コンソールに表示された「残り9分42秒」のデジタル文字。
それが自らの破滅を告げるカウントダウンだと理解した瞬間、ヴァルターの理性の糸は完全にぶち切れた。
「おのれ……おのれ、おのれぇぇぇッ!!」
判定負けなど、あってはならない。
ジャブローの最新鋭機を引っ提げ、前線の荒くれどもに手も足も出ないままタイムアウトで敗北するなど、そんな理不尽な汚名を背負わされれば、自分は二度と表舞台へは戻れない。
イーサンを越えるどころか、歴史のゴミ箱へと叩き込まれる――その底知れぬ恐怖が、彼を無謀な突撃へと突き動かした。
「逃がすかァッ! 穴ぐらの中で判定勝ちを待つつもりなら、その錆びた鉄屑ごと、まとめて引きずり出して細切れにしてくれる!」
ヴァルターはジム・カスタムの操縦桿を限界まで押し込み、フットペダルを力任せに踏み抜いた。
マグネット・コーティングによって摩擦抵抗を無くした関節駆動が強烈な悲鳴を上げ、メインスラスターがまばゆい青白い閃光を爆発させる。
ジム・カスタムはコロニー残骸の尾根を強引に蹴り破り、ソウヤのスライフレイルとサンダースの陸戦型ガンダムが滑り込んだ、中央の巨大なコロニー残骸の亀裂へ向けて、上空から弾丸のごとき速度で無茶な急降下突撃を仕掛けた。
――ズガァァァン!!!
凄まじい駆動音とともに、ジム・カスタムがコロニー残骸の内部へと強行突入する。
しかし、外光を遮られたその内部は、ヴァルターの予測を遥かに超えて過酷な空間だった。
「……ッ!? なんだ、この歪な狭さは……!」
地に突き刺さった大型コロニーの残骸内部は、崩落した無数の隔壁と、ひしゃげた巨大な鉄骨の骨組みが複雑怪奇に交差し、モビルスーツが満足に一機通るのがやっとの「極めて狭隘な空間」だった。
平原や残骸の上で見せていた、マグネット・コーティングによる三次元的な跳躍移動や、スラスターの爆発的な推力を活かした高機動回避など、展開するスペースすら存在しない。
文字通りの壁に囲まれた、身動きの取れない迷宮。
「大尉! 突入してはダメです! 内部は狭すぎて、ジム・カスタムの機動性能が完全に死にます!」
ホバートラックのコンソールから、ノエルの悲痛な警告の叫びが遅れて回線に飛び込んでくる。
だが、すでにその制止すら、今のヴァルターの耳には届いていなかった。
闇のなか、ジム・カスタムのカメラアイが捉えたのは、狭い空間の奥で静かに佇む、2機のガンダムタイプの威容。
退路を断たれた獲物のはずの、スライフレイルと陸戦型ガンダムの双眸が、暗がりのなかで怪しく、冷徹に発光していた。
「サンダース軍曹、援護を!」
ヴァルターのジム・カスタムが狭隘な暗がりに突入したその瞬間、ソウヤの鋭い号令が飛んだ。
「了解!」
サンダースの陸戦型ガンダムが即座にボウワ社製ビーム・ライフルを構え、正確無比な三連射を放ってヴァルターの進路を制限する牽制の網を張る。
それと同時に、ソウヤはコンソールのサブパネルを素早く叩き、赤く点滅する特殊コマンドを呼び出した。
画面に『MAX MODE: READY』の文字が浮かび上がる。
ソウヤがシステムを起動させると、スライフレイルの全身のジェネレーターリミッターが強制解除された。
キィィィィィィン――!!!
関節の駆動系から、鼓膜を刺すような甲高い金属鳴りが響き渡る。
限界を超えたエネルギーが四肢の駆動系へと駆け巡る。
残された稼働時間は、エミリアの弾き出した「5分」のみ。
ソウヤは左右の手で同時に二本のビーム・サーベルを起動させた。
暗暗のなかに、低出力のセンサー感知モードの光刃が、交差する二筋の光となって鮮烈に咲き誇る。最初からこの近接白兵の瞬間のために用意されていた、渾身の二刀流だ。
「おおおぉぉぉッ!!」
マックスモードの爆発的な推力を狭い空間で完璧に制御し、ソウヤのスライフレイルは地を滑るような二刀流の高速肉薄を開始した。
「舐めるなァッ! 旧式機がどれだけ出力を上げようが、このジム・カスタムの反応速度には届かん!」
ヴァルターもまた激情のままに吼え、マグネット・コーティングの超反応を信じてビーム・サーベルを抜刀。
サンダースの援護射撃を最小限の首振りでいなしながら、正面から迫り来る緑の凶刃を真っ向から迎え撃つべく、その薄緑色の腕部を突き出した。逃げ場のない狭隘の檻のなか、最先端のスペックに狂う先駆者と、師の魂を継いだ狩人による、一瞬の隙も許されない極限の至近距離剣戟がここに幕を開けた。
――ガギィィィン!!!
逃げ場のない狭隘な空間のなか、ソウヤのスライフレイルの放つ二刀流の光刃が、ヴァルターのジム・カスタムのサーベルと正面から激突した。
激しい火花が散り、強烈なフラッシュバーストが狭いコロニーの壁を白く焼き焦がす。
「マグネット・コーティングの性能を見るがいい!」
ヴァルターはマグネット・コーティングの超反応を頼りに、即座に次の突きを放とうとステップを踏んだ。
――だが、その刹那。ジム・カスタムの左肩が、不自然にひしゃげた巨大な鉄骨の角へと激しく接触した。
ガガガン!
不格好な金属音が狭い内部に反響し、機体の体勢がわずかに狂う。
「チッ……! 邪魔な障害物め!」
ヴァルターが苛立たしげに叫ぶ。
ジャブロー本部のシミュレーターにおいて、狭所や不整地での戦闘データは当然のようにインプットされていた。
ヴァルター自身、そのシミュレーション上では完璧なスコアを叩き出し、訓練をこなしてきた自負がある。
しかし、所詮はシミュレーターでしかない。
本物の戦場に広がる、理不尽にねじ曲がった残骸の圧迫感、予期せぬ突起、そして空間そのものが牙を剥いてくるような息詰まる重圧のなかでは、彼の洗練された操縦はあまりにも脆かった。
動くたびに、ジム・カスタムの四肢は壁や障害物へと無様にぶつかり、自らその驚異的な挙動を阻害していく。
対する第4小隊の2機――ソウヤのスライフレイルとサンダースの陸戦型ガンダムの動きは、まるで水を得た魚のようだった。
彼らは、あの東南アジアの鬱蒼としたジャングルで、幾度も生死を懸けた死闘を潜り抜けてきた男たちだ。
一歩足を踏み外せば泥沼に足を奪われ、太い巨木や蔦の網がモビルスーツの自由を完璧に奪う、地球上で最も過酷な限定空間。
そこで泥にまみれながら戦ってきた彼らにとって、この限られた足場や空間での戦闘など、それこそ『いつもの戦場』に過ぎない。
ソウヤのスライフレイルは、マックスモードの爆発的な推力を纏いながらも、コロニーの壁や障害物の配置をまるで肉体の一部のように把握し、かすり傷一つ付けずに滑らかに死角へと回り込む。
サンダースの陸戦型ガンダムもまた、シールドを絶妙な角度で滑らせ、一切の無駄なくビーム・ライフルでの援護射撃を継続していた。
「……バ、馬鹿な! なぜ壁にぶつからん!? なぜそんな旧式機で、この迷宮を平然と疾走できるのだ!」
ヴァルターの叫びは、恐怖混じりの悲鳴へと変わりつつあった。
この狭い戦場において、モビルスーツが左右に移動できるラインは物理的に数メートルしか存在しない。
直線的な前後の動き、あるいは限定的な踏み込みしか許されない状況下では、マグネット・コーティングがもたらす『驚異的な回避レスポンス』を展開するスペースそのものが、どこを探しても存在しなかったのだ。
絶対の優位であったはずの最先端の技術が、前線の狩人たちが構築した泥臭い檻のなかで、一歩一歩、冷徹に殺されていく。
――ズバァン! ズバァン!
狭い暗闇を切り裂き、サンダースの陸戦型ガンダムが放った減衰フラッシュビームが、ジム・カスタムの足元と頭上を正確に穿った。
逃げ場を狭められたヴァルターは、マグネット・コーティングのレスポンスで辛うじてそれを回避したものの、気付けば背後に逃げ場のないコロニーの冷たい内壁を背負わされていた。
「しまっ……!?」
「これで、終わりだァッ!!」
ヴァルターが息を呑んだ刹那、マックスモードの咆哮を上げるソウヤのスライフレイルが、怒涛の勢いで正面から突撃した。
至近距離で交錯する互いのビーム・サーベル。
ギギギギィン!
激しい火花を散らす鍔迫り合いの姿勢のまま、スライフレイルはその圧倒的な推進力でジム・カスタムを壁ごと強引に押し潰した。
ドンォォォン!!!
「ぐ、あああああっ!?」
凄まじい衝撃がヴァルターの五体を襲い、コックピットに叩きつける。
スライフレイルの鉄の質量と、強固なコロニーの壁に挟み込まれたジム・カスタムの装甲が、悲鳴を上げるように激しくきしんだ。
「き、貴様ッ! なんという野蛮な真似を! これは競技会だぞ! こんなラフプレイ、到底認められるわけが――」
ヴァルターは通信を通じて必死に抗議の声を上げた。
だが、操縦桿を限界まで押し込むソウヤの瞳は、どこまでも冷徹だった。
「これくらいのラフプレイなんて、現場じゃ日常茶飯事だ。……こんな程度でいちいち喚いているようじゃ、本物の戦場じゃ一瞬で死ぬぞ、大尉!」
「な……っ!?」
「サンダース軍曹、今だッ!!」
ソウヤがジム・カスタムの五体を完全に壁へと押さえつけ、完璧な射線を構築した瞬間。背後でどっしりと腰を据えていたサンダースの陸戦型ガンダムが、愛機のビーム・ライフルを真っ直ぐに突き付け、冷徹に引き金を引いた。
――カァァンッ!
至近距離から放たれた一撃は、身動きの取れないジム・カスタムの左肩駆動部へと正確に吸い込まれた。
『左肩部大破。物理ロック作動。機能停止』の無慈悲な警告灯がヴァルターのコンソールに点滅し、ジム・カスタムの左腕が完全に力なく垂れ下がる。
「おのれぇぇぇッ! 私は……私はジャブローの、最先端を行く者だァッ!!」
完全に理性を失ったヴァルターは、強引にバックパックのメインスラスターを最大出力で噴射させた。
片腕のサーベルでスライフレイルの刃を強引に弾き、コロニーの壁面に機体を激しく擦り付けながら、凄まじい火花と金属音を轟かせて無理やり拘束を振りほどいた。
だが、そんな強引な脱出が、最新鋭機に無傷で済むはずがなかった。
ガガガギィン!
バックパックの装甲が鉄骨に衝突してひしゃげ、システムから『背部推進器深刻な大破。出力低下。機動性能大幅制限』のログが突きつけられる。
それと同時に、コクピットには模擬戦の判定ログではない、最新鋭機ジム・カスタムが「実際に物理的に傷ついた」という機体損傷報告のアラートがけたたましく鳴り響いた。
「ば、馬鹿な……私の、私のジム・カスタムが……最新鋭の機体が、こんな泥臭い現場の人間に、本当に傷つけられたというのか……!?」
目の前で火花を散らし、煙を吹くコンソールを見つめながら、ヴァルターは強烈な自己崩壊の恐怖に囚われ、完全に混乱に陥った。
「――仕留めるぞ、サンダース軍曹!」
「了解!」
混乱し、機動力がガタ落ちした白いジム・カスタムに対し、前線の狩人たちに一瞬の躊躇も慈悲もなかった。
ソウヤのスライフレイルが閃光のごときステップで踏み込み、残された右腕のサーベルを鮮やかに弾き飛ばす。
体勢を完全に崩したジム・カスタムの正面装甲へ向けて、サンダースの陸戦型ガンダムの強烈なビームライフルの追撃が叩き込まれた。
――ズガァァァン!!!
2機の流れるような泥臭くも完璧な波状攻撃が、ジム・カスタムの五体を完全に捉え、装甲裏のセンサーを真っ赤に染め上げる。
『――ピピピピピピピピィィィ!!!』
『胸部ジェネレーター直撃。完全機能停止(ロスト)。行動不能判定』
コックピット内のすべてのシステムが完全に物理ロックされ、ヴァルターのメインモニターが、絶望の闇へと真っ暗に暗転した。
「はぁ、はぁ……あ、有り得ん……この私が……イーサン、私は、また……。」
真っ暗な闇のなか、ヴァルターは震える手で操縦桿を握り締めたまま、永遠に乗り越えられぬ死者の名を呟き、無様に俯くことしかできなかった。
ガオォォォォォン!!!
トリントン基地演習場の全域に、トーナメント準決勝・第一試合の終了を告げる、長大なブザーが鳴り響いた。
モニターを見つめていた数万人の観衆が静まり返り、次の瞬間、スタジアム全体が地鳴りのような凄まじい大歓声と拍手に包まれる。
トリントン基地を震わせる長大な終了ブザーの残響は、高度数千メートルの虚空に滞空する「バイアリーターク」の広々とした艦橋にまで、かすかな振動となって伝わってきた。
メインモニターに映し出されているのは牽引用の作業用ガンタンクに牽引され、赤い大地の上で無様に沈黙したチーム・シリウスの白いジム・カスタム。
そして、その傍らで傷ついた装甲を烈日に晒しながら、堂々と佇むコジマ大隊第4小隊の2機のガンダムタイプだった。
「……信じ、られん……。」
最高責任者であるジョン・コーウェン中将は、腕を組んだ姿勢のまま、文字通り石のように硬直していた。
厳格なその顔付きは驚愕のあまり完全に血の気が引き、遮光ガラスの向こうの戦場をただ呆然と見つめることしかできない。
ジャブロー本部の最高技術であるマグネット・コーティング。
それを完全な死腔へと誘い込み、密林の実戦経験という泥臭い連携だけで完膚なきまでに叩きのめしてみせた地方部隊。
軍事の常識やカタログスペックの優劣を根底から覆すその圧倒的な大逆転劇は、百戦錬磨の中将にとっても、あまりに理不尽な奇跡だった。
「いやはや、実に見事なレースでしたな。まさに笠松の怪物オグリキャップが中央のエリートたちをごぼう抜きにした時のような、胸のすく快勝だ。」
その静寂を破ったのは、やはりこの漆黒の軍馬の主――クリフトフ・ハーツクライ艦長だった。
彼はコンソールに背を預け、パチパチとわざとらしく、しかし本当に愉悦の混じった拍手を送りながら、これ以上ないほど意地悪そうで不敵な笑みをその顔いっぱいに浮かべていた。
「ハーツクライ……君は、最初からこれが分かっていたのか?」
コーウェン中将が、絞り出すような声で隣の男を睨みつける。
ハーツクライはニヤニヤとした笑みを崩さないまま、肩をすくめて、ブリッジのクルーたちの方へと視線を流した。
「言ったでしょう、中将。彼らには結果を出すための絶対の『意志』がある、とね。それに……我がバイアリータークの整備班長であるナガト中尉が、あのピットに夜這いをかけた段階で、勝負は最初から決まっていたのですよ。技術の進歩に胡座をかいたお坊ちゃんが、前線の泥と執念の結晶に勝てるわけがありません。」
中将がもう一度ブリッジを見渡せば、クルーたちは慌てる素振りなど微塵も見せず、「ほら言わんこっちゃない」とクスクス笑いを殺す者や、勝ち誇ったように端末を叩く者ばかりだった。
この艦の人間は全員、ハーツクライの提示した大博打が、最初から勝つべくして仕組まれた「不敗の勝負」であったことを完全に確信していたのだ。
「……はぁ。つくづく、食えない男だ。」
コーウェン中将は本日何度目か分からない、しかし今度は敗北を認めた晴れやかなため息を深く吐き出した。
「約束は約束だ、ハーツクライ艦長。私の負けだよ。君が賭け金として差し出した『艦長の座』は、そのまま据え置きだ。」
中将は表情を引き締め、軍人としての、そして政治家としての絶対の風格を戻してハーツクライを真っ直ぐに見据えた。
「では、勝者である君の『ワガママ』を聞こう。軍の規則に縛られない、超法規的な願いとやらは一体なんだ? 言ってみろ。」
ハーツクライは待っていましたとばかりに、その細い目を怪しく、そして最高に狡猾にギラリと輝かせた。
彼がこの競技会の裏で手に入れたかった、たった一つの『ワガママ』――。
上空のブリッジに、不敵な艦長の発言が響いた。
「――それは、この競技会がすべて終わってから、お伝えすることにしましょう。」
「ほう……?」
コーウェン中将は意外そうに眉を跳ね上げる。
今すぐその超法規的な特権を行使するのではなく、あえて決勝戦の結末まで引き延ばすという選択。
ハーツクライという男の底知れなさに、中将の好奇心はさらに刺激されていた。
「何、そう身構えるようなことではありませんよ、コーウェン中将。私が持ちかけるそのワガママは、きっとあなたも大いに気に入ってくれるはずですからね。」
ハーツクライの意味深な言葉の裏には、軍の勢力図すらも揺るがしかねない、次なる巨大な謀略の匂いが微かに漂っていた。
「よかろう。君のその企み、楽しみに待たせてもらうとしよう。」
コーウェン中将は不敵に口元を緩め、漆黒の軍馬の主に全幅の信頼に近い視線を送った。
トリントン基地を包む割れんばかりの大歓声を背に受けて、ソウヤは一歩一歩、確実な足取りで連絡通路を歩いていた。
向かう先は、敗者となったジャブロー最先端部隊「チーム・シリウス」の専用格納庫。
ソウヤの隣には、がっしりとした体躯のサンダース軍曹と、まだ興奮の冷めやらぬジョシュア軍曹、そして作戦を見事に支え抜いたエミリアとノアがピタリと並んでいる。
さらにその後ろからは、ルナツー教導隊のボカタ少佐、ヒタチ中尉、そしていまだに緊張と悔しさで表情の硬いミコト少尉が、作業服姿のナガト中尉と共に続いていた。
第4小隊の面々が、勝者の凱旋ではなく、これほどまでに引き締まった、冷徹な表情で歩を進めているのには、ただ一つの明確な理由があった。
「中尉……本当にあのエリートさん、素直に頭を下げますかね?」
ジョシュアが声を潜め、歩調を合わせながらソウヤに尋ねる。
「下げるかどうかじゃない、ジョシュア。下げさせるんだよ。あいつが前線部隊の皆に吐いた暴言の数々は、水に流せるものじゃない。」
ソウヤの返答はどこまでも低く、そして揺るぎない怒りを孕んでいた。
戦いには勝った。
だが、まだ何も清算は終わっていない。
自分の師であるオルグレン少佐を裏切り者と侮辱し、泥にまみれて命を懸ける前線の兵士や技術者たちを見下し、そして――ミコト少尉の誇りを、汚い言葉で徹底的に貶めたヴァルター・フォン・アイゼンハルト大尉。
その歪んだ特権意識の鼻柱を、今度はモビルスーツ越しではなく、人間の言葉として完膚なきまでに叩き潰し、ミコトへの無礼を正式に謝罪してもらう。
「ミコト少尉。」
ソウヤは歩きながら、少し後ろを振り返って赤髪の少女に声をかけた。
「あいつの歪んだプライドは、もう壊れました。……自分の誇りを奪い返す言葉を、しっかりと用意しておいてください。」
「――はい、タカバ中尉!」
ソウヤの真っ直ぐな言葉に、うつむきかけていたミコトが、ハッと光を取り戻した強い眼光で顔を上げた。
チーム・シリウスの専用格納庫へ一歩足を踏み入れた瞬間、耳を刺すような激しい怒声が静寂を切り裂いて響き渡った。
「すべては貴様の無能が原因だ、ノエル・アンダソーン少尉ッ!!」
ソウヤたちが通路の影から格納庫のピットを見据えると、そこには目を血走らせ、髪を振り乱して狂乱するヴァルター大尉の姿があった。
彼はオペレーターであるノエルを激しい口調で叱り飛ばしており、その手前ではエイガー中尉とクリス中尉の2人が、震えるノエルを背中に庇うようにして立ちはだかっている。
「なぜだ!スライフレイルが潜伏していることに気づかなかった! 貴様が搭載された高性能ソナーをただ眺めていたからだッ!」
「……直前まで、あの機体は完全なアイドリング状態でした! それに、ジョシュア軍曹のジム・キャノンによる猛烈な一斉射とスモークディスチャージャーの爆音のせいで、音響ソナーの微細なノイズを聞き取ることなんて、物理的に不可能だったんです!」
ノエルは目に涙を浮かべながらも、コンソールのデータを指差して必死に当時の戦況を弁明した。
「言い訳をするなッ! 貴様が、索敵の職務を担うオペレーターがほんの少しでも早く異変に気づいてさえいれば、マッケンジー中尉もエイガー中尉も一撃で撃破されるような無様は晒さなかった! 泥まみれの荒くれどもに、この私が笑い者にされることもなかったのだ! すべては貴様の怠慢が招いた敗北だッ!」
ヴァルターは敗北の全責任をノエルへと擦り付け、あまりにも理不尽な罵詈雑言を浴びせ続ける。その醜態を見かねたエイガーが、一歩前に出てヴァルターの視線を遮るように立ち塞がった。
「……おい、いい加減にしろ、ヴァルター大尉。見苦しいぞ。」
エイガーの声は、冷徹なまでの怒りを孕んでいた。
「試合が始まる直前、俺はあんたに言ったはずだ。隊長はあんただから指示には従うが、自分の判断で起きた結果は絶対に自分自身で受け止めろ、とな。……単機でコロニーの上へ突っ込み、後退のタイミングを誤り、数的不利の罠に自ら飛び込んだのは誰だ? 全てあんたの判断ミスだ。女の子に八つ当たりして責任を押し付けるな。」
「黙れ、ソウヤ・タカバの腰巾着どもがァッ!!」
エイガーの正論は、完全にプライドの砕け散ったヴァルターをさらに激昂させるだけの逆効果となった。
ヴァルターはワナワナと肩を激しく震わせ、狂気的な絶叫を上げると同時に、エイガーの横をすり抜けてノエルへと狂暴に殴りかかろうと腕を振り上げた。
「危ない!」
格納庫の入り口からその狂行を目撃したソウヤは、鋭い叫び声を上げると同時にサンダースやジョシュアと共にピットへと駆け出した。
しかし、あまりにも距離が遠い。ヴァルターの拳がノエルの顔面に届くのが先か、ソウヤたちが間に合うか――その緊迫した一刹那。
――バシィィィンッ!!!
格納庫の天井に、小気味よい肉体の衝突音が激しく反響した。
「……え?」
駆け出していたジョシュアが、唖然とした声を漏らして足を止める。
ソウヤとサンダースもまた、目の前で起きたあまりに想定外の光景に目を見張った。
ヴァルターとノエルの間。そこに滑り込むように割り込んだのは、他でもない、いつも上品でおっとりとした微笑みを絶やさなかったクリスチーナ・マッケンジー中尉だった。
彼女はヴァルターの振り下ろした大振りの拳の軌道を完全に見切り、その前乗りの踏み込みに合わせ、自らの右拳を完璧なタイミングでヴァルターの顔面の中心へと突き出したのだ。
かつて怪物的な試作機アレックスの強烈なGに耐え抜き、死線を潜り抜けた元ガンダムパイロットとしての凄まじい反射神経と、内に秘めた戦士としての筋の通った体幹が産み落とした、文字通りの『芸術的なカウンターパンチ』。
「ぶふぇっ……!?」
鼻骨を完璧に打ち抜かれたヴァルターは、エリート士官らしからぬあまりにも情けない悲鳴を上げ、そのまま後ろへと派手に吹っ飛んだ。
油まみれの床を二度、三度と無様に転がり、ピットの奥に置かれた工具箱へ背中から激突してようやくその動きを止める。
痛みに顔を歪め、鼻を押さえてうめき声を上げるヴァルターを冷ややかに見下ろしながら、クリスは上品な制服の袖を静かに整え、どこまでも凛とした声で言い放った。
「自分のミスを部下に押し付け、挙句の果てに暴力を振るうなんて……。テストパイロットとしても、1人の軍人としても、最低の行為です、ヴァルター大尉。」
おっとりとした淑女の皮を脱ぎ捨て、一年戦争を戦い抜いたエースとしての鋭い眼光を放つクリスの背中は、ピットに到着したソウヤたちの目にも、これ以上ないほど雄弁に映し出されていた。
「……あ、あう……っ。」
鼻を押さえ、油まみれの床に転がったままヴァルターが呻き声を上げる。
ジャブローのエリートの制服は見る影もなく汚れ、鼻から流れる鮮血が彼のプライドごと床を赤く染めていた。
そこへ、一歩、また一歩と重厚な軍靴の音が近づく。
ヴァルターが痛みに歪む目を恐る恐る上げると、そこには彼が「骨董品」と見下していた緑のガンダムの乗り手――ソウヤ・タカバ中尉が、冷徹な眼光で見下ろしていた。
その背後には第4小隊の面々、そしてボカタ少佐率いるルナツー教導隊が、圧倒的な威圧感の壁となって佇んでいる。
「タ、タカバ……貴様、敗者の無様な姿を笑いに来たのか……!」
ヴァルターは床に手を突き、惨めさを誤魔化すように声を荒らげた。
だが、ソウヤの表情には嘲笑の色のひとかけらもなく、ただ戦場を生き抜いた軍人としての、深く静かな怒りだけが湛えられていた。
「笑いに来たわけじゃない、ヴァルター大尉。あんたに、まだ終わっていない清算をしてもらいに来たんだ。」
ソウヤは一歩踏み込み、床のヴァルターへと鋭い言葉を突きつける。
「あんたは真摯に戦っていたルナツー教導隊のミコト少尉を、汚い言葉で徹底的に貶めたはずだ。」
ソウヤが視線を背後へ流すと、第4小隊のメンバーに守られるようにして、ミコト少尉が前へ出た。
その瞳には、昨日ヴァルターに負けた時の怯えや悔しさはもうない。
ソウヤたちが繋いでくれた誇りと、自身のガルバルディへの想いを胸に、真っ直ぐにヴァルターを射抜いていた。
「大尉。自分のミスも認められないあんたの歪んだプライドは、もう俺たちが完膚なきまでに叩き潰した。……ミコト少尉への、そしてルナツー教導隊への無礼を、今ここで正式に謝罪してもらう。」
ソウヤの冷徹な要求に、ヴァルターの顔が屈辱でワナワナと引きつる。
ジャブローのエリートたる自分が、地方部隊の前で、それも自ら「ジオンの機体」と罵った若手パイロットに対して頭を下げろというのか。
「しゃ、謝罪だと……!? この私が、そんなジオンの機体に乗るパイロットに……っ!」
ヴァルターがなおも往生際悪く言い放とうとした瞬間、彼の背後から、低く、しかし絶対的な重みを持った声が割り込んだ。
「……ヴァルター大尉。いい加減にその見苦しい口を閉じたらどうだ。」
腕を組んだエイガー中尉が、クリスと共に冷ややかな視線を隊長へと突き刺していた。
「お前が前線の連中をどう思おうが勝手だが、今回の敗北は100%お前の独断と戦術ミスが招いた結果だ。そして、タカバ中尉の言う通り、お前の吐いた言葉は1人の軍人として、モビルスーツ乗りとして、絶対に許されるものじゃない。……潔く頭を下げろ。これ以上、テストパイロットの名前を汚すな。」
「エイガー、中尉……っ、貴様まで……!」
味方であるはずの実戦派メンバーからも完全に孤立し、背後にはクリスの冷たい眼光。目の前にはソウヤたち前線の精鋭たち。
逃げ場のない格納庫の檻の中で、ヴァルターは今度こそ、自らの歪んだプライドが完全に粉々に砕け散ったことを理解せざるを得なかった。
「大尉。今回のあなたによる私やエイガー中尉、そしてノエル少尉への一連のパワーハラスメント行為は、この後すぐに私の名義で軍上層部へと正式に報告させていただきます。」
床に這いつくばるヴァルターを見下ろしたまま、クリスが静かに、しかし決然とした声で言い放った。
「その上で――私は本日をもって、地球連邦軍を辞めます。」
「……えっ!?」
突然のクリスの退役宣言に、その場にいた一同から驚愕の息が漏れた。
ソウヤやサンダース、そしてルナツー教導隊の面々までもが、あまりにも想定外の発言に目を丸くする。
「ま、マッケンジー中尉……!? 待ってくれ、報告など、何かの間違いだ! それに軍を辞めるだなんて、そんな無責任なことを言わないでくれ……っ!」
それまで屈辱に震えていたヴァルターの顔が、今度は恐怖で真っ白に染まった。
今回の理不尽な暴言や行動が上層部に報告されるだけでも破滅的なスキャンダルだが、何より「元ガンダムのテストパイロット」という連邦軍の至宝が、自分のハラスメントを理由に軍を去ったなどという前代未聞の不祥事の原因にだけはなりたくなかったのだ。
「……私は本気です。一年戦争の時からずっと、私は軍という組織の都合に振り回され続けてきました。戦後も最新鋭機のデータ収集のためと自分に言い聞かせ、今日まで辛抱強く我慢を重ねてきましたが……流石に今回の件で、あなたの、そしてそれを野放しにするこの軍の体質に愛想が尽きました。」
クリスは冷徹な眼光を崩さないまま、自らの未来を告げるように口元をわずかに緩めた。
「実は以前から、アナハイム・エレクトロニクス社の方から熱心なスカウトのお話を頂いていたんです。これまではお断りしていましたが、良い機会です。私は軍を去り、アナハイムへ行かせていただきます。」
「そんな……行かないでくれ! 私が悪かった、謝るから……っ!」
クリスという最強の看板を失えば、自分の軍歴が完全に終わる。
そう確信したヴァルターは、取り乱しながらクリスへ縋り付こうと床を這い、無理に歩み寄ろうとした。
だが、その惨めな前進を阻むように、無骨な軍靴の音がヴァルターの眼前に立ち塞がった。
ソウヤをはじめ、サンダース、ジョシュア、そしてボカタ少佐やヒタチ中尉までもが隙間なく壁を形成し、床のヴァルターを無言で、狂暴な獣のごとき鋭い眼光で睨みつけたのだ。
「ひ……っ、ひいいぃっ……!」
前線の死線を潜り抜けてきた精鋭たちが放つ、肌を刺すような本物の殺気。
それに気圧されたヴァルターは情けない悲鳴を上げ、もはや謝罪を求める声に抗う気力すらも消え失せ、這うような不格好な姿勢のまま、格納庫の出口へ向かって全速力で無様に逃げ出していった。
静まり返った格納庫に、遠ざかるヴァルターの足音だけが虚しく響き、やがて完全に消え去った。
「……すまない、ミコト少尉。」
ヴァルターが完全に格納庫から出たのを確認すると、ソウヤはゆっくりと振り返り、赤髪の少女の前で小さく頭を下げて謝罪した。
「俺たちが奴の退路を断って、引きずり出してでも正式に謝らせるべきだった。結局、あいつに謝罪をさせることができなくて……本当に申し訳ない。」
勝者でありながら、戦友の誇りを完全な形で清算できなかったことを悔やむソウヤ。
だが、ミコトはそんなソウヤの言葉に、ふっと優しく、そして心から晴れやかな微笑みを浮かべて首を横に振った。
「いいえ、謝らないでください、タカバ中尉。……あんな情けない奴に頭を下げて謝られたほうが、かえって私とガルバルディが汚れてしまうような気がしますから。」
ミコトの凛としたその一言に、ルナツー教導隊のボカタ少佐やヒタチ中尉もまた、誇らしげな笑顔を見せた。形ばかりの謝罪など、今の彼女にはもう必要なかった。
ソウヤたちが赤い大地で見せてくれた圧倒的な戦術と、目の前で砕け散ったヴァルターの無様な姿。
それこそが、何よりも雄弁にミコトたちの誇りを救い、証明してくれていたのだ。
ノエルがポツリと、本当に名残惜しそうに肩を落とした。
「マッケンジー中尉が抜けちゃうなんて……本当に、寂しくなるね。」
エイガーも苦笑いを浮かべながら、寂しさを隠すように肩をすくめる。
「2人とも、急なことで本当にごめんなさい。チームを途中で抜けてしまうのは心苦しいけれど……でも、お互いに自分の信じるテストパイロットの夸りを持って、新しい場所で頑張りましょう。」
クリスは2人に申し訳なさそうに微笑みながらも、その瞳には未来を見据えた確かな光があった。
「ああ、新天地でも頑張ってくれよ、クリス。応援してるぜ。」
「マッケンジー中尉、アナハイムに行っても私たちのこと、忘れないでくださいね!」
エイガーとノエルからの温かい激励を受け、クリスは「ありがとう」と上品に一礼した。
それから、彼女は静かな足取りでソウヤの元へと近づき、その実直な瞳をじっと見つめながら、一つの素朴な疑問を投げかけた。
「タカバ中尉。……少しお聞きしてもいいかしら。あなた、一年戦争の末期――紺色のモビルスーツに乗って、中立コロニーであるサイド6の『リボー』へ来たことはないかしら?」
「……ッ!?」
その問いに、ソウヤだけでなく、背後にいたボカタ少佐、そして作業服のナガト中尉の3人の身体が、同時にビクリと激しく強張った。
大戦末期、軍の歴史の闇に葬られたはずの、あのクリスマスの記憶が鮮烈に脳裏をよぎる。
ソウヤは一瞬の沈黙の後、覚悟を決めたように真っ直ぐクリスを見つめ返した。
「……あります。確かに私はあの時、紺色の機体に乗って、リボーコロニーの宙域にいました。」
ソウヤの肯定の言葉を聞いた瞬間、クリスは「やっぱり……」と、パッと霧が晴れたような美しい微笑みを浮かべた。
「やっぱりそうだったのね。さっきのスライフレイルの、あの見事な射撃の弾道を見て確信したわ。あなた……ジオンによる、サイド6への『核攻撃』を防いでくれた、あの時の部隊の人ね。だから、バイアリータークのハーツクライ艦長とも、それほど深い絆で結ばれていたのね。」
「おいおい、一体どういうことだ!? ジオンの核攻撃だって!?」
初耳の重大な軍事機密に、エイガーが驚愕して思わず2人の間に割って入った。
ノエルもまた、信じられないといった様子で目を丸くしている。
クリスは当時の状況を思い返すように、遠い目をして説明を始めた。
「一年戦争の末期、ジオンはリボーコロニーに運び込まれたガンダムを破壊するために、中立のサイド6ごと『核攻撃』を仕掛けようとしたの。その危機的状況のなか、偶然付近を航行していたバイアリータークが、核を積んだジオン艦隊と交戦していた友軍のサラミス級を発見し、救援に駆けつけてくれたのよ。……戦闘が終わった後、バイアリータークに所属していたモビルスーツの1機が、リボーの内部で傷ついていた私の応援に駆けつけてくれてね。」
クリスはソウヤを優しく見つめながら、言葉を重ねる。
「中に入ってきた時にはすでに私の戦闘は終わっていたから、その紺色のモビルスーツは私が戦った場所を警備してくれたわ。……その後、私はあの宙域で何が起きていたのか、知りたくて、当時の戦闘記録映像を見せてもらったの。その映像の中に、信じられないほどの超高精度な射撃でムサイを撃破した紺色の機体が映っていた。……そしてその機体は、ガンダム4号機の『外部補助ジェネレーター』を強引に接続して使っていたのよ。」
クリスは一歩歩み寄り、確信を込めて告げた。
「あの外部ジェネレーターは極めて扱いが難しく、スペックや仕様を理解したパイロットでなければ、絶対に実戦で照射運用なんてできないわ。……ロングレンジライフルとジェネレーターを完璧に使いこなすあなたの射撃を見て、確信したの。あの時、サイド6の人々を、そして私を救ってくれたのは、あなただったのね、タカバ中尉。」
「マッケンジー中尉……。」
ソウヤが言葉を詰まらせるなか、背後ではボカタがフッと懐かしそうに目元を和らげ、ナガトは「へっ、とんだところで正体がバレちまったな。」と頭のタオルをガシガシと掻き回していた。
クリスはルナツー教導隊の列の後ろで佇んでいたミコトの元へ、ゆっくりと歩み寄った。
「ミコト少尉。……チーム・シリウスを代表して、あなたに心からお詫びを言わせてください。」
クリスはミコトの目を真っ直ぐに見つめ、深く、丁寧に頭を下げた。
「私たちのヴァルター大尉が、あなたの、そして教導隊の皆さんの誇りを傷つけるあまりにも酷い暴言を吐いたこと……本当に申し訳ありませんでした。」
突然の元ガンダムパイロットからの丁重な謝罪に、ミコトは慌てて手を振った。
「く、クリスさん! 止めてください、頭を上げてください! あなたが謝る必要なんて、どこにもありません!」
ミコトは本当に困惑したように声を上げる。
彼女を侮辱したのはあくまでヴァルターであり、クリスは先ほど、そのヴァルターに完璧なカウンターパンチを叩き込んで自分たちの無念を晴らしてくれた恩人なのだ。
しかし、クリスは頭を上げてもなお、その真摯な瞳を曇らせたまま、優しく、しかし確固たる意志を込めて言葉を重ねた。
「いいえ、謝らせて。……これは身内の不祥事であると同時に、1人の『モビルスーツの開発に携わる者』としての、私の意地でもあるの。同じテストパイロットとして、機体の出自だけで踏みにじった大尉の行為が、私はどうしても許せなかったのよ。」
クリスの言葉の端々に宿る、技術と兵器への深いリスペクト。
その温かい言葉に、ミコトの胸の奥に残っていた最後のわだかまりが、すっと溶けていくようだった。
「……マッケンジー中尉の言う通りだ。ルナツーのひよっこ、いや、ミコト少尉。俺からも謝らせてくれ。」
エイガー中尉が、バツが悪そうに頭を掻きながら一歩前に出た。
「あの頑固な馬鹿大尉の増長を現場で止められなかった。チームの一員として本当にすまなかったと思っている。……お前のガルバルディ、いい機体だぜ。」
「私も、ごめんなさい……! 随伴のホバートラックからお2人の会話を聞いていて、本当に悔しかったのに、何もできなくて……っ。」
ノエルもまた、目に涙を浮かべながらミコトの前に進み出て、小さな頭をペコリと下げた。
ジャブロー直轄という最先端の特権意識に縛られたヴァルターとは違う、実戦の泥を知り、テストパイロットとしての誠実な誇りを持つ先輩たちの、嘘偽りのない謝罪の輪。
「皆さん、もう、本当にいいんです……っ。」
ミコトは今度こそ、心からの救われたような笑顔を浮かべ、溢れそうになる涙をグッと堪えて力強く頷く。
「ヴァルター大尉がどんなに私たちのガルバルディを馬鹿にしようと、タカバ中尉たちが、そして皆さんがこうして私のガルバルディを認めてくれた。それだけで、私はもう、十分に救われましたから……!」
赤髪の少女の、曇りのない清々しい叫び。
その凛とした姿に、ボカタ少佐は満足げに微笑み、ナガト中尉もまた「へっ、いいパイロットに育ってやがるじゃねえか」と嬉しそうに鼻を鳴らした。
「マッケンジー中尉。軍を辞める手続きは、この競技会がすべて終わってからでも遅くはないんじゃないですか?」
感動的な和解の余韻が残るピットエリアに、ソウヤのどこか悪戯っぽさを孕んだ、しかし温かい声が響いた。
「え……?」
クリスは驚いたように丸い目をパチクリとさせた。
ソウヤは口元を緩め、クリスに言う。
「せっかく世界中から選りすぐりの精鋭が集まった、これほど大きな競技会なんです。準決勝を戦っただけで今日すぐに荷物をまとめて帰ってしまったら、最後まで見られなくなってしまいますよ。1人のモビルスーツ乗りとして、それは少しもったいないと思いませんか?」
「ふふっ……あははは!」
ソウヤのあまりにも実直で、かつ至極真っ当な提案に、クリスは一瞬の呆然の後に、堰を切ったように上品に笑い出した。
その柔らかい笑い声は、それまで格納庫を支配していたヴァルターの醜聞や重苦しい因縁の残光を、跡形もなく綺麗に吹き飛ばしていく。
「そうね、確かにその通りだわ! こんな最高の舞台の結末を見届けずに帰ってしまうなんて、テストパイロットとして、あまりにももったいないわね。……分かったわ、手続きは閉会式の後にするわ。」
クリスの快活な返答を聞いて、エイガーもノエルも、そして第4小隊の面々やルナツー教導隊の全員が、揃って顔を見合わせながらドッと大きな笑い声を上げた。
張り詰めていたすべての緊張が解け、格納庫には戦友たちだけの心地よい一体感が満ちていく。
「――皆さん、話の途中で申し訳ありませんが、もうそろそろ決勝トーナメントの準決勝・第二試合が始まる時刻です。ウィッチハント隊とファントム・スイープ隊の大一番、見逃すわけにはいきません。見るなら急ぎましょう!」
ヒタチ中尉が腕時計を確認しながら、真面目な顔で、しかしどこか急かすように声を張り上げた。
「「「了解!!」」」
全員の声が明るく一つに重なり、彼らは足早に、しかし確かな信頼の足取りで、次の熱戦が待つスタジアムの観客席へと向けて歩き出した。
――このトリントンMS競技会から、少しの時が流れた未来の話である。
地球連邦軍は、ジオン公国軍から接収したペズン計画の傑作機「ガルバルディα」の極めて優れた基本性能と運動性を高く評価し、これをベースにした連邦軍独自の近代化改修計画を正式にスタートさせることとなる。
そうして産み落とされたのが、後にグリプス戦役期において連邦軍の主力量産機として広く普及することになる傑作機――『ガルバルディβ』である。
実は、このガルバルディβの開発・基本設計のプロセスにおいて、あのトリントンMS競技会でガルバルディαの限界のポテンシャルを実戦形式で証明してみせた、ルナツー教導隊のミコト・I・ケネディ少尉が残した膨大な運用データとテストログが、極めて重要な基礎資料として大いに活用されていた。
ジオンの機体、負の遺産とまで蔑まれたモビルスーツ。
しかし、その機体に秘められた可能性を誰よりも正当に評価し、真摯に向き合った少女の誇りは、確かに結実したのだ。
ガルバルディはジオンの呪縛を完全に解き放ち、名実ともに、連邦軍のモビルスーツの系譜へと、その名を歴史に深く刻み込むこととなった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
遂にジャブローの最新鋭機チームのチーム・シリウスと決着が着きました!
最後はクリスのカウンターパンチがヴァルターを吹き飛ばし、パワハラ報告の辞表宣言!
ヴァルターに効果抜群です!
クリスのアナハイム行きは、STARDUST MEMORYでクリスらしい女性がいるのが元ネタです(笑)
ではでは、次の話はウィッチハント隊とファントム・スイープ隊の戦闘になります!
【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?
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