時間は戻り、地上ではユスティナ聖徒会が顕現した頃。
かび臭さと埃っぽさが漂う古聖堂の地下を警備していた正義実現委員会の部隊は、先程まで階段であった場所の前に全員が集まり話し合いをしていた。
地上へとつながる唯一の道はミサイル攻撃の余波によって大きく崩れ、出口が崩壊した石材によって塞がれている。幸いにも天井が落ちてくるほどの被害が無いのが唯一の慰めであったが、だからといって地下に閉じ込められる状況は歓迎できるものではない。
電子妨害により通信も繋がらず、救援を呼ぶことも出来ぬ中、彼女たちはいかにしてこの場を切り抜けるかを考えていた。
「とりあえずさ、カタコンベを通って地上にでたほうが良いでしょ? こんな状況だと上はえらいことになってるはずだし」
「でも、それだとこの地下聖堂が守れなくなるよ。私たちの任務はここの防衛なんだよ?」
地上退避を主張する側と任務を優先する側、双方の意見の隔たりは大きく意見の一致は見られそうにない。
実際、双方の主張にはそれなりに筋が通っていた。退避側は各個撃破される危険性を認識しての主張であり、任務優先側は地下聖堂爆破による古聖堂の完全崩壊の可能性を認識してのもの。こちらは任務通達時に想定されていた危険であるため、双方共に齟齬はない。
このまま話は平行線―――そう思われた時である。
「何? 色のついた煙が……」
「えっ? あ、本当だ」
空間に流れ込んでくる着色された煙に気づいた彼女たちは、最初のうちはそれが何なのか思い至らずにいたが、普通に考えて自然にそんなものが流れ込んでくるはずもない。知識がある彼女たちが
「……まさか、ガス!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ防毒面なんて持ってないのに!」
「逃げなきゃ!」
「逃げるって、どこに!?」
「カタコンベに逃げよう! ここに居たら危ない!」
迫る煙の壁、生命の危機を感じて恐怖におののく彼女たちは最早冷静な判断など出来るはずもなく、追い立てられるようにカタコンベへの入口の1つへと駆け出していく。
そうして誰も居なくなり、煙が充満した地下聖堂は静寂に包まれたが―――
「………」
「クリア、敵は全員退却したらしい」
「着色されたスモークを流されるだけで逃げ出すなんてな、トリニティの連中は実戦を知らないと見える」
煙の中から硬い靴音と共に現れる人影、白い外套で統一された服装はアリウス分校のもの。その中核に居るのはスクワッド最後の一人、秤アツコ。
ガスを偽装してプレッシャーをかけるという戦術は、ガスマスクを常備しているアリウス分校だけが使えるものであり、実際にガスを混ぜて使う事も想定されている悪質極まりないものである。
それがうまく噛み合い、厳重な警備下にあった地下聖堂を無傷で制圧できたことで周囲のアリウス生徒が無様に逃げ出した正義実現委員会を嘲笑するのだが、この時点で既に他のチームはほぼ制圧されているということを彼女たちは知らない。
「……おぉ、これが古の教義か。なるほど、確かにこれは
そして、遅れて現れたのは全身が木で出来ているかのように軋みを上げる双頭の人型。まるでマリオネットであるかのように不自然な動きで歩くそれは、地下聖堂の一角にある
アリウスの生徒たちはその異形を遠巻きに眺め、薄気味悪いといった様子で出来る限り距離を取ろうとしているのだが、唯一アツコは違う様子でソレに近づく。
「………」
「何事か、アリウスのロイヤルブラッドよ」
アツコの視線に気づいたソレは、いかにも不機嫌といった様子で彼女に2つある顔を向ける。
普通の感性を持ってすれば思わず恐怖に慄くだろうが、彼女は臆する様子もなくジェスチャーによって何かを伝えようとした。
「………」
「ふむ、なるほど……しかし、かの
「!?」
彼女が問うのは、ユスティナ聖徒会の複製についてのこと。
キヴォトスには時折、不可思議な現象が発生することがある。その1つにあるのが感情の複製であるミメシスであり、それは半ば受肉した幽霊のようなものと言えた。
そして、通功の古聖堂は古きユスティナ聖徒会の残滓が色濃く残っている場所である。ユスティナ聖徒会の古き血脈を今に伝えるロイヤルブラッドたる秤アツコを触媒とし、その血に宿る戒命を用いてこの
アリウスはこうして無限の兵力を手に入れ、ゲヘナとトリニティ双方をキヴォトスから消し去る―――というのがこの作戦の目的だったのだが、しかしアツコはその力故にユスティナのミメシスが想定通りに動作していないことを察知することが出来ていた。
その原因を探るべく複製者であるマエストロに原因を問うというわけだが、マエストロは己の芸術を解する知性、品格、経験を積んだ人間にのみ雄弁に語るタイプ。いずれも足りぬ子供でしか無いアツコに対しては、非常に無愛想かつ端的に伝えるのみ。無論、彼の性格からすればそれでも十分に説明したと主張できるレベルではあるのだが。
「
「………」
話を一方的に打ち切り、教義の複製に取り掛かるマエストロ。作戦の失敗を悟ったアツコは重い足取りでアリウスの生徒たちのところへと向かい、彼女たちにジェスチャーで事態を説明する。
乾坤一擲の大作戦が失敗に終わったという事実は彼女たちの心を大いに絶望に染めたのだが、そんな中分隊長を務める3年生の生徒がわずかに思案する仕草を見せた。
「作戦失敗か……地上で活動しているスクワッドも壊滅だろう、残るはアツコのみということだな。それではマダムの指示通り、我々は自治区へと退却する。マダムはアツコを失うことを望んでいない」
「………」
「退却するんですか、地上のチームを見捨てて?」
「我々の任務はアツコの護衛だ、それ以上を考える必要はない。それとも、お前は地上に残るつもりか?」
「い、いえ……そんなつもりは」
「ふん……それでいい」
「…………」
この生徒、実際のところはマダム、ベアトリーチェ直属の生徒であり、何かあった時にアツコを何が何でもアリウス自治区へと逃がせと指示を受けていた。
彼女の指示はマダムの指示ということであるのだが、部下の一人は学友を見捨てることに難色を示す。しかし、分隊長が銃を向けながら高圧的に接すればそれを撤回せざるをえない。
(サオリ、ごめん……私はこの運命から逃げられそうにないや)
アツコは仮面の下で唇を噛み、己の運命というものを諦観とともに感じていた。
その血筋故にベアトリーチェが狙っているということを彼女はよくよく承知していたし、その果に自らの命が失われるということも理解していた。だが、それを良しとしない人物がサオリであった。
だが今回、スクワッドは任務に失敗して壊滅した。そうなればもうベアトリーチェは何の遠慮も無く己の命と引き換えに儀式を行うだろう。今更誰かの助けがくるとも思えない。
「それでは、全員撤収せよ」
かくしてアリウスの最後の1部隊は地上に居るトリニティ、ゲヘナ、SRTといった面々の誰にも気づかれること無く退却し、行き掛けの駄賃とばかりにすべての投光器が破壊された地下聖堂は闇に沈んでいった。
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ほぼ時を同じくして、トリニティ総合学園。
ミサイル着弾前に電子妨害が生じた時点で百合園セイアは全校に戒厳令を布告、ティーパーティーや正義実現委員会等の学園残留組をまとめ上げ、古聖堂への増援を出すべく号令を発した。
しかし、殆どの人員がエデン条約調印式に出払っていたため準備は遅々として進まず、グラウンドに並んだ車両は僅かなクルセイダー戦車と幾ばくかのトラック、そして救護騎士団の保有する装甲救急車が数両と、あとは一般救急車のみ。これがトリニティの残存戦力だと思うと涙がでてきそうになるレベルだ。
「うーん、留守番してる子たち、気を抜きすぎじゃないの?」
「はぁ……こんなことで時間を浪費する余裕はないのだが」
「も、申し訳ありません……何分このような事態は初めてでして」
焦燥と苛立ちが混ざりあった様子のミカとセイア。隣では正義実現委員会の生徒とティーパーティーの政務官が申し訳無さそうに身を縮こませていた。救護騎士団がこの中では最もテキパキ動いていると言ってもいいだろう。
彼女たちが手間取るのも無理はない話で、正義実現委員会、ティーパーティー、そして救護騎士団の実働部隊が連携して出動するなどトリニティ始まって以来のことであり、まさに前例のない事なのだ。無論、ぶっつけ本番ということでもある。
あれがない、これが足りない、責任者は誰になる。トリニティの長年にわたる縦割りの弊害がここに現れたというわけだが、それでも手探りで何とか形にしようと各員努力は惜しまない。
そんな折、グラウンドの喧騒を上書きするようにヘリの音が響いてくる。古聖堂方面から聞こえてくるそれに思わず正義実現委員会の何名かが銃を空に向けるが、それを無視して低空から侵入してくる大型の戦闘ヘリ。
「セイア様、隠れてください!」
「……いや、その必要はない」
セイアに避難を促す正義実現委員会のメンバーだが、彼女が見上げるその先ではヘリが旋回し、胴体に描かれたヤギのシンボルと猟犬をモチーフにしたエンブレムが顕になる。
『―――こちらSRT特殊学園、HOUND2。緊急事態につきトリニティ総合学園への着陸を行う』
それはカズミの操るXAH-12であった。
古聖堂から延々と低空を這うように飛行を続け、ようやくトリニティ本校の上空にたどり着いた彼女は上空で停止し、コンクリートで固められた一角へと向かうと機体を着陸させる。
そのままエンジンを停止させ、ローターの回転が止まりきったところでパイロットのカズミがヘリから降りれば、待つのももどかしいと言わんばかりにセイアとミカの2人が護衛も付けずに駆け寄ってきた。
「ねえ、今あっちはどうなってるの!? ナギちゃんは、ナギちゃんは無事!?」
「ぐえっ、え……」
ミカは駆け寄るなりカズミの胸ぐらを掴み、親友であるナギサの安否を問うのだが、その力があまりにも強すぎてカズミは首が絞まり、潰れたカエルのような声を上げる。彼女の顔がどんどん青白くなっていくのを見た見たセイアは慌ててミカの腕に手を添えた。
「落ち着くんだミカ、首を締めては話も聞けないだろう? すまない、ミカは少々気が早いものでね、私に免じて許してやってくれないか」
「あ、ご、ごめんね……つい力入れすぎちゃった」
「げほっ、げほっ……いえ、失礼しました」
セイアに諭されて正気に戻ったミカは慌てて手を離し、開放されたカズミは咳き込んだ後に姿勢を正し、敬礼する。SRTの隊員と言えど、他校の生徒会長相手となれば相応の対応をしなければならない。
「報告します。現在古聖堂は大規模な敵の攻撃下にあり、周囲の建造物に大きな被害が生じています。地上でのVIPの安否は不明ですが、警備部隊などが抵抗を続けており制圧されてはいないようです」
「結局何も分からないみたいなものか……敵はアリウス分校か?」
「は、恐らくは」
「通信妨害さえ何とかできれば状況は改善するのだが……」
カズミがもたらした情報は、鮮度でいえば十数分前の
しかしそれでも可能な限り生の情報を知ることが勝利への近道。彼女の話をベースに現状を推測しようとするセイアであったが、いい考えというものは中々に思い浮かばないというもの。
「ねえセイアちゃん、準備完了を待つよりももう出発して良いんじゃない? このままじゃ日が暮れちゃうよ!」
「……それもそうだね、このままだと何もできないまま終わってしまう。そんなザマではトリニティを任せてくれたナギサに対して申し訳がないというものだ。君も手伝ってくれるだろうか?」
「元より現場に戻るつもりでしたので、問題は何もありません」
「私も現場に行きたいが、残念ながら身体が弱くてね……すまないが、よろしく頼む」
グラウンドでは今だ救援部隊が編成途中ではあるものの、このままではいつまでたっても終わらないとしてセイアは現状で編成を終えて出動させることを決めた。
これでも戦車1個小隊を含むそれなりに有力な部隊であるので、想定されるアリウス分校戦力相手ならば十二分に制圧が可能だろう、彼女はそう判断した。
「それじゃ、あなたはこっちね」
「……了解しました」
先に指揮車に乗り込んでいるミカに手招きされ、カズミは恐る恐る隣に座る。先ほど首を絞められた相手の横に座るというのは中々に居心地が悪く、現着するまでの間彼女は気を揉み続けることになるのだが、それはここでは語るまい。
「……さて、これで一段落ついたというところだが、現場側が何とかしない限り物事は進展しそうにないな。今の私に出来ることは―――」
「あっ、セイア様! ようやく見つけました!」
「あれは……」
救援部隊が出発し、校門を出るのを見送ったセイアがティーパーティーのテラスへと帰るべく踵を返したその瞬間、己の名を呼ぶ声に彼女は足を止める。
振り向いた先に居たのは図書委員会の円堂シミコ。自身の高いフィジカルを活かして猛スピードで駆け寄ってきた彼女は少し息を整えた後、姿勢を正してセイアに対して正面から向きあった。
「セイア様、図書委員会から緊急の報告です。カタコンベを抜け、アリウス自治区に至る方法が判明しました!」
「そうか、アリウスへの行き方が……ん?」
シミコの報告に対し、セイアは最初はそっけない様子で答える。
しかし、僅かに間をおいて言葉の意味がじわじわと理解できるようになるに従い、それがとんでもないことだという事だと気付いた。
「なんだって、それは本当か!?」
突如もたらされるゲームチェンジャーたる情報。謎に包まれたアリウス自治区に至る方法が発見されたという事実に、セイアは思わず自身が病弱であるということも忘れ、今年に入ってから一番の大声を上げた。
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白洲アズサ他、元補習授業部のメンバーが古聖堂の前に到着したのは、既に戦闘が終わってある程度の時間が経過してからであった。
調印式の中継が突如途切れ、その数分後に大爆発が生じたというのは調印式の会場で何かが起きたということを察知させるには十分であり、アリウスの仲間が心配で仕方ないアズサと、ナギサのことが気がかりなヒフミ、そしてハスミの安否が気になったコハルはあれから大急ぎでやってきたのである。
「……ひどい有様だ」
眼前に広がる光景、その中でもひときわ目立つ半壊した古聖堂と、余波で大きな被害を受けた周辺の建物を見てアズサは思わず呟く。まるでアリウス自治区の街並みのような有様は、ここが先程まで戦場であったという証であった。
「私、ナギサ様を探してきます!」
「わ、私は何か手伝えることがないか聞いてくるわ!」
「私は……サクラコさんに何が起きたのか、聞いてきますね」
他の3人は各々自分の目的のためにと別行動を取り、ヒフミは医療テントへと、コハルは警備本部のテントへと、そしてハナコはシスターフッドが集まっているのを見て、そちらへと歩いていく。
一人残されたアズサはアリウス分校の生徒が居ないかと周囲を見回し、広場の中心に白い外套を身にまとった生徒が集められていることに気づいた。その中には見覚えのある3人の姿もあり、彼女はすかさず駆け寄ろうとしたものの、正義実現委員会の生徒に制止される。
「現在事情聴取中なので、ここより先は関係者以外立ち入り禁止です」
「待ってくれ、私は元アリウスの白洲アズサだ。彼女たちと話がしたい」
「……少々お待ちを」
アズサは元アリウスということを主張して規制線の内側へと入ろうとするが、正義実現委員会の生徒は面倒なやつが来たと言わんばかりに顔をしかめた。
そしてその場で待つようにアズサに通告した後に、彼女は集められたアリウス生徒の近くにいる濃紺色の巨人、
彼はハスミと話し込んでいたのだが、近づいてくるその生徒に気づいて話を中断。彼女と少しばかり言葉をかわした後にアズサの方を見やり、ハスミに対して断りを入れるようなジェスチャーを示した後、少々早足気味でアズサの元へと歩いていった。
”やあアズサ、一体全体どうしたんだ? 残念だが
「先生、アリウススクワッドのメンバーと話がしたいんだ、通してくれないか」
”アリウススクワッド……錠前サオリか、それに戒野ミサキに槌永ヒヨリ。この3人がいるが、全員と話をするのか?”
気さくに声をかけた
「先生……その、3人しかいないのか?」
”ああ、3人だけだ”
「アリウススクワッドは今は4人編成なんだ。もう一人、アツコが捕まっていないとなると、どこにいるのか……」
”……わかった、一緒に来てくれアズサ”
アズサの懸念、そこに引っかかるものを感じた
「アズサか、私を笑いにきたのか……?」
「サオリ……」
錠前サオリの前に立ち、アズサを下ろす。サオリは捕縛された当初の世のすべてを憎むような態度から一転、まるで気力が失われているかのようにぼんやりとアズサを見上げた。
そんな彼女の態度にアズサは驚きを隠せず、言うべき言葉が口からでてこない。
ちらりと横目でミサキとヒヨリを見れば、こちらも同様に無気力的とも取れるようにぼんやりとしている。もっとも、ヒヨリはヒナに全力でブチのめされた都合上全身包帯まみれであり、彼女に関して言えば何かをする元気が無いと言うだけでもあるのだが。
「……アツコはどうしたんだ、一緒じゃないのか?」
ようやく絞り出すように言葉を口にするアズサであったが、アツコの名を出された事で3人はハッとして顔を上げる。
「アツコ……そうだ、アツコは、姫は……」
「うぅ、姫ちゃん……」
「………」
「アズサ、元々スクワッドであったお前なら知っているはずだ。アツコは元々、生贄とされるべく育てられてきた……」
アズサを前にし、ようやく事情を話し始めるサオリ。それによれば秤アツコというスクワッドのメンバーである生徒は旧アリウス生徒会の生徒会長を代々務めてきた血筋であり、特別な一族であるという。
それに目をつけたベアトリーチェが特殊な儀式のための生贄として身柄を確保。しかし、それにサオリは待ったをかけた。彼女はベアトリーチェと契約を交わし、元々サオリが連れていたミサキ、ヒヨリのところにアツコを連れてきた。これがアリウススクワッドの始まりだと彼女は語る。
それから彼女が続けて話すのは、スクワッドのメンバーを一人も欠けさせずに明日を迎えるための苦難の日々。憎しみと怒りを植え付けられつつも、求められる役割をこなすことで延命を続ける毎日。
はじめは4人だけのスクワッドだった。だが、技量はあれど反抗的なアズサと、暴力を嫌い不服従を貫くスズミの2人が訓練中暴行を加えられているのをサオリは見捨てられず、全責任を自分が負うことで新たにスクワッドのメンバーとしたという。
”スズミがスクワッドのことを知っていたのはそういう経緯だったのか……”
「だが、スズミはあまりにも優しすぎた。他人を傷つけることをあそこまで嫌うような人間は、アリウスでは生きていけない……マダムは時折、私たちに恐怖を植え付けるために生徒を一人丸腰のままアリウス自治区に放ち、他の生徒に狩らせるという処刑を行う事があった。誰よりも優しかったスズミはよほど目障りだったのか、その対象になってしまい……後のことはそちらのほうが知ってるだろう」
”………”
スズミが何故アリウスから逃げ出すことになったのか、その詳細を語るサオリ。メタルウルフのコックピットの中で
次々と出てくるマダムの悪行の数々は、聞くだけでおぞましいレベルのものばかりだ。トリニティ生の中には気分が悪くなって医療テントへと向かう者も居た。
スズミが居なくなってからというもの、サオリは余計にスクワッドの生存に固執する事となった。マダムの指示に対して完璧に応え続けるべく、さらに厳しい訓練を繰り返す日々。そしてとうとう仇敵トリニティへの攻撃計画が実施されることとなったのだが、それは
計画の障害となる変数を排除すべく行われた暗殺計画も失敗し、最早後はないと釘を差されて臨んだ今回のエデン条約調印式への襲撃計画だが、その結果がこのザマだ。
「……だが、私たちは失敗した。トリニティ転覆、シャーレの先生の暗殺、エデン条約の簒奪、その全てに失敗して虜囚の身となった以上、マダムは私との契約を破棄するだろう。そうなれば、アツコは……せめて一人で逃げてくれれば希望はあるが、マダムがそれを許すとは思えない」
”……ふざけやがって、ベアトリーチェめ。奴を生かしてはおけない”
「せ、先生……」
このままではアツコが殺される。そう言い、サオリは項垂れた。彼女が家族の命を人質に取られていたという事実に
ただでさえアリウス自治区の荒れ果てた内情を聞き及んでいた彼にとって、家族を人質にとって悪事を働かせる輩など許しておけない。そんな奴は生かしておく価値もないという彼の態度は、周囲の生徒たちの心肝を寒からしめるに十分な威圧感があった。
「え、えぇっと……もしかして、怒ってるんですか……?」
「私たちは敵なのに、身の上話を聞いて同情しているの? バカみたい、そんな事で得することなんて、何も―――」
”得をするとか、しないとか関係ない。私は、
「………」
まさか自分たちへの同情どころか、ベアトリーチェに対してこうも怒りを向けるとは。ヒヨリは信じられぬといった様子を、一方ミサキは染み付いた虚無感から冷めた態度を取るものの、損得など関係なく子供を生贄にするなど許せないと断言する
そしてサオリは、彼の言葉を聞くとじっとメタルウルフを見上げ、考え込むような素振りを見せる。武器はすべて取り上げられ、身柄も拘束された彼女に出来ることと言えば―――
「……あなたがもし、私の言葉を信じてくれるというのならば、どうかアツコを助けて欲しい。今の私にできるのは―――」
「り、リーダー……」
「お願い、します……私にはもう、先生に頼るしか……」
額を地面に擦り付けるように彼女は土下座し、懇願する。
プライドも何もかなぐり捨て、ただアツコの救出を願うサオリの姿は、冷酷なスクワッドのリーダーではなくただ一人の子供が必死に助けを求めるものでしか無い。
”勿論、そのつもりだ。だから顔を上げてくれないか”
「せ、先生……それは本当、なのか……?」
そっと肩に置かれる手。彼はメタルウルフから降りて生身で膝をつき、彼女にできるだけ目線を合わせようとする。
顔を上げたサオリはまさか即答されるとは思っていなかったのか、震えた声で問うと彼は眼の前で静かに肯首し、手を差し伸べた。その手を掴み、引き起こされるように彼女は立つ。
”ベアトリーチェからアリウス自治区を解放し、アツコを助ける。そのために、私が出来ることなら何だってしようじゃないか!”
サオリの手を握り、彼は周囲の生徒へと届くように高らかにアリウス自治区解放を行うと宣言した。
生徒の平和のために戦う。それは一見矛盾しているように見える話であるが、人を人と思わぬような暴君を倒さねば命が失われてしまう。そんな状況を変えるには、戦うほか無いのだと
******************************************************************
「キキ……自治区を1つ、丸々解放するとはずいぶん大きく出たじゃないか、先生?」
「いくら貧しいとは言え、自治区1つを攻略するというのは困難が予想されますが……」
アリウス自治区解放が急遽決定されたことで、
故に、ETOの指揮権を持つゲヘナとトリニティ双方の生徒会長であるマコトとナギサが警備本部のテントに呼び出されることとなった。
”よく来てくれた、怪我の方は大丈夫か?”
「はい、爆発で転んだ時に少し頭を打ったぐらいで……ああ、先生ご心配なく。
「キキキッ、爆発で
「髪がチリチリになってるのを少々髪型が崩れたで済ませて良いのか分からないわね」
頭に包帯を巻いているナギサを心配する
そんなものを目の当たりにしては吹き出してしまうのは避けられないため、出来る限り視界に入れないように彼は努力している。ちなみにナギサも同じようにマコトを直視しないようにしているのだが、同席しているヒナは呆れた様子でマコトの頭を見上げていた。どうやら彼女はこの光景に耐性があるらしい。
「そう言えば先生、この通信妨害はいつまで続くのでしょうか。これでは到底会議などできそうにありませんが」
”それに関しては、そろそろ結果が出るところだ”
マコトのヘアスタイルの話題を逸らすかのように、ナギサは現在進行系で継続している電子妨害の件について問いかけたのだが、
それを証明するように、彼の言葉の直後に警備本部の無線が新たな電波を受信してスピーカーからクリアな音声が流れ始める。
『―――こちら第1小隊、警備本部聞こえますか? 目標のアンテナをツルギ委員長が破壊しました。これより遺留品を回収し、帰還します』
”警備本部了解、帰るまでがピクニックだ。ツルギにはよくやってくれたと伝えてくれ”
『了解しました先生、第1小隊通信終了』
”……な? 発信源さえ突き止めれば、後はこんなものだ。中々に強力な妨害電波だったが、その分闇の中の篝火のように目立つものさ。そうなれば、後は破壊すれば良い……今回はツルギにやってもらうことにしたんだ、彼女なら足も早いからな”
「なるほど、流石ですね」
電波の発信源が特定できたという彼の言葉は決して偽りではなく、キヴォトス赴任直後のミレニアム自治区の廃墟で行われた作戦の時のようにアロナとシッテムの箱は今回もその役目を果たすことができていたのだ。
場所さえ分かれば後は誰でも良いから通信アンテナに銃弾一発でも当てれば良い。今回その役目は余力のあるツルギに割り振られたというわけである。
ナギサは見事な采配だと感心し、彼は茶目っ気のあるウィンクで応えた。兎に角、これで電子妨害は解除されたので後は他の生徒達に任せてもいいだろう。
「……それで、先生はこのアリウス分校の言い分を丸々信じるというわけか? キキッ、少々都合が良すぎるとは思わないのか?」
「………」
現状最大の懸案であった通信妨害の件が解決し、ようやく本題であるアリウス自治区の解放の話をしようとする矢先、マコトはアリウス分校側の代表者として連れてこられたサオリを睨みつける。
調印式襲撃に関して騙される側であったマコトの言い分はわからなくもないのだが、そもそもアリウスと結託してトリニティを破滅させようという思惑があった彼女がそれを言うべきではない。
しかし自分のやることは基本全部棚に上げ、他人の失敗はあげつらう性格の彼女はそんな事など気にするはずもなく、むしろ騙されていたことに対して溜飲を下げる目的で高圧的な態度を取っていた。
無論、アフロヘアーのままで。
「…………」
「どうした、このマコト様の威厳を前に声も出ないのか?」
「……ねえ、先生。あれはどう見ても笑いをこらえているようにしか見えないけど、どう思う?」
”それは、私も同感だ”
本人は極めて大真面目だろうが、あの髪型で詰められても反応に困ってしまうというもの。
実際サオリはマコトの顔を直視できず、微妙に視線を伏せたまま肩を震わせている。下手につつくと吹き出してしまいそうになっているのは明らかで、ヒナと
「キキキッ、このマコト様は2度も騙されるような愚か者ではない。今度こそ―――」
「ちょっと待ってマコト、今
「―――あっ」
この場にヒナが居ることを忘れてサオリを言葉で甚振っていた結果、マコトが自らの墓穴を掘ったことに気づいた時には既に遅く、ヒナは明らかに怒りを滲ませながら愛銃を手にして彼女に詰め寄る。
「ち、ちょっと待て! 私は今回被害者だぞ、確かにアリウスと当初は結託してトリニティを叩く手筈だったが―――」
「………」
「そういう事は企むだけならともかく、実行しようとした以前でアウトなのよ、マコト」
”……ヒナ、テントの中ではやめてくれよ”
「ええ、そのつもりだから安心して」
「う、うわあああっ!」
圧に屈し、ついにアリウスとの結託の件を自白するマコトをヒナは無理やり引き倒す。
ゲヘナで最もエデン条約を推進していたのが彼女である故、それを台無しにしようと画策していたマコトに対する怒りは相当大きな物であった。
ヒナが何をしようとしているのか察した
スッキリとした様子の彼女にトリニティ組とサオリは顔を引き攣らせるものの、マコトのアフロヘアが視界に入らなくなったことで議論は進みそうだ。
「さて、錠前サオリさん……確認しますが、調書に書かれた内容に間違いはありませんね?」
「ああ、すべて事実だ」
「アリウス高校の生徒と今回捉えたアリウス分校側の戦力を差し引いたところ、もうあちらには戦闘可能な生徒は殆ど残っていない事になりますが、それも間違いありませんか?」
「そうだ、ただ……」
「ただ?」
「アリウスには今、特殊な武器が存在している。巡航ミサイルもそうなんだが、そのうちの1つが
「ヘイロー破壊爆弾……!?」
アリウス自治区攻略を前に、最新の情報を得るべくサオリから話を聞くナギサ。繰り返しになるが、戦いというものはいかに正確な情報を手にしているかが勝敗を分けるのだ。
事前情報など無視して眼の前に現れる敵を全部を轢き潰すようなものがいれば、それはイレギュラーと呼ばれるような存在だろう。
アリウスの残存兵力が少ない事の確認が取れたのは幸いであるが、その代わりに新たに存在が明らかになる兵器、ヘイロー破壊爆弾。その名から感じられる危険性にナギサは背筋が薄ら寒くなるような感覚を覚えた。
「名前の通り、生徒のヘイローを破壊する爆弾だ。百合園セイア暗殺の時に使うはずだったのだが、恐らくアズサは使わなかったんだろう。一品物ではなく、それなりに数がある代物だ」
”……誰が作ったんだ、それは”
「分からない……ただ、マダムが用意したものということは確かだ」
「そんな恐ろしい物があるとなると、アリウスへ攻め込むのは躊躇われますね……」
ヘイローを破壊するという言葉の意味を理解する故に、ナギサはアリウスへの攻撃に消極的な姿勢を示す。トリニティの生徒をそんな危険なところに送り込むという決断は、優しき彼女には出来るものではなかった。
これに関してはヒナも同じ考えのようで、ナギサの隣で腕を組んで難しい顔をしていた。
「そもそも、アリウスへの道を知らないことには攻めることもできませんが、そちらの方はどうなのでしょうか」
「アリウスへの道に関してだが、一定周期で変化するカタコンベの正解ルートを暗号で各部隊に通達している。そして、少なくとも今私たちが知っている道はもう使えない」
”………”
さらに、アリウスへの道が閉ざされているという話は問題を面倒な方向へと向かわせる。
ただでさえアリウス自治区の場所が不明だと言うのに、この場にいるアリウス分校の生徒がその道を知らないとなると、これはお手上げと言わざるを得ない。
このままでは厳しいと
「ナギちゃん、大丈夫!?」
「み、ミカさん……?」
「ティーパーティーの聖園ミカ……」
「セイアちゃんにあっちのことは任せて来ちゃった☆ ねえ、頭を怪我してるみたいだけど傷は大丈夫なの? あ、錠前サオリじゃない。もしかしてナギちゃん傷つけたの、あなただったりする?」
”ミカ、
車の1両がテントの近くに止まるや否や、勢いよくテントの中に飛び込むピンク色の人影。それがトリニティで待機しているはずの聖園ミカであるということを場の全員が理解するよりも早く、彼女はナギサに飛びついてその無事を喜んだのだが、流れるようにサオリを認めると今度はそちらに敵意のようなものを向ける。
先のクーデター事件で洗脳アクセサリを渡されたこともあり、その感情は理解できるのだが少なくとも今は押さえて欲しい。
「あっ、ごめんね先生。ところで外でゲヘナの生徒会長がアフロで倒れてたけど、何があったの? 思わず笑っちゃいそうになったけど……」
”それは気にしないで良い、ただヒナの逆鱗に触れただけだ”
「ふぅーん……まあいいや。とりあえず救援部隊を連れてきたけど、もう戦闘そのものは終わっちゃったみたいだね。少し無駄になっちゃったかな? あの子達には少し悪い事したなぁ……それで、今何の話してるの?」
「えぇと……」
いきなりの登場で話を中断させたことを理解しているミカは、皆に今までの話の内容を問うことで本筋に戻そうとする。それに答えるのは
”ミカ、私はアリウス自治区を解放する事を決定した。一刻も早くアリウスの指導者を排除しなければならないのだが、困ったことにアリウス自治区への道がわからなくなってね”
「あっ、そうなんだ……じゃあ、ちょうど良いところに来たかもしれないね、私って」
「ミカさん、それはどういうことですか?」
アリウスへの道がわからないという話に対し、ちょうど良いというミカ。
一体全体どういうことだとこの場にいる全員が思っていたのだが、彼女は口元に指を当てながら何かを思い出すようにしてそれに答える。
「えーっとね、ここに来るまでの間にセイアちゃんから追加の情報をもらったんだけども、アリウス自治区に通じる道がついに判明したって! 詳しいことはセイアちゃんに聞かないと分からないけれども―――」
”
彼女の言葉を遮るように、思わず
まさに今必要とされている情報がやってきたという事に、彼だけでなくナギサやヒナ、そしてサオリも驚きを隠せないでいた。
”ミカ、君はまさに天使だな!”
「えっ!? えぇ……な、なんだか照れちゃうなぁ……えへへ」
「照れている場合ではありませんよ、ミカさん。トリニティと、セイアさんと早く連絡を取りましょう」
「あー、もう! ナギちゃんはムードもへったくれもないんだから!」
気の昂りから両肩を叩き、そのままハグへと移行する
To be Continued in Episode6 ”
エデン条約調印式襲撃が終わり、ついにベアトリーチェに対する反撃が始まろうとしていますがそのために越えるべきハードルは決して少なくありません。
危険物がひしめくアリウス自治区、その唯一の出入り口である迷宮カタコンベ、しかし彼は決して諦めることはないでしょう。子供の命を守ることが彼の使命なのですから。
余談:調印式襲撃における被害状況
トリニティ側
警備部隊の6割が負傷
ゲヘナ側
風紀委員の7割が負傷
SRT側
RABBIT小隊ヘリが墜落、ゲヘナ風紀委員に救助されるも全員負傷
アリウス側
1部隊を除き全滅、全員が捕虜となった
エデン条約調印式の警備にあたっていた部隊の被害は9割ほどが巡航ミサイルによるものであり、もし3発全てが直撃していたら被害は凄まじいものであったことが推測できる。