機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第21話 第四の騎士の少女と蒼い瞳

地球圏・ルナツー航路

 

地上戦は終結へと向かっていた。東南アジア方面軍はジオンのラサ秘密基地を制圧。

キャリフォルニア・ベース奪還作戦は公式に「完全勝利」と宣言され、アフリカ戦線でも連邦軍の掃討作戦が完了。

オデッサから始まった反攻は、わずか二ヶ月で地球上のジオン公国軍をオーストラリア大陸を除き、ほぼ壊滅に追い込んだ。

残るは、ゲリラ化して熱帯雨林や砂漠に潜むわずかな残存部隊だけ。

だが、それも時間の問題だった。

連邦軍は、再び宇宙を見上げた。その漆黒の宇宙を、今、一隻のペガサス級強襲揚陸艦が高速で突き進んでいた。

艦名《バイアリーターク》

漆黒の船体に描かれた、立ち上がる軍馬のエンブレム。

ミノフスキー・クラフトが静かに唸り、艦はルナツーへと一直線に進む。

漆黒の天馬は静かに、しかし確実に宇宙を駆けていく。

 

 

ソウヤは地球を眺めていた。

艦中央部の観測通路、強化ガラスの向こうには漆黒の宇宙に浮かぶ、青い水の星が見渡せる。

ソウヤの体が、すーと浮かんだ。

重力が消えた。

まるで誰かに背中を優しく押されたような、ふわりとした感覚。

 

「……あぁ」

 

久しぶりだった。

地球の重さから完全に解き放たれた、無重力。

ハイスクール二年生の夏、フォン・ブラウンで行われた宇宙適応訓練の課外授業。

クラスメイトたちと一緒に乗った民間シャトルの中で、初めて味わった完全な無重力だった。

担任の先生が「三十分だけ自由時間」と言うなり、クラスメイトが歓声を上げて宙返りし始めた。

ソウヤだけは窓の外の地球を眺めていた。

青と白の渦が、ゆっくりと回っている。

あのとき、初めて「自分は生まれ故郷の地球の外にいる」と実感した。

そして、体の芯がふわりと軽くなる感覚。

まるでずっと抱えていた重いリュックを、誰かがそっと降ろしてくれたみたいだった。

今、まったく同じだった。

ソウヤは小さく息を吐き、慣れた手つきで壁に指を這わせる。

軽く押す。

体がふわりと前に滑り、慣性だけで通路を進んでいく。壁の把手を掴み、方向を変え、足をそろえて次のコーナーを回る。

まるで水の中を泳ぐように、自然だった。

 

「……やっぱり、宇宙は落ち着くな。」

 

誰にも聞こえない声で呟きながら、ソウヤは静かに目を閉じ、まるで帰る場所を知っているかのように進んでいった。

ソウヤが観測通路を漂いながら進んでいると、艦内放送が静かに響き始める。

 

『──こちら艦橋、オリオン小隊所属、イーサン・ミッチェル・オルグレン少佐、ケンジ・ナガト中尉、ソウヤ・タカバ少尉、ヤザン・ゲーブル曹長は、至急艦橋へ集合のこと。至急艦橋へ──』

 

声は落ち着いていたが、どこか張り詰めた響きがあった。

 

「……艦橋、か」

 

ソウヤは軽く壁を蹴り、体勢を立て直す。

地球を背に受けて、最後に一度だけ青い星を見下ろしてから、把手を掴み、慣れた動作で通路を滑り始めた。

無重力の中を、まるで水をかき分けるように。

表情はもう、観測通路にいたときより一段と引き締まっている。

放送が流れたということは、もう「休む時間」は終わったということだ。

ソウヤは静かに息を吐き、艦橋に向かった。

 

 

艦橋に到着すると、隊長のオルグレン少佐と整備班長のナガト中尉が先に到着していた。

艦橋に滑り込んだソウヤはオルグレン少佐の左横にピタリと収まる。

 

「隊長、遅れましたか?」

 

「いや、ちょうどいい。」

 

その瞬間、後ろの自動ドアが開いて、

 

「クソっ!……どっちが上だよこれ!? 天井と床がぐるぐる回ってんじゃねぇか!」

 

ヤザン曹長が、壁を蹴った勢いのまま斜めに突っ込んでくる。

体がゆっくり回転しながら漂い、明らかに「どっちが前だ?」って顔で手足をバタバタさせていた。 

ソウヤが素早く腕を伸ばし、ヤザンの腰のベルトを掴んでピタッと止める。

 

「ヤザン、また回ってるぞ。」

 

「うるせぇ!昨日まで、足が地面にちゃんとくっついたんだぞ!?」

 

ヤザンは顔を真っ赤にしながら、必死に手すりを掴んで体勢を整える。

運動神経は抜群だから、掴んだ瞬間にスッと姿勢を正した。

ナガト中尉が苦笑いで振り返る。

 

「ヤザン、また派手な登場だな。」

 

「おやっさん、悪ぃ悪ぃ! つい勢い余っちまて……」

 

ヤザンは照れ臭そうに頭をかきながら、ちゃんとナガトに軽く敬礼してみせる。

オルグレン少佐が小さく鼻で笑った。

 

「ジャブローの時のような関係に戻って、良かったよ。」

 

ソウヤがヤザンの肩を軽く叩く。

 

「でもさ、さっきよりはマシになってるよ。廊下で三回転してた時よりは。」

 

「うっせ! あれは勢いつけすぎただけだ!」

 

すると、艦橋中央の艦長席から男性が静かに降下し、床にカチリと磁靴が吸着する音が響いた。

 

そこに立っていた男は年齢より若く見える顔立ちに、どこか飄々とした雰囲気をまとっていた。

バイアリータークの艦長は片手を軽く振ってオルグレンに向き直った。

 

「オルグレン少佐、呼び出したメンバーは揃ったかな?」

 

イーサンが一歩前に出て、背筋を伸ばして答える。

クリフトフは軽く頷くと視線をソウヤ、ヤザン、ナガトと順に滑らせ、にこりと笑った。

 

 

「やあ!オリオン小隊の諸君!僕はこのバイアリータークの艦長、クリフトフ・ハーツクライ少佐だ。よろしくね。ペガサス級の四番艦ってだけで、姉貴分のホワイトベースに比べると地味な扱いだけど、まぁ悪くない血統だと思ってるよ。」

 

 

 

その口調はまるで近所のお兄さんみたいに軽い。

ヤザンが思わず小声で呟く。

 

「……なんか、めっちゃ気さくじゃないか?」

 

ソウヤが肘で軽くヤザンの脇腹を突いた。

クリフトフはそれを見逃さず、ヤザンに目を細めた。 

 

「君が噂のヤザン曹長か!キャリフォルニア・ベースでキラー・ハーピーを倒したって話、本当かい?」

 

「へっ? あ、いや、まぁ……たまたまですけど。」

 

「キラー・ハーピーを倒した君でも、まだ宇宙には慣れてないみたいだね。」

 

艦橋に小さな笑いが広がる。

クリフトフは肩をすくめて、続けた。

 

「まぁいい。今日は堅苦しい挨拶は抜きだ。僕は現場上がりで、偉そうな話は大嫌いだからね。ただひとつだけ言っておく。」

 

一瞬、空気が引き締まった。

 

「この艦はルナツーに補給を受けに行って、そのまますぐ次の戦場に向かう。地球の戦闘はほぼ終わったが、宇宙はまだ終わってない。僕たちはその“まだ終わってない部分”を片付けるために動く。」

 

そう言ってから、クリフトフはまた柔らかい笑顔に戻った。

 

「だからみんな、肩の力は抜いてくれ。最後の直線で脚が溜まってないと、大事な時に差せないかね。」

 

最後の言葉に、誰も笑っていなかった。

ただ、ヤザンが小さく息を吐いた。

 

「……なんか、競馬用語が混じってないか?」

 

ソウヤが苦笑いでヤザンに同意する。

 

「そう思うよ。」

 

クリフトフは二人のやり取りを見て、満足そうに頷いた。

 

「では、解散だ。ルナツー到着まで5時間。好きなように過ごしてくれたまえ。」

 

クリフトフは笑いながら背を向けて、艦長席に戻っていく。

 

この艦長、妙に癖はあるけど。

なんだか嫌いになれそうになかった。

ソウヤは艦長席の横まで滑るように近づき、軽く敬礼した。

 

「ハーツクライ艦長、少し質問よろしいでしょうか?」

 

クリフトフは椅子を半回転させて、にこりと笑う。

 

「もちろん。どうぞ、タカバ少尉。」

 

「ペガサス級の四番艦は本来『サラブレッド』だと聞いていたんですが……なぜバイアリータークが四番艦になったんでしょうか?」

 

クリフトフは少し目を細めて、楽しそうに答えてくれた。

 

「いい質問だね。実はこの子、ちょっと変わった生まれなんだよ。」

 

彼はスクリーンに手を振ると、バイアリータークの全体構造図が浮かび上がった。

 

「この艦の中央艦橋ユニット……いわゆる“コアフレーム”は、戦争が始まる前に作られたものなんだ。次世代開放型宇宙空母計画、コードネームSRV-27の基本フレーム検証用テストベッドとしてね。要するに、強度試験とか配線配置とか、全部のデータを取るための“白い実験台”だった」

 

ソウヤが小さく頷く。

 

「それが開戦と同時に、SRV-27計画はV作戦のモビルスーツ母艦開発に急遽転用された。その検証用フレームを“モビルスーツが乗れるよう”に改修するテストが始まったんだ。カタパルトの角度、格納庫のレイアウト、ミノフスキー粒子の影響テスト……全部この艦で叩き台にした。」

 

クリフトフは指で構造図の中央部分をなぞった。

 

「そのデータのおかげで、ホワイトベースやブランリヴァルはたった三ヶ月で実戦配備できた。まさに“影の功労者”ってやつだね。」

 

「……なるほど、そうだったんですね。」

 

「うん。その後も役目は終わらなかった。今度はサラブレッドの電子戦装備──ジャミングフィールドやレーザー撹乱幕のテストベッドにされた。だから、この艦はペガサス級の中でも一番“いろんなもの”を試してきた仔なんだ。」

 

クリフトフは少し得意げに笑った。

 

「で、最終的に上層部が言ったんだよ。『こいつ、もう十分戦えるじゃねえか。もったいない』ってね。ブロック構造だから、格納庫ユニットと大型推進器をポンと付け替えるだけで即戦力。こうして“試験艦”だったこの仔は、正式にペガサス級として登録された。」

 

「なるほど……」

 

「本来四番艦になる予定だったサラブレッドは改ペガサス級に振り分けられた。だから空いた四番枠を、こいつがもらったってわけ。名前も急遽、競馬の三大始祖馬の一つから取って『バイアリーターク』。まぁ、ちょっと皮肉なもんだよね。試験艦のまま終わるはずだった仔が、本物の四番艦になったんだから。」

 

クリフトフはスクリーンを消して、ソウヤをまっすぐ見た。

 

「だからこの艦は、姉貴分たちよりちょっと年上なんだ。見た目は新しいけど、骨格は一番古い。でも、その分いろんな“経験”を積んでる。」

 

遠くでヤザンが「おいソウヤ、なんか難しい話してんな!」と叫んでいるのが聞こえた。

ソウヤは小さく笑って、艦長に敬礼した。

 

「……光栄です。この艦に乗れて。」

 

クリフトフは満足そうに頷いて、ソウヤに敬礼する。

 

「僕もだよ。こいつはきっと、最後まで走り続けてくれる。だって、生まれながらの“テストランナー”なんだからね。」

 

ソウヤは艦長に軽く会釈してから、ふわりとヤザンの方へ移動した。

艦橋を出てすぐの通路で、ヤザンは手すりにしがみつきながら私を待っていた。

 

「おいソウヤ、さっきから艦長と何コソコソ話してたんだよ?」

 

私はヤザンのすぐ横でピタリと止まり、わざとらしくニヤリと笑った。

 

「ヤザン、このバイアリータークと完全に同期みたいだぞ。」

 

ヤザンの眉間がピクリと動く。

 

「……なに?」

 

「こいつも今回が初めての宇宙なんだよ。今日がデビュー戦だ。」

 

ヤザンが一瞬固まる。

 

「つまり……艦も俺と同じで“初めて”って……。」

 

ソウヤはにやりと笑って、ヤザンの肩を軽く突く。

 

「ソウヤ…!お前!」

 

ヤザンは悔しそうにソウヤの胸をドンと突いたけど、力が抜けててほとんど押すぐらいにしかならなかった。

ただ、私の体が少し後ろに流れるだけだった。

 

 

「ほらほら、通路に行こう。艦長がこっち見てニヤニヤしてるぞ。」

 

「たくっ、口が達者になったぜ。」

 

ヤザンはぶつぶつ言いながらも、私に腕を引っ張られて手すりを伝って移動する。

通路に出ると、ヤザンは壁に片手をついて体勢を整え、小さく舌打ちした。

 

「……ったく、腹が減った。宇宙食とか味気ねぇだろうが我慢できねぇ。食堂に行ってくるぜ。」

 

私は軽く笑って頷いた。

 

「俺は汗臭いし、シャワーを浴びてから仮眠を取るよ。」

 

「おう、わかった。」

 

ヤザンはそう言って、食堂方向へ漂い始めた。

まだ時々、壁に手を突いて軌道を修正しているが、艦橋で見たときよりも、明らかに動きが安定していた。

私はその背中を見送りながら、ゆっくりと体を反転させた。

 

「じゃあな、ヤザン。」

 

「ああ……って、お前もしっかりと飯を食えよ。」

 

最後まで面倒見のいいことを言って、ヤザンは角を曲がって見えなくなった。

私は反対方向へ体を滑らせ、居住区へと向かう。

ソウヤは居住区画のハッチをくぐった。

カチリ、と磁気ブーツが床に吸着する。

回転式重力ブロック特有の、わずかに遅れてかかる人工重力。

 

「……これも、悪くないな。」

 

地球の1Gとは違う、ほんの少し軽い感覚。

でも、ちゃんと「下」が存在する安心感があった。

男性用シャワー室の案内表示に従い、シャワー室に向かう。

シャワー室は空いていた。

ソウヤは制服を脱ぎ捨て、熱い湯を頭から浴びる。

 

「……はぁ」

 

熱い湯が背中を叩く、その温かさにしばらく動けなかった。

十分にシャワーを浴び、蛇口を捻る。

鏡に映った自分は、目が少し充血していた。

個室に戻り、制服の上着も脱がずにベッドへ倒れ込む。

「……2時間だけ」アラームをセットし、瞳を閉じた。

すぐに深い眠りがやって来て、私は黒い闇に抱かれるように夢を見ずに落ちていた。

ただ、真っ暗な闇の中で、誰かが私のことを見ているような、そんな感覚だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

──2時間後。目覚ましより先に目が覚めた。

まだ体は重いが頭は少しだけ、すっきりしている。

 

「……もう一度、見ておこう。」

 

ソウヤはベッドから起き上がり、再び無重力区画へと向かった。

艦中央部の観測通路。さっきと同じ場所なのに地球の位置がわずかにずれ、雲の形も変わっていた。

青い星が静かに、ゆっくりと回っている。

だが、ソウヤよりも先に、先客がいた。

淡い金髪が無重力にふわりと広がり、

白い患者衣の裾がゆらゆらと揺れている。

幼さが残る横顔。

華奢すぎる肩。

15歳前後だろうか。

少女は壁も床も掴まず、ただ宙に浮いたまま、ガラス越しに地球を見つめていた。

瞳は開いているのに焦点がどこにも合っていない。

呼吸は浅く、規則的。

生きてはいる。

でも、意識はまるで夢の底に沈んでいるようだった。

 

(……なんで、こんな子がここに?)

 

艦内に民間人どころか、子供がいるはずがない。

ましてや患者衣。

医務室から抜け出してきたのか。

ソウヤは静かに、音を立てないように近づいた。

少女は気づかない。

ただ、唇が小さく震えているだけだった。

 

「……空が……」

 

掠れた、ほとんど息のような声。

 

「……落ちてくる……」

 

その瞬間、ソウヤの背筋に冷たいものが走った。

コロニー落とし。

あの地獄をこの子も見ていたのか。

ソウヤは無意識に手を伸ばしかけて、途中で止めた。

触れたら、壊れてしまいそうだった。

少女は、地球をただひたすらに眺め続けていた。

今にもあの青い星が、また壊れてしまうのではないかと怯えているかのように。

少女の瞳に映る地球は、まるで触れたら粉々になりそうな脆いガラス細工のように見えているのだろうか。

その水の惑星が次の瞬間、全て割れて、闇に吸い込まれてしまうのを必死に堪えているかのようだった。

 

すると、少女はゆっくりと視線をこちらに向けた。

 

「……あなたは、誰?」

 

掠れた、まるで風に消えそうな声。

ソウヤは驚きを隠し、できるだけ柔らかく答えた。

 

「ソウヤ・タカバ。この艦のオリオン小隊のパイロットだ。君は誰かな?」

 

少女は瞬きを二度、三度。

まるで自分の名前を思い出すのに時間がかかるように、

唇を小さく開いた。

 

「……クロエ……クローチェ」

 

その名前を聞いた瞬間、

ソウヤは静かに繰り返した。

 

「クロエ、か。……よろしく、クロエ」

 

クロエはまだぼんやりとした瞳でソウヤを見上げ、

小さく、でも確かに頷いた。

 

「……うん」

 

クロエは小さく頷いた直後、ふっと息を詰めた。

 

「……っ!」

 

次の瞬間、華奢な体が無重力の中でびくりと跳ね、両手で頭を強く抱えた。

 

「……う……あ……」

 

掠れた呻き。

瞳が急に焦点を失い、白い患者衣の肩が小刻みに震え始める。

痛みだ。

明らかに、激しい痛み。

 

「クロエ!?」

 

ソウヤは反射的に壁を蹴り、一気に距離を詰めた。

クロエの体がぐらりと傾き、そのまま宙で丸まるように縮こまる。

 

「大丈夫か!? どこが痛い!?」

 

ソウヤはクロエの肩をそっと掴み、自分の胸に引き寄せるように抱き寄せた。

熱はない。

でも、額に冷たい汗が浮いている。

 

「……頭が……割れる……!」

 

クロエの声は震え、指先がソウヤの制服をぎゅっと掴んだ。

 

「落ち着いて。息をゆっくりして、俺がいるから。」

 

ソウヤは片手でクロエの背中を優しく撫で、もう一方の手で彼女の手首に触れて体温と脈を確認する。

速い。

明らかに異常な鼓動。

薬の副作用か、あるいは──クロエの瞳が涙で潤み、

ソウヤの胸に額を押しつけるようにして、小さく、必死に呟いた。

 

「……怖い……また……みんな……消えちゃう……。」

 

その言葉に、ソウヤはぎゅっと目を閉じた。

違う。

今は、誰も消えない。

 

「大丈夫、大丈夫だよ……俺がいるから。」

 

ソウヤはクロエの背中を抱きしめるようにして、静かに、確かに繰り返した。

 

「ここにいる。だから、もう誰も消えない。」

 

クロエの震えがほんの少しずつ、ソウヤの体温に溶けていくように収まっていった。

クロエの震えが、まるで波が引くように静かに収まっていった。

肩に回した腕に伝わる鼓動が少しずつ、穏やかなリズムを取り戻す。

 

「……大丈夫か?」

 

ソウヤは、まだクロエを抱いたまま、掠れた声で呟いた。

胸の奥にあった焦燥がゆっくりと溶けていく。

息が、ようやく戻ってきた。

 

クロエは、まだソウヤの胸に顔を埋めたまま、ゆっくりと顔を上げた。

 

濡れた瞳が、まっすぐにソウヤの瞳を捉える。

 

「……どうかした?」

 

ソウヤは小さく首を傾げた。

クロエは何かを確かめるように、じーっと、じーっと、

ソウヤの青い瞳を見つめ続けた。

 

そして、掠れた、でも確かに届く声で。

 

「……目……きれい……地球みたい……青くて……すごく、きれい……。」

 

その一言が、ソウヤの胸の奥に静かに、だが深く落ちた。

 

亡き母のトモエの声が重なる。

 

『ソウヤの目はね、本当にきれいな青なの。お母さん、いつも青い空を見てるみたいで、ソウヤの青はすごく綺麗。』

 

トモエが笑ってくれた、あの日の言葉。

それを今、こんなに小さくて、痛みを抱えた少女が同じように言ってくれた。

 

ソウヤは気づいたら、視界が滲んでいた。

 

頬を熱いものが一筋、こぼれ落ちる。

クロエは驚いたように瞬きをして、

小さく首を傾げた。

 

「……泣いてる……の?」

 

ソウヤは苦笑いを浮かべ、

そっとクロエの髪を撫でた。

 

「……ちょっと、嬉しかっただけだよ。」

 

クロエはまだぼんやりとした瞳で、でも確かに微笑んだ。

二人は無重力の静寂の中で、

青い地球と青い瞳をただ、静かに見つめ合っていた。

 

そのとき、通路の奥から靴音が響いた。

無重力区画に入る直前で、磁気ブーツがカチリ、カチリと規則正しく鳴る。

連邦軍の制服を着た男女が、急ぎ足で近づいてきた。

 

男性は大尉、女性は曹長。

 

女性の曹長は私がクロエを抱き抱えている姿を見て、飛び出そうとしたが男性が女性を制止させた。

 

大尉の方が先に敬礼し、息を整えながら言った。

 

「オリオン小隊の方ですね、クロエを見つけてくださり……本当にありがとうございます。助かりました。」

 

ソウヤは一瞬眉をひそめたが、大尉はすぐに続けた。

 

「すみません、説明が遅れました。クロエは我々の護衛対象で、連邦軍高官のご息女です。コロニー落としの際に家族の大半を失われ、重いPTSDを患っておられます。

強い薬を常用している関係で、時折このように低覚醒状態になり、薬の副作用で頭痛発作を起こすことがあって……」

 

曹長の女性が、優しくクロエに近づいてきた。

 

「クロエを助けてくださり、ありがとうございます。後は私が介抱しますね……。」

 

ソウヤはまだクロエの肩に手を置いたまま、少しだけ躊躇った。

クロエはぼんやりとした瞳でソウヤを見上げ、小さく頷いた。

 

「……ありがとう……ソウヤ……」

 

その声にソウヤはそっと腕を離した。

曹長がクロエの体を慣れた手つきで受け取り、優しく背中を撫でる。

 

大尉はソウヤに向き直り、小声で補足した。

 

「実は、今回の乗艦は特例なんです。ルナツーにいる親族──お祖父様に会わせるためだけに、軍上層部の特別許可で同乗させていただいてます。

到着次第、すぐに降ろす予定ですので……どうか、他言無用でお願いできますか?」

 

説明は、筋が通っていた。

 

高官の娘。

 

コロニー落としで家族を失った。

 

薬の副作用。

 

特例乗艦。

 

すべてが、辻褄が合う。

 

だからこそ、ソウヤの胸の奥にかすかな拭い去れない違和感だけが残った。

 

「……わかりました。」

 

ソウヤは静かに頷き、敬礼を返した。

曹長がクロエを抱きかかえ、ゆっくりと通路を離れようとする。

そのとき、クロエがふっと体をねじり、ソウヤの方を振り返った。

まだ朦朧とした瞳で、でも確かに、「……ソウヤ……

 また……会える……?」その問いかけは、まるでこのまま永遠に離れてしまうのを恐れるような、小さな、震える声だった。

ソウヤは胸がぎゅっと締めつけられるのを感じながら、

できるだけ優しく、でもはっきりと答えた。

 

「きっと…、会えるよ。絶対、また会える。」

 

クロエの瞳が一瞬だけ、ぱっと光った。

 

「……うん……約束……だよ……。」

 

小さく微笑んで、クロエは曹長の胸に顔を埋めた。

淡い金髪が、通路の奥にゆっくりと遠ざかっていく。

ソウヤは地球を背に、その背中を見送り続けた。

磁気ブーツの音が遠ざかり、やがて完全に消えるまで。

 

「ああ……約束、だ。」

 

ソウヤは誰にも聞こえない声で呟き、握った拳をそっと胸に押し当てた。

 

 

 

 

 

 

 

艦内放送が、静かに響いた。

 

『こちら艦橋。ルナツーまで残り一時間。

全乗員、着艦態勢に移行願います。繰り返します。残り一時間です。』

 

ソウヤは観測通路の壁に手を置きっぱなしだった手をゆっくりと離し、

最後に一度だけ地球を見下ろした。

 

「……行かなきゃ。」

 

軽く壁を蹴り、無重力区画を抜けて居住区画へ。

 

角を曲がったところで、ヤザンとばったり遭遇した。

 

「おう、ソウヤ! 飯はまだかよ? あと一時間で着くぞ。」

 

「……今から行くところだ。」

 

ヤザンはソウヤの顔をまじまじ見て、ニヤリと笑う。

 

「なんだよ、目が赤ぇぞ。泣いてたのか?」

 

「寝不足だ」

 

「へぇ~?」

 

ヤザンは明らかに信じてない顔をしたが、

肩を叩いて通り過ぎていった。

 

「ま、ゆっくり食えよ。俺はもう3杯もお代わりしたぜ。」

 

ソウヤは小さく苦笑いして、食堂へ向かった。

トレイを受け取り、隅の席に座る。

今日はシチューとパンだけ。

味はほとんど感じなかった。

 

クロエの「また会える……?」という声が耳の奥で何度も繰り返される。

スプーンを置く頃には、シチューは半分残っていた。

 

 

──1時間後。

 

 

メインスクリーンに巨大な岩塊に無数のドックが食い込んだルナツーが、刻一刻と迫ってくる。

ハーツクライ艦長はマイクを握ったまま、いつもの飄々とした笑みを浮かべていた。

 

「ナタリア、残距離と減速率。」

 

オペレーター席のナタリア少尉は背筋を伸ばし、キーを叩きながら即答。

 

「現在距離1200、減速率毎秒1・8メートル。ドック管制より最終進入許可確認済みです!」

 

「よし、タケシ。右舷三度、ゆっくり寄せて。

最後の直線は、逃げ馬を差すイメージでね。」

操舵席の若きそう舵手のタケシ上等兵は、苦笑いを浮かべながら舵に手を置いた。

 

「了解……って、逃げ馬って誰なんですか?」

 

「そりゃあ、ルナツーのドック管制だよ。

あいつら、いつも最後に急に割り込んでくるからね。」

 

艦橋に小さな笑いが広がる。

ヤザンがソウヤの耳元で囁いた。

 

「……やっぱり競馬だな、あの艦長。」

 

「ああ。」

 

タケシはもう笑みを引っ込め、冷静な声で告げる。

 

「右舷三度、推力微調整……ヨー軸にプラス0・1で補正入れます」

 

ナタリアが眉をひそめ、ため息交じりに呟く。

 

「また補正値上げてる……

管制指示は0・1以内ですよ、上等兵。」

 

「この距離で0・1だとオーバーシュートします。

俺の感覚を信じてください、少尉。」

 

「……もう諦めました。どうせ、タケシのほうが正しいんですから。」

 

ナタリアは肩をすくめ、モニターに視線を戻す。

ハーツクライが満足そうに頷いた。

 

「いいよナタリア、タケくんのハンドルは生まれつきだからね。」

 

タケシは照れ臭そうに鼻を掻きながら、

指先だけで舵を微調整。

バイアリータークの巨体が、まるで糸に引かれるように滑らかに旋回。

メインスクリーンに映る中心線が、ぴたりと艦首に重なる。

 

「距離800……600……400……」

 

艦橋の空気が、一気に張り詰める。

 

「300……減速完了。」

 

「よし、静かに滑り込ませて。」

 

漆黒の船体が開いたドックの闇の中へ、

まるで水面に浮かぶ白鳥のように優雅に沈んでいく。

外光が艦橋を真っ白に染め、

無数の作業灯が船体を銀色に浮かび上がらせる。

 

「距離100……50……」

 

タケシが最後にスティックを中央へ戻す。

 

「ドック内進入完了、完全停止。」

 

カチリ、カチリ、カチリ、カチリ。

 

 

連続する固定クランプの噛み合う音が艦全体に響き渡った。

ハーツクライがマイクを置き、満足げに呟いた。

 

「着いたぞ、みんな。ここが次のゲートだ。」

 

ナタリアが小さくため息をつき、タケシに半目で視線を向ける。

 

「……今回も完璧でしたね、上等兵。」

 

「ありがとうございます、少尉。次も任せてください。」

 

「次はちゃんと管制値でやってくださいよ。」

 

「無理ですね。」

 

「やっぱり……。」

 

艦橋に再び小さな笑いが広がる。

 

「もう完全に艦長とタケシで漫才やってんな。」

 

ヤザンが呆れたように肩をすくめた。

 

 

ハーツクライがマイクを握り直し、軽く咳払いした。

 

「よし、右舷格納庫ハッチ開放。モビルスーツ部隊を順次発進、指定ドックへ移動開始だ。」

 

ナタリア少尉が即座にキーを叩く。

 

「右舷格納庫ハッチ、開放します。──艦内放送。右舷格納庫所属機は直ちに出庫、ルナツー第4ドックへ移動してください。繰り返します……。」

 

艦体がわずかに震え、右舷側で巨大なハッチがゆっくりと開いていく。

外光が格納庫内に差し込み、黒い影が二つ、静かに浮かび上がる。

 

ガンキャノンⅡ──型式番号RX-77-4。

黒く塗装されたルナ・チタニウム装甲に肩のビーム・キャノンが鈍く光る。

量産型ガンキャノンとはまるで別物だ。

ソウヤは思わず息を呑んだ。

 

(……あれが、ガンキャノンⅡか)

 

オデッサからずっと付き合ってきた量産型ガンキャノン。

キャリフォルニア・ベースでレナートに粉々にされた、自分の最初の相棒。

比べてみれば、装甲の厚みも、スラスターの配置も、まるで別次元の洗練さだ。

懐かしさと、ほんの少しの寂しさが胸をよぎる。

二機のガンキャノンⅡが、優雅にドック外へ滑り出していく。

その直後。青い機体が格納庫の奥から現れた。

青……というより、冷たい月光を思わせる、青白い機体。

機体がゆっくりと振り向き、頭部のゴーグルセンサーがまっすぐに艦橋を見据える。

一瞬、視線が交差したような気がした。

ナタリアが通信を入れる。

 

「ペイルライダー、こちらバイアリーターク艦橋。直ちに第4ドックへ移動願います。」

 

先頭のガンキャノンⅡが、まるで誘導するようにペイルライダーの横へ並び、軽く肩を小突くような動作で先導を始める。

ペイルライダーはゴーグルセンサーを一瞬だけ艦橋に向けたまま、小さく会釈した。

そして、静かに推力を噴かし、二機のガンキャノンⅡに続いてドックへと消えていく。

 

ソウヤは思わず呟いていた。

 

「……クロエ?」

 

声は誰にも届かなかった。

 

ただ、胸の奥の小さな棘が今、はっきりと痛みを伴って脈打った。

 

ソウヤは、あの青白い機体がドックの奥に消えていくのをただ、黙って見つめていた。

 

(……クロエが、あの中に?)

 

頭では即座に否定した。

まだ15歳前後の少女がモビルスーツを操縦するなんて、あり得ない。

非現実すぎる。

あの会釈も別の誰かにしたものだ。

そう、自分に言い聞かせながら、それでも胸の奥に残る棘はますます鋭く、深く、突き刺さる。

 

(気のせいだ……きっと、気のせいだ。)

 

ソウヤはゆっくりと目を閉じ、静かに、深く、息を吐いた。

 

(クロエ……どこにいても、どういう立場でもいい。どうか、君が……幸せでいられますように。)

 

心の底から、ただそれだけを祈った。

そして、もう一度目を開けたとき、ソウヤの瞳には揺るぎない覚悟が宿っていた。

 

(俺は、もう戻れない)

 

地球を離れ、宇宙という新しい戦場に今、確かに足を踏み入れた。

その先に待つものが、どんな地獄であろうと。

ソウヤは責任を果たすと地上で誓った。

そして、静かに拳を握りしめた。

クロエとの約束を必ず果たすために。

 

 

 




宇宙キターーー!

最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます(泣)

ソウヤ達が宇宙に飛び出しました~!

いや、本当にオリジナルのペガサス級のバイアリータークは本当に難産でした。

ペガサス級の設定て、本当に神経が減りますね。
公式でも、曖昧な所が沢山あるので、下手に設定は出来ないけど。
これはペガサス級の何番艦なのかって、思ってしまいますよね。
色々と資料を漁っていると、サラブレッドの設定が曖昧な部分があったので、そこにお邪魔させていただきました。
あと、オリジナルの新キャラクターは2名は競馬の騎手を参考にして、もう1人はガンダムSEEDのキャラクターを参考に作りました。



あと、20話で名前が出ていた人気機体とパイロットも登場させることが出来ました!

ソウヤとクロエのやり取りはガンダムSEED Destinyのシンとステラのやり取りをイメージしながら、作ってみましたー!

皆さんに楽しんで読んでもらえたら、幸いです。

次回はまさかの意外な人物が登場しますので、お楽しみに!

感想お待ちしております。

オリジナル艦紹介

ペガサス級強襲揚陸宇宙空母4番艦 バイアリーターク

元は次世代開放型宇宙空母計画「SRV-27」の基本フレーム検証用テストベッドとして戦争前に建造された“白い実験台”。
開戦後、V作戦のモビルスーツ母艦開発に急遽転用され、ホワイトベース・ブランリヴァル・サラブレッドの各種実証データを一手に引き受けた“影の功労者”。
最終的に「十分に戦える」と判断され、正式にペガサス級4番艦として就役。
サラブレッドが改ペガサス級に振り分けられたため、急遽空いた枠を埋めた“異端の四番艦”。

武装
880mm連装砲×2
58cm連装主砲×1
連装メガ粒子砲×2
連装機関砲×20(計40門)
ミサイルランチャー×40(前部24門、後部16門)
試作ジャミングフィールド展開装置
試作レーザー撹乱幕特殊弾頭

艦体色: 漆黒
モビルスーツ搭載数:6機
中央ブロックにパブリック1機搭載

登場人物紹介

クロエ・クローチェ
原作 (機動戦士ガンダム外伝 ミッシングリンク)
ペイルライダーのパイロット、こんな少女を生体CPUみたいな扱いをするグレイブはマジでヤバい。

【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?

  • 陸戦型ジム改
  • バイアリーターク
  • ペイルライダー・ヴァンガード
  • ペイルライダー・マスケッティア
  • ヴァルキリー
  • グフ・ノクターン
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