機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

20 / 71
第19話 土竜

地球連邦軍本部・ジャブロー

 

宇宙船ドックへ続く無機質な廊下。

靴音が規則正しく響く。

襟には金の星が二つの中将の階級章が輝いていた。

男は口元に薄い笑みを浮かべ、背筋を伸ばして歩いていた。

機嫌が良い、それも当然だった。

北米キャリフォルニア・ベース奪還作戦は連邦軍の勝利で完結した。

残っていたジオン軍を駆逐し、マスドライバーも完全に奪還。

公式発表は華々しく、軍上層部もメディアも歓喜に沸いている。

自分の悪行を知りすぎた連中も宇宙へ上がったHLVごと、配下のサラミス級に「デブリ処理」の名目で粉々に吹き飛ばした。

自分が任されている北米大陸は平定され、自分の悪行を知っている目障りな連中の口も塞がった。

もはや自分を縛る鎖は一本もない。

 

「次の舞台は宇宙だ。」

 

グレイヴは小さく呟いた。

レビル将軍の理想を自分の手で完璧に実現する時が来た。

宇宙船ドッグの入り口まであと30メートル。

部下が敬礼し、扉が開く。

その瞬間、「グライフ中将。」たった一言。

静かで、抑揚のない、しかし、誰もが聞き覚えのある声だった。

グライフは反射的に振り返った。

廊下の突き当たり、薄暗がりの中に立つ利将。

 

 

地球連邦軍参謀本部ゴップ大将。

 

 

誰もが顔くらいは知っている。

公式行事の最前列に座る、

いつも少し眠そうな目をした、太めの中年の男性。

年に一度の戦没者追悼式典や、新任将官の拝命式には必ず姿を見せる。

前線視察は滅多にないがジャブローに集結したの部隊の調整や予算委員会の報告会にも、ふらりと現れて、兵士たちに話を求めることもある。

だからこそ、今ここにいることが異常だった。

この男が公式日程でもない、しかも宇宙船ドックまで、自ら足を運ぶことなど、これまで一度もなかった。

部下たちは一瞬で姿勢を正し、最敬礼のまま固まる。

ゴップはゆっくりと歩み寄る。

足取りはゆったりしているのに廊下の空気が、どんどん重くなっていく。

まるで、ジャブロー全体の重さが、この一人の男に凝縮されているかのようだった。

ゴップはの前で立ち止まり、いつもの少し眠そうな目で静かに告げた。

 

「少し、時間をくれないか。中将?」

 

その声は穏やかだった。

しかし、誰もが知っている。

この男が自ら名指しで呼び止めたとき、「断る」という選択肢は存在しない。

グレイヴの喉が小さく、確かに鳴った。

グレイヴは一瞬だけ視線を伏せ、やがて静かに頷いた。

 

「……承知しました。ゴップ大将。」

 

ゴップは小さく、満足げに鼻を鳴らした。

 

「うん。そう言ってくれると助かるよ。」

 

それだけだった。

先ほどまでの賑やかさは影を潜め、ただ穏やかな微笑みを浮かべるだけ。

だがその一言で廊下の空気が、さらに重くなった。

グレイヴは内心で舌打ちしながらも表情を崩さず、「どうぞご案内ください」と短く返した。

ゴップは軽く顎をしゃくり、先に立って歩き始める。

足取りはゆったりしている。

しかし、一歩ごとに背後を歩くグライフの肩に確実に重しが乗っていくような錯覚があった。

二人の靴音だけが規則正しく、静かにジャブロー深部の闇へと続いていく。

残されたグライフの部下達は誰も何も言わない。

ただ、ゴップの背中がどこまでも大きく、どこまでも遠く見えた。

 

 

 

 

 

 

 

二人はほとんど使われていない小さな会議室へと入った。

部屋は無駄な装飾を一切排した、ジャブロー特有の灰色の壁と床。

長テーブルが一つ、椅子が十二脚。

それだけ。

ただ、上座のテーブルには、黒革のファイルが4つ、そして数枚の書類が待っていたかのように整然と置かれていた。

蛍光灯の光がファイルの背表紙を冷たく照らす。

ゴップは自然に上座へ歩み、椅子に腰を下ろす前に、軽く手を振って示した。

 

「座ってくれ、中将。」

 

グライフは無言で、上座から三席離れた位置に腰を下ろした。

扉が閉まる音が静かに、重く、部屋に響いた。

あとはただ、ファイルの匂いと空調の低い唸りだけが二人を包んでいた。

 

 

ゴップはゆっくりと椅子に深く腰を沈め、両手をテーブルに置き、穏やかな笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

「まず最初に、北米キャリフォルニア・ベース奪還作戦の成功、おめでとう。」

 

声は低く、確かに部屋全体に響く。

 

「君の指揮の下、我が軍は重要な戦略拠点を予定より早く、かつ人的損害を最小限に抑えて奪還した。参謀本部としても、これほど見事な結果は望外の喜びだ。」

 

ゴップは軽く頷き、まるで本当に嬉しそうに指先でテーブルのファイルを軽く叩いた。

 

グライフは一瞬だけ目を細めた。

 

(……祝辞?このタイミングで?この男が、自ら私を呼び止めてまで……)

 

内心では警戒の糸をさらに張りつめながら、表情はあくまで謙虚に姿勢を正して応えた。

 

「恐縮です。これは参謀本部の補給支援と前線部隊の奮戦の賜物です。私個人へのお言葉は、身に余る光栄です。」

 

口調は丁寧で声は落ち着いている。

だが、背筋は冷たい汗でわずかに濡れていた。

ゴップはその言葉を聞き終えるとただ静かに微笑んだまま、一つのファイルをゆっくりと自分の手元に引き寄せた。

 

「さて、中将。君に渡している補給品について、ちょっとした質問があるんだがね。」

 

穏やかな口調だった。

まるで、コーヒーの銘柄を聞くような軽さだ。

グレイヴは背筋を固くし、無言でゴップを見つめた。

 

(来たか……)

 

ゴップは指先で紙を軽く叩きながら、

ゆっくりと読み上げ始めた。

 

「オーガスタ補給線、過去八ヶ月間。

脳神経刺激剤 EB-AX2型 ……420リットル

副作用抑制剤 GAT-X25 ……………180キロ

極低温保存溶液 GB-9700 ………900リットル

それと、軍の認可リストに載っていない

強化用試薬JDG-009X……12アンプル。」

 

一言ごとに空気が、一ミリずつ冷えていく。

 

「これらの薬品は正規のモビルスーツ部隊や通常の野戦病院では絶対に必要ない量だ。」

 

ゴップは顔を上げ、眠そうな目でまっすぐにグレイヴを見据えた。

 

「一体、オーガスタで何をやっているのか、聞かせてくれないかね?中将?」

 

最後の二文字はまるで、鋭利な刃のように静かに確かにグレイヴの喉元に突き刺さった。

 

グライフは一瞬だけ視線をファイルに落とした。

 

(……補給記録か。やはり、そこから来たか。薬品の流れは私が完全に掌握していたはずだ……いや、違う。この男は補給そのものを握っている。最初から、逃げ道などなかった。)

 

喉の奥が熱い。

鼓動が耳の奥でうるさい。

だが顔は動かさない。

何十年も鍛えた仮面は、まだ割れていない。

 

「……大将、これは」

 

グレイヴはゆっくりと息を吐き、声の震えを殺して、まるで他人事のように淡々と語り始めた。

 

「北米戦線は長引いております。兵士の疲労は極限に達し、一部の特殊任務部隊には通常の限界を超えた戦闘継続能力が求められました。」

 

軽く手を広げ、肩をすくめる仕草を添える。

 

「ご存じの通り、わが軍の標準的な覚醒剤では効果が不十分で、かつ副作用が強すぎる事例が続出しておりました。そこで、極秘裏により安全で効果の高い薬剤の試験運用をオーガスタで限定的に行っていたのです。」

 

言葉は滑らかだ。

嘘と真実を半々に混ぜ、もっともらしい色をつけて。

 

「もちろん、正式な認可はこれから取得する予定です。戦時下の緊急措置として、私の責任において進めておりました。報告が遅れたことは深くお詫び申し上げます。」

 

最後に軽く頭を下げる。

 

(これで、「戦場での必要性」と「私の独断」を盾にすれば、少なくとも大丈夫だろう……)

 

だが、ゴップは、ただ静かに次のファイルをゆっくりと開いていた。

まだ終わっていない。

始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

ゴップは二枚目のファイルを指先で軽く持ち上げただけで、テーブルの上を滑らせるように投げ渡した。

ファイルはグレイヴの目の前でぴたりと止まった。

 

「なるほど、試験運用か。緊急措置か。」

 

ゴップはゆっくりと体を前に乗り出し、今までで一番低い底なし沼のような声で言った。

 

「では、教えてくれ。その“試験”に、コロニー落としで親を失った孤児たちを、何人使った?」

 

グレイヴの指がファイルの表紙に触れた瞬間、凍りついた。

 

開く。

 

最初のページ。

──オーガスタ保護施設転入児童リスト──

 

名前、年齢、生年月日、生存者番号。

そして、「転入後処置内容」欄に冷酷なまでに簡潔な文字が並ぶ。

 

 

クロエ・クローチェ 15歳 薬物強化+システム適合手術

イリス・ヴァレリイ 13歳 視神経強化+薬剤耐性試験

アレン・エメリッヒ 11歳 脊髄直接投与 死亡

 

 

合計 37名。最後のページにはグレイヴ自身の直筆サインと「軍事機密・最終処分許可」の捺印。

 

グレイヴの視界がぐらりと揺れた。

 

(……ここまで……保護施設の転入記録まで……俺が全部、直接指示したものだ……どうして……どうしてここまで……!)

 

額に冷たい汗が一筋、頬を伝う。

声が喉の奥で裏返りそうになった。

 

ゴップは静かに見据えているだけだった。

 

「答えなくていい。数字は、もう全部ここにある。」

 

ゴップは自分の頭を人差し指で小突いてみせた。

ゆっくりと背もたれに体を預け、まるで古い友人に悪戯を打ち明けるような、ほんの少しだけ楽しげな声で言った。

 

「さて、中将。次はどうする?それとも…」

 

一拍置いて、静かにはっきりと、その名を口にした。

 

「『グレイヴ』と呼ぶべきか?」

 

 

 

 

 

 

その瞬間、部屋の空気が完全に凍りついた。

誰も知らないはずだった。

自分の部隊に極秘指令を下すときだけ、暗号回線で囁かれる、死そのものを意味する名。

その名をこのジャブローのでゴップが、まるで当たり前のように口にした。

 

グライフの指がファイルの端を、ぎり、と掴んだ。

 

(……この男は、どこまで……どこまで俺の底を……)

 

ゴップはただ、静かに微笑んでいるだけだった。

 

 

グライフは一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げて、まるで何も知らないような声を作った。

 

「……『グレイヴ』?申し訳ありませんが、聞き覚えがありません。どこかで聞いたコードネームでしょうか?」

 

シラを切る。

完璧な無表情で。ゴップは、小さく鼻で笑っただけだった。

 

「ほう。では、教えてあげよう。」

 

ゴップはゆっくりと三枚目のファイルを引き寄せ、ページをめくりながら、まるで昔話を語るような落ち着いた口調で始めた。

 

「ベルファスト基地に配備予定だった最新鋭モビルスーツ、ピクシーの1号機が輸送途中で行方不明になった。陸軍が騒ぎ、参謀本部にも正式に調査依頼が来た。」

 

ゴップは指で紙を軽く叩く。

 

「私は、自分のルートで調べた。すると、輸送書類は巧妙に偽造され、実際には君の傘下――第20機械化混成部隊に、こっそり横流しされていた。」

 

軽く肩をすくめる。

 

「君の部下には、手癖の悪い奴がいるようだね。」

 

グライフの喉が小さく動いた。

 

「その不審をきっかけに私は第20機械化混成部隊と、君自身を極秘に調べさせた。消費弾薬と戦闘報告書の数字が毎回、綺麗に合わない。水増しが巧妙すぎて、普通の監察官なら気づかない程度だがね。」

 

ゴップは最後のページをぱらり、と開いた。

 

「そして、君の専用回線から出ていた、高度に暗号化されたプライベート通信記録。これを解読すると――」

 

ゴップはゆっくりと顔を上げ、まっすぐにグライフを見据えた。

 

「発信者名が、『Grave』――墓掘り人、だった。」

静寂。

 

「つまり、グライフ中将。君は、連邦軍の知らない場所で自分のプライベートアーミーを動かし、自分の正義のために人を殺していた。そういうことだろう?」

 

ゴップは静かに微笑んだ。

 

「さあ、グレイヴ。まだシラを切るか?」

 

グライフはゆっくりと深く息を吐いた。

 

もう逃げられない。

 

「……ええ、そうです。」

 

声は低く、しかしはっきりと会議室に響いた。

 

「私が、グレイヴです。」

 

一度認めてしまえば、言葉は堰を切ったように溢れ出す。

 

「私がやったことはすべて、連邦軍の未来のため、レビル将軍の理想のためです。」

 

グライフは椅子から立ち上がり、両手をテーブルについて、ゴップを真正面から見据えた。

 

「腐った連邦軍内部に巣食う寄生虫ども、賄賂で補給を横流しする者、ジオンに情報を売る裏切り者、そして、レビル将軍の意志を歪める汚職将校たち……それらを、誰かが始末しなければ、この戦争は勝てません!」

 

瞳に狂気にも似た熱が灯る。

 

「正規の軍法会議では奴らは証拠不十分で逃げおおせる。だから私が私が墓を掘って、そいつらを埋めてきた…。」

 

声が震え、拳が震え、しかし言葉だけは止まらない。

 

「第20機械化混成部隊も、オーガスタの実験も、すべては連邦を救うためです!レビル将軍が目指した、真の正義のために!」

 

最後にグライフは、ほとんど叫ぶように言った。

 

「私は、墓掘り人であることを誇りに思います!」

 

静寂が落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

ゴップはただ静かにその狂気を見つめ返していた。

ゴップはゆっくりと頷いた。

 

「確かに、そうだ。不正をする者は、いつかは裁きを受けねばならない。それは正しい。」

 

静かに、まるで自分自身に言い聞かせるように続けた。

 

「私も、そんな寄生虫の一人だからね。」

 

グライフの目がわずかに見開かれた。

 

ゴップは苦い笑みを浮かべたまま、静かに言葉を紡ぐ。

 

「だが、グレイヴ。正義という剣を振り上げた瞬間、我々はもう悪なんだよ。」

 

 

テーブルの上に置いた自分の両手をゆっくりと見下ろした。

 

「正義の名のもとに人を殺し、英雄と呼ばれようと本質は人殺しだ。正義と悪は同義語なんだよ。」

 

声は低く、重く、しかし、確実にグライフの胸に突き刺さる。

 

「正義という言葉に酔いしれ、剣を振り続けられる者が本当に正義と言えるのか?」

 

ゴップはゆっくりと顔を上げ、まっすぐにグライフを見据えた。

 

「自分の振り上げる剣を恐怖し、震えながら、それでも正しく振ろうと心掛ける者。それが本当の正義だ。」

 

ゴップは横に首を振る。

 

「君は、その剣をあまりにも軽く振りすぎた…。」

 

ゴップは静かに告げた。

 

「だから君はもう、正義ではない。ただの墓掘り人だ。」

 

グレイヴことグライフは唇を震わせ、拳を握りしめる。

しかし、何も言えなかった。

反論の言葉は喉の奥で、腐った土のように崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

ゴップは、四つ目のファイルを静かに滑らせた。

グレイヴは表紙を開く。

そこにあったのは北米・第87補給基地に逃げ込んだ「ジオン衛生班」の事情聴取記録だった。

 

「黒いジムが補給部隊と衛生部隊を襲った。」

 

「白旗を振って降伏をしようと衛生兵を容赦なく撃ってきた」

「黒い犬のマークを付けた部隊だった」

 

「赤十字の腕章を見せても、笑いながら撃ち続けた……」

 

グレイヴの眉間に深い皺が寄った。

 

「……これは?」

 

ゴップは静かに淡々と告げた。

 

「君は多くの私兵を抱えているようだね。確かに腕は立つ。だが、躾がなっていないな。」

 

一呼吸置いて、続けた。

 

「この衛生部隊を襲ったのは、君の配下、ブラックドッグ隊だ。レナート中尉の指揮する部隊だよ。」

 

グレイヴの瞳が一瞬、鋭く揺れた。

 

(レナート……!確かに「お前たちの裁量に任せる」と言った。証拠隠滅も完璧にやると豪語していた……だが、降伏したジオン兵を衛生兵ごと焼き払うなど……

そこまでは指示していない!)

 

怒りと部下の予想外の行動への苛立ちが胸の奥で渦巻く。

 

レナートは自分の「墓掘り」の道具だった。

汚れ仕事を完璧に片付ける、忠実で冷酷で、そして何より痕跡を残さない男だと信じていた。

 

だが、この記録はあまりにも愚かで、あまりにも目立つ、そして何より、自分に跳ね返ってくる刃だった。 

 

 

グライフは、まだ強がりを捨てきれずに声を張った。

 

「相手はジオンですよ。レナートは確かにやり過ぎましたが、こんなことは前線では日常茶飯事です。兵士たちはコロニー落としで家族も友人も失ってる。捕虜への憎悪が爆発するのは当たり前じゃありませんか。」

 

ゴップは深いため息を吐いた。

 

「……それでは、何のために我々は南極条約にサインした?捕虜の人道的扱い、非戦闘員の保護、そういう条項をわざわざ盛り込んだのは、一体何のためだった?」

 

ゴップはゆっくりと首を振った。

 

「普通なら、味方の士気を下げるようなことはしない。だがね、グライフ中将…。」

 

声に、今まで抑えていた静かな怒りが滲み始める。

 

「君が本当に、ブラックドッグ隊がやったことや、ピクシーの1号機を横流ししたことすら、知らないことに私は呆れている。」

 

グライフの表情が初めて、本当に凍りついた。

 

 

(……何?)

 

 

その瞬間、会議室のプロジェクターが静かに起動した。

白い光が壁に広がり、鮮明な映像が映し出される。

道路を横断中の負傷兵を搬送中の衛生部隊への攻撃。

キャリフォルニア・ベースの病院をブラックドッグ隊が破壊。

次に、紺色の連邦軍モビルスーツに向けて、ビームライフルをロックオンする場面。

HLVの確保を妨害し、ガンキャノンを攻撃するレナートのジム・スパルタンの姿。

 

音声まで入っている。

 

「もし、戦闘が起きていれば、俺たちの悪行の証拠も、証人も、全部消えて。代わりに“オリオン小隊がジオン負傷兵を虐殺した”って記録が残せたんだがな。」

 

――レナートの声。

 

ゴップはグレイヴを睨み、初めて、はっきりと怒りを込めて言った。

 

「私の部隊の邪魔をし、私の子供たちに汚名を着せようとしたのは、お前の部隊だ。グライフ中将、これでもまだ、『知らなかった』で通すつもりか?」

 

 

グライフの顔から最後の血の気も引いた。

 

映像の中で、レナートのジム・スパルタンがオリオン小隊のガンキャノンを踏みつける瞬間がスローモーションのように繰り返される。

 

(……知らなかった。私は本当に、何も知らなかった……!)

 

スレイヴ・レイスがピクシーを横領した件も、ブラックドッグ隊の件も何も知らなかった。

まさか、ゴップの直轄部隊――あの「ジャブローの土竜」が自分の子供たちと呼ぶ部隊をブラックドッグが潰しにかかっていたとは。

 

怒りよりも先に、背筋を、首筋を、心臓の奥を、氷の針が突き抜けるような恐怖が走った。

 

(ゴップを怒らせた……あのゴップを、本気で怒らせてしまった……!)

 

北米戦線の補給線は今この瞬間にも、この男の署名一本で止まる。

弾薬も、燃料も、食料も、全てが一夜にして枯渇する。自分の軍人生命は今日限りで終わる。

いや、終わるだけならまだいい。

 

薬漬けにされて死んだ子供達の名簿。

スレイヴ・レイスが消した将校たちの顔。

ブラックドッグ隊が埋めた無数の墓穴。

すべてが、この男の手の中にある。

連邦軍の「正義の名の下」に、自分の名前が晒され、墓標すら許されず、歴史に自分の汚名が永遠に刻まれる。

明日にはこのジャブローで消されるかもしれない。

グライフは椅子から立ち上がった拍子に膝がぶつかり、よろめきながらも深く、深く、頭を下げた。

 

「……申し訳ありません!私は、本当に、何も知りませんでした!レナートが独断で……いや、私の監督不行き届きです!あなた様の部隊を妨害したこと、あなたの部隊に手を上げたこと、心より、心よりお詫び申し上げます!」

 

声が震え、額がテーブルの端にぶつかるほど低く折り曲げた。

 

「どうか……どうか、私に責任を取らせてください。ブラックドッグ隊は即刻解散させ、レナート以下関係者は私が処分します!あなたの部隊にどんな償いでもいたします!命に代えても……!」

 

グライフはもう完全に土下座に近い姿勢で、必死に頭を擦りつけた。

 

ゴップは静かに言った。

 

「頭を上げろ、グライフ中将。」

 

グライフは震えながら顔を上げた。

額に汗が滲み、唇が青ざめている。

 

「……本当に、知らなかったんだな?」

 

「はい……! 本当に、私には何も……レナートの独断です!」

 

「責任を取るんだな?」

 

「もちろん! どんな形でも!」

 

「命に代えてもか?」

 

「はい!命に……代えても!」

 

ゴップは目を細め、数秒だけ沈黙した。

 

やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「命はいらない。ここで死なれたら味方の士気が下がる。北米戦線が混乱し、それでは本末転倒だ。」

 

グライフの肩が、わずかに緩んだ。

 

「ただし、責任は取ってもらう。北米に戻れ。引き続き、北米平定に専念しろ。――つまり、謹慎だ。宇宙には上がらせない。」

 

そして、ゴップは淡々と、しかし絶対に拒否できない口調で続けた。

 

「償いとして、二つだけ要求する」

 

「一つ。オーガスタで君が極秘に開発した、量産試作機を二機。予備パーツ、特殊武装、システムデータも含めて、すべてこちらに譲渡しろ。」

 

「二つ。君が宇宙に上がるために用意していた、ペガサス級強襲揚陸艦《バイアリーターク》。艦籍も艦長権限も、即刻こちらに移管する。」

 

「これを、今ここで書類にサインすれば、今回の件は私の目は瞑ってやる。」

 

グライフの脳裏を苦い現実が突き抜けた。

 

(……折角、手に入れたカードがたった今、すべて奪われる……)

 

量産試作2機は開発が難航したために増産は不可能だ。

バイアリータークは宇宙に上がって、レビル派の中核になるはずの自分の城だった。

 

それが今、一瞬にしてゴップの手に渡る。

 

だが、拒否すれば、明日の朝には軍事裁判の被告席だ。

グライフは震える手で、ゴップが差し出した譲渡書類に自分の名前をゆっくりと確かに書き込んだ。

グライフは、署名を終えたペンを置き、震える息を必死に整えてから最後の賭けに出た。

 

「……大将。一つだけお願いがあります。どうか……ペイルライダーを含むモビルスーツ1個小隊をバイアリータークに乗せて宇宙に上げさせてください。宇宙に上げましたら、すぐに私の配下のサラミス級に移動させます。あれはこれからの宇宙戦でこそ真価を発揮する。レビル将軍の理想のために、必ず役に立ちます。」

 

必死に熱を込めて、力説する。

ゴップは静かに目を細めた。

 

(下手に地球に残したら、謹慎中のこいつがまた手を出す。北米で暴走されたら、収拾がつかなくなる。)

 

内心で舌打ちし、瞬時に判断した。

 

(なら、宇宙に上げて、こいつの手の届かない場所に放り出すのが一番だ。)

 

ゴップはゆっくりと頷いた。

 

「……わかった。宇宙に上げよう。」

 

グライフの顔が、一瞬、明るくなる。

 

「ただし、バイアリータークは輸送手段だ。到着後、即座に君の管轄下のサラミス級に移乗させる。その後はお前の好きにしても構わない。」

 

グライフは深く頭を下げた。

 

「……感謝します。」

 

ゴップは冷たく、静かに告げた。

 

「行くがいい、グレイヴ。君の“墓標”は、私が宇宙に運んでやる。」

 

 

ゴップは最後に静かに告げた。

 

「用は済んだ、帰りたまえ。」

 

それだけだった。

立ち上がり、ファイルの束を抱えて、何事もなかったかのように扉へ向かう。

グライフは崩れ落ちそうになりながらも、なんとか立っていた。

 

部屋から出ると、冷たい廊下の空気が頬を打つ。

生きている。まだ息をしている。

足が震えた。

膝が笑った。

壁に手をついて、しばらくその場にへたり込んだ。

 

(……生きて、帰れた……。)

 

ゴップの恐ろしさをこれほど身に染みて感じたことはなかった。

あの老いた目は、自分のすべてを見透かしていた。

一瞬で、墓を掘り終えていた。

次の瞬間、怒りが、煮えたぎるような怒りが胸の奥から噴き上がった。

レナート・ジェルミ。

あいつの傲慢な独断専行のせいだ。

バイアリータークを失い。

量産試作機を奪われ。

オーガスタの秘密を暴かれ。

自分の首が、あと一歩で飛ぶところだった。

 

「……レナート……!」

 

グライフは歯を食いしばり、よろめきながらも立ち上がると廊下を駆け出した。

 

通信室へ。

今すぐ、あのクソ野郎に繋がなければ、自分の手で今すぐにでも殺してやる。

靴音がジャブローの奥深く。

怒りの響きとなって、いつまでも消えなかった。

【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?

  • 陸戦型ジム改
  • バイアリーターク
  • ペイルライダー・ヴァンガード
  • ペイルライダー・マスケッティア
  • ヴァルキリー
  • グフ・ノクターン
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。