機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第141話 2人のラスト・リゾート【下】

アイナは怯えるようなものではなく、冷徹な兵器の構造を紐解くように、静かに言葉を続けた。

 

「――ですが、どうか安心して欲しいのです、タカバさん。北米にあるそのビグ・ザムには、――『Iフィールド』が搭載されていません。」

 

「Iフィールドが……搭載されていない?」

 

ソウヤは意表を突かれ、再び眉をひそめた。

ビームを完全に無効化するあの防壁がないというのか。

怪訝な表情のソウヤに、アイナは技術者としての分析を語る。

 

「ミノフスキー・クラフトは、確かに戦局を覆すほどの驚異的な技術ですが、膨大なエネルギーを要求します。ドズル中将がソロモンで搭乗したビグ・ザムは、大量のメガ粒子砲とIフィールドを兼ね備えていましたが、あれはあくまでもプロトタイプです。」

 

ソウヤは脳内で機体諸元とエネルギー効率を計算し、すぐに合点がいって息を呑んだ。

 

「……なるほど。高出力のメガ粒子砲に、Iフィールド、そしてミノフスキー・クラフト。その3つを同時に稼働させれば、どれほど優れたジェネレーターであっても、深刻なエネルギー不足と凄まじい排熱異常を起こす。実戦でまともに動かせるはずがない。」

 

「その通りです。北米のビグ・ザムは、Iフィールドを省き、メガ粒子砲とミノフスキー・クラフトの運用と機動性を重視した、量産を前提とした機体なのです。一年戦争の最中、パーツの状態で北米へ運び込まれていました。」

 

理屈の裏付けを得て納得したソウヤだったが、目の前の女性がなぜそこまで、ジオン軍の最高機密であるビグ・ザムの設計やパーツの所在に精通しているのかという疑問を抱いた。

 

「ジャンヌさん……尋ねたいことがあります。なぜ、あなたはそこまで、北米のビグ・ザムのことを正確に把握しているのですか?」

 

「……それは、兄であるギニアスがアプサラス開発の莫大な予算を手に入れるため、ギレン総帥と取引をしたからです。」

 

アイナの説明によれば、アプサラス開発計画そのものはデギン公王の管轄下にあったという。

だが、ジオン軍全体の兵器開発における予算分配の権利を握っていたのは、長男であるギレン・ザビだった。

ただでさえ国庫を圧迫するほど膨大な予算を喰らうアプサラスのような巨大MA開発計画など、通常では申請が通るはずもなかった。

 

「そこで兄は、ギレン総帥の元へ赴き、『完全なミノフスキー・クラフトを自分が完成させる』と進言したのです。ミノフスキー・クラフトの基礎研究と開発を完遂するための見返りとして、アプサラス開発計画の許可と、そのための巨額な予算の承認を要求しました。」

 

当時、ミノフスキー・クラフトの開発は深刻な技術的壁にぶち当たり、難航を極めていた。

その突破口を求めていたギレン・ザビは、ギニアスの野心的な提案と才能に賭ける価値ありと判断し、取引に応じたのだとアイナは告げた。

 

「――ただ、兄はアプサラスの開発そのものに、狂気的にのめり込んでいってしまったのです。」

 

アイナは苦しげに細い肩を震わせ、かつての兄の姿を思い返すように言葉を紡いだ。

 

「天才と呼ばれた兄のギニアスであっても、モビルアーマーを浮かせるためのミノフスキー・クラフトの制御プログラム開発は難航を極めました。焦る兄の元へ、ヨーロッパ方面軍の師団長であるユーリ・ケラーネ少将が訪れ、今後の主戦場は宇宙へと移行する。地球での巨大兵器開発など無意味だと。アプサラス計画の中止を直接ギレン総帥へ進言しようとしていました。」

 

 

ソウヤは、オデッサ作戦の過酷な戦場を思い出し、アイナの言葉を静かに噛み締めた。

 

「ケラーネ少将に計画を潰されるわけにはいかない……。追い詰められた兄は、アプサラスの完成を急ぐあまり、ギレン総帥との約束だった『北米へのシステムの引き渡し』を、完全に疎かにして後回しにしてしまったのです。……そして、運命のオデッサ作戦が発動しました。」

 

アイナは静かに首を横に振った。

 

「連邦軍によってオデッサが陥落したことで、ヨーロッパから北米へと繋がっていたジオンの経路は、完全に遮断されてしまいました。システムを渡したくても、物理的に渡せない状況になってしまったのです。結局、未完成のビグ・ザムだけが北米に残され、それを動かすためのシステムは、私たちのいた東南アジアのアプサラス基地に取り残されたんです。」

 

 

重く昏い沈黙が、美しい湖畔の空気を包み込む。アイナは真っ直ぐにソウヤの蒼い瞳を見つめ、サハリン家の、そしてアプサラス計画の最後の一幕を静かに告げた。

 

「最後は……ご存知の通りです。アプサラス開発基地は地球連邦軍に取り囲まれ、完全に孤立しました。そして、狂気に完全に呑まれ、狂ってしまった兄のギニアスは……最後は、私たちの手で、その命を討ち取ったのです。」

 

実の兄を自らの手で葬らねばならなかったという、凄絶な過去の告白。

ソウヤはその言葉の裏にある、剥き出しの悲痛さと、それでもなお「カートとジャンヌ」として生き抜こうとする2人の意志に、感服するしかなかった。

 

「――ありがとうございます、アイナさん。あなたのおかげで、すべてが繋がりました。北米で過激派どもが組み立てている最悪の怪物、その『真の正体』が。」

 

ソウヤは深く頭を下げ、アイナの命懸けの情報提供に心からの感謝を述べた。

そして、その美しい蒼い瞳に一点の曇りもない決意を宿らせ、真っ直ぐに彼女を見据える。

 

「約束します。そのビグ・ザムが起動して北米を焼き尽くす前に、俺が必ず止めてみせます。」

 

「ええ……。どうか、お願いいたします。」

 

アイナは哀しげに目を伏せ、かつて自分が爆破したアプサラスの残骸を思い浮かべるように、胸元で細い両手をきつく握り締めた。

 

「兄が遺した技術が、これ以上、多くの人たちの命を奪う行為に利用されるのは、もう耐えられません。どうかあなたの手で、今度こそ終わらせてください……お願いします。」

 

託されたバトンの重み。それをソウヤが受け止めようとした、まさにその瞬間だった。

 

(――っ、が、あぁ……ッ!?)

 

唐突に、ソウヤの脳髄へ焼け付くような強烈な「映像」が津波となって流れ込んできた。

ソウヤは呻き声を上げ、割れるような激痛に耐えるように両手で頭を強く押さえ、激しく苦しみ始めた。

視界が真っ赤に、そして黄金色に染まる。

ソウヤの目の前に広がったのは、見たこともない一面の広大な「麦畑」の光景だった。

しかしその美しいはずの空の向こうから、天空を覆い尽くさんばかりの、巨大な円筒形のシリンダーが金色の麦畑に落ちてくる。

 

『コロニー落とし』。

 

それはまるで、かつて聖書に記された神の怒りによるこの世の終わり――ソドムとゴモラの滅亡であり、全人類の最終決戦であるアルマゲドンそのものの地獄絵図だった。

コロニーが地表へと激突した瞬間、世界が爆裂した。

大気が一瞬にして超高熱へと融解し、地平線の彼方から地球そのものを圧し潰すような、凄まじい衝撃波と炎の熱波がソウヤの肉体へと容赦なく襲いかかってきたのだ。

 

(熱い、身体が……皮膚が、焼ける――ッ!?)

 

それは単なる幻覚ではなかった。

ソウヤはその襲い来る熱波のなかで、まるで自らの肉体が本物の焦熱に焼かれ、炭化していくかのような、剥き出しの絶望的な『痛み』をその五体で確かに感じ取っていた。

 

「タカバさん!?タカバさん、しっかりしてください!どうされたのですか!?」

 

アイナの悲鳴のような心配の声が、遠くの霧の向こうから聞こえた。

その声に弾かれるようにして、ソウヤはハッと我に返った。

気づけば、全身から滝のような冷や汗が流れ落ち、呼吸は激しく乱れていた。

美しい湖畔の澄んだ風が、ソウヤの焼けたはずの頬を優しく撫で通り抜けていく。

 

「……はぁ、はぁ、……す、すみません、ジャンヌさん。少し、急な立ちくらみがしてしまっただけです。もう……大丈夫ですから、安心してください。」

 

ソウヤは荒い息を整えながら、ヘルメットのシールドを上げて汗を拭い、アイナをこれ以上動揺させないよう無理に柔和な笑みを作ってみせた。

だが、アイナはその深い緑の瞳を曇らせたまま、ただの立ちくらみとは到底思えない彼の異様な苦しみ方に、今なお強く心配そうな顔を崩そうとはしなかった。

ソウヤは少しの間を置き、自らの乱れた鼓動が落ち着くのを待った。

そして、魂の底にトゲのように突き刺さったまま抜けない、あの『絶望の問い』を、アイナへと投げかけた。

 

「――ジャンヌさん。1つ、個人的な質問をさせてもらってもよろしいですか。」

 

「ええ……。私に答えられることなら、何でも。」

 

「カートさんは、元地球連邦軍のモビルスーツパイロット。そして、ジャンヌさんは、ジオン公国の御令嬢。……お互いがお互いを憎み、殺し合うために銃を握っていたはずの2人が……どうして、『夫婦』になれたのですか?」

 

ソウヤの口から飛び出した、あまりにも突然で、調査とは無関係な意外すぎる質問に、アイナは驚いたように緑の瞳を大きく瞬かせた。

 

「大尉殿……どうして、急にそのようなことをお聞きになるのですか?」

 

ソウヤは自らの柳のような黒髪を僅かに揺らし、遠くのヒマラヤの白銀の連峰を見つめながら、ぽつりぽつりと胸の内を吐露し始めた。

 

「……先日、ある民間軍事会社の社長と会話を交わしたんです。その男に、言われました。『スペースノイドとアースノイドの間にある溝は、お前1人のささやかな祈りで埋まるほど浅くはない。お前のやっていることは、彼らを生き地獄へ突き戻す残酷なエゴだ』と。……俺は、ルナリアンの父と、地球の母の間に生まれたハーフです。だから、そんな宇宙と地球、生まれと生まれの間にある『絶望的な溝』という差別が、よく分からないんです。」

 

ソウヤは再び、アイナの目を真っ直ぐに見据えた。

その蒼い瞳には、カルロスのリアリズムに論破され、深い迷いが剥き出しになっていた。

 

「スペースノイドとアースノイドが対立する、この世界で……なぜ、あなたたちは、その溝を越えて分かり合うことができたのですか?」

 

アイナはソウヤの切実な問いかけを、深く、そしてすべてを包み込むような優しい緑の瞳で受け止めた。

 

 

 

 

彼女は薄緑の髪を風に揺らしながら、丸太の椅子の上で、地獄の戦場で掴み取った愛の記憶を丁寧に手繰り寄せ始めた。

 

「最初から、今のように手を繋げていたわけではありません。……当然です。私たちは最初、冷たい真空の宇宙で、お互いに殺し合うために銃を向け合っていたのですから。」

 

アイナはそう言って、ほんの少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。

 

「だけど……私とシローは戦闘の果てに、大破した戦艦の中で共に遭難してしまいました。極限の状況のなかで、私たちは生き残るために、敵という境界線を忘れて互いに助け合う境遇になったのです。凍えるような暗闇のなかで、私たちは互いに協力し合い、奇跡的に危機を脱しました。それが、すべての始まりでした。」

 

ソウヤは黙って、アイナの言葉の一言一言を魂に刻み込むように聴き入っていた。

 

「その後、私たちは偶然にも、この東南アジアの過酷な密林で『敵』として再会しました。そして運命の悪戯のように、今度はあのヒマラヤ山脈の吹雪のなかで、また同じように2人だけで遭難してしまったのです。……私たちはまた、あの宇宙の時のように互いに手を取り合い、温め合い、助け合いました。」

 

アイナは山小屋の扉の方へ視線をやり、愛おしそうに目を細めた。

 

「その時です。シローは私を『ジオンの女』としても、ザビ家の下で戦う『サハリン家の女』としても見なかった。ただの『アイナ』という、1人の不器用な女として私自身を真っ直ぐに見てくれたのです。……それは、兄ギニアスの呪縛に囚われ、人形のように生きるしかなかった私にとって、何よりも救いでした。」

 

「1人の人間として、見てくれた……。」

 

ソウヤは、カルロスが突きつけた「国家や組織という巨大で全体的な壁」が、彼らの前では最初から意味を成していなかった事実に息を呑んだ。

 

「シローも、ブリティッシュ作戦で、ジオンの毒ガスによって愛する家族や故郷のすべてを奪われ、ジオンという存在を激しく憎悪していました。……ですが、私という1人のジオンの人間と生身で接したことで、彼は『ジオンの人間も、自分たちと同じように泣き、笑い、必死に生きている人間なんだ』と、心から理解してくれたのです。もちろん、シローのなかにあるジオンが犯した虐殺への憎悪は、今でもすべてを綺麗に消し去ることはできません。……それでも、私たちは分かり合うことができ、そして、チサが生まれたんです。」

 

アイナの口から紡がれた『チサ』の名前に、ソウヤはふと視線を落とした。

 

「チサ……可愛らしい、素敵な名前ですね。」

 

「ええ。ですが。その名前の本当の由来は……シローの、アイランド・イフィッシュで亡くなってしまった、最愛の妹さんの名前なのです。」

 

「え……っ。」

 

「あの人は、自分がどれほど幸せになっても、あのアイランド・イフィッシュで起きたコロニー落としの悲劇を、亡き妹さんのことを、絶対に忘れないためにと……あの子にその名を名付けたのです。」

 

ソウヤの脳裏に、先ほど強烈なビジョンとして流れ込んできた、あの空からコロニーが落ちて地表を焼き尽くす最悪の焦熱の光景が、激しい生々しさをもって蘇った。

シローの抱える消えない傷の深さを知り、ソウヤは胸が締め付けられる。

 

「私も、ジオンという国家が犯してしまった取り返しのつかない過ちを、そしてシローがどれほど妹さんを想い、その痛みを背負って生きているかを深く理解していましたから……。だから、その名付けを許したのです。」

 

アイナは丸太のテーブルの上に両手をそっと置き、山小屋から漏れ聞こえる小さなチサの笑い声に、慈愛の眼差しを向けた。

 

「国家の犯した罪も、個人の抱える消えない憎しみも、私たちの間から完全に消えることはありません。……だけど、それでも、私たちの間に生まれてきてくれた娘であるチサは、この上なく愛おしく、私たちはあの子を心から愛している。アースノイドとスペースノイドがどうこうではなく、ただの父親と母親として、目の前の愛を育み、生きているのです。」

 

それは、カルロスの突きつけた「アースノイドとスペースノイドは分かり合えない」という冷酷な世界全体の歪みを、世界で唯一、否定する証明だった。

ソウヤの美しい蒼い瞳の奥にたまっていた曇りが、アイナとシローが育んだ楽園の光景を見て、払われようとしていた。

 

「――ありがとうございます、ジャンヌさん。……いえ、アイナ・サハリンさん。」

 

ソウヤは丸太の椅子からゆっくりと立ち上がり、自らの迷いをすべて洗い流してくれた目の前の女性に向けて、深く一礼を捧げた。

 

「俺は今、ようやく探していた『答え』を獲ることができたかもしれません。」

 

顔を上げたソウヤの蒼い瞳には、もう先ほどまでの痛々しい曇りは微塵も残っていなかった。

カルロスに突きつけられた「アースノイドとスペースノイドという、国家や組織が強いる全体の論理」の呪縛は、アイナが語った「目の前の1人の人間をしっかりと見て、理解しようと思い続ける」という個と個の真実によって、跡形もなく打ち砕かれていた。

国がどれほど腐っていようと、システムがどれほど不和を生み出そうと、戦場で引き金を引く指を止め、目の前の「個」を救うことには絶対的な意味がある。

ソウヤが救い、宇宙へと帰したジオン兵たちもまた、いつか「地球連邦軍」という記号ではなく、「ソウヤ・タカバという1人の人間」が自分たちの命を重んじてくれたという真実を、その個人の生活の中で思い出してくれるはずだ。

 

「その社長は、死に場所を求める戦士から誇りを奪う残酷なエゴだと言いました。私がやっているのは、世界を救えないただの自己満足なのだと。」

 

ソウヤは溢れんばかりの確信を胸に、澄み切った声で言葉を繋いだ。

 

「ですが、違いました。俺が戦場で手を差し伸べようとする、この手は間違いじゃなかった。俺は……この想いを、最後まで抱きたいと思います。」

 

アイナはそのソウヤの澱みない蒼い瞳を見つめ、彼が背負うと決めた険しい道のりに胸を痛めつつも、本当に嬉しそうに頷いた。

 

「――ありがとうございました。すぐに基地へ戻り、ブレックス准将へこの危機を伝えます。北米の、あなたの最後の呪縛を解いてみせます。」

 

ソウヤは力強く言い残すと、軍用オフロードバイクへと跨がった。

キックペダルを鋭く踏み抜くと、単気筒のエンジンが再び乾いた咆哮を上げる。

ソウヤはアイナに向けてもう一度深く頷いてみせると、陽光の差し込む針葉樹林へと、弾丸のように駆け下りていった。

 

 

 

アイナはその小さくなっていくエンジン音の残響を、湖畔の静寂のなかで静かに見送っていた。 

完全に気配が消え去った頃、山小屋の木製の扉が開き、チサをあやし終えたシローが松葉杖を突いて外へと出てきた。

 

「……行ったか、ソウヤは。」

 

「ええ、カート。……あの方はきっと、兄の遺した最後の呪いを、本当の意味で終わらせてくださるわ。そんな確信が持てるほど、真っ直ぐな瞳をしていた。」

 

アイナは遠くの山並みを見つめたまま応じたが、その横顔には、どこか割り切れない深い陰が落とされていた。

シローは妻のその隠しきれない曇りに気づき、松葉杖に体重を預けながら優しく問いかけた。

 

「ジャンヌ。……何をそんなに心配しているんだ?」

 

アイナは深く息を吐き出し、胸元で自らの細い指先をきつく握り締めた。

 

「……あの人、どこか、ノリスに似ているのです。自分が信じたもののために、……自分の命を最初から天秤に載せているような、あの危うい気配が、どうしてもノリスと重なってしまって……。」

 

大切な父親代わりに想っていた老将の、戦場での壮絶な最期。

その記憶がソウヤの背中と重なり、アイナの心を痛めていたのだ。

だが、シローはそれを聴くと、フッといつもの屈託のない、それでいて絶対の信頼を込めた笑顔を浮かべて首を横に振った。

 

「大丈夫さ。あいつは……あのサンダースが認めた男なんだ。どんな荒野であっても、あいつなら絶対に生き残ってすべての困難を乗り越えてみせるさ。俺たちの時が、そうだったように。」

 

「……カート。そうね、あなたの言う通りだわ。」

 

シローの不器用で、しかし何よりも力強い言葉に、アイナの表情にもようやく柔らかな安堵の笑みが戻った。

――その時だった。 うっそうとした森の影から、カサリと草を分ける音がして、1人の女性が姿を現した。

長い金髪を後ろにまとめ、ビジネススーツにコートを羽織った女――キリー・ギャレットが歩み寄ってきたのだ。

 

「――彼は、もう発った後かしら?」

 

「ええ、キリーさん。今しがた、基地に向けて下山されましたわ。」

 

アイナの答えを聴き、キリーはサングラスを外して、張り詰めていた肩の力をそっと抜いた。

そして、ルオ商会のエージェントとしての仮面を捨て、かつてのジオン地上軍少佐としての、1人の気高き戦士の礼節をもって、2人の前で深く、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございます、アイナ様。そしてシロー・アマダ。あなたたちの掴み取った平穏な生活を、私たちの勝手な都合で脅かすような真似をして、本当に申し訳ありませんでした。……だけど、あなたたちが遺産の正体を彼に繋いでくれたおかげで、私の部下たちの名誉と未来は、汚名を着せられる前に救われる道が見えました。……この御恩は、生涯忘れません。」

 

頭を下げ続けるキリーの背中を見つめながら、シローとアイナは静かに微笑み合い、これですべてのピースが繋がったことを確信した。

 

「――それで、キリー。例の約束だが……本当に、俺たちをこれ以上ない安全な場所へ移住させてくれるんだろうな?」

 

シローは腕を組み、松葉杖を片手で支えながら、元敵将である彼女を真っ直ぐに見据えた。

キリーが提示した「ルオ商会の息がかかった新天地へのエスケープ」。

それが本当に履行されるのか、家族を背負う父親としての確認だった。

 

キリーは深く下げていた頭をゆっくりと上げると、サングラスの奥の目を真っ直ぐにシローへと向けた。

 

「ええ。サンダース曹長と交わした約束通り、あなたたち一家をこの場所よりも安全な場所へ移住させるわ。この誓いは、私の命を懸けて、必ず果たしてみせる。……元脱走兵のあなたと、サハリン家のお嬢様が、ラサ基地があるこの土地にこれ以上留まり続けるのは、どう考えても危険すぎるもの。」

 

「……はは、それもそうだな。ありがとう、キリー。」

 

シローはふっと肩の力を抜き、かつての戦前の頃のような屈託のない笑顔を浮かべた。

 

「正直に言うよ。君がルオ商会のエージェントとして、ここに突然現れて情報提供を頼んできた時は、流石に驚いたし、警戒もした。……だけど、1年前にラサの街でアイナの窮地を命に代えても救ってくれた恩があった。何より……あのサンダースが、タカバ大尉に絶大な信頼を置いていたこと。そして、あなたがサンダースの『伝言』を持ってきたからこそ、俺はあんたを信じることに決めたんだ。」

 

シローからの言葉に、キリーは胸を衝かれたように僅かに目を見張った。

その傍らで、アイナもまた薄緑の髪を風に揺らしながら、穏やかに微笑んでキリーを見つめる。

 

「ええ、私もですわ、キリーさん。1年前、あのラサの広場で私を助けてくださった記者の方が、かつて『キラー・ハーピー』と謳われた、ジオンの女性エースパイロットのキリー・ギャレット少佐だったなんて……。夢にも思っていませんでしたわ。」

 

「ふふ……。世間なんて狭いものね。特に、あの地獄の一年戦争を生き延びた私たちには…。」

 

キリーは自嘲気味に、しかしどこか誇らしげに目を細めると、サングラスを再びかけ直す。

 

「移住のための遣いを数日後に寄越します。それまでに荷造りを済ませておいてください。」

 

キリーが毅然とした口調で告げると、シローとアイナは「ああ、分かった」「よろしくお願いします」と会釈した。

 

別れの時が近づくなか、アイナはふと、素朴な疑問をキリーに投げかけた。

 

「キリーさん。……あなた様がそこまでして、あの人の力になろうとするのはなぜですか?」

 

キリーは一度足を止め、遠くの白銀の峰を見つめてから、サングラスの奥の目を僅かに細めた。

 

「一年戦争のキャリフォルニア・ベースでね……。私は彼がかつて所属していた部隊と交戦して、追い詰められたの。だけど、彼の仲間に見逃されて、命を救われた。……それから戦後、彼がこの東南アジアでジオンの残党を殺さずに共和国へ送還している事実を知って、強い好感を抱いたわ。……でも、一番の理由はね、彼の生き方が、あまりにも危なっかしくて見ていられないからよ。だから、少しでも助けになりたいと思っただけ。」

 

その危うい背中を守るりたいという本音に、シローとアイナは納得し、穏やかな微笑みを返した。

 

「私も、北米の『偽物の妖精』どもを片付ける仕事が残っているので。これで失礼するわ。」

 

キリーはコートの襟を立てると、長い金髪をなびかせ、風のように針葉樹の森の奥へと消え去っていった。

静寂が戻った湖畔で、シローとアイナは長年暮らしたこの美しい風景を見回した。

住み慣れた土地を離れる侘しさと寂しさは、確かに2人の胸を締め付けた。

だが、新天地では連邦の影に怯える必要のない安定した職と、まだ幼い我が子の健やかな子育てに適した環境が保証されている。

そう自分たちに言い聞かせるように、2人は手を取り合った。

 

「パパ! ママ!」

 

山小屋の扉から、2歳になった愛娘のチサが、無邪気な笑顔でトコトコと2人の元へ駆け寄ってきた。

シローは愛おしそうに娘を抱き上げ、その黒髪をなでながら、雄大なヒマラヤの山並みを静かに仰ぎ見た。

その脳裏に、キリーの口から伝えられた、サンダースの伝言が蘇る。

 

『あの一年戦争の戦場で、死神のジンクスに囚われていた自分を救ってくださり、ありがとうございます。そして……最後まで、隊長を守りきれなかったこと、本当に申し訳ありません。』

 

(はは……相変わらず不器用で、サンダースらしい実直な言葉だな。)

 

シローの視界が、熱い涙で僅かに滲んだ。

だが、さらに続きの伝言があったのだ。

 

『情報提供のためにそちらへ向かう、ソウヤ・タカバ大尉は、心から信用できる人物です。隊長を失い、失意の底で沈んでいた俺の腕をもう一度引っ張り上げ、あなたの遺した理想を継ぐように、多くのジオン兵を殺さずに宇宙へ帰してくれました。そして、俺に競技会優勝という、一軍人として過分なほどの最高の栄誉を与えてくれた、俺のもう1人の自慢の隊長です。だから……どうかタカバ大尉のことを、俺を信じるように信用してください。』

 

「――そうか、お前が再起するくらいの男だもんな。」

 

シローは胸の奥から湧き上がる深い敬服の念と共に、遠くの青空へと呟いた。

かつて自分が軍を捨てて戦場に残していった小さな理想の種。

それが、サンダースから、ソウヤへと確かに受け継がれたのだから。




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

今回、ついに北米に眠る『ギニアスの遺産』の本当の正体が明らかになりました。

その正体は、Gジェネレーションシリーズに登場する機体「量産型ビグ・ザム」です。

量産型ビグ・ザムにはIフィールドが搭載されておらず、その代わりにミノフスキー・クラフトが搭載されている、という設定があります。

そこで今回は、そこから私なりの独自解釈を膨らませ、「ビグ・ザムとアプサラスは、実は同じ技術的系譜の中に存在していた」という設定にしてみました。

アプサラスのような巨大MAを重力下で浮上・飛行させるには、当然ながら莫大な開発費が必要になります。

では、なぜギニアス・サハリンのアプサラス計画に、そこまで巨額の予算が与えられたのか。

ここに私は、量産型ビグ・ザムの設定を繋げてみました。

本来のビグ・ザムには、ミノフスキー・クラフトを搭載する計画があった。

それならば――

「ギニアスがミノフスキー・クラフトの実用化技術を開発する代わりに、その技術をジオン軍へ提供することをギレン・ザビに約束し、その見返りとしてアプサラス計画の巨額な予算を引き出した」

とすれば、アプサラス計画が継続された理由にも説得力を持たせられるのではないか、と考えました。

そして、この設定にすると、ユーリ・ケラーネ少将がギニアスに対して「アプサラス計画をギレン総帥に報告する」と迫ったことにも、別の意味を持たせることができます。

ギニアスにとってアプサラスは、単なる兵器開発ではありません。

自分の研究者としての存在意義そのものになっていた。

だからこそ、ギレンとの約束を果たすことよりも、アプサラスそのものの完成を優先してしまった。

その結果、ミノフスキー・クラフトの技術は、ビグ・ザム系列にも受け継がれていくことになります。

そして、ここで一つ。

「では、なぜ量産型ビグ・ザムが北米にあったのか?」

これにも理由があります。

単純に言えば――

ジャブローに近かったからです。

一年戦争当時、ジャブローは地球連邦軍の中枢。

ジオン公国にとって、そこを直接攻撃することには非常に大きな戦略的価値があります。

そこでミノフスキー・クラフトを搭載した大型MAを北米に配備しておき、完成した暁には、北米からジャブローへ向けて直接強襲を仕掛ける。

つまり北米の量産型ビグ・ザムは、単なる地上戦用の大型MAではありません。

「ミノフスキー・クラフトによって北米からジャブローを強襲するための戦略兵器」

として配備されていた、という設定です。

ジャブローまでの距離を考えれば、北米は巨大MAを運用するための拠点としても都合がいい。

そして、もし完成していれば――

北米の大地から飛び立ったビグ・ザムが、ジャブローを直接襲撃する。

それがジオン側の構想でした。

しかし、量産型ビグ・ザムは完成しなかった。

そして、北米へ運ばれていた機体だけが、長い年月を経て残されることになった。

それが、カルロス達が準備していた『ギニアスの遺産』です。

こうして考えてみると、ギニアスが残したものはアプサラスそのものではありませんでした。

アプサラスを完成させようとして生み出された技術が、別の巨大MAを完成させるための最後のピースになっていた。

そして、その行き着く先が北米の量産型ビグ・ザムだったわけです。

そして、今回もう一つ描きたかったのが、ソウヤの「答え」です。

前回、カルロスとの問答によって、ソウヤは自分が信じてきた生き方そのものを揺さぶられました。

「人を救うとは何なのか」

「戦うことに意味はあるのか」

「自分が戦い続ける理由とは何なのか」

ソウヤは答えを出せずにいました。

カルロスの言葉は、決して間違ってはいません。

ソウヤ一人が戦場でジオン兵を救ったところで、世界から戦争がなくなるわけではない。

アースノイドとスペースノイドの対立が消えるわけでもない。

では、それでも自分が目の前の人間に手を差し伸べることに意味はあるのか。

その答えを求めて、ソウヤはアイナに問いかけました。

そこでアイナが語ったのが、シローとの物語です。

連邦軍とジオン。

アースノイドとスペースノイド。

敵と味方。

そんな大きな括りを一度取り払ってしまえば、そこにいたのは、ただの「シロー」と「アイナ」という二人の人間だった。

二人は互いを敵という記号ではなく、一人の人間として見つめた。

その結果、二人の間には家族が生まれた。

もちろん、それだけで戦争の罪が消えるわけではありません。

それでも二人は、一人の人間として互いを理解し、共に生きる道を選んだ。

その姿を目の前で見たことで、ソウヤはようやく自分の答えを得ることができました。

「世界を救えなくても、目の前の一人を救うことには意味がある」

ソウヤがこれまで戦場で選び続けてきた道は、世界を一人で変えるためのものではない。

ただ、目の前にいる一人の人間を「敵」という記号だけで見ないためのものだった。

だからソウヤは、もう一度、自分の信念を選び直します。

カルロスの言葉を否定するのではなく、その現実を理解した上で、それでも自分はこの道を歩くと決める。

それが今回、ソウヤが得た「答え」です。

そして、今回のタイトル。

『2人のラスト・リゾート』

これは、シローとアイナが暮らしていた、あの美しい湖畔を指しています。

一年戦争という地獄を生き延びた2人が、敵でも味方でもなく、ただ一人の人間として生きることのできた場所。

2人にとって、最後に辿り着いた安息の地です。

しかし同時に、あの場所はソウヤにとっても「ラスト・リゾート」だったのではないかと思います。

カルロスとの問答によって、自分の信念に迷いが生じていたソウヤ。

そんな彼が、シローとアイナの生き方を目の前で見て、もう一度、自分の答えを取り戻した。

あの湖畔は、ソウヤが再び戦場へ戻るための、最後の心の避難所だった。

だからこそ、ソウヤは再び北米へ向かいます。

今度は迷いながらではありません。

自分が信じるものを、自分自身の意志で選んだ上で。

そして北米には、その信念を試す怪物――量産型ビグ・ザムが待っています。

ギニアス・サハリンが遺した技術。

一年戦争時代にジャブローを狙って配備された巨大MA。

そして、それを現代の戦場で利用しようとする者たち。

果たしてソウヤは、ギニアスが残した最後の呪縛を断ち切ることができるのか。

次回もよろしくお願いいたします。

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