機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第35話 Nフィールド 地獄の聖域【1】

一年戦争の終結後、連邦軍とジオン公国軍の間で、ある共通の認識が静かに共有されていた。

それは、決して両軍が示し合わせて生まれたものではなく、ただ自然に芽生えた合意のようなものだった。

戦場で生還した者たちの間で、口々に語られる格言。

それを強烈に印象づけたのは、戦いのあまりの苛烈さと、そこで繰り広げられた惨状の記憶だけだった。

兵士たちは血と火薬の煙にまみれ、仲間たちの断末魔を耳にしながら、同じ思いを抱いていたのだ。

 

 

 

その格言とは、「Nフィールドは地獄だ。」

 

 

 

一年戦争の最終決戦の舞台となった要塞ア・バオア・クー——ジオン公国軍の最後の砦であり、連邦軍にとっては戦争終結の鍵となる象徴的な場所。

そこで、最も激しい戦火が交錯したエリアが『Nフィールド』だった。

連邦軍は総計4800機ものモビルスーツを投入し、必死の攻勢を仕掛けたが、帰還できたのはわずか6分の1、約800機程度に過ぎなかった。

一方、ジオン軍は3600機のモビルスーツを防衛に充て、死守を試みたものの、3000機以上が未帰還となった。

Nフィールドは、単なる戦場ではなかった。

ジオン兵にとっては公国の誇りを守る聖域のような場所であり、連邦兵にとっては悪夢の坩堝。

両軍の兵士たちは、そこで見た光景を決して忘れなかった——爆散する機体から飛び散る火花、断末魔の通信が飛び交う無線、仲間が次々と失われていく絶望。

連邦のジムがザクを薙ぎ払い、ジオンのゲルググが連邦のジムを貫く。

あの地獄のような戦いが、両軍に同じ格言を刻み込んだのだ。

 

 

第4大隊に編入されたバイアリータークは、連邦軍の作戦において陽動の要としてNフィールドへ向かうことになった。

偵察任務で得た情報が示す通り、ジオン軍の防衛線が最も厚く張り巡らされた宙域だ。

オリオン小隊の面々は、それぞれの機体に身を委ね来るべき戦いの熱を感じ取っていた。

宇宙世紀0079年12月31日——一年戦争の最終決戦、ア・バオア・クー攻略戦が幕を開けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペガサス級強襲揚陸艦4番艦「バイアリーターク」の艦橋内は、息を潜めたような静寂に包まれていた。

艦橋中央の電子時計が、冷たい青白い光を放ちながら13時10分を指している。

宇宙世紀0079年12月31日——13時を少し過ぎたばかりの時刻だ。

 

この時間帯はまさに連邦艦隊がNフィールドへの最終突入態勢を整え、陽動部隊が散開し始めた瞬間。

戦闘開始の合図がいつ鳴ってもおかしくない。

艦橋は緊張の糸が張り詰め、誰もが無駄な言葉を発さない。

モニターの光だけが、乗員たちの顔を青く照らし出す。

オペレーターのナタリア・アルスター少尉は、ヘッドセットを耳に当て、各セクションからの最終確認を淡々とこなしていた。

 

「CIC、MSカタパルト部門、最終チェック完了。射出準備率100パーセント。」

 

「エンジンルーム、メインスラスター出力安定。過負荷警報なし。」

 

「医療班、戦闘配置完了。負傷者対応ベッド全数展開済み。」

 

「通信班、暗号回線正常……第4大隊旗艦アーラシュとのリンク、維持中です。」

 

一つひとつの報告が、艦橋に短く響く。

ナタリアは最後の確認を終えると、ゆっくりと振り返り、艦長席に向かって敬礼した。

 

「艦長、全部門最終確認を終了しました。バイアリーターク、戦闘準備完了です。」

 

クリフトフ・ハーツクライ艦長は、静かに頷いた。

彼の目は、メインスクリーンに映るア・バオア・クーの巨大なシルエット——無数の防衛砲門と、蠢くジオンMSの群れ——をじっと見据えていた。

艦長はゆっくりと息を吐き、静かな声で言った。

 

「よくやった、ナタリア。……これが最後の一戦だ。」

 

彼はわずかに口元を緩め、まるで古い競馬の観客のように言葉を続けた。

 

「このア・バオア・クー攻略戦は、まさに大レースの最終コーナーさ。連邦は約5000頭ものMSを一気に放ち、ジオンも自慢のMSで門を固めて待ち構えている。

しかも、ただの直線じゃない。数多の迎撃システムと、衛星ミサイルが待ち受ける難コースだ。我々第4大隊は陽動の先頭集団——囮の逃げ馬として送り込まれた。

勝負の鍵は、どれだけ粘って本命の逆サイドの宙域に道を開けるか。……生きてゴールに辿り着ける馬は、きっと一握りだろうね。」

 

艦長の言葉に、艦橋内の空気がわずかに重くなった。

誰もが理解していた。

この「レース」の勝者は、生き残った者ではなく、戦争そのものを終わらせた者だということ。

そして、自分たちがそのための「犠牲の逃げ」になる可能性が高いということ。クリフトフは視線をオリオン小隊の待機モニターに移した。

ジム・ドミナンス、ペイルライダー・ヴァンガード、ペイルライダー・マスケッティア……彼らの機体が、カタパルトに並んでいる。

ソウヤ・タカバの機体からは、かすかな熱のようなものが感じ取れた——ニュータイプの予感か、それともただの緊張か。

 

「よし、進撃準備開始。……軍馬の加護があらんことを。」

 

艦長の命令が落ちると同時に、バイアリータークのエンジンが低く唸りを上げた。

電子時計の針が、ゆっくりと13時15分へと進む。

ハーツクライ艦長は、メインスクリーンの戦況表示を一瞥すると、落ち着いた声で次の命令を下した。

 

「全ミサイルランチャー、即時装填。目標はバイアリーターク正面の敵防衛陣だ。一発残らず、叩き込め。」

 

ナタリア・アルスター少尉は即座に頷き、ヘッドセット越しに短く応じた。

 

「了解しました。兵器部門、全ミサイルランチャー装填開始。ミサイルランチャー1から12、即時充填。優先順位は艦長指定の座標です。」

 

艦内各所から「装填開始」「弾薬庫よりミサイル搬送中」の報告が次々と上がる。

バイアリータークの船体が、わずかに振動した。

重いミサイルがレールに載り、発射管へ滑り込んでいく音が艦橋の静寂を微かに破る。

 

ハーツクライは視線を操舵席に移した。

そこに座る若い操舵手、タケシ・トヨタ上等兵は、両手を操舵桿に添え、額に薄い汗を浮かべていた。

 

「タケシ・トヨタ上等兵。」

 

艦長の声は穏やかだが、確かな重みがあった。

 

「この艦の命運は、君の手に掛かっている。Nフィールドはただの難コースじゃない。地雷原を縫うような、死のスラロームだ。だが、君ならやれる。……俺の馬券は、君に賭けてるぞ。」

 

タケシは一瞬、目を丸くした。

そして、すぐに小さく笑みを浮かべて応じた。

 

「艦長……ありがとうございます。このバイアリーターク、絶対に転ばせません。最後まで、ゴールまで全力で走らせますよ。」

 

彼は深く息を吸い、操舵桿を握り直した。

指の関節が白くなるほど強く、しかし安定した力で。

艦橋中央の電子時計が、静かに12時29分を指していた。

ナタリアが、低い声で告げた。

 

「作戦開始、1分前です。」

 

秒針が、刻一刻と進む。

13時19分30秒……40秒……50秒……艦橋内の空気が、目に見えて濃密になっていく。

誰も言葉を発さない。

ただ、息遣いだけがわずかに聞こえる。

モニターの光が、乗員たちの瞳に映り込み、誰もが同じ一点——ア・バオア・クーの防衛線——を見つめていた。

 

作戦開始10秒前。

ナタリアの声が、わずかに震えを帯びて響く。

 

「10……9……8……」

 

艦橋の全員が、無意識に身を乗り出す。

タケシの指が操舵桿をさらに強く握り、

ハーツクライの目が細くなり、

ナタリアの報告する声がカウントダウンを続ける。

 

「5……4……3……2……1……」 

 

電子時計の針が、ぴたりと13時20分を指した。

ハーツクライ艦長が、艦橋全体に響く大きな声で叫んだ。

 

「星一号作戦——開始!全ミサイル、発射!!」

 

瞬間、バイアリータークの両舷から、閃光が迸った。

ミサイルランチャーが一斉に蓋を開け、数十本のミサイルが白い尾を引きながら虚空へ飛び出す。

艦の周囲に並ぶサラミス級巡洋艦、マゼラン級戦艦たちも、同じタイミングで火を噴いた。

無数のミサイルが、まるで銀色の矢の群れのようにア・バオア・クーのNフィールド正面へ殺到する。

ミサイルの噴射炎が、艦隊全体を一瞬、明るく照らし出した。

その光景は、まるで夜の競馬場で最後の直線に差し掛かった瞬間——数千頭の馬が、一斉にゲートを飛び出し、土煙を上げて駆け出すような、圧倒的で、しかしどこか儚い光景だった。

そして、遠くでジオン側の迎撃砲門が黄色い閃光を噴き始めた。

地獄の聖域が、ようやく牙を剥き出した。

第4大隊旗艦、マゼラン級「アーラシュ」の艦橋で指揮官が即座に叫んだ。

 

「パブリク突撃艇部隊、出撃!ビーム攪乱幕を展開せよ! 」

 

命令が下るや否や、黄色い船体のパブリク突撃艇が次々と発進する。

全長およそ40メートル、やや寸胴気味のずんぐりとした船体。

後部には本体に比べて不釣り合いなほど巨大なブースターが左右一対に備わり、噴射炎を青白く吐き出して加速する。

下部には二対の伸縮式アームが伸び、その間に二発の超大型ミサイルをしっかりと抱え込んでいる——まるでミサイルの上にパブリクが必死にしがみついているような、異様なシルエットだった。

パブリク部隊は、まるで群れを成す黄色い矢のように、ア・バオア・クーへ向けて一直線に突進した。

要塞の迎撃砲火が彼らを狙い、ビームと実弾が虚空を切り裂く中、パブリクたちは怯まず前進する。

 

「目標座標到達! 特殊ミサイル、発射準備完了!」

 

各艇の通信が重なり合う。次の瞬間、パブリクの下部アームが展開し、抱えていた超大型ミサイルが一斉に離脱した。

ミサイルは尾を引きながら弧を描き、ア・バオア・クーと連邦艦隊の間に滑り込む。

そして——時限信管が作動。

爆発音はなく、代わりにミサイルの先端から粘つくゲル状の高分子ガスが大量に噴出された。

ガスは瞬時に広がり、虹色の薄い膜のように空間を覆う。

それはビーム攪乱幕——ビームを乱反射・拡散・屈折させることで、その威力を激減させる特殊粒子幕だった。要塞から放たれた黄色の巨大ビームが、その幕に突入した。

ビームは一瞬、膜に飲み込まれるように揺らぎ、直後、無数のプリズムのように乱反射を始めた。

光の矢が四方八方に飛び散り、元の直線軌道を失って拡散する。

一部は屈折して虚空へ逸れ、一部は膜内で何度も跳ね返りながらエネルギーを失い、

ついには淡い光の霧となって消えていく。

死のビームは、まるで嵐に散らされた炎のように無力化された。

パブリク突撃艇の群れは、その幕の陰に隠れながらさらに前進を続けた。

彼らの犠牲が、バイアリータークをはじめとする陽動艦隊に、わずかながらの生還の道を切り開いていた。

だが、要塞の砲門が再び熱を帯び、次の斉射を準備し始めた。

Nフィールドの戦いは、ようやく本当の序曲を迎えたばかりだった。

 

 

 

 

 

 

バイアリータークの艦橋では、メインスクリーンに映るビーム攪乱幕の虹色膜が、要塞から放たれた黄色い巨大ビームを飲み込み、無数の光の破片に拡散させる光景が広がっていた。

乱反射したビームは虚空を四方八方に飛び散り、屈折しながらエネルギーを失い、淡い霧のように消えていく。

ナタリア・アルスター少尉は、息を吐きながら報告した。

 

「艦長、要塞ビームの斉射……攪乱幕で完全に無力化されました。直撃被害なしです。」

 

彼女の声には、わずかな安堵が混じっていた。

艦橋の乗員たちも、肩の力が少し抜けるのが分かる。

しかし、ハーツクライ艦長は静かに首を振った。

 

「安堵するのは早いぞ、ナタリア。まだ始まったばかりだ。」

 

艦長の目はスクリーンから離れず、鋭く続けた。

 

「レーダー監視員、観測班、対空砲射手——ミサイル反応はないか?今すぐ確認してくれ。」

 

各セクションから即座に返答が返る。

 

「レーダー……異常なし、現在探知なしです。」

 

「観測班、ミサイルらしき飛翔体なし……待機中。」

 

「対空砲、照準待機。いつでも迎撃可能です。」

 

ハーツクライは操舵席のタケシ・トヨタ上等兵に向き直った。

 

「タケシ、次はミサイルの雨が来る。身構えろ。この馬はまだ折り返し地点に辿り着いていないんだ。」

 

タケシは頷き、操舵桿を強く握り直した。

額に汗が浮かぶ。ナタリアは艦長の対応を見て、慌てて姿勢を正した。

彼女もすぐにヘッドセットに手を当て、警戒態勢を各部門に通達する。

 

「全艦、ミサイル来襲に備えよ。対空砲門、即時展開。ECM強化。」

 

その直後——観測班の声が艦橋に響いた。

 

「観測班! 要塞正面から大量のミサイル反応!目視確認、数……数百! 直進コースです!」

 

ナタリアが即座に叫ぶ。

 

「ミサイル来襲!ア・バオア・クーから大量のミサイルが接近中!」

 

タケシの指が操舵桿を白くするほど握り締められた。

スクリーンに、無数の赤い軌跡が迫ってくるのが映し出される。

 

「直撃コースの三発……躱します!」

 

タケシは舵を切り、バイアリータークをわずかに傾ける。

艦体が軋む音が響く中、最初のミサイルが艦のすぐ横を掠めて虚空へ逸れた。

二発目、三発目も、卓越した操舵で紙一重で回避。

残りのミサイルは、艦の対空砲が火を噴き、次々と迎撃していく。

爆発の閃光が連続し、艦橋が揺れた。

戦闘の応酬は激しさを増し、バイアリータークをはじめとする第4大隊の艦隊は、陽動部隊としてミサイルと艦砲射撃の嵐に晒されながらも、Nフィールドの防衛線を削り続けていた。

ナタリアは息を整え、ハーツクライに尋ねた。

 

「艦長……なぜ、ミサイルが来ることが分かったのですか?攪乱幕でビームを封じた直後なのに……。」

 

ハーツクライは静かに答えた。

 

「前のチェンバロ作戦——ソロモン攻略戦で、連邦は同じ手を使った。あの戦いから逃げ延びたジオン兵が、ア・バオア・クーに情報を伝えているのは間違いない。……そして、ブリティッシュ作戦、ルウム戦役で電撃的な勝利を重ね、連邦を降伏寸前まで追い込んだ知将ギレン・ザビなら、必ず対応する。ビームを封じられたら、次は実弾の飽和攻撃——それが定石だよ。」

 

艦長の言葉に、艦橋内の空気がさらに重くなった。

ギレン・ザビの名は、連邦兵にとって恐怖の代名詞だった。

彼はブリティッシュ作戦で、サイド2のコロニーを地球に落とし、数億の民間人を犠牲にしながら連邦政府を震撼させた。

ルウム戦役では、核ミサイル攻撃と新兵器モビルスーツの投入で連邦艦隊を壊滅させ、降伏寸前まで追い込んだ。

さらに、地球降下作戦では、ジオンの国力が連邦の1/30にも満たないのに、地球の半分を一時的に制圧する偉業を成し遂げた。

知略と冷徹さで、数多の戦場と政争を制してきた男。

ギレンはただの独裁者ではなく、戦争を数学のように計算し、勝利を冷徹に追求する知将——連邦の誰もが、その影に恐れていたのだ。

陽動部隊はミサイルの雨と艦砲射撃の応酬に耐えながら、前進を続けた。

電子時計の針は、ゆっくりと次の瞬間を刻み続ける。

 

 

 

 

 

 

 

ア・バオア・クーとの距離が縮まるにつれ、敵の弾幕は容赦なく激しさを増していった。

虚空を埋め尽くすように無数のビームと実弾が交錯し、連邦艦隊の進路を火の網で封じ込めようとする。

サラミス級の何隻かが、次々と炎に包まれ、爆散する。

それでも第4大隊の艦隊は、歯を食いしばって前進を続けた。

要塞との距離を、一メートルでも、一センチでも詰めようと。

先に発進したパブリク突撃艇部隊の運命は、さらに苛烈だった。

黄色い船体が次々と要塞砲の直撃を受け、ブースターを失って回転しながら爆散する。

ある艇はザクのヒート・ホークに両断され、ある艇はゲルググのビーム・ライフルに貫かれ、火球と化した。

攪乱幕を展開したはずの空間は、すでに無数の残骸と閃光で埋め尽くされ、生き残ったパブリクはわずか数艇に過ぎなかった。

バイアリータークの艦橋で、ハーツクライ艦長は艦長席に深く腰を沈め、頬杖をついたままア・バオア・クーを睨み付けていた。

その瞳は、まるで競馬の観客が最後の直線を見つめるように、静かで、しかし激しく燃えていた。

ナタリア・アルスター少尉は、声を張り上げて報告を続ける。

 

「ア・バオア・クーとの距離、残り18,000!第4大隊、損耗率すでに12パーセント……パブリク部隊、残存率15パーセント未満です!」

 

タケシ・トヨタ上等兵は、操舵桿——まるで暴れ馬の手綱を握るように——を両手で強く引き、艦を微妙に傾け、旋回させ、敵のビームを紙一重で躱し続けた。

艦体が揺れるたび、額から汗が滴り落ちる。

その時、第4大隊旗艦「アーラシュ」から緊急通信が入った。

 

「全艦へ! モビルスーツ部隊、即時発進せよ!全機発進態勢へ!」

 

ナタリアが即座に艦長に伝える。

 

「艦長、アーラシュからMS発進命令です!」

 

ハーツクライは、ゆっくりと首を振った。

 

「まだだ、早すぎる。スペース・ウィッチーズ隊とオリオン小隊の発進はまださせるな!本命が来るまで待機!!」

 

ナタリアは一瞬、戸惑った表情を浮かべた。

 

「……本命、とは……?」

 

ハーツクライは、視線をア・バオア・クーから外さず、静かに答えた。

 

「衛星ミサイルだ。」

 

その言葉が終わらないうちに——艦長の瞳が、わずかに細くなった。

ア・バオア・クーの巨大なシルエットに、奇妙な光が映り込んだ。

それは、要塞の各所からゆっくりと移動し始めた、巨大な岩塊にスラスターを取り付けた異形の兵器——衛星ミサイルの発射準備を示す、冷たい輝きだった。

ハーツクライは、突然立ち上がり、艦橋全体に響く声で叫んだ。

 

「本命が来たぞ! 衛星ミサイルだ!レーダー班、監視員——死に物狂いで軌道を探知しろ!一発でも見逃せば、このバイアリータークは死ぬぞ!」

 

艦橋が一瞬にして騒然となった。

レーダー班の声が重なり合う。

 

「衛星ミサイル反応、複数確認!軌道推定中……目標は第4大隊正面!」

 

「速度上昇中……着弾予測、1分以内!」

 

ハーツクライは再び頬杖をつき、静かに呟いた。

 

「……ここからが、本当のレースだ。」

 

バイアリータークは迫り来る岩塊の死神を前に、なおも前進を止めなかった。

衛星ミサイルの群れが、確実に迫っていた。

レーダースクリーンに映る赤い点々が、次々と増殖するように広がる。

着弾予測時間は、わずか1分以内。

艦橋の警報が鳴り響き、乗員たちの顔が青ざめた。周囲の艦隊——サラミス級やマゼラン級から、次々とモビルスーツが発艦し始めた。

ボールが群れを成して飛び出し、ジムがビーム・スプレーガンを構えながら虚空へ躍り出る。

しかし、バイアリータークは両舷の格納庫ハッチを頑として開かず、モビルスーツを発進させる気配を見せなかった。

 

左右の格納庫に搭載された機体は、まだカタパルトに静かに待機したまま。

 

艦橋の空気がさらに張り詰める中、ナタリア・アルスター少尉が耐えきれず声を上げた。

 

「艦長……なぜ、MSを発進させないんですか?衛星ミサイルが迫ってるんですよ!今すぐMS隊を射出して迎撃に回すべきです!」

 

ハーツクライ艦長は、頬杖をついたまま視線をスクリーンに固定し、落ち着いた声で答えた。

 

「今、発進させたらどうなる?衛星ミサイルを回避するために、周囲の艦や他のMSが一斉に機動する。そんな混戦で衝突事故が起きる可能性が高い。それに、この陽動作戦の守りの要——オリオン小隊とウィッチーズ隊の推進剤を無駄に消費させてしまう。彼らには長く戦ってもらいたいんだ。だから、バイアリータークが最前線まで送り届ける。そこでこそ、彼らの力が最大限に発揮される。」

 

ナタリアは拳を握り、わずかに声を荒げた。

 

「でも、もし発進する前に衛星ミサイルが直撃して、バイアリータークが撃沈したらどうするんですか!?そんなの、意味がないじゃないですか!」

 

 

 

彼女の言葉には、怒りと不安が混じっていた。

艦橋の他の乗員たちも、息を潜めて二人のやり取りを見守る。

ハーツクライはゆっくりとナタリアに向き直り、自信に満ちた声で言った。

 

「そうだな……だが、ここまで短い間だったが、苦楽を共にしたこのメンバーなら、必ず彼らを送り届けられる。私は信じてるよ。」

 

ナタリアは一瞬、言葉を失った。

艦長の目には、揺るぎない決意が宿っている。

彼女は深く息を吐き、納得したように頷く。

ハーツクライの力説に折れるしかなかった。

そして、ハーツクライはその視線を操舵席のタケシ・トヨタ上等兵に移した。

彼は先ほどの会話をすべて聞いていた。

艦長は穏やかに尋ねる。

 

「タケシ……できるだろ?」

 

タケシは操舵桿を握り締め、力強く返答した。

 

「はい、艦長!この馬、絶対にゴールまで走らせます!任せてください!」

 

彼の声は、緊張を吹き飛ばすほどに響いた。

艦橋にわずかな希望の光が差す。

 

 

 

 

 

 

 

ア・バオア・クーから放たれた衛星ミサイルは、すぐ近くまで迫っていた。

巨大な岩塊がスラスターの青白い炎を噴きながら、虚空を切り裂くように突進してくる。

その質量と速度は、ただの兵器ではなく、死そのもののように感じられた。

レーダースクリーンに映る軌道は、すでに赤く点滅し、着弾予測時間が秒単位で縮まっていく。ハーツクライ艦長は、艦長席から身を乗り出し、静かだが鋭い声で指示を飛ばした。

 

「ナタリア、直撃コースの衛星ミサイルの軌道を正確に報告しろ。現在位置、速度、角度——すべてだ。」

 

ナタリア・アルスター少尉は、ヘッドセットを耳に押し当て、CICからのデータを即座に読み上げる。

 

「了解! 第一衛星ミサイル、相対距離4,200メートル、相対速度毎秒280メートル、角度は艦首から左舷12度!第二衛星ミサイル、相対距離5,800メートル、右舷8度……第三は左舷5度から接近中!」

 

ハーツクライは頷き、タケシ・トヨタ上等兵に視線を移した。

 

「タケシ、ナタリアの報告を聞きながら、自分の勘で回避しろ。艦を預ける。……お前なら、できる。」

 

タケシは操舵桿を両手で強く握り、額に汗を浮かべながら短く応えた。

 

「はい、艦長!」

 

艦橋の他の乗員たちも、気迫のこもった声で一斉に叫んだ。

 

「了解!」

 

「回避準備完了!」

 

「全対空砲、迎撃継続!」

 

その瞬間、ア・バオア・クーから放たれた衛星ミサイルに加え、ビーム砲の黄色い閃光と、無数のミサイルが第4大隊を襲った。

虚空が火の海と化し、連邦艦隊の周囲を死の渦が包み込む。ビーム攪乱幕はまだ機能していた。

虹色の膜が要塞ビームを乱反射させ、拡散させ、屈折させて無力化する。

だが、幕は限界を迎えつつあった。

所々が薄くなり、粒子が散逸する箇所から、黄色いビームが漏れ出す。

その一筋がサラミス級の艦橋を掠め、装甲を溶かしながら貫通した。

悲鳴のような爆発音が響き、艦体が傾く。

避けきれなかったジムやボールが、次々と火球と化した。

一機のジムが衛星ミサイルの衝撃波に巻き込まれ、胴体からバラバラに引き裂かれる。

ボールの群れはビームの雨に晒され、瞬時に蒸発するように消えていく。

残骸が無重力の闇に漂い、さらなる迎撃の標的となる。

そして——一発の衛星ミサイルが、近くのサラミス級に直撃した。

巨大な岩塊が艦体中央に食い込み、金属が悲鳴を上げて裂ける。

艦は真っ二つに折れ、内部の空気が噴出して炎を巻き上げながら爆散した。

火球が広がり、周囲の艦に二次被害を与える。

爆風がバイアリータークの船体を揺らし、艦橋の照明が一瞬ちらつく。

そんな嵐の中を、バイアリータークはなおも前進していた。

エンジンが唸りを上げ、船体が軋む音が絶え間なく響く。

ナタリアが、再び正確な情報を叫んだ。

 

「艦長! 第一衛星ミサイル、相対距離1,800メートル! 左舷15度、直撃コース!第二は右舷から1,200メートル、第三は左舷、距離900メートル!回避余裕時間、20秒以内です!」

 

タケシの瞳が鋭く光った。

彼はナタリアの報告を一言一句聞き逃さず、頭の中で軌道を即座に描く。

操舵桿を握る手が震えていたが、それは恐怖ではなく、集中の震えだった。

 

「来た……!」

 

タケシは息を詰め、艦を左へ急旋回させた。

バイアリータークの船体が大きく傾き、Gがかかる。

第一衛星ミサイルが、艦のすぐ横を掠めて虚空へ逸れる。

岩塊の表面が視界を埋め尽くし、乗員たちが息を呑む。

距離はわずか数百メートル——擦れ違った瞬間、衝撃波が艦を揺さぶった。

 

「次、右舷!」

 

ナタリアの声が続く。

 

「第二衛星ミサイル、直撃コース! 距離500メートル!」

 

タケシは即座に舵を逆方向へ切り、艦を急上昇させる。

メインスラスターが最大出力で噴射し、船体が悲鳴を上げる。

衛星ミサイルが艦の下をすり抜け、虚空の彼方へ消えていく。

だが、第三衛星ミサイルがまだ迫っていた。

 

「最後の衛星ミサイルが……来る!」

 

タケシは歯を食いしばり、艦をロールさせて回転させた。

艦尾がわずかに持ち上がり、岩塊が艦の側面を掠める。

金属が擦れるような不気味な音と振動が伝わり、装甲に浅い傷跡を刻む。

艦橋の全員が身を硬くし、警報が鳴り響く。

その瞬間、ハーツクライ艦長は声を張り上げて叫んだ。

 

「バイアリーターク! お前の名前は、ただの艦名じゃない!三大始祖と謳われた軍馬の名を冠しているんだ!敵に包囲され、万事休すかと思われた戦場で、その脚で主を守ったんだ!だから!この困難も逃れてみせろー!!」

 

衛星ミサイルは紙一重で外れ、宇宙の彼方に遠ざかっていく。

 

艦橋に短い沈黙が落ちた。

誰もが息を吐き、汗を拭う。

タケシは操舵桿を握ったまま、静かに呟いた。

 

「艦長……躱せました。」

 

「よくやった、タケシ。まだレースは終わっていない。気を抜くなよ。」

 

ハーツクライは小さく頷き、少し腰を浮かして座り直した。

 

 

 

 

 

 

衛星ミサイルの嵐を抜けた瞬間、バイアリータークの周囲は奇妙な静けさに包まれた。

先ほどまで虚空を埋め尽くしていた巨大な岩塊の影は消え、残されたのは無数の残骸と淡く広がる粒子幕の残光だけ。

レーダースクリーンの赤い警告点が、次々と消えていく。

ハーツクライ艦長が懸念していた「本命」の脅威は、ようやく去った。

嵐の後の凪のように、戦場が一瞬息を潜めた。

メインスクリーンに映るのは、ア・バオア・クーの防衛陣——無数の砲門と蠢く敵MSの群れが目前に迫っていた。

ハーツクライ艦長はゆっくりと息を吐き、艦長席から立ち上がった。

彼の声は静かだが、確固とした響きを帯びていた。

 

「両舷、モビルスーツハッチ解放。オリオン小隊、スペース・ウィッチーズ隊——全機、発進準備!」

 

 

ナタリア少尉は即座に頷き、ヘッドセットに手を当てて命令を伝えた。

 

「了解! 両舷格納庫、全機発進準備!リニアカタパルト、チャージ開始!オリオン小隊、スペース・ウィッチーズ隊、出撃せよ!」

 

艦内放送が低く、重く響く。

バイアリータークの船体が、わずかに震えた。

両舷の巨大な装甲ハッチがゆっくりと、しかし確実に開き始めた。

金属の軋む重厚な音が艦全体に響き渡る。

ハッチの縁から青白い光が漏れ、格納庫内の照明が虚空を切り裂くように広がった。

左舷格納庫——リニアカタパルトのレールが赤熱し、電磁加速の唸りが低く響く。

最初に射出されたのは、ジム・ドミナンス。

カタパルトの磁場に押され、瞬時に加速。

艦外へ飛び出す瞬間、推進器が青い炎を噴き、虚空に白い軌跡を残した。

続いて、ペイルライダー・ヴァンガードが射出される。

機体のシルエットが一瞬、照明に照らされ、鋭い影を艦橋のスクリーンに落とす。

最後に、ペイルライダー・マスケッティアが続く。

三機のオリオン小隊は整然と、猛烈な速度でNフィールドへ躍り出た。

右舷格納庫——スペース・ウィッチーズ隊のジム・コマンド三機も順番にリニアカタパルトで射出される。

発進の衝撃で、バイアリータークの船体がわずかに後退する。

だが、ハーツクライは動じず、メインスクリーンを見つめ続けた。

 

「……行け。君たちの軌跡を、私はここで見届ける。」

 

虚空に躍り出たMSたちの推進炎が、星のように輝き、Nフィールドの闇を切り裂く。

地獄の聖域は、ついに彼らを迎え入れたのだ。

 

 

 

 

 

ジオンのモビルスーツたちは、衛星ミサイルの嵐を掻い潜ったバイアリータークに、即座に狙いを定めた。

ザクIIの群れが赤いモノアイを光らせながら急接近し、

続いてリック・ドムが重い推進音を響かせ、ゲルググの機影が鋭く切り込んでくる。

『黒いホワイトベース』——ペガサス級強襲揚陸艦のシルエットを見たジオンのパイロットたちは、誰もが同じ確信を抱いた。

 

あの忌まわしい黒い艦を叩き落とす。

 

だが、バイアリータークに近づこうとしたジオンの機影を圧倒的な銃弾の嵐が迎え撃った。

無数の弾丸が虚空を埋め尽くし、ザクIIの薄い装甲を蜂の巣に変えた。

 

「なんだ、この弾幕は!?ザクが蜂の巣だと!?」

 

モノアイが次々と砕け散り、機体が火花を撒き散らしながら爆散。

重装甲のリック・ドムも弾幕に晒される。

装甲板が凹み、ひしゃげ、火花を散らしながらも前進を試みるが、無慈悲な連射が関節を削り、推進器を破壊。

 

「コントロールが!?うわあああーー!!」

 

リック・ドムは制御を失い、回転しながら虚空に投げ出された。

 

重厚な盾を構えたゲルググも弾幕に包み込こまれた。

ゲルググのパイロットは必死にシールドを掲げ、ビーム・ライフルを構えて反撃を試みるが、弾丸の雨は容赦なく盾を削り、装甲を貫き、機体を震わせる。

 

「どこからだ!どこから、こんな弾幕が!?」

 

バイアリータークの前に、オリオン小隊の三機のモビルスーツが並んだ。

 

ジム・ドミナンス、ペイルライダー・ヴァンガード、ペイルライダー・マスケッティア。

 

三機のガトリングの一斉射でバイアリータークに迫ろうとした、ジオンのMSを薙ぎ払ったのだ。

虚空に浮かぶ無数の残骸と散らばる火花が、彼らの圧倒的な火力を物語っていた。

Nフィールドの闇にオリオン小隊の三ツ星が輝くのだった。

 




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
遂にア・バオア・クー戦が開幕です!
最初はア・バオア・クーに近づくために奮戦するバイアリータークを描いてみました。
バイアリーターク艦橋三人衆の緊迫したやり取りをちゃんと作れたと思っています。
さて、今回は少し用語解説をしますね。
ハーツクライ艦長が言っていた『囮の逃げ馬』とは、アメリカ競馬の戦術の『ラビット』のことです。
同じ陣営の馬が別の同じ陣営の馬を勝たせるために風避けやペースを乱すために囮の逃げをする戦術のことです。
次に、『衛星ミサイル』です。
これは宇宙を漂う小惑星や岩塊にスラスターを取り付け、質量兵器にした武器です。
これで、かなり連邦軍は手痛い被害を出しているですよね。
そして、これを読んでいて、時系列に違和感を覚えた人がいるかもしれないです。
実は「機動戦士ガンダム オリオンの軌跡」のア・バオア・クーの時系列は『光芒のア・バオア・クー』の時系列を参考にしているから、この時間になるのです。
ではでは、次の話も楽しみにしていてください。
感想なども、気軽にしていてください。

【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?

  • 陸戦型ジム改
  • バイアリーターク
  • ペイルライダー・ヴァンガード
  • ペイルライダー・マスケッティア
  • ヴァルキリー
  • グフ・ノクターン
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