやいや……」

 

 深々と頭を下げるアリンフェに、教頭は気さくに応じた。

 

「それで、どうですか。変わりありませんか」

 

 卒業式で、愛校歌だけはピアノ伴奏を拒否するという、アリンフェの意思のことである。

 

「……まだ、考えています。私の我がままで、教頭先生にも重ねてご迷惑をおかけして」

 

「いやいや、そんなことは……」

 

 当初は、教頭が彼女の説得にあたり、校長との間を往復して、何とか穏便に解決しようとしてくれていた。いよいよ卒業式の日が迫り、校長が遂に業を煮やして、自ら彼女を呼びつけたのが、今日であった。

 

 短い沈黙があった。もう説得の手は尽きたと、教頭が思っているのが分かった。校長は異なり、父兄会や他の同僚教諭、彼女を非難する生徒たちとも違い、ただひとり柔軟な態度をとる教頭に、彼女は尋ねてみようと思った。

 

「教頭先生は、将校さまなのですよね」

 

「ええ。一応、今も予備役中佐ではあります。大戦の時も召集されました」

 

「その前……ベレリアント戦争にも出征なさったんでしょう。勲章もたくさんお持ちだと、お噂で」

 

 教頭は苦笑し、むしろ恥じ入るような顔をした。

 

「若い時分で、何も分からずに走り回っていただけですよ」

 

 その柔和で控えめな態度は、連邦陸軍予備役中佐の肩書から程遠く見えた。まして、白エルフの国を滅ぼしたオークの青年将校当時の姿など、ベレリアント戦争の終結後に生まれたアリンフェには、想像することも難しい。ただ、疑問ではある。

 

「歌の、何番から出征されたのか、お伺いしてもいいですか?」

 

 そう水を向けると、教頭は少し表情を変えた。温和さの奥底にある芯の強さが垣間見えるようだった。

 

「三番の動員からです。初陣はモーリア市の戦でした」

 

 オルクセン軍が開戦当夜に奇襲して陥落させた、旧エルフィンドの要衝の名である。さらに百二十年前は、ドワーフの国の首都であった町だ。

 

「まあ、最初の戦いから。それじゃ本当に『シルヴァン川の流血や』ですね」

 

 白エルフの音楽教師とオークの教頭は、音楽室の壁に貼られた、その愛校歌の歌詞に目をやった。当時の学生が苦吟して作ったものだ。

 

 延々七番まである歌詞は、ベレリアント戦争の推移を歌っている。一番は、戦争の前兆となった白エルフ族による闇エルフ族への虐殺。二番は、闇エルフ族の亡命受け入れと開戦。三番はオルクセン軍の動員。四番からは、モーリアに始まる各地での戦いが歌われ、オルクセン王国の勝利を賛美して終わる。

 

 白エルフとオークの目は、その歌詞を順に追っていく。

 

 

 一

  シルヴァン川の 流血や

  万苦を忍び 渡りけり

  嗚呼忘るまじ レーラズの

  蛮行いかで 赦すべき

 

 二

  いふなかれ唯 黒などと

  魔種族の民 彼女らも

  恨み尽きせぬ 蛮族を

  屠り尽くさん 時至る

 

 三

  ベレリアントの 風荒れて 

  戦野へ急ぐ 鉄道の

  遠目に見ゆる ロザリンド

  仇をとるは 今なるぞ

 

 四

  今は昔や 百二十

  血汐に染まる モーリアの

  山河欺き 奪いてし

  嗚呼その恨み 忘れめや

 

 五

  屑鉄戦隊 小艦の

  機関を吹かし 旗を揚げ

  リョースタの舵 打ち折りて

  波間に消ゆる キーファ沖

 

 六

  砲火に焼かん アルトリア

  屍積まん ネニング野

  友をば国に 帰さんと

  炎と散りし 鷲と騎手

 

 七

  斯くて揚らん 我が国威

  斯くて晴れなん かの恨み

  共に讃えん 魔種族の

  栄光の国 オルクセン

 

 

 素人の手になるだけ、終戦直後の率直な気分を伝える歌ではある。当時、大いに流行したというのも、歌詞といい、曲といい、素朴さが広く共感を呼んだらしい。

 

 まして第一高校の出身者、関係者なら、行事の度に歌っているから、知らぬ者はない。大酔すると、たいてい肩を組んで合唱するのが、同窓会の約束事になっている。

 

 今となっては古めかしく、きつい表現もあるが、気にする者は少ない。オルクセン連邦の主要六種族は、歌を聞くたびに往時の恨みと復仇の痛快さに思いを致す。たとえ戦後世代であっても、高揚と連帯を感じるのが当たり前だ。

 

 違和感を覚えるのは、アリンフェのような白エルフに限られる。

 

「……やはり、我慢できませんか。どうしても」

 

 同情心にあふれた声で、そんなことを言うのは、この教頭だけである。アリンフェは、その感謝すべき相手に、いくら申し訳ない気がしても、肯定せざるを得ない。

 

「……はい」

 

「確かに、考えてみれば、恨みっぽい歌ではあると思います。昔は思ったこともありませんでしたが」

 

「いえ、仕方がないと思います。恨み、恨みというところは。私たちは、それだけのことをしたんですもの」

 

「あなたは戦後のお生まれでしょう」

 

「白エルフですから」

 

「……確かに、それだけで教義信者だとか、歴史修正主義者だとか、そんなことをいう乱暴な連中もおります」

 

 それが、アリンフェにかけられている疑いだった。実は教義の信者、憲政を否定する危険思想の持主ではないかと、白エルフであるというだけで疑われる。それが、エルフの伝統楽器を授業に持ち込み、愛校歌の伴奏を拒否するというのだから、ほとんど罪を自白しているようなものだと、そう見られてしまう。

 

 アリンフェは、生徒の前でも、父兄会でも、校長の前でもしたように、自分の主張を繰り返した。

 

「歴史を否定するつもりはありません。ええ、レーラズの森事件は蛮行です。もっと前の、ドワーフや、他の種族への迫害だってそうです。恨まれて当然です。それだけの罪を犯した種族ですもの。でも……やはり、この二番だけは」

 

 闇エルフ種族の受け入れと、開戦決意のくだりである。

 

「駄目ですか」

 

「白エルフは蛮族ではありません。いえ、いかなる種族も、そんな風に呼ばれてはいけないと思います。それも、屠り尽くすだなんて。それこそ、レーラズの蛮行と同じじゃないですか」

 

「当時は、そういう気分だったのです。教学大いに進んだ現在からみると、昔は随分、乱暴でした。でも、気分だけです。実際のオルクセン軍は、虐殺なんて。いや、戦争ですから、いくらかの不祥事はあったそうですが」

 

「分かっています……でも、だからって、賛成はできません。白エルフで、この国の一員ですから。国歌なら歌いますし、伴奏もします。公職に就いてるんですもの。国旗にも憲法にも忠誠を誓いました。それでも、それなのに、こんな風に歌われる筋合いはないわ!」

 

 とうに枯れ果てたと思った涙が、再び視界を潤ませた。酷く喉が渇いている。息が震える。

 

 彼女が少しは落ち着くのを待ってから、教頭は穏やかに言った。

 

「曲を伴奏したからって、歌詞の内容にまで賛成したことにはならない……あなたの内心を変えようというものでは」

 

「ありがとうございます。でも、思うんです。これは私だけの問題ではないって。懲戒処分にあっても構いません。皆さんにご迷惑をおかけするのは、嫌ですが……すいません」

 

「……」

 

 夕日が窓から差し込んでいる。その眩しさに目を細めてから、教頭は言った。

 

「エルフィンドは」

 

 アリンフェは、弾かれたように教頭の顔を見た。エルフの国、エルフィンド。滅びて久しい国の名である。白エルフであるアリンフェには、決して他者の前では口にできない名前だ。それがオークの口から出た。

 

「エルフィンドは、美しい国でした。そこに住まう白エルフたちも、本当は心優しい。豊かな文化を育んで」

 

 たとえオークであってすら、教義と反憲政の思想を疑われかねない賛美であった。アリンフェは狼狽した。

 

「せ、先生。そんなこと仰らないでください。誰かに聞かれたら……」

 

「本当のことです。エルフィンドの古典が好きなんです。文学も音楽も。内緒にしていましたが、アリンフェ先生の授業練習を、こっそり拝聴したこともある。すいません」

 

 彼女は茫然とした。オークの口から出るべき言葉ではなかった。まして、ベレリアント戦争に出征した軍人の中に、エルフ文化を肯定する者がいようとは、想像もできないことだった。

 

 危険な告白は続いた。

 

「エルフ文化を尊敬してるオークは、私だけじゃありませんよ。口に出すのが難しいだけです。『美しい国、オルクセン。美しい国、エルフィンド』……色々な行き違いはあっても、いつかは和解するべきだと、出征前から思ってました。

 

 正直に言えばね、戦っているうちには、白エルフを憎んだこともあります。あの歌みたいに、屠り尽してやればいいって。

 

 でも、戦後には思いなおしました。そんな考えこそ、良識が戦争に負けるってことなんじゃないかとね……ですが、アリンフェ先生」

 

 ハンス・アルテスグルック教頭は、穏やかに語り掛けた。

 

「私は戦場で学びました。勇気にも、時と場合がある。校長先生は本気かもしれません。あなたは、ここが初任地でしょう。早々に懲戒を貰っちゃ、転勤にも不都合になりかねない。

 

 お願いです。式では、弾いて下さい。形だけでいい。あなたのような先生が、長く教壇に立って、たくさんの生徒を教えることが大切です。あなたのためじゃない。教育のために。そんな風に考えてみてはくれませんか」

 

 この教頭は、召集のたびに昇進を重ね、軍に戻るように請われているという噂だ。それは掛け値なしに本当のことだろうと、アリンフェには思えた。

 

 ベレリアント戦争の時には、きっと、このオークのためなら命も要らないと思った兵士たちが、たくさんいたことだろう。そして彼は、そんな部下たちを、可能な限り無事に連れ帰ってきたのではないだろうか。

 

「分かりました。我が儘ばかりで、すいませんでした。式では、ちゃんと弾きます。きっと、そうします」

 

「……ありがとう。アリンフェ先生。内心、穏やかではないと思いますが、どうか」

 

「いいんです。平気です……先生、ベレリアントの氷河のことは?」

 

「そこまで北には行かなかったもので。話だけは。夏でも溶けないとか」

 

「ええ、この世の初めから、ずっと凍っているんです。昼でも夏でも関係ありません。

 

 先生の仰る通りでした。あの歌に伴奏をしても、私が何とも思わないでいれば、いいんです。

 

 それなのにご迷惑ばかりおかけして、申し訳ありませんでした。校長先生にも、これから伺って、そう申し上げて参ります」

 

 ◆

 

 ヴィルトシュヴァイン第一高校の卒業式では、校庭の全面が駐車場になる。多くの運転手付の車が乗りつけるのだ。政界、官界、財界から軍まで、様々な肩書の名士たちが、将来の選良たちやその父母たちに名前と顔を売るべく、あるいは卒業生同士の結びつきを強めるべく、集合する。彼らは皆、この名門校の卒業生でもある。

 

 例年ならば、それだけだが、今年は珍客があった。その第一は、校門のすぐ外にたむろする、十名ばかりの団体である。一頭のオークの声に合わせ、言葉を繰り返している。

 

「我々は、教義の秘密集会を許さなぁーい!」

「「許さなーい!」」

「欽定憲法を守れー!」

「「守れー!」」

「校長は、真実を語れー!」

「「語れー!」」

 

 彼らが乗り付けた大型馬車には、前王グスタフの肖像画が掲げられている。また、彼らを遠巻きにする野次馬の中には、妙に背筋の伸びたオークが混じっている。国家憲兵の密偵のうち、わざと存在に気付かせる役割の者である。真の密偵は遠くを何気なく通行し、あるいは声をあげる当の団体に一員として潜り込んでいる。

 

 式に参加する生徒とその父母たちは、その団体がまるで存在しないかのように無視して入門していく。そのような朝であった。

 

 アリンフェは一張羅の礼服に身を包み、講堂の舞台袖にいる。

 

 講堂に参加者が満ち、校長にエスコートされた来賓たちが入場を終えると、式は淡々と始まった。その間も、校外で繰り返される抗議の声が微かに聞こえている。

 

 アリンフェは出番に備え、指を屈伸させた。手の平に爪の跡が残っている。

 

 進行係のコボルトが、時を耳打ちする。彼女は頷き、礼を言うと、しずしずとピアノへ向かった。

 

 短めに切り揃えても、他種族にはない白金の髪色は目立つ。自分に集中した視線には、それ以上の理由があると、そう承知していても、彼女は周囲の全てを無視した。

 

 会場の前面に掲げられた国旗に深々と一礼し、鍵盤の前に座る。

 

 すぐさま司会が式次第を述べ、全体に起立を促した。

 

 白エルフの秀麗な指が動き、国歌を奏で始める。やや不揃いな会場の声がそれに乗る。オルクセン連邦国歌「オルクセンの栄光」である。

 

 やがて曲が終わると、来賓にのみ着席が促された。アリンフェの仕事は続く。続いては、生徒と教職員による校歌の斉唱である。

 

 それも終わり、三曲目になった。引き続き生徒と教職員だけが歌うというのは、式次第上だけのこと。実際は父母たちや来賓も、着座のまま加わって、会場全員で高らかに歌うのが、この曲の通例になっている。

 

「続いて、愛校歌『シルヴァン川の流血や』――」

 

 司会が言い終えると、白エルフの指は直ちに動き出した。いくつかの溜め息が会場から聞こえたが、彼女の耳には入らない。

 

 正確に、淡々と演奏するアリンフェの脳裏には、友人にかつて言われた言葉が去来している。

 

<全て無視するんだ。何も関係ない>

 

 前奏が終わり、やがて歌が始まった。

 

 

  シルヴァン川の 流血や

  万苦を忍び 渡りけり

 

 

 歌声は、これまでの二曲よりもずっと揃っている。気持ちの良いリズムが、講堂の窓を震わせる。

 

 

  嗚呼忘るまじ レーラズの

  蛮行いかで 赦すべき

 

 

 アリンフェの脳裏には、歌詞は響かない。彼女に聞こえる言葉は一つだけだ。

 

<私たちは、ベレリアントの氷なんだ>

 

 一番が終わったが、間奏は挟まれない。単純無類の曲は最初に戻り、また繰り返す。リズムが物語の頁をめくり、先へと進んでいく。

 

 

  いふなかれ唯 黒などと

  魔種族の民 彼女らも

 

 

 脳裏にこだまする音に、別の声が混じった。白エルフではない。オークの声である。

 

<エルフィンドは、美しい国でした。そこに住まう白エルフたちも、本当は心優しい。豊かな文化を育んで――>

 

 白い指が鍵盤を離れ、空中を泳いだ。そこで伴奏は途切れた。それでも歌は続く。

 

 

  恨み尽きせぬ 蛮族を

  屠り尽くさん 時至る

 

 

 ピアノの音はなく、その二節の言葉だけが講堂内に響いた。

 

 二番を歌い終えた参加者たちが、何らかの反応を返すよりも早く、白エルフの指は鍵盤の上に戻った。何事も無かったかのように、ピアノは再び始まった。

 

 すぐに三番である。勢いのまま、会場は歌い続けた。

 

 

  ベレリアントの 風荒れて 

  戦野へ急ぐ 鉄道の……

 

 

 やがて七番まで辿り着き、戦争は終結した。

 

 仕事を終えた白エルフは立ち上がり、国旗に一礼すると、自分の席に戻った。

 

 一切の異常が無かったかのように、式は淡々と続いた。

 

 ただ、校長が祝辞を読み上げる時、幾度か言葉につっかえ、言い直し、しきりと汗を拭いていた。

 

 幾名かの来賓は、式典後の会食を断り、早々に引き上げていった。

 

 

 卒業式から半月後のことである。音楽室では、いくらか物が減った。

 

 自らが持ち込んだエルフの伝統楽器を木箱に詰め終えて、アリンフェはその蓋を閉じた。運送屋に渡すために、釘を打ち付けるべきである。

 

「あっ、金槌……」

 

 用意の迂闊さに気づいた。技術室か、小使いまで借りに行かねばならない。

 

 そう思って立ち上がった時、扉がノックされた。彼女の返答を待たず、教頭が入ってきた。手に軍手をはめ、金槌を持っている。

 

「手伝いましょう」

 

 彼女はニコリと頷いた。

 

 木箱の蓋を打ち付けながら、教頭はぽつりと言った。

 

「……実は、私も退職することにしました。この年度末で」

 

「まあ、それは」

 

 絶句した彼女に対し、教頭は笑って首を横に振った。

 

「いいえ、私の都合です。ちょっと相談があって古巣に顔を出したら、しつこく誘われましてね。昔の……ずいぶん上の方の上司にです。それで、軍に戻ることにしましたよ。自分では分からないが、どうも、そっちの方が合っているのかもしれない」

 

 アルテスグルックは快活に言った。

 

 アリンフェは頷いた。慰めにしろ、祝福にしろ、彼女の口から言うべき言葉ではなかった。蓋がきちんと閉じられた後、やっと言った。

 

「……この学校も、寂しくなりますね」

 

「なに、生徒たちがいますよ。アリンフェ先生は、この次は?」

 

「まだ決まっていません。応募はしてるんですけど、面接まで進めなくて」

 

「そうですか……」

 

 卒業式の小事件のことは、新聞にも載らなかった。しかし、噂は八方を駆け巡った。校長はアリンフェに戒告処分を下し、彼女は退職届で応じた。

 

「でも、ベレリアントには戻らないつもりです。しばらくは友達のところに厄介になろうかって。なんとか、内地で教職を。難しいとは思いますけど」

 

「いや、ぜひ、そうされるべきだ。あなたは。いやあ、良かった」

 

 嬉しそうに微笑むアルテスグルックに、彼女は小首をかしげた。

 

 彼女が質問を発しようとした時、ノックも無しに、また扉が開かれた。入ってきたのは校長であった。息を荒げ、手に封書を持っている。

 

「き、君。アリンフェ先生……」

 

「校長先生」

 

「君、君は、親父と知り合いだったのかね!?」

 

 彼女は茫然とした。校長の父親になど、ベレリアント半島出身の彼女が面識をもっているはずがない。

 

「これ、これだ。さっき将校伝令が来て。陸軍最高司令部からだって言うんだ! これを君にと。いったい、君、どうなっているんだ?」

 

 困り果てた顔で、校長は封書を渡してきた。

 

 表書きには、なるほど彼女の名前が記されている。しかし、低地オルク語ではない。アールブ語で書かれていた。妙に角ばった書体で、綴りも少しばかり間違えていたが、それは確かに旧エルフィンド王国の公用語であった。

 

 驚いて裏返すと、そこには低地オルク語で『親父』の名が記されていた。この国で最も高名な将軍の名である。

 

 そこに添えられた肩書は、元帥でも、陸軍最高司令官でもない。『ベレリアント伝統文化保護協会名誉会長』というものだった。

 

 ◆

 

 その後、しばらくの間、ヴィルトシュヴァイン第一高校の愛校歌は、式典のたびに変わりなく歌われ続けた。

 

 しかし、数十年の間に、白エルフ市民権運動が隆盛すると、来賓挨拶の増加や時間の都合を理由にして、省略されるようになった。

 

 憲法、選挙法、市民権法の法改正が遂に成立した後、ひとりの白エルフの教員が、第一高校に赴任してきた。

 

 陸軍幼年学校を始め、多くの学校で経験を重ねたサリエル・アリンフェであった。彼女は教頭に就任した。

 

 アリンフェ教頭は、生徒から案を募り、久しく歌われていない愛校歌の歌詞を、ごく一部だけ修正した。歌の二番、亡命してきた闇エルフたちを受け容れるくだりである。

 

 蛮族、屠り尽くさんといった、今では誰もが違和感を覚えるようになった語は除かれて、新しい歌詞は次のようになった。

 

 

 共に暮らさん これからは

 魔種族の民 彼女ら(・・・)

 千万の仔が 父母の国

 豊穣の地よ オルクセン

 

 

 それからは、再び式典のたびに歌い継がれる歌になった。

 

 伴奏が途切れなかったのは言うまでもない。

 

 

 

『シルヴァン川の流血や』

 

 

おわり

 

 

(次話『氷と呼ばれた女』に続く)




お読み下さり、ありがとうございました。

お気に入り登録、評価やご感想、読了ポストを頂けますと、とても励みになります。よろしくお願いします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。