機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第130話 背徳のフェイク・フェアリー

東南アジア方面、旧アプサラス開発基地

 

かつて、極東方面軍コジマ大隊所属のシロー・アマダのEz-8と、ジオン公国軍のエース、ノリス・パッカード大佐のグフ・カスタムが壮絶な市街地戦を繰り広げたゴーストタウン。

その廃鉱山都市は今、過去の爪痕を完全に払拭していた。

転がっていた瓦礫は除去され、幾つもの修羅の墓標となったモビルスーツの残骸はネジ一本に至るまで撤去されている。

現にそこにあるのは、精緻に区画整理された舗装道路、模擬市街地、そして最新の射撃訓練場を備えた、アナハイム・エレクトロニクス傘下の民間軍事会社『華星警備』が運営する近代的な演習場であった。

表向きの登録名目は「次世代市街地戦訓練施設兼環境再生プロジェクト」。

連邦軍の厳格な定期監査をも無抵抗でパスする完璧な偽装社会。

東南アジア方面の連邦軍部隊が、何ら疑うことなく最新MSの戦術データ採集のために共同利用するその施設の直下――。

それこそが、カルロス・ボドリゲス少佐率いるジオン残党『カルロス隊』の裏の本体、その心臓部であった。

カルロスはこの1年、この基地を完成に専念したのだ。

敗戦の焦燥に狂った他の残党兵たちが派手なテロや玉砕で消えていく中、彼はただ生き残るために、プライドも過去の階級もすべてを投資のテーブルへ投げ打った。

連邦軍の目を欺くための書類偽装、戸籍のロンダリング、ルオ商会のウーミン会長に「利用価値」を示し続けるための交渉。

そして、廃坑道の奥深くに眠っていた旧アプサラス開発基地を、最新のステルス遮蔽材でコーティングされた秘匿ハンガーへと完全に「完成」させるまでの、執念に満ちた1年間。

熱源、電磁波、振動をミリ単位で徹底遮断し、連邦の偵察衛星やミノフスキー粒子環境下でのセンサーすら欺く「消えない抑止力」の城塞。

その地下深くに位置する、冷たい蛍光灯の白い光だけが室内の陰影を強調するカルロスの執務室。

黒檀のテーブルを挟み、片側にはカルロス・ボドリゲス、ヤゴ・チエ、ボルク・クライの3人が神妙な面持ちで腰を下ろしていた。

対面には、ルオ商会のエージェントであるアエロ・ハルピーと、ドルセ・ブセアール。

室内に満ちる空気は、装甲板をも圧し潰さんばかりに重く、淀んでいた。

カルロスは、仕立ての良いダークスーツの襟元に軽く指をかけ、ネクタイの結び目を緩める。

だが、その双眸から放たれる射すような視線と、低い地鳴りのような声音には、隠しきれない、そして明確な「怒り」の重圧が孕まれていた。

 

「……アエロ。確認するぞ。」

 

カルロスは日本刀の柄にそっと手をかけるような静けさで、しかし確実に相手の逃げ道を塞ぐように切り出した。

 

「北米大陸で活性化している、『リターン・オブ・フェアリー』とやらについてだ。俺が北米に『ギニアスの遺産』のデータを渡し、例の『アレ』を完成させ、この基地がようやく完成した、その矢先の出来事だ。お前に……一切の関わりがない。本当なんだろうな?」

 

アエロは無言のまま、トレードマークであるサングラスを外し、テーブルの上へ静かに滑らせた。豊かな金髪の下から覗く、その瞳には、不快感を露わにするようにわずかに細められる。

喉の奥で、苛立ちの熱を冷ますように深く息を吐き出してから、アエロは応じた。

 

「関わっていないわ。」

 

その声音は極めて抑制されていたが、だからこそ、戦場での殺意にも似た確固たる強度が乗っていた。

 

「私自身も、そしてルオ商会としても、北米の動きには一切タッチしていない。……それと、カルロス。戦友として、これだけははっきりと釘を刺しておく。」

 

アエロの視線が、カルロスの冷徹な眼光を真っ向から射抜く。

 

「この一件には、『ノイジー・フェアリー隊』は100%関与していない。アルマたちが、戦後の平時に核兵器を奪い、世界を無差別に焼き払うような狂ったテロに手を貸す筈がない。……断言するわ。あれは、彼女たちの誇りを泥足で踏みにじる、最悪の偽物よ。」

 

「……そこまで言い切るか、アエロ。いや——」

 

カルロスは黒檀のテーブルに肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せた。南米系の褐色肌に刻まれた強靭な輪郭と、仕立ての良いダークスーツ越しにも伝わる筋肉質の威圧感が、室内の空気を容赦なく支配していく。

室内の温度が一段階下がったかのような、刺すような静寂。

カルロスの口から、地鳴りのような低い声音が、網膜を焦がすほどの重圧を伴って紡がれる。

 

「それは、お前が直接指揮を執っていた部隊だからか? ……『ノイジー・フェアリー』隊の隊長。『キラー・ハーピー』と恐れられた妖鳥……」

 

カルロスはそこで一度言葉を切り、ただじっと、微動だにせずキリーを睨み据えた。

応接間の蛍光灯がかすかにジジ、と電子音を立て、彼の傍らに置かれた日本刀の漆黒の鞘に、冷たい白い光が走る。

互いの呼吸音すら掻き消そうとする、濃密で張り詰めた沈黙。その静寂が極限まで引き絞られた、まさにその瞬間――。

 

「——キリー・ギャレット少佐。」

 

アエロ——否、キリー・ギャレットは、本当の名前とジオン公国軍時代の階級を告げられても、眉ひとつ動かさなかった。

ただ、その切れ長の瞳の奥に、北米戦線を戦い抜いた元指揮官としての、鋭利な光が戻る。

キリーはテーブルを隔てたカルロスの視線を真っ向から受け止め、低く、だが鋼のような硬度を持つ声で告げた。

 

「ええ、そうよ。アルマも、ミアも、ヘレナも……みんな私が我が子のように、妹のように大切に育て、戦い方を教え込んだ自慢の娘たち。あの子たちが、戦争が終わった今になって、無差別テロに手を染めるような真似をするはずがない。……『妖精の帰還』だなんて、そんな反吐が出るような名前を騙る不届き者は、私自身の手で引きずり出して、息の根を止めてやりたいくらいよ。」

 

その言葉には、一片の揺らぎも、欺瞞もなかった。

かつてジオン地上軍の最前線で、若き少女たちの魂を守り抜いた指揮官としての、絶対的な名誉の証明。

それを聴いたカルロスは、張り詰めていた肩の力をゆっくりと抜き、深く椅子の背もたれに身体を預けた。

執務室を支配していた鋭利な殺気が、微かに霧散していく。

 

「……すまなかったな、キリー。疑うような真似をして悪かった。」

 

カルロスはダークスーツのポケットから煙草を取り出し、火をつけながら、苦渋を滲ませた声で謝罪の言葉を口にした。

 

「事態が事態だ。……2年前、俺が北米の『とある部隊』に極秘裏に引き渡した、例の『ギニアスの遺産』。それを使い、あいつらがこの2年間で完成させた、例の『アレ』が……『アンシーン』と名乗る奴に、横取りされたという情報が入った。奴らの目的は、ガンダム試作2号機だけじゃない。俺たちが準備した切り札を、自分たちの狂信的なテロのガソリンにしようとしている。……だからこそ、俺も冷静さを欠いた。」

 

カルロスの告白に、キリーは一瞬だけ驚愕に目を見張ったが、すぐに得心のいったようにため息をついた。

 

「『ギニアスの遺産』を使った決戦兵器を強奪された……。なるほどね、あなたのその過剰な警戒心も理解できるわ。……でもね、カルロス。」

 

キリーはテーブルの上のサングラスを手に取り、不敵な笑みを浮かべながらカルロスを睨みつけた。

 

「理由はどうあれ、私の自慢の部下たちが、他ならぬ私の『一番の戦友』に疑われたのは、あまり気分のいいものじゃないわ。……少しは反省しなさいよ。大戦中、敵艦隊の弾幕に単機で突っ込んでいった、あの恐れ知らずの『神風カルロス』ともあろう男が、ずいぶんと用心深くなったものね。」

 

「ハッ、手厳しいな。」

 

カルロスは苦笑し、紫煙を吐き出しながら手を振った。

 

「悪かったと言っているだろ、キリー。俺としたことが、守るべき『華星警備』を作り上げたせいで、臆病風に吹かれたらしい。……お前の娘を疑った非礼は、いずれ最上級の酒で購(あがな)うと約束しよう。」

 

「いいわ、その言葉、忘れないでね。」

 

キリーはサングラスを再びかけ、いつもの有能なルオ商会のエージェント、アエロの顔へと戻った。

2人の間に漂っていた一触即発の空気は完全に消え去り、かつてジオンの地上戦線を支えた2人のエースの間に、強固な和解と信頼のラインが再び結ばれた。

 

 

 

キリーは黒檀のテーブルに置いたサングラスへ再び視線を落とし、低く、確かめるような声音で本題を切り出した。

 

「……カルロス。ルオ商会のエージェントとしてではなく、東南アジア方面ジオン残存軍代表として確認しておきたいことがあるわ。宇宙のデラーズ・フリート……あのエギーユ・デラーズらが引き起こした、トリントン基地でのガンダム試作2号機強奪。あなたは本当に、事前に何も知らされていなかったの?」

 

カルロスは口元に咥えた煙草の灰を灰皿へと落とし、自嘲気味に鼻で笑った。

 

「ルオ商会のお前に今さっき言われるまで、トリントンでガンダムが強奪されたなんて大ニュース、こっちは露ほども知らなかったさ。……だがな、キリー。俺の耳に入っていたのは別の『最悪の報せ』だ。こっちは定期連絡を続けていた、例の『ギニアスの遺産』を託した北米部隊の責任者から直々に連絡があった。宇宙のデラーズ・フリートと呼応し、地上で合同戦線網を構築する大規模作戦――コード『リターン・オブ・フェアリー』が発動されたとな。」

 

カルロスは煙草を灰皿に押し付け、その双眸に再び冷徹な現実主義者の光を宿らせた。

 

「だが、蓋を開けてみればどうだ。作戦発動と同時に、『あれ』を管理していた俺の息がかかった部隊は、別の北米ジオン残党に襲撃され、決戦兵器を管理していた連中が拘束された。責任者は命からがら、『制御ユニット』だけを抱えて脱出したが……機体の本体は奴らに確保されちまった。最悪の裏切りだ。……キリー、他の地域の残存部隊はどう動いている?」

 

カルロスの問いに、キリーは深い落胆を隠すように首を横に振った。

 

「東南アジア以外のヨーロッパ、ユーラシア、そして太平洋の各潜伏部隊にも即座にルオ商会の網で一斉に確認を取ったわ。……結果は同じよ。全員がガンダム2号機強奪の事実など露知らず、北米の『リターン・オブ・フェアリー』という作戦名すら聞かされていなかった。完全に蚊帳の外よ。」

 

「……なるほどな。」

 

カルロスは椅子の背もたれに深く身体を預け、天井の白い蛍光灯を睨みつけながら思案に耽った。

 

「そうなると、情報を与えられていたのは北米の極一部の過激派と……。アフリカの武闘派だけ、ということか。」

 

「ええ、私もそう踏んでいるわ。」

 

キリーは深く同意し、手元のデータパッドを指し示した。

 

「ルオ商会がジャブローの暗号通信から引き抜いた情報でも、強奪されたガンダム2号機はすでに潜水艦で太平洋を離れ、アフリカ大陸へ向かう可能性が極めて高いと分析されている。連邦軍の追撃部隊『アルビオン』も、完全にそっちへ兵力を集中させているわ。」

 

「フン……踊らされているな、連邦も、地上の血気盛んな残党どもも。」

 

カルロスは皮肉を込めて吐き捨て、その口から『ガンダム2号機強奪』をした最高指揮官の名を紡いだ。

 

「エギーユ・デラーズ……。一年戦争時はア・バオア・クーでギレン・ザビの盾たらんとした男だ。奴のギレン崇拝は狂信の域にある。確かに大局を見る知将ではあるがな……奴の最悪なところは、自分の掲げる『ジオンの大義』や『軍人としての美徳』のためなら、部下がどれほど死に絶えようが、すべてを自分の思想に染め上げ、平然と激流の巻き添えにすることだ。」

 

カルロスの人物評価に、副官のチエも、黙って話を聴いていたボルクも、重々しく頷いた。

デラーズにとって、地上の残党が戦後にどれほど苦労して生き残るための基盤を作ってきたかなど、知ったことではないのだ。

エギーユ・デラーズにとって、地上に残ったジオン残存戦力は「ジオンの健在を世界に示す」という己の美学の燃料としか、見られていないのだとカルロスは思った。

 

「……ええ、全くその通りよ。」

 

キリーは深く、重苦しい同意の吐息を漏らし、その切れ長の瞳を氷のように冷たく研ぎ澄ませた。

 

「あの男が『戦術核』という最悪のカードを手に入れた以上、地球圏を文字通りの地獄に変えるプランを既に動かしているはずだわ。……だからこそ、カルロス。私は一刻も早く北米へ向かう。この目で、アルマたちが関係していないことを、絶対に確かめなければならないのよ。」

 

「待て、キリー。」

 

荷物をまとめるかのように腰を浮かせかけたキリーに対し、カルロスは遮るように、低く威圧的な声を掛けた。

 

「北米行きは駄目だ。お前をこのままあの大陸へ向かわせるわけにはいかん。……俺は、お前の北米入りに断固として反対する。」

 

「……なんですって?」

 

キリーの顔から表情が消えた。

サングラスの奥から放たれる眼光が、明確な敵意となってカルロスを射抜く。

 

「なぜ止めるの、カルロス。私の部下たちの名誉が懸かっている。あなたに引き留められる筋合いは――」

 

「今、ノイジー・フェアリー隊の隊長であったお前が北米の土を踏めば、事態が致命的なまでにややこしくなる。ただでさえ爆発寸前の火薬庫に、自ら火を放ちに行くようなものだ。」

 

「なぜよ!?」

 

キリーの声が激昂に震え、黒檀のテーブルを激しく叩いた。

だが、カルロスはその気迫に微塵も怯むことなく、軍事戦略家としての冷徹な指を一本ずつ立てて説明を始めた。

 

「理由は3つある。1つ、お前という『本物』が北米の警戒網に引っかかった瞬間、連邦軍は『やはりリターン・オブ・フェアリーはノイジー・フェアリーが関係した』と100%確信する。それだけじゃない。お前の生存を知った北米の残党どもが、本当に『妖精の帰還』が成されたと勘違いし、お前を神輿に担ぎ上げてさらに暴走を加速させる。」

 

 

「っ……!」

 

キリーが言葉を詰まらせる。カルロスは猶予を与えず、二本目の指を立てた。

 

「2つ、お前の存在が明るみに出れば、連邦の捜査のメスは当然、お前の現在の身元であるルオ商会へ、そしてその商会と極秘PMC契約を結んでいる俺たち『華星警備』へも及ぶ。」

 

キリーは悔しさで唇を噛む。

 

「臨機応変に動け、キリー。3つ目だ。」

 

カルロスは三本目の指を立て、その声を深海のような冷たさへと落とした。

 

「ノイジー・フェアリーの名を騙り、核強奪の裏でコソコソと動いているその『アンシーン』とかいう不届き者どもだ。奴らにとって、自分たちの詐欺行為を白日の下に晒しかねない『本物の隊長』の登場は不都合極まりない。……近づけば、お前は奴らの手で、消される可能性が極めて高い。」

 

「……ドルセ。あなたも、カルロスの意見に同意するの?」

 

キリーが縋るように隣を見つめると、ハッカーのドルセはデータパッドを握る細い指を震わせ、苦渋に満ちた声で応じた。

 

「……論理的に見て、カルロスの言う通りだ、アエロ。今、あなたが動くのはリスクが大きすぎる。」

 

「チエ……!」

 

対面に座るヤゴ・チエもまた、眼鏡の奥の切れ長の瞳に冷徹な事務官としての光を宿らせ、静かに首を横に振った。

 

「現在の北米は、連邦軍のウィッチハント隊も含めて、警戒態勢にあります。……ギャレット少佐、今のあなたが、あの北米に向かうのは自殺行為です。」

 

応接間の誰もが、自らの味方をしてくれない。

その冷酷な現実を突きつけられた瞬間、キリーの中で張り詰めていた理性の糸が、音を立てて弾け飛んだ。

 

「何よ……何よそれ!! 誰が勝手にその名前を使っていいと言ったのよ!? アルマたちが、あの子たちが今、どれほど危険な目に遭っているかもしれないと思っているの!部外者になれっていうの!?」

 

キリーはサングラスを激しく剥ぎ取り、涙の浮かんだ瞳でカルロスを睨みつけた。

 

「私はね……! あの子たちにはもう二度と、あんな凄惨な争いに関わってほしくないの! 日の当たる場所で、ただ普通の女の子として、平穏に暮らしてほしいのよ! 私はあの子たちと共に地獄のような一年戦争を駆け抜けて、心から、心から我が子のように部下として愛しているの!!」

 

キリーの絶叫が、防音壁に囲まれた室内に激しく反響する。

カルロスは、その叫びを真っ向から受け止めながら、表情を変えず、ただ彫刻のように無言で彼女を見据えていた。

副官のチエは微かに眉をひそめ、冷徹な事務官の仮面の裏で痛ましげに視線を落とす。

ドルセは何も言えず、液晶の光に照らされたままデータパッドを胸に強く抱きしめた。

そして、くたびれた連邦制服を着たボルク・クライは、かつて多くの部下を失ってきた男の目で、静かに、深く瞼を閉じてその悲痛な叫びを聴いていた。

 

「あの子たちの無実を晴らすために、隊長だった私が北米に行くのが、何で悪いのよ……! 邪魔をしないでよ! 私が……私がどうしても、今すぐ北米へ行かなきゃいけないのよ……!!」

 

叫びの残響が途絶えた瞬間、キリーの膝から、完全に力が抜けた。

 

「……っ、うあ、あ……!」

 

黒檀のテーブルに両手をつき、そのまま床へと崩れ落ちるキリー。

いつもならどれほどの窮地に陥ろうとも不敵に笑い、冷徹に任務を遂行するあの『キラー・ハーピィ』が、まるで迷子の子供のように声を上げて泣き崩れていた。

理屈では分かっていた。カルロスの言う通り、自分が動けば全てが破滅に向かうかもしれない。

だが、アルマ、ミア、ヘレナが、自分たちの愛した『妖精』の名を汚され、命の危機に瀕しているかもしれないと思うと、一刻の猶予も生身の身体が耐えられなかったのだ。

すすり泣くキリーの背中を、地下応接間の白い蛍光灯が、ただ静かに、残酷なほど冷たく照らし続けていた――。

 

 

カルロスは短く刈り込んだ頭をガリガリと乱暴に掻くと、床に膝をついたままのキリーへと、ゆっくりとした足取りで歩み寄った。

 

「……ったく、格好がつかねえな。」

 

いつもの冷徹さをかなぐり捨て、かつて『神風』と恐れられた無頼漢の顔で、眼下の戦友を見つめる。

 

「キリー。お前自身が動けば、事態はただ泥沼になるだけだと言ったはずだ。……なら話は簡単だろ。お前の代わりに、連邦軍のセンサーにも、アンシーンの網にも引っかからない『別の駒』を北米の大陸へ放り込めばいい。」

 

「……え?」

 

キリーは涙に濡れた顔を上げ、呆然とカルロスを見上げた。

 

「普段はどんな修羅場でも澄ました顔をしてやがるお前が、これだけ取り乱して泣き喚くんだ。……なるほどな。本当に、命に代えても惜しくない大事な娘たちなんだな。」

 

「……そうよ。あの子たちは、私の全てよ。私に、人の温かさを教えてくれた……私の大切な、家族なのよ。」

 

剥き出しの言葉を返すキリーを見て、カルロスはフッと、戦場でのみ見せる不敵な笑みをその褐色の顔に蘇らせた。

 

「なら、お前のその『家族』の名誉、俺たちが意地でも守り通してやるのが筋ってもんだろ。……お前自身が動くのが駄目なら、そこにいるお前の相棒、ドルセに全てを任せたらどうだ。ドルセなら『ノイジー・フェアリー』には一切関係ない。それに……元連邦軍なんだろ?」

 

「そう、そうよ……!」

 

キリーは弾かれたように、隣に立つドルセの方へと視線を向けた。

液晶の光に照らされていたドルセは、持っていたデータパッドを静かにテーブルへと置くと、いつものハッカーの顔から、1人の固い決意を秘めた女性の顔へと表情を変えた。

 

「キリー。私が北米へ向かうよ。あなたの代わりに、ノイジー・フェアリー隊の無実を証明してみせる。……私も北米に少なからず因縁があるからね。土地勘も、連邦の通信や暗号の知識もある。私なら、連邦の目を盗んでアンシーンの尻尾を掴めるわ。」

 

 

「ドリス……。でも、あなた1人であの北米の連中を相手にするなんて、あまりにも危険すぎるわ。」

 

キリーが痛切な声を漏らすと、すかさずカルロスが野太い声で割り込んだ。

カルロスは顎をくいっとしゃくり、部屋の隅で腕を組んでいた、あのくたびれた制服の男を指し示した。

 

「心配すんな。ドルセ1人で死地に放り込むほど、俺も焼きが回っちゃいねえ。俺の部隊から、ドルセの確実な足回りと護衛のために、特級の戦力を1人貸し出す。……おい、先生。出番ですよ。」

 

「……は?」

 

ボルク・クライが絶句した。

 

「おいおい、ちょっと待ってくれよ、カルロス。何だっていきなり、この俺が北米なんぞに――」

 

「文句を言うな、先生。あんたは元連邦軍のMSパイロットだ。もしあの大陸で身分を洗われたとしても、チエの戸籍ロンダリングと合わされば『戦後に北米へ帰国した未帰還兵』として言い訳が立つ。それに、元連邦軍の人間同士だ。ドルセとの息も、動きやすさも、ジオンの俺たちより遥かにマシだろうが。」

 

「勝手な男だな、相変わらず……。」

 

ボルクは深いため息をつき、襟を直した。

だが、その愚痴とは裏腹に、その両足はすでに戦場へ赴く戦士のそれとして力強く床を踏みしめていた。

 

「……まあ、いいさ。カルロスの言う通り、勝手に決められたのは気に入らないが。だが、キリー。あんたが部下を思うその必死な心根は、痛いほどよく分かる。それに、俺たちが『華星警備』を立ち上げられたのは、あんたというルオ商会のコネがあったからだ。それに……あの二本槍のパイロット、ソウヤ・タカバの名前を教えてくれたのも、あんただ。……あんたには、恩義がある。」

 

ボルクは優しく、だが確固たる信頼を込めてキリーを見つめた。

キリーは床からゆっくりと立ち上がり、ドルセとボルク、2人の顔を交互に見つめながら、震える声で問いかけた。

 

「ドリス、ボルク……。本当に、本当に私のために、そんな危険な真似をしていいの……?」

 

「言っただろ、恩返しさ。」

 

ボルクは肩をすくめて不敵に笑った。

 

「それに、他人のためにそこまでボロボロになって泣けるあんたの背中を見ちまったら、男がすたるってもんよ。」

 

ドルセもまた、キリーの元へ歩み寄り、その冷たい手をそっと握りしめた。

 

「ルオ商会のビジネスパートナーとしてだけじゃないわ、キリー。私たちはこれまで、一緒に仕事をしてきたじゃない。大切な女友達の家族が危機に瀕しているのを見過ごすほど、私は冷血じゃないわ。」

 

 

元連邦軍。

かつて一年戦争時、ジオンという存在を戦い、銃を握っていたはずの2人の男女。

その2人が今、かつてジオンの『キラー・ハーピー』と呼ばれた自分のために、命を賭けて戦うと言ってくれている。

キリーの目から、今度は激しい感謝と感動の涙が溢れ出た。

 

「……ありがとう。本当に、ありがとう、2人とも……! 連邦軍だったあなたたちに、ジオンだった私がこんなにも救われるなんてね……。この恩は、一生忘れないわ。」

 

かつての敵味方の境界線を越え、個人の絆と恩義によって結ばれた、新たな「北米派遣チーム」がここに誕生した。カルロスはそれを見届け、満足げに鼻を鳴らすと、再び一軍の指揮官のそれへと引き締めた。

 

「よし、事態は急を要す、何が起きるか分からない。これは時間との勝負だ。」

 

カルロスは卓上のコンソールへ鋭い視線を向け、即座に淀みない指示を出し始める。

 

「チエ、お前はドルセと協力して、直ちにドルセと先生が最短で北米へ飛べるよう飛行機の座席を確保しろ。華星警備の出張名目か、ルオ商会の監査員名目かはお前たちに任せる。」

 

「了解いたしました、社長。」

 

ヤゴ・チエが短く応じ、ドルセと共に端末へ超高速のタイピングを刻み始める。

 

「キリー。」

 

カルロスは最後に、涙を拭って立ち上がったかつての妖鳥を見つめた。

 

「お前を北米に行かせるわけにはいかん。だが、その代わりにここで俺と一緒にルオ商会の情報網を使い、地上の全ての情報を調べ尽くすぞ。北米へ向かう2人のために。……文句はねえな?」

 

キリーは深く息を吸い込み、いつもの有能なルオ商会のエージェント、アエロの顔へと戻って力強く頷いた。

 

「ええ、もちろんよ。私の恐ろしさ、デラーズや北米の不届き者どもに骨の髄まで思い出させてあげるわ。」

 

宇宙で始まった『星の屑作戦』という巨大な大津波の裏で、東南アジアの地下要塞から、2人の元連邦軍人が北米の荒野へと解き放たれようとしていた。

連邦軍のウィッチハント隊、そして黒幕たるアンシーン。

それらの思惑を裏から引っ叩くための、カルロス隊独自の作戦が動き出す――。




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
前回の話、後書きを書くのを忘れてました(汗)
前回に登場したゾックはPS2のガンダム戦記に登場した4脚タイプのゾックです。
あのゾック、本当に格好いいですよね。
脚が4つもあるので、スピード2倍みたいな戦闘にしてみました。
そして、今回の話では遂にルオ商会の謎のエージェントのアエロ・ハルピーの正体が判明!
正体はキャリフォルニア・ベースでヤザンと戦った、「キラー・ハーピー」のキリー・ギャレットでした。
話の途中で分かりやすい伏線は出していました。
キリーの偽名の「アエロ・ハルピー」の由来は、妖鳥ハーピーの1体である「アエロ」。
ハーピーの別の言い方の「ハルピー」を合わせたものになっています。
では、次の話も楽しみにしてください。

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