壁も床も天井も、一面が無機質な白亜の空間だった。
床面には一定の間隔で黒いグリッド線が升目状に描かれ、照明は均一に冷たく照らされた、完全なる白い空間。
それはまさに、白亜の伽藍堂。
その圧倒的な白さが、静寂と孤絶感を生み出していた。
白亜の伽藍堂で、二機のモビルスーツが激しく戦っていた。
1機は紺色の死の銃士——ペイルライダー・マスケッティア。
もう1機は、細身の騎馬槍を携えた白磁の戦乙女——ヴァルキリー。
マスケッティアの頭部センサーは深紅に輝き、その赤い眼光が光の軌跡を描きながら、ヴァルキリーへ死闘を挑んでいた。
マスケッティアは左腰と右腰から同時にビームサーベルを抜刀し、赤い光刃が唸りを上げる。
HADESの残光がまだ機体を震わせ、排熱口から白い蒸気が噴き出している。
対するヴァルキリーは、右手の細長いビット・ランスを構えていた。
槍の柄に隠されたスラスターが青白く瞬き、ランス全体が独立した生き物のように浮遊しながら、鋭い切っ先をソウヤに向ける。
「はぁっー!」
ソウヤの叫びがコックピットに響いた瞬間、マスケッティアが動いた。
両手のビームサーベルが同時に振り上げられ、十字を描くようにヴァルキリーへ斬りかかる。
左の光刃が上段から、右の光刃が横薙ぎから——二重の赤い軌跡が白亜の空間を切り裂く。
ヴァルキリーは優雅に体を捻り、ビット・ランスを高速回転させて両方の刃を受け止めた。
金属と光刃が激しくぶつかり合い、火花が豪雨のように飛び散る。
衝撃で二機の機体がわずかに後退し、グリッドの升目が一瞬歪んだ。
マスケッティアは素早くスラスターを短く噴射させ、即座に間合いを詰める。
右手のビームサーベルを上段から叩きつけ、左手のビームサーベルを低く薙ぎ払う——連続した二連撃。
ヴァルキリーのビット・ランスが高速で動き、右のサーベルを弾き、左のサーベルを滑らせるように受け流す。
ランスの柄に内蔵されたスラスターが青白く噴射し、槍自体が独立して旋回しながらカウンターを放つ。
切っ先がマスケッティアの左胸を狙って突き出される。
「くっ……!」
ソウヤは左手のビームサーベルでランスの軌道を弾き、右手のサーベルで即座に追撃。
二振りの光刃が同時にヴァルキリーの胴体を狙う。
ヴァルキリーはランスを高速回転させながら後退し、紙一重で両方の刃を回避。
その動きは優美でありながら、冷酷で、一切の隙を見せない。
再び二機が接近した。
マスケッティアが右足を大きく踏み込み、右手のビームサーベルを全力で振り下ろす。
ヴァルキリーはビット・ランスを斜めに構えて受け止め、衝撃を逆手に取り、ランスの先端をソウヤのコックピット目がけて突き出す。
激しい火花が連続して爆ぜ、神殿の白い壁に残光を刻む。
2振りのビームサーベルと1本のビット・ランスが、目にも止まらぬ速度で交錯する。
斬撃のたびに金属の軋む音と、ビームの唸りが白亜の空間に響き渡った。
両手のサーベルを交互に振り回しながら、ヴァルキリーの動きを必死に追い続ける。
左のサーベルでランスを弾き、右のサーベルで胴体を狙う。
ヴァルキリーはランスを自在に操り、ソウヤの攻撃をことごとく受け流し、時には槍自体を独立させて背後から奇襲を仕掛けてくる。
一瞬の隙。
マスケッティアの左肩が、ランスの切っ先にかすかに掠められた。
装甲が熔け、火花が飛び散る。
「まだ……!」
ソウヤは両手のビームサーベルを交差させるように振り下ろした。
赤い光の十字が、ヴァルキリーの白い機体を切り裂こうと迫る。
ヴァルキリーのビット・ランスが高速回転しながら迎え撃つ。
二機の刃が激しくぶつかり合い、白亜の神殿に、まるで死の舞踏のような火花の嵐が巻き起こった。
マスケッティアの頭部センサーが深紅に燃え、バックパック左右に装備された小型ミサイルランチャーが一斉に発射。
8発の小型ミサイルは青白い推進光を引いて、ヴァルキリーの周囲を包み込むように飛ぶ。
ヴァルキリーは即座にビット・ランスを回転させ、円形のシールドを展開して迎撃しようとするが、ソウヤはさらに頭部バルカンを連射した。
けたたましいバルカン砲の音が神殿に響き渡る。
無数の小型弾丸がヴァルキリーの頭部を狙って浴びせかけられ、目潰しの弾幕となる。
ヴァルキリーの赤いモノアイが一瞬、激しく明滅した。
「絶対に、この隙を逃さない!」
その隙を、ソウヤは見逃さない。
マスケッティアのスラスターが全開で噴射され、損傷した機体を強引に前へ押し出す。
左肩の装甲がすでに半分以上剥がれ落ち、右脚の駆動部からは火花と黒煙が噴き出している。
ヴァルキリーがミサイルの爆風から脱した瞬間、ソウヤは頭部バルカンをもう一度短く連射。
弾丸がヴァルキリーの頭部に命中し、モノアイの表面に細かなひびを入れる。
ヴァルキリーの動きが、一瞬だけ鈍った。
「今だ……!」
マスケッティアが一気に間合いを詰める。
ヴァルキリーのビット・ランスが突き出されるが、ソウヤは右に機体を滑らせて紙一重で回避。
損傷した左腕が激しく軋むが、構わず左手のビームサーベルを振り上げてランスの軌道を弾く。
その瞬間、マスケッティアの右手に握られたビームサーベルが赤い光刃を最大出力で灯した。
ソウヤは叫んだ。
「終わりだぁぁーーー!」
ヴァルキリーがランスを構え直そうとするが、頭部バルカンの目潰しとミサイルの余波で反応が遅れる。
ソウヤの機体は傷だらけになりながらも、戦乙女の懐に肉薄した。
赤い光刃が一直線に突き出される。
ビームサーベルの切っ先が、ヴァルキリーの白い腹部に深く突き刺さった。
光刃が装甲を容易く貫通し、内部の回路と構造材を焼き切りながら、さらに奥まで沈み込む。
白磁のような外装が熔け、赤黒い焦げと火花が爆ぜる。ヴァルキリーの機体が、大きく仰け反った。
ビット・ランスが力なく虚空に浮かび、推進光が不安定に明滅する。
赤いモノアイの光が、ゆっくりと弱まり、点滅を繰り返す。
ソウヤはビームサーベルをさらに押し込み、柄の奥まで突き刺した。
光刃がヴァルキリーの体内で広がり、重要な駆動系とエネルギー回路を一気に焼き尽くす。
「……これで……終わりだ。」
マスケッティアの右手が最後に強く握りしめられた。
ビームサーベルの光が最大出力で輝き、ヴァルキリーの腹部を内側から完全に貫通した。
戦乙女の白い機体がゆっくりと膝を折り、
赤いモノアイの光が、ぱたりと消えた。
細長いビット・ランスが推進を失って無力に漂い始める。
マスケッティアもまた、限界を迎えていた。
左腕が完全に動かなくなり、右脚のアクチュエーターが悲鳴を上げ、機体全体が激しく震える。
ソウヤは倒したヴァルキリーから、ビームサーベルを引き抜いた。
赤い光刃が消えると同時に、ヴァルキリーの腹部から溶けた金属と火花が噴き出し、白亜の床に黒い染みを広げた。
白磁の戦乙女は、ゆっくりと壁に寄りかかるように傾き、ついに動かなくなった。
マスケッティアのコックピットの中で、ソウヤはまだシートに深く沈んだままだった。両手は操縦桿を握ったまま固まり、足はペダルに力なく置かれている。
倒したヴァルキリーの胸部のハッチが、ゆっくりと開いた。金属の軋む音が、白亜の神殿に不快に響く。
ハッチの隙間から、どろりとした黒い液体が先に零れ落ち、グリッドの升目にべっとりと広がった。
その後——肉塊が落ちた。
重く、湿った音を立てて、白い床に崩れ落ちる。
それは、もはや人間の形をほとんど留めていない、ただの赤黒い肉の塊だった。
その肉塊の中心には、灰白色の脳髄と、細く白い脊髄が無理やり機械のパイプやケーブルで繋ぎ止められたまま、露わになっていた。
ケーブルは肉に深く食い込み、一部は腐った組織と融合して、黒ずんだ体液を垂れ流している。脳髄は、容器から引きずり出された状態で、床にべったりと横たわっていた。
表面に薄い膜が張り、微かに脈打つような動きを見せている。
脊髄の端からは、切断された神経が細い糸のように垂れ下がり、床の液体の中でゆっくりと揺れていた。
それは『エイル』だった。
脳と脊髄を残して無理やり生かされていた、哀れで惨めな少女の成れの果て。
肉塊の表面が、ぴくり……と小さく痙攣した。
まるで、まだ痛みを感じているかのように。
まるで、まだ助けを求めているかのように。
白い床に、黒い体液がゆっくりと広がっていく。
冷たい照明の下で、その肉塊は無機質な白さに、ひどく穢らわしく浮かび上がっていた。
ソウヤは、それをコックピットのモニター越しに見ていた。
体が完全に金縛りになっており、指一本動かせず、
瞼さえも閉じられない。
ただ、視線だけが床に横たわる惨めな残骸に釘付けになっていた。
すると——頭の中に、直接、声が響いた。
『……ソウヤ……』
それは、優しかったエイルの声とは、まるで別物だった。
低く、湿り気を帯び、怨念と悲しみがねじくれたような、少女の声。
『……あなたは……私の姉を殺した……』
ソウヤの背筋に、冷たいものが走った。
声は続いた。
『オデッサで……ヒルダ姉さんを……あなたが放った砲弾が姉さんを殺した……姉さんは、最後まで私とカーラを守ろうとして……あなたに、殺された……』
声が、徐々に大きくなり、歪んでいく。
『キャリフォルニア・ベースでは……カーラを……妹は、私を守るために戦った……泣きながら……怖いと言いながら……まだ……私の頭の中に残っているの……カーラの最後の声が……』
ソウヤの喉が、引きつった。
声が出ない。
体が金縛りのまま、ただ震えることしかできない。
エイルの怨みの声が、さらに深く、冷たくソウヤの意識に染み込んでくる。
『……二人とも……あなたに殺された……私の大事な家族をあなたが奪った……なんで……なんで……』
声が、嗚咽のように震える。
しかしその震えは、悲しみではなく、抑えきれない憎悪と絶望だった。
『……どうして……どうしてあなたは、私の大切な人を……二人とも……殺してしまったの……?』
ソウヤの瞳が大きく見開かれた。
金縛りの中で、ソウヤは自分が犯した過ちが鮮烈に甦る。
オデッサで倒したグフ・カスタムの中に、ヒルダがいた。
キャリフォルニア・ベースで撃破したハイゴッグの中に、カーラがいた。
そして今——この白亜の神殿で、自分がビームサーベルで貫いたヴァルキリーの中に、エイルがいた。
三人の姉妹。
三人とも、ソウヤの手で殺されていた。
「……あ……」
ソウヤの喉から、ようやくかすれた声が漏れた。
恐怖と後悔が胸を締めつけ、息すらままならない。
「……ごめん……ごめんなさい……エイル……」
声が、震え、途切れ、嗚咽に変わる。
「……俺が……俺が……ヒルダを……カーラを……そして……君を……殺してしまった……知らなかった……本当に……知らなかった……でも……俺が……俺の手で……三人を……」
言葉が、喉の奥で詰まる。
金縛りの体が激しく震え始める。
恐怖が全身を支配していた。
自分が、ただの「敵」だと思っていた相手が、実は復讐するだけの理由を持った、哀れな少女たちだったという事実。
そして、自分がその家族を三人とも殺したという、取り返しのつかない過ち。
「……許してくれ……許して……エイル……。俺は……本当に……ごめん……ごめんなさい……!」
ソウヤの声は、恐怖に歪みながらも、必死に謝罪の言葉を繰り返した。
すると、マスケッティアの足元から、ゆっくりと影が這い上がってきた。
白い床のグリッドの隙間から、黒ずんだ金属と赤黒い肉が混じり合った塊が、ねばつく音を立てて現れる。
それは、かつてハイゴッグだった上半身の残骸だった。
頭部は半分潰れ、モノアイは割れて暗く、胸部装甲は大きく抉られたまま、内部から黒い体液を滴らせている。
その両肩から伸びた腕関節が、異様に長く、触手のようにうねりながら、マスケッティアの脚部に絡みついていく。
金属の関節が、ぎちぎちと音を立てて締め上げる。
マスケッティアの体が完全に固定された。
機体がわずかに震え、ソウヤは操縦桿を動かそうとするが、反応しない。
足元から這い上がる冷たい感触が、コックピットにまで伝わってくるようだった。
すると、ハイゴッグの残骸から——エイルと同じ、しかし少し幼く、震えた声が響き始めた。
『……どうして……エイル姉さんを殺したの?』
声は、ソウヤの頭の中に直接染み込んでくる。
湿り気を帯び、泣きじゃくるような、少女の声。
『私が……一生懸命に逃がした、エイル姉さんを……
どうして殺したの……?姉さんは私の分まで、生きようとしたのに……なんで……姉さんを……殺したの?』
声が徐々に大きくなり、怨みと悲しみがねじ曲がっていく。
『カーラは……怖かったよ……動かない体で……戦うの、怖かった……でも、エイル姉さんを守るために……頑張ったのに……どうして……どうして姉さんを……殺したの……?』
ハイゴッグの残骸から伸びた触手状の腕関節が、マスケッティアのボディーを強く締め上げ、機体を微かに軋ませる。
コックピットの中で、ソウヤはただ、恐怖に震えながら声を絞り出した。
「……ごめん……カーラ……ごめんなさい……」
声が、かすれて震える。
「……俺が……キャリフォルニア・ベースで……君を……見殺しにしてしまった…本当に……知らなかったんだ……君が……エイルを守るために戦っていたなんて……」
声は恐怖と後悔に歪み、嗚咽に変わっていく。
ハイゴッグの残骸は答えを返さない。
突然、マスケッティアの背後から強い衝撃が走った。
ドンッ、という重い音とともに、機体が大きく前へ揺さぶられる。
ソウヤの体がシートに叩きつけられ、息が一瞬止まった。
「なっ……!?」
慌ててバックモニターに視線を移すと、そこに映っていたのは——
胸部を大きく抉られ、装甲が溶けて黒く炭化したグフ・カスタムだった。
その残骸が、マスケッティアの背中に、まるで死に物狂いの抱擁のように絡みついていた。
損傷した両腕が、マスケッティアの胴体と肩を強く締め上げる。
機体の胸の裂け目からは、黒い液体と肉片が零れ落ち、ゆっくりと床に滴っていた。
グフ・カスタムの頭部が、ぎしりと音を立てて持ち上がる。
割れたモノアイの奥から、怒りに満ちた少女の声が直接ソウヤの頭の中に響き始めた。
『……どうして……妹達を殺した……?』
声は低く、燃えるような怒りを孕んでいた。
それは、優しかったエイルの声とも、カーラの泣き声とも違う、姉らしい、静かで激しい怒りの声——ヒルダの声だった。
『私が……必死に守ろうとしたのに……必死に逃がそうとしたのに……お前は……エイルも、カーラも……殺した……!』
グフ・カスタムの両腕が、さらに強く締め上げる。
ヒルダの声が怒りに震えながら、ソウヤの意識を抉る。
『カーラは……怖いと言いながら、エイルを守ろうとして戦った……それなのに、お前は見殺しにした!……エイルは……最後にやっと自由になろうとしたのに……お前が……ここで……殺した!お前は私達三人を……すべて殺した……!』
声が、怒りの叫びに変わる。
グフ・カスタムの残骸が、マスケッティアの背中にさらに深く食い込み、胸の裂け目から黒い体液が噴き出す。
「……俺が……オデッサで……君を……キャリフォルニア・ベースでカーラを……そしてここで……エイルを…………申し訳ない……本当に申し訳ない……
本当に……許してくれ……!」
ソウヤはコックピットの中で、恐怖と後悔に身を震わせながら、ただ謝罪の言葉を繰り返すしかなかった。
マスケッティアのコックピットは、冷たい金属の匂いと警告音に満ちていた。
そのコックピットの背後から、ゆっくりと何かが『生えて』きた。
まず、血に濡れた指先が、シートの上からにゅるりと現れる。
続いて、手首、腕、肩……まるでコックピットの床と壁の隙間から、肉体が無理やり押し出されるように。
血塗れのイーサン・ミチェル・オルグレン少佐が、そこに居た。
腹部は大きく抉れ、内臓の一部が零れ落ち、左腕は焼き切れたまま垂れ下がっている。
顔は青白く、唇の端から黒い血が滴り落ちていたが、目はまだ生きていた。
冷たく、しかし確かな意志を宿した目で、ソウヤの後頭部を見つめている。
「……ソウヤ。」
低く、掠れた声が、コックピット内に響く。
「フラナガン機関のサンプルを持ち帰るんだ。何か一つでもいい……持ち帰るんだ。」
ソウヤの体が凍りついた。
「……隊長……?俺は……データディスクを……ゴップ大将に渡しました……。それで……任務は……」
イーサンは、ゆっくりと首を傾げた。
首の傷口から、新しい血がにじみ出る。
「それでは足りない。」
血まみれの指が、ゆっくりと前方——床に落ちたエイルの肉塊を指差した。
「あのサンプルを持ち帰るんだ。目の前の……あれを。」
ソウヤの瞳が大きく見開かれる。
恐怖と拒絶が一気に胸に込み上げる。
「……あれはエイルです!あんな姿をしていても……彼女達は人間なんです!脳だけを残されて、兵器にされた……ただの被害者なんです!俺は……もう、これ以上……人を……物として扱いたくない!」
イーサンの血塗れの顔が、わずかに歪む。
その瞬間——コックピットの反対側、右肩の背後から、もう一つの影が『生えて』きた。
ルース・カッセル中尉だった。
体は半分以上炭化し、左半身は爆発で吹き飛んだまま、溶けた装甲の破片が肉に食い込んでいる。
顔の左側は皮膚が剥がれ落ち、焼けただれた肉と白い骨が露わになっていた。
それでも、左目の奥には、ソウヤが知るあの静かな覚悟が宿っていた。
ルースは低く、静かに言った。
「ソウヤ……引き金を引く覚悟を、忘れたのか?目の前のサンプルを、なぜ回収しない?あれは、敵の技術だ。持ち帰らなければ……」
ソウヤは必死に声を絞り出す。
「ルース中尉!……あれは人間です!フラナガン機関に生体ユニットにされた少女で……戦争の被害者なんです!エイルも、ヒルダも、カーラも……ただの『人』だった……だから、俺は……彼女達を『人』として、扱いたい……!物として……回収したくない……!」
ルースの焼けただれた顔が、わずかに動く。
声は、静かだが冷たい。
「だが、あれは敵だ。もし、あの技術が敵に再利用されたら……味方に多大な犠牲が出る。回収しないなら……破壊するべきだ。」
ソウヤは激しく首を振ろうとするが、体はまだ金縛りのまま動かない。
「……いやだ……!俺は……もう、エイル達を殺したくない……!」
ルースは、ゆっくりとソウヤの右肩に、焼けた手を置いた。
その感触は、冷たくて、ねばついていた。
「なら……俺が、代わりに引き金を引いてやろう。」
その言葉と同時に——ソウヤの右手の人差し指が、勝手に動き始めた。
指が、ゆっくりと、しかし確実に操縦桿のトリガーへ伸びていく。
意志とは無関係に、指先が震えながら近づく。
「う……あ……!やめ……やめてください……!ルース中尉……!」
ソウヤは必死に抵抗する。
全身の筋肉を震わせ、指を止めようと念じる。
しかし、指はゆっくりと、しかし確実にトリガーに触れようとしていた。
コックピットの背後では、イーサンとルースの血塗れの影が、静かにソウヤを見つめ続けている。
床に落ちたエイルの肉塊が、微かに痙攣し、黒い体液を垂れ流し続けていた。
ソウヤは必死に抵抗するが、意志とは無関係に人差し指が操縦桿のトリガーへゆっくりと近づいていく。
全身の筋肉を震わせ、指を止めようと念じるが、指先はまるで別の生き物のように、確実に動く。
「やめ……やめてくれ……!ルース中尉……隊長……!
俺は……もう……エイルやカーラ、ヒルダを殺したくない……!」
その時——左側のモニターが、激しいノイズに覆われた。
白と黒の砂嵐が激しく明滅し、耳障りな電子音がコックピット内に響き渡る。
ソウヤの視線が、一瞬そちらに引き寄せられる。
ノイズがゆっくりと収束していく。
やがて、画面がクリアになると——そこに映っていたのは、美しい黒髪の長髪の女性だった。
母のトモエ・タカバ。
柔らかな微笑みを浮かべたまま、優しい瞳でソウヤを見つめている。
しかし、その微笑みはどこか冷たく、画面の端が微かに歪んでいる。
まるで、古い映像が無理やり再生されているかのように。
トモエの唇が動き、静かな、しかしはっきりとした声がコックピットに響いた。
『……また、間違った選択をするの?』
声は、優しかった母の声そのものだった。
しかし、その奥に、冷たい非難と哀しみが混じっている。
『あの時……ボールを追いかけて、道路に飛び出したように?私が……あなたを庇って、トラックに撥ねられて死んだように?また、同じ過ちを繰り返すの……?』
母の顔が、モニターの中でゆっくりと傾き、優しい微笑みを浮かべたまま、ソウヤを責める。
『あなたはいつも……大切な人を、守れない。私を死なせたように……ルース中尉を死なせたように……オルグレン隊長を死なせたように……そして、エイルやヒルダ、カーラを……殺してしまったように……』
声が、優しく、しかし容赦なく続く。
『今度も……間違った選択をするの?それとも……今度こそ、正しい選択をするの……?』
その言葉を聞いて、ソウヤは力が抜けてしまった。
母の優しい微笑みと冷たい非難が、胸の奥で重く響く。
「また、間違った選択をするの?」という声が、頭の中で繰り返される。
抵抗する意志が、急速に溶けていく。
指の力が、ゆっくりと抜け落ちた。
そして——人差し指が、引き金を引いてしまった。
マスケッティアの頭部バルカンが、けたたましい音を立てて火を吹いた。
「やめてくれぇぇぇぇぇ!」
ソウヤの絶叫が、コックピットに響き渡る。
それは、喉が裂けるような、獣じみた叫びだった。
しかし、声は空しく虚空に吸い込まれるだけだった。
放たれたバルカンの弾丸が、床に横たわるエイルの肉塊を直撃した。
灰白色の脳髄が瞬時に粉砕され、白い脊髄が千切れ飛び、黒い体液と肉片が豪雨のように飛び散る。
白亜の床が、一瞬にして赤黒い染みで汚れていく。
その瞬間——エイルの断末魔が、ソウヤの頭の中に直接響き渡った。
『……あ……ぁぁぁぁぁっ……! 痛い……痛いよ……ソウヤ…さん…!』
続いて、カーラの悲しみの絶叫が、幼く、泣きじゃくるような声で重なる。
『……エイル姉さん……! 姉さん……! どうして……また……私たちを……殺したの……!? 怖い……怖いよぉ……!』
そして、ヒルダの怒り慟哭が、激しく燃えるような叫びとなって爆発した。
『……お前は……! エイルを……! 私の大切な妹を……! 私が守ろうとしたのに……逃がそうとしたのに……全部……お前が殺した……! 許さない……絶対に許さない……! お前なんか……怪物だ……!』
三人の声がソウヤの頭の中で同時に響き、絡み合い、増幅していく。
悲しみと怒りと絶望と怨嗟が、波のように、津波のように押し寄せ、意識を粉々に砕こうとする。
「うああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
ソウヤの視界が暗転し、体に強い痛みが走った。
ドンッ、という鈍い音が部屋に響く。
肩と背中が硬い床に激しく打ちつけられ、痛みが一瞬で全身に走った。
息が詰まり、視界が白く点滅する。
「……ぐっ……!」
ソウヤは床に倒れたまま、荒い息を繰り返した
「……はっ……! あ……ぁ……!」
体がびくりと跳ね、額から大量の冷たい汗が滴り落ちる。
指先がまだ震え、右手の人差し指が、まるでトリガーを引いた後のように痙攣していた。
ソウヤは辺りを見回す。
そこは、ミデア輸送機の仮眠室だった。
狭い室内に、簡素なベッドが並び、薄暗い非常灯が天井から淡い光を落としている。
壁には連邦軍のロゴが小さく描かれ、隣のベッドでは誰かの寝息が静かに聞こえる。
空気は金属と油の匂いが混じり、輸送機特有の低い振動が床を通じて伝わってくる。
現実だった。
ソウヤは床に這ったまま、両手で顔を覆った。
悪夢の残響が、まだ頭の中で渦巻いている。エイルの断末魔。
カーラの泣きじゃくるような悲鳴。
ヒルダの怒り慟哭。
そして、母・トモエの冷たい微笑みと非難の声。
「……シェリーさんに……あんな事を言っときながら、この様か……。」
声が勝手に漏れる。
指の間から、涙が混じった汗が滴り落ちた。
体がまだ悪夢の影に囚われ、起き上がることすらおぞましい。
仮眠室の薄暗い照明の下で、ソウヤは床に倒れたまま、ただ震えながら息を整えようとしていた。
しかし、悪夢の声はまだ耳の奥に残り、三人の少女の怨嗟が、静かに、執拗にソウヤの心を蝕み続けていた。
「……俺は……まだ……償えていないのかな……エイル?」
小さな呟きが、仮眠室の静寂に溶けていった。
体がようやく動くようになり、ソウヤはゆっくりと起き上がった。
床に落ちた衝撃で肩と背中が鈍く痛む。
息を整えながら、両手で顔を拭う。
指先はまだ微かに震え、悪夢の感触が肌に張り付いているようだった。
仮眠室の薄暗い非常灯の下で、ソウヤはしばらく座ったまま動けなかった。
やがて、重い足取りで立ち上がり、部屋のドアを開ける。
仮眠室から出て、狭い通路を進む。
ミデア輸送機の低い振動が、足裏を通じて伝わってくる。
ソウヤは休憩室に向かった。
休憩室に着くと、簡素なカウンターの前に立つ。
基本的に紅茶派のソウヤだが、眠気覚ましや徹夜が続く時はいつもコーヒーを選ぶ。
インスタントコーヒーの粉を紙コップに入れ、お湯を注ぐ。
湯気が立ち上り、苦い香りが部屋に広がった。
コーヒーが出来上がると、ソウヤは休憩室の椅子に腰を下ろした。
熱いカップを両手で包み、ゆっくりと一口すする。
苦味が舌に広がり、胃の奥まで染み込んでいく。
悪夢の残像が、まだ頭の片隅にへばりついていた。
エイルの断末魔、カーラの泣き声、ヒルダの怒り、そして母の冷たい言葉。
すべてが、コーヒーの苦味と混じり合って胸の奥に沈んでいく。
ソウヤはカップを静かにテーブルに置き、目を閉じた。
ア・バオア・クーの戦い以降、あの時のような「星座のような軌跡」は見えなくなっていた。
白い光の点と線が無数に浮かび上がり、敵のあらゆる可能性を星座のように描き出す——あの不思議な視界は、あの戦いから、一度も見ていない。
また、頭の中に走る稲妻のような鋭い直感の頻度も、明らかに減っていた。
危機的な状況や敵の待ち伏せの瞬間には、たまにその稲妻が閃くことはある。
しかし、ア・バオア・クーの戦いの時のような、ほとんど毎秒のように連続して発動するほどの頻度は、あれ以来なかった。
理由は分からない。
ただ、ソウヤはこう考えていた。
あの時は極限状態だった。
戦争の極限環境下、HADESの影響、そして仲間を失う恐怖——すべてが重なり合い、スポーツ選手が言う「ゾーン」のような、無我の境地に達していたのだろう。
極限の環境と、極限の集中が、偶然にもあの特別な力を引き出していたのかもしれない。
今はもう、あの境地には至れないと思った。
ソウヤは休憩室の椅子に腰を下ろしたまま、熱い紙コップを両手で包み、苦い液体をゆっくりと一口すする。
舌に広がる強い苦味が、悪夢の残像を少しだけ引き剥がしてくれるようだった。
「……なぜ、あんな夢を見たんだろう……」
カップの縁に視線を落としたまま、ソウヤは小さく呟いた。
三人の少女の断末魔、カーラの泣き声、ヒルダの怒り慟哭、そして母の冷たい声——すべてが同時に頭の中で響き、自分を責め立てていた。
ソウヤは紙コップをテーブルに置き、静かに目を閉じた。
理由は、きっと……自分自身が認めたくないものを、ようやく直視し始めたからだ。
自分がオデッサでヒルダを、キャリフォルニア・ベースでカーラを、そしてア・バオア・クーでエイルを殺したこと。
三人とも、復讐するだけの理由を持った、哀れな被害者だったという事実。
しかも、自分はそれを「敵を倒した」と信じて、平気で引き金を引いていた。
「守れなかった」だけじゃない。
「殺してしまった」んだ。
母親を死なせた時のような自責、ルース中尉と交わした約束、隊長のイーサンを失った罪悪感——それらがすべて重なり、さらに「自分が加害者である」という新しい罪が加わって、心の奥底で限界を超えた。
だから、夢の中で三人の少女が同時に自分を責め、母が「また間違った選択をするの?」と冷たく問いかける夢を見たのだろう。
ソウヤはもう一口、コーヒーをすする。
苦味が舌の奥まで染み渡るたび、悪夢の残像が少しずつ薄れていくような気がした。
しかし、心の底に沈んだ重みは、決して溶けなかった。
エイル。
カーラ。
ヒルダ。
自分が殺してしまった三人の少女の名前が、胸の奥で繰り返し響く。
「……俺は……少しでも、償いたい。」
小さな呟きが、休憩室の静寂に落ちた。あの戦いで奪ってしまった三つの命。
取り返しのつかない過ち。
その罪悪感を少しでも和らげたい。
少しでも、贖いたい。だから、ソウヤは地上に残るジオン残党兵を、一人でも多く「宇宙に帰す」ことを、自分に課した。
極力、相手を殺さない。
モビルスーツの腕や脚を正確に破壊し、戦闘不能に追い込み、投降を呼びかける。
可能な限り拿捕し、故郷へ送り返す。
それが、今の自分にできる、せめてもの償いだと思っていた。
時には、村人を人質に取られたり、戦闘の余波で民間人に被害が出るような切迫した状況では、やむを得ずコックピットを狙うこともある。
その瞬間、胸の奥が鋭く痛む。
「また、殺してしまった」という後悔が、すぐに襲ってくる。
ソウヤはコップをテーブルに静かに置き、目を伏せた。
「……それでも、俺のエゴだ。」
自分でもよく分かっている。
これは本当の優しさなんかじゃない。
ただ、あの三人を殺してしまった罪悪感を少しでも薄めたいという、自己満足に過ぎない行為だということを。それでも、止められない。
止めようとも思わない。
エイルの最後の叫び、カーラの泣き声、ヒルダの怒り——
それらが頭から離れない限り、自分はこうして戦い続けるしかない。
ソウヤはもう一口、冷めかけたコーヒーをすする。
苦味が喉の奥まで染み渡るが、胸の奥に巣食う重い疼きまでは、なかなか溶かしてくれなかった。
「……エイル……カーラ……ヒルダ……俺は、まだ償えていないのかな…?」
すると、ミデア輸送機の艦内放送から、落ち着いた女性の声で流れ始めた。
『……お知らせいたします。間もなく目的地であるラサ基地周辺の廃都市着陸地点に着陸を行います。
全乗員は速やかにシートベルトを着用し、着陸態勢に移ってください。繰り返します……』
ソウヤは紙コップをゴミ箱に捨て、ゆっくりと立ち上がった。
まだ指先が微かに震えている。
悪夢の残像が、頭の片隅にへばりついたまま離れない。
「……もう着くのか。」
小さく呟き、ソウヤは休憩室のドアを開けた。
狭い通路を歩きながら、深く息を吐く。
エイル、カーラ、ヒルダ——三人の声が、まだ頭の中で残響している。
(……俺は、まだ償えていない。
だからこそ……これからも、極力、誰も殺さないように戦うしかない。)
胸の奥で、そう自分に言い聞かせる。
それはエゴだと分かっていながらも、止められない償いの形だった。
通路の先に、ミデアの操縦席へと続くハッチが見えてきた。
ソウヤは足を速め、シートベルトを締めるために自分の席へと向かった。
ミデアの低い振動が、足裏を通じて体全体に伝わってくる。
目的地——アプサラス開発基地の廃都市が、もうすぐそこまで迫っていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回はソウヤの内面回でした!
ソウヤがなぜ、残党兵を一人でも多く、宇宙に帰そうとするのか。
極力、相手を殺さないようにするようになったのかを説明する回になりました。
どこぞの息子さんに引けを取らない、病みぷりです。
今回は久し振りにソウヤの一年戦争時の最終機体のペイルライダー・マスケッティアが再登場しました。
まさか、アンケートで圧倒的な1位…。
これが主人公機の貫禄なのかな?(笑)
ではでは、次の話も楽しみにしていてください。
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