ええ、皆様、ご機嫌いかがでございますか。ご機嫌、と申しましても、この身にまとわりつく熱気ときたら、どうにもこうにも。熱、でございますよ、熱。四十度、と申しましても、この数字ときたら、どうにも言うことを聞かない。ええ、聞かない。
先日、でございますよ。
私は体温計を挟みました。
ええ、一本。
ところが、翌日には二本になっておりましてね。一本は赤、もう一本は…いや、もう一本は、どこまでも続く、無限の白でございました。そう、無限。それがね、次の日には三本、四本と増えていくんですな。枕の下を開ければ体温計、布団をめくれば体温計、湯船に浸かれば、そこにも体温計が浮いておりまして。
いやはや、これはもう、病院でも開いた方が、などと考えておりましたら、ふと、気づいたんですな。
この体温計、どれもこれも、目盛りが動かない。
ええ、そうなんです。目盛りが動かないんです。ただひたすらに、ガラスと水銀ばかりで。
だからいくら増えても、熱を測ることができない。ただそこに、存在しているだけ。体温計でありながら、体温計ではない。これではまるで、そう、この熱のようでございましょう? 上がる、というのに、上がっていない。苦しい、というのに、楽になっている。そんな矛盾を孕んだ、いやらしい状態でございます。
で、ある晩、私は夢を見ました。いや、夢、でございますから、夢なんですな。
私は一匹の氷になっておりました。ええ、氷。カチンコチン、でございますよ。体には、立派な角を背負って。その角が、どうにも熱い。熱くて熱くて、一瞬で溶けてしまいそう。ああ、この角さえなければ、と恨めしく思っておりましたら、どこからともなく声が聞こえてくるんですな。
「その角は、お前の熱だ」と。
熱、でございますよ。しかし、私は氷。熱は必要ない。いや、必要ないはずなのに、この熱い角が、私の体にぴったりと張り付いている。取ろうとすればするほど、水と一体化していく。ああ、これはもう、角ではなく、私そのものなのだ、と悟った時、私は、私は……
目が覚めると、枕元に、一本の体温計が置いてありました。赤い体温計でございます。目盛りも、ちゃんとついております。しかし、その体温計の先端には、小さな小さな氷が、張り付いておりましてね。溶けない。ぴくりとも溶けない。まるで、体温計の一部になったかのように。
私はその体温計を手に取りました。そして、熱を測る。なのに、私の体温計は、数字を示さない。
いや、示さないどころか、水銀が、体温計の中に吸い込まれていくんですな。ずるずると、音を立てて。そして、体温計のガラスの隙間から、まるで湯気のように、べっとりと、透明な液体が流れ出してくる。それは、汗なのか、体温計の涙なのか、私の熱なのか。
その時、気づいたんですな。ああ、この熱は、私を冷やすためのものなのだ、と。苦しめるためのものではなく、もっと深く、もっと奥底まで、私を凍らせるための道具なのだ、と。
そして、その体温計を握りしめたまま、私は歩き出しました。どこへ行くのか、自分でもわからない。ただ、一歩踏み出すたびに、足元から、ちいさな氷が這い出してくるんですな。一片、また一片と。
そして、私の足跡を、ゆっくりと、しかし確実に、消していく。まるで、私がここに存在しなかったかのように。
やがて、私は、自分自身が体温計になっているような気がしてまいりました。熱に打たれ、そして、熱を吸い込み、すべてを吸収していく。そして、その中に、無限の氷が住まう、巨大な体温計。いや、もはや、体温計でも何でもない。ただ、そこに、存在している、というだけの、わけのわからない何か。
ええ、皆様。この高熱、皆様の体温計は、ちゃんと、数字を示しておりますでしょうか? それとも、私のように、わけのわからない螺旋を描きながら、氷の夢を見ているのでございましょうか?