機動戦士ガンダム オリオンの軌跡   作:浅片名羽馬

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第48話 隠されたデブリーフィング【下】

ソウヤが部屋から出ていって、暫くした後にゴップは椅子から立ち上がった。

デスクの上に置かれていたデータディスクを保護ケースごと手に取り、胸ポケットにそっとしまう。

ケースの固い感触が、制服越しに伝わる。

彼は、デスクの通信機に手を伸ばし、短く操作する。

小さな電子音が響き、通話が繋がる。

 

「私だ。今からそっちに向かう。」

 

低い声が、静かに部屋に響く。

通信の向こうから、短い返事が返ってくる。

ゴップは、通信を切った。

デスクの上に置かれていた本——

ナガト中尉が渡した、あの本を脇に抱えると、ゆっくりと執務室の扉に向かう。

扉が自動で開き、外には、数名の兵士が整列していた。

ゴップが歩き出すと、兵士たちは即座に動き、彼の後ろに控えるように追従した。

足音が、廊下に整然と響く。

 

 

 

 

 

 

ルナツーの最深部へと続く通路は照明が抑えられ、壁の材質がさらに厚く、重厚になっていく。

空気が冷たく、静かだ。

やがて、機密エリアの入り口に到達する。

重い鋼鉄の扉。

その前に、一人の尉官が立っていた。

若い顔に、緊張が張りついている。

尉官は、ゴップ大将を見ると即座に敬礼した。

 

「閣下!お待ちしておりました!」

 

ゴップは、軽く頷き、背後の兵士たちに視線を向ける。

 

「ここで待機してくれ。扉付近の警戒を任せた。」

 

兵士たちは即座に了解し、扉の両脇に散開する。

銃を構え、視線を周囲に走らせる。

ゴップは、自分の身分証明書のIDカードをスキャナーにかざす。

次に指紋認証パネルに指を当てる。

赤い光が一瞬走り、認証音が響き、重たい鉄の扉が、ゆっくりとスライドしていく。

ゴップは、尉官と共に部屋に入る。

扉が、再び閉まる音が背後で響く。

中は薄暗く、青白い照明だけが灯っている。

部屋の中央に、一つの大きなカプセル状の装置が置かれていた。

ゴップは、ゆっくりと歩を進める。

抱えていた本を、そっと装置の横の台に置く。

ゴップ大将は、カプセル状の装置の前に立ち、ゆっくりとその表面を撫でるように視線を滑らせた。

青白い照明が、装置のガラス越しに淡く反射する。

 

「……これが、オクスナーからの私の取り分かね?」

 

低い声が、静かに部屋に響く。

傍らの尉官は、姿勢を正したまま、短く答えた。

 

「……はい、閣下。約束通りです。」

 

ゴップは、くっくっと喉の奥で薄ら笑いを漏らした。

笑みは口元にだけ浮かび、目は冷たいまま。

 

「例の件を見逃す代わりに、これを私に譲るとは……分かっているじゃないか、オクスナーめ。」

 

彼はカプセルのガラスに近づき、内部を覗き込む。

コールドスリープの青みがかった霧が、ゆっくりと渦を巻いている。

その中に、ブロンドヘアーの少女が静かに眠っていた。

ジオン軍のパイロットスーツを着たまま、細い体が浮遊するように固定され、長い睫毛が、静かに伏せられている。

ゴップの瞳が、わずかに柔らかくなる。

愛おしげに、少女の寝顔を眺める。

指先が、ガラスに触れ、ゆっくりと撫でるように動く。

ゴップは、ふっと息を吐き、尉官に視線を移した。

 

「……一人になりたい。部屋から出てくれたまえ。」

 

尉官は、即座に敬礼する。

 

「……了解いたしました。」

 

彼は、ドアの近くの制御パネルに手を伸ばし、ボタンを押す。

重たい鋼鉄のドアが低い駆動音を立ててスライドし始める。

尉官は、一礼して部屋を出る。

ドアが完全に閉まる音が静かに響いた。

部屋に、ゴップ大将だけが残る。

彼は、部屋の隅に置かれていた椅子を、ゆっくりと引き寄せた。

金属の脚が床を擦る音が静寂の中で小さく響く。

椅子をカプセルのすぐ横に置き、ゴップは腰を下ろした。

座ったまま、少女の眠る顔をじっと見つめ続ける。

青白い照明が、彼の顔を冷たく照らす。

ゴップ大将は、カプセルの横の台に置いた本を優しく、両手で持ち上げた。

指先が、表紙をそっと撫でる。

古びた革の感触が、懐かしく、手に馴染む。

表紙には、金箔で押された文字が浮かび上がっていた。

 

 

『シーサムライ』

 

 

ゴップは本を胸に寄せ、静かに呟いた。

 

「……イーサンめ。返すんだったら、自分の手で返しに来い。私を置いて、先にクラウディアの元に行くなんて……お前って奴は……。」

 

声は低く、どこか叱るような、でも、深い悲しみを帯びていた。

彼は、本を両手でしっかりと抱え直す。

指が表紙の端を強く握り、革がわずかに軋む。

 

「……この戦いが終わったら、お前に私の全てを託そうと思ったのに。居なくなってしまったら……誰に、私のコネと権力を渡せばいいんだ。お前しか……私の血縁者が、いないというのに。」

 

言葉が、部屋の薄暗い空気に溶けていく。

ゴップ大将は椅子に深く腰を沈め、本を胸に押し当て、目を閉じた。

記憶が、静かに蘇る。

——こんな自分でも、兄として慕ってくれた妹のクラウディア。

自分とは正反対だった。

社交的で、明るく、誰とでもすぐに打ち解け、笑顔を絶やさない、ただ一人の妹。

ゴップ自身は、いつも影に隠れるように生きてきた。

口下手で、冷たく見え、数字と本に埋もれる日々。

「モグラ」と陰で嘲笑される存在。

それでも、クラウディアは違った。

 

「兄さんって、本当はすごいんだから!自慢の兄さんだよ!」

 

いつもそう言って、楽しげにその日の出来事を話してくれた。

学校のこと、友達のこと、そして、誰かに手を差し伸べた自分の小さな誇らしげな話。

ゴップは、ただ黙って聞いていた。

言葉は少なかったが、妹の笑顔を見ているだけで、胸の奥が温かくなった。

クラウディアには、一つの癖があった。

兄が読んでいる本に、いつも興味を示すこと。

ゴップが手にしていた本を、そっと覗き込み、「それ、どんな話?」と目を輝かせる。

そして、読みたがる。

時には、勝手に持ち出して、一晩で読み終えてしまうこともあった。

そんなクラウディアが、一番気に入った本——それが、この『シーサムライ』だった。

 

「この本、すごいよ、兄さん!敵を倒すのが正しい時代なのに、漂流していた敵の乗組員たちを救助して、水と食料をあげて、栄誉あるゲストとして、扱うなんて、本当にすごい!その船の指揮官は、無闇に人を殺すのは間違っていると信じていたんだと思うの。私も……こんな風に、誰かに手を差し伸べられる人になりたい!」

 

 

少女はそう言って、本を抱きしめた。

その瞳は、夢のように輝いていた。

そして、クラウディアは本当にその道を選んだ。

コロニー融和派の議員として、コロニーと連邦の狭間で、誰かのために声を上げ続けた。

 

「……クラウディア。」

 

呟きは、誰にも聞こえない。

カプセルの中の少女の顔が一瞬、妹の笑顔に重なる。

ゴップの瞳に、わずかな湿りが浮かぶ。

だが、すぐにそれを振り払うように、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

記憶の奥深くに沈んでいた光景を、ゆっくりと引き寄せた。

 

——クラウディアが、ジョージを連れてきた日のこと。あの日は、いつものように執務室で書類に埋もれていた。

扉がノックされ、妹の明るい声が響いた。

 

「兄さん! 入っていい?」

 

入ってきたクラウディアの後ろに、背の高い、暑苦しい男が立っていた。

ジョージ・オルグレン。

当時、まだ少佐だった男。

笑顔が眩しく、どこか無骨で、しかし、妹を見る目が、あまりにも熱っぽかった。

本当に、苦々しかった。

たった一人の妹を、こんな暑苦しい奴に取られると思うと、憎たらしく、恨めしくて、胸の奥がざわついた。

ジョージがクラウディアに熱烈にアタックしていることは、とっくに知っていた。

それで、何度かジョージを呼び出し、「お小言」と称した課題を出したものだ。

 

「君は、クラウディアを本当に幸せにできるのか?」

 

「補給線管理の知識は足りているか?」

 

「前線での判断力は?」

 

ジョージは、毎回真剣に聞き、「はい、閣下!」と背筋を伸ばし、課題を一つ一つこなしていった。

その姿は、どこか不器用で、しかし、誠実だった。

それでも、最初は許せなかった。

妹の笑顔を、この男に独占されることが、耐えられなかった。

だが、ある日——クラウディアとジョージが一緒にいる姿を見た。

二人は庭園のベンチに座り、クラウディアがジョージの肩に寄りかかり、楽しげに笑っていた。

ジョージも照れくさそうに、だが優しく、妹の髪を撫でている。

その光景は、まるで太陽に照らされて、凛と咲くヒマワリのように明るかった。

クラウディアの笑顔は、これまで見た中で一番輝いていた。

兄である自分が、どんなに努力しても与えられなかった、

純粋で、無垢な喜び。

その瞬間、ゴップは思った。

 

 

——お似合いだ。

 

 

胸のざわつきが、静かに収まっていく。

憎しみは、いつしか、静かな諦めと、わずかな祝福に変わっていた。

 

「……結婚を許す。」

 

そう告げた日の夜、クラウディアは泣きながら抱きついてきた。

 

「ありがとう、兄さん!本当に……ありがとう!」

 

ジョージは、深く頭を下げ、「必ず、幸せにします」と誓った。

そして、クラウディアはオルグレン家に嫁いだ。

ゴップは目を閉じたまま、本を額に押し当てる。

瞳に、静かな、深い哀しみが宿る。

 

 

 

 

 

 

記憶の糸をさらに深く引き寄せた。

胸に押し当てた『シーサムライ』の革表紙が静かに温もりを伝える。

——クラウディアはジョージと結婚し、その後に、イーサンを産んだ。

イーサンは、本当に良くできた甥だった。

母のクラウディアと同じように、明るく明朗で、誰に対しても分け隔てなく接する子だった。

父のジョージに憧れ、「僕もお父さんみたいに、みんなを守れる軍人になる!」と幼い頃から言い続け、結局、連邦軍に入隊した。

訓練でも、戦場でも、いつも笑顔を絶やさず、部下を励まし、上官を尊敬し、誰よりも先に手を差し伸べる男だった。

本当に、あの頃は幸せだった。

自分は軍の軍務と政争に没頭し、クラウディアはコロニー融和派の議員として奔走し、義弟のジョージはコロニー駐屯部隊の指揮官として、家族を守りながら任務を果たした。

まあ、ゴップ家が先祖代々管理していた自然公園の「ゴップ自然公園」の管理をクラウディアに任せきりにしてしまい、お小言をよく言われたものだ。

そして、イーサンが成長し、いつかゴップ家とオルグレン家の跡を継いでくれるだろうと、誰もが自然に期待していた。

だが、その夢は潰えた。

ブリティッシュ作戦で、クラウディアとジョージは死んだ。

最後まで声を上げ、最後まで手を差し伸べようとして、二人は散った。

そして、甥のイーサンも、ア・バオア・クーで戦死した。

ゴップは胸の奥で、静かに後悔が疼くのを感じた。

 

「……イーサンに、フラナガン機関の拿捕を依頼すべきではなかったか…。」

 

あの任務は、危険すぎた。

フラナガン機関の技術——ニュータイプ研究の名の下に非人道的な人体実験が横行していることは、クルスト博士が亡命した時に察知していた。

もし、あの技術が悪用されたら、更なる悲劇が起きる。

身寄りのない子供たち、素質ある人々が、ただの「パーツ」として、使い捨てにされる未来が、目に見えるように分かっていた。

ホワイトベースのアムロ・レイの活躍で、連邦軍内部でも、フラナガン機関のように、非人道的なニュータイプ研究をする者達が現れるだろう。

だからこそ、信頼できる者でなければ、託せなかった。

 

「……お前しか、いなかったんだ…。」

 

イーサンは母のように明るく、父のように勇敢で、そして、叔父である自分を信じてくれた。

それなのに自分は、甥のイーサンを死なせてしまった。

青白い照明が、彼の孤独と失われた家族の記憶を静かに照らし続けていた。

 

 

 

 

 

 

ゴップは、カプセルの青白い光に照らされた少女の寝顔を、じっと見つめ続けた。

ブロンドの髪が霧の中で淡く揺れている。

資料によれば、彼女はクローン技術で人工的に造られたニュータイプ——強化人間。

遺伝子改造を施され、【ニュータイプ】という曖昧な象徴を、人の手で造られた存在。

ゴップは、静かに考える。

 

(……クローン技術で造られ、遺伝子改造をされ、ニュータイプという幻想を人工的に形造られたこの子は、本当に「人間」と言えるのだろうか?)

 

 

胸の奥で疑問が静かに渦を巻く。

彼女は生まれた瞬間から、「兵器」として設計され、「道具」として扱われる運命だった。

 

 

それでも、目の前で静かに眠る少女は、確かに息をしている。

その時、タカバ少尉の言葉が、頭の奥で鮮やかに蘇った。

 

『……彼女たちは、人間なんだ!死んだ後も……物扱いしたくなかった!だから、俺は……『人』として、弔いたかったんです!』

 

ゴップの口元に、優しい、しかしどこか寂しげな微笑みが浮かぶ。

彼は、ゆっくりと頷いた。

 

「……確かに。物扱いはしたくないな。」

 

少女の頬を、ガラス越しにそっと見つめる。

 

「出自がどうあれ、この子は今、私の目の前で生きている。クラウディア、イーサン、ジョージを失い、尊かった命を亡くしてしまった、この痛みを知る私だから……彼の発言の重さが、分かるよ。」

 

ゴップは、静かに続ける。

 

「ああ、例え造られた命だとしても、生み出された者に、意味のある祝福を与えなければならないな。」

 

記憶が再び蘇る。

クラウディアがイーサンを出産した日のこと。

産声が響き、ジョージが涙を浮かべて抱き上げ、クラウディアが疲れた笑顔で、「見て、兄さん……可愛いでしょう?」と言った。

ゴップは、その小さな命を腕に抱いた瞬間、溢れんばかりの感謝と祝福の言葉を、自然に口にした。

 

「……おめでとう、クラウディア。ジョージ。この子は、きっと……君たちのように、誰かを守れる優しい人になるだろう。」

 

あの時の温かさが、今も胸に残っている。

ゴップは、ゆっくりと立ち上がった。

カプセルの表面を、そっと撫でる。

冷たいガラス越しに少女の体温を感じるように。

 

「これから、連邦軍内部でのニュータイプ研究は加速していくだろう。この子も、貴重なサンプルとして、研究対象にされる恐れがある。だから……目覚めさせるのは、もっと先だ。イングリッド……。」

 

彼は、再びソウヤの言葉を思い出す。

 

 

『……後悔はない。軍人としては間違っていたかもしれない。でも、人としては……間違っていないはずです。人を殺すばかりじゃあ、軍人じゃない。人を生かすことも……軍人である。それは、隊長——イーサンの背中から、学びました。』

 

ゴップの瞳が、わずかに揺れる。

 

「……私も、人として、最低限のことは間違いたくない。こんな幼い命を贄にしてまで、自分の基盤を守ろうとは思っていない。私も……彼のように、人を殺すばかりの軍人でなく、人を生かすための軍人だと、大きな声で言えるくらいの人間になれるのだろうか?」

 

ゴップは、ふっと苦笑した。

 

「……タカバ少尉には、失礼なことを言ってしまったな。生体ユニットにされた者たちのことを、私は『重要物品』と言ってしまった。どうも、私はそこらへんがデリカシーがない。ジャブローで、ミライ・ヤシマ嬢に『婿さんを世話しようか』と、デリカシーのない発言をしてしまった。昔から、クラウディアによく怒られたものだ……。」

 

記憶の中で、妹の叱る声が響く。

 

『兄さん! そんな言い方、失礼よ!』

 

ゴップは目を閉じて、小さく息を吐いた。

 

「……すまない、クラウディア。今も昔も、私は変わらないようだ。」

 

カプセルの中の少女は、静かに眠り続けている。

ゴップは、もう一度、ガラスに指を添えた。

 

「……もう、誰も失いたくないな。」

 

ゴップ大将は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

カプセルの青白い光が部屋の隅に残る影を淡く照らす中、彼は脇に抱えていた『シーサムライ』を、しっかりと抱え直した。

もう一度、少女の寝顔に視線を落とし、そして、背を向けた。

重たい鋼鉄のドアが、低い駆動音を立ててスライドする。

ゴップは、静かに部屋を出る。

扉が閉まる音が、背後で響いた。

外では、尉官が緊張した面持ちで待機していた。

ゴップが姿を現すと、即座に敬礼する。

 

「閣下。」

 

ゴップは、軽く頷き、低い声で指示を出した。

 

「あのコールドスリープ装置は、内密に私の館に移送しろ。誰にも知られるな。手配は慎重に。」

 

尉官は姿勢を正したまま、短く答える。

 

「……了解いたしました。直ちに手配いたします。」

 

ゴップは、それ以上言葉をかけず、背後の兵士たちを連れて歩き出す。

足音が最深部の冷たい廊下に整然と響く。

照明が抑えられた通路を静かに進む。

誰も口を開かない。

ただ、制服の布擦れと靴音だけが、空気を震わせていた。

 

 

 

 

 

 

執務室に戻ったゴップは、ゆっくりとデスクの椅子に腰を下ろした。

彼は、胸ポケットからフラナガン機関のデータディスクを取り出す。

そして脇に抱えていた『シーサムライ』を、デスクの上に置いた。

二つの物を、じっと見つめる。

ゴップは、引き出しから電子ロック付きのジュラルミンケースを取り出した。

ケースを開け、データディスクと本を丁寧に収める。

ロック音が、カチリと小さく響く。

彼はケースを閉じ、さらに奥の金庫にしまう。

金庫の扉が閉まる音が、重く響いた。

再び椅子に深く腰を沈め、目を閉じる。

静寂が部屋を満たす。

ドアが、急いでいるような間隔でノックされた。

 

コンコンコンコン——

 

短く、連続的に、普段の丁寧さとは違う、切迫したリズム。

ゴップ大将は、わずかに眉を寄せ、静かに答えた。

 

「……入れ。」

 

ドアが勢いよく開き、ナガト中尉がすごい剣幕で飛び込んできた。

制服の襟が乱れ、息が荒い。

いつも冷静な整備班長の顔が、今は明らかに動揺している。

ゴップは椅子から少し身を起こし、驚いた顔で尋ねた。

 

「……ナガト中尉。どうした、何があった?」

 

ナガトは、慌てて一歩前に出て、深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません、閣下!急ぎすぎて……失礼いたしました!」

 

彼は急ぎ足でデスクに近づき、手に持っていたファイルをゴップの前に置いた。

ファイルの表紙には[星一号作戦 撃破数報告(推定)]と赤字で記されている。

ナガトは、息を整えながら、真剣な目でゴップを見据えた。

 

「……閣下。タカバ少尉からの撃破数報告書は、もうお受け取りになりましたか?」

 

 

ゴップは、ナガトの表情の異様さに気づき、

即座に真剣になる。

彼は椅子を引いてパソコンを立ち上げ、キーボードを叩きながらデータを漁り始めた。

 

「……待て。今確認する。」

 

画面にフォルダが開き、ソウヤからの報告書類が次々と表示される。

ゴップはスクロールしながら、低い声で答えた。

 

「……ア・バオア・クーの偵察任務までの分しか来ていない。星一号作戦の撃破数は……まだ届いていないようだ。」

 

ナガトは、深く息を吐き、ファイルを指差した。

 

「……だからこそ、すぐに上層部に上げるのは控えてください。お願いいたします。」

 

ゴップの指が、キーボードの上で止まる。

彼はナガトをまっすぐ見つめた。

 

「……理由を話せ。」

 

ナガトは、声を低く抑えながら、一つ一つ説明を始めた。

 

「タカバ少尉は、オデッサ作戦でザク3機、ドム1機、

フラナガン機関のグフを撃破しています。この時点で既に5機。連邦軍の規定で、ソウヤはエースの資格を得ており。新兵で初陣の活躍を着目した広報が『オデッサの新星』という二つ名を付け、広報アピールに利用しました。」

 

ゴップの表情が、少し硬くなる。

 

「続けて。」

 

「ジャブローではガウ攻撃空母を2隻、ドップ戦闘機を7機撃破。グアイマスでズゴックを2機。キャリフォルニア・ベース奪還作戦では、モビルスーツを6機撃破しています。」

 

ゴップは、静かに頷く。

だが、ナガトの声はまだ続く。

 

「宇宙に入ってからは、サイド6での戦闘でムサイ1隻とゲルググ1機。ア・バオア・クーの偵察任務では、ドム1機とゲルググ2機。」

 

ナガトは、息を吸って、最後の数字を告げた。

 

「……この時点で、モビルスーツ撃破数は17機。巡洋艦及び空母3隻、戦闘機7機です。」

 

ゴップの瞳が見開かれる。

彼は、ナガトが置いたファイルを手に取り、表紙を開いた。

ファイルの最初のページに赤字で大きく書かれている。

 

 

 

 

[星一号作戦 撃破数推定(最低値)]

・モビルスーツ:40機以上

・巡洋艦:6隻

・ドロス級超大型空母:共同撃破確認

 

 

 

 

ゴップの顔から、血の気が引いた。

指先がファイルの端を強く握り、顔面が蒼白になる。

 

「……これは……本当か?」

 

声が、わずかに震えていた。

ナガトは、静かに頷く。

 

「……はい。ソウヤ本人の報告ではありません。整備班の方で代わりに撃破数の確認していたら、発覚しました。戦闘ログ、目撃証言、複数の部隊からのクロスチェックで、最低でもこの数字です。……もしかしたら、もっと多い可能性もあります。」

 

ゴップは、ファイルを閉じ、デスクに置いた。

部屋に重い沈黙が落ちる。

彼は、ゆっくりと息を吐き、目を閉じた。

 

「……まずい……この戦果は、まずいぞ……。」

 

青白いモニターの光が、ゴップの蒼白い顔を照らす。

静寂の中で、ファイルの端を指で小さく叩き続けた。

ナガトは、ゴップ大将を見据えながら発言する。

声に、わずかな緊張が混じる。

 

「……閣下。ソウヤとヤザンをオリオン小隊に配属する時、私とイーサンに、こう言われました。『この二人はニュータイプの可能性があるかもしれない。フラナガン機関の生体ユニット搭載のモビルスーツから、生存した。その可能性が高いはずだ』と。」

 

 

ゴップは静かに頷いた。

視線をファイルから外さず、低い声で認める。

 

「……ああ、私が言った。生体ユニット搭載のモビルスーツに対抗するには、どうしても高い戦闘能力を持ったパイロットが必要だった。当時、ホワイトベースのアムロ・レイが活躍していた。私もそれに倣って、イーサンの元にタカバ少尉とヤザン曹長を配属させた。」

 

ゴップは、ゆっくりとナガトに視線を移す。

 

「……君の所感はどうなんだ?二人は、どう見える?」

 

ナガトは、暫く目を伏せ、考え込むように間を置いた。

やがて、静かに口を開く。

 

「……ソウヤは、初めて乗ったマスケッティアに、すぐに順応しました。高い宇宙空間戦闘能力を、瞬時に開花させました。そして……時より見せる勘の良さ……ニュータイプの可能性は、非常に高いと思います。」

 

ゴップは、わずかに頷き、さらに尋ねた。

 

「……ヤザンは?」

 

ナガトは苦笑を浮かべる。

 

「……ヤザンは確かに戦闘能力は高い。ニュータイプと思われるかもしれない。ですが、私の所感では……彼は近しい境地に辿り着いた、戦闘センスの極めて高い人間です。ニュータイプというより、純粋な『人間の極限』に近いでしょう。」

 

ゴップは、静かに息を吐いた。

そして、ゆっくりと言った。

 

「……タカバ少尉は、生体ユニットを入手していた。だが、それを故意に手放していたようだ。」

 

ナガトの瞳が、大きく見開かれる。

驚愕が顔に広がり、一瞬、言葉を失う。

やがて、慌てて頭を下げた。

 

「……申し訳ありません、閣下!そんな重要物品を確保もせずに手放すとは……私の監督不行き届きで……!」

 

ゴップは、静かに手を上げて制した。

声に、わずかな苦味が混じる。

 

「……『重要物品』という言い方は、やめたまえ。私もそう言って、タカバ少尉に怒られた。」

 

ナガトは、呆然とする。

額から冷や汗が一筋、伝う。

ゴップは話を続ける。

 

「……その時、タカバ少尉は言った。要塞から脱出する時に、生体ユニットにされた女性に導かれた、と。『物』扱いされることを嫌悪していることを、知っていた。……喋る手段がない生体ユニットと、どうやってコミュニケーションをしたか、分かるか?」

 

ナガトの顔から、血の気が引く。

額の汗が、止まらない。

彼は喉を鳴らし、小さく首を振った。

 

「……分かりません、閣下……。」

 

ゴップは目を閉じ、静かに息を吐く。

 

「……私にも、分からん。だが、タカバ少尉は、それを『人』として感じ取った。……私たちは、それを『重要物品』としか見ていなかったがね。」

 

部屋に、重い沈黙が落ちる。

ナガトは俯いたまま、拳を握りしめる。

ゴップは、ゆっくりと目を開き、ファイルを指で軽く叩いた。

 

「……この数字は、まだ誰にも上げるな。タカバ少尉を、守らなければならない。」

 

ゴップ大将はファイルを閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

 

静寂の中で、低い声が響く。

 

「……連邦軍内部でも、アムロ・レイの活躍を見て、ニュータイプ研究を本格化させようとする動きが、確実に広がっている。」

 

ゴップは、指先でデスクを軽く叩きながら続ける。

 

「その派閥は、何が何でもニュータイプのサンプルを欲しがるはずだ。ホワイトベースのアムロ・レイは、ガンダムを開発した技術士官、テム・レイ大尉のご子息だ。彼の活躍もあって、アムロ・レイは英雄視されており、流石に連中も手を出さないだろう。逆に彼の力を畏怖して、監視下に置くだろうな。」

 

視線をナガトに移す。

 

「だが、タカバ少尉は違う。私の部隊、オリオン小隊で秘匿性の高い任務をしていた。アムロ・レイほどに英雄視はされない。……だからこそ、ニュータイプ研究のサンプルにされる可能性が高い。」

 

ゴップの声が、わずかに低くなる。

 

「これからは、連邦内部でも、非人道的なニュータイプ研究が加速していくだろう。私は……タカバ少尉を、そのサンプルにされることは避けたい。」

 

ナガトは静かに息を飲み、ゴップを見つめた。

 

「……では、どうされますか?」

 

ゴップは暫く目を閉じ、考え込む。

やがて、ゆっくりとパソコンに手を伸ばし、キーボードを叩き始めた。

画面に、ある人物のファイルが表示される。

ゴップは、静かにその名前を口にした。

 

「……テネス・A・ユング少佐だ。」

 

ナガトの瞳が、わずかに揺れる。

ゴップはファイルを指で軽く叩き、淡々と続ける。

 

「タカバ少尉の戦果の一部と、ドロス撃破の功績を、彼の物にしよう。ユング少佐は、タカバ少尉と共にドロスを共同撃破したとになっている。星一号作戦の成果を、彼の功績として処理すれば、タカバ少尉の名前は表に出ない。そして、少尉は生体ユニットの責任を取らせる形で、地上に左遷させる。……少なくとも、ニュータイプ研究派閥の目に留まることは避けられる。それに軍上層部でも、アムロ・レイを撃破数1位にすることを難色を示している連中がいるから、今がチャンスだ。」

 

ナガトは静かに口を開いた。

 

「……閣下。それでは、タカバ少尉に……恨まれませんか?」

 

ゴップは、椅子に深く腰を沈めたまま、視線を窓のない壁に向けた。

 

「恨まれても構わない。タカバ少尉を守れるのなら、それで良い。それに……私は『ジャブローのモグラ』と陰口を叩かれているんだぞ?今更、一人の士官に恨まれたところで、何も変わらないだろう?」

 

その言葉を聞いた瞬間、ナガトの肩が小さく震えた。

そして、堪えきれずに、くすっと笑いが漏れる。

すぐに口元を押さえたが、目尻には笑みの皺が残った。

 

「……そうですね。流石は閣下です。」

 

ゴップは、ふっと鼻で笑った。

いつもの冷たい笑みではなく、どこか疲れた、優しい響きが混じっていた。

 

「……残されたタカバ少尉とヤザン曹長は、亡くなったイーサンの忘れ形見だと思っている。だから、出来る範囲で目の届く範囲で……守りたい。」

 

短く息を吐き、ゴップは視線をナガトに戻した。

声は低く、しかしはっきりとした命令調になる。

 

「至急、手配してくれ。戦果の処理はユング少佐名義で。タカバ少尉の名前は、一切表に出さないように。」

 

ナガトは、姿勢を正した。

ファイルを持った手が、わずかに震えていた。

 

「……了解いたしました。」

 

深く敬礼をすると、踵を返して急ぎ足で部屋に向かう。

ドアが勢いよく開き、閉まる音が響いた。

廊下にナガトの足音が遠ざかっていく。

やがて、完全に消えた。執務室に、再び静寂が戻る。

ゴップは椅子をくるっと半回転させ、背もたれに体を預けた。

大きく、深く息を吐く。

彼は目を閉じ、動かなくなった。

デスクの上のケース、金庫の奥にしまったデータディスクと『シーサムライ』。

そして、遠くルナツーの最深部に隠されたカプセルに眠る少女、イングリッド。

すべてが、今、この瞬間に重くのしかかっている。

静かな部屋に、ただ、ゴップの呼吸音だけが小さく響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3週間後

 

宇宙世紀0080年2月5日

 

地球連邦軍宇宙要塞ルナツー・スペースゲート通路

 

 

通路の長い窓ガラス越しに、宇宙船ドックの景色が広がっている。

数隻のサラミス級巡洋艦が静かに停泊していた。

艦体は戦いの傷跡をまだ色濃く残し、ところどころに焦げた装甲板が剥き出しになっている。

艦橋の灯りは控えめで、整備中の作業灯だけが点々と瞬いている。

何機かの、小型シャトルがボーディングブリッジと搭乗口と連結しており、乗客の搭乗を待っていた。

通路の床は冷たく、無機質な金属音が足音に響く。

窓際を、ゆっくりと二つの影が歩いていた。 ヤザン・ゲーブルは松葉杖を両脇に突き、右足を引きずるように進む。

ギプスはまだ外れていないが、顔色は少し良くなっていた。

いつもの獰猛な目は、どこか遠くを見ているようだ。

隣を歩くソウヤ・タカバは、制服の襟を正しながら並んでいた。

肩章の階級章が、少尉から中尉に変わっている。

二人は窓の前に立ち止まった。

宇宙の静けさが、ガラス越しに重くのしかかる。

ヤザンが松葉杖を床に軽く叩きながら、ぽつりと口を開いた。

 

「……中尉、か。随分と早い昇進だな、ソウヤ。」

 

ソウヤは視線を窓の外に固定したまま、苦笑を浮かべる。

 

「まあ、色々とあって……。」

 

ソウヤは、窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。

視線が宇宙の闇に溶けていく。

2週間前の記憶が、静かに胸の奥から浮かび上がってきた。

 

 

……あの執務室。

 

 

ゴップ大将に啖呵を切ってから、一週間後のことだった。

再び呼び出され、処罰を言い渡された日のこと。

ゴップ大将は、デスクの向こうで姿勢を正し、厳正な態度で口を開いた。

いつもの穏やかさは影を潜め、声は低く、重く響いた。

 

「……タカバ中尉。フラナガン機関の生体ユニットを意図的に手放した件は、許し難い。連邦軍の規律として、到底看過できるものではない。」

 

ソウヤは背筋を伸ばしたまま、視線を落とさず聞き続けた。

拳を膝の上で軽く握りしめ、表情を崩さないように呼吸を整える。

ゴップは、わずかに間を置いて続ける。

声に、わずかな苦味が混じる。

 

「しかし……星一号作戦、ア・バオア・クーでの君の活躍、データディスクの入手に免じて、戦果の一部とドロス級超大型空母撃破の功績を無効とし、加えて、地上への左遷をもって、生体ユニットの意図的な投棄を不問とする。これ以上、追及はしない。」

 

ソウヤの瞳が、わずかに揺れた。

予想外の軽い処分に、心臓が一瞬強く鳴った。

だが、すぐに平静を装い、静かに息を吐く。

表情は変えず、ただ視線をゴップ大将に固定したままだった。

ゴップは、デスクの上のファイルを軽く叩きながら、言葉を続けた。

今度は、声にわずかな温かみが戻る。

 

「……オデッサ作戦から、ア・バオア・クー偵察任務までの功績は…認めている。左遷先の地上部隊では、モビルスーツ隊の隊長職が待っている。それを配慮して、君を中尉に昇進させる。これで、君の階級は中尉だ。」

 

 

ソウヤは、喉を鳴らした。

胸の奥で、何かがざわつく。

昇進と左遷が同時に告げられるという、奇妙な優しさ。

ゴップ大将の意図が、ぼんやりとしか読み取れなかった。

そして、最後にゴップは左遷先を告げた。

その地名を聞いた瞬間、ソウヤの瞳が見開かれた。

予想だにしなかった場所。

あまりにも意外で、思わず息を飲んだことを、今も鮮やかに思い出す。

……あの時、ゴップ大将は静かに微笑んだ。

いつもの冷たい笑みではなく、どこか疲れた、優しい笑みだった。

ソウヤは、窓ガラスから視線を外し、隣のヤザンに目を向けた。

記憶が胸に沈み、再び現実の通路に戻る。

宇宙の静けさが、二人の間に重く横たわっていた。

通路の静けさの中で、ヤザンが松葉杖を軽く床に突きながら、ぽつりと口を開いた。

声はいつもより低く、どこか寂しげに響く。

 

「……オルグレン隊長が戦死したことで、オリオン小隊は解散だ。フラナガン機関の情報を手に入れて、当初の目的は果たしたんだからな。お前は地上に異動、整備班の連中もそれぞれ散り散りになる。……寂しいもんだな。」

 

ソウヤは視線を窓の外に固定したまま、ゆっくりと息を吐いた。

胸の奥に、鈍い痛みが広がる。

 

「……そうだな。」

 

短い言葉が、通路の冷たい空気に溶けていく。

二人の間に、重い沈黙が落ちた。

ヤザンが、松葉杖を握り直しながら、ソウヤの横顔をじっと見つめた。

いつもの獰猛な目が、わずかに柔らかくなる。

 

「…なあ……俺達、2ヶ月間一緒に戦ったよな…。2ヶ月なんて、短い期間かもしれない。だけど……俺の中じゃ、一番濃い時間を過ごしたと思ってる。お前はどうだ?」

 

ソウヤは、ゆっくりと視線をヤザンに向けた。

瞳に、静かな光が宿る。

 

「……ああ。確かに、2ヶ月という短い時間だった。でも、その2ヶ月は……本当に俺を変えた。濃密で、掛け替えのない時間だった。オリオン小隊で過ごした日々、記憶……今の俺を作り出した、大切なアイディンティティだ。」

 

ヤザンは、ふっと口元を緩めた。

目尻に、嬉しそうな皺が寄る。

 

「……お前もそうか。よかった。」

 

短く息を吐き、ヤザンは再び言葉を続けた。

声は低く、しかしはっきりと。

 

「お前は俺とは全く違う。なのに……お前が後ろにいると、安心して目の前の敵に集中できた。お前が違うタイプだからこそ、学ぶことも多かった。そして……俺はお前のことを、誰よりも信頼してる。唯一無二の相棒だと思ってる。」

 

ソウヤは、喉を鳴らした。

胸の奥で、何かが熱くなる。

視線をヤザンに固定したまま、静かに返す。

 

「……俺もだ。ヤザンが前にいると、安心して射撃に集中できた。お前の前向きな姿勢が、俺に前を見続けさせてくれた。俺も……ヤザンのことを、唯一無二の相棒だと思ってる。」

 

二人は、しばらく無言で顔を見合わせた。

ヤザンが、ゆっくりと右拳を突き出す。

松葉杖を片手で支えながら、いつもの荒々しい笑みを浮かべる。

 

「じゃあな、相棒。また、どこかで会おうぜ。」

 

ソウヤも、静かに拳を突き出した。

声は低く、しかし確かだった。

 

「ああ。またどこかで会おう。相棒。」

 

二つの拳が、静かにぶつかり合う。

金属の松葉杖が小さく音を立て、拳同士の衝撃がわずかに伝わる。

それは、言葉以上の約束だった。ソウヤは拳を下ろし、ゆっくりと踵を返した。

搭乗口の方へ、一歩一歩歩き出す。

背後にヤザンの視線を感じながら。

通路の照明が、ソウヤの影を長く伸ばす。

 

 

 

 

 

 

ソウヤはゆっくりと搭乗口の方へ歩みを進めた。

通路の照明が足元を淡く照らし、背後のヤザンの視線がまだ残っている気がした。

搭乗口のゲートが近づいたところで、後ろから声が響いた。

 

「タカバ少尉!」

 

女性の声。

少し高めで、息を切らしたような響き。

ソウヤは足を止め、ゆっくりと振り返った。

小柄な体躯の女性が駆け寄ってくる。

黒いおかっぱ髪が揺れ、童顔に連邦軍の制服が少し大きめにかかっている。

肩が上下に激しく動いていた。

ソウヤの瞳が、わずかに見開かれる。

 

「……カタギリ中尉!」

 

シイコ・カタギリは、ソウヤの前に辿り着くと、膝に手をついて大きく息を吸った。

大急ぎで駆けつけた様子が、乱れた髪と荒い呼吸に表れている。

 

「……はあ……はあ……本当ですか?地上に異動って……本当ですか、タカバ少尉?」

 

ソウヤは、静かに頷いた。

視線を少し落として、落ち着いた声で返す。

 

「……本当です。」

 

シイコは顔を上げ、目を大きく見開いた。

息がまだ整わないまま、言葉を続ける。

 

「ア・バオア・クーであんなに活躍したタカバ少尉が、地上に左遷なんて……おかしいですよ!そんなの、絶対おかしいです!」

 

ソウヤは、ふっと苦笑を浮かべた。

肩章の階級章を指で軽く触りながら、静かに突っ込む。

 

「……今は中尉ですよ、カタギリ中尉。」

 

シイコは一瞬固まり、慌てて手を振った。

 

「あっ……! そ、そうでした!タカバ……中尉!ごめんなさい!」

 

ソウヤは、シイコの慌てぶりを見て、思わず小さく笑ってしまった。

口元が緩み、肩が軽く揺れる。シイコはそれを見て、頰をぷくっと膨らませた。

プリプリと怒ったように、ソウヤを睨む。

 

「……笑わないでください!せっかく心配して駆けつけたのに……!」

 

ソウヤはすぐに表情を戻し、頭を軽く下げた。

 

「……すみません。つい。」

 

シイコはまだ少し頰を膨らませたまま、ソウヤをじっと見つめる。

やがて、ふっと息を吐いて、口元を緩めた。

 

「……笑った罰です。同じ階級になったんですから、もう『カタギリ中尉』じゃなくて……シイコって……呼んでください……。」

 

ソウヤは、わずかに目を伏せた。

頰が少し熱くなるのを感じながら、恥ずかしげに口を開く。

 

「……シイコ、さん。」

 

シイコの顔がぱっと明るくなった。

満足げに頷き、胸を張る。

 

「はい!じゃあ、私も同じ階級になったので……ソウヤ、って呼びますね……。」

 

ソウヤは、照れくさそうに視線を逸らした。

だが、口元には小さな笑みが残っている。

二人は、しばらく無言で立ち尽くした。

シイコは、ソウヤの顔をじっと見つめながら、言葉を続けた。

声は少し震えていたが、必死に抑え込んでいる。

 

「……私たちで、ア・バオア・クーでの活躍を上層部に訴えるのはどうですか?……地上への異動、取り下げてもらえるはずです。あなたの戦績なら、宇宙にいるべきです。」

 

ソウヤは、静かに首を横に振った。

視線を落とし、ゆっくりと息を吐く。

 

「……私は罪を犯しました。取り返しのつかない罪を。」

 

シイコの瞳が、わずかに揺れる。

彼女は喉を鳴らし、静かに尋ねた。

 

「……どんな罪ですか?」

 

ソウヤは視線を上げた。

蒼い瞳が、シイコをまっすぐに見つめる。

声は低く、しかし確かだった。

 

「……俺は知らなかったとはいえ、罪のない女の子の命を奪ってしまった。だから……その罪を償うために、地上に降りるんです。」

 

シイコは、息を飲んだ。

すぐに言葉を返す。

 

「……それなら、宇宙でも償えるんじゃないですか?

地上じゃなくても……。」

 

ソウヤは、再び首を振った。

瞳に、静かな決意が宿る。

 

「……地上には、まだ多くのジオン残党兵がいる。俺はそこに降りて、残っている連中を宇宙に帰そうと思っているんです。」

 

シイコの表情が曇った。

声が、少し大きくなった。

 

「……それは途方もないことですよ。そんなの、地上の部隊の誰かがやればいいじゃないですか。あなたが一人で背負う必要なんて……!」

 

ソウヤは、静かに息を吐いた。

視線を逸らさず、シイコの瞳をまっすぐ見つめ返す。

 

「……罪を犯した自分だからこそ、しなくちゃいけない。罪という名の痛みを知っているから……それを見ない振りをするのは、嫌なんです。」

 

蒼い瞳が、真っ直ぐにシイコを貫く。

その視線に、言葉以上の重みが宿っていた。

シイコは言葉を失った。

ソウヤの瞳を見つめ返し、胸の奥で何かが疼くのを感じる。

やがて、ゆっくりと息を吐き、諦めたように頷いた。

 

「……分かりました。地上でやるべきことがあるなら……それは仕方のないことですね……。」

 

その瞬間、搭乗口のスピーカーからアナウンスが流れた。

無機質な女性の声が通路に響く。

 

「シャトル発進まで、あと5分です。ご搭乗の隊員は、速やかにゲートをお通りください。」

 

シイコは慌てて視線を上げた。

声が、わずかに震える。

 

「……無事でいてください。絶対に……無茶なことはしないでください……。」

 

ソウヤは静かに頷いた。

口元に、優しい笑みが浮かぶ。

 

「……ありがとうございます、シイコさん。」

 

彼はゆっくりと踵を返し、ゲートに向かって歩き出す。

背中が、少しずつ遠ざかる。

 

シイコは、思わず声を上げた。

 

「……ソウヤ!!どこに異動するんですか?」

 

ソウヤは振り返り、しかしはっきり響く声で答えた。

 

「……東南アジア方面極東方面軍、コジマ大隊です!」

 

そう言い残すと、ソウヤはゲートを潜り、搭乗口へと消えていった。

シイコは、その背中を見送ったまま、動けなかった。

やがて、頰を一筋の涙が伝う。

彼女は、そっと目を閉じた。

 

(……私は、ソウヤ・タカバに一目惚れしていた。あの真っ直ぐな、蒼い瞳が……大好きだった。)

 

胸の奥で、何かが静かに砕ける音がした。

 

(もし、私が無理にでも引き留めてしまったら……あの瞳を、濁らせてしまう。私が好きなのは、真っ直ぐな瞳のソウヤだから。)

 

シイコは、ゆっくりと息を吐いた。

涙を拭うこともなく、ただ静かに呟いた。

 

 

「……ああ……失恋しちゃったな……。」

 

 

搭乗口のゲートが、静かに閉まる音が響いた。

宇宙の静けさが、再び彼女を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウヤが乗ったシャトルは、ルナツーのスペースゲートからゆっくりと離れ始めた。

搭乗口のゲートが完全に閉まり、ボーディングブリッジが切り離される音が、低く響く。

シャトルのハッチが密閉され、内部の空気が静かに安定する。

エンジンの点火音が、機体全体に微かな振動を伝えた。

シャトルは、ゆっくりと回転しながら、ゲートの外へ滑り出る。

ルナツーの巨大な岩塊が、視界から徐々に遠ざかっていく。

ソウヤは、窓際のシートに座ったまま、静かに地球を見つめていた。

蒼い惑星が、ゆっくりと近づいてくる。

雲の渦が白く渦巻き、大陸の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。

シャトルは大気圏に突入する。

機体がわずかに揺れ、外側でプラズマのオレンジ色の光が瞬く。

耐熱シールドが赤く輝き、窓ガラスが熱で歪むように揺らぐ。

だが、ソウヤの瞳は揺るがなかった。

ただ、静かに地球の青を見つめ続けている。

シャトルは軌道を調整し、東南アジア方面へと向かう。

青い海と緑の大地が、ゆっくりと近づいてくる。

胸の奥に静かな決意が沈む。

地球の青が、窓いっぱいに広がった。

シャトルは、ゆっくりと大気圏を降下し、ソウヤを新たな戦地に送り届ける。

 

 

一年戦争編【完】




最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます!!

これにて、【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】の一年戦争編、完結です!!

本当にありがとうございました(泣)

今回の話しは、【ジョニー・ライデンの帰還】のゴップが、なぜ、強化人間のイングリッド0を保護したかを、独自解釈で話を作ってみました。
私の世界線のゴップには、妹のクラウディアがおり、妹と甥のイーサンを亡くし、ソウヤがエイルのことを人間であると発言したから、ゴップはイングリッド0を保護した流れにしています。
第10話 亡魂と死の黄雲 の時にクラウディアが言っていた、公園とは。
【ジョニー・ライデンの帰還】で登場する、ゴップ自然公園のことです。
また、テネス・A・ユング少佐のアムロ・レイよりも撃破数が多い件も、独自解釈で書いてみました~♪
さてさて、次からはまさかの08小隊の舞台だった、東南アジア方面の話になります。
一年戦争後のコジマ大隊を自分なりの解釈で書いていくので、お楽しみに。
まさかの原作キャラクターが登場するので♪
そして、ヤザンはここで一旦フェードアウトしますので、よろしくお願いいたします。
また、今まで書いた話の修正と一年戦争後のストーリー構成の整合性の確認などをするので、次の話を書いたら、一週間くらい、お休みします!
ではでは、これからもよろしくお願いいたします。

原作キャラクター紹介

イングリッド0
原作 ジョニー・ライデンの帰還

冷凍睡眠装置に眠っていた強化人間の少女。
今回の話では、ゴップとイングリッド0が初めて出会う話をイメージして、作ってみました。
数年後、ゴップの養女になります。

【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?

  • 陸戦型ジム改
  • バイアリーターク
  • ペイルライダー・ヴァンガード
  • ペイルライダー・マスケッティア
  • ヴァルキリー
  • グフ・ノクターン
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