長野県警の女関羽 作:長野組推し
美羽たちが人目に付かない場所として選んだのは適当な廃ビルの一つ。爆弾が仕掛けられていたのとは違うビルだ。
荒れ放題の一室にて美羽と景光は向き合う。負傷した降谷はこの場に居るものの基本的に口を挟むつもりはないのか、壁際に座り込んで傍観の姿勢を決め込んでいる。
「久しぶりだね、姉さん。元気そうで何よりだよ」
「そっちもね。一方的に警察を辞めたとか言って音信不通を決め込んでいた割に、随分と元気そうじゃない?」
美羽の棘のある声音と目に景光は苦笑いで顔を逸らす。事情があったとはいえ美羽と兄である高明に心配を掛けたのは事実。負い目や罪悪感が景光の胸中を渦巻いていた。
事情を何処まで、どうやって説明するべきか。景光が悩んでいると、その苦悩を察したように美羽が小さく嘆息を零して話を切り出した。
「警察、辞めていないのね」
「……ああ、今は──」
「──公安所属の刑事として活動しているんでしょう?」
図星を突かれた景光が大きく目を見開く。高明ならまだしも、美羽に見抜かれているとは思ってもみなかったのだ。
「気付いていたんだ、姉さん」
「察しが付いたのは最近だけど。コウメイが捜索を打ち切った割に心配した様子がないこと、東京へ来る度に監視するような視線を感じること、これだけ材料が揃えば私にだって分かるわよ」
高明は警視庁で一通り話を聞いたあたりで確信したのだろう。そして監視の視線は公安のもの。美羽が余計な真似をして景光が従事している任務に支障を来たさないよう、監視していたのだ。
「あのインテリちょび髭は全部察した上で、私に黙っていたみたいだけどね」
脳裏を過ぎる幼馴染の顔に美羽は胸中で不満を零した。
「兄さんも悪意があって伝えなかったわけじゃないと思うよ。多分……」
「機密性の高い公安の立場を配慮したんでしょ。分かってるわよ。コウメイの方が大人で、諦めの悪い私の方が子供だってことくらい」
公安所属となったために身内にまで警察を辞めたことにした景光。その立場を鑑みれば、高明の対応は何一つとして間違っていない。むしろ感情を優先に景光の行方を追い続けた美羽が理屈の上では間違っている。
しかし──
「心配して当然じゃない。あんな事件があって以来、一度も会っていなかったんだから。せめて、元気な顔くらいは見ておきたかったのよ」
諸伏夫妻が殺害されて兄弟バラバラとなってしまった高明と景光。高明は東京の大学に通っていた時に再会していたようだが、それも一度切り。美羽に関しては高明を通した文通程度でしかやり取りがなかったのだ。
姉ちゃん姉ちゃんと慕ってくれていた弟分を美羽も大層可愛がっていた。東京で警察になって頑張っていると聞いて、その内顔を見に行こうかなんて呑気に考えていた矢先に、警察を辞めて失踪である。せめて元気な姿くらいは見ておきたいと思うのも仕方ないだろう。
「姉さん……」
物憂げに視線を落とす美羽に、景光は罪悪感やら申し訳なさが迫り上がってくる。ただ同時に、美羽から向けられる心配や不安の感情に思うところも多々あった。
景光はほんの僅かに逡巡してから顔を上げる。美羽の抱く心配や不安を全て吹き飛ばすくらいの笑顔を浮かべ、今日まで会えなかった分も含めた思いの丈を吐き出す。
「大丈夫だよ、姉さん。色々と大変なことは沢山あるけど、俺は普通に元気にやってるからさ」
「ヒロ……」
「もう姉さんに守られなくても大丈夫。だから、心配しなくていいんだ」
「……ふふっ、みたいね」
安心したように、しかし何処となく寂しそうに美羽は柔らかに微笑む。野生児同然だった頃の姿で記憶が止まっている景光は、凄まじいギャップの破壊力に目を見開き息を呑んだ。
景光が衝撃を受けていることなど露知らず、美羽は肩の荷が降りたように息を吐いた。
「それにしても、随分と立派になってまあ。あんなに小さかったヒロが今や私よりも大きくなっちゃって……」
「……いつの話をしているんだよ」
感慨深いとばかりに弟分を見上げる美羽に、やっとのことで意識を引き戻した景光が苦笑った。
「あの日以来、東京でどんな風に過ごしたのか、今何処で何をしているのか、色々と話を聞きたいわね」
「俺もそうしたいのは山々なんだけど……」
景光の視線が壁際で休む降谷に向けられる。視線を感じたのか降谷は気怠げに顔を上げると、仕方ないとばかりに肩を竦めた。
「三十分で切り上げろよ、ヒロ。それ以上は、怪しまれる」
「ありがとう、ゼロ」
嬉しそうに破顔する景光にふっと微苦笑する降谷。気心知れた様子の二人の仲を見て美羽は不思議そうに小首を傾げた。
「さっきの二人もだけど、随分と仲が良さそうね」
「ああ、兄さんに送った写真を見たなら知ってるかもしれないけど、警察学校の同期なんだ。中でもゼロは東京でできた幼馴染で、大親友なんだ──」
それから景光は離れ離れになってしまった時間を埋めるように、東京での思い出話を語る。子供のように無邪気に、楽しそうに、嬉しそうに──
聞き手に回る美羽は嫌な顔一つ見せず、大きくなった弟分の姿を微笑ましげに見つめている。まるで本当の姉のように優しく穏やかな表情だった。
壁際で美羽と景光の様子を眺めていた降谷は、不意に二人の姿が幼い少年と少女のように見えた。それは一瞬の錯覚であり、瞬きをした時には見知った大人の姿になっていたが、二人を取り巻く空気だけは変わっていなかった。
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「それじゃあ、私は此処で。またいつか、今度はコウメイも交えて会いましょう」
「ああ、またいつか。兄さんのこと、よろしく」
「言われるまでもないわよ」
話し合いの場として利用した廃ビルの前。名残惜しい気持ちを振り払い、美羽は景光と降谷に別れを告げた。
離れていく美羽の後ろ姿をじっと見送る景光。ある程度で休んだことで自力で立てるようになった降谷は、親友の横顔に滲む寂寥の色を見逃さなかった。
「よかったのか、ヒロ。彼女のこと、本当は──」
「いいんだ、ゼロ。姉さんは強いけど、あれで繊細なところがあるから」
弟分として可愛がっていたとはいえ、十年以上も会っていなかった景光を探すためにこの広い東京を当てもなく探すのは普通ではない。美羽は身内、特に大切だと決めた相手に対して入れ込み過ぎるきらいがあるのだ。
「それに、姉さんにとって俺は弟分、兄さんの弟だから大切なんだ。それくらいは俺だって分かってるさ」
「それだけとは思えないが……」
「ああ、それは──」
降谷の疑問に対して、景光は過去の記憶に想いを馳せる。両親が殺害され、クローゼットの中で一人震え怯えていたあの日のことを。
殺人犯が家を去った後も景光は隠れていたクローゼットから出ることができなかった。恐怖とショックに涙を流し、一人で震えることしかできなかった。
そんな景光を一番最初に見つけたのは高明ではない。高明は中学の林間学校で翌日まで帰ってこなかったからだ。
諸伏宅の異常に気付いたのは美羽だった。
諸伏宅の玄関先に争った形跡を発見した美羽が血の海となった殺人現場に踏み込み、クローゼットの中に隠れていた景光を助け出した人物だ。
美羽はクローゼットの中で真っ青な顔で震える景光を見つけるや、形振り構わず抱き締めて必死に声を掛けた。
『大丈夫、怖くないから。ヒロは私が絶対に守ってやるから──!』
何度も、何度も。景光の震えが止まるまで、涙が渇くまで何度も。美羽は景光の心が砕けてしまわないよう、繋ぎ止めようと必死に声を掛け続けた。美羽の通報を受けた警察が駆け付けた後もずっと。
林間学校から高明が帰ってきてからはそちらのフォローにも奔走し始めたので付きっ切りではなくなり、間もなく東京の親戚に引き取られることになってバラバラになってしまったが。それでも美羽は、ショックで声を失ってしまった景光を高明共々傍で守り支えようと奮闘していた。
美羽が景光に固執していたのは、あの日の約束を守るため。絶対に守ってやるからと言いながら、離れ離れになってしまったことで約束を果たせなくなってしまったことを、美羽はずっと気に病んでいたのだ。
だがその約束ももう必要ない。景光はもうクローゼットの中で震えていた子供ではない。美羽に守られるだけの弟分は卒業したのだ。
美羽も先のやり取りで景光の成長を実感したのだろう。もう守る必要はないと納得したはずだ。だから、美羽が景光を探して東京へ来ることもないだろう。
美羽の背中が表通りの雑踏に消えていくのを見届けて、景光は柔らかく微笑む。そして隣の親友に、大したことはないと首を横に振った。
「行こう、ゼロ。俺たちには俺たちの、果たさなくちゃならない使命がある」
「分かってるさ、ヒロ」
景光と降谷は踵を返し、人気のない暗い道へと進んでいく。大切な人たちが生きるこの国を守るため、今日も二人は危険な任務に身を投じる。その果てにどんな結末が待っているかも、知らないまま──
▼
「諸伏警部、ちょっと」
それは給湯室の前を通り掛かった時のこと。人目を忍ぶように控え目な声で高明を呼び止めたのは、こそこそと給湯室の陰から顔を覗かせた由衣だった。
こっちに来てとばかりに手招きする由衣に首を傾げながら給湯室に入った高明は、狭い給湯室内に身を潜める一課の刑事たちに目を丸くした。その顔触れの中には呆れ顔の敢助もいる。
「どうしたんです、こんな大所帯で」
「どうしたはこっちの台詞よ、こっちの」
リハビリを終えて職場にも完全復帰した由衣が、親指で一課のデスクを示す。由衣が指し示す先にいるのは美羽だった。
美羽は自分のデスクで事件の報告書を纏めていた。それだけならいつもと変わらないのだが、その様子が妙だった。
「ふふーん──♪」
矢鱈と上機嫌に鼻歌まで口遊みながら書類を手早く纏めていく美羽。普段であれば面倒くさがって後回しにする報告書作成を、上機嫌に手際良くこなしていく。信じられない姿に同僚たちは目を疑い、何事かと給湯室に集ったのだ。
「どうしちゃったのよ、美羽姉さん。あんなに浮かれちゃって……」
「はっきり言って気色悪い」
「敢ちゃん、それライン越えだからね」
敢助のあんまりな物言いに由衣が突っ込むが、この場に集った刑事たちも同意見なのか小さく頷いている。それくらいにはあり得ない、珍しい光景なのだ。
「聞いても美羽姉さんははぐらかすし、諸伏警部なら何か知ってるんじゃないかと思って。どう?」
「ふむ……」
由衣の問い掛けに高明は顎に手を当てて考える素振りを見せる。答えるべきか、内心で悩んでいるのだ。
実は高明も、美羽に直接問い質した後だったりする。その時の返答は、
『コウメイにだけは教えてやんない、絶対に』
と何故か高明を名指しした上で、とびっきりの笑顔を返された。
美羽が矢鱈と上機嫌になったのは数日前、丁度東京へと日帰りで出向いて戻ってきてからだ。その目的が高明の弟である景光の捜索であることを鑑みれば、上機嫌の理由は自ずと浮かび上がる。
恐らく美羽は東京で景光に再会し、自身の抱えていた気持ちに折り合いを付けられたのだ。だからあそこまで分かりやすく上機嫌になっているのだろう。
上機嫌の理由は分かっている。しかしそれを同僚たちに明かすかと言えば、答えは否だった。
高明は上機嫌な様子の美羽を一瞥し、ふっと笑みを零すと芝居掛かった仕草で肩を竦めた。
「さて、私にもさっぱり。もしかしたら、東京で一期一会の運命にでも遭遇したのかもしれませんね」
「……え?」
「はぁ?」
高明のわざとらしい言葉に由衣と敢助を含めた一課の面々は凍り付く。
「では、私は仕事が残っているので」
「ちょ、ちょちょちょっと待って諸伏警部!?」
由衣が慌てた様子で止めようとするが高明は澄まし顔でスルー。平然とした様子で美羽の元へ向かうと、上機嫌に揺れる肩を軽く叩いた。
「美羽、そろそろ聞き込みに出ますよ」
「ん? あぁ、もうそんな時間だったのね。分かったわ」
報告書の作成に一区切りをつけ、美羽は上着を羽織りながら立ち上がった。
美羽と高明が肩を並べて一課を後にする。上機嫌な美羽と、そんな部下を微笑ましげに眺める高明。由衣と敢助たちはそんな二人の背中を呆然と見送ることしかできなかった。