長野県警の女関羽 作:長野組推し
「油川君。貴方の復讐計画はここで終わり。大人しく出頭してくれるわね?」
「…………ッ!」
どう足掻いても竹田を殺すことは叶わないと突き付けられ、油川は絶望とやり場のない怒りに顔を歪ませる。美羽の額に突き付けられた銃口が油川の荒れ狂う心情を表しているように激しく揺れ動いていた。
「ふざけるな……!」
引鉄を引いてしまいかねないくらいに手を震わせ、油川はより強く銃口を押し付ける。何かの弾みで発砲されてもおかしくない状況に置かれながら、しかし美羽は平静を保ったまま油川を見据えていた。
そんな澄ました態度が余計に油川の怒りを煽る。
「こんなことで、諦め切れる訳がない! どんな手を使ってでも、あの男だけは殺してみせる。貴方を人質にしてでも、他に誰が犠牲になっても構いやしない!」
「そこまでして、貴方は竹田警部を……」
既に詰みの状況でありながら、それでもと叫ぶ油川を美羽は憐れむように見つめる。憐憫の眼差しに対して、油川は今までにないくらい感情を昂らせて答える。
「貴方に分かりますか? 艶子のような犠牲者を少しでも減らせたらと刑事を志したのに……その艶子を殺したのが、よりによって刑事が横流しした銃だったと知った、僕の気持ちが! 貴方に分かりますか!?」
それは油川という刑事の心の絶叫だった。確かな志を抱いて刑事を目指した一人の男の悲痛な叫びだった。
涙を零しながら叫ぶ自分よりも若い刑事を、美羽は目を逸らすことなく真正面から見つめる。怯えることなく、逃げることなく。溢れ出たその想いと真正面から向き合って、静かに答える。
「分かんないわよ。どんな理由があれ、刑事としての本分を捨てて殺人に走るような人間の気持ちなんて、分かりたくもない」
「────ッ!」
「貴方が本当に艶子さんのような犠牲者を減らすために刑事になったのなら、竹田班に復讐するのではなくその罪を明らかにするべきだった。そして同じようなことが二度と起きないよう、刑事としてこれからも職務に励むべきだった……」
「それは──」
「貴方は自己満足のために、貴方が未来に救えたかもしれない悲劇を捨てたのよ」
「う、うるさい!」
美羽の容赦ない正鵠を射た言葉に油川は否定の言葉を持ち合わせず、湧き上がる感情をそのまま叩き付けることしかできない。
「もう今更、何を言われようと止まれやしないんですよ!」
「そう……残念ね」
説教も説得も聞く耳を持たない油川に、美羽は心の底から落胆したように目を伏せる。言葉で止められない以上、実力行使で止める他ない。
美羽が袖口の盗聴器をさり気なく指で叩くと、抵抗の気配を感じた油川が拳銃の撃鉄を起こした。
「無駄ですよ。いくら一関刑事が女関羽だとか持て囃されていても、零距離の発砲を避けられるはずがない。大人しく、竹田を殺すまで人質になってもらいますよ?」
「私を人質にしたところで、竹田警部を殺すことなんてできる訳がないことくらい、少し考えれば分かることでしょうに……しょうがないわね」
変わらず額に銃口を押し付けられながらも美羽は不敵に笑ってみせた。自分の命が危険に晒されていながら笑うその異常な精神性に、油川の僅かに残った理性が恐怖を訴える。
不敵に笑いつつも意識を銃口に集中させる美羽。その視線が一瞬、車の後方へと向けられた。
「ところで油川君、これは善意からの忠告だけど……車を停める時はもっと路肩に寄せておいた方がいいわよ。車通りが少ないからって油断していると、後ろから衝突されることもあるんだから」
「は、こんな時にいったい何を──」
脈絡もない美羽の忠告を鼻で笑おうとして──後ろからの突き抜けるような衝撃に油川は大きく体勢を崩した。誰かが停車していたこの車に車ごと突っ込んだのだ。
予想だにしない衝突に体勢を崩した油川の注意と銃口が大きく逸れる。その隙を美羽が見逃すはずもなかった。
一瞬で銃を握る油川の手に組み付くとそのまま銃口を天井へと掲げさせる。そして引鉄に掛けられた油川の指を無理やりに引かせた。乾いた発砲音が一つ、二つと連続で続く。
カチッ、カチッと撃鉄が空を叩く音が響く。都合五発の弾丸を撃ち尽くした拳銃はもはやただの鈍器と変わらない。
「くそっ、この──」
拳銃を無力化された油川は苛立ちながらグリップで殴り掛かろうとする。しかし美羽に手首を掴まれており、思うように殴り掛かることができない。逆に美羽に力尽くで手首を引き寄せられ、今度は前のめりに体勢を崩す羽目になった。
美羽に向かって倒れ込む油川。その顎先を寸分の狂いもなく美羽の肘打ちが掠める。恐ろしい精度で放たれた肘打ちは顎を起点に脳を揺らし、油川の意識だけを的確に刈り取った。
がくりと意識を失った油川を受け止め、美羽はもう聞こえていないことを承知の上で呟く。
「油川君。貴方の失敗は長野きっての切れ者であるコウメイと敢助を敵に回したこと。そして女関羽と持て囃される私を、手錠一つで無力化した気になっていたことよ」
長野の軍師二人と女関羽を敵に回した時点でこの結末は定められていた。油川が県警に配属されて日が長ければ、計画を強行する以前に無理筋だと気付いていたことだろう。
完全に意識を失った油川を見下ろし、美羽は遣る瀬無いとばかりに深く溜め息を吐いたのだった。
▼
油川に自分の手錠を掛け、奪われていたスマホを取り返す。そして車の鍵も取り上げた上で美羽は外に出た。
気絶した振りで凝り固まった身体を伸ばしていると、追突している車の側に立っていた高明が歩み寄ってきた。
「ああ、コウメイ。さっきはありがと。おかげで油川君を無事に取り押さえられたわ」
先の追突は美羽の合図に従って高明が意図的に引き起こしたもの。盗聴器の範囲内を維持しつつ追跡をしていた高明は、会話の内容から状況を察し美羽の求めに応じて突撃を仕掛けたのだ。
呑気に感謝の言葉を述べる美羽に対して、高明は無言で距離を詰める。いつになく険しい顔付きで有無を言わさない圧を纏う上司に、美羽は思わず身を竦め一歩後退った。
「こ、コウメイ? もしかして、怒って──」
「──美羽」
怒気混じりの低い声音で呼ばれ、美羽は反射的に逃げようとする。しかし両手に掛けられた手錠の鎖を掴まれてしまい、逃走を完全に封じられてしまった。
「当初の予定では、油川刑事が襲ってきた時点で逮捕する手筈だったはず。それが何故、拉致誘拐されることになったのか。説明して頂けますね?」
「そ、それは……自分が圧倒的に優位な状況なら、口も軽くなると思って……」
「丸腰の状態、それも拳銃を突き付けられながら油川刑事を刺激するような発言をした意図は?」
「つ、ついというか……撃たれても、私なら躱せるし大丈夫だと思って……」
零距離でも銃弾を躱せるなどという頭のおかしい発言を素面でする部下を、高明は厳しい眼差しで見下ろす。前々から無茶無謀をする
益々圧が強くなる高明に美羽は割と本気で泣きが入りそうだった。普段はお調子者で人をおちょくる巫山戯た振る舞いをしているが、身内から真剣に怒られるのには弱いのだ。なまじ非が自分にあり、高明が自分の無茶を心配して怒っていることが分かるからこそ、歯向かうことも反論もできなかった。
「ご、ごめんなさい……」
震える声で美羽は謝罪の言葉を絞り出した。そこに女関羽と謳われる女傑はおらず、独断で無茶をやらかしたことを叱責される女刑事がいた。
しばし無言で美羽を見下ろす高明だが、やがて疲れたように息を吐くと圧を緩め、美羽の両手に掛けられた手錠を持ち上げる。もう一方の手には手錠の鍵が握られていた。
「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾れ与にせざるなり。自らの身を省みようとしない者を部下に置くつもりはありませんよ」
「…………」
辛辣な言葉に美羽はずーんと肩を落とす。しかし続く言葉に顔を上げた。
「君が常識の埒外にあることは重々承知していますが、君もまた私たちと変わらない生身の人間です。傷を受ければ血が流れ、無理を重ねれば倒れる。そのことを努々忘れないよう、肝に銘じておくように」
「…………?」
手錠の拘束から解放された美羽は数秒程首を傾げ、それが高明なりの忠告であることに思い至るとこくこくと頷きを返す。いつになく素直な美羽の態度に高明は険しかった表情を緩め、満足そうに微笑んだ。
三枝と鹿野を殺害した犯人である油川は確保した。竹田班唯一の生き残りであり、銃の横流しの首謀者である竹田も今頃は敢助を含む一課の刑事たちに厳しく搾られていることだろう。
今回の事件はこれにて全て終幕。ただ一つの懸念を残して──
「──ん、電話?」
油川から取り返したスマホに着信が入り、美羽は特に考えることもなく応答した。
「はい、もしもし……ああ、敢助じゃない。そっちは上手くいった? 竹田警部は……え、本当?」
電話の相手は県警本部にて竹田を抑えていた敢助だった。竹田の取り調べの首尾はどうかと尋ねた美羽だったが、敢助から齎された朗報に目を見開き、次いで喜色満面の笑みを浮かべて高明を見上げる。
「はい、はい! 分かった、油川君を引き渡したら私たちもすぐに向かうわ!」
声を弾ませて通話を切った美羽は、今一つ状況を理解できていない高明にサプライズと言わんばかりに告げる。
「由衣ちゃんのが意識が戻ったって! 受け答えもはっきりしているみたいで、後遺症の類も心配ないそうよ!」
「それは、本当に良かったです……」
ほっと安堵の息を吐く高明。敢助と美羽と比べれば分かりづらいものの、高明も相当に由衣の安否を心配していたのである。後遺症もなく意識回復したというのであれば、肩の荷が下ろせるというものだ。
可愛い妹分が目を覚ましたとあってはじっとしていられない。美羽は今すぐにでも由衣の元へ駆け出したい気持ちを必死に抑え、応援の刑事が到着するのを待つ。
「ああ、早く由衣ちゃんのお見舞いに行きたいっていうのに、応援の刑事たちは何してんのよ?」
「さて、君と油川刑事の会話を聞いた一課の面々が向かっているとは思いますが。もう暫くは掛かるかと」
「くっ、やっぱりここはコウメイに任せて私一人だけでも……」
「美羽……」
阿呆なことを宣う部下兼幼馴染を半眼で見下ろす高明。つい先程までの叱責からの凹みようは何処にやったのか、美羽はわざとらしく目を逸らすと口元を手で隠す。
「おっと失言が。冗談よ、じょーだん。可愛い部下のちょっとした冗句じゃない」
「……可愛い?」
「喧嘩なら言い値で買ってあげるわよ?」
はて、と首を傾げる高明の脇腹に美羽は大変イイ笑顔で肘撃ちを入れる。すっかり普段の調子を取り戻した幼馴染に高明が内心で笑っていることには、美羽も気付いていない様子だ。気付けるのは付き合いの長い敢助と、その手の機微に敏い由衣くらいだろう。
子供のような絡み方をしてくる美羽の肩を片手で抑えつつ、高明は由衣の回復に浮足立つ美羽を諭す。
「焦ったところで由衣さんの容態が良くなるわけでもない。彼女も、余り慌ただしい様子で来られては迷惑かと。それに──」
ふっと高明は笑みを零すと愉し気に続ける。
「──一番最初の見舞いは、彼に譲ってあげるべきでしょう」
高明のその言葉に美羽ははっと目を見張り、次いでくすくすと悪戯っぽく笑う。高明の意図を正しく理解し、その考えに納得したのだ。
「それもそうね。私たちは時間を改めて向かうとしましょうか」
散々文句を言っていたくせに高明の言葉一つで美羽はころっと態度を変え、機嫌良さそうに鼻歌を歌い始める。分かりやすくご機嫌な美羽を、高明は呆れ混じりに眺めるのだった。
▼
夕陽に照らされる白い病室。ベッドの上で眠る由衣は全身至る所を包帯で覆われ、腕はギプスで固定されている。
痛ましい由衣の姿を敢助はベッド脇の椅子に座って見つめていた。由衣が一度目を覚ましたとの一報を受け、同僚の刑事たちに背を押されるような形で病院に駆け付けたのだ。
敢助が大慌てで駆け付けた時には、由衣は再び眠りに落ちた後だった。傷付いた身体の回復に体力の大半を注ぎ込んでいるようで、目が覚めて少しばかりのやり取りを医者と交わすとすぐに眠ってしまったらしい。
擦り傷だらけのあどけない由衣の寝顔をしばらく見つめ、敢助は病室を後にしようと立ち上がる。上司で幼馴染とはいえ、無防備な姿を男に見られるのは由衣とて嫌だろうという気遣い故だった。
ベッドで眠る由衣に背を向けたところで──小さく掠れ気味の声が敢助の背を呼び止めた。
「敢ちゃん……?」
ベッドの上で由衣が薄瞼を開いていた。気怠げな瞳が慣れ親しんだ人の背中をじっと見つめている。
「悪い、起こしちまったか」
「ううん。ちょっと、目が覚めただけ」
「そうか」
帰ろうとした足を戻し、敢助は再び椅子に腰を下ろす。思ったよりも由衣の顔色が良さそうで、敢助は内心で胸を撫で下ろした。
「身体の具合はどうだ? 痛んだりするか?」
「全身あちこち痛くって、泣いちゃいそうかも」
冗談めかして言う由衣だが、全身の痛みは冗談ではなく事実だ。麻酔で多少なりともマシになっているものの、今も鈍い痛みが身体中を覆っている。
「長い休暇と思って、しばらく安静にしておけ。後のことは俺たちがやっておく」
「うん……ねぇ、メールのことだけど」
目を覚ましてからずっと気になっていたのだろう。警察内部の裏切り者を示唆するメッセージを受け取った敢助たちは、その後何をしてどうなったのか。自分の惨状を棚に上げて由衣は尋ねた。
こんな時にも刑事の
「回復したらお前にも話してやるから、怪我人は治療に集中しとけ」
「そんな言い方しなくてもいいじゃない……」
由衣は拗ねたようにむすっと頬を膨らませて顔を僅かに逸らす。身体だけではなく心も弱っているのか、いつもより子供っぽい仕草と物言いに敢助は思わず含み笑いを溢した。
しかしすぐに笑みを引っ込めると、いつもの厳しい顔で文句を言い始める。
「大体なぁ、なんだって俺たちに一言も相談せずに一人で捜査した? 危ないだろうが」
「だって……確証もなかったし、警察内部に銃を横流しするような人間がいるなんて、信じたくなかったから」
由衣としては勘違いであってほしかったのだ。市民の安全を守る警察が治安を脅かすような真似に手を染めているなどと、あってほしくなかった。
しかし調査を進めていくうちに疑惑は確信へと変わり、敢助たちに協力を求めようとした矢先に轢き逃げの憂き目に遭ってしまったのだ。
「それでも、だ。お前が轢かれたって聞いて、コウメイも一関も血相変えて病院に駆け付けたんだからな」
「……敢ちゃんは」
「……あ?」
「敢ちゃんは、心配してくれなかったの?」
不安と寂しさに揺れる瞳が敢助をじっと見つめる。見つめられた敢助は驚いたように目を丸くし、返答に困ったように視線を泳がせた。
しかし由衣の切実な眼差しにやがて耐えかね、気恥ずかしさを誤魔化すように頭を掻きながら答えた。
「ばーか……心配したに決まってんだろうが」
悪態と照れ交じりに告げ、敢助は目を瞬かせる由衣を真正面から見つめて続ける。
「だから、これに懲りたらもう二度と、俺の傍を離れるんじゃねぇぞ。いいな?」
「……うん!」
擦り傷だらけの顔を満面の笑みに変えて由衣は嬉しそうに頷いた。子供のように無邪気で眩しい笑顔を前に、敢助もまた目を細めて笑みを零した。
夕陽に照らされる病室の中。幼馴染二人はかつての子供時代に戻ったように笑い合う。誰の邪魔もなく、二人だけの優しく穏やかな時間がゆっくりと過ぎていった。
そんな病室の外、扉の前には美羽と高明がいた。美羽は人目も憚らず扉に耳を当ててにやにやと笑い、高明はそんな出歯亀を呆れ混じりに見下ろしている。
「ふふっ、敢助にしては攻めたじゃない。そのままもっと、大胆に……」
「なんとはしたない」
「うっさいわよ。コウメイも盗み聞きしていたくせによく言うわよ」
ジト目で美羽が見上げると、高明は素知らぬ顔で笑みを零してその場から踵を返す。えっ、と驚いた美羽が慌てて後を追う。
「ちょっと、まだ由衣ちゃんの顔見てないんだけど」
「あの二人の間に割って入るつもりで?」
「……馬に蹴られる趣味はないわよ」
滅多に素直な心を見せることのない敢助がその心を晒したのだ。由衣も想い人との二人きりの時間にもう暫くは浸っていたいことだろう。空気の読める姉貴分を自称する美羽は大人しく出直すことに決めた。
「じゃあまた明日ね。お土産でも用意して来ましょう」
「それがよいかと」
高明も素直に肯定の意を示した。
肩を並べて病院の通路を往く二人。近くに美味しい蕎麦屋があるからと美羽が誘って、高明が今日はパスタの気分などと宣って話の腰を折る。上司と部下にしては近い、幼馴染の二人は仲睦まじいやり取りを交わしながら病院を後にするのだった。
県警の黒い闇編はこれにて終了です。