長野県警の女関羽 作:長野組推し
──翌朝、一関邸。障子を透かして差し込む朝日に照らされて美羽は目を覚ました。
「うぁ……?」
目を覚ました美羽は身体を起こし、鈍い痛みを発する頭を抑えながら周囲を見回す。美羽が寝ていたのは自室の布団の上だった。
はて、と美羽は首を傾げる。自分はいったいいつ、屋敷に帰ってきたのか。昨夜の記憶を遡っていくと、最後の記憶はバー“桃源”で無茶な飲み方をしていたあたりでぷっつり途切れていた。恐らくはその辺りで酔い潰れてしまったのだろう。
では、自分はどうやって屋敷まで帰ってきたのか。頭に疑問符を浮かべたところで、障子越しに女性の声が響いた。
「美羽、起きていますか?」
「ぁー……はぃ」
寝起きと二日酔いの合わせ技にグロッキーながらも返事をする美羽。かたっと音を立てて障子が開くと、美羽に似た顔立ちの壮年の女性がそこにいた。美羽の母親だ。
美羽の母は布団の上で呻き声を上げる娘を見下ろすと、呆れと心配混じりの溜め息を零した。
「昨夜は酷く酔った状態で帰ってきましたけど、大丈夫ですか?」
「ぅん……自分で、帰ってこれたのね」
記憶が全くないため自分で帰ってきたことすら自覚がない。ただ、母がわざわざ嘘をつく理由もないだろうとそのまま受け入れた。その母親が微妙な顔をしていることには気付かず。
「とりあえず、シャワーを浴びて朝ご飯を食べなさい。
「はぃ……」
美羽の気の抜けそうな返事を聞き、母親は部屋を後にする。母の気配が完全になくなったところで、美羽は布団の側に置かれていたバッグに手を伸ばした。
ガサゴソと雑な手付きで漁りながら中身に問題がないかをざっと確認する。財布も自分のスマホも、鍵の類も問題ない。そして──穴の開いたスマホも、ちゃんとそこにあった。
「…………」
全部夢だったら良かった。降谷と出会ったことも、景光のスマホを受け取ったことも、全て夢の出来事だったならどれ程良かっただろうか。無茶な酒の飲み方をしたのは、ある種の現実逃避でもあったのだ。
酔い潰れるまでにとんでもない酒の量と時間が掛かったのは誤算だったが。流石は転生チートである。
だがしかし、記憶が飛ぶ程飲んでも現実は変わらない。目を逸らしても酒に逃げても無意味な以上、目の前の現実と向き合う他道はなかった。
物憂げな溜め息を吐き、美羽はスマホを自身の机の棚にそっと仕舞う。普段から持ち歩いて何かの拍子に高明の目に留まってしまってはいけないと考えたからだ。
(高明に伝えるのは、もう少し熱りが冷めてから……それに、景光が本当に死んでしまったとも限らないし)
言い訳するように心中で呟き、二周目人生初の二日酔いにふらつきながらも立ち上がる。昨夜は酔ったまま布団に倒れてしまったようで、服も化粧もそのまま。眠気を飛ばすためにもシャワーを浴びるのは必須だった。
ふらふらと浴室まで辿り着き、そこで鏡に映った自分の顔を見る。二日酔いであったとしても酷い顔色で、このまま出勤しようものなら間違いなく心配されてしまう。由衣あたりが見たら飛び上がりかねない。
切り替えようと熱いシャワーを浴び、薄手の部屋着に着替えて居間に向かう。欠伸混じりに襖を開けて居間に入ると、食卓には母親と父親が既に席に着いていた。
「おはよう、美羽。酷い顔色だね」
「えぇ、はい。ちょっと無茶な飲み方をしちゃったのよ」
穏やかな物腰の父に酔いが抜けきらない頭で返事しながら、美羽は自分の席に着く。食卓には美羽の分の朝食が用意されていた。今朝の朝食は和食だったようで、ご飯に味噌汁、焼き魚と卵焼きが並んでいる。
普段よりもちょっと豪勢な朝食に内心で首を傾げながら味噌汁を口にする。温かいしじみ汁が二日酔いの身体にすーっと染み込む。思わずほっと一息吐き、味噌汁の器を置こうとして──ふと、対面の席に座る人影に気が付いた。
対面に座っていたのは特徴的な口髭の男。美羽の上司であり幼馴染の諸伏高明が、当たり前のような顔で味噌汁を啜っていた。
「ごっほぉ──!?」
盛大に咳き込む美羽。味噌汁を吹き出すことだけは気合で堪えたものの、無理な堪え方をしたせいか咳が止まらなくなってしまう。
激しく咳き込み目尻に涙まで浮かべながら、美羽は素知らぬ顔でそこにいる高明を睨み付けた。
「こ、コウメイ? なんで、ここに──!?」
ゲホゴホ咳き込みながら美羽が尋ねると、高明は澄ました顔で答える。
「昨日の君の様子が気に掛かったものですから」
「昨日……っ、まさか昨夜」
はっとして美羽は高明を見つめる。バーで酔い潰れた姿を高明に見られたのかもしれないと思ったのだ。もしそうだった場合、醜態を晒したのもそうだが景光のスマホを見られてしまった可能性がある。
羞恥やら恐怖で青い顔になる美羽に対して、高明は何も知らなさそうな顔で見つめ返す。
「昼間の話ですが。酷い顔色でしたので、念のために体調を確認しに訪問したんですよ。そうしたら、君のお母様に朝食を誘って頂いたのでお言葉に甘えさせて頂いた次第です」
「あ、そっちの……」
ほっと安堵の息が零れる。昨夜の一部始終を見られていないのであれば問題はない。バーのマスターには日を改めて謝罪と共に口止めをお願いすれば、後々に高明にバレるようなこともないだろう。
安心した美羽はぱくぱくと朝食を食べ進める。その様子を見て、高明は穏やかな笑みを浮かべた。
「体調が優れないようであれば休むよう勧めるつもりでしたが、どうやら杞憂で済んだようですね」
「……悪かったわね、心配かけて」
目を逸らしながらも美羽は謝罪の言葉を口にする。景光の件で精神的に不安定だったとはいえ、昨日の態度は余りにも悪かった。一晩経って多少なりと落ち着いたからこそ、謝罪の言葉が出てきたのだ。
「いえ、お気になさらず。上司として部下の体調を案じるのも職務の一環ですので」
「体調管理もろくにできない部下で悪うございましたね」
妙に偉そうな高明の態度に半目で睨み返す美羽。相変わらず頭は二日酔いで痛いが、高明のお陰か普段の調子が戻り始めていた。
食卓を挟んでああだこうだと突っかかり始める美羽と、そんな美羽を軽くあしらいながら焼き魚を突く高明。部下と上司にしては気安い、距離の近いやり取りを特等席で眺める美羽の父親と母親は互いに顔を見合わせ、微笑ましいと言わんばかりにひっそりと笑うのだった。
▼
朝食を済ませ支度を終えた美羽は高明と共に屋敷を出た。
二周目人生初の二日酔いに頭を抱えながらも、調子は殆ど普段通りに戻っている。昨日の落ち込みようがまるで嘘のようだ。
しかし、その実から元気な部分も大きい。ただ高明の前でこれ以上弱っている姿を見せるわけにはいかない。下手をすると不審がった高明に探りを入れられ、何もかもが露呈しかねないからだ。
(高明に話すのは、せめて真実を確認してから。それまでは……)
本当は明かす勇気がないだけなのを、それらしい言い訳を並べ立てて正当化する。そうでもしないと、とてもではないが一人で抱え込める気がしなかった。
普段通りの調子で取り留めのない雑談を交わす美羽と高明。しかし不意に高明が歩みを止めたことで会話が途切れた。
「コウメイ? どうかした?」
美羽が疑問符を浮かべて尋ねる。尋ねられた高明はしばし瞑目すると、ややあってから静かな口調で話を切り出した。
「前もって、宣言しておきましょう。何があったのか、私から君に無理な詮索をすることはしません。故に、その取り繕ったから元気はやめなさい」
「────」
高明の突然の宣言に美羽は唖然として立ち尽くす。幼馴染として付き合いが長く、頭も切れる高明のことだから無理な振る舞いもお見通しなのは想定内だった。しかしここまでド直球な言葉をぶつけられるとは思いもよらなかったのだ。
「話したくないのであれば無理に話さなくていい。しかし話したいと思うことがあれば、私はいつでも話を聞きましょう」
「コウメイ……」
幼馴染の真剣な眼差しを美羽は惚けたように見つめる。美羽が抱える事情を知らないはずなのに、ここまで的確な台詞を吐けるのは幼馴染だからなのか。
それとも──
「それと一つ付け加えて、私は君が思っているよりも弱くないことだけ伝えておきましょう」
最後にそう締め括ると高明は止めていた歩みを再開して先に進もうとする。しかしその歩みは美羽が腕を掴んだことで止まった。
高明の腕を掴んだ美羽は俯いたまま、何かを言おうとしては躊躇うように口を開いては閉じてを繰り返す。しばらく決心が付かないまま顔を俯かせていたが、やがて腹を括り高明の顔を見上げた。
「必ず話すから。嘘偽りなく、ちゃんと全部話すから。だから──待ってて」
切実な想いが込められた美羽の言葉を、高明は目を逸らすことなく真正面から受け止める。受け止めた上で、優しく微笑みながら返事をした。
「わかりました。その日を一日千秋の思いで待つとしましょう」
「……ありがと」
高明の返事に小さく呟きを返すと、肩の荷が降りたのか取り繕っていた態度が崩れる。足取りは軽くなり、表情からは強張りが取れて普段の爛漫な笑みが自然と浮かぶ。
「さっさと行きましょうか。あまりのんびりしていると遅刻しかねないし」
「ええ」
長野の女関羽と孔明は肩を並べ、前に向かって歩き始めた。