長野県警の女関羽 作:長野組推し
景光は公安所属の刑事として、同じく公安所属の刑事であり無二の親友でもある降谷と共にとある組織に潜入していた。
組織の全容は不明、正式名称すらもが謎に包まれている。各界の有力者や重要人物の暗殺、裏社会の金銭やコンピュータプログラムの取引、正体不明の毒薬や薬物の開発など。その活動は多岐に渡り、規模も規格外。各国の諜報機関がその正体を掴もうとしても掴み切れない、極大規模の犯罪組織だ。
組織の長の正体も不明。顔も性別も、年齢も何もかもが不明。ただ構成員たちから「あの方」と呼ばれ恐れられている。
そのボスに功績を認められた者は幹部として地位とコードネームを与えられ、組織内でもより中枢に近い任務を請け負うようになる。景光と降谷は持ち前の優秀さをもって幹部に昇り詰め、スコッチとバーボンというコードネームを与えられるまでに至っていた。
幹部として組織の中枢に深く潜り込み、潜入調査は至って順調に進んでいた──はずだった。
──景光が公安所属のスパイであることが、組織に露呈してしまった。
裏切者には粛清を。即座に組織からの刺客が送り込まれ、景光は逃げることもままならず絶体絶命の危機に追い詰められてしまった。
刺客として組織から送られたのはライのコードネームを持つ男。幹部の中でも随一の切れ者で、スナイパーとしての腕前は景光を凌ぐ天才。粛清者としてこれ以上の適任はいないだろう。
しかし景光も只では終わらない。情報を得るために生け捕りを目論んだのか、体術で抑え込もうとしてきたライの隙を突き、投げ飛ばされながらも懐からリボルバーを奪い取ったのだ。
無手のライに対して一丁とはいえ拳銃を手に入れた。この場の形勢は逆転したが、しかし景光の目的はライを始末して逃走することではなかった。
景光がスパイであることが割れてしまった以上、もはや逃げ場は何処にもない。今この場だけ切り抜けたところで、組織の追撃を逃れることは到底不可能だ。それは幹部として組織に所属して活動してきたからこそ断言できる。
故に景光が選んだのは──自決の道だった。
胸ポケットに仕舞っているスマホ。そこには公安としての活動履歴や降谷とのやり取り、そして家族や友人に繋がる情報が残っている。この情報端末ごと自らの命を葬り去ることが、景光の選択だった。
躊躇うことなく自決しようとする景光を止めたのは、驚くべきことに刺客として送られてきたライだった。
ライは景光の自害を止め、自らの正体──FBIから潜入しているスパイであることを明かし、同じくスパイである景光を組織から助けようと目論んでいたのだ。
幹部内でも重宝されていたライがFBIのスパイで、剰え自分を助けようとしている状況に景光は驚愕しながらも自決を僅かに躊躇う。ライの力を借りられたならば、組織の目を欺いて逃げ延びることも不可能ではない。
差し伸べられた救いの手を取るべきか迷う景光。しかしその迷いは、階下から迫る何者かの足音によって断ち切られた。十中八九、組織の誰かだ。
如何なライであっても他の組織の目がある中で景光の死を偽装することは不可能。必然的に道は一つに絞られた。
足音にライが気を取られた一瞬、景光は自らの胸に銃口を向けて引鉄を引いた。
銃声が轟き、鮮血が飛び散る。弾丸は狙い過たず胸ポケットのスマホを貫通し、その上で景光の心臓を撃ち抜いた。
迸る激痛と衝撃に景光は足元から崩れ落ちる。遠退いていく意識の中、かつての思い出が走馬灯のように過ぎった。その記憶の大半は親友たるゼロと過ごした日々のものだ。
だが、中には東京に引っ越す以前の記憶もある。まだ両親が健在で、高明と共に暮らしていた日々のこと。そして、血は繋がっていなくとも実の姉のように慕っていた美羽のこと。無数の思い出が、水面に浮かんでは消える泡沫のように蘇る──
▼
景光が美羽と初めて出会ったのは地元の山中。兄である高明にせがんで虫捕りに出掛けていた時のことだった。
虫網に虫籠を携えて山道を歩いていると、不意に茂みが揺れた。すわ猪か熊かと身構えた時、歳の近い少女がひょこっと顔を覗かせたのだ。
少女は驚きに固まる景光と高明を見つけると目を丸くし、次いで何が嬉しいのか人懐っこい笑みを浮かべると親しげに話しかけてきた。
「初めまして! 私、一関美羽。良かったら私と友達になってくれない?」
初対面で開口一番にこれである。年齢の割に大人びていた高明も困惑せざるを得ず、景光に関しては身体中葉っぱ塗れの少女を高明の陰から窺うことしかできないでいた。
対応に困った高明がとりあえず経緯を尋ねると、山ほどのお稽古や勉強に嫌気が差して家を脱走、誰かしら遊び相手を探していたとのことだった。
中々に無茶苦茶なことを平然と宣う美羽。どうするか、と高明は今回の虫捕りを強請った景光に尋ねた。出会いのインパクトと美羽の勢いに気圧されていた景光は、遊び相手が増える分には構わないと答えた。
色の良い返事を貰えた美羽はそれはもう嬉しそうな笑顔を浮かべ、諸伏兄弟の虫捕りに参加することになったのだ。
その後、美羽が地元でも有名なお屋敷の娘であることを知って高明が大層驚いたり、難しいことは知らんと美羽が友達成りたての景光と全力で虫捕りに興じたりと。引率役の高明が根を上げるまでその日は遊び倒した。
濃密な一日を過ごした美羽と諸伏兄弟は、以降もよく遊ぶようになった。三人揃って遊ぶ時が大半であったが、時に高明だけ、時に景光だけということもあった。
楽しかったと思う。とんでもないお転婆振りで兄と自分を振り回す美羽と過ごす日々は、退屈する暇がない程に充実していた。
思い返せば懐かしい日々だ。夏は虫捕り、キャンプに沢遊び。冬は雪掻き、雪合戦に鎌倉作り。まるで本当の姉のように、色んなことをして遊んだ。
今も忘れらない、思い出の数は星のように。胸の中で輝いている。
だからこそ──奪われるわけにはいかない。
この思い出も、大切な人や家族も、唯一無二の親友も。組織の人間に奪わせてはならない。
自分の失態は自分で片付ける。その結末が、たとえ大切な人たちの心に傷を残してしまうものだったとしても。景光は迷うことなく決断した。
薄れゆく意識の中、景光は一人組織に残すことになってしまう降谷に心中で謝罪する。そして、もう一人。つい先日、偶然にも再会を果たしてしまった美羽にも、心の中で謝った。
──守られなくても大丈夫だなんて言っておきながら、このザマだ。情けないにも程があるな。
胸中で自嘲しながら、それでも自決の選択に悔いはない。こうすることで大切な人たちを守れるのなら、後悔はなかった。
最期に大切な人たちの姿を思い浮かべながら、景光はその生涯に幕を閉じた。
階下から響いた足音の正体がバーボンこと降谷で、元々折り合いの悪かったライとの関係性が致命的なものになってしまうことなど知らないまま。景光は悲劇の舞台から降りてしまった。
▼
カーン、と音を立ててスマホが床を跳ねる。バッグに仕舞おうとした拍子に美羽が取り落としてしまったのだ。
落下したスマホが勢いのままに床を滑り、傍に居た高明の靴に当たって止まる。高明は足元で止まったスマホを拾い上げ、画面に視線を落とすと微かに眉を顰めた。
「ごめん、高明。手が滑っちゃって」
スマホの持ち主である美羽が慌てて駆け寄る。高明は手にしたスマホを渡すか一瞬躊躇いながらも、最終的には気の毒そうな顔をして差し出した。
「どうやら落とした衝撃で画面が割れてしまったようです」
「あっちゃー……盛大に割れちゃったわね」
高明から受け取ったスマホの画面は中心を起点に罅割れが走っていた。電源は入るが、罅割れの入った部分は真っ暗なままで使い難いことこの上ない。
困ったように美羽は眉根を寄せ、やがて諦めたように嘆息を零した。
「しょうがない。買い替えようか迷っていたところだし、これを機に機種変するわ」
そう言って美羽は画面が割れたスマホをじっと見つめる。何かに撃ち抜かれたかのような罅割れを見つめる瞳は、漠然とした不安に揺れていた。
「何か?」
「……別になにも」
小さく首を振って美羽はスマホをバッグに仕舞い、一課の窓の外を見やる。予報では曇りだった空はどんよりと暗く、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
転生チートとして与えられた直感でも、刑事として培ってきた勘とも違う。虫の知らせのような根拠のない不安が雨雲のように胸中を覆って晴れない。
「具合でも悪いんですか?」
浮かない顔で黙りこくる美羽を心配して高明が声を掛ける。美羽は首を振ると胸中を覆う暗雲に蓋をし、無理やりに笑顔を作ってみせた。
「なんでもないわよ、本当に」
高明の心配を振り払い、美羽は足早にその場を立ち去る。胸を覆う不安の雲を振り切るように、歩みを早めた。