機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第26話 聖痕【下】

シイコのジム・コマンドは強制的に位置を露わにされた後も、優雅に機体を回転させ、オリオン小隊の三機を獲物を狩る猛禽のように品定めするように静かに浮かんでいた。

 

シイコの視線は、まずイーサンのジム・ドミナンスを、続いてヤザンのヴァンガードを一瞥し、最後にペイルライダー・マスケッティアに食い入るように見つめた。

 

(……あれは、間違いなくタカバ少尉のマスケッティア)

 

デブリに隠れていたライラの位置を正確に炙り出し、先制の遠距離射撃で待ち伏せを崩した。

それだけでも驚くべきことだったが、それ以上にシイコの胸を高鳴らせたのはソウヤの配置と装備だった。

いつものオリオン小隊なら、タカバ少尉を後方に配置し、精密射撃で前衛の2機を援護するスタイルのはずだ。

なのに今、ソウヤは前衛に立ち、しかもバックパックには4連装の小型ミサイルランチャーを左右二基装備している。

マスケッティアの専用武器であるメガ・ビーム・シューターはどこにも見当たらない。

あの武器は高火力でコロニーの外壁ごと、ライラのジム・コマンドを撃破することも可能だった。

だが、メガ・ビーム・シューターはその長い銃身と重さ故に高機動で動き回る相手に命中させるのは至難の技だ。

 

(つまり……)

 

シイコの唇が自然と弧を描いた。

 

(高機動戦闘になることを予期して、あの軽装備を選んだんだ。私を意識して……私に本気で向き合うためにわざわざ装備を変えてきた)

 

胸の奥で、何かが熱く疼いた。

まるで、ソウヤが自分だけを見てくれているような――そんな、甘く切ない感覚。

シイコは無意識にスロットルを握りしめた。

 

(嬉しい……あなたは今、私だけを見てくれている)

 

最初から決まっていたことだった。

ボカタとライラには、すでに伝えてある。

 

 

 

――ソウヤ・タカバの相手は、私がする。

 

 

 

だから、通信を開く必要すらなかった。

シイコは静かに、しかし確実にスラスターを最大出力で噴射させた。

ジム・コマンドは猛禽のように鋭い軌道で急接近を始める。

目標はただ一つ――ペイルライダー・マスケッティア。

 

(ソウヤ・タカバ少尉……)

 

シイコの瞳が、興奮と恋慕にも似た熱で輝いていた。

 

「あなたに勝つことで心に刻印を刻みつけてあげる。」

 

高機動の魔女が、ただ一人の獲物に向かって、本気の狩りに出た瞬間だった。

ヤザンはモニターに映るシイコのジム・コマンドの急接近を見て、通信で低く笑った。

 

「おいおい、魔女さんはソウヤに熱あげてんじゃねえか。あの一直線、完全に恋の突撃だぜ。」

 

イーサンが苦笑いを漏らす。

 

「ソウヤ、厄介な相手に目をつけられたな。あの動きは確実にお前を狙っているぞ。」

 

ソウヤはコックピット内で小さく息を吐き、ヘルメットの下で苦笑いを浮かべた。

 

「……そう、ですね…。」

 

だが、すぐに表情を引き締める。

 

「でも、彼女の相手は俺がします。予定通りです!」

 

ヤザンが少し驚いたように声を上げた。

 

「おいおい、変わってやろうか?俺の方が接近戦は得意だぜ?」

 

ソウヤは静かに、しかしはっきりと首を振る気配を通信で伝えた。

 

「いや、俺に任せてくれ。」

 

ヤザンは一瞬黙り、それから肩をすくめるように笑った。

 

「……わかったよ、相棒の意思だ。尊重するぜ。」

 

イーサンが落ち着いた声でまとめた。

 

「了解した。シイコ・カタギリ中尉の相手はソウヤに任せる。俺とヤザンは残りの二機――ボカタ大尉とライラ准尉を仕留める」

 

「了解!じゃあ、俺はあのデブリに隠れてる連中を狩ってくるぜ。」

 

ヤザンのヴァンガードがスラスターを噴射し、デブリの密集エリアへと突入していく。

イーサンのジム・ドミナンスもそれに続く。

ソウヤは逆に、機首をわずかに転針させた。

デブリが少ない、開けた宙域――そこなら、僚機を巻き込まず。

マスケッティアの性能を最大限に活かし、シイコとの一対一に持ち込める。

マスケッティアのバックパックのスラスターが青白く輝き、デブリが少ない宙域を目指した。

シイコのジム・コマンドは迷うことなく、その動きに追従する。

まるで糸で繋がれたように、正確に、執拗にソウヤのマスケッティアの後を追った。

 

シイコのジム・コマンドはソウヤのマスケッティアを追いかけながら、徐々に距離を引き離されていくのを感じていた。

 

 

少しずつ、少しずつ――確実に獲物が遠ざかっていく。

マスケッティアの推進力はペイルライダーシリーズ特有の高出力スラスターを搭載している。

対するジム・コマンドは、量産機ゆえの限界がある。

直線加速では、どうしても差がつく。

シイコはコックピット内で舌打ちを噛み殺した。

 

(……まるで、焦らされているみたい)

 

目の前にいるのに、手が届かない。

触れられない。

自分の獲物が、すぐそこにいるのに何もできない。

それはシイコにとって耐えがたい苛立ちだった。

 

(つまらない……こんなに近くにあなたがいるのに)

 

痺れを切らしたシイコはビーム・ガンを構え、引き金を引いた。

赤いビームの軌跡が真空を一直線に走る。

コンピューターが合成した射撃音がコックピット内に鋭く響いた。

だが――マスケッティアは、まるで予期していたかのように軽く機体を傾けるだけでビームを回避した。

アポジーモータを最小限に噴射し、無駄のない動きで射線を外す。

シイコの瞳が驚きと喜びで大きく見開かれた。

 

(……素晴らしい)

 

後を取られている状況での、あの余裕。

ルナツーで数え切れない模擬戦を繰り返してきたシイコの記憶に似た相手はほとんどいない。

後方を取られたパイロットのほとんどは焦って大きく回避行動を取り、機動力を削がれ、次の射撃で撃墜判定にした。

たとえ回避に成功したとしても、反撃に移る頃には、すでに次の手を打っている。

演習の筋書で負けが予定されていない限り、シイコは無敗だった。

それなのに――ソウヤ・タカバは、機体性能の差があるとはいえ、冷静に、余裕を持って回避した。

シイコの胸が、熱く疼いた。

 

(興奮する……どうやって狩ろうかしら?あなたはどんな作戦を練っているの?私に全力で挑もうとしてくれているのね……)

 

その事実がシイコを喜ばせた。

獲物がただ逃げるだけじゃない。

自分を意識し、自分を落とすために考え、準備してきている。

それはシイコにとって、堪らなく嬉しかった。

シイコはビーム・ガンを構え直し、再び射撃を加えながら、さらにスラスターを絞り出す。

距離はまだ離されている。

だが、もう焦らない。

 

(ゆっくりでいい…あなたが私を意識してくれている限り…この狩りは終わらない!)

 

二機の距離は開いたまま保たれながらも戦いの熱は、確実に高まっていく。

ジム・コマンドが再びビームを放つ。

マスケッティアが静かに、それを避けた。

シイコのビームを回避した瞬間、機体をわずかに回転させ、バックパックの右側小型4連ミサイルランチャーを後方を追うジム・コマンドに向けた。

次の瞬間、一発のミサイルが発射される。

 

「ミサイル!?」

 

シイコは即座に反応し、頭部バルカン砲を連射しながらアポジーモータを短く噴射、機体を横に移動させる。

模擬弾のバルカン曳光弾がミサイルに着弾し、コンピューターが即座に判定を下す。

モニター上に鮮やかな爆発エフェクトが広がった。

オレンジと白の仮想火球が一瞬視界を覆い、シイコのメインカメラが自動的にフィルターを掛ける。

 

「見失った……!?どこに?」

 

爆発の閃光が収まった瞬間、シイコは落ち着いて周囲をスキャンする。

すると、センサーが前方にモビルスーツの反応を捉えた。

 

 

――そこにマスケッティアはいた。

 

 

移動を止め、完全に姿勢を立て直し、正面からシイコのジム・コマンドを睨むように静止している。

ハイパービームライフルを右手で構え、シールドを前に出し、まるで決闘の構えを取った決闘士のように。

その姿は戦いの舞台が整い、覚悟を決めた者のそれだった。

シイコは無意識に息を呑み、周囲の状況を素早く分析した。

デブリはほとんどない。

見通しが良く、障害物は遠くにわずかにあるだけ。

 

(……なるほど)

 

シイコの唇が、再び弧を描く。

ソウヤはここを選んだ理由が、はっきりわかった。

デブリ帯で戦えば、自分は死角を利用してロストを繰り返し、高機動で翻弄できる。

マスケッティアは射撃特化の機体。

デブリが多いとハイパービームライフルやミサイルが障害物に阻まれ、有効な攻撃が半減する。

逆にこの開けた宙域なら、マスケッティアの高出力スラスターと精密射撃武装を最大限に活かせる。

自分をロストさせず、確実に射線を捉え続けることができる。

すべては、自分――シイコ・カタギリを倒すために計算された舞台だった。

シイコの背筋にゾクゾクとした愉悦が走った。

 

(私を倒すために!こんな場所まで誘導して、私だけをこんなに真剣に……!)

 

胸の奥が熱くなる。

これはもう、ただの模擬戦じゃない。

ソウヤ・タカバは自分に全力で挑んでいる。

自分だけを真剣に倒すべき敵として、見てくれている。

シイコはビーム・ガンを構え直し、スロットルを握りしめた。

 

 

(だったら、私も――あなたの全力に応えてあげる)

 

 

二機の距離は約800m。

静かな宇宙空間に二つの影だけが対峙する。

先に仕掛けたのはソウヤのマスケッティアだった。

開けた宙域で完全に正面を向き合った二機。

マスケッティアがハイパービームライフルを構え直す。デュアルセンサーがシイコのジム・コマンドを完全に捉え、ロックオンを示す赤い照準マークが点灯した。

ソウヤは静かに引き金を引いた。

鮮やかな赤いビームが真空を一直線に駆け抜ける。

コンピューター合成の重低音のような射撃音がコックピット内に響いた。

シイコは即座に反応した。

ジム・コマンドのスラスターを横に短く噴射し、機体をわずかに滑らせる。

ビームは先ほどまであった位置を通過し、虚空に消えた。

回避と同時にシイコはビーム・ガンを構え、反撃の一撃を放つ。

赤い軌跡が、今度はマスケッティアに向かって飛ぶ。

ソウヤはアポジーモータを細かく制御し、機体をわずかに傾けてビームをギリギリで回避した。

ビームはマスケッティアの肩部をかすめ、仮想命中マーカーが肩に薄く点灯する。

シイコの胸が歓喜で震えた。

 

(……真正面から私に挑んでくれるのね)

 

ルナツーでシイコと戦い、その強さを知ったパイロットたちは誰もが同じ反応を示した。

真正面からの撃ち合いを避け、距離を取って逃げ回るか、あるいはシイコとの直接対決自体を敬遠するようになった。

無敗の魔女に正面から挑む者などいなくなった。

それなのに――ソウヤ・タカバは違う。

無知なのか、それとも勝てる算段があるのか、シイコにはまだわからない。

だが、彼は迷わず、真正面から自分に銃を向けてきた。

シイコは無意識に唇を舐め、スロットルをさらに絞った。

二機は高速で動き回り始めた。

マスケッティアがハイパービームライフルを連射すれば、シイコのジム・コマンドは鋭い機動で全てを回避し、即座にビーム・ガンで反撃する。

ソウヤは冷静に射線を読み、必要最小限の動きでビームを避け続ける。

 

(もっともっと長く!あなたが私に抗う時間をできるだけ長く味わいたいの!感じさせて!あなたの存在を!)

 

距離は1000メートルから800、ときには400まで詰まり、また離れ、また詰まる。

赤い軌跡が宇宙空間に無数に描かれ、コンピューターが合成した射撃音と回避時のスラスター音が交互に響き合う。

 

ライラはコックピット内で、荒い息を吐いていた。

ノーマルスーツの首元が汗で湿り、ヘルメットのバイザーがわずかに曇る。

 

(……息が、上がってる)

 

先のソウヤの先制射撃で、隊のペースを完全に乱された。

回避行動を取ったせいで位置を露わにし、ジム・ドミナンスとペイルライダー・マスケッティアの集中砲火を必死に凌いだ。

隊長のボカタ大尉とシイコ中尉の奇襲がなければ、あの時点で戦闘不能判定を受けていたかもしれない。

その後、シイコ中尉は宣言通り――

『オデッサの新星』を追って、デブリ宙域から離脱した。

残ったジム・ドミナンスとペイルライダー・ヴァンガードは予想通りデブリの密集エリアに突入してきた。

ボカタ隊長は同じ隊長同士として、イーサン・ミチェル・オルグレン少佐のジム・ドミナンスに挑んだ。

そして、自分――ライラ・ミラ・ライラ准尉はヤザン・ゲーブル曹長が操るヴァンガードの相手をすることになった。

最初は、明らかに自分が優勢だった。

宇宙戦闘の経験の差は圧倒的だった。

先の模擬戦で、ヤザン曹長は短期間で驚異的な適応力を見せ、あそこまで宇宙を舞えるようになったこと自体が脅威だったが動きの端々に粗が残っていた。

推進器の微調整の遅れ、射撃タイミングのわずかなズレ、デブリを利用した死角の読みの甘さ。

ライラはこの戦いで、それを見逃さず、ビーム・ガンで確実に追い詰めていった。

ヤザンはギリギリで回避し、シールドで受け、時にはバルカンで牽制を返してきたが明らかに守勢に回っていた。

――それが、戦闘が続くにつれて変わっていった。

 

三回目の交差で、ヤザンの回避が少し滑らかになった。

 

四回目で、射撃のタイミングが鋭くなった。

 

五回目で、デブリの影から飛び出す位置読みが正確になった。

 

まるで、獣が生きるために過酷な環境に適応しようとするように――いや、むしろ戦いを楽しむ獣が獲物を狩る術をその場で身につけていくように。

ライラは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

ヤザン・ゲーブルの成長速度は常軌を逸していた。

だが、それ以上に戦慄したのは通信から響くヤザンの声だった。

 

「ははっ!いいぜ、もっと来いよ!」

 

「これだよ、これ!戦いはこうじゃないとな!」

 

「まだまだ足りねえ!もっと本気で挑んでみろ!!」

 

飽くなき戦闘への渇望。

喜びに満ちた、獣の咆哮。

今では完全に立場が逆転していた。

 

ヤザンのヴァンガードが襲う者。

 

ライラのジム・コマンドが逃げる者。

 

デブリの影から影へ必死に機動を繰り返しながら、ライラは歯を食いしばった。

 

(あの男は化け物か!?戦えば戦うほど強くなる……!)

 

ヴァンガードのスラスターの光が、すぐ背後で輝く。

 

ヤザンの笑い声が再び通信に響いた。

 

「やっと見つけたぜ!逃げんなよ!お嬢ちゃん!まだまだ遊ぼうぜ!!」

 

ヤザンの声を聞き、ライラは驚愕した。

 

(……もう、見つかった!?)

 

デブリの影から影へ逃げ回っていたはずなのに、ヴァンガードのセンサーが自分を完全に捉えていた。

ライラは即座に反応し、頭部バルカン砲とビーム・ガンを同時に発射した。

模擬弾の曳光弾と赤いビーム軌跡がヴァンガードに向かって殺到する。

牽制――いや、せめて距離を取るための必死の抵抗。

だが、ヤザンのヴァンガードは小刻みにアポジーモータを噴射し、機体を細かく動かしながら、すべての攻撃を回避した。

しかも、回避しながら確実に距離を詰めてくる。

通信からヤザンの戦闘を楽しむ声が響いた。

 

「ははっ! 宇宙空間の戦闘のコツがようやく分かってきたぜ!最初は散々にボコられたけどよ、お陰で目ぇが覚めたよ。ありがとな!」

 

ライラは焦りが胸に広がるのを感じ、必死に自分を鼓舞した。

 

「落ち着け……!宇宙戦闘の経験は私の方が圧倒的に上はずだ!ルナツーで敵なしのアグレッサー部隊、スペース・ウィッチーズ隊の一員なんだぞ!?こんな、宇宙に上がってきたばかりの新参者に……負けるはずがない!!」

 

ライラはビーム・ガンを連射し、ヤザンの接近を阻もうとした。

赤い軌跡が連続して放たれる。

だが、ヤザンは笑い声を上げながら、さらに距離を詰めてくる。

 

「いいぜいいぜ! その意気だ!」

 

もはや、射撃では止まらない。

距離が三百メートル――二百――百五十――ライラは腰に装備されたビームサーベルを抜き、左手に構えた。

ジム・コマンドの機体が回転し、接近してくるヴァンガードに向かって切り払いを放つ。

ピンク色の刃が真空を薙ぐ。

しかし、ヤザンのヴァンガードは素早く右手に持っていたハイパービームライフルを後腰にマウントし、バックパックの右側に装備されたビーム・サーベルを一瞬で抜刀した。

同じピンクの光刃がライラのビーム・サーベルを正確に受け止める。

コンピューターが合成したビーム同士の衝突音が両者のコックピットに響いた。

仮想の火花エフェクトが二つの刃の間で散る。

 

ライラの目が見開かれた。

 

「この短時間の戦闘で、ここまで……!」

 

ヤザン・ゲーブルは、わずかな時間でここまで成長した。

自分を追い詰め、剣を交えるまでに至った。

背筋に再び冷たい戦慄が走った。

通信から、ヤザンの獣じみた声が響く。

 

「ようやく近接戦闘だ!ここからが本番だろ!!」

 

ヴァンガードのビーム・サーベルが力任せに押し込んでくる。

ライラのジム・コマンドが、後退を強いられた。

デブリ宙域の影で二機の接近戦が始まった。

ヤザンの飽くなき戦闘の渇望が、ライラを完全に飲み込もうとしていた。

 

 

 

 

ボカタはデブリの影からライラの戦域を遠巻きに確認し、眉を潜めた。

ライラのジム・コマンドは、ヴァンガードに完全に追い詰められている。

必死にデブリを利用して逃げ回る姿は、先程までの余裕が嘘のようだ。

 

(……ライラが、ここまで苦戦するとは)

 

士官学校から急遽配属されたばかりの若手だ。

候補生の身でいきなりスペース・ウィッチーズ隊に抜擢されただけあって、才能は確かにある。

射撃の精度も機動のセンスも申し分ない。

だが、経験が浅い。

それが、今日の敗因になりつつあった。

ソウヤの先制射撃を過信から許し、位置を露わにした。

ヤザンを素早く仕留められなかったせいで、あの戦闘狂を戦場で成長させてしまった。

ルナツーで負け知らずのスペース・ウィッチーズ隊が、ここまでやられるとは――ボカタ自身も予想していなかった。

その時、通信が開いた。

落ち着いた、しかしどこか余裕を含んだ男の声。

 

「うちの部下は、なかなかやるだろ?」

 

イーサン・ミチェル・オルグレン少佐。

 

ボカタは現状を見て、苦笑いを漏らすしかなかった。

 

「……ええ、その通りです。甘く見ていました、オルグレン少佐。」

 

イーサンの声に、静かな誇りが混じる。

 

「自慢の部下たちだよ。」

 

ボカタは小さく息を吐き、ジム・コマンドのスロットルを握り直した。

 

「ですが、私たちにもルナツー最強のアグレッサー部隊の矜持があります。そう簡単に負けるつもりはない。――私達は勝ちに来ている!!」

 

通信を切り、ボカタはスラスターを噴射した。

ジム・ドミナンスとジム・コマンド、二機がデブリの隙間を縫って相対する。

先に動いたのはボカタだった。

ビーム・ガンを正確に構え、連射を放つ。

赤い軌跡が4本、イーサンのジム・ドミナンスに向かって殺到する。

だが――イーサンは余裕を持って機体を傾け、わずかなアポジーモータ噴射で全てを回避した。

ボカタは内心で舌打ちした。

 

(……僅かな動きで全弾回避だと!?)

 

オデッサ作戦、ジャブロー降下作戦、キャリフォルニアベース奪還作戦――地上の激戦を潜り抜けた猛者。

しかも、イーサン・ミチェル・オルグレンはブリティッシュ作戦から生き残ったセイバーフィッシュ乗りだ。

宇宙戦闘のキャリアは、ソウヤやヤザンとは比べ物にならない。

動きの一つ一つが洗練され、無駄がない。

デブリの配置を完璧に読み、射線を予測し、必要最小限の機動で対応する。

 

(流石はあのブリティッシュ作戦の生き残り……荷が重い相手だな)

 

イーサンのジム・ドミナンスが、二連ビーム・ライフルを返してくる。

赤い閃光が二本、ボカタのジム・コマンドに向かう。

ボカタはスラスターを短く逆噴射し、デブリの破片を盾にしながら機体を横滑りさせる。

ビームはデブリの表面をかすめ、仮想の命中マーカーを散らしながら虚空に消えた。

だが、イーサンは追撃を緩めない。

次の射撃はデブリの死角を予測したような軌道で、ボカタの退路を塞ぐ。

ボカタは舌打ちし、アポジーモータを細かく制御して強引に回避。

同時にビーム・ガンで反撃を加えるが、イーサンは余裕の機動でそれを外す。

デブリの影と光が交錯する宙域で赤いビームの奔流が絶え間なく放たれる。

 

 

 

 

 

ソウヤのペイルライダー・マスケッティアとシイコのジム・コマンドは互いに数百メートルの距離を保ちながら、高速で撃ち合いを続けていた。

ソウヤはマスケッティアの高出力スラスターの利を活かし、素早く距離を取った。

さらにバックパックのミサイルランチャーから牽制のミサイルを2発放ち、頭部バルカン砲で追撃を加える。

シイコは頭部バルカン砲でミサイルを迎撃し、バルカン弾を機動でかわすが、

その隙にソウヤは再び距離を離し、シイコの得意とする近接圏内に入らせない。

 

(……ここまで長く、私と渡り合えるなんて)

 

ルナツーで無敗を誇ってきたシイコにとって、

たった一人でこれほど粘り強く戦い続ける相手はソウヤ・タカバが初めてだった。

だが、戦局全体は思わしくなかった。

ライラはヤザン・ゲーブルに完全に押され始めている。

新米とはいえ優秀なライラが、あの戦闘狂にここまで追い詰められるなんて。

ボカタも、イーサン・ミチェル・オルグレンのジム・ドミナンスに手間取っているのが通信から伝わってきた。

 

 

そして、自分自身も――ソウヤを仕留められていない。

 

 

このままでは、ライラが先に落とされ、数の不利を受ける。

そうなれば、ヤザンがこちらに介入してくる可能性が高い。

 

(……そんなの、嫌)

 

シイコは心の底から拒絶した。

この戦いに誰にも、水を差されたくない。、

何より、自分だけでソウヤを倒したい。

コックピット内で、唇を噛んだ。

純粋な推力と武装では、マスケッティアとの距離を容易に詰められない。

このまま撃ち合いを続けてもジリ貧になるだけだ。

模擬戦前のボカタの言葉を思い出す。

 

「シイコ、お前のあの戦術は今回の模擬戦では厳禁だ。

マスケッティアは貴重な試作機だ。予備パーツが少ない。お前のあの戦術を使えば、装甲に必ず傷がつく。」

 

ふと、あるひらめきが脳裏をよぎった。

小さく独り言のように呟いた。

 

「……ごめんなさい、ボカタ。ギリギリを攻めさせてもらうわ。」

 

シイコの瞳が狂おしいほどの興奮で輝いた。

ジム・コマンドは左腕に装着したシールドを前に構えながら、マスケッティアに一気に接近を掛けた。

スラスターを最大出力に絞り、一直線に突っ込んでくる。

ソウヤは冷静にその動きを読み、バックパックのミサイルランチャーからミサイルを一発を放った。

白い噴煙を残しながら、ミサイルはジム・コマンドに向かって飛ぶ。

シイコは同じように頭部バルカンで迎撃し、回避行動を取る――そう、ソウヤは予想した。

だが、シイコの行動は予想を裏切った。

ジム・コマンドは構えていたシールドを投擲した。

シールドが回転しながらミサイルに直撃し、モニター上に大規模な爆発エフェクトが広がり、ソウヤのメインカメラが一瞬フィルターを掛ける。

 

(くそ!……ロストした!)

 

爆発の閃光が収まるまでのわずかな隙。

その瞬間を利用し、右手に持っていたビーム・ガンを左手に持ち替えた。

そして、空いた右手の人差し指を、マスケッティアに向かって伸ばす。

それはまるで、魔女がウィッチフィンガーで呪文を唱えるかのように妖しく、優雅な動作だった。

ジム・コマンドの人差し指マニュピレーターの付け根から、小型ワイヤーフックが射出。

放たれたワイヤーフックはマスケッティアのシールドに正確に食い込む。

ガチン、という感触がシイコのコックピットに伝わった。

放ったワイヤーフックがシールドに引っ掛かかったことを確信し、感情が昂ぶった。

 

(……やっと、本当の私を見せられる!)

 

ソウヤは念のため距離を取ろうと、スラスターを逆噴射させた。

だが――すぐに違和感に気づく。

機体の推力の上がり方、体に掛かるGが、先ほどまでと違う。

何か、機体を引っ張るような力がかかっている。

 

(……これは!?)

 

ソウヤはモニターを確認し、戦慄した。

ジム・コマンドは、すでに体勢を立て直し、こちらを向いていた。

しかも、距離が離れていない。

いや、先ほどよりも詰められている。

シイコは左手に持ち替えたビーム・ガンを構え、銃口をマスケッティアに向けた。

ソウヤは射線を読み、シールドを前に出す。

赤いビームが放たれ、シールドに直撃。

仮想命中マーカーが複数点灯する。ソウヤは瞬時に判断した。下手に後退するより、前進して躱した方がいい。ペダルを全力で踏み込み、マスケッティアを前進させる。二機がすれ違う。

すれ違い、一定距離を取った瞬間――マスケッティアの左腕が強い引っ張られる感覚が走った。

次の瞬間、コックピット内に警告アラームが鳴り響く。ソウヤはモニターを見て、目を瞠った。

ジム・コマンドが、すでにこちらに体を向き直していた。

しかも、体勢はバク転のような逆さまの姿勢で、それでいてビーム・ガンを正確にこちらに向けている。

 

(……速すぎるだろう!)

 

ソウヤは急旋回を掛ける。

シイコもビームを放つ。

だが――ジム・コマンドの機体が不自然に左へ流され、射線がズレ、ビームはマスケッティアの横を通過した。

シイコの表情が動揺に歪む。

 

(しまった!初めての機体にしたから、旋回速度を見誤った!?)

 

ソウヤはシイコの不自然な動きに疑問を抱いた。

ジム・コマンドは明らかに不自然に左へ流された。

絶好の射撃タイミングだった。

銃口は完全に捉えていた。

引き金も引いた。

それなのに、なぜ?

まるで、シイコの機体が何かに引っ張られたかのようだ。

 

すると、ソウヤの脳裏にイーサンから渡された資料が蘇った。

スペース・ウィッチーズ隊のエース、シイコ・カタギリ中尉の得意戦法"スティグマ攻撃"。

 

指関節部から射出される小型ワイヤーフックを敵のボディーや四肢に引っ掛け、

相手を支点に瞬間的な急加速と軌道変更を繰り返す高機動戦法。

ワイヤーで固定された支点を中心に旋回することで、予測不能の立体機動を実現し、敵の死角から一気に撃破する。

まるで瞬間移動のように見えるその動きは相手パイロットの反応を上回り、近接戦で圧倒的な優位を築く。

ルナツーでシイコに敗れたパイロット達は機体に残った傷に喩え、"聖痕の攻撃"と名付けた。

ソウヤは瞬時に状況を振り返った。

 

1つ、シイコが右手に持っていたビーム・ガンを左手に持ち替えたこと。

2つ、距離を離そうとしたのに逆に詰め寄られたこと。

3つ、ジム・コマンドの性能以上の異常な速さの急旋回。

そして、今の不自然な射線のズレ。

すべてが、スティグマ攻撃の特徴と一致する。

 

 

(……あれがスティグマ攻撃!?)

 

 

だが、オルグレン少佐とボカタ大尉の取り決めで、

今回の模擬戦ではシイコのスティグマ攻撃は禁止されている。

マスケッティアとヴァンガードは貴重な試作機。

ワイヤーフックが食い込めば、装甲に傷がつき、予備パーツの消費につながる。

 

予備パーツの少ない、マスケッティアとヴァンガードには死活問題だ。

シイコのジム・コマンドは体勢を立て直し、もう一度マスケッティアに向かって突っ込んでくる。

ソウヤはすれ違った瞬間の感覚を思い出した。

左腕――シールドが強く引っ張られた。

 

(……シールドか!)

 

ワイヤーフックは本体ではなく、シールドに掛かっていた。

シイコはルールをギリギリまで攻めたのだ。

本体に傷をつけないよう、シールドを選んだ。

その配慮にソウヤは驚きと同時にシイコの執念を感じ取った。

 

(スティグマ攻撃をしてでも……俺を倒したいのか!)

 

シイコのジム・コマンドが再び迫る。

 

ソウヤは瞬時に考えを巡らせた。

 

どれだけ変則的な高機動を誇ろうとワイヤーがシールドに固定されている以上、死角からの攻撃パターンは限定される。

ならば――それを、チャンスに変えるしかない。

ソウヤは覚悟を決めた。

シイコもまた、先の不自然な動きでソウヤがスティグマ攻撃に気づいたかもしれないと感じていた。

 

(……もう隠せないわね)

 

ソウヤとの戦いをもっと長く堪能したかった。

だが、ライラがヤザンに押され、ボカタ隊長も苦戦している。

小隊の勝利のためにも、ここで決着をつけなければならない。

 

 

口惜しいが――勝負を決める。

 

 

シイコはビーム・ガンを構え、機体を加速させた。

ソウヤは残りのミサイルを全弾発射し、頭部バルカン砲を連射する。

ミサイル群と曳光弾がジム・コマンドに向かって殺到した。

頭部バルカンでミサイルを迎撃し、バルカン弾を機動でかわしながら、

ビーム・ガンを発射して突進を続ける。

マスケッティアはシールドを構え、ビームを防いだ。

シイコは予測した。

 

(タカバ少尉はまた、前進してすれ違うはずだ)

 

ならば、すれ違った瞬間にワイヤーを牽引し、マスケッティアのスピードを殺す。

その反動を利用して自分は急旋回し、背中を取ってビーム・ガンで撃破。

完璧な流れ。

ジム・コマンドのスラスターを全開にし、一気にスピードを上げる。

距離が急速に縮まる。

感情の昂りが頂点に達した。

 

(あなたは、私に敗北を刻まれるの)

 

マスケッティアとジム・コマンドは互いに左側をすれ違った。

シイコは勝利を確信した。

 

(今よ!)

 

ワイヤーを牽引し、急旋回を掛けようとした。

 

 

――その瞬間。

 

 

シイコのコックピットがアラームが鳴り響いた。

モニターに赤い文字が広がる。

 

[撃破判定戦闘不能]

 

モニターに映し出された表示に驚愕する。

 

(……機体故障!?)

 

すぐにコンソールを操作し、異常を確認する。

だが、機体は正常だった。

 

 

 

 

 

ボカタのサブモニターに赤い警告表示が点滅した。

 

[ウィッチ2 シイコ・カタギリ中尉 戦闘不能]

 

ボカタは目を疑った。

 

(……シイコが?)

 

戦闘狂のヤザン・ゲーブルなら、シイコを倒す可能性もあったかもしれない。

だが、ソウヤ・タカバに――あの『オデッサの新星』にシイコが敗れるとは。

予想だにしていなかった。

その驚きが隙を生んだ。

 

「言っただろう? うちの部下はすごいと。」

 

通信機から、イーサンの落ち着いた声。

ボカタはハッと我に返ったが、すでに遅かった。

ジム・ドミナンスが、デブリの影から滑り出していた。接近を許していた。

イーサンは迷わずトリガーを引いた。

二連ビーム・ライフルの赤い閃光がボカタのジム・コマンドを直撃する。

モニターに撃破判定が広がる。

 

(……完敗だな)

 

ボカタは小さく息を吐き、苦笑した。

 

 

ライラはモニターを見て、呆然とした。

 

(シイコさん!?ボカタ隊長!?)

 

まさか、スペース・ウィッチーズ隊のエース、無敗の魔女と呼ばれたシイコ・カタギリ中尉が撃破されるなど、

想像すらしていなかった。

隊長のボカタ大尉まで。

だが、その動揺が決定打になった。

ヤザンのヴァンガードが一気に間合いを詰めてきた。

ライラが気を取られたわずかな隙。

ヤザンは右手に構えたビーム・サーベルを振り抜く。

赤いの光刃がジム・コマンドのコックピット部分を正確に捉えた。

コンピューターの冷徹な判定を下す。

 

[撃破判定戦闘不能]

 

ライラのモニターが赤く染まる。

ライラはヘルメットの下で唇を噛んだ。

 

(私たち……スペース・ウィッチーズ隊が負けた…。)

 

ショックと信じられない思いが胸に広がった。

 

 

 

 

 

シイコはコックピット内でコンソールを急いで操作した。

ダメージログを呼び出し、撃破判定の原因を調べる。

胴体部にビーム・サーベルの直撃。

仮想命中マーカーが胴体を真っ二つに斬り裂く形になっている。

 

「胴体にビームサーベルの直撃?どういうこと?」

 

機体を旋回させ、マスケッティアの姿をメインカメラで捉えた。

そこにあったのは、マスケッティアの左手に逆手でビーム・サーベルを握っている姿だった。

シイコはすべてを理解した。

 

「やられたわ…。」

 

あのすれ違った瞬間、マスケッティアは左腰のビームサーベルを逆手で抜き、居合抜きの如くカウンターしたのだ。

シイコのジム・コマンドの胴体を正確に真っ二つに一閃。

ワイヤーフックを本体ではなくシールドに掛けた選択が、逆に自分の軌道を制限し、致命的な要因を生んだ。

ソウヤはそれを狙っていたのだ。

残りのミサイル全弾とバルカン連射も、必殺の一閃を悟らせない為のブラフ。

まさか――射手として知られるソウヤ・タカバが近接戦闘で自分を撃破するなど、夢にも思っていなかった。

シイコはコックピット内で静かに息を吐いた。

悔しさ以上に熱い感情が胸に溢れ出す。

 

(……あなたは私に初めての黒星を刻んだ人。)

 

スティグマ攻撃に制限をかけたとはいえ、攻略されてしまった。

ルナツーで無敗だった自分に初めての黒星を刻んだ男。胸の奥で何かが決定的に変わった。

これまで、数え切れないパイロットを見てきた。

自分に挑み、自分に敗れ、

やがて自分を避けるようになった者たち。

だが、彼は違う。

ソウヤは自分を真正面から見て、

自分を理解し、そして――勝った。

 

(あなたこそ……ニュータイプなのね。)

 

直感が、そう告げていた。

あの読み、あのタイミング、あのカウンター。

常人の反応ではない。

だからこそ、自分に勝てた。

シイコはヘルメットの下で小さく、しかし確かに微笑んだ。

悔しさは確かにあった。

だが、それ以上に胸の奥で、熱い、甘い感情が広がっていく。

 

「ソウヤ・タカバ少尉……あなたは私の特別な人…。」

 

コックピットのモニターに模擬戦終了の全体通達が流れた。

 

 

 




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

感想など、お待ちしております。

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