トリントン基地の広大な敷地は、地球圏全土から集結した部隊の熱気によって、完全に塗り替えられようとしていた。
滑走路の駐機場には、ヨーロッパ代表『SRT-ユニット1』を運んできたベルファスト基地所属のミデア輸送機がその巨体を横たえ、そのさらに奥には、巨大な漆黒の影を落として落着したペガサス級4番艦『バイアリーターク』が、威風堂々たる姿で鎮座している。
かつての自分の「家」であり、一年戦争を最後まで共に戦い抜いた殊勲艦が、この赤い大地で俺を待っていたかのように並んでいる光景に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
基地内では、翌日に控えたメディアや一般観客向けの「モビルスーツ展示会」に向けた、突貫の設営作業がようやく完了したところだった。
メインストリートには連邦軍の軍旗が鮮やかに掲げられ、臨時の観覧席や特設ステージの飾り付けも抜かりなく整えられている。
普段の荒涼とした砂漠の駐屯地としての面影はどこへやら、今のトリントンはまるで建国記念日のパレードを控えたジャブローのような、華やかなお祭り騒ぎの装いへと変貌を遂げていた。
だが、その華美な装飾の裏側では、連邦軍が誇る「12の精鋭部隊」が、それぞれ牙を研ぎ澄ませて待機している。
北米の『ウィッチハント隊』、南米の『赤い三巨星』、ヨーロッパの『SRT-ユニット1』、そして自分たち東南アジアから遠征してきた『第4小隊』に、ルナツーの『教導隊』。
さらには特別枠の『ファントム・スイープ隊』に、最新鋭機を引っ提げてジャブローからやってきた『チーム・アルタイル』。
アフリカの『デザート・ドラゴン』、中東の『スコーピオン』、太平洋の『オセアニア混成隊』、ユーラシアの『第1独立機械化小隊』、環境の英雄『ホワイト・ディンゴ』――。
各方面軍のプライドと、本物の実戦を生き抜いてきたエースたちが、この日のためにオーストラリアの赤い大地へと一堂に集結したのだ。
明日の展示会で一般の人々が最新兵器に目を輝かせるその前に。
今夜、この12の部隊と、ソウヤたちの最初の調整用対戦相手を務めてくれたトリントン基地のテストパイロットチーム、そして関係者たちを一堂に集めた、開会前夜のレセプション・パーティーが幕を開けようとしていた。
「……それにしても、すごい熱気ですね、中尉。」
ソウヤの少し後ろで、正装である地球連邦軍の制服の襟元を気にするようにしながら、テリー・サンダースJr.軍曹が低く呟いた。
その大きな手には、乾杯用のシャンパンが注がれた小ぶりなグラスが握られている。
「ああ。各方面軍の『看板』が揃っているからな。実戦より胃が痛くなりそうだ。」
同じくグラスを持ったジョシュア・ウィルソン軍曹の言葉に、俺は苦笑交じりに頷いた。周囲を見渡せば、会場を埋め尽くす各部隊の隊員や関係者たちも、同じように琥珀色や透明な液体が満ちたグラスを片手に、静かな熱気を放っている。
にこやかに談笑しているように見えて、その眼光は互いの力量を測るように鋭い。
その時、会場のざわめきがピタリと止まり、割れるような拍手が巻き起こった。
正面の壇上に、1人の将官がゆっくりと歩み出てきたのだ。
ジャブローの最高幹部にして、今回の競技会の主催者――ジョン・コーウェン中将。
威然とした佇まいでマイクの前に立った中将は、鋭い眼光で会場に集まった猛者たちを見渡すと、深く重みのある声を響かせた。
「地球連邦軍の精鋭諸君。そして、遥々このトリントン基地へと足を運んでくれた各方面の代表諸官。まずは、このオーストラリアの大地へよく集まってくれた。」
コーウェン中将の声は、広大な宴会場の隅々にまで澱みなく行き渡る。
「一年戦争が終結して2年。世界は未だ、ジオン残党による小規模な紛争という、完全なる平穏には程遠い過渡期にある。だが、だからこそ諸君のような、戦火を生き抜き、連邦の盾となったプロフェッショナルたちの存在が必要不可欠なのだ。」
中将は一度言葉を切り、上級席に座るトリントン基地司令・マーネリ准将へと静かに視線を向け、それから再び俺たちへと向き直った。
「今回の競技会は、単なる技量の優劣を競う祭りではない。来たるべき新時代へ向け、我が連邦軍のモビルスーツ運用技術がどこまで到達したか、その結晶を互いに示し合うための極めて重要な試金石である。諸君らの磨き抜かれた技と、その胸に宿る誇りを、明後日からの競技会で遺憾なく発揮してくれることを期待する。」
コーウェン中将がゆっくりと己のグラスを高く掲げると、会場の全照明が一段と輝きを増した。
「諸君らの健闘と、地球連邦軍の未来に――乾杯」
「「乾杯!!」」
地鳴りのような唱和とともに、無数のガラスが触れ合う澄んだ音が会場に鳴り響いた。
乾杯の唱和が終わり、会場が一気に歓談のざわめきに包まれる。
壇上からゆっくりと降りてきたコーウェン中将のもとへ、トリントン基地司令のマーネリ准将がにこやかに歩み寄っていく。
「素晴らしい演説でした、中将。乾杯の一言だけで、会場の空気があれほど引き締まるとは。」
恰幅のいいマーネリ准将が心からの称賛を口にすると、コーウェン中将は厳格な面持ちを少しだけ和らげ、会場の猛者たちを見渡した。
「そう言ってもらえると助かるよ、マーネリ准将。それにしても、これだけの精鋭たちが全国からよく集まってくれたものだ。実に喜ばしいことだよ。」
「ええ。我がトリントン基地でこのような大規模な競技会を開催させていただけるなど、基地司令としてこれ以上の名誉はありません。」
誇らしげに胸を張るマーネリ准将に対し、コーウェン中将は周囲に視線を走らせると、不意に声のトーンを落とした。歓談の喧騒に紛れ込ませるような、極めて低い、事務的で冷徹な声だった。
「――ときに、マーネリ准将。例の件だが。」
「……は」
マーネリ准将の表情から一瞬でお祭り騒ぎの笑みが消え、軍人の顔に戻る。
「来年予定されている、アナハイム社による『ガンダム開発計画』。その試作2号機(GP02)に搭載されるマーク82核弾頭の受け渡しと管理についてだ。手落ちのないよう、よろしく頼むぞ。」
「……ハッ、すべて承知しております。極秘裏の受け入れ態勢および保管区域の警備も含め、万全を期して臨む所存です。」
准将が声を潜めて忠誠を誓うと、コーウェン中将は満足そうに一度だけ深く頷いた。
「期待している。では、私は他の招待官たちにも挨拶をしてくるよ。この場を楽しんでくれ。」
「は。失礼いたします。」
コーウェン中将はマーネリ司令の元を静かに離れ、グラスを片手に他の関係者や方面軍の隊長たちが集まる人混みの中へと歩みを進めていった。
会場は一気にビュッフェ形式の賑やかな立食パーティーへと移行した。
テーブルの上にはオーストラリアの豊かな食材を使った上質な料理が所狭しと並んでおり、俺たち第4小隊の面々もそれぞれの皿を片手に料理を囲んでいた。
「うお、このローストビーフ、めちゃくちゃ美味いですよ! ほら、ノアももっと食えよ!」
「本当だ! ハノイの食堂じゃこんなの絶対に出てこないよ。このチキンも貰っちゃおう。」
ジョシュアとノアの2人は、完全に緊張感をどこかへ放り出していた。
自分たちの皿にこれでもかと料理を山盛りに積み上げ、トリントン基地が誇るご馳走を至福の表情で堪能している。
「おいおいお前たち、あまり食べ過ぎるなよ。腹を壊しても、知らんぞ。」
そんな2人の山盛りになった皿を見ながら、テリー・サンダースJr.軍曹が困ったように眉をひそめて注意を促した。
いかにも面倒見の良い彼らしい小言だった。
「分かってますって、サンダース軍曹。これくらい、動けばすぐに消化されちゃいますよ」
ノアは口いっぱいにグラタンを頬張りながら、実に向こう見ずな、形だけの返事を返す。
これではサンダースの注意が右から左へと聞き流されているのは明白だった。
俺は苦笑しながら、持っていたグラスを少し持ち上げてサンダースに向き直った。
「サンダース軍曹、悪いが少し外す。滑走路の方に懐かしい船が着陸しているから、知り合いに挨拶をしておきたい。……2人の面倒を任せていいか?」
「了解しました、中尉。ここは自分が見ておきます。……そちらも、行ってらっしゃいませ」
サンダースは頼もしく頷き、ソウヤは隣に佇んでいるエミリアへと優しく視線を向けた。
「エミリア、行こうか。」
「はい、ソウヤさん。」
ソウヤが声をかけると、補佐官として同行しているエミリアが、清楚な礼装の裾を揺らしながら静かに俺の隣へと並んだ。
ソウヤはエミリアを連れて、賑わうジョシュアたちのテーブルから一歩離れ、歩き出す。
「……なあ、ジョシュア。今の見たか?」
2人の足音が遠ざかるのを見計らったように、ノアがもぐもぐと口を動かしながら、ジョシュアの脇腹を小突いた。
「ああ、見た見た。なんというかさ……前よりも中尉とエミリアさんの『距離感』が、ぐっと近くなったような気がしないか?」
ジョシュアはローストビーフを咀嚼しながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべて俺たちの後ろ姿を見送っている。
「やっぱり、こないだラサのデートが、大成功したんじゃないの?」
「デート言うな。中尉に聞こえたらどうするんだ。でも……まあ、確かにお似合いだよな。」
楽しそうに噂話に花を咲かせる年若い2人の様子を、サンダースはそれ以上咎めることはしなかった。少しずつだが着実に絆を深めつつあるソウヤとエミリアの後ろ姿を、まるで本当の家族の行く末を見守るかのように、ただ微笑ましそうに、温かい目で見届けているのだった。
人混みをかき分け、エミリアを連れて会場を歩く。
各方面軍のきらびやかな礼装や、ジャブローのお偉方たちの放つ独特の威圧感が入り乱れる中、俺の視線はある一角で足を止めた。
グラスを片手に、相変わらずどこか緊張感のない、しかし見間違えるはずのない独特の佇まい。
「ハーツクライ艦長!」
ソウヤは軍人としての顔を少しだけ崩し、普段より少し駆け足になって、その人物のもとへと駆け寄った。
「おお、タカバ少尉じゃないか!」
ハーツクライ艦長もこちらに気づき、いつもの飄々とした笑みを浮かべて、片手をひらひらと大きく振り返した。
ソウヤは駆け寄ると、ハーツクライ艦長に苦笑いを向けながら言った。
「今は中尉ですよ」
「そうだったね、今はモビルスーツ小隊の隊長で、中尉か。しばらく見ない間に、ずいぶんと頼もしい3歳馬になったもんだ。」
艦長はしみじみと頷きながら、ソウヤの肩を軽く叩いた。
ソウヤはそんなハーツクライ艦長の襟元で鈍く光る、見慣れない階級章に目を留めて言う。
「ハーツクライ艦長も、中佐になったんですね。」
「ああ、そうだ。着実に着順を上げてね。……ああ、そうだ。彼女も昇進したんだよ?」
「彼女?」
首をかしげた、その時だった。
「私だ。」
人混みの向こうから、凛とした涼やかな声が響いた。
ハーツクライ艦長の背後から歩み出てきたのは、紫色の短めのウェーブヘアに、強い意志を宿した緑の瞳。
一年戦争の激戦を共に戦った、あの懐かしい女性の姿だった。
「ボカタ大尉!」
「ふふ、今は少佐だよ。タカバ少尉、懐かしいな。」
ボカタ少佐は俺の呼びかけに優しく目を細め、いたずらっぽく微笑んだ。
ア・バオア・クーの戦場で命を預けた戦友たちが、それぞれの階級を上げて、いま目の前に揃っている。
胸の奥に、言葉にできない温かい高揚感が込み上げてきた――。
「ハーツクライ中佐、ボカタ少佐、初めまして。東南アジア方面軍、第4小隊補佐官のエミリア・ドットナーです。ペガサス級艦長と教導隊隊長に会えて、光栄です。」
ソウヤの一歩後ろに控えていたエミリアが、凛とした所作で二人の上官へ向けて綺麗な敬礼を捧げた。
その生真面目で礼儀正しい挨拶に、ハーツクライ艦長は手元のグラスを軽く傾けながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「いやあ、丁寧な挨拶をありがとう。それにしてもソウヤ、ハノイにはこんなに可愛らしいオペレーターが所属しているのかい? ずいぶんと可愛らしいオペレーターを引いたものだねえ。」
「艦長、茶化さないでください……」
ソウヤが困ったように眉をひそめると、今度はボカタ少佐がエミリアの姿をじっと見つめ、それから可笑しそうに緑の瞳を細めた。
「ふふ、確かにね。……でもタカバ中尉、こんな綺麗な補佐官を隣に置いているのがシイコに知れたら、血相を変えて嫉妬しそうだな。」
「……勘弁してください、ボカタ少佐」
シイコ・カタギリ。
一年戦争時、ルナツー最強のパイロットと謳われながらも模擬戦でソウヤに敗北し、それをきっかけに彼へ一目惚れして以来、文字通り狂気的なまでの熱烈なアタックを繰り返してきた女性。
その名前が出ただけで、ソウヤは胃のあたりを押さえるようにして深い苦笑いを浮かべるしかなかった。
「少佐、そちらの方は……?」
ソウヤたちのやり取りを不思議そうに見ていた、ボカタの後ろに控える二人の若きパイロットが、人混みを割って一歩前に出た。
がっしりとした肉体を持つヒタチ中尉が、怪訝そうな表情でボカタへ尋ねる。
その後ろでは、オレンジ色に近い赤髪のミコト少尉も興味深そうに視線を注いでいた。
ボカタは振り返り、誇らしげに胸を張って愛弟子たちに告げた。
「紹介しよう。彼こそがタカバ中尉だ。一年戦争の時、私と一緒にバイアリータークに乗り、あの地獄のア・バオア・クーの戦場を最後まで駆け抜けた、本物の戦友だよ」
「えっ……!?」
ボカタの口から語られた「ア・バオア・クーを生き抜いた戦友」という言葉の重みに、ヒタチとミコトの二人は一瞬で表情を強張らせた。
自分たちが教わる立場であるボカタ少佐と肩を並べ、あの伝説の最終決戦を戦い抜いた生ける伝説。
目の前にいる、一見すると生真面目で大人しそうな黒髪の青年が、そんな凄まじい修羅場を潜り抜けてきたエースパイロットなのだと理解した瞬間、二人は慌ててグラスを左手に持ち替え、直立不動の姿勢でピシッと敬礼を捧げた。
「ルナツー教導隊所属、ヒタチ・カキゾノ中尉です!ご挨拶が遅れ、大変失礼いたしました!」
「同じく、ミコト・I・ケネディ少尉です! お噂はかねがね伺っておりました!」
教導隊の若きエリートたちが一転して恐縮する様子に、ソウヤはまたしても不器用な苦笑いを浮かべながら、「いや、楽にしてくれ」と手を振るのだった――。
「……そういえば、ボカタ少佐。」
ヒタチとミコトの敬礼を不器用な手つきで下ろさせたソウヤは、ふと周囲の華やかな人混みを見渡しながら、ずっと気になっていた疑問を口にした。
「シイコさんとライラの姿が見えないようですが……てっきり、ルナツーの教導隊として今回も一緒に来ているものだと思っていました。」
一年戦争時、同じバイアリータークの甲板を踏み、幾度も死線を共にした戦友たち。
その名前が出た瞬間、それまで誇らしげに胸を張っていたボカタ少佐の表情が、目に見えて暗く曇った。
グラスを持つ手が僅かに強張る。
「……ライラはね、ア・バオア・クーの戦いの後、自ら前線での戦闘を希望したんだ。」
ボカタは静かに、どこか遠い宇宙を見つめるような目をしながら言った。
「彼女は教導隊のような後方育成ではなく、未だ混迷が続く実戦の最前線に身を置くことを選んだ。それで、実働部隊へと異動になってね。今は別の戦場で戦っているよ。」
「……そうですか。彼女らしいといえば、彼女らしいですね。」
ソウヤは小さく頷いた。ライラ・ミラ・ライラ――常に最前線で戦おうとする彼女の気質を思えば、戦後も安泰な席に留まらず、硝煙の匂う最前線へ志願したというのは納得がいった。
しかし、ボカタはそこで言葉を区切り、少しの間を置いてから、重い口調で次の名前を挙げた。
「問題は、シイコの方だ。」
「シイコが? 彼女がどうしたんですか。」
「シイコはね、タカバ中尉。……去年、軍を辞めたよ。」
「――えっ!?」
ソウヤは思わず目を見開き、素っ頓狂な声を漏らした。隣にいたエミリアも、驚きに小さく息を呑む。
戦うことそのものに偏執的な執着を見せていた、あの戦闘狂のシイコが軍を辞める。
それはソウヤにとって、太陽が西から昇るというのと同じくらい、到底信じがたい現実だった。
「シイコさんが軍を辞めるなんて……一体、何があったんですか?」
「……燃え尽きてしまったのさ。」
ボカタはグラスに視線を落とし、寂しげに苦笑した。
「一年戦争が終わった後、シイコは以前のような戦いへの熱意を完全に失ってしまったんだ。地球連邦軍がジオンに勝利し、世界が平和へ向かい始めた。そして何より……自分を満たしてくれるあなたが、ハノイの僻地へと遠ざけられてしまった。戦場を探しても、自分を満たせる相手はもうどこにもいない。そう悟った彼女はね、去年、静かに制服を脱いだんだよ。」
ボカタの説明を聞きながら、ソウヤの胸の奥に、ずしりと重い鉄の塊を落とされたような痛みが走った。
シイコが戦う理由を失い、軍を去った。
その一因が、自分が東南アジアへと左遷され、彼女の前から姿を消してしまったことにあるのだとしたら。
かつて銃火を交わし、不器用ながらも自分を追いかけ続けてくれた女性の人生を、自分が狂わせてしまったのではないかという、割り切れない罪悪感がソウヤの心を苛む。
「……自分の、せいで……」
ソウヤは手元のグラスを見つめたまま、深い落胆とともに肩を落とし、静かに落ち込んでいく。
賑やかな前夜祭の喧騒が、今の彼の耳には、どこか遠い世界の出来事のように虚しく響いていた――。
「……タカバ中尉、そんな顔をしないでくれ。」
深く肩を落として落ち込むソウヤの様子を見て、ボカタ少佐は慌てて言葉を続け、優しく彼の肩に手を置いた。
「シイコが戦いへの情熱を失ってしまったのは、どこまでも彼女自身の問題だ。あなたが負い目を感じる必要なんて、どこにもないんだよ。あの子はあの子なりに、自分の人生の着地点を見つけただけなのだから。」
「でも……」
ソウヤは手元のグラスを見つめたまま、言葉を濁した。
自分の存在が、かつての戦友であり、自分を熱烈に追いかけてくれた女性の運命を大きく変えてしまったという事実は、彼の生真面目な性格ではそう簡単に割り切れるものではなかった。
そんなソウヤの不器用な優しさを見透かすように、ボカタは緑の瞳を和らげ、少しトーンを落として微笑みかけた。
「シイコはね、今は軍を離れてサイド6に住んでいるんだよ。……もし、あなたの気が向いた時が来たら、一度会いに行ってあげるといい。」
「サイド6、ですか……」
ソウヤはその地名を口の中で反芻した。サイド6といえば、一年戦争の時にジオンの核攻撃を阻止するために死闘を繰り広げた、彼にとっても忘れられない因縁の宇宙(そら)だ。
今そこにシイコが静かに暮らしているのだと思うと、胸のつかえが少しだけ軽くなるのを感じた。
「……分かりました。いつか、機会があれば。」
ソウヤがようやく少しだけ表情を和らげると、横で心配そうに見守っていたエミリアも、ホッとしたように小さな胸を撫で下ろすのだった――。
「――タカバ中尉!」
ボカタ少佐がサイド6のシイコの様子を伝えていたその時、人混みを割って、一人の女性士官が弾んだ声を上げながらこちらへと近づいてきた。
特徴的な薄紫色の髪。
そして何より目を引くのは、その可憐な顔立ちに刻まれた、額の大きな傷跡だ。
彼女の姿を視界に捉えた瞬間、ソウヤの蒼い瞳が驚きに丸くなった。
「リリス・エイデン少尉!」
ソウヤがかつての階級で名を呼ぶと、彼女は形の良い唇をくすりと歪ませ、悪戯っぽく微笑んで見せた。
「今は私も中尉よ、タカバ中尉。実際に会うのは本当に久しぶりね。」
リリス・エイデン中尉。かつてジオン公国軍の秘匿部隊『ノイジー・フェアリー』と死闘を繰り広げた『ウィッチハント隊』のエースパイロットだ。
彼女が自然な動作でソウヤたちの輪に加わると、それまで静かにグラスを傾けていたハーツクライ中佐が、洗練された仕草で帽子に手を当てた。
「おや、これは驚いた。北米の『魔女狩り部隊』が誇る一番人気のあなたと、ここで会えるとはね。バイアリータークの艦長として、君のような高名なエースと言葉を交わすことができて光栄だよ、エイデン中尉。」
「ハーツクライ中佐ですか……。お噂はかねがね。こちらこそ、あのア・バオア・クーを差し切った殊勲艦の艦長にお会いできて光栄です。」
ハーツクライの独特な競馬交じりの挨拶に、リリスは少しだけ苦笑いを浮かべながらも、プロの軍人らしい敬意を返した。
その時、ソウヤの隣に一歩踏み出したエミリアが、両手を胸の前で小さく握りしめ、その美しい瞳を憧れと興奮でキラキラと輝かせた。
「リ、リリス中尉……! お初にお目にかかります、コジマ大隊第4小隊オペレーターのエミリア・ドットナーです! まさか、『ピクシー』の現役の乗り手である貴女とお会いできるなんて……! 私、本当に感激しています!」
普段は沈着冷静なエミリアが、珍しく熱を帯びて興奮している様子に、ソウヤは驚き、リリスは少しだけ気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「そんなに大層なものじゃないわよ。ピクシーは確かに特殊なモビルスーツだけど……私にとっては、あの一年戦争を一緒に駆け抜けてくれた、たった一人の大事なパートナーだから。」
額の傷跡を愛おしそうになぞりながら、リリスはソウヤの蒼い瞳を真っ直ぐに見つめ直した。
「それにしてもタカバ中尉。久しぶりに会ってみれば……こんなに可愛らしいオペレーターさんを隣に連れているなんて、意外とモテるのね。」
ソウヤの隣に立つエミリアの熱烈な視線を受け止めながら、リリスはくすくすと肩を揺らし、少しからかうような視線をソウヤへと向けた。
「えっ!? い、いや、リリス中尉、そんなんじゃ……!」
「そ、そうですよ! 私はただの補佐官として随行しているだけで、その……!」
リリスの突然の直球な言葉に、ソウヤとエミリアの2人は一瞬で顔を真っ赤に染め上げ、揃って大慌てで手を横に振った。
絵に描いたような純情な反応に、今度はボカタ少佐が可笑しそうにクスリと笑う。
「ふふ、確かにね。ハノイからは美人な補佐官を連れて来たかと思えば、北米の有名な『魔女狩りエース』を輪に引き入れる。まさに両手に花じゃないか、タカバ中尉。」
「少佐まで! 私はただ、偶然ここでソウヤを見つけたから挨拶を……っ!」
今度は飛び火をもらったリリスの方が、額の傷跡のあたりまで朱に染めて慌てる番だった。そんな彼女の初々しい様子を見て、ハーツクライ艦長をはじめ、ボカタ少佐、そして少し後ろで控えていたヒタチやミコトの2人からも、ドッと楽しげな笑い声が上がった。
戦場を離れたエースたちの、年相応で微笑ましい空気がその一角を優しく包み込んでいた。
――だが、その和やかな空気を引き裂くように、人混みの向こうから突如として、張り裂けんばかりの大声が響き渡った。
「ようやく会えたわね! リリス・エイデン! ソウヤ・タカバ!!」
「「――っ!?」」
突然自分たちのフルネームを大音量で呼ばれ、ソウヤとリリスは弾かれたように同時に声のした方向へと視線を向けた。
ボカタ少佐やハーツクライ艦長も、驚いて眉をひそめる。
人混みを掻き分けてこちらへと突き進んできたのは、鮮やかな赤色のセミロングヘアを揺らした、一人の女性曹長だった。
少し内巻き気味の柔らかいウェーブがかかった髪には、アクセントとして金色のヘアピンが複数付けられている。大きくて印象的な茶色い瞳はギラギラとした輝きを放っており、目尻の下がった柔らかい卵型の輪郭からは想像もつかないほどの、凄まじい気迫をその全身から放っていた。
薄めの唇の口角を上げ、不敵な、しかしどこか無邪気な微笑みを浮かべながらまっすぐにこちらを指差している。
「おい、待て! マロビ、落ち着け!」
「待ちなってマロビ! 人の視線が痛いって!」
大声を上げるその女性曹長を、後ろから慌てて止めようと引きずられている2人の男性の姿があった。
1人目は、明るい金髪で、柔らかいウェーブがかかったミディアムヘアの男性中尉だ。
シャープで引き締まった男らしい輪郭をしているが、今は青い瞳を怒りと興奮で鋭く細め、太い眉を中央に寄せて眉間に深いしわを作っている。大きく口を開けて叫び、白い歯を剥き出しにしながら彼女の腕を掴んでいた。
2人目は、短く刈り上げられた黒髪――ほぼスキンヘッドに近い男性軍曹だ。健康的な小麦色の肌に、右眉毛には古い切り傷の痕がある。オレンジ色のレンズが入った丸いサングラスの奥から鋭い目を覗かせ、顎には短く整えられた山羊ひげを生やしていた。
彼は中尉とは対照的に、自信たっぷりで陽気な笑みを浮かべ、白い歯を見せながら悪戯っぽく女性曹長を宥めようとしていた。
「離してよ! せっかく2人に巡り会えたんだから、ここで挨拶しとかないと二つ名が廃るじゃない!」
マロビ曹長と呼ばれた赤髪の女性は、2人の制止を強引に振り切り、ぐいっとソウヤとリリスの目の前まで顔を近づけてきた。
「……あの、どちら様、でしょうか?」
ソウヤは不器用な戸惑いを隠せないまま、一歩身を引いて尋ねた。
隣のリリスも同じように首を傾げ、記憶の引き出しを探っている。
しかし、どれほど一年戦争時の記憶を巡らせてみても、目の前で騒ぎ立てるこの鮮やかな赤髪の女性曹長、そして彼女を羽交い締めにしている金髪の中尉とサングラスの軍曹の3人組には、2人とも全く心当たりがなかった。
「……おや? ああ、なるほど。思い出したぞ。」
ソウヤとリリスが記憶の迷宮に迷い込む中、手元のグラスを軽く回していたハーツクライ中佐が、パッと手を打って顔を輝かせた。
「確か、一年戦争の終盤だね。ジオンのジャブロー降下作戦で討ち漏らしたジオン軍を追撃する部隊、第17独立機械化混成部隊……!」
そのハーツクライの言葉に、赤髪の女性――マロビ曹長は「ビンゴ!」とばかりに茶色い瞳を爛々と輝かせた。
これこそが、彼女が最も待ち望んでいた展開だったのだ。
「そう! よく知ってるじゃない、艦長さん! あたしらの”二つ名”はね!!」
マロビは一歩大きく踏み出し、会場の照明を浴びながらバッと左手を高く掲げた。
そして、鮮やかに指を3本立てて、お決まりの口上を大音量で叫び始める。
「そう!赤い彗星! 青い巨星! 黒い三連星! ――あたしらの二つ名は!! 『赤いー』」
マロビが最高のキメ顔で、自分たちの部隊名である『赤い三巨星』を叫ぼうとした、まさにその刹那。
ハーツクライ中佐が、実になめらかな、競馬場の実況アナウンサーのような流れるような口調でその言葉に割り込んだ。
「――3連単(さんれんたん)!!」
ドササササササッ!!!
完璧なポーズを決めていたマロビ曹長を筆頭に、後ろで必死に彼女を止めていた金髪のラルフ中尉、さらにはサングラスのウィリー軍曹の3人が、見事なまでのシンクロ率で床へとしなやかにずっこけた。
「……って、なんで馬券の買い方になってんのよォーーーッ!?」
マロビは床に四つん這いになった姿勢のまま、顔を真っ赤にしてハーツクライ中佐へと絶叫のツッコミを浴びせた。
ラルフ中尉は頭を押さえて天を仰ぎ、ウィリー軍曹にいたっては、サングラスの奥で目を回しながら笑うしかないといった様子で肩を揺らしている。
「いやあ、すまないね。」
ハーツクライ中佐は、全く悪びれる様子もなくコーヒー(実際にはシャンパンだが)をすするような仕草でクスクスと笑った。
「ついね。1着赤い彗星、2着青い巨星、3着黒い三連星と、あまりに綺麗に名馬の名前が並ぶものだから、最高のオッズがついた『3連単』しか頭に浮かばなくてさ。悪気はなかったんだよ?」
「思いっきり悪気しかないじゃないのよ、この競馬狂艦長ーーーっ!」
マロビが床をドンドンと叩いて悔しがる様子を見て、それまで呆気に取られていたソウヤやリリス、ボカタ少佐、そしてエミリアやルナツー教導隊の面々からも、堪えきれずにドッと盛大な爆笑が沸き起こった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
競技会メンバー達の会話を楽しんで頂けましたか?
ソウヤとリリスに因縁を持っていたのは「赤い三巨星」のマロビ曹長のことでした(笑)
いやー、マロビ曹長の定番ネタにハーツクライ艦長を是非とも絡ませたかったですね(笑)
目的達成で満足してます。
さてさて、次の話も楽しみにしてくださいねー。
感想など、気軽にどうぞ!
【機動戦士ガンダム オリオンの軌跡】に登場するオリジナル機体で好きな機体はなんですか?
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バイアリーターク
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