機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第10話 亡魂と死の黄雲

南太平洋の広大な空を切り裂くように、2機のミデア輸送機が低く唸るエンジン音を響かせて飛行していた。

キャリフォルニア・ベース攻略作戦に向かう連邦軍の精鋭部隊、その一角を担うオリオン小隊を乗せた機体だ。

機体に刻まれた連邦のエンブレムが陽光にきらめき、戦場への静かな決意を物語る。

そのミデアの一機、狭い休憩室にオリオン小隊隊長イーサン・ミチェル・オルグレンは腰を落ち着けていた。

膝の上に広げられたのは、母の形見である古びた本。

背表紙は擦り切れ、ページの端は黄ばみ、表紙の裂け目は丁寧に糊で補修された痕が残る。無数の読み込み跡が刻まれたその本は、イーサンの指にそっと抱かれていた。

ページをめくるたび、かすかな紙の擦れる音が静かな室内に響いた。

それは戦場の喧騒を忘れさせる、彼だけの安らぎの時間だった。

イーサンはページをそっとめくりながら、遠い記憶の淵に沈み込んでいった。

サイド2のコロニー、家族の館で過ごした穏やかな日々が胸に蘇る。亡魂となった母クラウディア、父ジョージ、そして恋人ミシェル――彼らと囲んだ食卓の笑顔が、鮮やかに脳裏をよぎる。

あの夏、家族と過ごした最後の休暇だった。

館のダイニングで、母が手料理を並べ、父が家族の将来を語り、恋人が軽やかな笑い声を添えた。

 

「やっと、イーサンが恋人を連れてきてくれて、本当に良かったわ。」

 

母クラウディアの温かな声が、記憶の中で響く。

彼女はテーブル越しに微笑み、ミシェルの手をそっと握っていた。

コロニーの人工照明が、食卓の皿に柔らかな光を反射させる。

 

「本当にそうだな。万年、仕事と戦闘機のことしか考えてないと思ってたよ。」

 

父ジョージが茶化すように笑い、グラスを傾けた。

サイド2の駐屯艦隊司令官として辣腕を振るった中将の声には、息子への愛情とからかいの色が混じる。

婿養子としてクラウディアの家に迎えられたジョージは、妻の家族への敬意を常に忘れなかった。

 

「確かに、そうですね。イーサンは本当に仕事と戦闘機のことしか考えてくれないので、困りますよ。」

 

恋人ミシェルがくすりと笑い、軽やかな口調で付け加えた。

彼女の瞳はイーサンをからかいながらも、深い愛情で輝いていた。

ダイニングに笑い声が響き、家族の絆がその場を温かく包んだ。

 

「もう、勘弁してくれよ、ミシェル。今は君のことも考えているじゃないか。」

 

イーサンが苦笑しながら応じると、ダイニングに一層の笑い声が響いた。ミシェルが頬を膨らませ、わざと拗ねた顔でイーサンを睨むと、クラウディアが「まあまあ」と笑いながら仲裁に入る。

ジョージはグラスを手に、満足げにその光景を見守っていた。コロニーの人工重力下で揺れるカーテン、皿の上のスープから立ち上る湯気――その全てが、イーサンの心に深く刻まれた、かけがえのない時間だった。

 

「ところで、例の本を修理に出したんだって?」

 

イーサンがふと話題を変え、クラウディアに尋ねた。

視線は、母が愛読し、今は自分の手元にある古びた本に思いを馳せる。

あの本は、クラウディアが地球に住む兄から譲り受けた大切な一冊だった。

イーサンはその内容を何度も母から聞き、ページを共にめくった記憶があった。

 

「ええ、かなり読み込んだから、この前、バラバラになってしまって。地球の兄に本を預けたわ。本を修復できる職人が地球にしかいないのよ。」

 

クラウディアが少し申し訳なさそうに答えた。

彼女の声には、家族の宝物であるその本への深い愛着が滲む。

ぶっきらぼうで自分の興味がある事にしか動かないクラウディアの兄が、妹を大切に思うからこそ譲ったその本は、彼女にとって特別な意味を持っていた。

 

ミシェルが興味津々に身を乗り出し、「どんな本なの?」と尋ねると、クラウディアは柔らかく微笑み、言葉を濁した。

 

「ふふふ、特別な本よ。」

 

ジョージが意味深に付け加え、妻に視線を向けた。

 

「あの頃、君に初めて会ったとき、いつもその本を読んでたな。」

 

彼の言葉には、クラウディアに猛アタックしていた若き日の思い出が滲む。

オルグレン家の当主として、彼女を射止めた誇りが笑顔に垣間見えた。

 

「そんな話、しないでよ、ジョージ。」

 

クラウディアが照れくさそうに笑い、夫を軽く睨んだ。

家族の笑顔がダイニングを満たし、コロニーの人工重力下で揺れるカーテンがその温かさを彩った。

 

「やはり、サイド2の駐屯艦隊の軍備増強をされるのですね?」

 

クラウディアがふと真剣な口調でジョージに尋ねた。

コロニー融和政策を推進する議員としての彼女の瞳には、かすかな懸念が宿っていた。

サイド3の動向が連邦とコロニーの関係を緊迫させていることは、彼女も承知していた。

 

「ああ、サイド3が軍備増強の動きをしているからな。上層部も抑止力として、動かざるを得なかった。」

 

ジョージが重々しく答えた。

グラスを手に持つ彼の声は、軍人としての義務感に満ちていた。

サイド2の駐屯艦隊司令官として、市民を守る責任が彼の肩にのしかかる。

 

「事情は分かります。でも、下手な軍備増強は戦争の発端になるかもしれませんよ?」

 

クラウディアの声には、コロニーと連邦の平和を願う強い信念が込められていた。彼女の言葉は穏やかだが、その裏にはサイド3との緊張が引き起こす未来への不安が隠れている。

 

「分かっている。だが、軍人である我々には市民を守る義務がある。それだけは理解してくれ。」

 

ジョージの口調は静かだが、揺るぎない決意が滲む。

 

オルグレン家の当主として、家族とコロニーを守る覚悟がその言葉に宿っていた。

 

「すみません、あなたのせいではないのに…。」

 

クラウディアが小さく頭を下げ、申し訳なさそうに呟いた。

オルグレン家に嫁いでからも、コロニー融和政策に尽力する彼女にとって、連邦の軍事行動との葛藤は重荷だった。

 

「良いんだよ、クラウディア。コロニー融和政策をしている君からしたら、コロニーとの関係を裏切るような行為に見えるだろう。」

 

ジョージが柔らかく笑い、妻の手をそっと握った。

かつて彼女を口説き落とした情熱を思い出すように、その瞳は優しく輝いた。

 

「ダイクン君が生きていれば、もっとマシだったかもしれないけど。政治の主導がザビ家になってから、過激になっていて、私の力でもどうしようもないのよ。」

 

クラウディアが静かに呟いた。

かつてジオン・ズム・ダイクンと交わしたコロニー自治の夢への郷愁と、ザビ家の台頭による失望が彼女の声に滲む。

 

「分かっている。サイド1、サイド2、サイド4、サイド5が連邦を支持してくれているのは、君の粘り強い交渉と信頼のお陰だ。君が何もしてなかったら、彼らもサイド3と同じように独立運動をしていたかもしれない。」

 

ジョージが穏やかだが力強い口調で応じ。

妻の功績を認め、彼女の努力が連邦とコロニーの架け橋となっていることを称えた。

 

「ああ、ごめんなさい。暗い話をしてしまって。折角、ミシェルさんが来られたのに。」

 

クラウディアがミシェルに視線を向け、申し訳なさそうに謝罪する。

 

コロニー融和政策に尽力する彼女にとって、家族の場で重い話題を持ち出してしまったことが気がかりだった。

 

「良いんですよ、お義母様。お義母様はコロニーの人達のために頑張っておられるのですから。」

 

ミシェルが柔らかく微笑み、優しく答えた。

彼女の瞳には、クラウディアへの敬意と家族としての絆が宿っていた。

 

「ありがとうね、ミシェルさん。さあ、ご飯が冷める前に食べましょ。」

 

クラウディアがほっとしたように笑い、テーブルに並ぶ料理に目を向けた。

 

「そうそう、暗い話よりも楽しく食事をしよう。母さんのミネストローネが恋しかったんだよ。」

 

イーサンが明るい声で言った。

母の手料理への懐かしさが、彼の笑顔に滲む。

 

「まあ、イーサンたら。」

 

クラウディアが嬉しそうに笑い、四人でスプーンを手に取り、食卓を囲んで食事を始める。

スープの湯気が立ち上り、コロニーの人工重力下で揺れるカーテンが、四人の笑顔を温かく包み込んだ。

 

「私が食器を片付けますね。」

 

ミシェルが立ち上がり、食器を手に台所に向かった。彼女の動きは軽やかで、オルグレン家の新しい一員としての気遣いが感じられた。

 

「ありがとうね、ミシェルさん。」

 

クラウディアが柔らかい笑顔で礼を言う。

ミシェルの気遣いが、彼女の心を温かくした。

ジョージはグラスを空にした後、酒の勢いに負けたのか、ダイニングの隣のソファーで軽い寝息を立てている。

サイド2の駐屯艦隊司令官としての重圧を、ほんの一時忘れたかのように穏やかな顔だった。

クラウディアはそんな夫を愛おしそうに見つめ、かつての猛アタックを思い出したかのように小さく微笑んだ。

 

「この歳になると家事も大変になるわ。」

 

クラウディアが小さく愚痴をこぼす。

コロニー融和政策に奔走し、オルグレン家に嫁いだ彼女にとって、家庭の雑事もまた重荷だった。

 

「政治に家庭に、母さんは大変だね。」

 

イーサンがグラスに水を注ぎながら、軽い口調で応じた。母の多忙な姿を労わる気持ちが、その言葉に滲む。

 

「本当に、兄さんったら…。地球の先祖代々の公園、ちゃんと管理してほしいのに、全部私に任せちゃって。コロニー融和政策でバタバタしてるのに、オルグレン家のこともやってるんだから。兄さんのことは大好きだけど、さすがに困っちゃうわ。」

 

クラウディアが少し声を上げ、兄への不満をこぼした。

彼女の兄は、一族が管理する広大な公園の責任を負うべき立場だったが、ぶっきらぼうな性格ゆえに全てを妹に押し付けていた。

それでも、妹を大切に思う彼が贈った古びた本のことを思い出し、クラウディアは半ば呆れながらも笑顔を見せる。

ミシェルが台所からくすりと笑い声を漏らし、イーサンが水を飲みながら小さく頷いた。

コロニーの人工重力下で揺れるカーテンが、オルグレン家の穏やかなひとときを静かに彩る。

 

 

 

 

 

家族の笑顔――サイド2の夏の記憶は、イーサンの心に温かく残っていた。

だが、古びた本のページを閉じた瞬間、ミデア輸送機の振動が彼を現実に引き戻す。

宇宙世紀0079年12月4日、キャリフォルニア・ベース攻略作戦の前線。

脳裏に浮かぶのは11ヶ月前のブリティッシュ作戦。サイド2のコロニーが地球に落ち、無数の命が消えたあの日の惨劇。

イーサンの記憶は、サイド2のコロニー、あの混乱の日に遡った。

宇宙世紀0079年1月3日、ジオン公国のブリティッシュ作戦が始まった瞬間。

サイド2のコロニー内にけたたましい警報が鳴り響き、住民たちが慌ただしく避難を始めた。

人工重力下で揺れる通路は、叫び声と足音で埋め尽くされている。

クラウディアとミシェルは、混乱する住民を落ち着かせ、避難シェルターへと誘導を行う。

 

「皆さん! こっちです! 避難シェルターはこちらにあります!」

 

クラウディアが大きな声で呼びかけ、群衆を導いた。

オルグレン家に嫁いだ彼女は、コロニー融和政策に尽力する議員としての責任感から、住民の安全を第一に動いていた。

隣ではミシェルが、落ち着いた声で子供連れの家族を励ましながらシェルターへ誘導する。

その時、白い連邦軍のパイロットスーツに身を包んだ若い男が駆け寄ってきた。

まだ幼さを残す顔に、緊張と決意が混じる。

 

「ここは俺が避難誘導します! あなたたちも早く避難シェルターに!」

 

クラウディアは一瞬、眉をひそめる。

サイド2の駐屯艦隊の軍人のほとんどは、コロニー外でのジオン軍との戦闘に向かっていた。

この若者がなぜここにいるのか、不思議に思った彼女は尋ねる。

 

「あなた、なぜここに? 軍人は皆、戦闘に出ているはずでは?」

 

若者は少し頬を赤らめ、しかし力強く答えた。

 

「まだ士官候補生なんです! ジオンが攻めてきたと聞いて、いてもたってもいられなくて! ここは俺が引き受けます、さあ、早く!」

 

クラウディアは彼の初々しい熱意に小さく微笑み、ミシェルと視線を交わした。

彼女は若い士官候補生にその場を任せ、ミシェルと共に避難シェルターへと急いだ。

背後では、候補生の声が住民を導き、コロニーの通路に響き続けていた。

 

コロニーの外では、激しい戦闘の火蓋が切られていた。

シリンダーの長辺に沿って走る採光窓――アルミニウムの窓枠で細かく区切られたそのガラスは、まるで星々の川のようにコロニー内に光を流していた。

だが、その川の向こうで、連邦軍のサラミス級や戦闘機セイバーフィッシュが次々と撃破され、爆発の光が宇宙空間を照らし出した。

軍港を奇襲され、7割の戦力を失った駐屯艦隊はザクⅡの猛攻に翻弄されていた。

閃光と爆音がコロニーの外壁を震わせ、駐屯艦隊旗艦マゼラン級ジェロニモが、ジョージ・オルグレンの指揮の下、風前の灯火でなお奮戦していた。

 

「インディアナ撃沈!我が艦隊戦力の損失が8割を超えます!」

 

ジェロニモのブリッジで、オペレーターが絶望的な叫び声を上げた。

 

「くっ! インディアナが…。まだ通信は回復しないのか!?」

 

ジョージ・オルグレン中将が、額に汗を浮かべながら部下に詰め寄った。

 

ミノフスキー粒子による通信遮断――この戦いで初めて遭遇したジオンの新戦法が、艦隊を孤立無援に追い込んでいた。

 

「ダメです! まったく回復しません! ノイズばかりです!」

 

通信士がパニックに震える声で報告した。モニターには雑音と乱れた映像だけが映り、戦況の把握すらままならない。

 

「してやられた。まさか、ここまで完璧な通信妨害ができるとは…。ジオン、恐るべし。」

 

ジョージが唇を噛み、ブリッジのコンソールを拳で叩いた。

サイド2駐屯艦隊司令官としての責任が、彼の肩を重く圧迫していた。

コロニー外の宇宙空間では、残存艦隊が必死に弾幕を張り、ザクⅡが核弾頭バズーカを放つ隙を与えないよう立ち回っていた。

セイバーフィッシュの編隊がザクⅡを迎撃すべく突進したが、放たれたミサイルは軽やかに躱され、ザク・マシンガンの猛射に次々と撃墜されていった。

 

「司令! ジオンの一つ目がコロニー内部に!」

 

観測員の叫びがブリッジに響き、ジョージの顔が強張った。

 

「コロニーの中に入られたか!」

 

高画質望遠カメラが捉えた映像に、ジョージの視線が釘付けになる。

コロニー内に侵入した人型兵器ザクⅠ、ザクⅡの先駆けがバズーカを構えていた。

 

「何をするんだ?」

 

観測員がザクⅠの不自然な挙動を凝視する。

次の瞬間、ザクⅠがバズーカを発射。

砲弾は高く弧を描き、コロニー内部の中央で破裂した。

破裂音と共に、黄色いガスが広がっていく。

 

「何を散布したんだ? ……そんな! 馬鹿な!?」

 

観測員が絶句し、モニターを見つめたまま言葉を失う。

 

「どうした!?」

 

ジョージが観測員に詰め寄り、答えを求めた。

 

「鳥が…鳥が落ちている! ジオンの奴ら、コロニー内部で毒ガスを使用しました!」

 

観測員の声は震え、ブリッジが騒然とした。

高画質望遠カメラが映し出すコロニー内部は、まさに地獄絵図だった。

毒ガスに冒された住民たちが目から血を流し、吐血しながら倒れ、首を押さえて苦しみもがく。

幼い赤子、若い男女、老夫婦。

誰もが等しく毒ガスの猛威に飲み込まれ、命を落としていた。

 

「コロニーの制圧ではなく、[大量虐殺]ジェノサイドだと…。」

 

ジョージの声は低く、怒りと絶望に震える。

彼はジオンがスペースノイドの独立を掲げ、コロニーを制圧するために侵攻したと信じていた。

だが、同じスペースノイドのサイド2の住民に毒ガスを使うとは、魚が住む水槽に毒を流し込むような蛮行だ。

コロニーの[大量虐殺]ジェノサイドなど、想像だにしていなかった。

 

「何が、スペースノイドの自治独立だ!? これはただの殺戮ではないか!? 戦争にもルールがあるんだぞ!?」

 

ジョージの拳がコンソールを叩き、宇宙世紀前に確立されたジュネーブ議定書や科学兵器禁止条約を踏みにじるジオンの鬼畜の所業に、怒りと憎悪が沸き上がる。

クラウディアのコロニー融和政策、その平和への尽力がジオンに無下にされた事実に、胸が張り裂けそうだった。

 

「クラウディア…。」

 

最愛の妻の名前を呟き、ジョージの瞳はコロニー内の惨状を見つめた。毒ガスの黄雲が採光窓から漏れる星々の川を曇らせ、クラウディアが助からない絶望が彼の心を締め付けた。ジオンへの憎悪は、抑えきれぬ炎となって彼の胸を焼き尽くしていた。

 

コロニーの避難シェルターは、鉄壁の密室だった。

だが、その閉ざされた空間は、ジオン軍の毒ガスから逃れる術を持たなかった。

先程まで避難シェルターのドアから、シェルターに入りたい人々の怒号が響いていたが、今は不気味な静寂に包まれていた。

外の住民たちはすでに毒ガスに倒れ、命を落としたのだ。

黄色いガスが換気口からじわじわと侵入し、ゆっくりと、しかし確実に命を奪っていく。

外の地獄絵図に比べ、死は遅れて訪れるが、逃れられない運命だった。

狭い部屋にひしめく避難民たちの叫びと嗚咽が響き合う。ある者は苦しみのあまり鉄製の壁を引っ掻き、爪が剥がれ、血が滲んだ。

幼い赤子を抱えた母親は、動かなくなった我が子を胸に抱き、嗚咽を堪えながら毒ガスに喘ぐ。

赤子の小さな体は、すでに冷たくなっていた。

別の老夫婦は互いの手を握り、震える指先で最後の別れを交わしていた。

その中心で、クラウディアはミシェルに抱き締められ、毒ガスに冒されながら息を荒げていた。

彼女の顔は青ざめ、唇から血が滴る。

ミシェルの腕の中で、クラウディアは必死に意識を繋ぎとめた。

突然、ミシェルの吐血がクラウディアの顔に降りかかった。

ミシェルの目は真っ赤に充血し、血の涙が頬を伝う。彼女の視界はすでに闇に閉ざされていた。

 

「お義母様……そこに居ますか?……目が見えなくて…。」

 

ミシェルの声は途切れがちで、毒ガスに喉を焼かれながらもクラウディアを強く抱き締めた。

 

「イーサン……イーサン……。」

 

彼女は恋人の名前を繰り返し、血の涙と共に意識が薄れていった。

クラウディアはジオン・ズム・ダイクンの夢を思い起こす。

ダイクンはスペースノイド同士が殺し合うことなど望んでいなかった。

クラウディアは地球と宇宙が手を取り合い、より良い未来を築くために政治努力を重ねていた。

 

「私も…ダイクン君も…こんなことは望んではいない…。」

 

彼女の胸に、力不足だった自分への悔恨が突き刺さる。

 

「ミシェル…ごめんなさい…守れなくて…。」

 

クラウディアはミシェルを守れなかった悔恨に、胸が締め付けられた。

彼女の力では、この地獄から家族を救うことはできなかった。

クラウディアの意識が薄れていく。夫ジョージの厳しくも優しい眼差し、息子イーサンの笑顔、そして地球に残した兄の記憶が、走馬灯のように心を駆け巡った。

 

「私の力不足だったのね…。」

 

毒ガスの猛威に耐えきれず、彼女の身体はミシェルの腕の中で力を失う。

 

「兄さん……。」

 

最後の言葉を呟き、クラウディアは静かに息を引き取った。

 

直後、ミシェルも大きく吐血し、「イーサン……!」と最後の力を振り絞って叫ぶと、クラウディアの亡魂を追うように倒れ、動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

ジェロニモのブリッジは混沌に包まれていた。

クルーたちの声が交錯し、コロニーの家族を案じる者、助からないと絶望に打ちひしがれる者、ジオン軍の非道に怒りを爆発させる者が入り乱れていた。

ジョージ・オルグレン中将の胸は、守るべきコロニー住民を、息子イーサンの恋人ミシェルを、そして愛する妻クラウディアを守れなかった怒りで煮えたぎっていた。

クラウディアを託してくれた地球の義兄への申し訳なさが、彼の心をさらに締め付けた。

ジョージはもう一度、自分達が暮らしていたコロニーのアイランド・イフィッシュを見つめる。

高画質望遠カメラが映し出す黄雲は、採光窓の星々の川を覆い尽くし、家族の命を奪った無慈悲な現実を突きつける。

妻の笑顔、ミシェルとイーサンの未来、住民たちの日常――全てがジオンによって踏みにじられたのだ。

 

「必ず奴らに報いを!」

 

ジョージは静かに、しかし燃えるような決意を胸に刻んだ。

 

「静まれ!」

 

ジョージの一喝がブリッジを切り裂き、混沌とした空気が一瞬で収まった。

クルーたちの視線が彼に集中する。

ジョージは冷静な声音で、しかし烈火のごとき決意を込めて指示を出した。

 

「セイバーフィッシュ二個小隊は戦域を離脱! ルナツーを目指せ! この[大量虐殺]ジェノサイドの事実を、連邦に伝えなければならない!」

 

通信士が急いで指示を伝え、セイバーフィッシュ二個小隊に戦域離脱を命じた。

だが、応答は予想外だった。

 

「司令、離脱はできません! ここで共に戦います!」

 

セイバーフィッシュのパイロットたちの声は、ミノフスキー粒子のノイズ越しにも固い決意に満ちていた。

 

ジョージは一瞬目を閉じ、クルーたちの忠義に胸を打たれた。

だが、彼の使命は揺るがない。

 

「ここで全滅すれば、ジオンの脅威を伝える者がいなくなる! 頼む、離脱してくれ! 連邦にこの蛮行を伝え、必ず奴らに報いを受けさせるんだ!」

 

その言葉に、パイロットたちは沈黙した。

やがて、涙を堪えたような声で応答が返る。

 

「了解…戦域離脱、実行します。」

 

セイバーフィッシュ二個小隊は、泣く泣くルナツーへ向けて進路を変更した。

ジョージはブリッジを見渡し、クルーたちに告げた。

 

「よし!我々はセイバーフィッシュ二個小隊が無事に戦域を離脱できるよう、囮となる! 逃げたい者は逃げてもいい! 強制はしない!」

 

クルーたちは互いに顔を見合わせ、静かな決意を共有した。

一人も席を立つ者はいなかった。

ジョージと共に、最後まで戦う覚悟を固めたのだ。

コロニーの住民と家族のために、ジオンへの怒りを胸に、ジェロニモは最後の戦いへと突き進む準備を整えた。

 

「我が戦力は?」

 

ジョージ・オルグレン中将の声は、ブリッジの喧騒を切り裂いた。

 

「残存戦力はサラミス級のカトリーヌ、エドワード、ニコライ、ロイドの4隻と、セイバーフィッシュ4個小隊のみです!」

 

通信士の報告に、ブリッジが一瞬静まり返った。

サイド2を守っていた駐屯艦隊は、ジオン軍の猛攻でこれほどまでに削られていた。

ジョージの脳裏に、この戦いで散った部下たちの顔が浮かぶ。

敬礼した若者の笑顔、家族の写真を見ていた兵士の横顔――彼らの命が、毒ガスとザクⅡによって無残に奪われた。胸が締め付けられ、怒りが沸騰する。

 

「全戦力を集めろ! 一点突破で敵の艦隊の中枢に噛みつく!」

 

ジョージの命令は、憎しみと決意に満ちていた。

 

「了解! 全艦に集結命令を!」

 

通信士が慌ただしくコンソールを叩き、ミノフスキー粒子のノイズに阻まれながらも残存戦力に連絡を飛ばした。

ザクⅡの猛射を掻い潜り、サラミス級4隻がジェロニモを中心に集結する。

艦体は傷つき、装甲に焦げ跡が刻まれていた。

モニターには、コロニーを覆う毒ガスの黄雲が映り、ジョージの心をさらに灼いた。

 

「司令、最後までお供しますよ!」

 

カトリーヌの艦長が、静かだが揺るぎない声で告げた。

 

「一矢報いて、ジオンに地獄を見せてやりましょうぜ!」

 

エドワードの艦長が拳を握り、怒りを滲ませた。

ニコライとロイドの艦長も頷き、通信越しに短い言葉を交わした。

 

「我々も行く!」

 

「家族の仇だ!」

 

ジョージは軍人として、部下を特攻に導くことは恥だと感じていた。

 

だが、コロニーを蹂躙され、妻クラウディアと息子の恋人ミシェルを奪われた怒りは、人として、武人として抑えきれなかった。

スペースノイドの未来を血で塗ったザビ家の罪は、許すことなどできなかった。

 

「すまんな。私は司令官失格だ。守るべきコロニーを守れず、君たちの大事な家族を守れなかった…。」 

 

ジョージの声は震え、義兄にクラウディアを託された記憶が胸を刺した。

 

「司令に非はありません!」

 

カトリーヌの艦長が叫んだ。

 

「ジオンの奴らが頭がイカれてるんだ!」 

 

「俺たちの家族も…あそこで死んだ。司令、俺たちも戦います!」

 

セイバーフィッシュのパイロットが通信越しに声を張り上げた。

ブリッジのクルーも、サラミス級の艦長たちも、誰もがジョージへの信頼とジオンへの憎悪を共有していた。

 

「みんなの命、貰うぞ!」

 

ジョージは最後の攻撃を決意した。

 

「行くぞ! これがサイド2駐屯艦隊の最後の攻撃だ!」

 

ジェロニモを中心に、カトリーヌとエドワードが前方に布陣し、ニコライとロイドが左右に展開する。

 

セイバーフィッシュ4個小隊は、襲いかかる敵の露払いを担う。

駐屯艦隊の最後の5隻は、ムサイ艦隊への一点突破を敢行する準備を整えた。

 

艦橋のコンソールが警告音を鳴らし、艦体が軋む音がブリッジに響いた。

 

「全艦、前進! 突撃開始!」

 

ジョージの号令で、艦隊はコロニーから離れ、ムサイの艦隊へ突進した。

ムサイの主砲が火を噴き、ジェロニモの艦隊に砲撃が降り注ぐ。

カトリーヌとエドワードが盾となり、装甲を削られながら前進を続けた。

 

「耐えろ! 進め!」

 

カトリーヌの艦長が叫び、艦は爆炎に包まれながらも突き進んだ。

ザクⅡが機動性を活かし、艦隊の隙を突いて襲いかかる。

 

「人型兵器、左舷に接近!」

 

観測員の叫びに、セイバーフィッシュが命懸けで迎撃。

 

「ジオンめ、くそくらえ!」

 

パイロットの一人が叫び、ミサイルを放つが、ザクⅡのヒートホークに切り裂かれ爆散した。

数機のザクⅡがセイバーフィッシュの弾幕をすり抜け、左翼から核バズーカを放った。

サラミス級ニコライが盾となり、艦体が真っ二つに裂けて撃沈した。

 

「ニコライ、応答しろ!」

 

通信士が叫ぶが、応答はなかった。 前方で盾となっていたカトリーヌとエドワードも、ムサイの連続砲撃に耐えきれず次々と撃沈。

 

「カトリーヌが沈む!」

 

「エドワード、駄目だ!」

 

ブリッジのモニターに映る爆炎が、宇宙空間を赤く染めた。クルーたちの悲鳴と怒号が響き、ジョージは拳を握り締めた。

 

「まだだ! まだ終わらん!」

 

ムサイ艦隊の前にザクⅡが立ち塞がり、特攻するジェロニモを妨害しようとした。

 

「人型兵器接近! 迎撃を!」

 

観測員が叫ぶ中、セイバーフィッシュ隊が自ら特攻。

 

「俺たちが道を開く! 進め、ジェロニモ!!」

 

パイロットの絶叫と共に、セイバーフィッシュがザクⅡを道連れに爆発し、血路を開く。

後方から追いすがるザクⅡに、ロイドが下がって盾となる。

 

「ロイド、すまない!」

 

ジョージが叫ぶが、サラミス級のロイドはザクⅡの集中攻撃を受け、艦体が爆発に裂けた。

ジェロニモはその衝撃を利用し、一気に加速する。

 

「全速前進! 突っ込めーー!」

 

ジョージの声がブリッジに響く。

だが、敵艦隊の手前で、ムサイの主砲が一斉に火を噴いた。

ジェロニモの装甲が溶かされ、艦橋が炎に包まれる。

爆発が艦体を揺らし、クルーたちの叫び声が響いた。

 

「艦橋、火災!」

 

「主砲、沈黙!」

 

警告音が鳴り響く中、ジョージはブリッジのコンソールを握り、最後の咆哮を上げた。

 

「ザビ家に天罰を! ジオン公国に呪いあれーーーー!!」

 

憎しみと怒りに満ちた声は、ミノフスキー粒子のノイズに掻き消され、ジェロニモはムサイ艦隊の目前で爆散。

宇宙の闇に、サイド2駐屯艦隊の最後の炎が消えた。

【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?

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