第一回特別学力試験から数日、あれから補習授業部は平和的に日々のカリキュラムをこなしていき、時折騒動*1こそあるものの、大きなトラブルはなく皆の学力も順調に上昇傾向にあった。このまま行けばハナコ次第ではあるが、第二回特別学力試験で全員が合格点に到達することも不可能ではないだろう。飲み込みの早いアズサはともかく、純粋に学力不足のコハルも小テストで40点台まで上昇させたのだから、決して夢物語ではない。
ハナコは相変わらず小テストでも悪い点数を出しているものの、点数を2倍2倍とだんだん引き上げており、明らかに遊んでいるのを理解しながらも別に叱るわけもなく好きにさせることにした。最終的に合格できるなら別にそれでいいのだ。
”それで、ヒフミは持ち込んだモモフレンズグッズをエサにやる気を引き出そうと?”
「はい! アズサちゃんはモモフレンズが気に入ったみたいで、本当にやる気が凄いんですよ!」
教室の一角に積み重なったモモフレンズのぬいぐるみの山を指差して
先程返却したテストではアズサは平均58点という合格まで紙一重の点数を叩き出しており、その効果は明らかであると言えた。人間分かりやすい目標があればあっという間に成長できるものだ。
「実際にこの点数を見れば認めざるを得ませんが……なんです? このカバみたいなのは」
「ペロロ様は鳥です! 確かにそう表現する人も居ますが、鳥なんです!」
イルミはモモフレンズには一切興味なさげであり、それはまあイメージ通りではある。コハル、ハナコもモモフレンズには興味がなく、イトハについては言うまでもない。ヒフミのモモフレンズ布教活動は、結局のところアズサ以外には効果がなかった。
しかし、そのアズサのレベルの急激な上昇によってコハルのプライドに火がついたようで、結果から言えばボトムアップに成功したというのだから侮れない。凄まじいヒフミの執念だが、それは決して校則違反を肯定するものではないことを重ねて伝えておく。
”コハルも打ち解けてきたようだな”
「そうですね、イトハ先輩とも普通に会話できるようになりましたし……本当に良かったです」
3人はイトハとハナコから勉強を教えてもらっているコハルの姿に温かい視線を送りながらほっとした様子。初日の険悪ムードは何処へやら、コハルはここ数日一緒に生活している内に普通に会話ができるようになっていた。初日の態度はただの人見知りによるものだったということに安堵するものの、もう少し学力方面では頑張ってほしい。
「……まあ、この調子で行けば白洲アズサも下江コハルも合格点に到達することも不可能ではありませんね。しかし何でしょうかね、やれば出来るのに何故やらなかったのかという気持ちが生じるのですが」
「あ、あはは……」
やれば出来るのならば最初からやれというイルミの意見に、ヒフミは苦笑いを浮かべる。その意見はまったくの正論でぐうの音もでないのだが、自習的体系の授業がメインのキヴォトスにおいては、勉強理解度を深めるには勉強ができる人間と仲良くするのが一番正解に近いため、その機会が様々な理由で無かった二人はスタートラインに立ててすら居なかったのが正しいだろう。その辺りは、勉強が出来る人間であるイルミにはわからない話だ。
”うーむ……”
生徒たちが学年という枠を超え、補習授業部という一つの枠組みの中で諍いもなく和気藹々としているその光景を眺めながらも、マイケル・ウィルソンはどこか浮かない表情を見せていた。先日のミカとの会話の最後、顔を青くして去った彼女の姿が忘れられないのだ。
あれは、間違いなく自分が疑われていることを悟ったのだろうと彼は当たりをつけていた。少し迂闊だったと今では思うが、やってしまったものは仕方がない。
問題は、この事がアリウス側に知られたらいくらか面倒なことになるという話だが、このことで引っ込むようならばそれも良し。しかし
そんな暗い雰囲気を感じ取ったのか、ハナコがニコニコしながら近づいてくる。何を仕掛けてくるのだろうか、彼はわずかに身構えた。
「あら、どうされたんですか先生? 浮かない顔して、もしかして欲求不満だったりしますか?」
「何やってるのよハナコ! 先生にエッチなこと言うなんて、死刑よ死刑!」
どこか挑発するような表情と口調で詰め寄ってくるハナコに対し、コハルが顔を真っ赤にしながらがなり立てる。いつものやり取りだが、ハナコとコハルの1on1ではなくその矛先が自分に向けられているというのは些かやりにくい。
”君の指導方法をどうするか考えてたのさ、今は君が一番テストの得点が低いんだぞ?”
「うふふ、そうですか。では私は先生にとって一番手間のかかる生徒ってことですね」
”ああ、その通りだ。自覚はあったんだなハナコ”
「……随分はっきり言うんですね」
はっきりとお前問題児だぞと正面から言われ、ハナコの目がすっと細くなる。あれは明らかに人を値踏みする目だ。
初日からずっと変わらず、彼女は色々と突っかかってきては人の反応を見て値踏みする行為を続けている。すでに補習授業部の全員は彼女の中でランキングが決まっているようだが、残る
”言葉で色々変に飾られても嬉しくないだろう? 君は……そうだな、素のままに表現したほうが喜ぶんじゃないかと私は思うが、どうだ”
「――――――」
ハナコが上手く
そして、己の欲求の一つを言い当てられたことでハナコは固まる。どうやら、このようにやり返されることに彼女は慣れていなかったようだ。そんな彼女の様子に肩を竦めながらも、彼は話を続ける。
”さて、とはいえ深入りされたくもないだろう、話を変えよう。君がテストでいい点を取らなきゃならなくなるような条件を考えた……こういうのはどうだ?”
「これは……」
再起動したハナコに1枚の紙を突きつければ、彼女はそれをまじまじと読む。どうせ罰則が―――そう思い込んでいたハナコであったが、読み終えた彼女の目は驚きに見開かれた。
「……明日の小テストで全員合格できれば、夜間外出許可を出す? 本当ですか、これ」
「何よそれ! 校則違反じゃない!」
合宿場を抜け出し、夜の街に繰り出す。そんなありきたりの青春の一幕は、ハナコが求めて止まないものの一つ。仲が良い友人たちとそういう学生生活を送りたかった彼女にとっては渡りに船といったところだが、何故この大人はそんな条件を問題児である自分に出すのだろうか。
だが、元正義実現委員会であるコハルが言うように、これは明らかな校則違反だ。まさか彼も自分と同じように補習授業部を長引かせようとしているのか、彼女はその真意を問うべきかと悩み、逡巡する。
”ま、それは仕方ないだろうコハル。元々この補習授業部はそう外出許可なんか降りるはずがないからな……私の権限で君たちの息抜きをさせようとするならば、監視の目が緩む夜間にこっそりくらいしかないんだよ”
「むむむ……」
「……今の、仮にもティーパーティー次官である私に聞こえるように言う必要はありましたか?」
”そんな君に朗報だ。この時の飲食代は私が支払おう”
「………では、いい店を紹介しましょうか。学校の近くならばここがおすすめです。夜間の限定スイーツが美味しいお店ですよ」
質問を尻込みしている間に
苛烈な性格をしている彼女であるが、趣味の一つが甘味のドカ食いであるためトリニティの有名、あるいは隠れた名店を独自の情報網で網羅しており、その価値は高い。高級路線から庶民的までなんでもござれだ。
実際、彼女が先程示した店は価格帯は普通だが、量質共に申し分ない夜間限定メニューがあり、夜の街に繰り出すのならば一見の価値がある。ハナコだって、そういう情報は知っておきたい。
「でも、小テストに全員合格したらですよね? そんな、まるで合格することが決まっているかのような話の進め方はどうかと思いますけども……ほら、私ってまだ32点しか取れてませんし」
”…………”
「次の小テスト、絶対合格するぞヒフミ」
「はい! 絶対みんなで遊びに行きましょう!」
とはいえ、ティーパーティーの高官及びホストの意を汲む大人に大人しく応じるようなハナコではない。彼女は場の主導権を取り返さんと再び挑発的な態度を取るが、それに対しちらりと横を向く
「……が、頑張らなくっちゃ」
「お、やる気だな下江。それなら……私が見てやろうか」
そしてコハルもまた目の前にぶら下がっている夜間外出権というエサの前に心が揺らいていた。正義実現委員会としてそういうのは駄目という気持ちと、遊びたいという年相応の欲求がせめぎあい……ものの見事に欲求に屈したのである。それに目をつけたイトハも、暇つぶしにはちょうど良いと言わんばかりの表情を浮かべていた。どうやら彼女は合宿の中でコハルになにか光るものを見出したらしい。
なにはともあれ、1週間缶詰状態なだけあって皆は娯楽に飢えているのだろう。モモフレンズグッズを持ち込んだヒフミでさえ、新たな刺激を求めるくらいなのだ。
”皆楽しみにしてるし、彼女たちの成長度合いなら明日の小テストで合格出来るだろう。私には確信があるよ、ハナコ”
「……ずるいですね、そのやり方」
もしやる気が無かったとしても、この状況で落第点を取るのはあまりにも自分が悪くなってしまうので、どうあがいても合格点を取るしかない。ここに来てようやくハナコは、補習授業部で自分一人が好き勝手にやると周囲に迷惑をかけるということを理解した。同時に、
”君が
「そういうところですよ、先生」
”それは君とて同じだろうに”
「……ふふっ、確かにそうですね」
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金満で知られるトリニティ総合学園の自治区内部といえど、全てを発展させるにはその予算はあまりにも少ない。立地、歴史など様々な理由で人が流出して寂れた地域は決して極少数の例外というわけではなかった。
本校舎のある中心部から幾らか離れた廃墟もまた、そんな地域の一つに存在する。ここが何故このように寂れているのか、それを知るのは今のトリニティにどの程度居るのだろうか。
「皆、聞いてくれ」
薄暗く埃が漂う廃墟の中、動く人影が4つ。長い黒髪に青いインナーカラーを入れた少女が他の3名を前に話をしている。全員が統一された意匠の白い外套を着用し、それに刻まれた
話をしている少女―――錠前サオリは、面頬型のマスクで顔を隠しているため表情を伺うのが困難だが、険しい目つきからして決して良い話をしているわけではないというのがわかる。
対して話を聞く3人だが、浅葱色の髪をした少女はこの世の全てに絶望しているような表情を浮かべ、ボブカットの黒いマスクで顔を隠した少女は虚無を見ており、最後の一人はフルフェイスの仮面をつけておりどんな感情を抱いているのかそれを知ることは出来ない。
「……ミカから連絡があったが、アズサの潜入が露呈したそうだ」
「そ、それじゃあアズサちゃんは今頃拷問を受けてるんでしょうね……」
「いや、どうやらそれを看破したシャーレの先生は、まだティーパーティーには伝えていないとミカは言っていた。それに、アリウスの裏切り者が先生の周囲には居るらしい……アズサの潜入がバレたのは、そいつのせいだと」
アズサの正体を看破した人物、
実際には
「裏切り者? それで、どうするのリーダー」
「計画の見直しが必要だ」
だが、もう動いている計画を独断で変更する権限を彼女たちは持ち合わしていなかった。それが出来るのは、アリウスにおいては唯一人しか居ない。
「――――――」
「ああ、そうだ姫。まずはマダムに報告する必要がある……作戦の変更があれば、彼女から伝えられるはずだ」
姫と呼ばれた仮面をつけた少女は、一言も発さずにジェスチャーのみでサオリに何かを伝える。それは一般的な手話とも違うものであったが、何を伝えたいのかを理解したサオリは頷き、懐から軍用無線機を取り出した。
スマホと異なり、高度な暗号通信が可能な軍用無線機は一般的に生徒の間で流通しているものではない。だが、彼女はそれをさも手慣れた様子で扱う。まるで熟練の兵士のように。
「こちらアリウススクワッド、マダム応答願います」
通信先は、アリウスの支配者であるマダム。ほんの僅かにノイズが走った後、彼女の声が無線機から聞こえてくる。
『無闇な通信はするなと厳命したはずですが……』
「不測の事態が発生しました。私達はあなたの指示を必要としています」
『……状況を説明しなさい、サオリ』
「わかりましたマダム。実は―――」
マダムに求められるままに、サオリは話す。アズサの潜入がシャーレの先生によって看破され、ミカとアリウスの繋がりがほぼ把握されているということを。そして、先生の周囲に居るであろうアリウスの裏切り者の事を伝える。
状況を整理しているのか、しばしの沈黙の後、マダムは重々しく口を開いた。
『……状況は理解しました。アズサの潜入が露呈したのは重大ですが、今ならまだ計画の修正は可能です。桐藤ナギサの暗殺は後回しにしておいて問題はありません』
シャーレの先生が情報をティーパーティー、桐藤ナギサと共有していないというのはアリウス側にとって幸いであっただろう。そこに唯一の勝ち筋が存在する。
『シャーレの先生についてはこちらも情報を保有しています。強力なパワードスーツを用いて戦う人物だそうですが、今は使えないと。この機を逃す手はありませんね』
しかも都合のいいことに、彼が所有する最大戦力が使えないという。それがなければ銃弾一発で命を奪える脆弱な肉体だというのならば、打つ手は一つ。
『ではサオリ、アリウススクワッドに新たな命令を下します。どの様な方法を用いても構いませんが―――』
「……」
内心の動揺を表面に出さないようにしていたサオリであったが、下される命令の内容を予想して小さく息を呑んだ。もう引き返すことは出来ない。
『シャーレの先生、マイケル・ウィルソンを殺しなさい。
「……はい、マダム。あなたの仰せのままに」
命令を受け取るサオリの手は、かすかに震えていた。
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”……さて、皆も気にしているようだから最初に公表しておくが、今回の小テストは全員合格だ!おめでとう、今夜は皆でパーティーだな!”
「や、やった、やりました!」
「えっ……本当?」
翌日、小テストの採点を終えた
「よくやったな下江、お前の頑張りの結果が出たわけだ」
「そうですね。コハルちゃんが弱いところを曝け出して、皆で優しくじっくりと
「……それは言い方が卑猥!」
そんなコハルは絡んできた二人によって現実に引き戻され、相変わらず表現が怪しいハナコにぎゃいぎゃいと騒ぐ。しかし、決して嬉しくないわけがない。努力が認められるのは、誰だって喜ぶものなのだ。
「静かにしなさい静かに。いくら全員合格とは言え、あくまでこれは小テスト。明後日の第二回特別学力試験にむけて決して油断はしないように」
「むっ……確かに先輩の言う通りだ。一時の勝利に油断して大敗北を喫しては元も子もない」
「流石にそれは警戒しすぎですよアズサちゃん……」
テストの解答用紙を返却しながらイルミが皆の浮かれ具合に釘を刺すものの、それをまともに聞いたのはアズサのみ。とはいえ、実際には彼女も何処か浮ついているのであまり人のことは言えないのだが。
そんな補習授業部の様子を存分に眺めた後、
”では、今日はここまでにしておこうか。
「はい!」
生徒たちの頑張りを労い、
彼が向かうは宿直室、ミネ捜索チームからの報告を受けるという仕事がある。補習授業部に関しては、イルミが後はなんとかしてくれるだろう。
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”さて、では現状を聞かせてもらおうか”
「はい、では私から」
宿直室には既にスズミ、セリナ、シミコの3人が揃っており、それぞれ緊張した面持ちで
その前に彼女は地図アプリではなく、紙の地図をデスクの上に広げた。
「トリニティ自治区において、一般的に言われる人気のない地域はこの地図に記されたエリアになります。ですが不良や浮浪者のたまり場というのを除外すれば……このように」
”アビドス隣接区はまあ、砂とかの流入で廃れるのはわかるが……意外と多いんだな、トリニティもそういうスラムめいた場所が”
「仕方ありません。キヴォトスでは建物が損壊するのは日常茶飯事なので、復旧工事の手が回らなくなるとすぐにこうなってしまうんです」
”爆弾や戦車が一般社会に普及してるとこうもなるか……”
トリニティにおいてもスラムが発生する理由を知って
「続けて私からも。旧ヨハネ救護学校の自治区をトリニティの地図に重ねると……このような形になります」
”これは……かなり絞り込めたが、まだだな”
続けてシミコが地図の上に赤い線を書き込んでいく。どうやらこれが旧ヨハネの自治区らしいが、そのエリアの幾つかがスズミが調べ上げた人気のないエリアと被っている。それでも最低3箇所ほどあり、この少人数で総当りするにはまだ面積が広大だ。
そして最後に、セリナが脇に抱えていた幾つかの書類を
「では最後に私からの報告を。救護騎士団の資金の流れを調査したところ、
”なるほどフードコープか……それに一致しない医療品の在庫、間違いない”
「はい、それで今は配送業者を当たっています。今日は無理でも、明日にはどこへ配送したのか、それが分かれば後は直接乗り込むだけですね」
セリナの報告は、
そうなれば残る問題はアリウス、そしてミカになる。このトリニティで何をしようとしているのか、それはまだわからないものの、スズミの話からすれば碌でもないことを起こそうとしているのは間違いないと考えられた。
”ではセリナ、分かり次第連絡をくれ。そしたら総当りで対象地域を捜索することになる”
「はい、お任せください先生!」
”スズミ、シミコも頼んだぞ”
「期待に添えるよう頑張ります」
「先生も、どうかお気をつけて」
3人が去り、一人きりとなった
ここまで情勢が逼迫するのは久しぶりだが、それでもまだ余裕はあるなと彼は思っていた。別にかつてのように
”……さてアロナ、これから私は補習授業部の皆を喜ばせるためのプランを練らねばならない。どういうやり方が良いか、「メニューはスイーツ・アラカルト」作戦を成功させるために力を貸して欲しい、というか任せたよ。夜中に遊ぶ分の仕事は今終わらせないと後に響く”
『はい、お任せください先生!』
アロナに夜間外出のプランニングを一任し、自らはシャーレの日常業務や寄せられた相談へ特別対応へと注力する。遊びと仕事のメリハリをきちんと両立し、明日に仕事を残さない。それが大統領としての仕事の流儀であった。
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「うふふ、ついに夜の街に繰り出しちゃいましたね♡」
「先生公認とはいえ……ちょっと悪いことをしている気分になりますね」
「そうでしょうヒフミちゃん。悪いことをしているという背徳感と友達と一緒にいる安心感、この2つが合わさってゾクゾクしませんか?」
昼間ほどではないものの、相応の賑わいを見せる通りをゆく補習授業部の7人は、時折足を止めてはウィンドウショッピングを楽しんでいる。特にハナコはやけにテンションが高めのようだ。
「これが夜の街か……眩しいな、活気がある」
「そうですよアズサちゃん、24時間営業のお店も多いですし……夜間限定の何かをやっている店も、決して少なくはないんです」
「夜中に食べる甘味は罪の味がしますよ、白洲アズサ」
アリウス育ちであるアズサにとって、この活気にあふれる街は相当なカルチャーショックを受けるものだ。ハナコがいうように24時間営業している店も多く、店の中は同じように夜間外出している生徒やロボット、獣人市民で賑わっている。
一般制服に着替えて変装をしているイルミはアズサに夜スイーツの誘惑を囁くが、その誘い方は逆効果にならないだろうか。
「き、きちゃった……大丈夫かな、ハスミ先輩に見られたらどうしよう」
「安心しろ下江、羽川ならそのくらいで怒りはしないだろう。むしろ私をみて警戒するんじゃないか?」
「それは……確かにそうかも知れないけど……ハスミ先輩、怒ると本当に怖いし」
一方、いくら
しかし、以前ゲヘナに対する激しい怒りを炸裂させた場面に居合わせていた彼女は、それが自分に向けられるのではないかと思えばとても安心できたものではなかった。
「……っと、ここです。このお店、私のおすすめですよ」
ぶらぶらと夜の街を歩いていき、7人は目的の店にやってくる。イルミ一押しのスイーツ専門店はそこそこの人気のようで、夜も遅いというのに幾人かのトリニティの生徒らしき姿もあった。
イルミを先頭に入店すると、店員のロボット市民が接客に当たる。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「7人です。限定のナイトケーキ、まだありますか? それと限定のナイトパフェも」
「ナイトケーキはまだありますが、ナイトパフェは申し訳ありません、先程最後の3つが売り切れまして」
「なんと……」
お目当ての夜間限定スイーツのうち、ケーキは確保出来たもののパフェが売り切れたことにイルミは明らかにがっくりと肩を落とした。そこまで食べたかったのかとヒフミは内心思ったものの、それを口に出すことはしない。
店内をちらりと見れば、見覚えのある長身と大きな黒い羽の生徒が一人で大きなパフェを3つも並べていた。その生徒はイルミの声に気がついたように振り向き―――
「えっ……まさか」
”おや……ハスミか”
「ハスミ先輩……?」
正義実現委員会副委員長、羽川ハスミは口周りにクリームをつけたまま
「羽川ハスミ……先日ダイエットをすると正義実現委員会で宣言したと聞いていますが、こんな真夜中に一人で限定パフェを
「あっ、いえ、イルミさん、これは……」
まさか見られていたなど思ってもみなかったハスミは、青筋を浮かべたイルミの追求にしどろもどろとなり、他の補習授業部の面々の顔を見てどんどん表情が青ざめていく。イルミは余程限定パフェを食べたかったのだろうか、中々に圧が強い。
その一方、補習授業部側はと言えばコハルがこの世の終わりみたいな顔をしているのを除けば、面白いものを見たとか、美味しそうだなとか、そういう感想を抱いていた。
「……その、自分を棚上げする言い方であれなのですが、補習授業部は外出が禁じられていたはずでは? そういうことですから、ここは見なかったことにしましょうか」
「つまり見逃すから剣先には言わないでくれと、そういうことだな羽川?」
「うっ」
辛うじてハスミが絞り出したのは、補習授業部側のルール違反の指摘。互いに見なかったことにして場を収めようという魂胆だが、狙いをイトハに素で指摘されてしまい言葉を失う。
ティーパーティー高官と3年生きっての問題児相手には正義実現委員会という看板も意味はなく、二人の指摘で後輩たちもハスミに対して生暖かい目を向けるようになり、ハスミは恥ずかしさのあまり縮こまり、穴があったら入りたいという様子を見せた。
そんな彼女を庇うようにハナコが前に出て皆へと向き直り、笑みを浮かべながら言う。
「うふふ、いいじゃないですか先輩方。ハスミさんも一時の欲望に負けただけで、人間そういう事はいくらでもあるでしょうし」
「は、ハナコさん……」
「ただ、私もそのパフェは食べてみたかったんですよね。それはちょっと残念です」
「ううっ」
「は、ハナコ! ハスミ先輩をそれ以上いじめないでよ!」
庇っているようで思いっきり刺してくるハナコの言葉にハスミが呻く。コハルが慌ててインターセプトをかけるものの、もうハスミの威厳というものはどん底であった。
「コハル……私は大丈夫です。それよりも、補習授業部はどうですか? お勉強、頑張ってますか?」
「あ、えっと、それは、その」
”コハルは……いや、補習授業部の全員が今日の小テストで合格点を叩き出した。この外出はそのご褒美だよハスミ”
「はい、コハルちゃんはもう凄い勢いで成績が上昇しているんです!」
「そうだったのですね……コハル、私は信じていましたよ。あなたはやれば出来ると」
そして、補習授業部の現状を
「あなたが1日でも早く正義実現委員会に復帰し、一緒に任務を遂行する日を楽しみにしていますよコハル」
「ハスミ先輩……私、頑張ります!」
案ずるハスミに、応えるコハル。端から見れば美しい先輩後輩の関係と言えるだろう、ハスミの前にパフェが3つ並んでいなければだが。
―――ヴヴヴヴ
その時、不意に何処かからスマホのバイブレーションの音が聞こえてくる。一瞬補習授業部の皆は誰のものかと自分のポケットをまさぐるものの、スマホを取り出したのはハスミであった。
彼女は胡乱げな様子で発信者の名を確認すると、電話に出る。
「イチカ……何事ですか? 何、襲撃!? ゲヘナの……本格侵攻が? え、違う? では何が―――美食研究会!? ゲヘナのテロリストが何を……」
「どうやら大変なことが起きているらしい」
「あわわ……」
電話の向こう側はどうやら正義実現委員会の本部らしく、ハスミの話しぶりからすれば非常事態が起きたということがうかがえる。しかも相手は美食研究会、その名は
とはいえ、補習授業部の面々の半分はその脅威をあまり理解していないようで、ハスミの物々しい雰囲気の方がおっかないと感じているらしい。
「美食研? 黒舘達か、面白い連中がやってきたな」
「イトハ、勝手な行動は許しませんよ。私達は今無断で外出しているということを忘れないように」
「……そうだったな、イルミ。了解した」
美食研の名を聞いて真っ先に動き出そうとするのは、自警団に仮にも所属しているイトハである。美食研とは何度も交戦した経験があり、それなりに骨のあるやつとして記憶していた。
1週間は本気で体を動かせていなかったために彼女は久々に戦いたいとウズウズしていたのだが、イルミはそんなイトハの心情を良く理解しているために動く前に釘を刺す。ここで飛び出し、正義実現委員会と衝突したら一大事なのだから当然の行いだろう。
「ツルギは……今の音、まさか!? くっ、やはりそうですか。わかりました、私もすぐに出動します。イチカはツルギを早く止めてください!」
通話を終え、深刻な表情を浮かべたままハスミは補習授業部の面々を見る。その目つきは明らかに戦力として期待するものだとイルミは理解した。
「待ちなさい羽川ハスミ、まさかとは思いますが……我々を戦力に勘定しようとしていませんか? 剣先ツルギが出たのならば、美食研はもう風前の灯でしょうに」
「イルミ次官……エデン条約の交渉担当官として活動していたあなたならわかると思いますが、調印直前の過敏な時期に我々正義実現委員会がゲヘナの勢力と衝突すること、それ自体が調印上不利になると―――」
「それを判断するのはあなた達ではなくティーパーティーの仕事です。少なくとも、我々の自治区でテロリストを制圧することの何が問題なのですか? あちらがふっかけてくるのならば、美食研をゲヘナの正規勢力と認定して損害賠償を求めればいい話でしょう」
「この緊急時に悠長な事を……!」
明らかに面倒事に巻き込もうとするハスミに対し、イルミは真正面から反論する。政治的なゴタゴタに既に巻き込まれている補習授業部を更に余計な事に巻き込むなという正論なのだが、そのあたりの裏事情を知らぬハスミからすれば苛立たしいものだろう。
このままでは埒が明かぬと見てハスミは
”……メタルウルフはそちらの格納庫に預けたままだ。今の私を戦力にカウントされても困る”
「確かにそうですね……申し訳ありません。ですが先生の名義が必要になる可能性があるので、どうか手伝っていただけないでしょうか」
”やれやれ、仕方ない。あくまで後方支援、それでいいな?”
「はい、事後処理の現場に居てくだされば……それと、できれば誰かを一人くらい出していただければと」
”なら……イトハ、ハスミに付いて行ってやってくれ。イルミ、この場は任せた”
「ははっ、流石は先生だ。生徒が何を求めているのか良く理解している……これなら文句はないだろう、イルミ?」
「……分かりましたが、桐藤ナギサがごねた時は先生がきちんと責任を持って説得してください」
ハスミは戦力としての
それだけならまだしも、イトハまで連れていくとなるとどうなることやら。残る補習授業部の引率を任されたイルミはため息混じりに3人を見送った。既に支払いそのものは
「あの……先生たち、大丈夫なのでしょうか」
「心配はいりませんよ阿慈谷ヒフミ、イトハと剣先ツルギがいるならば、美食研程度は問題になりません。それよりも、折角のご褒美時間を無為にするほうが先生に失礼でしょう、好きなだけ食べなさい」
「そうですね……イルミさんがそこまで言うのであれば、私達で美味しくいただいちゃいましょうか」
「わかった、確かに先輩の言うとおりだな」
「ハスミ先輩……ごめんなさい」
後ろ髪を引かれる思いはあるものの、そもそもこれは先生が用意した自分たちのための時間だ。ならば、それを無駄にしないためにも楽しもうと残されたメンバーはスイーツに手を付けた。
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爆発音がそれほど遠くない距離から聞こえてくる。予想外の事態だが、都合がいい。
錠前サオリは単身野次馬たちをかき分けながら、ターゲットの姿を探し求める。狙うはシャーレの先生ただ一人、それ以外に用はない。高所を陣取る仲間の案内のもと、彼女はなるべく目立たぬように闇に溶け込みながら進んでいた。
『えへへ……ターゲット、2ブロック先です。護衛の二人は爆発地点へと向かったので、ターゲットは今は一人ですね……』
「分かった……この幸運、無駄にはしない」
本当に運が良かった。暗殺命令が出てすぐに目標が警備の厳重なトリニティの校舎から離れ、少数の生徒と共に真夜中の街へと出かけるなど、普通に考えれば都合が良すぎるものだがこの際どうでもよい。命令を遂行できるのならば、何でも利用するだけだ。
『騒ぎを起こしたのはゲヘナみたいだね……まあ、どうでもいいけど』
「ミサキ、それよりもアズサの姿は確認できるか?」
『アズサは店に入ったきり出てきていない。連れ帰るのは無理だと思う』
「……ミサキとヒヨリは監視を継続、もう少しでターゲットに接触する」
現場に近づくにつれ、野次馬の数は減っていく。だがここまでくれば街灯は少なく、闇に紛れることが出来るだろう。潜入工作はアリウススクワッドの十八番であった。
「……」
彼女の前方、50mほど先に目標の背中が見える。タブレットを操作し、何か指示を飛ばしているようだが無防備極まりない。このまま射撃で殺害してもいいが、近場に居る正義実現委員会に発砲音を聞かれた場合脱出が困難になるため、ステルスキルが求められる。
無論、そのための装備として彼女はナイフを所持していた。左太ももに装着してあるシースから刃を引き抜いて左手で保持し、ゆっくりと目標へと近づいていく。
”よし、ハスミはそこで退路を塞げ。イトハ、ドローン起動の後に殴り込みだ!”
既に距離は10m程度まで近づいている。気配を殺し、足音を立てぬよう慎重に慎重を重ね、もう手が届くほどになったその背中から心臓を一突きするべく踏み込んだ。だが―――
”ハアッ!”
「!?」
まるで疾風のごとく放たれた後ろ回し蹴りがナイフを弾き飛ばす。空中で数回転した後、石畳の間に突き刺さるナイフ。姿勢を崩したサオリは辛うじて倒れることなく踏み留まることに成功したものの、次の行動を起こせない。
完全な奇襲であったはずなのに、何故バレたのか。動揺のあまり銃撃するという選択肢を忘れてしまった彼女の前で、
”私の命を狙いに来たということは、君はアリウスの生徒だな……良いだろう、私の特別授業を受けてもらおうか!”
鋭い視線に貫かれ、サオリは慄く。この大人は決してか弱い存在などではないのだと。
To be Continued in Episode6 ”
ついにアリウスが動き出します。本編よりも早く、狙いはマイケル・ウィルソンに。
この動きはミカも把握しないアリウスの独断ですが、彼はどう切り抜けるのか。