アリウス分校の生徒たちにとって、長年の洗脳によって植え付けられた価値観というのは人格を構成する重要な要素であり、普通はそう簡単に変わるものではない。洗脳されているということを自覚することが難しいからこそ、洗脳教育を受けた人物が回復するためには多大な労力を必要とするのである。
しかし、時折言葉だけで人の価値観というものを一変させるだけのカリスマというのが出現する。マイケル・ウィルソン・Jrという人間もその一人で、父のマイケル・ウィルソン・シニアと同様に彼には言葉だけで人を惹きつける魅力というのが存在していた。
先日のブリーフィングにおいて、
だからこそ、重要なのはどういう楽しみ方があるのかというのを見せることにある。彼が今回のバカンスで他の学校の生徒を呼んだ最大の理由がそれであり、実際にアビドスの皆がボートを出して魚釣りをしているのを見たうちの一部が自分たちも魚釣りをしようとし始めていた。
だが、この海水浴場で浜釣りをすれば泳いでいる生徒たちの邪魔になるのは間違いない。彼は近くの磯へと彼女たちを誘導していく。
「えいっ!」
「んぎゃっ! 引っかかってるから!」
そして磯に着いた後、リゾートから借りた釣り竿を渡して魚釣りを始めるわけだが―――ガチの釣り初心者が釣り竿を振り回せばどうなるかといえば、ご覧のように釣り針が他人に刺さるなどの被害が発生するわけである。
ちゃんと周囲を見てやろうというのは簡単だが、引率のトリニティ生徒も魚釣りというアウトドアな趣味を持っているわけではない。教えようにも、釣りをやれる人間が居ないというわけだ。
”やれやれ、私が手本を見せよう”
「わっ、ありがとうございます!」
「全員傾注! 先生の動きを良く観察するんだ!」
仕方ないので皆に手本を見せる
かくして彼は釣り竿を手にし、周囲の安全を確認した後に沖へと仕掛けを投げた。
”そうらっ!”
きれいな放物線を描いて海に落ちるルアー、それから沈ませた後に一定の速度でリールを巻いてルアーを泳がせる。初心者に教えるのは簡単なものからだ。彼自身初心者とも言えるが。
「………」
「釣れないねー」
「あ、ここの水たまりに変なのが居るよ!」
「何々、何が居るの?」
とはいえ、そう簡単に釣れるものではない。魚がかからず、何度も仕掛けを回収することになり時間ばかりが過ぎていく。見ていた生徒たちも暇を持て余し、磯の生態系の観察にシフトし始めたりしているが、それはそれで学びとなるので別に問題はなかった。
そうしているうちに、竿に手応えが。どうやらヒットしたらしいと判断し、即座に竿を立てて
”よしきた!”
「えっ、何!?」
「あっ、もしかして魚がかかったの!? 先生、頑張れ!」
突然のアタリにアリウスの生徒や引率のトリニティの生徒が色めき立つ。踏ん張って竿を振る
だんだんと近づいてくる魚の影に歓声を上げ、それが一旦沈み込んで見えなくなると落胆の声が漏れる。だが再び見えてくれば再び歓声を上げるのだから分かりやすいというか、単純というべきか。
”ぐぬぬぬぬ……”
しかし
”
「わあっ! 大きい!」
次の瞬間、海面から飛び出す大きめの影。釣り上げられた勢いで磯に打ち上げられたそいつを急いで確保し、掲げる。
キヴォトスの魚は地球のそれと似ているが、果たしてこいつが何なのかまではマイケル・ウィルソンは知らない。だが、そこそこに大きな魚を釣ったことでアリウスの生徒たちから尊敬の念が込められた視線を向けられているのは少々照れくさい。何度もいうが、彼は別に釣りが得意というわけでもないのだ。
とりあえず釣れた魚から針を外していると、ボートが近づいてくる音が聞こえてくる。その方向に顔を上げてみれば、アビドスの面々が乗ったボートが座礁しないギリギリを見切って接岸していた。同時にシロコがボートからジャンプし、磯へと上陸する。
「ん、見てたよ先生。中々やるね、でも釣るまでにちょっと時間かかったかも? まあ、初心者に教えるにはあのくらいがちょうど良い感じかな」
”シロコ、居たのか”
「先生が大変そうにしてたからね、手伝ってあげようかなって」
「シロコちゃんはこういってますけれど、実際には釣れたお魚の量を自慢したいんですよ」
「……ノノミ、余計なことは言わない約束でしょ」
どうやら彼女は
ちなみにだが、シロコが釣った魚を次々に締める姿を見てホシノは顔を引き攣らせたという。彼女としては生きたままにしておくと思っていたようだが、食べることを考えていたシロコの容赦の無さが上回ったらしい。
「師匠も釣りをするんですね!」
「うへぇ~、師匠じゃないって言ってるでしょ~……でもまあ、魚釣りぐらいは教えられるかな」
「シロコ先輩ほどガチじゃないけど、私だってそこそこ釣れるのよ。だから任せて!」
「わあ、すごいですね!」
「セリカちゃんはああ言ってますけど、実際のところは大物狙いでハズレが多いだけなんですよ」
「こーらー! 黙ってればわからないんだからそういう事言わないでよアヤネちゃん!」
ボートに乗っている他のメンバーもぞろぞろと降りてきて、アリウスの生徒たちと言葉をかわす。先程の騒動でアリウスから一目置かれているアビドスの面々はあっという間に受け入れられ、彼女たちは暫くの間釣りを楽しむのであった。
「おあーっ! 引っかかった!」
「あーん! 絡んじゃった!」
「……もう少し、距離取ってやろっか」
……まあ、当然のことながら多少の問題を起こしながらではあったのだが。
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元々補習授業部という集団は、元々はトリニティの裏切り者候補として桐藤ナギサに集められたものであった。結局それは様々な誤解や事実誤認によるものであったのだが、とはいえ彼女たちに問題がないわけではない。
趣味を優先してテストをブッチする
「アズサちゃん!」
「わかった!」
「きゃあ!?」
そんな彼女たちは今、ビーチバレーを楽しんでいた。ヒフミのパートナーはアズサで、相手はハナコ、コハルペア。ハナコの放ったボールをレシーブし、浮いたボールに合わせてアズサが跳躍する。
コハルが身構えるものの、鍛えられたアズサの肉体から放たれたスパイクはしかし、コートの砂地ではなく彼女の顔面に直撃。そのまま変な方向に玉が飛んでいき、コハルは尻餅をついた。
「ああっ! コハルちゃん大丈夫ですか!?」
「ご、ごめんコハル」
「あ、あうぅぅ……」
「あっ、コハルちゃん、鼻血が……」
直撃場所が悪かったのか、鼻から血が垂れるコハル。他の3人が慌てて救急箱を取りに行ったり、応急処置を行うなどして彼女を介抱する。
「少し安静にしておきましょうね、コハルちゃん」
「本当にごめん、コハル……」
「あ、うん、今のは避けなかった私も悪いから気にしないで、アズサ」
ハナコに連れられ、コハルは木陰に座り込む。氷嚢で鼻を冷やしながら腰を落ち着けて周囲を見渡してみると、アリウスの生徒たちも各々が思うがままに浜で色々なことにチャレンジしているのが見えた。
先程まで自分たちがやっていたビーチバレーを真似して遊んでいるものや、砂で何かしらのモニュメントを作ろうとしているもの、あるいは普通に波打ち際で遊んでいるもの。皆何かしら楽しみを見つけようと試行錯誤しているようだ。
アズサからアリウスでの暮らしぶりをある程度聞いていたため、彼女たちがこうも楽しみを見つけようとしているのを見たコハルとしては、そのギャップに驚くばかりだ。実際の所、最初に補習授業部に放り込まれた時にはもっとネガティブな雰囲気だったというのに、ほんの1週間程度でこうも変わってしまうとは。
補習授業部での活動を通して自分がバカという自認をするに至ったコハルであるが、こうして少し離れて見てみると今回のバカンスにおける
そしてそれは実際、うまく機能しているといえるだろう。補習授業部に強制編入させられたばかりのアリウスの生徒のような何かに怯えているような様子の生徒は、見渡す限りどこにも居ないのだから。
「……はぁ、何でもかんでも先生の狙い通りかぁ」
「ため息をついて、どうしたんですか?」
「ひゃあっ!?」
結局はこのバカンスも学ぶためのものに過ぎない。そう認識してしまい、ため息を付いたところ不意に声をかけられ、コハルは思わず情けない声を上げてしまう。聞き覚えのない声に振り返ってみると、そこに居たのは地面につくほど長い黒髪をポニーテールにし、ワンピーススタイルの水着を身につけた少女、天童アリス。
その後ろには同じ顔をしたもう一人の人物、天童ケイ。髪型はツインテールで、クロスホルタービキニを着た上でラッシュガードを羽織っている。エッチなのは駄目! しかし、初対面なのでそれを言い切ることは人見知りなコハルにはできなかった。
「えーっと、どちら様でしょうか……」
少々困惑しながらも、一緒に居たハナコが2人に声をかける。見たところトリニティの生徒ではないのは明らかだが、果たしてどこの学園なのか。
「はい! ミレニアムサイエンススクール1年生、ゲーム開発部、そして勇者見習いの天童アリスです! そしてこちらは、双子の妹のケイです!」
「天童ケイです。同じくミレニアムサイエンススクール、私は生徒会セミナーに所属していますが、ゲーム開発部の手伝いも少々しています」
「あら……ミレニアムの生徒さんでしたか。お二人も先生に誘われて?」
ハナコの問いに対して2人は肯首し、おもむろに別の木陰の方を向く。なにかと思ってコハルと共にそちらを見ると、そこでは才羽姉妹がアリウスの生徒にゲームをプレゼンしている姿があった。しかも、中々いい感じに食いついているらしく、話が弾んでいるようだ。
そして実際に携帯ゲーム機を貸して何かのゲームをプレイさせていると、興味を引いたのか他のアリウスの生徒が覗き込んできている。彼女たちの狙いであるゲームの布教はある程度の成功を収めているらしい。
「先生に直接……というわけではありませんけどね」
「でも、アリスは楽しいです! 新しい環境、新しい出会い、その全てがレベルアップのための経験になっていくんです」
「ふ、ふぅん。よくわからないけれども、それなら良かったじゃない」
「そうだ、2人もアリスの友達になってくれませんか? ミレニアムの外にも友達を作ったほうが良いってケイや先生が言っていました!」
「うふふ、それは……とてもいい提案ですね。私は浦和ハナコと言います」
友達になりたいとストレートに表現するアリスの笑顔に、つられてハナコも笑みを浮かべる。その言葉の裏に何の意図もないのは明らかで、純粋に友だちになりたいという願いだけが込められていた。
アリスという人物はトリニティでは出会うことがなかったタイプの生徒であり、思わず心が躍るというもの。ハナコにとって元補習授業部の皆は勿論大事だが、新たな出会いというものを楽しむことが出来るようになったのは彼女が成長を遂げたということを如実に表していた。
目の高さを合わせ、握手を交わす。そんなハナコの姿を見て、コハルはどうすべきか戸惑っていた。彼女の人見知りは根深く、初対面の相手にうまく言葉が紡げない。以前は攻撃的な言動で威嚇していたが、今は吃るばかりだ。
「あ、う……」
「コハルちゃんも、アリスちゃんやケイちゃんとお友達になりましょう?」
「……」
言葉はうまく紡げ無いが、友好的に接してくる同学年の生徒を拒む理由はない。薄っぺらいプライドで見栄を張っていた以前とは違うのだ。だから彼女は手を差し出した。
「……よろしく、アリス」
「ぱんぱかぱーん! ハナコとコハルが仲間になりました!」
「ひゃっ!?」
「すみません、アリスはちょっと……独特な感性をしているので」
「いえいえ、素敵な個性だと思いますよ。せっかくだからもう2人、私たちの友達ともお友達になってくれませんか?」
差し出された手を握り、
だがハナコはそれも個性だと微笑んで受け入れ、ヒフミとアズサを呼び寄せる。仲間はずれを作るつもりは彼女にはなかった。
「どうしたんだハナコ、コハル。それと……」
「ミレニアムサイエンススクールのアリスちゃんとケイちゃんですよ、皆とお友達になりたいそうです♪」
「そうなんですか!? 私、阿慈谷ヒフミって言います。モモフレンズに興味はありますか? 私のおすすめはペロロ様で……」
「待って、ヒフミ。いきなりそうやってまくし立てても初心者はついてこれない。ちなみに私のオススメはスカルマンだ」
「え、ええっと……」
「モモフレンズですね! アリス、見たことはあります。でも正直よくわかりません……ごめんなさい」
「あっ、いえっ、悪いと言っているわけじゃないんです。好みは人それぞれ、ですからね……」
ハナコによる紹介を受け、早速モモフレンズの布教を始めるヒフミ。そして嗜めるように見えて自分の好みを主張するアズサ。モモフレ強火勢の攻勢を受けてケイはやや気圧されているように見えたが、アリスはそれについていけぬ自分を恥じた。
だが、彼女たちを困らせるのは本意ではない。ヒフミは慌ててアリスをなだめ、場をとりなす。ついついモモフレンズ絡みでは暴走しがちだが、ヒフミは本来そういう気遣いが出来る少女だ。
「……とりあえずさ、皆で一緒に遊ばない? アリウスの子たちが普通に遊んでて、私たちがそうじゃないのって何かこう、変っていうかさ。そういうのは先生も望んでないだろうし」
「すごい……コハルがまともな事を言っている。もしかして、あの時ボールが直撃したから……?」
「何よアズサ! その言い方だと私がいつも変なことばっかり言っているみたいじゃない! そんなのはハナコで十分、私はいつだって正義実現委員会のエリートを目指して頑張ってるよ!」
「コハルはエリートを目指しているのですか? 頑張ってください、アリスは応援します!」
「あ、うん、ありがと……」
気を取り直し、遊ぼうと提案するコハルに対し思わず失礼なことを口走るアズサ。ぶつけた張本人が何を言うかである。そして正義実現委員会での活躍という夢を語る彼女にアリスは純粋に応援する。まさか素直に応援されるとは思ってなかったコハルは、少し照れくさそうにするのだった。
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―――この後、彼女たちはスイカ割りを楽しんだり、砂で巨大な城郭を作るなど大いにビーチを満喫し、時間はあっという間に過ぎていく。気づけば太陽は西へと沈み、夜の帳が下りるのはもう時間の問題だ。
一応、ナイトビーチとしての運用が可能なようにこのリゾートも施設が整っているのだが、それよりも前にやるべきことがある。人間の三大欲求のうちの1つ、食欲を満たす儀式……すなわち、夕食。
”よーし、皆ホテルに集合してくれ。今日の夕食はビュッフェスタイルだ”
「やったー!」「ビュッフェって何?」「美味しい物が食べられるならなんでもいいや」
磯から戻ってきた釣り組と共に、全員がメインのリゾートホテルへと向かう。アリウスの生徒たちにとって食事は分かりやすい楽しみの1つだ。アリウス自治区に居た時とくらべてその彩りは全くの別次元であり、瞬く間に虜になってしまった生徒も多い。もし美食研がいればようこそ美食の世界へとニッコリしたことだろう。
百夜堂とコラボしたヨツイリゾートホテルのビュッフェは相応に豪華で、甘味もバッチリ。和洋問わずに様々な味を楽しめる美食の祭典といえた。
とはいえ、これほど豪勢な歓待を受けたアリウス生徒の中で聡いものの中には、このレベルのリゾートにかかるコストについて不安に思うものも居る。しかし、お金の問題に思い至れるというのは社会に適応し始めている証拠だ。それもまた、喜ばしい変化の一つと言える。
ちなみにだが、今回のリゾートに参加しているアリウスの生徒は皆健康状態に異常がないと救護騎士団からお墨付きをもらっている。食事の制限もないレベルの健康状態でなければ、今回のイベントには参加できない。まだ入院している生徒には後々埋め合わせのためのイベントを用意しようと彼は考えていた。
「これだけの料理を用意するのにどれだけの手間暇が……」
「外って凄いねぇ、私たちの自治区はあれだけ窮乏してるのに」
「ばにばに……」
「でもおいしいよぉ! やめられない、とまらない!」
「んん~、実に美味しそうに食べてくれて思わずほっこりしちゃいますねぇ。でも、この子たちトリニティの生徒なら良いもの食べてるんじゃないんですか。そのあたり、どうなんですか先生?」
”この子達は訳アリでトリニティで預かってもらってるんだ、あまり追求しないでやってくれ”
「あー、そういうものなんですか? わかりました、気にしないことにします」
多くの生徒たちがワイワイと料理を食べているその姿は、料理人ではないとはいえシズコの頬も緩んでしまう。特にアリウスの生徒たちは甘味に関して貪欲で、百夜堂特製のスイーツ類に舌鼓を打ち、おかわりのために何度も往復する姿が見られる。結構な量を用意したとは言え、このままではなくなるのも時間の問題だ。
その一方で、一般的にアリウスの存在はいまだ公開されていないので、トリニティにしては貧乏的な感じの彼女たちの存在にシズコは違和感を覚えた。そこで
シズコは経営者として発表前のリークは良くないというのは良く理解しているので、彼の主張を全面的に受け入れることとした。先生が絡んでいるのならば、きっと彼女たちのためを思っているのだろう。
”……さて、私はもう少し他の席を回ってくる。彼女たちも話したいことは色々あるだろうからな、聞いてやるのも大人の仕事だ”
「はい、先生! がんばってくださいね~!」
食事を盛り付けられたワンプレート皿を手に立ち上がり、会場をうろつく
多くのアリウス生徒は初めてのバカンスについて極めて好意的に捉えており、今回のプランは大いに成功を収めていると言っても過言ではないだろう。不満がある生徒も、殆どはやりたいことが多すぎて身体が足りないみたいな解決方法のないタイプの不満であったのも幸いだ。
無論、時折極めてロジカルに設備の不備を指摘する生徒もいる。そういう生徒の主張はきちんとメモに書き留め、後でヨツイ氏に渡せば改善されることだろう。
”ふう……やれやれ、失礼させてもらうよシロコ”
「おつかれ、先生。今日釣った魚のお刺身だけど、食べる?」
”あー、うん……魚を生で食べる食文化をしてないんだよ、私の故郷は”
「ん、それはもったいない。美味しいよ、お刺身。私がせっかく釣ったんだし、先生にも食べてもらいたいな」
「いやぁ~シロコちゃん、積極的だね~」
”見世物じゃないんだがな、ホシノ”
一通り回り終え、アビドスの面々のテーブルにお邪魔する
しかし、自分が用意したとして勧めてくるシロコを無碍にもできない。茶化してくるホシノに苦言を呈しながら意を決してチャレンジ。箸を器用に扱い、一切れを醤油につけ、口へ運ぶ。
シロコの期待の眼差しにプレッシャーを感じながらも、彼はじっくりと刺身を味わう。プリッとした弾力とコリコリとした心地よい歯ごたえ、そして味の方は旨味が強く美味。なるほど、日本人が好むわけだと納得する。彼は知らないが、シロコの釣った魚は丁度今が旬で、最も美味しい時期であった。
「どう、先生?」
”ああ、悪くない。なるほど、こういう感じなのか”
「やりましたね~シロコちゃん♪」
「うん、純粋に嬉しい」
食べてもらえたことに喜ぶシロコと、囃し立てる他のメンバー。アビドス自治区における一連の騒動において散々世話になったこともあり、こうしてある程度恩を返す機会は彼女たちにとっても見過ごせるものではない。それで喜んでもらえたのならば、素敵だ。
「あ、先生~」
「今日はありがとうございます、こんな良いリゾートに連れてきてもらって……」
対策委員会の皆と食事をしていると、後ろを通りかかったモモイとミドリが声をかけてくる。彼女たちはどうやらおかわりを取ってきたばかりのようで、手には料理がよそわれたプレート皿があった。その後ろにはアリスとケイもおり、最後尾には周囲にビクビクしながらも勇気を振り絞ってこの夕食に参加しているユズの姿も確認できた。
「ねえねえ、ここいいかな?」
「うーん、まあ、空いてるからいいよ」
「やった、ありがと~! あ、私たちはミレニアムサイエンススクールのゲーム開発部、よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします」
対策委員会の皆と挨拶を交わし、許可をもらったモモイは遠慮なく席につく。テーブルは大きく、ゲーム開発部と対策委員会の合わせて10人が並んでも余裕があるくらいだ。ミドリの方はやや遠慮がちにモモイの横に座り、他の3人を手招きすると同じように座らせる。
「君たちはミレニアムなんだね、ゲーム開発部っていうと……やっぱりゲームを作ってるんだ?」
「そうだよ! 今回、取材旅行を兼ねてるから新作に期待して欲しいな~」
「うへ……おじさん、近頃のゲームとか全然わかんないや」
「大丈夫です、おじさんでも楽しめるゲームはたくさんあります! ところで、ホシノなんでおじさんなんですか? 本当のおじさんは先生みたいな人だとおもうのですが」
「う、うへ……」 ”ぐっ”
「やめなよアリス! 人のアイデンティティに疑問を呈したり、年齢のことを言うのはマジでよくないことなんだよ!?」
食事をしながら会話をかわす一同。ホシノが無難にゲーム開発部に話題を振るが、対策委員会の皆は実際のところゲームをする人間がほとんど居ない。ノノミやセリカが少々知識を持っているくらいで、ホシノやシロコ、アヤネはあまりプレイする時間すら無いのだ。
そういう事情もあり、やんわりとゲームに明るくないことを伝えるホシノであったが、いつものおじさんムーブが仇となりアリスの悪意無き攻撃を受けダメージを追った。ついでに
「はぁ……先生、アリスに悪気はないんです。本当に、誰かさんのせいでちょっと常識がズレてるだけで」
「ちょ、ケイ! それだと私が悪いみたいじゃない!」
「私はモモイのせいとは一言も言っていませんが」
「まあまあお二人とも、今は食事中ですよ?」
「ひえっ」「……はい」
アリスの言動をフォローするケイであったが、それはモモイのせいであるということを暗に示すもの。当然反論するモモイとの間に口論になりかけるが、ノノミが笑顔で制止する。
だが、その圧は相当なもので、当事者2人のみならずゲーム開発部の他の3人も震え上がった。別に笑うという行為は本来攻撃的なものであり獣が牙をむく行為が原点……というわけではないのだが。
「いや~、それにしても楽しいねぇ。本当にこんな旅行がタダでいいなんて、まったく夢みたいだよ。話が回ってきたのがシロコちゃんが当番の時で本当に良かった~」
「本当よね、こんなチャンスが来るのはくじに当たるぐらいしかありえないと思ってたけど、こんな形で転がり込むなんて思わなかったわ」
「流石はシロコ先輩ですね」
「ん、もっと褒めても良いんだよ」
「……随分仲がいいんですね、アビドス高校の皆さんは」
気を取り直して食事を楽しむ中、バカンス1日目を振り返って感想を言い合う対策委員会の面々。タダでバカンスを楽しめるという前提を差し引いても相当に良かったようで、非常に好感触といった反応だ。話を持ちかけられただけとはいえシロコがちょっとだけドヤ顔をしているのが印象的で、そんな彼女を他のメンバーが囃す。
それを眺め、ケイはほんの少しだけ羨ましそうに呟く。ケイ自身、ミレニアム全体では好かれているほうではあるものの、ゲーム開発部の中ではマネジメント担当であるが故に口うるさくしているという自覚があった。そんな自分はあまり好まれないであろうとも。
しかし、そんな彼女の呟きを聞き逃さぬ耳を持つものが一人、十六夜ノノミ。彼女は少し席を寄せてケイに顔を近づけ、他の面々に聞かれないように配慮しつつ小さな声で囁く。
「う~ん、そちらも十分仲が良いと思いますけどね~……だってほら、仲が良くないなら、同席なんてさせないですし?」
「ノノミ……さん」
「ふふっ、ケイちゃんは心配性ですね。私たちはまだあなた達ゲーム開発部のことを良く知りませんが、もっと自信を持っていいと思いますよ♪」
「そうでしょうか……」
「そうだ、夕食の後にみんなで遊びに行きませんか? このリゾート、まだまだいろんな事が出来るみたいですし、皆さんのことを良く知りたいので」
自信なさげなケイにアドバイスをした後、彼女はわざとらしくゲーム開発部、そして対策委員会の皆を夜の遊びに誘う。
「あ、それならゲームセンターいかない? 他の子達も誘ってるんだけど、あなたたちにもゲームの面白さを知ってもらいたいっていうか……」
「ん……どうする?」
「良いんじゃないかな~、日常でできないことをするのがリゾートだって言うし」
「ぱんぱかぱーん! アビドス高校のみんなが仲間になりました! ケイも一緒に行きましょう!」
「そうそう、ケイは多人数とプレイするゲームが好きなんでしょ? ちょうど良いじゃん!」
ノノミの提案に対し、渡りに船とばかりにゲームセンターに誘うモモイ。昼間にゲームに興味を持ったアリウスの生徒たちとの約束もあるが、対策委員会の面々もゲーム経験に乏しいと聞いたモモイは、彼女たちにもゲームの楽しさを知ってほしいと思っていた。
ナイトビーチもいいが、非日常を楽しむのもまたリゾートの醍醐味の1つ。ゲームセンターで遊ぶというのはアビドスの皆にとっても選択肢の一つに入る。そういうこともあり、彼女たちはモモイの誘いに乗ることにした。
そしてこれだけの多人数でならばケイだって楽しめるだろうという彼女の配慮に、ケイは先程までの悩みがただの杞憂であったと言うことを悟る。先程までのどんよりとした気持ちは既に無い。
「……そうですね、では私も一緒に」
「うんうん、みんなで楽しみましょう!」
晴れやかなケイの表情に、ノノミは満足げに頷く。まだまだ夜はこれからだといわんばかりであった。
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夕食の後、多くの生徒達がまだまだ遊び足りないとばかりにナイトビーチに出たり、あるいはゲームセンターやシアター上映された映画で時間を消費していく。今回のイベントの初日は乱闘以外特に問題も起きず、大成功を収めたと言っても過言ではないだろう。
ゲーム開発部、元補習授業部、そして対策委員会の面々がそれぞれつながりを持ったというのも、決して悪いことではない。彼女たちはシャーレへの入部届を出しているので、シャーレの当番をしていればいつかは顔を合わせる機会もあったはずだ。それが前倒しにされたと考えればむしろ手間が省けるというもの。
そして夜は更け、日付が変わる。ほとんど全員の生徒が寝静まり、起きているのはリゾートの職員ぐらいなものだろうか。マイケル・ウィルソンは自身のベッドの横で鳴る目覚ましに手を伸ばし、ベッドから出た。
真夜中、未明の時間から動くために21時という時間で仮眠を取ったのだが、3時間程度の睡眠では本来睡眠不足も甚だしい。しかしここキヴォトスにおいては何日も徹夜する生徒の何と多いことか。徹夜なんてするものではないのだが。
”……さて”
閑話休題、目覚めた彼は早速寝間着から着替え、外に出る。そして敷地の一角に駐機させていたメタルウルフの搭乗ハッチを開放させ、シッテムの箱を繋げた上で袖を通し、起動シーケンスを立ち上げた。
―――メタルウルフ、通常モード起動
濃紺色の巨人が立ち上がり、横にあるコンテナを開ける。中にあったのはドラム缶からDIYしたオフセット式のバーベキューグリルが複数。それを軽々抱え、ビーチの一角に据えていく。
彼がやろうとしているのは、昼食に出すバーベキューの準備だ。低温でじっくり時間をかけてやる以上、かなり早いうちからやらねばならない。特にブリスケットなど10時間は必要だとされている。
メタルウルフのパワーで設営をささっと終えた彼は、直ぐに火の準備と肉の準備を始める。下ごしらえは既に済ませているものの、150人に対して提供するとなると相当に時間がかかるものだ。
『ふぁぁ……あれ、先生、こんな時間からやるんですか?』
”ん、言ってなかったか? バーベキューっていうのは半日以上かかるものなんだ”
メタルウルフを降りて火を起こし始める彼に、アロナが目覚めて声をかける。AIだと言うのに睡眠するというのは不可解だが、まあそれはいいだろう。ブリスケット用のバーベキューグリルに点火し、温度が安定するまで肉を常温に戻しておく。
肉自体は事前に下準備はしており、トリミングからラブ*1をまんべんなくまぶしたものがおおよそ200人前。ここまで大規模なバーベキューは初めてだが、何とでもなるはずだ。
『お肉が真っ赤ですけど、これって辛くないんですか?』
”焼けばちょうど良い感じになるんだよ、よし火にかける”
安定したグリルに肉を投入する。ここから1時間おきにアップルビネガー*2を吹付け、乾燥防止と風味付けを行い肉内部温度の上昇を待つのだ。ちなみにこれが一番時間が掛かる作業である上に、内部温度が70度に達するとそこからが中々上がらない。
”よし、ここから温度のモニターだ。アロナも手伝ってくれないか?”
『あ、はい! このスーパーアロナちゃんにお任せください、完璧な温度管理をやってみせます!』
”ふふっ、それなら私はビールでも飲んでリラックスさせてもらおう”
そこから彼はビーチチェアに座り、ちびちびとビールを飲みながら真夜中のビーチを眺める。ああ、何とも心休まる瞬間だろうか。キヴォトスにやってきてからここまでゆっくりしたことはなかったなと思い、苦笑した。
打ち寄せる波の音を聞きながら空を見上げる。このキヴォトスの空に広がる光輪は美しく、心が落ち着くというもの。もう一口ビールを飲み、彼はただただ時の流れに身を任せるのだった。
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ビーチから幾らか離れた切り立った岩場。ここはまだ開発されていない地域で自然が手つかずのまま残っているのだが、そこに幾人かの人影が蠢く。双眼鏡を手にビーチを眺めるそれらの影は、しばらく覗き込んだ後に忌々しそうに舌打ちをした。
「……気に入らないわねぇ、あんな立派なビーチでさぁ」
「それで、どうするんですリーダー?」
「どうするもこうするもないわよ、うちらの仕事はこのリゾートを滅茶苦茶にしてやること。そうすれば大金が手に入って夏を満喫できるようになるんだから、失敗はできないわ」
なんとも物騒なことを言う彼女たちは皆、ヘルメットを被っている。つまりはヘルメット団であるのだが、当然のことながら招かれざる客だ。リーダーらしき立派な防護面付きのヘルメットを被ったトリニティの制服に似た服装の少女は、双眼鏡を下ろして考え込む。
警備員の姿こそ無いが、今このリゾートに来ている生徒の数は多い。それに、シャーレの先生がパワードスーツごといるとすれば、正攻法で攻めたところで勝機は薄いだろう。彼の大暴れっぷりはブラックマーケットでも有名で、当然のことながら彼女も良く知っている。しかし、彼女には切り札があった。とっておきの助っ人、用心棒を直前に雇い入れていたのだ。
「それに、直接襲撃以外にもプランはまだまだあるわ。クライアントはよっぽどこのリゾートを潰したいのか、うちら以外のヘルメット団にも声をかけてるみたいだし」
「……なら、なんで歩調合わせないんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。うちらだけでカタをつければ報酬総取りよ!」
「おぉ、流石はリーダー、賢いですねぇ!」
その自信故か、無謀にも彼女たちは他のヘルメット団と歩調を合わせるつもりはなく単独での襲撃を企図していた。普通に考えれば150人の生徒が居るリゾートに襲撃を仕掛けるなど、ヘルメット団1つでは考えられない。よほど助っ人に自信があるのだろうか。
そして報酬の総取りという皮算用をするリーダーを称えるメンバーたち。キヴォトスにおける不良グループあるあるなのだが、彼女たちはあまり後先を考えない。
「襲撃は朝よ。寝起きのタイミングで仕掛ければ対応できるはずがないわ」
リーダーたる少女はその中でも多少は頭が回るらしく、少しでも勝機を上げるべく策を練る。無論、絶対的な戦力差の前には本来小手先の策など無意味なのだが。
「襲撃の際には頼んだわよ、せっかく大金はたいて雇ったんだからそれだけの働きはしてもらわなきゃ」
「はぁ……まあ、良いでしょう。あまり気乗りはしませんが」
リーダーが振り向く先にいるのは、和装で狐面をつけた一人の少女。銃剣付きのボルトアクション方式の小銃を持つ彼女の名は―――
「ワカモ、頼むわよ」
矯正局から脱走した7人、俗に七囚人と呼ばれる者たちが1人、災厄の狐と恐れられた百鬼夜行連合学院の狐坂ワカモであった。
To be Continued in Interlude Ⅱ-Ⅲ ”
アメリカンバーベキューで焼いたブリスケットやスペアリブ、美味しいですよね。この間遠征して食べに行ったんですが、めっちゃ美味しくて機会があればまた食べに行きたいです。
さて、このバカンスもついに怪しい影が出始めました。果たしてどうなってしまうのか、結果はまあ見えていますが……