アビドス高校の保健室の窓を開けて外を見ればあちこちから黒煙が立ち上っている。
風が焦げる匂いを運び、空気はチリチリと肌を僅かに焼くように熱を帯びていた。
換気のために窓を開けたセリカは鼻を突く臭いに思わず顔を顰めたが、広くはない保健室に10人が居る以上窓を開けねば空気が淀むため、やむなく窓を開けたままにして振り向いた。
「あれだけの大口径弾の直撃を受けてこの程度の怪我で済んでいるのが驚きだ。これほど頑丈な生徒はキヴォトスでも多くない」
「処置は終わりました。あとは目を覚めるのを待つだけですが……カズミさん、SRTは応急処置キットも特別なのですね」
「あぁ、やはり品質がいいものを揃えるとどうしても、な」
ベッドの上に寝かされて応急処置を受けているのは先の戦闘でアルを庇い全身を滅多撃ちにされたハルカ。彼女を治療するのはSRTとして応急処置の講習を受けているカズミ、そして対策委員会のサポート役として多少の心得があるアヤネだ。
二人の応急処置によってハルカの外傷は包帯が巻かれて出血は止まっており、顔も穏やかな感じになっていて一先ずは安心できる状況にあった。
そして、ハルカの治療が一段落ついたところでマイケルは手をたたき、皆の注目を集めてから大げさな身振りを交えながら話を始めた。
”さて、ハルカの治療も済んだところで……皆、良くやってくれた。この勝利はまだ小さいものだが、これからの対カイザー戦勝利のための重要な一歩だ。だが、私の予想外の事態も起こっている。知っての通りホシノとシロコが行方不明となり、カイザーに囚われていることが明らかになったわけだが、我々の勝利のためにはこの二人の救出も確実にこなさねばならない”
部屋の中を歩き、身振りの一つ一つで皆の視線を集めながら彼は話し続ける。
”おそらく二人は砂漠のカイザー基地に囚われているのだろう。しかし、あの超大型ヘリが空から見張っている以上接近するのは容易ではない。それに基地にはまだ多くのPMCが残っていることを考えると、やり方は限られてくる”
「それなら、先生には案があるのかしら?」
いまだ目覚めぬハルカの手を握りながらアルが問いかける。
きっと先生であるマイケルには、これをなんとかするための秘策があるのではないか……そういう期待を込めてのものであったのだが―――
”ああ、私があの『オメガワン』を片付ける。あの手の機体は上に狙いをつけられないから上空から―――”
「ちょ、ちょっと待って! まさか先生、今度は一人で突っ込むつもりなの!?」
”なにか問題でも?”
「問題しか無いわよ!」
あまりにも無鉄砲がすぎるマイケルに対し、セリカが吠える。
いくら『メタルウルフ』が超強力なパワードスーツとはいえ、連戦でかつ敵の本拠地に単身殴り込むなど、彼女たちからすれば正気の沙汰ではない。実際、聞いた張本人であるアルはぽかんと口を明けたまま、理解できないといった様子でいた。
それに、それを着込む彼はヘイローのないキヴォトス外の人間。何か間違いがあって致命傷を負うようなことがあればそれこそ一大事だ。
マイケル本人としてはわけないことかも知れないが、生徒たちからすればそうではない。先日のマーケットガード襲撃の際に吹き飛ばされたことは記憶に新しい。
「いくら先生が、というか『メタルウルフ』が強いと言っても完璧じゃないでしょ!? それでもし先生になにかあったら、私達は、アビドスは、どうすればいいの!」
感情が高ぶり、ついにはポロポロと涙を流し始めるセリカに、流石のマイケルもタジタジになってしまう。この男、年頃の娘に泣かれる経験が殆ど無いのだ。
助けを求めて周囲を見渡すも、目を合わす生徒全員が「これは先生が悪いね」という視線を返すので完全に彼は孤立無援。一番立場が中立であるカズミでさえ呆れた様子なのだから、これはもう勝負ありであった。
”……
「ぐすっ……わかればいいのよ」
かつて150万の合衆国連邦軍を打倒し、祖国を取り戻した歴戦の英雄マイケル・ウィルソンも年頃の娘の涙には勝てない。*1
両手を上げ、降参のポーズを見せたことでようやく気持ちが落ち着いたセリカは涙を拭った。
「セリカちゃんが言ってたように、先生が無茶をするような作戦は私達が認めません。ですから先生は、無茶をしない程度にカイザーPMC基地を叩いて二人を助け出す作戦をお願いします!」
”やれやれ、これは大変だな……”
ノノミがアビドス生徒会権限で要請するとなれば、シャーレの顧問としてその意向は無視することはできないので、大げさに肩を竦めながらも彼は策を考える。
『オメガワン』『ドロシー』『ゴリアテ』という巨大兵器群は一般生徒の持つ火力では撃破が不能であり、対抗するにはヒナのような特化型の火力が必要だ。そう、ヒナのような―――
そこに考えが至った時、マイケルに電流が走った。
”……そうか、三大校に救援を求めるという選択肢がある。ヒナや、それに匹敵する生徒の援護があれば、あるいは”
「ヒッ、ヒナに助けを求めるの?」
またヒナの隣に立つ自分を考えて思わず小さな悲鳴を上げ、顔を青くするアル。たとえ味方であっても、染み付いた恐怖はそう簡単には抜けきらないものだ。
”ゲヘナだけではない……ミレニアムや、トリニティにも救援を求める。きっと彼女たちもカイザーを殴り倒したくてウズウズしてるはずだ”
実際、彼には三大校が対カイザーでシャーレと共闘するであろうという確信があった。
まずゲヘナであるが、マコトはカイザーが夢であるキヴォトス征服の邪魔であると考えており、先日の事件で風紀委員を誘導する形で動かしてカイザー勢力であるマーケットガードを攻撃させていたのを彼は知っている。
次にトリニティだが、こちらはヒフミの証言からカイザーの影響力拡大を非常に警戒しているのが伺えた。
最後にミレニアム。こちらは『ドロシー』の解析の時に知った話であるが、産業スパイがかなり多いらしく保安部がかなり難儀していると聞いていた。
どの学園もカイザーに対して殴りかかる動機はあるのだ。ここに大義名分をそっとお出しすればどうなるか、それは言うまでもなく―――有志連合が誕生するのだ。
「で、でも他の学校に助けを求めるのはホシノ先輩が……」
”それは
他校への救援を一番渋っていたのはホシノであるが、今彼女は囚われの身である。
その意を汲んだアヤネが反対意見を述べたが、無論マイケルもその事は考慮しており、アビドスの要請ではなくシャーレが行うものという建前をもって心配無用とした。各校の請求はシャーレへどうぞ、ということだ。
「なんだか大事になってきたわね……」
「SRTの生徒まで動かすなんて、シャーレって組織の権力の大きさを少し甘く見ていたかも。それに、先生の戦闘力も含めて……最初にまともに相手にしなくてよかったと今更思うよ」
「でもカイザーPMC相手に暴れられるなら何も問題でしょ、ハルカちゃんをあんな目に遭わせたPMC理事へのお礼参りはきっちりしないと、ね!」
そういう面倒なしがらみの一切ない便利屋68は、何であれカイザーPMCをぶちのめせるのならば問題なしといった様子で、やや他人事のように構えていた。
”三大校への交渉は私に任せてくれ、
「了解。HOUND2はシャーレビルでHOUND小隊を回収後、アビドス高校へと戻る」
「それでは先生、よろしくお願いします!」
最後にノノミが頭を下げ、この場はお開きとなった。
次の作戦までの間は、政治の時間だ。
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戦いから半日は過ぎて太陽が地平線の彼方へ沈もうとする頃、マイケルは一人アビドス高校の教室の一つを執務室とし、本日分の書類仕事と、三大校生徒会への交渉をずっと続けていた。
書類仕事の方は無事に終わっているのだが、やはり三大校生徒会相手の交渉となると一筋縄ではいかないもので、そもそもアポイントメントを取るにしても急な要件なので向こうの都合もある。
しかし、彼には三大校生徒会にそれぞれ連絡先を交換した人物がいる。彼女たちに頼ることで、突破口を開こうというのだ。やはりコネというものはこういう時に強い。
”……ということなんだ、ユウカ。アビドスの生徒を救出するために、君たちミレニアムサイエンススクールの力を借りたい”
『事情は良くわかりました。今日、D.U.で起きた一連の騒動も先生が主導していたのですね。お陰でカイザーグループの株価が大暴落ですよ、ざまあみろって感じですね』
今、彼がリモート通話をしているのはミレニアムサイエンススクール、生徒会セミナー会計早瀬ユウカ。彼女はシャーレの部員でもあるため、一番話が通りやすいといえる。
彼女が言うD.U.における騒動というのは、HOUND小隊によるカイザーローン襲撃のことだ。ビル最上階が時限爆弾で爆破されたこともあり、昼間のニュースを大いに騒がせていた。
『それで、戦力供出の件ですが……私個人としては同意したいのは山々なのですが、やはり会長に諮らないとどうにも』
”それは理解している。私としても、中々無茶な要求をしているとは自覚しているからな。だが、どうしても手を借りたい。この通りだ”
そう言って、彼は深く頭を下げた。まさか頭を下げてくるとは思わなかったユウカは大いに慌てる。
『そ、そんな先生、頭を上げてください!』
”私の都合で他の学校を巻き込むことになったんだ、頭ならいくらでも下げるさ”
そう言って、マイケルは頭を上げながら穏やかな笑みを浮かべた。
ユウカは基本的に甘い人間である。誠心誠意向き合えばついつい許してしまうタイプなので、今の彼のように逃げずに正面から向き合えば彼女もまた応じてくれるのだ。
『……会長には私から話しておきます。できる限り努力はしますので、頑張ってください』
”ありがとうユウカ”
『はい、では』
通話が切れ、一瞬暗転した画面に己の顔が映り、次にアロナが映る。彼女は随分と心配そうにマイケルを見上げていた。
やはり40を過ぎた肉体にはここ数日における不眠不休の連続勤務は段々ときつくなっているようで、彼女から見たマイケルの顔はいつものような端正さが失われており、頬がやや痩け無精髭も生え、眼の下には隈が存在をアピールしている。
彼個人の強烈なフィジカルのおかげでごまかせているが、長時間の勤務と戦闘が連続するのはやはり厳しいのだろう。
『そろそろ先生も休息をとってはどうでしょうか?』
”まだトリニティとゲヘナへの連絡が済んでいない。それが終わってから―――”
アロナの休憩の提案を遮り次の連絡先に指が伸びた瞬間、教室の外で何かが倒れる音がした。
思わず腰を浮かせ、手元の拳銃に手を伸ばす。今校舎内には誰も居ないはずなのだ。
”……誰だ?”
スライドを引いて初弾をチャンバーに送り込み、安全装置を外して構えながら立ち上がる。
気配は感じないが、しかし油断はできない。シッテムの箱をスーツの内ポケットに押し込み、ドアに手をかけて一気にスライドさせた。
人気のない廊下に勢いよく開いたドアの音が反響するが、それだけだ。外には誰も居らず、ただ堆積した砂が吹き込んだ風によって舞い上がっただけだった。
”……ん?”
眼の前、視線の高さの壁に貼り付けられている一枚の便箋。黒を基調として、まるでひび割れたかのように白い模様の入ったそれはあからさまな不審物。警戒しながら手に取ってみると、それに書かれていたのは地図と、シンプルな一文。
『砂狼シロコをお返しします』
それは、彼が無言で『メタルウルフ』に乗り込みアビドス高校から飛び出すのには、十分なものであった。
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アビドス自治区、旧市街地のかつてビジネス街であった場所、既に根本が砂に埋もれて道路の痕跡はビルの配置から推測するしか無いこの地は最早復興の見込みはなく、静かに眠る都市の墓場といえた。
その場所にタービンの甲高い排気音を響かせながら降り立つのは濃紺の特殊機動重装甲、その右手には複合ガトリングガンであるMG200が握られている。
赤い単眼がゆっくりと見上げるのは、中階層の1フロアだけ電気がついている高層ビル。既に人気はないはずのこの場所に突然生じた人の営みの痕跡は、素人目にも異常と言えるだろう。
中に入ろうにも、このビルの入口は既に砂に埋もれて久しく、ついでに言えば内部のエレベーターが『メタルウルフ』に対応しているかどうかも怪しいので正攻法での侵入は不可能であった。
故に、彼は最初からまともに中に入るつもりはない。背部ブースターを展開し、再びタービンの音を砂漠に響かせ、猛烈な噴射をもって砂を巻き上げると、砲弾のように真っ直ぐに明かりのついているフロアのガラスを突き破って
「……お待ちしておりました、マイケル・ウィルソン先生」
窓からの侵入を想定していたのか、離れた場所に置かれたデスク、その席に座る一つの黒いヒトガタ。ホシノが黒服と呼んだソレは、確かにそこにいた。
「それとも、こうお呼びしたほうがよろしいでしょうか? 第47代アメリカ合衆国大統領、マイケル・ウィルソン・Jr.閣下」
”……
よもやこの異星、あるいは異世界でアメリカの名を、そして自分の前職を聞くことになるとは思わなかった彼は思わず警戒感を顕にする。
「ええ、ここで自己紹介を。私はキヴォトスの外部の人間、しかしあなたの世界とはまた別の領域から来たもの……名前は、この地では『黒服』と呼ばれています。そして、私はとある組織に属しています。その名は『ゲマトリア』」
黒服の顔のひび割れがかすかに歪む。それがこの男のどのような感情の表現であるのか、ソレを知る術はマイケルは持っていない。
「ゲマトリアは観察者であり、探求者であり、研究者です。ここキヴォトスにおいては『神秘』と呼ばれるものを主に研究している……そう考えていただいて結構です」
”くだらない御託を聞くつもりはない。シロコはどこだ?”
「……中々にせっかちなお人だ。一先ずその物騒なものを下ろしてください、そのようなものを向けられては落ち着いて話もできません。砂狼シロコはすぐ近くに居ますよ先生、少なくとも私は彼女を返しに来たのですから。ですが、この先どうなるかはあなた次第です」
MG200を突きつけるマイケルであるが、黒服は余裕のある態度を崩さない。あるいは本心は恐怖に震えているのかも知れないが、それを微塵も感じさせないのは場慣れてしているのか。
黒服の言葉を受けて『メタルウルフ』の生体センサーの画面にかすかに視線を向けると、近場にもう一つの反応があった。少なくとも、近くに誰か居るのは確かのようだ。
「まずは提案を一つ……我々『ゲマトリア』と協力するつもりはありませんか?」
”
「これは手厳しい」
銃口を下げながら、しかし黒服の勧誘は断じて断る。そのうえで、センサーをフル稼働させてシロコの位置を特定しようとするマイケル。
しかしながらそれは黒服からしても想定の範囲内であり、クククと僅かに喉を鳴らした。
「真理と秘儀を手に入れられる提案を蹴るとは、予想はしていましたが不思議なお人だ。あなたはこのキヴォトスで何をなさるおつもりですか? まさか、自由と
”まさか、そこまで傲慢なつもりはないし、私はあくまで彼女たちの保護者にすぎない”
「ふむ……なるほど、おおよそ理解はできました。生徒たちの青春の保護者、それが今のあなたの立場の解釈ですか……あるいは、
黒い顔面にぽっかりと空いた白い穴、人で言うところの目が『メタルウルフ』を、ひいては中のマイケル本人を見通すように細められる。
その視線で生じる不快感に彼は顔を歪ませ、グリップを握る手に力が入る。それに連動するように『メタルウルフ』の手もまた、軋みを上げる程に力強く握られた。
「クックック……やはりですが、あなたからは死の気配がします。多くの人の死に関わった人間として、逃れられぬ業でしょうね。本来、このキヴォトスはそういう死は忌避されるものですが、あなたは多くの死を背負ったうえでこの地にやってきた。いえ、連れてこられた……その結果、あなたはこの世界に適合する形で上書きされてしまったようです。あなた自身が気づかぬ内に」
”……何の話だ”
「忠告、でしょうか。あなたという特異な存在、それがキヴォトスにもたらす変化、それによってこの学園都市が崩壊しないようにするためには、あなたに釘を刺す必要があると思いまして」
そう言い、黒服は指を鳴らす。すると、背後の壁がスライドしてその奥の空間が露わになり、その中心には椅子に座るシロコの姿があった。
顔は俯いたままピクリとも動かないが、間違えるはずもない。
”シロコ!”
「ご安心ください、彼女には一切手を出していません。ただ意識を失っているだけです」
”今すぐ解放しろ”
下げていたMG200の銃口を再び黒服へ向けると、彼はわざとらしく肩を竦めてみせた。
「それはしまっておいてください先生、それがブラフとは分かっていますが、この地であなたが誰かの命を奪えばそれこそ取り返しのつかないことになります」
マイケルの額に汗が浮かぶ。ブラフを見抜かれ、場の主導権を握られるのはあまり良いものではないのだ。しかし、彼の言うように実際に引き金を引いてミンチを通り越して血煙に変えるのはよりマズいと直感的に理解できた。
黒服の言いなりになるのは不本意ではあるが再び銃を下ろすと、彼は満足したように話を続ける。
「さて、砂狼シロコについて話をしましょう、彼女は本来、小鳥遊ホシノを通じて観測したい実験の予備として確保するべき存在でした。私は『ミメシス』によって得られた神秘の裏側である恐怖を生きている生徒に適用できるか、それを知りたかったのです。そのために、キヴォトスで最も強い神秘を持つ小鳥遊ホシノと、いくらか劣るとは言え、準ずる神秘を持つ砂狼シロコを偶然とは言え手中に収めました」
”マッドサイエンティストめ”
「褒め言葉と受け取っておきましょうか。私達は生徒が持つ神秘を何年か前より観測し、その記録を残していますが……ここ数日において、砂狼シロコの神秘に変化が見られました。それが何であるのか、私なりに調べたところ驚くべき事実が判明したのです」
僅かに興奮の色を滲ませながら、黒服は懐から何枚かのプリントアウトされたデータを取り出したが、完全に門外漢であるマイケルはそれが何であるのかわからない。
「ふむ、先生は私達のように専門ではないということを失念していました。わかりやすく述べれば、彼女の神秘に、僅かに恐怖が侵食している。完全なものではないとはいえ、私の実験で求めるデータの一部が得られたというのは非常に大きい」
プリントアウトされたデータはもはや必要ないとばかりに隅へ払い、黒服は言葉を続けた。
「……ですが、彼女の恐怖はまた別の危険性を孕んでいる事もわかりました。故に、砂狼シロコはあなたにお返しします。私の実験に用いれば、最悪の事態を招きかねませんので」
”危険性とはなんだ”
「彼女の恐怖は『死』を強く想起させるものでした。もし、この恐怖が完全に顕現すればキヴォトスの崩壊を招きかねません。ですから先生、あなたが彼女を導いてやってください。それが彼女の恐怖を芽生えさせたあなたの責任です」
”……”
「あなたに纏わりつく死の気配、今はほぼ隠せているとは言え、以前それが漏れ出した事があったのが原因ですよ。私が思うに……あなたは、少し前に自らに上書きされたテクスチャを剥がしたのでしょう。その時に彼女は死の気配に当てられ、わずかに変質をおこした……そして、アビドス砂漠もまたかつて生徒が命を落とした土地。この2つの要因が重なり、彼女に恐怖が適用されたというのが私の推論になります」
黒服は確信をもって、推論に沿える処方箋を続けて述べる。
「故に、先生……あなたは彼女を死から遠ざける必要があるのですよ。私が先程命を奪えば取り返しがつかなくなるといった意味が理解できたでしょうか?」
黒服のいう神秘や恐怖というものはやはり理解できる概念ではなかったが、しかし自分の血塗られた業によってシロコがキヴォトスを破壊する存在になりかねないとなれば、話は変わってくる。
そのきっかけである上書きされたテクスチャを剥がした、というものも理解はしがたいものではあったが、心当たりが無いわけではなかった。先日、ブラックマーケットにおいて『ワグナー』を持ち上げるその時、突然湧き出した謎の力、そこに思い至った時、彼の脳裏に一枚のカードのイメージが浮かび上がった。
”……理解はした。ホシノも解放しろ、それが条件だ”
そのイメージを飲み込み、声の抑揚を抑えてマイケルは言う。シロコだけではなく、ホシノも取り戻さなければならないということを、当然ではあるが彼は忘れていなかったのだ。
彼の要求に黒服はピクリと体を震わせた。まさかこの状況で逆に要求してくるなど思わなかったこともあり、一瞬だけだが言葉に詰まる。
「……なるほど、ホシノの身柄を条件に出してきましたか。ですが先生、あなたにどのような権利があってそのように主張するのですか? 既に彼女は退部、退学届を提出しました。先生もそれを確認していると思いますが」
”そうだな、キヴォトスでは一般的な書式の届け出だった。
マイケルの言葉に、黒服の表情と言える顔のひび割れが歪む。
顧問の承認がない届け出など、効力を発揮しないのは黒服は当然理解していた。しかし、子供相手なら本人のサインだけで押し通せるものとして強行したわけだが、当然大人であり先生であるマイケルに通用するはずはなかったのだ。
「学校の生徒、そして先生、なるほど厄介な概念ですね。私達が研究のために学園都市キヴォトスという概念を守るならば、それによって生じるルールに縛られる必要がある。お見事ですよ先生、あなたはルールの使い方が上手い」
”御託はいい、答えを聞かせてもらおうか”
「先生、何故あなたはアビドスに肩入れをするのですか? それも、命を危険にさらしてまで……私にはそれが理解できません。人は本来、他人より自分を優先するものです。他人のために命をかけても、その見返りは僅かなものにすぎません。あなたはほんの小さな勲章のために命をかけるのですか?」
余程ホシノが惜しいのか、黒服は理由を問い続ける。何故、何故、何故と、その利己的な理屈は、マイケルに通用するはずがなかった。
”黒服、私を誰だと思っている? 私は第47代アメリカ合衆国大統領であり、今は連邦捜査部S.C.H.A.L.Eの先生だ。キヴォトスの全生徒は私の生徒であり、私が命をかけても守るべき価値がある。今までも、これからも!”
それに対し、力強くマイケルは断言する。生徒は守るべき対象であり、そのためには命をかけることも厭わないと。大統領時代、アメリカ国民に対し抱いた覚悟をキヴォトスの生徒に対しても適応すると、彼は言い切ったのだ。
「……価値観の相違ですか。えぇ、いいでしょう、どのみち私達が締結した契約は不履行となりましたので、ホシノを使って実験するための正当性は失われました。しかし、ただ返すのも芸がありませんので、ここは一つ私から提案を。先生、貴方の活躍を観測させてもらうことで、ホシノに対する実験の代わりとしていただけないでしょうか」
”生徒に二度と手を出すな。それならば、認める”
「ええ、
席を立ち、黒服はフロアから立ち去っていく。そして残されたシロコに近づき、優しく抱き上げると、マイケルは新市街地の方向に向けて、全力で飛び立った。
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シロコを救出したとモモトークのグループチャットで送信すれば、秒で対策委員会の3人からの既読と返信がついたのは当然のことと言えた。歓喜のスタンプ爆撃で埋め尽くされたタイムラインはその証だ。
あれから全力でアビドス高校敷地へと向かい、校庭に降り立った彼を迎えた対策委員会の3人にシロコを渡す。彼女たちは眠ったままのシロコの顔をペタペタと触り、それが夢ではないということを実感すると、アヤネとセリカはその場に座り込んでポロポロと涙をこぼし始めた。
「生きてる……先輩、生きてる……!」
「シロコ先輩……良かった、無事で……!」
1年生の二人が泣き崩れる一方、ノノミはシロコを抱きかかえたまま、その顔をじっと見つめ続けている。シロコの頬を撫で、顔を上げた彼女の目には一杯の涙が溢れていたが、口元をキュッと引き締めると頭を深く下げた。
「先生……ッ、本当に、本当にありがとうございます……!」
”構わないさ、私も肩の荷が一つおりて安堵しているところだ。ノノミ、シロコのことを頼む。私はまだ、ホシノ救出に向けた準備の途中なんだ”
「はい……ホシノ先輩のことも、よろしくお願いします」
シロコを連れ、ノノミ達はアビドス高校の保健室へと向かっていく。その背中を見送った後、マイケルは途中で切り上げていたゲヘナ、トリニティ両校生徒会へのアポイントメントを取るべく、登録されていた生徒会の役員メンバー……棗イロハと洲根イルミの連絡先に指を伸ばした。
『なんですか先生、もう夜中ですが』
一番最初に電話を入れたのはゲヘナの
通話に出たイロハはまだ制服姿であったが、随分とかったるそうにしていた。
”すまないイロハ、緊急の要件でマコト議長と面会を申し入れたい。出来ることなら明日―――”
『あぁ、そのことでしたらマコト先輩から伝言があります。えぇっと……『風紀委員を好きに使っていいぞ、このマコト様が許す!』とのことです。詳しい事情は聞かされていませんが、カイザー絡みですかね。まあ、頑張ってください』
”あ、あぁ……”
まさかの全面許可に言葉を失っていると、通話が切られる。
シャーレの動きを見越していたとはと、驚きと同時に羽沼マコトという人物に対しての評価を彼は更に引き上げた。
誰かに騙されたり、過度に調子に乗ったりしなければ、彼女の政治センスというものは極めて高いと言えるだろう。伊達にゲヘナの生徒会長を務めているわけではない。
そして、ゲヘナへの連絡が終わった以上残されたのはトリニティ総合学園であり、最後に残された連絡先はその
『……先生、このような時間に何の用件ですか? 私も暇ではないのですが』
画面に映る彼女の顔はひどく疲れているようで、眼の下に隈が浮き上がっていた。
どうやらティーパーティーもここ数日は忙しい様子で、彼女の背後を他のティーパーティー役員達が何度も行き交う姿が映り込んでいる。
”あぁ、すまない。こちらも緊急の用件で、ティーパーティーに要請したいことがあるんだ。アビドスの生徒を救出するために、カイザーPMCを叩く……その手伝いをして欲しい”
『まったく、何事かと思いきや企業への攻撃に我々トリニティを利用するつもりですか。お断りです……と、普通は言うところですが、シャーレの権限によるものであれば話は変わってきます』
一瞬顔をしかめたイルミであったが、彼女自身自警団経由でシャーレの置かれている状況を理解していたこともあり、直ぐに表情を切り替えた。
『私としてはシャーレに恩を売る機会だとは思いますので、個人で
”それは理解している。そこで、私が直接頭を下げて要請するためにアポイントメントを取っておきたいんだ。イルミ、頼めるか?”
マイケルの要望を聞き、イルミは僅かな時間で考えを巡らせる。
この案件、恐らく他の学園も噛んでいるだろう。ここで下手に拒絶し、シャーレへの恩の有無で他の学園に差をつけられるのは出来る限り避けたい。
しかし、ナギサはシャーレという組織をいまだ警戒していることもあり、彼が直接要望を伝えに来たとしてもそれが通るかは未知数と言えた。
『わかってはいますが、少し難しいところがあります。ですが、桐藤ナギサに近しい人物に心当たりがあれば―――』
”ナギサに近しいというと、ヒフミか?”
『ヒフミ、阿慈谷ヒフミですか。なるほど、彼女が伝えれば、あるいは』
阿慈谷ヒフミ、ナギサがどういう理由かは知らないが寵愛している彼女とシャーレの先生に接点があるのは好都合であった。ヒフミの言うことなら、ナギサは警戒することはないだろう。
『……阿慈谷ヒフミには私の方から用件を伝えておきます。安心してください、先生がこちらに出向く必要はありません』
”そうか、苦労をかけるな。今度また、ケーキでも奢らせてもらう”
『それはそれは、楽しみにしていますよ先生』
最後にイルミは満面の笑みを浮かべて通話を切った。余程ケーキが楽しみだったのだろう。
通話を終え、一通りの事前交渉を完了させた彼は、そのままアビドス高校の保健室にいるであろう4人と会うためにゆっくりと歩みだした。
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夢を見ていた、無限に続く砂漠を宛もなくさまよう夢を。
足取りは重く、まるで誰かが文字通り足を引っ張っているような感覚であったが、歩みを止めることなく砂漠をひたすらに歩いていく。
後ろから誰かが呼びかけているような気がしたが、振り向いても誰も居ない。
途中、猛烈な砂嵐に襲われて目をつぶれば、首にかけていたマフラーがどこかへと吹き飛んでしまう。しかし、どこへ飛んでいったかもわからないので探しようはなかった。
「――――」
暫く歩いた後、砂漠の真ん中に佇む人影。赤いシルエットの”それ”と対峙する。
猛烈な熱を周囲に振りまく”それ”を相手に、彼女は自らの愛銃である
ただの一発、それだけで赤いシルエットは倒れ、血溜まりが広がっていく。
影が晴れ、”それ”の正体が顕わになっていき―――その正体が小鳥遊ホシノであることに彼女は気付いた。ヘイローは壊れ、最早ピクリとも動かない。
「ホシノ……先輩?」
血が、広がる。銃を落とし、両手を見ればベッタリと血に塗れていた。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
眼の前に広がる光景から逃げるように走り出した彼女は、その瞬間に何かに躓いてその場に倒れる。呼吸が荒くなり、歯がカチカチと鳴った。
焦点の合わぬ目でみれば、足元には、見慣れた3人が血に塗れて倒れていた。
「わ、私、は……」
”――――コ”
”―――ロコ”
”シロコ!”
聞き覚えのある声とともに目覚めれば、見知らぬわけではない天井。それがアビドス高校の校舎のものだと気づくのには、多少の時間を必要とした。
そして視線を動かせば、自分を見つめる緊張した様子の4対の瞳。ノノミ、セリカ、アヤネ、最後にマイケルがベッドを囲むようにいた事にそこでようやく気づいたのだ。
「あ、れ―――」
声を出そうにも、掠れた音しか出てこない。しかし、4人は心底ホッとした様子で肩の力を抜くと、次の瞬間にはマイケルを除く3人はポロポロと涙を流し始めた。
それにぎょっとしたシロコであったが、うまく声を出すことができない。
”シロコ、ほら、水だ”
「んくっ、んっ……はぁ、みんな、生きてる……?」
マイケルはシロコの上半身を起こさせ、吸飲みで水を飲ませる。喉の乾きが収まったことでようやく発せた一言は、その場の全員の首を傾げさせた。
しかし、起きる直前に魘されていたこともあり、悪夢を見ていたのだろうと自分を納得させた彼女たちは、いまだ現状を飲み込めていない様子のシロコにどこまで言うべきか一瞬だけ顔を見合わせるが、全部をぶちまけることを選んで話し始める。
「シロコちゃん、シロコちゃんが砂漠に飛び込んでからもう2日経ちました。ホシノ先輩がシロコちゃんを追いかけて砂漠に向かいましたが、そこで先輩はカイザーに捕まってしまったんです」
「ホシノ先輩は無理矢理退学届を書かされて、そのせいでアビドス高校もカイザーPMCに襲われたけど、先生のお陰で無事撃退。シロコ先輩も先生が連れ帰ってきてくれたのよ」
「ですが、ホシノ先輩はいまだカイザーに囚われたままです。先生が今、ホシノ先輩救出のために色々と動いてくれていますが……」
「え、えっと……その、ご、ごめんなさい」
情報の洪水をワッと浴びせかけられたシロコは、しかし記憶で確かに自分が強引に砂漠に向かったことを思い出し、バツの悪そうな顔をして頭を下げた。
あの時、何故か自分が動かねばならないという脅迫観念に襲われ、まるで誘われるかのように砂漠に向かったのは確かだ。何故そのような状況に至ったのかは今となってはわからないが、彼女は自分の行いが多くの人の迷惑になったということを理解できていた。
”まぁまぁ、シロコも反省しているようだ。まだ彼女も体力を消耗しているだろうから、説教とかは明日にしてくれないか、私に免じてな”
「……わかりました、先生。シロコちゃん、覚悟していてくださいね?」
「お、お手柔らかに」
そのまま説教の時間となりそうなところであったが、マイケルがその場をとりなしたことで翌日に持ち越しとなった。故にノノミはしっかりと釘を差し、それを受けてシロコは顔を引き攣らせたわけだが。
そして、3人が保健室から退出した後、シロコと二人きりになったマイケルはじっとシロコの顔を見つめる。その真剣な眼差しに、彼女は思わず頬を赤らめた。
「せ、先生、どうしたの?」
”……”
「せ、先生!?」
無言で頭に手を乗せられ、わしゃわしゃと撫でられたシロコは大いに慌てたが、その大きな手のひらの温かみを感じて段々と気持ちが落ち着いていく。
頭部の獣耳がぺたんと倒れ、だんだんと彼女の目もトロンとしていくが、撫でる手の動きは止まらない。
”シロコ、心配することはない。私は先生だ、君たちのそばに居る”
「せん、せい……」
緊張の糸が切れたことで迫りくる睡魔に飲み込まれていく中、彼女はマイケルに向けて手を伸ばすと、彼はその手を優しく握った。
「そばに、いて……」
”ああ、私はここに居る”
「あり、が……と……」
そのまま眠りにつくシロコの顔をじっと眺めた後、彼は部屋の電気を消し、再びシロコの隣に座ると、彼は夜が明けるまでその場から動くことはなかった。
To be Continued in Chapter Ⅱ-Ⅵ ”Endless Carnival”
一応申し上げておきますと、本作における現在のシロコは様々なイレギュラーが重なった結果誕生した不完全かつ未成熟もいいところのテラーで、ノーマルから変化があるとすれば僅かにヘイローが暗くなったぐらいでしかありません。
パワーも原作シロコとほとんど変わりがないでしょう。というか、これ以上進行すると黒服が危険視するように