オラッ催眠!(正義の鉄槌)   作:バリ茶

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オラッ催眠!(正義の鉄槌)

 

 

 

「──止まって」

 

 開口一番、少女は凍えるような低い声音でそう告げると、俺が手に持っていた白いハンカチを奪い取った。

 

「拾ってくれたことは感謝するけど、それ以上近寄らないで。……じゃ」

 

 あまりに鋭い敵意を秘めた眼差しと侮蔑を隠そうともしない態度でこちらを怯ませた彼女は、黒い長髪を靡かせながら踵を返し、そのまま友人と思わしき別の女子生徒と共に体育館を後にした。

 

 落としたハンカチを拾って届けようとしただけ、だというのにどうして俺はあんな極刑相当の性犯罪者へ注がれるような軽蔑の視線で睨みつけられたのだろうか。

 その原因に心当たりがないわけではなかったが、あれは冷静に考えてさすがに理不尽極まりない態度だ。こちらも憤懣やるかたないといったところである。

 

「……は、ははっ、あんま気にすんなよ! ほら、とりあえずオレらも教室に戻ろうぜ」

 

 分かりやすく気を遣ってくれた同クラスの男子生徒に追従する形でその場を離れたが、帰る道中も頭の中では困惑が延々と渦巻いていた。

 ふと、振り返る。

 そこにあるのは先ほどまで自分がいた体育館、その中には未だ大勢の生徒たちが闊歩しており、各々手から炎や電気を出現させて一喜一憂している。

 

 そして改めて周囲を見てみる。

 隣を歩いてくれている一人の男子生徒を除いて、他には誰もいない。

 たくさんの生徒たちが教室へ戻る行列の中で、他の生徒たちは露骨に俺との距離を取っており、まるで海を割るモーゼのごとく人混みを開いて楽々帰っていく。

 ……で、教室に戻ったところ。

 

「あ、もしかして今帰ってきたあいつ……?」

「そうそう、さっきの異能力検査で“催眠”って出てきたんだって」

「やば……もう予備軍じゃん……」

 

 賑やかだった少年少女たちが一瞬静まり返り、そのほぼ全員が俺を一瞥した後、先ほどよりは多少落ち着いたテンションで再び喋り始めた。

 

「…………はぁ」

 

 まいった。

 なにが、どうして。

 いま、この状況に陥っているんだったか。

 

 

 ──まぁ端折って説明するのであれば、つまり俺は寝落ちする前に観ていたアニメと酷似した世界に転移してしまったという話なのだが。

 

 さすがに簡潔すぎるので脳内を整理するという意味でいま一度この世界へ来訪する少し前のことを思い出してみよう。

 

 どこにでもいるような普通の人間である“俺”という存在に関しては大事な部分ではないため一旦省くとして。

 

 この現状へ至った理由を明確に把握できているわけではないが、もし仮にきっかけがあったとすれば、それは引っ越しの際に自室の片隅で数冊のライトノベルを見つけたことだったのかもしれない。

 

 その本は言うなれば青春の思い出だ。

 いわゆるハーレム系学園バトルもの。

 俗にいう異世界転生系アニメが台頭し始める以前に、いまや大人であろうかつての中高生たちの間でよく観られていた作品群たちだ。

 もうこのジャンルというだけで懐かしさが溢れ出てくるレベルの、現代では衰退の一途を辿っている一昔前の流行り、というべきか。

 俺が発掘したソレもその全盛期の時代においては“よくある作品のうちの一つ”だったが、逆にそのおかげか記憶から薄れたその物語は一周回って新鮮に感じることができた。

 

 そんな童心を刺激する懐かしき思い出にやられてか、荷造りを中断して原作小説を読み耽ったのが三日前。

 作業が遅れて焦りながら徹夜で荷物をまとめ、なんとか引越しを乗り切ったのが二日前。

 

 もろもろの手続きを終えた頃には夜になっており、ロクに荷解きもできていない殺風景な部屋に布団だけを敷いて、件の懐かしいハーレム学園バトルアニメがサブスクにあったのでスマホで流し見しながら寝落ちしたのが昨日。

 

 そして今朝、俺はどこか見覚えのある少年になっていた──というのが事の顛末である。いや意味わからん。なにこれ。

 

 

 

 

「うーむ……」

 

 あのクラスメイトほぼ全員から冷ややかな視線を注がれる原因となった異能力検査、もとい入学式から一週間。

 放課後、校舎の屋上へ足を運んだ俺は眼下に広がる街並みを眺めながら思考に耽っていた。

 

 この世界に対する懊悩と困惑はここまでの一週間でとりあえず一区切りはついた。

 コレは現実じゃないだとか夢だとか、そういう感覚はだいたい三日くらいで鳴りを潜め、以降は現状に対する理不尽さへの怒りと自分がいた元の世界での生活の心配で気が気じゃなくなり──ようやく落ち着いたのが本日の放課後、つまり今というわけである。

 

 なんか異能力を持った人種がいるちょっと近未来な現代ファンタジー的世界に来てしまった、という部分は飲み込めたので、思考を次のフェーズへと移行しよう。

 

「レイド・ラルオット……ね」

 

 ふと胸元から取り出した学生証を眺め呟いた。

 そこには聞き覚えのある名前と痩せぎすな男子生徒の顔写真が貼られている。

 

 俺はおそらく憑依した。

 元の世界で死んだ覚えもなければ、この世界のこの身体で生きてきた記憶もないため、いきなり他人の体に入ってしまったと言っていい状態だ。

 この身体の交友関係などもサッパリな状態ではある、のだが不幸中の幸いというべきか()()()()()()に関してはギリギリ知っていることがあった。

 

 レイド・ラルオット──物語序盤に登場するかませ犬キャラだ。

 準レギュラーですらなく、アニメの三話だか四話だかで主人公にボコされて退場して以降、ほとんど出番がなかった使い捨てキャラこそが彼である。

 

「うわ、あいつって……」

「えっなに? ……あ、もしかして噂の催眠能力使い?」

「やべーよ、調べるの明日にしようぜ……」

 

 この通りレイド・ラルオットは図書館に来るだけで他の生徒が軒並み逃げ去る程度には有名人になってしまっている。

 パッと見で栄養不足を心配する程度には痩せすぎた体型と、胸元に付けているこの学園で特待生にのみ与えられるバッジが特徴的なのかすぐにバレる。

 まぁおかげで静かに調べ物ができるというものだ。

 

「洗脳系能力の本……めちゃめちゃ少ねえな」

 

 このマイナーな能力の本格的な解説書は、広大な図書館の蔵書をもってしても十冊程度しか見つからなかった。炎や電撃系などポピュラーなものは軽く三桁はあるというのにまったく不公平だ。

 

 とりあえずの目標は元の世界への帰還だが、こちらの世界での生活を疎かにするわけにもいかない。

 なるべく自力で戻るつもりではあるがこの世界へ来た時と同様、またいつ勝手に向こうへ戻るかも分からないのだ。

 俺の事情だけでこの身体の本来の持ち主の生活を壊すのは良心が許さない。

 いつ戻っても大丈夫なように環境を整えておく、というのもこの世界における目標の一つだ。

 

「別世界とか時空に関する本とかあんのかな……お、ちょっとある」

 

 パソコンで調べて出てきた本のタイトルはなんとも怪しい物ばかりだったが現状の手がかりはこれぐらいしかないため、参考書と一緒に借りることにした。

 しかし図書館が広すぎて全然場所が分からない。め・11・42ってどこだよ。

 

「すいません、本の場所が分からないんですけど……」

「あ、はい。めの棚はですね──」

 

 まだ噂の波及に飲まれていないのか、俺を見ても特に態度の変化がない図書委員らしき女子生徒に案内される──その最中、この世界によく似ているアニメの内容を思い出した。

 

 レイド・ラルオットはいわゆる悪役だ。

 その催眠能力を悪用して様々な生徒を手駒にし、メインヒロインの一人を制服ひん剝いて下着まで露わにし涙目にするところまではいけていた惜しい男だ。  

 それで思い出したことだが、たしかこの図書委員ちゃんも原作の俺が催眠で洗脳の支配下に置いていたキャラだった気がする。

 

 この学園内で生徒が突然暴れる事件が多発し、原因を調べるために図書館へ訪れたメインヒロインを不意打ちで気絶させ、廃ビルで待つ俺のもとへ他の仲間と共に彼女を届けてくれた人物だ。

 もちろん最初から催眠状態であり、俺が討伐された後は元に戻ってその後出番もないモブだが──なるほど。

 

 原作の俺はこうして二人きりの状況を生み出しては催眠能力で洗脳して、を繰り返していずれあの主人公に一蹴される洗脳モブ集団をコツコツ作り上げていたわけか。

 かなりテンプレなかませ犬っぽい饒舌に喋る卑怯な男だと思っていたが、どうやら方向性を間違えただけでその実態は努力の人だったらしい。

 

「また見つからない時は声をかけてくださいね」

「ええ、ありがとうございます。助かりました」

 

 とても親切な図書委員ちゃんのご協力のもと、今自分が必要としている情報への手掛かりはだいたい揃った。

 それらを調べながら、ふと考える。

 

 今後の身の振り方をどうするか。

 この学園、もとい四つの異能者教育機関からなる学園都市にはよくありがちな武闘大会がある。

 優勝した暁には何でも願いを叶えてもらえる権利を手にできるため、この学園都市にいる生徒たちのほとんどが大会での勝利を目指して日々研鑽している。

 

 ……で、これまたありがちだがそんな主人公と対立する犯罪組織も裏で画策しており、俺ことレイド・ラルオットもその組織と一枚噛んでたのが原作の流れだ。

 

「……能力のマイナスイメージに拍車をかけてたのはこの事件のせいか。道理で嫌われ過ぎてるわけだ」

 

 いまから五年ほど前に学園内で犯罪組織の手先こと一人の催眠能力を持った異能者がテロ紛いの事件を起こし、全国区で大々的に報道されたらしい。アニメでもその話はあったような気がするが正直忘れていた。

 

 とにかく催眠能力に目覚めた異能者はバチクソ嫌われる、というのがこの世界での常識らしい。

 それで原作の俺は周囲に疎まれ、その心の隙を悪の組織に利用された、と。

 

「……まあ闇落ちするのも分かるな。こんだけ嫌われりゃそうなるか」

 

 呟きながら本を閉じ、閉館前までに読み切れなかった本だけを借りて図書館を後にした。

 

「主人公が来るまであと一ヵ月。……やるだけやってみるか」

 

 とりあえずはできる範囲から始めていこうということで気持ちを切り替え、現状唯一フラットに接してくれる相手であるルームメイトの男子が待つ寮部屋へ帰っていった。

 

 

 

 

 柏木(かしわぎ)映司(エイジ)──この物語の主人公。

 ワケあって入学式から一ヶ月ほど遅れてこの学園都市へ転入生としてやってくるその少年こそが、俺ことレイド・ラルオットの今後の運命を左右する最重要人物だ。

 

「……私と決闘しなさい、転校生ッ!」

 

 そう、学園寮の目の前で、緋色の髪の少女に剣先を突きけられながら決闘を申し込まれているあの男子生徒が件の主人公様である。

 

「ちょっと待って、誤解なんだ。僕は案内の紙に書かれてた通りの部屋に──」

「見苦しい言い訳は結構。そんな紙があるなら見せてみなさいよ!」

「……えーと、さっきのキミの攻撃で燃えちゃったんだけど……」

 

 ふと寮を見ると一部屋だけ窓が全開で焼き切れたようなカーテンが外へ靡いている箇所を発見した。

 

 アニメでも見た展開だが、どうやら本来の予定とは別の部屋に案内されたらしい可哀想な主人公こと柏木映司が、中で着替えの途中だったメインヒロインのあられもない姿を見たことで怒りを買ってしまい、彼女の炎攻撃をぶっ放されてあの状況になっているのだろう。

 

「ここは序列入りしている学生しか使えない特別寮よ。転校生であるアンタがここに割り当てられるはずないでしょうが」

「そ、そんなこと言われても」

「見苦しいわね……私からの決闘の申し出を受けないなら都市警備隊に不法侵入者として突き出すだけよ?」

「……はぁ。やれやれ、どうして転校初日からこんなことに……」

 

 がっくりと困ったように肩を落とした柏木は渋々ながら決闘の申し出を許諾し、近いうちに一人目のメインヒロインとなる少女との一騎打ちという原作通りのマッチアップが成立した。

 

 ちなみに柏木が着替え途中のメインヒロインの部屋に案内されたのは、彼の実力を知っている人物による裏工作なのだが──それは一旦置いといて。

 

「……遅刻しないうちに行くか」

 

 スマホで二人の試合の中継映像を流しながら俺はこっそりその場を後にした。

 あの試合が原作通りの流れで進むかどうかは生配信で確認すればいい。

 それよりも気になるのはそこから先の展開の変化だ。

 

 レイドは主人公である柏木が転入してくる本編開始以前から、既に反社会組織との繋がりを持っていた。

 

 そして原作の彼が組織に見初められたタイミングはおそらく入学式から柏木が来るまでの一ヶ月間のどこかだ。

 連絡先に家族や中学までの友人たち以外の痕跡が無かったことからそれまで接触が無かったことは明らかになっている。

 

 それに加えて今日まで()()()はそういった人物たちとは知り合っていないため、必然的にここから先は原作通りには進まなくなることも確定している。

 

「柏木映司です、得意な武装タイプは剣です。これからよろしくお願いします!」

 

 まあそもそも俺自身が筋書きを無視する気満々なのだが。

 

「──隣だな。よろしく、柏木くん」

「あ、うん、よろしくね。えーと……」

「レイド・ラルオット。で、さっきからキミに声をかけようとウズウズしてる後ろの席の男子は……」

「ちょおっ、いいって自分で名乗るから! ……こほん、鳴海信吾だ。柏木さえ良ければ放課後この学園を案内するぜ」

「えっ、いいの?」

「おうとも。そこのラルオットも一緒にな」

「うむ」

「っ……! ありがとう鳴海くん、ラリアットくん!」

「ラルオットです」

 

 そう、このように。

 ここで鳴海が柏木の学園案内を申し出ること自体は原作にもあったが、そこにレイドの姿はなかった。既に物語の破壊は始まっているのだ。

 

 レイドは序盤に退場し、ワケあって他学園から移籍してくる実力者の少女ことメインヒロインその二が柏木の隣の席にやってくるのだが、そんなもんは知らん。

 

 まさか席替え程度で大きな運命が変動するはずもないだろうし、あくまで俺の目的は自分が元の世界へ帰る前までにこの身体が道を踏み外さない環境を作り上げることだ。

 

 どこかで原作から展開が変わろうが、さすがに反社と関わりを持って人生破滅するよりは、多少の苦難が待っていようと普通の学生でいたほうがいいだろう。

 

「鳴海、俺ちょっと職員室に寄ってくから先に行っててくれ」

「ほいよ。じゃあ行きますか!」

「よろしく頼むよ」

「柏木くん、また後でな」

「うん、待ってるね」

 

 そして放課後、あえて二人だけで学園案内に向かわせ、俺は少し遅れてから彼らの後をこっそりついていった。

 

 このイベントは途中でメインヒロインその一ことツンデレ炎使い皇女と遭遇し、柏木がそのまま彼女に連れて行かれる流れになっている。

 

 部屋番号が書かれた燃えカスを見つけたことで誤解が解け、彼女が非礼を詫びると共に校舎を案内することでヒロインとしての繋がりがハッキリと生まれるという大事なイベント……なのだが。

 

「いやぁ、しかし今朝は惜しかったな柏木。お前が使ってた貸し出しの武器が壊れなきゃワンチャンありそうだったのに」

「うーん……どうだろうね。イフリーティアさん、すごく強かったし武器が無事でも普通に負けてたかも」

 

 あの決闘の結果は柏木の武器破損による敗北だった──が、本来原作ではヒロインの方の武器が壊れて柏木の勝ちとなるはずだった。

 そこが変わった要因は俺ことレイドだ。

 柏木が転校してくる前日の放課後、ヒロインであるアリア・イフリーティアに対して催眠兵士を差し向け、愛用の武器にダメージを与えておくという原作の流れが存在しなかったため、今回は彼女の勝利という結果に変化した。

 

 なので、わからない。

 主人公に勝った場合のアリア・イフリーティアが果たして原作通りの行動に出るのか。

 それを観察するためにこうしてあの二人の後をつけているのだ。

 

「──ねぇ」

「っ!」

 

 そんなワケでこっそり男子二人を尾行していた俺の背中に、突然女子生徒らしき声がかけられた。

 まさに噂をすればなんとやら。

 振り返った先にはツーサイドアップに結われた茜色の髪が特徴的な女子が、腕を組んだまま怪訝な表情で立っていた。メインヒロインさんこっちに出てくんのかよ。

 

「アンタ、さっきからあの二人をつけてるみたいだけど……何が目的なの?」

 

 どうやら俺ほど痩せ細った人相最悪男がコソコソしていると、全く面識がない女子ですらほぼ敵意に近い疑念を抱かせてしまうらしい。いやまぁ行動自体は怪しかったか。

 

「……その口ぶりだと、キミも後ろから俺を観察し続けてたってことになるよな。なんの真似だ」

「っ! す、好きで見てたわけじゃないわよ! 私はあそこの転校生に用事があるだけ……っ!」

 

 こっちが動揺するかあるいは笑って誤魔化すとでも考えていたのか、俺の返答の仕方が予想外だったらしく一瞬焦りを見せるイフリーティア。レスバよわそうでかわいい。

 

「というか質問に答えなさいっ」

「……ただ声をかけるタイミングを窺ってただけだよ。会話を途切れさせたら気まずいでしょ」

「なにそれ……普通に正面からいけばいいじゃない。……まあいいわ」

 

 俺の真相が興味を引く内容ではなかったようで早々に会話を切り上げ、少女はそのまま俺の横を素通りしていった。

 

「それより今日はあの転校生、私が借りるから」

「いや、事前に俺たちが学園を案内する約束してるんだが」

「悪いけど譲って頂戴。……大切な話があるの」

 

 柏木への謝罪、明らかにおかしい寮の案内の紙など、彼女が直接話さなければならないことがそれなりにあることは理解している。

 ただ……あぁ、いや、まぁいいか。

 中止だ、ここはイフリーティアに任せてしまおう。多少俺との繋がりを作っておけば、原作通りに進んでも不安は少ない。

 とはいえタダでは終わらせない。

 

「待てって、急すぎるだろ。小さい約束とはいえ俺も鳴海も予定を組んでアイツを案内してんだ。お姫様ってのはそんな簡単に庶民のスケジュールを崩しても意に介さないモンなのか?」

「……っ!」

 

 俺のこれは明らかに過剰な反応であり、原作でもそうだったように彼女に柏木が連れ去られても鳴海は『おじゃま虫はここら辺で失礼しますねぃ』と言って軽くスルーするところだろう。

 しかしこのまま逃がしてはもったいない。

 イフリーティアの王族としての矜持をちょいと刺激して、僅かでもレイド・ラルオットとの関わりを持ってもらおう。もしかすると今後に何か活きるかもしれない。

 

「タダでは譲れない。貸し一つだ、アリア・イフリーティア。……軽くな」

「……はぁ、分かったわよ。軽く、貸し一つね」

 

 あら、意外と上手くいったわ。言ってみるもんですね。

 

「私のことは知ってるみたいだから今更名乗らないけど……アンタ、名前は?」

「レイド・ラルオットだ。よろしくどうぞ」

「別に仲良くするつもりないけど。……じゃ」

 

 そう言って一瞥もくれず俺の前から去ったツンデレ皇女さまは『転校生、ちょっと顔を貸しなさい!』と原作通り鳴海から柏木を奪い、そのまま人気のない場所まで消えていった。

 

「ひぃー、退散退散っと……おぉ、ラルオット。遅かったな」

「すまん。柏木くんは連れてかれちゃったか」

「皇女さまのご指名だったからな。……ふふ、だがおかげでニュース部としては良いネタができたぜ。一年生ながらわずか一ヵ月で序列四位の座を奪い取った最強お姫様、そんな少女と互角に渡り合った謎多き転校生、放課後にまさかの密会……っ!」

「……柏木と友達でいたいんだったらその記事はやめといた方がいいな」

 

 ただでは転ばないニュース部の部員を宥めつつ、今日のところは解散とした。

 ドキドキの第一話だったがなんとか乗り切れたようだ。

 ここからしょうもない悪役かませ犬ことレイド・ラルオットとの戦いが丸っと全部消えるわけだが、まぁ主人公くんのハーレム形成に大きな支障はきたさないだろう。流れに身を任せてやっていこう。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「おはようございまーす」

 

 あれから翌日の放課後。

 とあるビルの一角、百円ショップを構えたフロアのバックヤードに顔を出すと、パソコンの画面とにらめっこしている男性を発見した。

 彼は店長。

 そして言わずもがなここは俺のバイト先だ。

 

「あぁラルオット君、お疲れ様。伊々月(いいづき)さん、もう来てるよ」

「マジすか。俺が遅いのかな……」

「いやぁ彼女が早いんだよ。もっとギリギリでもいいって言ってるんだけどね」

 

 真面目でありがたい限りだよ、と困ったように笑いながら再びパソコンに意識を向ける店長。

 会話が切れたことを理解した俺は店のエプロンを装着し、早速レジ裏の方のバックヤードに移動すると俺と同じ学園の制服の少女が小さいダンボールを抱えて移動させていたため、とりあえず挨拶ということで声をかける。

 

「おつかれ、伊々月さん」

「……? ……っ」

 

 ピタリと足を止めてこちらを向いた黒い髪の少女は声の正体を認識すると、分かりやすく眉を(ひそ)めた。ちょっと露骨に嫌がりすぎです。

 

「……おつかれ」

「在庫の移動? 手伝うよ」

「いい」

「でも──」

「本当にいい、やめて」

「あ、はい」

 

 マジで信じられないぐらい嫌われてんな俺。シンプルにつらい。

 

「……まだ始まる時間じゃないでしょ。これは昨日残してた作業をアタシが勝手にやってるだけだから気にしないで」

 

 ダンボールを抱えたままそう言って伊々月は裏手へ消えていってしまった。

 

「……はあ、了解しましたっす」

 

 きっとこれ以上彼女を追いかけてもどうしようもない。

 そう察した俺は少し時間を潰してからレジの交代へと赴くのであった。

 

 アルバイトは単なる資金集めの一環だ。

 俺が元いた世界において、サッカーやバスケなどの運動部に所属している高校生が自分に合ったシューズを買っていたように、この学園都市で生活する異能者たちもそれぞれ自分の能力に合わせた補助アイテムを見繕っている。

 

 どうやら一般的な能力であるらしい炎や電撃系用の物であれば大抵の店で取り扱っているのだが、俺のようなマイナー能力に目覚めた不幸な学生は専門店にある値段が高く数も少ない商品の中から探し出さなければならない──ゆえに普通の学生でいるためには労働が必須となってくるわけだ。

 

 ……まあ俺を含めた催眠系の異能者のことを極端に嫌っているクラスメイトとバイト先が同じになるとは予想していなかったが。

 伊々月(いいづき)結仁(ゆに)

 いわずもがな同じクラスの女子であり、ついでに入学式の日にハンカチを拾って届けたら性犯罪者を見るような目で拒絶された相手だ。

 

「すいませーん、炎系の延焼防止シートってどの辺りに……」

 

 そんな明らかに俺を生理的に嫌っている様子のバイト仲間と、今後どう接すればいいのかを頭の片隅で悩みつつ、客足が落ち着いてヒマになったレジ周辺で適当に作業をしているとジャージを着た男子に声をかけられた。

 

「あぁ、それでしたら──」

 

 なのでいたって普通に店員として対応しようとしたところ。

 

「……うわっ。……ぁ」

 

 その男子が突然顔を引きつらせて一歩後ずさった。

 この反応をされるのはコレが初めてというわけではない。

 今年度の新入生の中では数少ない催眠系の異能者ということで、校内でちょっとした有名人になっている俺の顔を知っている学生だった、というだけの話だ。

 

「あっ、お客様」

 

 その時、すぐ近くにいた店員こと伊々月が割って入ってきた。

 

「延焼防止シートでしたらあちらにございますので、ご案内いたしますね」

 

 つい十数分前に俺へ見せた冷たい無表情はどこへやら、非常に様になっている柔らかい笑みで男子学生を目的の棚へと案内していった。

 そこから商品をもって戻ってきた男子の会計を済ませて、少し。

 レジの近くまで伊々月が戻ってきて、やはり俺の前では無表情になり一言告げた。

 

「……マスクぐらい、したほうがいいんじゃない」

 

 その顔を公にさらすのは良くないのではないか、という忠告だ。

 ただ生まれもった能力が大衆にとってイメージ最悪なものだったというだけで嫌われすぎな気がするものの、この店に迷惑をかけないよう配慮すべきという点では確かに一理ある考えかもしれない。

 

「ごめん、次回からは気をつける。あと今の助かったよ、ありがとう」

「……」

 

 言ってみたものの返事は帰ってこず、彼女はそのまま奥のコーナーの品出しへ向かってしまうのであった。つらい。普通の会話くらいは許してほしい。

 

 それから数時間後。

 退勤してビルの裏口で入出管理の時間を書いていると、少し遅れて伊々月も合流した。

 たぶん俺と帰る時間をズラす為にわざとゆっくり降りてきたのだろう。書くの遅くてごめんね。

 

「伊々月さん、お疲れ様」

「……」

 

 イイヅキサンの シカト! こうかは ばつぐんだ!

 もう通常のコミュニケーションが取れるだなんて期待は無くそう。謝罪と挨拶して帰ろう。

 

「なんかごめん……じゃあまた明日」

「……ん」

「えっ──」

「……なに?」

 

 まさか返事があるとは思わずつい狼狽してしまった。いかん不審がられてしまう。

 

「い、いや何でもない。それじゃ」

 

 そそくさと彼女の前から去り寮への帰路へと着く。

 意外にも伊々月は同じ職場の仲間に対する一般的な挨拶を返す程度であれば許せる程度でラインを引いてくれていたようで、少しだけ安心した。バイトの度にギスギスするのは流石に御免こうむりたいと思っていたところだ。

 

 

「おー、ラルオットお帰り~」

 

 寮部屋に戻るとノートパソコンでニュース部の記事を作成している最中の鳴海が出迎えてくれた。

 ちなみに柏木は原作通りいろいろあって空いている二人用の部屋を割り当てられたため、本来序列入りしている学生しか許されない一人時間を優雅に満喫中だ。流石は主人公と言ったところか、他の男子がいないおかげで自室でのラブコメ展開も起こしまくりである。

 

「……ふう」

 

 ベッドに座り込み、そのまま仰向けに倒れ込んだ。シャワーや夕食や荷物の整理などをしようと考えていたが全て面倒くさくなった次第だ。

 

「なんだぁ、お疲れの様子だな。またイチャモンでもつけられたか?」

「さすがにそこまでじゃないが……あぁ、てかあの時マジで助かったよ。ありがとな」

「おおう、突然の脈絡のない感謝……どうやら本格的に疲弊してるらしいな。ゆっくり寝とけ」

「……そうするわ」

 

 鳴海の促しが背中を押してくれたようで、本格的に眠くなった俺は一旦休憩ということで瞼を閉じた。

 

 

 この世界に招かれてから約一ヵ月──ここいらで一度、盤面の整理をしておこう。

 

 まず俺のことだが、今日のアルバイト先での客の反応から分かるように、クラスメイトや噂を知っている学生からは相変わらず犯罪者予備軍のような扱いを受けている。

 

 あの図書館で知った催眠異能者による大規模失踪事件だが、どうやらこの学園都市では想像以上に重く見られている事案だったようで、催眠や洗脳といった『人間の心に作用する能力』を持った学生に向けられる周囲の視線はぶっちゃけ差別に近い。

 それほどあの事件で犯人がやらかした内容が凄惨だった、ということでもあるわけで。まったく余計な事をしてくれたものだ。

 

 たしか原作では中盤辺りにレイドと同じ洗脳系の能力を持った新ヒロインが出てくるはずだったので、他の学園にいるその少女もおそらく今は俺と同じような扱いを受けていることだろう。

 教員からの説明など学園からのフォローもないわけではないが焼け石に水が現状だ。

 

 ──あぁそうだ、新ヒロインと言えばで思い出したが、同じバイト先の女子である伊々月も原作だとヒロインだったっけか。

 

 件の洗脳系ヒロインが敵として出てきた辺りで、主人公である柏木と一緒に行動していた……気がする。

 いたのは間違いない。

 しかしそこに至る流れは忘れてしまった。

 尺の都合でアニメ化されてない部分だったこともあってか、マジで古の記憶過ぎて物語中盤の内容あんま覚えてない。

 

「ふぁ……んんっ」

「あ、起きたか」

 

 ずっと考え事をしていたので眠れたわけではなかったが多少は頭がスッキリした。

 

「どんぐらい経った……?」

「十五分くらいだな。オレも記事の編集がひと段落着いたとこだし、メシ食おうぜ」

「おー……いくかぁ」

 

 そのまま先導する彼に追従して食堂へ向かうその最中、目の前にいる同室の男子こと鳴海信吾についても改めて振り返ってみる。

 

 現状唯一の“友人”と呼べる間柄の相手だ。

 

 ニュース部として様々な人間から情報を得ようとするその性質上、余計な敵を作らないために基本どんな人間とも親しく接することから、犯罪者予備軍扱いの俺に対してもそのコミュ力を発揮してくれている。

 イチャモンつけて俺をボコりにきた不良を何かしらのネタで脅して助けてくれたこともあったので恩人と言っても差し支えない生徒だ。

 

 まぁルームメイトだからこそ不和を生まないよう立ち回ってくれているというのは理解している。

 ただ優しいというだけではなく、俺から得られるネタもあると踏んでの接し方がコレなのだろう。

 

 ちなみに彼もただのサブキャラではなく、なにかしら裏があってどっかの組織に所属していたり、実はめちゃクソ強い実力を隠しているなど様々な事情を抱えているのだが──序盤はあんまり関係ないし今は気にしなくてもいいか。

 なんかもう疲れたし難しいこと考えるのやめよ。

 

「あれっ、鳴海くんとラルオットくんも夕飯?」

 

 いつの間にか食堂に到着していることに気がつくと同時に、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。

 振り返ってみるとあら主人公さん。こんばんは!

 

「そういう柏木くんもか。結構遅いけどなんかしてたの」

「うん、都心部のほうを見て回ってたらこんな時間になっちゃって。この学園都市、ほんとに広いね……」

「えーなんだよ柏木! 言ってくれりゃいろんな面白い場所を教えたのに! あ、てか迷わなかったか?」

「はは、そこは大丈夫だったよ鳴海くん。今日は他の学園の親切な女の子が案内してくれたんだ。落とした鍵を見つけてくれたお礼にって……えぇと、確か他の学園の序列二位の……」

「──その(ネタ)、詳しく教えてもらいたいね」

「な、鳴海くん……? 何か急に目つきが鋭く……」

 

 と、そんなこんなで若干騒ぎつつ男子三人で夕餉と大浴場での風呂を済ませるという、いかにもな高校生活を過ごせた充足感のある一日が過ぎていった。

 

 これも本来の物語にはなかった流れだ。

 レイドと鳴海は原作でもルームメイトだったがこれと言った描写はなく、事件が終わった後に鳴海からの「あいつ外泊ばっかで全然顔を合せなかったんだよ」という一言があるのみだった。

 

 世界中の異能者が集う治外法権の都市とはいえ学生が外泊続きで寮に戻らなくても問題ないこの学園の治安やばいな、とかアニメを見てた当時は思っていたが、いま思えばアレって催眠で裏工作しまくってたから帰ってきてなかったんだな。

 

 で、レイドがいない分、柏木はハーレムを邪魔しない友人キャラこと鳴海と仲を深めて様々な情報を手に入れていく、と。

 序盤の敵であるかませ犬キャラをやっつけるための探索パートでもあったわけだ。

 しかし倒すべき敵そのものが消滅したいま、彼は諍いではなく青春に身を置いている。

 

「じゃあ鳴海くん、ラルオットくん、また明日」

「あぁ、お休み」

「また明日な~」

 

 脳内話題の大半を占める少年と別れ、自室に戻り間もなく消灯をして。

 

「なあ、ラルオットは明日何時に起きんの」

「早朝にトレーニングルームの予約してるから……結構早いな」

「うげぇ、マジかよ。オレ普通の時間に登校したいから目覚ましとかで起こさないでくれよ? 自力で起きてくれ自力で」

「えーと五時半にセットと」

「ちょおっオレの話聞いてた!?」

 

 またベッドの上で思考に耽りながら寝落ちを期待して瞼を閉じた。

 

 主人公にとって最初のかませ犬ブン殴りイベントがどれほどの価値を持っているのか、今の俺には分からない。

 彼が強くなるきっかけというわけでもないし、俺が何もしない分ただ不幸な被害者が生まれなくなっただけのはず。

 だが何か、よくわからないが見落としていることがあるような気もするのだ。

 

「……まぁいいか」

 

 とはいえ今それを考えても詮無き事だ。また明日以降に考えよう。

 

 

 

 

 ──まぁいいかじゃねえ。全然よくなかったわコレ。

 

「いいかぁ余計な抵抗はすんなよガキ共? しょせん異能を使えなきゃテメーらはただの一般人なんだ。死にたくなきゃ黙って震えてろ」

 

 ゴツい自動小銃を携えた黒いローブの集団の中から、おそらくリーダー格と思われる男が出てきて座らされている学生たちにそう告げた。

 そうそう、これ。

 このイベントね。

 

 柏木が転校してから一ヵ月が経ち、異能者たちによる武闘大会の予選を目前に控えた学生たちは、クラス合同の強化林間合宿に参加することになっている。

 もちろん柏木や隣のクラスのアリア・イフリーティア王女殿下もだ。

 そこで学園都市の外れにある山奥の施設へ赴く、のだがそこで事件が。

 

 黒幕の息がかかった武装犯罪者グループに襲撃され、能力を無効化させるガスをバラ撒かれて絶体絶命のピンチに。

 そこでガスを吸引せず逃れることができた柏木を始めとする少数の学生だけで武装グループを討伐する、というのが原作にあった展開だ。

 

 ……なの、だが。

 

「私が囮になって銃口を引き付けるから、柏木はその隙に」

「いや待ってイフリーティアさん、それは危険すぎるよ。キミの炎のアーマーは強力だけどガスを吸い込んだらその瞬間に無効化されてしまう。そうなったら銃弾を防ぐ術がないじゃないか」

「剣だけで戦うアンタよりは囮向きでしょ! それに私なら──」

「でも──」

「ふ、二人とも、言い争ってる場合じゃ……」

 

 ……こんな感じで難を逃れたチームもグダグダになってしまっているのが現状だ。

 こうして隠れて生き残っている学生は他にいないようで、この場を解決できるのは柏木と王女様、俺と……彼らを宥めているそこの伊々月だけになっている。ちなみに鳴海はワケあって合宿そのものに参加していない。

 

 とりあえず伊々月に関しては一旦置いておくとして。

 

 問題は作戦について口論している目の前の男女二人だ。

 

「んもうっ、そんなに時間ないのよ! いいから私を信じなさいって、柏木!」

「そっちこそ僕を信じてほしい。攪乱ならスピードが速い僕の方が適任だ。イフリーティアさんはみんなを……」

 

 ずっとこの調子である。おかしい、原作では割とサクッと片づけてたはずなのだが。

 

 ──いやまぁ、理由に関しては明白なのだ。というか、ついさっき気がついた。

 この二人のお互いの好感度がそこまで高くなく、なおかつ『映司』や『アリア』と名前で呼び合ってすらいない現状にはワケがある。

 

 ()()()()()()()が無くなったことが大きな一因なのだろう。

 ピンチに陥った王女殿下を圧倒的な強さで救うことで少年はアリア・イフリーティアにとって『転校生の柏木』から『信頼できる学友の映司』へと変化する。

 逆もまたしかりで、悪漢に後れを取らないよう自らを鍛え直す少女と触れ合う中で、彼にとってもイフリーティアは大切な『友人のアリア』になるわけだ。

 

 ……うん、なんか大事なイベントだったらしいな、対レイド・ラルオット戦。

 

 イフリーティアや鳴海、まだ見ぬ新ヒロインたちとの“繋がり”自体は持っているようだが、事件を起こした学生の捕縛という活躍が無くなったせいで、そこに起因する流れそのものが悉く失せてしまっているみたいだ。

 

 ふむ。

 なるほど、しょうがない。

 

 俺はレイドという一人の学生が道を踏み外して人生を台無しにすることがないよう立ち回っただけなので、現状が自分のせいだとはこれっぽっちも思っていない。

 あくまで悪いのはあそこで学生たちをビビらせて暴れ散らかしている犯罪者たちだと考えている。

 そもそも俺が元のレイドと同じような事をしたところで、この世界によく似た物語と同じ道筋を辿っていたかどうかは誰にも分からないことだろう。

 

 ──とはいえこの状況に関して無関係とも言い難い。

 ()()()()()()を考慮して、未来のために主人公とメインヒロインの間を取り持つくらいはできたはずだが、俺は何もできていなかった。

 それを仮に責任として捉えるのであれば、清算するべきタイミングは今この場をおいて他にはないだろう。

 

「……なぁ柏木くん、イフリーティア。ちょっといいか」

 

 二人の間に割って入り、半ば無理やりに仲裁した。伊々月さんはちょっとどいててね。

 物語云々以前にクラスメイト達が犯罪者たちに脅されてるのだ。何よりもまずは彼らの救出が最優先だろう。

 

「客観的に見て、自動小銃の連射に対応するなら高速で動ける柏木くんよりも確実に防御できるアーマー持ちのイフリーティアのほうが適してると思う」

「ラルオットくん、でも……」

 

 柏木は食って掛かるが本来あまり話し合っている時間もない。ここは俺が仕切ります。

 

「さっきから二人で解決する方法ばかり話し合ってるけど、俺と伊々月さんがいることも忘れてないよな?」

『えっ。……あっ』

 

 イフリーティアと柏木の声が重なった。こいつら……。

 

「序列入りしてるイフリーティアと互角以上の柏木くんからすれば、ランキング圏外の俺なんかは頼りにならないかもしれないが……そんなこと言ってる場合でもないだろ。俺も伊々月さんもガスは吸ってないから一応能力も使えるんだ」

 

 二人を説得しつつしっかり伊々月も巻き込んでいく。詳しい内容は忘れたが中盤からの登場でもヒロインを張れていたなら、彼女もそれなりの実力を持っているはずだ。

 俺が嫌いだろうと何だろうと今は協力してもらう。

 

「伊々月さんはどういう能力なんだっけか」

「……あ、えと、風属性かな。突風とか鎌鼬(かまいたち)を撃ったりとか……ちょっとだけ空を飛んだり……くらい」

「了解。じゃあイフリーティアが注目を引いて、その隙に俺と伊々月さんでガス弾持ちを叩く。……無効化の心配がなくなれば銃器相手でも柏木くんなら勝てると思うんだが、どうだ?」

「──うん、それなら大丈夫」

 

 即答。さすが最初から作中上位の強さを持っている主人公は違う。

 

「二手に分かれよう。伊々月さんと俺は背後に回る。攪乱のタイミングはイフリーティアに任せるよ」

「んん……アンタに仕切られるのはなんかアレだけど……分かったわ。行くわよ柏木っ」

「ああ、必ずみんなを助けよう」

 

 と、そんなこんなで作戦も決まって間もなく決行。

 わざとクソデカい爆炎を巻き上げて登場したイフリーティアが、自分が囮だと気づかせないために割とガチで正面突破を仕掛けた。

 

「よし……いい感じに敵も動揺してるな。伊々月さん、俺たちも──」

 

 茂みに隠れながら様子を窺っている中、そろそろだと察して彼女の方を見ると、とあることに気がついた。

 少女の肩が()()()()()

 

「……伊々月さん」

「へ、平気。突風であのニット帽の男のバランスを崩せばいいんだよね。……だいじょぶ」

 

 気丈に振る舞って見せてはいるが、明らかに怯えと緊張が隠せていない。

 どうにも武闘派な連中が集う学園にいたせいで忘れてしまっていたが、彼女のような多少特別な力を持っているだけの普通の女子高生もいるんだった。

 ヒロインとして舞台に立てるだけの力を秘めていても、精神が命のやり取りについていけていなければ戦闘は難しいだろう。

 

 だが、ここで物語の主人公のように『俺に任せて』などと自信に満ちた発言は、残念ながら今の俺にはできない。

 この二ヵ月で多少なりとも能力や戦闘のトレーニングは積んだものの一線級には至っていないのだ。

 伊々月のサポートなしで勝てる相手ではない。

 なんとも情けない限りだがここは心を鬼にしてでも彼女に頑張ってもらわねば。

 

「じゃあ、行くよ」

「……わかった」

 

 その宣言と同時に伊々月が能力を発動。

 

「──ッ!」

 

 ガス弾持ちの男を背後からの強力な突風でよろめかせ、それどころか転倒までさせて明確な隙を作ってくれた。

 ここからは俺の番だということで、弾かれたように彼めがけて走り出した。

 

「なっ、王女以外にもまだ学生が……っ!」

 

 意外にも場数を踏んでいる相手だったようで、尻餅をつきながらも腰のホルスターにある拳銃へ手を伸ばした。

 だがすぐに俺の手が届くこの距離であればこちらのものだ。

 

 ──本来、催眠能力は全くと言っていいほど戦闘向きではない。

 

 まず技の発動に時間を要して。

 対象の相手がこちらの言葉を聞いてくれるだけの冷静な状態である必要があって。

 なにより催眠状態へ陥らせるまで語りかけ続けるなど、これまた少しばかりの時間を要してしまう。

 原作のレイドが正面から闘わず、大量の催眠兵士頼みの物量戦法を採ったのもこれが理由だ。

 

 なのでその弱点を克服すべく、参考資料を読み漁って勉強しまくった結果、たった一つだけ“技”を習得することができた。

 それが──

 

「オラッ! 催眠っ!!!」

 

 ──これである。

 

「…………あぇ? ほわ……」

 

 相手の顔面を両手で鷲掴みにし、能力の要である俺の瞳を無理やり注視させ、特に命令を入力されてない()()()()に陥らせるという必殺技だ。

 

「……? ……ハッ。てめっ、なにしやが」

「催眠ッ!!!」

「はぇ……♡」

 

 ちなみに効果時間がバチクソ短い。

 それに加えて能力発動によるエネルギーを瞳から無理やりブチ込んで錯乱させているため、正確には催眠状態ですらないことから他の命令なども受け付けない欠陥仕様となっている。

 

 さらに加えて言うと()()()()使()()()()この必殺技がしっかりと発動するかどうかは賭けだった。

 まさか催眠術の練習相手になってくれる知り合いなぞいるわけもないため、勉強はしまくってたもののぶっつけ本番もいいところだったのだ。

 

 理論上は問題ないハズだったが実際に発動するまで心臓バックバクだった。成功してくれて安心……割と大変な試行錯誤の連続だったから上手くいったの嬉しくて泣きそう。

 

「──勝機が見えた! ありがとう、ラルオットくんッ!」

 

 そんなよく分からない技で敵の主力を無力化した次の瞬間、イフリーティアの背後にうまいこと隠れていた柏木が姿を現し、とんでもない勢いで敵をバッサバッサとなぎ倒していった。つよすぎ。

 武装グループは人質を盾にする暇もなくやられていき、まもなく決着がつきそうだ……と思った、その矢先。

 

「おい動くなっ! コイツの頭ふっ飛ばすぞ!」

 

 俺の背後から声がしたため咄嗟に振り返ると、どこかに隠れていたらしい敵の一人が伊々月を拘束し、そのこめかみに拳銃を突きつけていた。

 

「ひっ、ぅ」

 

 大柄な男に首を押さえつけられている伊々月の表情は戦意喪失に近いレベルで怯え切っており、目尻には涙を浮かばせている──が、今は戦闘中だ。

 隙を見せた瞬間に負けになる。

 それに彼女はこことよく似たどこかの世界では、遠くで無双しまくってるあの少年の傍らに立てるだけの力と度胸を持っている少女なのだ。

 もしかすればこの世界の彼女もそれぐらい強い()()()()()()

 

 かもしれない、を考慮せず動いていた自分を顧みるのであれば、その“かもしれない”に期待を込めて行動するべきだ。

 なにより彼女の命を守るためにも。

 

「……ハッ! おいコラこの野郎、いい加減に」

「うるせぇな催眠ッ!!」

「ほへ……???」

「なっ! そこの学生、動くなって言っ」

 

 そして動揺を生んだ今がチャンスだ。

 

「伊々月っ! 撃たれる前に()()ッ!!」

「────っ!」

 

 俺の言葉が届いたその瞬間、ハッとした彼女は右手で能力を発動。

 ほぼ反射的に鎌鼬(かまいたち)を噴射させる。

 

「うおっ!」

 

 その旋風によって高速で舞い上がった葉の一部が男の頬を軽く引き裂き、痛みと出血に焦りを見せて伊々月を放したその瞬間、すぐ近くまで駆けよった俺は同じように彼の頭部を鷲掴みにした。

 

「このっ学生風情がッ!」

「ぐっ……!」

 

 咄嗟の反撃の銃弾が俺の二の腕を抉ったがアドレナリンに身を任せてしっかり拘束して、ワンモア。

 

「催眠催眠催眠催眠催眠……」

「あぁひぃ……っ♡」

 

 なんかこう勢いで男を戦闘不能にして。

 

「柏木ーっ、あとは頼むぞー……っ!」

 

 情けなく残りを主人公さんに丸投げした結果、ものの数秒で全ての敵は殲滅されたのであった。

 

 ただ怯えることしかできなかった他の生徒たちは状況を理解すると、助けてくれたイフリーティアや柏木に感謝と称賛を投げかけ始める。

 そんな英雄に視線を奪われた彼らの目に映らない、少しばかり後方で敵をやっつけた俺は、拘束から投げ出された際に転倒してしまった少女のもとへ歩み寄った。

 

「はぁ、ハアっ、伊々月さん……」

「……ッ!」

 

 銃弾が腕を掠った俺みたいな酷い出血は見受けられないが、大人の男による加減のない拘束のせいか首元が少々赤くなっている。

 

「大丈夫か? ケガは……」

 

 なのでとりあえず声をかけようとした、その瞬間。

 

「──こっ、こないでっ!!」

 

 ビビるくらいの突然の大声で、見てわかる通り拒否されてしまった。

 一瞬だけそれを謎に思ったが数秒後。

 あぁなるほどと納得した。

 

 普段から警戒している催眠能力使いが、目の前で『催眠ッ!』と連呼して人間を陥れまくっていればこんな反応もするか。

 

 ただ、どこか、一般的な嫌悪感にしては些か過剰な反応にも見えた……が、こっちはもうそれどころではない。

 

「……すまない、伊々月さん」

「ぇ…………あっ、ちがっ、ごめんなさ──」

 

 その彼女の言葉が俺の耳に届くよりも早く、極度の緊張状態からの緩和やアドレナリンが抜け始めて走り出した腕の激痛などの要因が重なった結果、俺は無様に横転し気絶してしまったのであった。一回休み。

 

 

 

 

 その翌日。

 襲撃犯によって撃ち抜かれた右腕の治療のため、俺は数日入院することになっていた。

 ベッドに座りながら外を見てみると、青ひとつない曇り空が広がっている。

 

「いやぁ災難だったなラルオット。でも武装した犯罪グループをやっつけるなんてスゲーじゃん」

「ワッハッハそうだろ流石だろ。もっと称賛してくれていいぜ」

「まさかの褒めると調子に乗るタイプ……」

 

 そんな怪我人のもとにはルームメイト君が見舞いに来てくれており、多少の愚痴を吐いてスッキリしたところだ。

 

「まーぶっちゃけ話題は救世のお姫様とやたら強い謎の転校生で持ちきりだな。俺があの記事を担当してりゃラルオット大先生の活躍も余すことなく載せまくったのに」

「内容を詳らかにすればするほどあの二人との対比で情けなくなるから勘弁してくれ」

 

 すっかり有名人になった主人公とメインヒロインに比べて俺の評判は相変わらずだ。

 戦っている様子を目の前で見ていたクラスメイト数人はともかく、一般生徒からは『敵を催眠する映像』が流出した影響でむしろ更に警戒心を抱かれているらしい。

 なかなか都合よく挽回はできないらしいが、催眠を連呼しながら人間を黙らせてるヤツがいたら普通に俺でも怖いのでしょうがない事なのかもしれない。

 

「さて……そろそろオレ行くわ。お大事に」

「あぁ、見舞いありがとうな。明々後日には帰るよ」

「了解。……そうだ、ラルオット」

 

 さらっと退室──するかと思いきや、なぜか出入り口付近で足を止める鳴海。なに、忘れ物?

 

「なんかあったら遠慮なく頼れよ」

「えっ……」

 

 ルームメイトくんやさしい……トゥンク……。

 

「大抵のことなら助けてやれるからさ。有料でな」

「タダじゃねーのかよ……」

「はは。購買の高いパンとか誰かの秘密で手を打つぜ」

「そんな秘密とか持ってない。無償の愛をくれ」

「いいぜ? まぁ無償の愛は無償の奉仕で返してもらうが」

「無償じゃないじゃん……」

 

 俺の絶望をケラケラ笑いながら鳴海は手を振って病室を後にしていった。

 ルームメイトとしての多少の情に加えて、俺が割とガチの怪我人ということを考慮しての優しさが、先ほどの発言の正体なのだろう。好感度がマックス100なら今は15くらいか。

 

「おはよ、ラルオットくん」

 

 それから少し経って、二人目の来客。

 噂をすればなんとやら、現在話題沸騰中の転校生こと柏木映司がやってきた。

 慣れた男子の友達らしく手ぶらで訪れた鳴海とは違い、しっかりと見舞いの品まで携えて来てくれたらしい。主人公らしく誠実というか律儀な少年だ。

 

「ホント、あの時はごめんね。言い争ってる場合じゃなかったのに……」

「柏木くんの言い分も一理あったさ。早めに動けるよう俺が誘導した部分もあるし、実際もう一つの案でも上手くいったかもしれない」

 

 シャリシャリと見舞いのリンゴを切り分けながら前回の反省会をする柏木を前にして、ふと考える。

 この少年にとって俺や本来はメインヒロインであるアリア・イフリーティアはどういう存在になっているのか、と。

 強化合宿を襲った犯行グループの討伐という流れは原作と変わらないが、その過程が大きく異なってしまっている。

 原作ではあの場にレイドは存在せず、また協力してくれた伊々月も人質側で戦闘には参加しないはずだった。

 

 イフリーティアと柏木の二人だけで事件を解決し、より一層お互いの信頼を深める流れになるのだが、今現在はどうなっているのだろうか。

 

「はい、リンゴ」

「サンキュ。……うさぎ作るの、上手いな」

「えへへ、昔よく妹に剥いてあげてて。残りの果物はここに置いとくね」

「おう。……ちなみになんだが、あれからイフリーティアとはどうなんだ?」

 

 ヘタに遠回りに探りを入れるのも面倒なのでストレートに質問した。少なくとも戦場を共にしたクラスメイトという関係性ではあるわけだし、そこまで不審には思われないだろう。

 

()()()とは一緒にトレーニングをするようになったよ。夏の異能武闘祭(バトル・アリーナ)で同じチームとして参加しないか、って誘われてね」

 

 アリア、と名前で呼びつつ大会に参加する仲間としても繋がった様子から、結果だけ見れば原作とあまり差はない良好な関係性を構築できているようだ。

 正直そこが一番の懸念点だったのでホッとした。

 この少年がヒロインたちと繋がってくれていれば、大抵の事件は彼らが解決してくれることだろう。

 

「……えと、それでね。ラルオットくんに話があって」

「ん?」

「そ、その……一年目のアリーナは三人チームでの参加が条件らしいんだけど……」

 

 えっなにそのモジモジしながらの上目遣いは。整った容姿だがどちらかといえば童顔なので普通にかわいい系のイケメン男子として通用するその顔面でその表情、たぶん女子ならイチコロですよ。

 ……そういえば序盤のどこかで潜入の為の女装イベントとかあったっけか。どうでもいいが。

 

「すまん。俺もアリーナには出場しようと思ってたんだが、この腕じゃな」

「あっ。……そ、そうだよね。ごめん、ラルオットくんは怪我で大変なのに、僕ってば自分のことばっかりで」

「気にしないでくれ、誘ってくれて嬉しかったよ」

 

 俺は拳銃で右腕をブチ抜かれているのでしばらくはリハビリ生活だ。

 なんか世界観が近未来的で科学技術も発展してる恩恵で医療が凄まじいことになっており、早めに病院へ運ばれたことも相まってかこの腕も数週間あればそこそこ元通りになるらしい。

 そこを差し引いても異能者は基本頑丈なので、治療された傷口にたまに激痛が走る現状を我慢すれば割とどうにでもなる。

 

 というか柏木のチームに俺が入ったら本筋がおかしいことになってしまうのだ。

 本来そこにはメインヒロインその二であるまだ出会ってない少女が加入することになっている。

 

 今回の事件の前までは物語をぶっ壊すことにそこまで抵抗は無かったが、窮地の際にヒロインの好感度が足りず言い争いが発生してしまうようではダメだ。

 なにも気合いを入れて彼ら彼女らを支えてやるつもりだとかそんなではないが、少なくとも本筋の邪魔になるような行動はこれからは控えていきたい、という考えに変わった。そうしていこう、ちょっとだけがんばろう。

 

「そうだ、柏木くん」

 

 そんな諸々の事情を加味したうえで、やはり彼とはそれなりに親しい友人でいた方がいいはずだ。

 ここは多少強引にでも距離を詰めてしまおう。共に戦った直後である今こそチャンスだ。

 

「いや──()()

「……っ!」

「一緒に悪い敵をやっつけた仲だ。腕の回復が間に合うかは微妙だからチームメイトにはなれないが……トレーニングくらいなら付き合うぜ。……リンゴも切ってもらったしな」

 

 そう言いながら手を差し伸べると、驚いた表情をしていた少年は一転して破顔し、嬉しそうに俺の手を握り返してくれた。

 

「えへへ……よろしくっ、レイド!」

 

 なんか異様にテンションが高い気がするのだが、とりあえずこれで目下の課題は完遂した。

 しばらくは腕のリハビリに集中しつつ、彼の友人キャラその二としてひっそりやっていこう。

 

「あっ、ところでレイドって駅前のまぜそば屋さん知ってる? 赤い看板の……」

「外観は見たことあるけど行ったことはないな」

「それなら今度一緒に行こうよっ。最近鳴海くんに教えてもらって行ったんだけどスゴく美味しかったんだ!」

「お、おう……そうね。いきますか」

 

 こんな露骨に楽しそうな柏木映司はあまり見たことがなく、シンプルに少しビビってる。

 思えばちょっとだけ付き合いがある鳴海を除くと、原作では彼の周囲の人間のほとんどが女子で構成されており、ハーレム主人公の名には恥じないが男友達自体がかなり少なかった。

 

 ヒロインを相手取る際も色仕掛けをくらう時以外は余裕があり、どこか食えない飄々とした少年だったのだが……男子の友達がいるとこうなるのか。

 

 レイドと敵として対峙した際、自分が凶行に走った理由を周囲に擦り付ける彼に対して真顔で説教をして瞬殺したあのアニメの一幕からは想像できない関係性の変化だ。

 

「それじゃレイド、お大事にね」

「ああ。またな、映司」

 

 と、そんなこんなで明確に二人目の“友人”が出来てその日は解散。

 

 イフリーティアも時間をおいて訪ねてきたが、先の男子二人ほど話が盛り上がることもなく、メッセージアプリの友達登録だけをして彼女も帰っていった。

 なんだか気まずそうというか、柄にもなく緊張しているようだったが、あのワケわからん催眠の技を間近で見ていれば普通に引くしそうもなるだろう。むしろ全く気にしていない映司が変だったまである。

 

 それから少し経って翌日の放課後。

 またしても俺のいる病室を訪ねる人物が現れた。

 だがその人物とは、気心の知れたルームメイトではなく、戦場で絆を紡いだ少年でもなければ、多少は打ち解けたあの堅物のお姫様ですらなかった。

 

「ぁ、あの。……こんにちは、ラルオット君……」

 

 おずおずと律儀に挨拶から入ってくれた少女は、現時点の俺にとっては最も特別な人間だ。

 なにせ彼女は──伊々月結仁は、俺がこの世界で初めて"悲鳴"を上げさせてしまった相手なのだから。

 

 

 

 

 いくつか思い出したことがある。

 この世界とよく似たあの物語について。

 基本的に忙しない普段と異なり、ベッドの上で何もやることがなく暇を持て余していた入院生活のおかげか、原作の流れを順繰りに思い返していたらそこから連鎖的に過去の記憶が誘発したのだ。

 

「……腕の怪我、だいじょうぶ?」

 

 そう、今ベッドの横の椅子に腰掛けているこの少女についても。

 肩までで切り揃えられたセミロングの黒い髪、風属性の高威力の技を即時発動可能という強力な異能、一般的なマイナスイメージから催眠や洗脳系の能力を忌避する他の学生たちとは異なる──ほぼ脊髄反射と言っていいレベルで見せたあの過剰な拒否反応。

 そのどれもに該当する人物が記憶の中に一人存在した。

 

 ぼんやりと覚えていた中盤の新しいヒロイン、その実情をようやっと想起することができたわけだ。

 

「俺は平気だよ、ギプスも早い段階で外れるらしいし。まぁ……治るまで数週間ってとこかな」

「そ、そう」

 

 ジッとこちらの腕を見つめ、明らかな緊張が見てとれる悲痛な面持ちの伊々月。

 何かを言おうとして、しかし迷ってを繰り返している。

 

「……」

 

 そこで俺は黙って待つことにした。

 急かすこともなければ、無理やり明るく振舞って話題を提供することもしない。

 きっと現状において必要なのは彼女自身の心の整理だろうから。

 

「……っ」

 

 両膝の上に置かれた手がギュッとスカートの裾を握った。

 懊悩の末、どうやら遂に決心がついたのだろう。

 こちらを見上げて、何度か視線を右往左往させて──ようやく俺と視線が重なった。

 

「ごめん、なさい」

 

 そうして出てきたのは捻りのない、真っすぐで真摯な謝罪の言葉であった。

 

「本当に……ごめんなさい……」

 

 後頭部が見えるほど深く頭を下げた彼女はそのまま静止した。

 多感な時期のはずの高校生が同級生に対してここまで重く真面目な謝意を見せるまでに至った過程を僅かながら視野に入れ、とりあえず俺はまだ何も言わない。

 ここは一度、伊々月本人の言いたいことを全て吐き出させてしまった方がいいだろう。

 

「……普段のことも、そうだし。……きみが傷ついたのも、あの時すぐ近くに敵がいたのに油断して捕まった私の責任」

 

 消え入るようなか細い声ながら、決して詰まることなく喋り続けるその様子から、決して誤魔化しはしないという意思を感じる。

 これはきっと許しを求める形だけの謝罪ではない。

 相手にどんなことを言われたとしてもそれを罰として受け入れ、贖罪をするという意思表示だろう。

 

 ──とはいえ、そこまで自罰的になって空気を重くされても今後がやりづらい。

 

「だから……ごめんなさい」

「……うん」

 

 ひとまず彼女の伝えたかった内容は理解できた。

 これといった言い訳がなかった点に関しては彼女の真面目さが窺えるが、顧みた過去がすべて自分の責任だと思い込んでいる状況はいただけない。

 

「えぇと、まずは顔を上げて」

「……はい」

 

 では、少しずつ解いていこう。

 

「とりあえず先に一個だけ訂正」

「……?」

 

 きょとんとしている。生真面目さのせいで本当に分かっていない可能性もあるかもしれない。

 

「この腕の怪我に関しては、伊々月さんに責任はまったく無いよ」

「で、でも……」

「伊々月さんが何かしてもしなくても、結局あの犯行グループは強化合宿の施設を襲ってた。そこからは全部あいつらのせいだろ」

「それは……そうかもしれないけど……」

「あの時きみは一緒に戦ってくれた仲間だ。伊々月さんがいなかったらもっと酷いことになってたかもしれないし……謝られるような事はされてない」

 

 あの時に受けた傷はすべてあの犯罪者集団の攻撃によるものであって、俺自身は彼女から何も被害は被っていない。

 伊々月は間違いなくあの場で最善を尽くしてくれていたのだ。

 感謝こそすれ『お前のせいで怪我をした』だなんて責任転嫁をするつもりは毛頭ありはしない。

 

「ラルオット君……」

 

 そんな俺の返答が意外なものだったらしく呆気に取られている──が、ここで終わらせるわけにはいかない。

 なるべく今後の障害を取り除いていくためには、彼女との確執もうまい具合に緩和しておかなければ。

 もし適当に流してなぁなぁで済ませると後になって悪い意味で効いてきてしまうことだろう。

 伊々月結仁が罪だと考えている()()の清算はいまこの場で終わらせるべきだ。

 

「……まぁでも、話しかけても無視されるのはちょっと寂しかったかな」

「っ!!」

 

 ビクッと少女の肩が跳ねた。忘れていたわけではないにしろ、この流れで普段の行いに対して舵を切られたせいか少なからず狼狽している。

 

「……ご、ごっ、ごめんなさい……っ」

 

 腕の怪我に関しての弁明で少々ホッとしていた顔から一転、首元に汗を滲ませ俯いてしまった。

 なにも落ち込ませたかったわけではないが、なってしまったものはしょうがないのでこのまま続けよう。

 とは言えこれ以上責めるつもりもないのだ。

 ここでやるべきは彼女が欲しているものを与えること、そして俺自身がこの場でやりたい事をやり抜くことだけである。

 

「そのっ、なにか……なにか私に、できることがあれば……何でも──」

 

 あっちょっとまって何でもするは禁句です、なんか普通にテンション上がってしまうので。冷静なままでいさせて。

 

「それならひとつお願いしようかな」

「っ。……う、うん」

 

 また膝上の握り拳に力が入ってしまっている。

 ではそんな緊張状態の彼女に向けて、怪我や普段の行いからくる罪悪感を逆手にとってほぼ確実に受けてくれるであろう()()()をしよう。

 

「じゃあ──今日分の授業のノート、見せてくれないか?」

 

 そう言って、数秒。

 なぜか間が空いた。

 

「………………へっ?」

 

 聞こえなかったのだろうか。割とハッキリ言ったつもりだったが。

 

「入院してて受けてないからちょっと助けてほしくて。ほら、ウチの学園って授業のスピード早いしさ」

「え、えっと……あの、そんなことでいいの? 他に、いろいろ……」

「……? わるい、そう言われても特に……あっ、もしかしてあんまり板書しないタイプ?」

「あっ、いや、ちゃんと書いてる。ノートだよね、ちょっと待って……」

 

 ごそごそとカバンを漁って数冊のノートを取り出してくれた。教科書などとまとめて高校に置き勉する学生が多い中でも、彼女はしっかりと持ち帰るタイプだったらしい。やはり真面目だ。

 

「ど、どうぞ」

「ありがと。……おぉ、さすが字が綺麗だ。かなり読みやすいよ」

「……そう、かな」

 

 かなり几帳面なタイプなのか板書のついでに忘れないための補足やマーカーの色分けも細かくされていて感心した。雑に書きなぐっている俺の物とは正反対だ。退院したらこれ真似して丁寧に書こ。

 

「これ明日も使うだろうし、写真だけ撮っていいかな」

「あ、うん」

「さんきゅ。じゃあ失礼して……ぁっ」

 

 意気揚々と取り出したスマホを片手で操作していたところ、撮影する直前に床へ落としてしまった。一応新しめの機種なのだがサイズがデカいため片手だと少し扱いづらいかもしれない。

 

「悪い伊々月さん、足とか当たってないか?」

「ううん平気。まって、私が拾うから……」

 

 そう言って拾い上げたスマホを俺に手渡し──そのまま両手で弱々しく俺の左手を包み込むように握ってきた。何事。

 

「い、伊々月さん?」

「……っ」

 

 なにやら考え込むように口を噤んだが、少ししてから顔を上げて俺を見つめた。不安そうな表情をしていて、徐々に手を握る力も強くなってきている。

 

「もしかしてラルオット君、怪我をした右腕……利き手のほうだったりする?」

「あぁ、まあ……無難に右利きです」

「それだと授業を受けながらノートを書くの大変じゃないかな。ほら、数Ⅰとか公民の先生って黒板を書いたり消したりがすごく多いし……」

 

 言われてみれば確かにそうかもしれない。

 あまり板書が多くない現国などであれば授業終わりに日直が消す前に写真を取れば事足りるものの、黒板の内容が変動しまくる教科に対してはどうしたものかと悩んでいたところだ。

 ……なんか久しぶりに学生らしい悩みができたな。そういえば俺って今は高校生なんだった。

 

「私ので良ければノート貸すから。……あっ、ていうか書き写しやるよ」

「いやそこまでして貰っちゃ悪いって。マジで見せてくれるだけでありがたいし」

「でも、利き手じゃない方で書くのは大変でしょ……? 私は全然大変じゃないから」

 

 と、互いに譲らない押し問答が数分続いて。

 

「えっと……じゃあ、ここは素直に甘えようかな。ありがとな、伊々月さん」

 

 結局はこちらが助かる話なので、俺が頼る方向でその話は終結した。アフターケアが行き届きすぎてて感動。

 ただここまでしようとする理由が、それほど伊々月が強い罪悪感に苛まれているからなのであれば、少々話は変わってくる。

 

「なぁ、帰る前に一ついいか」

「っ? ……う、うん」

 

 そろそろ面会時間のギリギリということで支度を始めた少女を軽く呼び止めた。

 

 ──そもそもの話になるが、重い贖罪はいらない。

 親密になる必要もなければ、こちらに対する罪の意識も持ち続けてほしくはない。

 たったひとつ、彼女の周囲にレイド・ラルオットという人間がいることを許容してくれるだけで、全然まったく構わないのだ。

 

 それがまた距離を置くことであっても最低限のコミュニケーションが取れるのならそれでいい。

 極論、嫌ってくれても問題はない。

 いち個人が別の誰かを嫌うことはその個人の自由に他ならないから。

 それに彼女が俺を嫌う()()には十分な心当たりがある。

 

「繰り返しになって悪い。でも、この腕の事に関しては本当に伊々月さんのせいじゃないんだ。だからあまり俺の為に時間を削ってくれなくても大丈夫だよ」

 

 これだけは伝えておきたかった。

 あの物語のように伊々月結仁が主人公であるあの少年のヒロインの一人になるのであれば、本来盤面にいない俺という存在は邪魔以外の何物でもない。

 だからせめて彼女の行動を制限するような枷にはならないよう配慮して立ち回らなければ、俺としても今後が怖いのだ。

 

「……うん、わかった。……それじゃ、また明日」

 

 小さく頷き、そのまま別れの挨拶をして伊々月は帰っていった。

 なんとか理解してくれたようで安心した。

 これで中盤の展開が拗れる要因が一つ減らせたと思いたい。

 

「…………伊々月結仁、ね」

 

 ドサッとベッドに寝転がり、改めて思考に耽る。

 

 ──この入院生活中、原作における伊々月のこともいくつか思い出せた。

 

 まず原作における序盤のメインヒロインは主に三人存在する。

 ツンデレ皇女ことアリア・イフリーティア。

 近いうちに邂逅するであろう、他学園から移籍してくる二人目の少女。

 そしてこれまた面識がまだなく、我が学園の強さランキング的なやつの序列一位であり、そろそろ練習試合で映司に一泡吹かせるであろう一つ上の先輩の、計三人だ。

 

 最初の二人と映司で三人のチームを組み、指導役として序列一位が監督しながら一年目の大会を勝ち抜いていく、といった流れで進んでいき──中盤、ヒロインが二人増えることになる。

 

 伊々月結仁ともう一人。

 レイド以外に原作で明確に“洗脳”という能力を唯一行使する、敵から味方へ寝返るタイプのヒロインである。

 中盤は主人公の映司をクッションにしながら、その二人が確執と衝突の果てに友情を育んでいく物語が中核となり──それで思い出したのが伊々月の過去だった。

 

 こちらの世界へ来たばかりの頃に図書館で見た、五年前に発生したという催眠異能者による大規模失踪事件。

 その事件の被害者には当時初等部だった生徒もいた。

 そして伊々月結仁もその中の一人だった、というのが俺の思い出した内容だ。

 

 あの事件の忌まわしい記憶に加えて、個別の異能が発現する時期を折に高校入学でここへ訪れる俺や映司とは異なり、催眠の異能が明確な“悪”として認識されているこの都市で幼いころから過ごしていた影響でトラウマがより強く彼女の中に根付いてしまった。

 

 それが催眠系の異能者である俺をただ嫌うだけでなく、あの戦いの場で反射的に拒絶を見せてしまった真相である。

 ……俺という個人がただ死ぬほど嫌われているとは考えたくないが。そうだった場合は素直に反省して一週間ほど引きこもり、今一度自分の人間性を顧みよう。

 

 

 

 

 ──あれ。

 

「あ、おはようラルオット君」

「…………伊々月さん?」

「寮に戻るんだよね。荷物持つから一緒に帰ろ」

 

 ようやっと退院する休日の昼頃。

 病院を出た出入り口付近には、見覚えのある制服の少女が待ってくれていた。なんでいんの。

 

「はい、カバンを貸して」

「え、あっ、あぁ……うん、どうも」

 

 そのまま流れで荷物を彼女に任せてしまい、二人で歩きながら帰路に就くこととなってしまった。

 これはいったい何が起きているのだろうか。

 腕の怪我に関しての誤解は以前の見舞いの際に解いたはずだったが。

 

「なあ、伊々月さん。前にも言ったけど……」

「怪我のことじゃないよ」

 

 俺の言いたいことを察していたのか、言葉を遮って反論する伊々月。

 両手でカバンを持ち、歩道を歩きながら彼女は微笑みを浮かべながら続ける。

 

「あの時、人質になってた私を助けてくれたお礼……してないし」

 

 あえて罪滅ぼしではなくあの戦いの場での行動に対する感謝だと言い切る彼女の表情は、自信なく迷っていた先日の時とは異なりどこか晴れ晴れとしている。

 お見舞いの後の数日間に何があったのかは分からないが──多少の心の整理はついた、のかもしれない。

 

「それから、あとひとつ」

 

 今度は首をこちらへ向けてしっかりと俺の眼を見つめた。顔つきも真剣なものだ。

 

「普段の態度とか……バイトの時とか、入学式なんかハンカチまで届けてくれたのに……冷たい態度をとって、ごめんなさい」

「えっ……」

 

 まさか改めて普段の対応について謝られるとは思っておらず、恥ずかしながら動揺してしまった。

 良くも悪くも周囲に同調して生きていくのが高校生であり、平穏に過ごしていくならそうするべきであるはずだが、どうやら彼女はその輪から外れて一歩こちらへ歩み寄ってくれたらしい。驚きはしたがかなりシンプルに嬉しい。

 

「アレに関してはほんっとに、マジで私の性格が悪いだけだったから……本当にごめん」

「い、いや、別にもう気にしてない。今こうして普通に話してくれてるし、ノートも貸してもらったし……」

 

 こと催眠に関してはあの事件の当事者だった影響で、一般人の何倍もの恐怖心を持っている。

 それこそ実感を伴う本物のトラウマを。

 そも隣で会話をするだけでも相当に神経を削っているはずだ。

 

「助けてくれたお礼やノートの件とは別に、なにかちゃんとしたお詫びもさせて。ほんと、どんな事でもいいから」

「ちょっと待ってくれ、気持ちは嬉しいが……俺といると変な噂を流されるぞ。ただでさえ普段から不審者みたいな扱いなんだ。伊々月さんも何を言われるか……」

「じゃ、じゃあっ、私も不審者でいいっ」

 

 え待ってそうなっちゃうの。とりあえず一旦冷静になろう。

 いや本当にこの態度マジ? 謀ってない?

 まさかここまで距離を詰めてくれるとは思わなんだ。やはり彼のヒロインになるだけあって根は善良なのか。

 

「ん゛んっ……あのな、伊々月さん。こう言うとアレなんだが、俺がキミを催眠してるんじゃないかって思われる可能性も出てくる。俺のほうは構わないが、伊々月さんの友達とかが心配して躍起になったりしたら大変だろ?」

 

 今のは全部本音です。ただでさえ正史ではそういう仲間を増やしてたヤツだ。人相も悪いしそういうイメージも抱きやすい。

 鳴海や映司など同じ男子であればまだギリギリ『変な友達がいる』くらいの感覚で俺を扱えるかもしれないが、イフリーティアや彼女のような女子はマジで言い訳が叶わない。何もしなくともナニかしたことにされるに決まっている。

 

「……でも、何もしてない……ううん、クラスのみんなを助ける為に戦ってくれたラルオット君が嫌われ続けるなんて……」

「っ──」

「……ごめん、私の言えた義理じゃないよね」

 

 こんな展開になるとは思ってもいなかったが、態度を見るに俺が思っている以上に向こうは本気らしい。

 俺自身の評判は一旦置いておくとしても、自分が奇異の視線に晒されることも厭わないという強い意思を見せてくれた相手に対して、ただ否定的な反応を見せるだけでは不誠実というものだろう。

 

「……ありがとう、伊々月さん。でも周囲からの俺自身の評価は自分で少しずつ何とかしていくよ。一朝一夕でどうにかなるもんでもないしな」

「……そっか」

「でも──」

 

 多少の罪悪感はあるのだろう。俺がそこにつけ込もうとしている、と言われたら否定するのは難しい。

 だが、きっかけなど最早どうでもいいのだ。

 どうあれ俺と“縁”を繋ごうとしてくれている。

 だからこそこちらも相応の誠意をもって応えさせてもらおう。もう彼女は他人ではないのだ。

 

「さっきの言葉は本当に嬉しかったんだ。だから、ありがとうな」

「ラルオット君……」

 

 一度立ち止まり、伊々月の瞳を真っすぐに捉えながら伝えた。

 いまの言葉が伊々月にとってどれほどの意味を持つのかは分からないし、彼女とあの少年の仲を邪魔せずに上手く付き合っていける自信もあまりない。

 それでも目の前の少女と友人になりたいと思ってしまったのだ。

 もしコレが今後紡がれている物語にとって大きな間違いだったとしても。

 

 きっと俺は、この選択を後悔することはないだろう。

 

「改めて……友達としてよろしく、伊々月さん」

「……うん」

 

 差し出した手をそっと握り返し、温かい微笑を浮かべて彼女も応えてくれた。

 

「こちらこそよろしく、ラルオット君。……あと、ありがと」

 

 幾多の意味が込められた感謝を受け取りつつ、少女の白く柔らかい手を優しく放した。下心があるとは思われたくないため。

 ……正直、年甲斐もなくかなりドキドキしてしまった。はわわ、これが青春というものなの……?

 

「えと、ラルオット君」

「うん?」

「往来で一緒にいるのがマズいならさ。……こっそり会うとかはセーフなのかな。図書館とか、バイト終わりとか」

 

 少しだけ屈み、俺の顔をそっと覗き込みながらそんな質問を繰り出してきた。衝撃。

 なんでそんな男心をくすぐるような言い回しをするんですかお嬢さん。そろそろこちらの余裕が無くなり始める頃合いですよ。

 

「それは……まぁ。……えっ、いやでも、こっそり会ってどうするのさ」

「ノートの書き写しは私がやるって言ったじゃん」

「……そういえばそうだった」

 

 脳内がピンク色になりかけていた自分が恥ずかしい。秘密の集会で恋バナでもすんのかなとか意味不明な考えをしていた自分を殴りたい。

 

「まぁノートに関してはお詫びだから、助けてくれたお礼は別のことで改めてさせてほしいかな。助けられっぱなしじゃ悪いし」

「そこまで言うなら……」

「あっ、腕一本じゃ私生活大変でしょ」

「いやそんな介護してもらうほどではないからな? 普段の生活は自分で何とかするし……うーん」

 

 特にこれと言って彼女にやってほしいことは……ないワケではないが、要求の内容によっては普通に引かれるだろうし、天文学的な確率を突破して奇跡的に獲得できた数少ない友人としての好感度をここで取りこぼしたくはない。

 選択を間違えるな、俺。ここが一番の正念場だ。

 ……なんかもう無難なことを言っておこう。ここで冒険する勇気はないわ。

 

「それなら……リハビリとか、トレーニングに付き合ってくれないか。一応アリーナの出場を諦めたわけではないし、体を鈍らせたくないんだ」

「わかった、そんなことでよければ全然」

 

 とはいえ俺とチームを組んで出場してくれる仲間がいるかどうかはあまり自信もないのだが。唯一誘えそうな鳴海は取材とか動画のマスコミ側だしほぼ絶望的と言っていい。

 なので言ってはみたものの先ほどのはただの口実だ。

 

「トレーニング……──あっ、なるほど」

 

 なにやら顎に手を添え一人で納得した様子の伊々月。どうしたのだろうか。

 

 

「それってつまり……()()()()()()()()()ってことだよね?」

 

 

 ──いや違う違う全然ちがう!!!!!

 

「まっ、ちょっ、ごめん誤解だ、俺が言葉足らずだった。別にそういうわけでは……」

「遠慮しなくても大丈夫。力になるって決めたんだし、半端な真似はしないから」

「いやっ、でも……その、怖いだろシンプルに。催眠術だぞ? 一時的とはいえ洗脳だ。それに場合によっては催眠にかかってる間の記憶なんかも消えてしまうんだぞ」

「それは……そういうものなんじゃないの? 催眠って」

 

 ワタワタと狼狽してしまっている俺とは対照的に、なぜか伊々月は落ち着き払っている。

 どうしてこんなに余裕の差が生まれてしまっているんだ。

 まさか俺をこの短期間で信用しきれたわけではあるまい。腕一本を引き換えに庇っただけでそれ以上のことはしてないし、そもそもあの事件を解決したのも俺ではないし、マジでどうなってる。

 

 というかトラウマ持ちの伊々月がそんな提案をすること自体が意外なのだが、そもそもそんな提案をして平気なわけ──

 

「あっ……伊々月さん?」

「な、なに?」

「いや、肩が震えてるぞ……顔もちょっと赤いし……」

「っ! ちがっ、別に……ちょっと緊張してるだけだから……!」

 

 やっぱ強がってただけかよ緊張してるじゃん平気じゃないじゃん。

 

「私のトラウマというか……苦手意識の克服にも繋がると思うの。だからだいじょぶっ」

「どう見ても大丈夫じゃないって……」

「ホントに平気……! その……ぇ、えっちなこととかじゃなければ、なんでも! ばっちこい!!」

「ちょっ、マジで落ち着いて! 往来であんまりそういうこと大声で言わないでっ!?」

 

 どう考えても混乱していらっしゃる。リンゴみたいに耳まで真っ赤でお目目もなんかグルグルしてる気がするし──これどうやって収めればいいの!? こわいよぉ! 鳴海たすけて……っ!!

 

 

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