機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第46話 ヴァルキリー・レクイエム【7】

ソウヤは、ゆっくりと膝をついた。

ヘルメット内の息が、荒く、震えていた。

 

「……なんてことを……ごめんね……ごめんね……。」

 

声は小さく、繰り返すように漏れる。

そっと——本当にそっと——透明な容器に指先を伸ばした。

冷たいガラスに触れる瞬間、

指がわずかに震えた。その触れられた瞬間。

頭の中に、直接響く声。

 

『ありがとう……。私のために、こんなに怒ってくれて。こんなに、悲しんでくれて。』

 

優しく、儚く、かすかに震える声。

少女の声。

 

『……私達は博士にずっと、物だと思われていた。博士には、作品としか、見られていなかった。全部、ただのモビルスーツを動かす「機能」としてしか、見られていなかった。』

 

 

声は静かだった。

でも、そこに込められた温かさが、ソウヤの胸を突き刺す。

 

ソウヤの瞳が揺れる。

ヘルメット越しに、涙がにじむのがわかる。

 

『でも、あなたは……違う。私が、あなたに向けた復讐と悲しみを、感情として認めてくれた。「人」だと言ってくれた。こんな姿の私を……人だって、言ってくれた。』

 

声が少しだけ強くなる。

震えながらも、確かに。

 

『それが……嬉しかった。堪らなく、嬉しかった。こんな風に、私を悲しんでくれる人がいるなんて。こんな風に、私のために怒ってくれる人がいるなんて。』

 

ソウヤは、容器に額を寄せた。

ガラス越しに、液体の中で浮かぶ小さな脳髄を見つめる。

声が絞り出される。

 

「……俺は……君を殺した。知らなかったとはいえ、こんな酷いことをされた、君に俺は銃口を向けてしまったんだ……。だから、俺も……君にこんな酷いことをした……連中と…変わらないんだ……。俺が君を殺して、……終わらせんだ……。」

 

 

『……ううん、それは違うわ。』

 

エイルの念話が、優しく遮る。

 

『あなたは、私を終わらせてくれたんじゃない。私を……解放してくれたの。

姉も妹も、ずっと苦しんでいた。私も、ずっと苦しんでいた。ただ、モビルスーツを動かす為のパーツとして、生きていた……自分に。でも、あなたが……私の感情を、認めてくれた。それで、もう……十分…。』

 

ソウヤの肩が震え、容器を両手で包むように触れる。

声が嗄れる。

 

「……ありがとう、なんて……言える資格、俺にはない。でも……君が、こんなに優しくて……俺は……。」

 

エイルの声が、もっと近くに、もっと温かく響く。

 

『お願いがあるの。私たちの夢……青い地球を、ちゃんと見てみたいの。だから、私を外まで…連れて行って…。』

 

ソウヤの体が、びくりと固まった。

ヘルメット内の瞳が、困惑で揺れる。

 

「……外に?」

 

ソウヤはゆっくりと顔を上げた。

声が、かすかに震える。

 

「機体から君の入った容器を取り外したら……君も、長く持たないんじゃないか?」

 

少女の念話が、静かに、穏やかに返ってくる。

 

『……うん。どのみち、もう長くは持たないの。機体が壊れて、私の生体ユニットの生命維持装置は、内蔵されているバッテリー分しか稼働しないの。それでも……残り数十分。だったら、もう……ここで終わるより、姉と妹との約束を果たしたいの。あなたに取り外してもらって、外に連れて行ってもらったほうが……いいわ。』

 

ソウヤは言葉を失った。

容器を両手で包んだまま、視線を落とす。

ヘルメット内の息が、荒くなる。

 

「……そんな……そんなこと、できるわけ……。」

 

その時——白亜の伽藍堂全体が、大きく揺れた。

 

遠くから、連続する爆発音。

壁が、きしむ音。

粉塵が、無重力の空間に舞い上がる。エイルの念話が、急ぎ足で響く。

 

『……爆発が、近づいてるわ。もう、時間がないの。お願い……。』

 

ソウヤは、唇を噛んだ。

瞳に決意が宿る。

ゆっくりと立ち上がり、容器を見つめる。

 

「……わかった。取り外すよ。俺が……君を連れて行く。」

 

少女の声が、優しく導く。

 

『ありがとう。取り外し方は……簡単よ。容器の側面に、赤いレバーが三つあるわ。

順番に、左から右へ引いて。そのあと、底のロックを解除して、持ち上げて。』

 

ソウヤは、頷いた。

 

指示通りにレバーを引く。

カチ、カチ、カチ……と、三つの音。

底のロックが外れる。

 

 

慎重に——本当に慎重に——容器を持ち上げた。

 

 

小さな脳髄が浮遊するように揺らめく。

ソウヤは容器を脇に抱えた。

重さは、ほとんどない。

でも、その軽さが逆に胸を締めつける。

エイルの念話が再び響く。

 

『……もう一度、管制室の内部に入って。そこに、此処から出る方法があるわ……。』

 

ソウヤは振り返った。

 

ランドムーバーの噴射を最小限にし、割れたガラスの隙間へ滑り込ませ、管制室の床に膝をつく。

 

エイルの念話が静かに、でもはっきりと響く。

 

『……近くに、遺体があるわ。探して欲しいの。』

 

ソウヤは、管制室を見回した。

 

倒れたコンソール、散らばった破片、血の跡。

そして——中央の床に、うつ伏せに倒れた人影。

ソウヤはゆっくりと近づき、顔を覗き込む。

眉間を撃ち抜かれ、血が固まりかけている。

やや小太りで、色黒なユダヤ系の中年男性。

 

ソウヤの息が、止まった。

 

「……フラナガン・ロム!?」

 

声が、ヘルメット内で震える。

フラナガン機関の最高責任者。

 

その遺体が、こんなところで……。

 

エイルの念話が、物悲しげに、かすかに震えながら続く。

 

『……そうよ。博士の身分証明書のIDカードを使えば、ここから出られるわ。だから……探してみて。』

 

ソウヤは唇を噛んだ。

容器をそっと床に置き、フラナガン博士の遺体をボディーチェックする。

 

ポケットを一つずつ、慎重に探る。

胸の内ポケットに、何か固い感触。

 

カチャ。

 

ソウヤは、胸の裏ポケットから、一枚のデータディスクを取り出した。

 

エイルの念話が、静かに否定する。

 

『……それじゃないわ。』

 

ソウヤは、ディスクを一瞬見つめた。

そして、イーサンの言葉が鮮烈に甦る。

 

「……フラナガン機関……の……データを……手に入れろ……。俺達の機体は損壊が……激しすぎて……運搬は……無理だ……。……もう……使い物にならない……。だから……何でもいい……何か一つでも……持って帰って来るんだ……。」

 

ソウヤはディスクをパイロットスーツの胸ポケットに、そっとしまった。

そして、もう一度、遺体に手を伸ばす。

ズボンのポケット。

右のポケットに、プラスチックカードの感触。

ソウヤは、ゆっくりと引き抜いた。

身分証明書のIDカード。

写真付き。

フラナガン博士の顔と、機関の最高セキュリティレベルを示すマーク。

ソウヤは、カードを握りしめた。

ヘルメット内の息が、深くなる。

 

「……これで……出られるのか。」

 

エイルの念話が、優しく、でも確かな声で答える。

 

『……ええ。出口のロックパネルに、これをかざせば……。』

 

ソウヤは容器を再び脇に抱えた。

 

外の爆発音が近づいている。

ソウヤは立ち上がった。

瞳に、静かな決意を宿して。

 

「……行こう、ここから脱出しよう。」

 

エイルの念話が、かすかに微笑むように震えた。

 

『……うん。一緒に……行こう。』

 

 

ソウヤはIDカードを握りしめたまま、管制室の出口パネルに近づいた。

ヘルメットライトが埃っぽい金属面を照らす。

パネルに小さなスロット。

彼は、カードをそっと差し込んだ。ビープ……という低い電子音。

赤いランプが緑に変わる。

重いロックが、外れる音。

カチリ……と、金属の舌が引かれる。

扉が、ゆっくりとスライドした。

無重力の空気が、わずかに流れ込む。

外の廊下は、薄暗く、警告灯が赤く点滅している。

遠くで、連続する爆発音が響く。

ソウヤは生体ユニットの容器を両腕で抱え直した。

 

「……行くよ……。」 

 

彼は、静かに呟いた。

 

ランドムーバーの噴射を最小限にし、ゆっくりと廊下へ踏み出す。

 

『……うん。』

 

エイルの念話が、優しく応える。

かすかに、震えながら。

廊下は、戦闘の爪痕だらけだった。

壁に弾痕が無数に開き、配線がむき出しになって火花を散らしている。

天井の照明が、チカチカと不安定に点滅する。

無重力で、破片がゆっくりと回転しながら漂っている。

ソウヤは慎重に進む。

容器を胸に寄せ、液体の中で浮かぶ小さな脳髄を守るように抱きしめる。

爆発音が、また近づいた。

床が大きく揺れ、壁の一部が崩落し、破片が飛び散る。

ソウヤは体を低くして避ける。

 

『……まだ、奥の格納庫から……行けるわ。そこから……外へ、出られるはず……。』

 

エイルの声が、かすかに導く。

ソウヤは頷いた。

 

「……わかった。急ぐぞ!」

 

ランドムーバーの噴射を少し強め、廊下を滑るように進む。

背後で崩落の音が追ってくる。

白亜の伽藍堂が、ゆっくりと壊れ始めている。

ソウヤは走った。

生体ユニットを抱きしめ、ただ前へ、前へ。

この通路の終わりに、青い地球が待っていると信じて。

ソウヤは走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い警告灯が点滅し、煙が薄く漂う中、

左肩を押さえながら、よろめくように走る男の姿。

ジル・ペロー博士。

白衣の袖が血で赤く染まり、乱れた銀灰色の髪が、無重力で浮遊している。

眼鏡の片方がずれ、虚ろだった瞳が、今は恐怖と執念で異様に輝いていた。

 

「くそ……くそっ……!あの連邦のニュータイプめ!」

 

肩の傷口から血が、細い糸のように漂う。

彼は歯を食いしばり、宇宙船ドッグに向かって走り続けた。

 

「なんとか……ムサイに、乗れれば……!」

 

頭の中で、計算が回る。

ア・バオア・クーは、もう陥落寸前。

ジオンは負け、どの船も、敗走兵や負傷者でごった返しているはずだ。

フラナガン機関の副所長という肩書でも、優先搭乗権が通るか……怪しい。

 

「でも……乗らなければ……!」

 

こんなところで死にたくない。

 

まだ——彼女と、再会していないのだから。

 

ジル・ペローは、必死に走った。

無重力の通路を、壁を蹴って進む。

息が、荒い。

傷口が、焼けるように痛む。

 

その時——目の前の通路が突然爆発した。

 

轟音、閃光、爆風が、ジル・ペローを直撃する。

先に通路にいたと思われる兵士たちの体の一部が、無重力の空間に飛び散り、血と肉片が回転しながら漂う。

ジル・ペローは、吹き飛ばされた。

背中から壁に激突し、息が止まる。

さらに、何か重いものが、彼の体にぶつかってくる。

 

「ぐっ……!」

 

よろめきながら、壁に手をついて立ち上がる。

視界が、揺れる。

眼鏡を直し、ぶつかったものを確認する。

遺体袋。

黒いビニール製の袋。

爆発の影響で一部が破れ、中から顔が覗いている。 

ジル・ペローは、一瞬凍りついた。

 

その顔を見て——瞳が、大きく見開かれる。

 

 

「……あ……あぁ……!」

 

驚きが、すぐに喜びに変わる。

狂ったような、歓喜の笑みが顔に広がる。

 

「これだ……これがあれば……!」

 

彼は、震える手で遺体袋を掴んだ。

無重力のため、力の弱いジルでも簡単に引っ張れる。

袋を肩に担ぐように引きずりながら、再び走り出した。

 

「ふふふ……これで、ここから……逃げ出せる!はははは!……やはり、彼女は…僕との再会を……望んでいるだ!」

 

これさえあれば、どの船にでも、優先的に乗船できるはずだ。

ジル・ペローは笑いながら走った。

 

背後で崩落の音が響くが、今の彼には、そんなことは、もうどうでもよかった。

血を滴らせながら、狂気の喜びに満ちた瞳で、宇宙船ドッグを目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

格納庫へと続く長い通路。

警告灯が赤く点滅し、煙が薄く漂う中、ソウヤはランドムーバーの噴射して進んでいた。

 

 

『……右の分岐を曲がって。そのまま、まっすぐ。爆発の音が近いから、急いで……。』

 

ソウヤは少女の指示に従いながら、無重力の通路を滑るように進む。

背後で、崩落の音が響き、壁がきしむ。

ふと、彼は口を開いた。

声が、ヘルメット内で小さく震える。

「……俺が戦った……オデッサのグフ、キャリフォルニア・ベースのハイゴッグも……

君みたいな、生体ユニットが組み込まれていたのか?」

 

少女の念話が、静かに、穏やかに返ってくる。

 

 

『……ええ。オデッサで、あなたと戦ったのが……姉のヒルダ。妹と私を逃がすために、テスト用のグフ・カスタムで……あなたと戦ったわ。』

 

ソウヤの足が、一瞬止まる。

ヘルメット内の瞳が大きく見開かれる。

 

「……ヒルダ……?」

 

『キャリフォルニア・ベースで、あなたと戦ったのは……妹のカーラ。私が乗った宇宙に上がるための機械を守るために……必死に戦ったの。』

 

ソウヤの肩が落ちた。

容器を抱えた腕が、わずかに震える。

 

「……オデッサで、俺が止めを刺したのが……君の姉で。キャリフォルニア・ベースで……レナートから守ったのが……妹さん……。」

 

彼は、壁に手をついて、立ち止まった。

 

「……俺は……、君の大事な…家族を……殺してたのか……。」

 

少女の念話が、優しく、温かく寄り添うように響く。

 

『……ありがとう。あなたが、姉と妹のことを……思ってくれた。それだけで……十分。戦争だから……仕方ないことだった。あなたは、ただ……戦っていただけ。私たちも……ただ、生き延びようとしていただけ。』

 

ソウヤは唇を噛んだ。

瞳に涙が滲ませながら、再び歩き出した。

 

「……ありがとう。そう言えば……君の名前を教えてもらってないね…。

俺は……ソウヤだ。」

 

エイルの念話が、かすかに微笑むように震える。

 

『……エイル。私の名前は……エイルよ。もう少しで、格納庫に到着するわ。急いで……。』

 

その時——背後から、爆発音がさらに近づいてきた。

通路全体が大きく揺れる。

ソウヤは生体ユニットを強く抱き締めた。

中の保存液体が揺れ、エイルは、その抱擁を感じ取った。

体がないのに、温かさが伝わってくる。

 

(……もし、私に肉体があって……恋人が出来ていたら……こんな風に、強く抱き締められたのだろうか……?)

 

彼女の念話は、かすかに甘く、切なく震えた。

 

『……ありがとう、ソウヤさん。この温かさ……忘れないわ。』

 

ソウヤは答えなかった。

ただ強く抱き締め、格納庫の扉に向かって、急いだ。

格納庫の扉を抜けると、広大な空間が広がっていた。

無重力の格納庫は戦闘の爪痕で荒れ果てていた。

コックピットハッチが開いたままの、リック・ドムの残骸が、ゆっくりと浮いており。

その周囲に、死んだジオン兵の遺体が無重力で漂っていた。

ヘルメットが割れ、血が細い珠のように浮遊する。

警告灯の赤い光が断続的に点滅し、空間を不気味に染める。

格納庫の出入り口は完全に開いていた。

その向こうに、宇宙の闇と、遠くの戦火が見える。

ビームライフルの閃光が、時折赤白く光り、

モビルスーツの爆発が橙色の光芒を散らす。

だが——発光の頻度は、明らかに減っていた。

戦いは、終わりを迎えつつある。

ソウヤは出入り口に向かって進もうとした。

 

だが、その瞬間——格納庫の壁が、大きく揺れた。

 

爆発音が、すぐそこまで迫ってくる。

天井から破片が落ち、床が軋む。

ソウヤは、足を止めた。

ヘルメット内の瞳が、鋭く周囲を捉える。

 

「……間に合わない……。」

 

今から急いでも、出入り口に到達する前に爆風に飲み込まれる。

たとえ辿り着いたとしても、飛んでくるデブリで死ぬ可能性が高い。

無重力の空間では、回避もままならない。

エイルの念話が、静かに、でも強く響く。

 

『……ソウヤさん。私を……捨てて。あなただけでも、逃げて。』

 

ソウヤは即座に首を振った。

声がヘルメット内で低く、固く出る。

 

「……断る。君を置いて、逃げるなんて……できない。」

 

彼は、もう一度、辺りを見回した。

残骸、遺体、漂う破片。

 

そして——リック・ドムのコックピットハッチが、強い白い点の光を放っている。

 

ソウヤは迷わず動き出した。

ランドムーバーを噴射し、

リック・ドムの残骸へ急ぐ。

ハッチが開いたままのコックピットに、体を滑り込ませる。

 

 

その瞬間——激しい震動が襲い掛かった。

 

 

格納庫全体が、爆発の衝撃で揺れる。

壁が崩れ、天井が落ち、無数の破片が渦を巻いて飛び散る。

ソウヤは、必死にエイルの生体ユニットを胸に抱え込んだ。

容器が割れないように。

液体がこぼれないように。

体を丸め、衝撃を耐える。

 

「……くっ……!」

 

震動が続く、金属の悲鳴、爆風の轟音。すべてが、無重力の空間を震わせる。

 

やがて——衝撃が収まった。

 

ソウヤは恐る恐る、リック・ドムのコックピットハッチから頭を覗かせた。

……格納庫は、すでにない。

リック・ドムは、爆発で吹き飛ばされ、格納庫の外へと放り出されていた。

周囲は、静かな宇宙。

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウヤは、周囲を確認した。

視界の端に青い地球が、大きく広がっている。

ジオン本国のサイド3を正面に臨むエリアの反対側——地球を正面に臨むフィールドに自分たちは放り出されていた。

ソウヤは容器を抱き直した。

液体の中で、エイルの脳髄が、かすかに揺れている。

 

「……エイル……大丈夫か?」

 

エイルの念話が優しく、穏やかに返ってくる

 

『……うん。あなたが、守ってくれたから……。ありがとう、ソウヤさん。』

 

ソウヤは地球を見つめた。

 

「……見て、エイル。約束通り……連れてきたよ。」

 

ソウヤは容器を胸に寄せた。

無重力の宇宙で、ただ静かに地球を見つめ続けた。

エイルの念話が、かすかに震えながら、喜びに満ちて響く。

 

『……本当?本当に……目の前に、青い地球があるの?』

 

ソウヤは容器を抱えたまま、ゆっくりと頷いた。

ヘルメット越しに、青い水の惑星をじっと見つめる。

 

「ああ……目の前にあるよ。青い海がキラキラ光ってて……雲が白く渦を巻いてる……きれいだよ。」

 

彼は、静かに言葉を続けた。

でも、心の奥で、エイルはどうやって、見るんだろと疑問が浮かぶ。

ソウヤは、そっと尋ねた。

 

「……エイル。どうやって……青い地球を見るつもりなんだ?」

 

エイルの念話が、一瞬、躊躇うように間を置く。

そして、静かに、でもはっきりと答える。

 

『……あなたの体を、貸して欲しいの。あなたの体から……青い地球を見たい。』

 

ソウヤの体が、びくりと固まった。

ヘルメット内の瞳が困惑と疑念で揺れる。

 

(……体を貸す?……乗っ取られるのでは……?)

 

その瞬間——生体ユニットの側面に付いた小さな緑のライトが赤く染まり、激しく点滅し始めた。

ソウヤは容器を少し持ち上げて確認する。

声が、かすかに震える。

 

「……エイル、ライトが……赤くなって、点滅してる。バッテリー……もう、限界なのか?」

 

『……ええ。残り……もう、数分もないわ。』

 

ソウヤは、唇を噛んだ。

疑念が、胸をよぎる。

だが——決意が瞳に宿る。

 

「……わかった。エイル、俺の体を貸すよ……。」

 

エイルの念話が、感謝に満ちて震える。

 

『……ありがとう、ソウヤさん。』

 

その瞬間——激しい痛みが、ソウヤの頭に突き刺さった。

 

「ぐっ……!」

 

体が、硬直する。

まるで、脳に直接針を刺されたような、焼けるような痛み。

それは、エイルがかつて受けた人体実験の痛み。

ケーブルがずぶずぶと脳に侵入する感触。

メスが皮膚を裂く感覚。

電流が脊髄を焼き尽くす苦痛。

すべてが、一気にソウヤの中に流れ込んでくる。

 

「う……あぁぁっ……!」

 

ソウヤは容器を抱えたまま、膝を折った。

体が震える。

痛みが、波のように襲ってくる。

 

次に——エイルの記憶が、洪水のように流れ込む。

 

姉と妹と三人でベッドに寄り添い、絵本を開く温かさ。

手を重ねて誓った瞬間。

 

「一緒に、絶対に地球を見ようね。」

 

その嬉しさ。

 

そして——髪を剃られ、手足を失い、感覚を奪われる絶望。

 

ただの意識の塊にされた悲しみ。

兵器として生きるしかなかった虚しさ。

 

そして——オデッサで、キャリフォルニア・ベースで、姉と妹を殺したソウヤへの深い怒り。

 

復讐の炎が、胸を焦がす記憶。ソウヤは、呻きながら耐えた。

心が折れそうになる。

 

でも——ソウヤは、容器を強く抱き締め、

決して離さなかった。

 

やがて——激痛が、ゆっくりと収まる。

ソウヤは荒い息を吐きながら、顔を上げた。

視界が、ぼんやりと揺れる。

 

そして——エイルの念話が再び聞こえた。

今度は、頭の外側から響くのではなく、

自分の内側から、優しく、温かく響く。

 

『……ソウヤさん……大丈夫ですか?今……私、あなたの中にいるわ。』

 

ソウヤは、ゆっくりと視線を上げた。

青い地球が大きく広がっている。

海がキラキラと光り、雲が白くゆっくりと流れていく。エイルの声が、ソウヤの心の奥で、微笑むように震える。

 

『……きれい……。本当に……地球て……青いんですね…。本当に……きれい……。』

 

ソウヤの瞳から、涙が一筋、流れ落ちた。

ヘルメット内の頰をゆっくりと伝う。

それは、ソウヤの涙ではなかった。

エイルの涙だった。

視界がわずかに滲む。

青い地球が涙の膜を通して、より鮮やかに輝く。

海の青が、キラキラと反射し、雲の白が、柔らかく広がる。

エイルの念話が、ソウヤの心の奥で、優しく、震えながら響く。

 

『……姉さん、カーラ。本当に……本当に……地球は青くて、綺麗だよ……。』

 

声は、かすかに、でも確かに喜びに満ちていた。

涙が、次々と溢れ出す。

ソウヤの瞳から、エイルの感情が静かに、しかし止まることなく流れ落ちる。

 

『……見て……見てよ……。約束通り……青い地球だよ……。三人で……一緒に、見ようって……誓った……。ごめんね……二人とも……私だけが……見てしまって……。』

 

ソウヤは言葉を失ったまま、容器を抱えた腕を強く胸に押しつけた。

体が、わずかに震える。

それは、エイルの震えでもあり、ソウヤの震えでもあった。

エイルの念話が涙声のように、優しく続く。

 

『……ありがとう、ソウヤさん。あなたが……私をここまで連れてきてくれた。あなたが……私の体になってくれた。この景色を……私に見せてくれた。』

 

ソウヤは、ゆっくりと息を吐いた。

ヘルメット内の声が、嗄れながらも、静かに答える。

 

「……俺は……少しでも……償えたんだ…ろうか?君達にしってしまったことに……少しでも……償えたんだろうか……?」

 

涙が、まだ止まらない。

青い地球が、視界いっぱいに広がる。

無重力の宇宙で、二人はただ静かに、その青さを、その美しさを共有し続けた。

エイルの念話が、かすかに微笑むように震える。

 

『……うん、これで……私も……やっと……。二人の元に……行けるわ……。』

 

ソウヤの瞳から、最後の一滴が落ちる。

地球の青に溶け込むように。

生体ユニットの側面に付いた赤いライトが、激しく点滅していた光を、ゆっくりと弱めていく。

点滅の間隔が長くなり……やがて、ぱたりと止まった。

暗くなる。

それは、生命維持装置が完全に活動を停止した合図だった。

エイルの意識が薄れていく。

 

でも、最後まで優しく、穏やかに響く。

 

『……ソウヤさん。体を貸してくれて……本当に、ありがとう。あなたの目で……青い地球を見られて……本当によかった。』

 

ソウヤの瞳から、涙が止まらない。

ヘルメット内で嗚咽が漏れる。

声にならない声が、喉の奥から絞り出される。

 

「……エイル……エイル……!」

 

エイルの念話が、かすかに、微笑むように震える。

 

『……ソウヤさん。幸せになってね。もし……私が、肉体を持っていたら……優しいソウヤさんの彼女に、なりたかったな……。』

 

冗談めかした言葉。

でも、そこに込められた本気の切なさが、ソウヤの胸を抉る。

ソウヤは泣き続ける。

体が震え、容器を抱えた腕が力なく落ちそうになる。

エイルの声が最後に、優しく、遠くから響く。

 

『……姉さん、カーラ。そこにいたのね……。私も……そこに行くわ……。』

 

その瞬間——エイルの意識と感覚が、ソウヤの体に溶け込むように薄らいでいく。

温かさが、ゆっくりと抜けていく。

 

ソウヤは、叫んだ。

 

「エイル……!エイル!!」

 

返事は、返ってこなかった。

頭の中は、もう、静寂だけ。

エイルの気配が、完全になくなっていた。

ソウヤは手に持った生体ユニットを見つめた。

液体の中で浮かぶ小さな脳髄は、もう動かない。

赤いライトは完全に暗く、ただの冷たい容器と液体と、静かな残骸だけが、そこにあった。

ソウヤは生体ユニットをじっと見つめた。

液体の中で、静かに浮かぶ小さな脳髄。

 

もう、動かない。

もう、声は返ってこない。

もう、エイルはいない。

 

ソウヤは抱え込んでいた生体ユニットを、優しく———手放す。

 

彼女の亡骸を誰にも、弄られないように。

あのような技術が、誰の手にも届かないように。

彼女たちのような悲劇の存在が、二度と生まれないように。

無重力の宇宙で、生体ユニットはゆっくりと回転しながら、静かに遠ざかっていく。

無色透明の深淵の彼方へ。

青い地球の光を、かすかに反射しながら、永遠の闇へと溶け込んでいく。

視線をア・バオア・クーの方へ移す。

遠くで、戦火の残光が、ゆっくりと消えていく。

最後の爆炎が、闇に飲み込まれ、静寂だけが残る。

無重力の宇宙で、ソウヤは、ただ静かに宙を漂った。

涙は、もう乾いていた。

代わりに、心の奥に、小さな、確かな温かさが残っていた。

それは、エイルの最後の微笑みだった。

姉と妹と重ねた手の温もりだった。

そして、約束を果たしたという、静かな充足だった。

青い地球は、変わらず輝き続けている。

ソウヤは、ゆっくりと目を閉じた。

そして、心の中で、ただ一言、呟いた。

 

「……ありがとう、エイル。俺は……ちゃんと、見てきたよ。」

 

 

 

 

 

 

0080年1月1日

第16独立戦隊がジオン公国ダルシア・バハロ首相を無事に月のグラナダに送り届け、月面都市グラナダにて、地球連邦政府とジオン共和国政府の間に終戦協定が締結される。

この終戦協定は月のグラナダで調印されたことから「グラナダ条約」と呼ばれた。

一年戦争は、形式上、ここに終わりを告げた。

遠く、宇宙の片隅で、一つの小さな生体ユニットが深淵の彼方へ溶け込んでいく。

もう、誰も触れることはない。

誰も、弄ぶことはない。




最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました!!

【ワルキューレ・レクイエム】、これにて完結です!

長かった~(涙)

本当にここまで来るのに、長かった~(涙)

自分のやりたかった、一年戦争の話をここまで書けて。
沢山の人達に読んでもらえて、感無量です!

読んでもらった回数が1万を超えて、お気に入り登録も77人もなって、本当にありがとうございます!

でも、これでやっと五分の一なんですよ…。

なのでなので、これからもよろしくお願いします!

オリジナル機体設定

ヴァルキリー

フラナガン機関のジル・ペロー博士が作り出した狂気のモビルスーツ。
ニュータイプの素養がある脳髄を生体ユニットに加工し、組み込んだ機体。
アクト・ザクと同じようにマグネット・コーティングがされており、超人的な反応速度にも追従出来るようにされている。
操縦系統はどこかの義肢研究をしていた教授の技術を転用している。
機体のシルエットはブレイジングシャドウの、とある機体と似ている。

武装
両腕110mm速射砲
ゲルググMと同型

ランス・ビット
サイコミュ操作での遠隔操作が出来る、ヒートランス


オリジナルキャラクター紹介

ヒルダ・エイル・カーラ
フラナガン機関のニュータイプの素養がある三姉妹。
三人とも、ワルキューレの名前から名付けられている。

【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?

  • 陸戦型ジム改
  • バイアリーターク
  • ペイルライダー・ヴァンガード
  • ペイルライダー・マスケッティア
  • ヴァルキリー
  • グフ・ノクターン
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